俺達は、ノース・ノックドゥを出発した。
ノックドゥを出るまで、俺達は誰一人として、何の言葉も発さなかった。あるうららかな晴れた日、南風が頬を撫でつける。ノックドゥの敷地を出れば、ひとたびセントラル・シティまでの広大な大草原。二つ、三つの小さな山はあるけれど、基本的には高低差の無い平地が続く。
背の低い草花が、辺り一面に広がっているだけ。俺はその雄大な景色を眺めて、うん、と背伸びをした。
「――――帰る前に、俺から一つだけ、話がある」
俺は振り返り、仲間達を見た。
リーシュは死人のような顔をして、ただ俺の後ろを付いて来るだけ。俺が目を合わせると、時折頼りない笑みを浮かべるだけだ。
トムディは未だ納得が行かない様子で、誰にも向けられない怒りを腹の中に渦巻かせている。ヴィティアはなんと声を掛けたら良いのか分からないらしく、どこか慌てた態度だ。
キャメロンは男らしく、どっしりと構えて俺達を常に気遣ってくれる。ミューは無言ながらも、どこか俺をフォローしてくれる。
チェリィは当然、ノックドゥに残らなければならない。次のギルドリーダーを探さなければならないだろうし……ラグナスはあれきり、どこに行ったのかも分からない。
でも、何れ皆、またどこかでセントラル・シティに顔を出すだろう。
俺は笑顔で、言った。
「『ギルド・あまりもの』は、成立しなかった」
真実だ。
その言葉が口にされる事を、恐れていたのだろうか。ヴィティアがぴくりと震えて、なんとも言えない不安な顔をした。他は、表情を変えない。
肩の上のスケゾーも、沈黙を守ったままだ。
「だから、このメンバーでパーティをもう一度、作る理由はない。正直、セントラル・シティに帰らないといけない決まりもない。このパーティは一旦、ここで解散しようと思う」
そう言って、俺は頭を下げた。
「俺の、実力不足だ。……本当に、すまなかった」
こうする以外に、俺に何ができただろうか。
結局の所、俺は自分の未来を変える事が出来なかった。今にして思えば、予め仕組まれていたものだ。知らない作戦が水面下で動き、俺は嵌められ、翼をもがれた。知ってからの対応では、どうにもならなかった。
ヴィティアが慌てて、俺に手を振った。
「や、やめてよグレン。そんな事しないで。仕方のない事じゃない。誰も悪くないんだし……」
これは、必然の未来だったのだろうか。
誰かが見ていたら、一体俺達をどのように思うだろうか。怒るだろうか。笑うだろうか。呆れるだろうか。
……しかし、これが俺達の事実であり、現在だ。それだけは、変わりない。
「誰か、セントラルに帰らない奴はいるかな? あれから、少し考えてさ……すぐにセントラルに戻るのはやめて、少しぶらっとしようかな、なんて考えてるんだけど」
俺は努めて笑顔で、皆にそう言った。ヴィティアがわざとらしく笑って、その場を誤魔化そうとした。
「あはは、居る訳ないじゃない、そんな人。私達はずっと、グレンのそばに居るわよ」
「――――その件なんだが」
「えっ?」
キャメロンが真っ先に、話した。驚いてヴィティアがキャメロンを見る。
ミューは目を閉じている……既に話は済んでいるようだ。
「俺は――……西に行って、スラムやその周辺で産まれた子供のために、孤児院を作りたいと思うんだ。ミューには前々から話していたんだが、俺の体調が優れなかったものでな」
「あ、あんた……今それ言う……?」
「いや、ギルドの話が出たから、暫くはこっちに参加しようと思っていたんだがな。……でも、それが無くなった今、俺は夢を追い掛けたいと思ってな」
ヴィティアは何とも言えない様子で、呆然としていたが……そんな事もあるだろう。俺は苦笑して、キャメロンと向き合った。
キャメロンは相変わらず、凛々しく誠実な態度で、俺に微笑む。
「亡くなった祖父の、後を継ぎたいんだ」
そうして言われると、どうしたって引き止める事なんかできないし、理由もない。
「……分かった。大丈夫だよ」
「勿論、またギルドをやる話があるなら、いつでも声を掛けてくれ。どうせ、金を集めるのに時間が掛かる。今すぐ孤児院をやろうと思っても、すぐにできる訳じゃない」
「ああ。……その時は、よろしく頼むよ」
もう、その時は訪れないだろう。
そう思いながら、俺はキャメロンに言った。
一国の所属ギルドを務めるなんていう機会は、そうゴロゴロ転がっているものじゃない。俺が生きているうちに、代替わりは起こらないかもしれない。仮に起こったとして、その穴に俺が入れるとも思わない。
ならば、なんとなく高難易度のミッションを受けるためにギルドを作ってみるかと、そういう話になるんだろうけれど。
これから、俺の悪評はまた広まるだろう。ノックドゥのギルドリーダー就任式で、事件を起こしたギルドの代表として。それは目に見えているし、俺の評価はセントラル東門での出来事と重なって、賛否両論になるだろう。
それならギルドリーダーは、もう俺がやるべきじゃない。
ミューが珍しく、俺に握手など求めて来た。
「……もし、孤児院ができたら……セントラルに一度、戻るから」
「おう」
「そうしたら……遊びに来て……」
「そうだな」
どこか気の抜けた口調で、無表情にそう話すミューは、相変わらずだった。俺は笑って、握手に応じた。
キャメロンとミューは手を振って、俺達とは違う方向に歩いて行く。
「……僕も一度、マウンテンサイドに戻るよ」
遅れて、トムディが言った。ヴィティアがトムディの服を掴んで、抗議するように口を開いた。
「ちょ、ちょっと!! あんたまで居なくなったら、パーティにもならないじゃない……!!」
「サウス・マウンテンサイドには、まだギルドを所属させるルールが無いんだ。父上は基本的に内向的というか、外部の協力を好まない人間だから……だから僕は、マウンテンサイドでギルドを成立させられないか、話をしてみようと思う」
流石にもう、怒っている様子ではなかった。でもトムディは、やっぱり今回の結末に関しては不満が残るのだろう。……まあ、誰だって良しとはしないだろうとは思う。
何だかんだ言いながら、泣いたり喚いたり逃げたりしながらも、結局いつもトムディは努力を続けている。
「僕はまだ、ギルドを諦めようと思ってないから」
そんな事を、トムディは俺に言った。
「ああ」
「もし、この件でグレンが諦めちゃったとしたら、僕がギルドを作るから。……そうしたら、グレンは僕の仲間に入ればいいよ」
「……ははは」
トムディがそんな事を言うので、少し俺は笑ってしまった。
「なっ……なんだよ!! 僕は真面目に言ってるんだぞ!!」
いや。別に俺は、トムディを馬鹿にして笑った訳じゃない。ただ――……あのトムディが、ギルドを作りたいと言うまでになったという現実に、何だか時の流れを感じてしまっただけだ。
人の立場は変わる。時代と共に、人はその価値観を変えていく。
俺も、そうなのだろう。
「いや……まあ、その時は……頼むよ」
トムディは俺に手を振って、セントラル・シティ方面に歩いて行く。とはいえ、行先はサウス・マウンテンサイドだ。セントラル・シティよりも更に南だから、遠くに見えている馬車に乗るのだろう。
ぽつんと一人、ヴィティアが取り残された。既に小さくなっているキャメロン、トムディの背中と俺を忙しなく見ながら、ヴィティアは完全に戸惑っていた。
「それじゃまあ、行くか?」
俺がそのように声を掛けると、ヴィティアは急に頼りない表情になって、リーシュを見た。
リーシュは既に、ただ動くだけの人形のようだ。何も喋る事は無く、ヴィティアがリーシュを見ても、声の一つも発する事はなかった。
ヴィティアは遅れて、俺を見た。
「…………私も、居ない方が良いかな?」
どういう質問だよ。
思わず、苦笑してしまった。
「いや。お前の好きなように決めたらいいさ」
「だ、だって。これじゃ……私、どうしたら良いのか……」
ギルドにならないとすれば、ヴィティアが俺に付いて来る理由もない。……かと言って、他のメンバーと違って、ヴィティアはこれといった強い目的を持っている訳じゃない。
だからだろう。ヴィティアは少し考えている様子だったが、キャメロンの姿は次第に見えなくなり、トムディの姿も小さくなっていく。それを見て、遂に決心したようだった。
「……はあ。そしたら私も一度、トムディに付いて行くわ」
少し申し訳なさそうにしながらも、ヴィティアはそう言った。
「そっか。分かったよ」
「いや、違うのよ? ここに居たくない、とかじゃなくて……二人ずつで行動した方が、連絡を取りやすいかなと思って。トムディ一人じゃ、何かあった時に話す人が居なくなっちゃうじゃない。それに……」
ヴィティアは何かを言い掛けて、それを止めた――……首を横に振って、続く言葉を消した。俺に微笑みを浮かべると、ヴィティアは言った。
きっと、そんなのはただの言い訳なのだと、ヴィティア自身が思ったからだろう。
「……セントラル・シティには、もう帰らないの?」
「いや、そりゃあ、そのうちには戻るよ。どうしたってミッションは受けないと金がないし、な」
「そう……そうよね。私は、すぐセントラルに戻るから。何かあってもまあ、私なら大丈夫でしょ……類稀なるギャンブルの才能もあるし」
「どうせ勝てないんだから、程々にしとけよ」
「分かってるわよ!! 地道に稼ぎます!!」
結局、ヴィティアは俺達から離れる本当の理由を言わなかった。
でもヴィティアは、気を遣ったのだと思う。すっかり本来の姿を失ったリーシュに――……そして、魔力共有できなくなり、冒険者としての強みも立場も失った俺に。考える時間を与えてくれたのだと思う。
「……リーシュのこと、よろしくね」
「おう」
「元気になったらちゃんとセントラルに戻って来るって、約束して」
「ああ。約束するよ」
「私、ずっとセントラルで待ってるからね!!」
そこまで話して、ヴィティアは去り行くトムディを見て、慌ててトムディの方へと走った。
不意に立ち止まり、ヴィティアは振り返った。
「グレン!!」
すっかり見送った気になっていた俺は、少し驚いたけれど。
「愛してる!!」
唐突な愛の告白に、俺は何も言う事ができずにいた。
ヴィティアは悪戯っぽく舌を出して笑い、背を向けてトムディの方に走って行く。……程なくして、俺は苦笑し、二人の背中を見詰めた。
トムディの所にヴィティアが追い付くと、何やら揉めているようだったが……ヴィティアがトムディを蹴って、トムディがそれに怒りを見せた後、なんだかんだで二人、遠くに見える馬車へと向かって歩いて行った。
俺と同じようにその様子を見送ったスケゾーが、腰に手を当てて言う。
「さて……これからどうするんスか、ご主人」
「そうだなあ……」
考えているフリをしながら、俺は何も考えられていなかった。
俺とリーシュ、それからスケゾー。サウス・ノーブルヴィレッジを出た時のままのメンバーに、戻る事になった。
そうして――――…………、『ギルド・あまりもの』は、解散した。
「正直、何もプラン決めてないんだよな。セントラル・シティに戻ろうかと思ってたけど、冒険者依頼所にはちょっと行き難いし……こんな事になるなんて、思ってなかったからなあ」
「まあ、そうっスよね」
「リーシュは、どうしたい?」
問い掛ける。……だが、俺の問い掛けに対して、返答はなかった。リーシュは俺を見て、微かに笑みを浮かべるだけだ。
俺は、何も言えずに微笑みを浮かべた。
リーシュの傷が癒えるのには、まだまだ時間が掛かるだろう。セントラル・シティに戻るのを止めようかと思ったのは、それが原因でもある。東門での出来事を、きっとまだリーシュは引き摺っているのではないかと思った。もしもそうだとしたら、迂闊にセントラル・シティへと戻ることで、リーシュの傷は更に深くなるかもしれない。
セントラル・シティで生活しないのなら、金はまだ沢山ある。今すぐ問題にはならない。だったら、ゆっくり休息を取るべきなのかもしれない。
でもそれを、心のどこかで『逃げ』なのではないかと、考える自分もいる。
溜息をついて、俺は無理矢理、笑みを浮かべた。
「どこでもいいか。……とりあえず、どっかに行こうぜ」
「どこか、……っスか」
「疲れたら、休めばいい。行きたい所に行ってみよう。そんな事、今までした事無かったしな……時間はたっぷりあるんだ。気長に行こうぜ」
スケゾーがふと笑って、俺の肩に座った。
「……ま、そうっスね」
「リーシュも、それでいいか?」
じっと見ていなければ分からない程、小さくではあったが――……リーシュも、頷いた。
俺達は、歩き出す。
得体の知れない、何かから逃げるように。
もう二度と届かない、明日から遠ざかるように。
それは、見る人が見れば『現実逃避』だと、笑うかもしれない光景だった。
……でも、それでも良いんじゃないだろうか。
走り続けて来た。走り続けて、息が切れているのに足を動かして、身体のどこかがおかしくなってしまった。
ならば、休もう。
それもきっと、これからも続いていく長い人生の中で、大切な事のひとつだろうから。
「グレン」
ふと、声が掛けられた。
振り返ると、そこには――……上空から、降りて来たのだろうか。唐突に、大草原に風が吹き荒れる。漆黒の龍に乗り、同じく黒い服を身に纏った黒髪の女性がひとり。
「……………………師匠」
師匠は……マックランド・マクレランは、俺を見て、複雑な表情を見せた。
「私と一緒に、来てくれないか」