荒川版アルスラーンがあの外見と性格で姫だったら
大陸の東西を貫く交易路、大陸公路の中央に位置するパルス王国の王太子アルスラーンは、王子と称しているが、実は女性である。
本来、パルス王国では女児に王位継承権はない。
しかし、当代のアンドラゴラス三世に溺愛された正室タハミーネが、女児を産み落とした後、子供を望めぬ体と診断され、正室の座を追われそうになったため、王妃の政治的立場を守るため、アンドラゴラス王が性別を偽らせたのだ。
どこからか男児を調達して入れ替えるという手もあったが、汚れ役を押しつけられそうになったアンドラゴラス王の腹心ヴァフリーズが難色を示したことと、タハミーネ王妃の懇願もあって、王女を王子と偽って育てることになったのだ。
愛するタハミーネの愛情を奪われる形となった父からはぞんざいなあつかいをされながらも、母の愛に恵まれて育ったアルスラーンは、五歳で立太子し、パルスの民からおおいに祝福された。
アンドラゴラス王は、自分の掌握する軍事力があれば多少の無茶は通せると踏んでいたが、アルスラーン自身にも軍からの支持を得させるためには、女性であると明かす前に、将としての実績を与える必要があった。
パルス歴三二〇年、マルヤム王国が滅亡し、パルス王国に侵入したルシタニア軍を迎え撃つため、アルスラーンは十四歳にしてアトロパテネの地で初陣を迎えることとなる。
その三年前、まだパルス王国西方のマルヤム王国が健在で、さらに西のルシタニア王国からの侵攻に対しての援軍の要請がパルス王国に届き、アンドラゴラス王が親征を行い、勝利を収めたころの話。
パルス歴三一七年、パルス王国の首都、堀と高い城壁に囲まれた緑にあふれるエクバターナの王宮では、淡い金の髪の少年と、頭髪に乏しい老人が、真剣と木剣で打ち合っていた。
老人と言っても、鍛え上げられた片腕で振り回す木剣は、線の細い少年が両手で持つ真剣をたやすくはじきとばし、しりもちをつかせた。
はじかれた剣が石畳にはねて、近くに控えていた女官から悲鳴があがったが、誰かに急を知らせるでも助けを呼ぶでもなく、その場にかしこまる。
これは真剣勝負でもなんでもない、ただの稽古なのだ。
一方的に打ち込まれていた少年が文句を漏らす。
「そんな技をつかうなんてひどいではないか。大将軍ヴァフリーズ」
「いいえ、こんなものは技とは呼びませぬ。剣の基本でございます。ただし、その基本を磨かねば、技も身に付きませぬ。王子、基本を磨きなされ」
アンドラゴラス王がエクバターナを留守にして以来、これが毎日続いているのである。
稽古も終わり、汗もかいていないヴァフリーズと引き換え、さんざん転ばされたアルスラーンは、女官たちに装具を外され、酷使した足を濡れた布で冷やすなどの世話を受けながら、ぽつぽつと不満を漏らした。
「剣の稽古ばかりでつまらぬ。なぜヴァフリーズは父上について出陣しなかったのだ?」
「王都エクバターナの守護が此度私めに与えられた任務にございます。西のルシタニアのみならず、ミスル、トゥラーン、チュルク、シンドゥラといった国々が大陸公路の益を求めてパルスを狙っておりまする。油断はなりませぬ」
「そんなに忙しいのなら、私に剣の稽古などつけてくれなくてもよいのに」
「そのような覇気のないことでは、立派な王になれませぬぞ。剣の基本ができているだけでも、立ち居振る舞いがしっかりしてくるものです」
「わかっているよ、わかっているけど、なぜ私ばかり……」
「殿下が立派な王になることを、アンドラゴラス陛下もお望みです」
「わかっているんだ」
城内に戻ったアルスラーンを通りがかったタハミーネ王妃が迎えた。
偶然ではない、王不在で公務に追われる王妃にとって、実子といえど王子に関われる時間は少なく、アルスラーンの稽古が終わる時間を見計らって、わざわざ通りがかるようにしているのだ。
アンドラゴラス王のそばでは冷ややかな表情を崩さないタハミーネが、アルスラーンには笑みを見せる。
「剣の稽古ですか、アルスラーン。怪我などはしていませんか」
「ご心配なく、母上。父上のような立派な王になるために励んでいるのですが、なかなか上達いたしません。こんなわたしですがヴァフリーズはよくつきあってくれています」
「そうですか。無理はなさらぬように」
王になるというと、タハミーネの顔にわずかに陰りがさすことをアルスラーンは気づいていたが、自分が王になれなければ、王宮で母の立場が危うくなるということにも気づいているのだ。
去りゆく母の後姿を見送って、アルスラーンはこぼした。
「立派な王とはなんだろうな」
そのつぶやきは小さく風に消えていった。
アルスラーンが女であることを知っているのは、父アンドラゴラス、母タハミーネ、乳母夫婦、数名の女官と医師、尊師、そして大将軍ヴァフリーズだけである。
いや、人間以外も含めるなら、もう二羽増える。
ちょうどこの時、王宮の空に、二つの羽ばたきが近づいていた。