「んじゃあ、俺もお暇させて貰うわ」
ベルたちが出て行ったことだし、俺も図書室には用がなくなった。
「そう」
先ほどの笑顔が嘘だったかのように、シャーロットは再び無表情の仮面を被っていた。こちらに興味がまるでないのか、視線すらこちらに向けようとはしていない。
先程の笑顔を見たから断言はできるが、素は間違いなくそっちの方だ。ただ仮面の紐が固いだけで。
ベルの発言はその紐をあっさりと解く……というか、ぶった切ってしまったわけだ。
ホント、素直に感心するわ。
そう思うと、このまま出ていくのも面白くないな。
「まーたそんなムスッとした顔しちゃって。さっきの笑顔はどーしたー?」
せっかくオモチャを見つけたんだから、とりあえず遊ばなきゃダメでしょ。
弱味を握ったらそこを徹底的に突くべし。それは日常生活でも同様だ。
俺の言葉に眉間を僅かに寄せ、やっとこさこちらに視線を向けた。
彼女の瞳に映っているのは、相手の神経を逆撫でするような厭らしい笑みを浮かべた獣人が移っていることだろう。
ま、俺のことなんですけどね。
俺の顔を見て、更に目を細めるシャーロット。
「そうね。確かにベルベット殿下のお言葉は私の琴線に触れたわ。それはもう見事にね。それを認めることは全く持って吝かではないわ」
そう言うと、元の無表情に戻す。いや僅かに笑っている。
先程見せたような思わず溢れてしまった満面の笑顔、などではなく、他者を威嚇するように張り付けたような嘲笑の笑み、だったが。
「貴方も私を笑わせたいなら笑わせればいいわよ。貴方の発言が私の心を揺さぶるような発言なら、それはもう大いに笑ってしまうでしょうね。……貴方にそんな発想と語彙があれば、だけど」
感情を灯さないような人形のような瞳で言いかえしてきた。
ほう。コイツ、俺に煽り返しに来たわけか。
よし。そうなると当然、俺の選択は――
「あーないない、無理無理。ベルみたいなこと言うとかマジ無理。そんなわけでサヨナラバイバイ」
――逃げの一択だ。
シャーロットも予想外の展開だったのか僅かに目を見開いたが、すぐに元の無表情に戻す。
「……逃げるの?」
「うん。もうここに用事もないし」
告げて、今度はニットの方に向き直る。
図書室で喧しくしていた俺たちを叱るでもなく、先程のやり取りの最中でも彼女はずっとこちらを見守っていた。
「騒々しくしてしまい、大変申し訳ありませんでした。これにて失礼させていただきます」
「いいよいいよ。見てて楽しかったしねぇ。シャロちゃんの笑う所なんて珍しいものを拝ませてもらったんだ。文句はないよ」
「お言葉ですが、そこの|野獣《のけもの》には文句を言ってもいいと思いますが。特に何もしていませんし」
「さっきの笑い声が耳にこびり付いてナニモキコエナイ」
すっ呆ける俺の背中に冷たい視線がぶっ刺さってる気がするが、気がするだけだな。うん。
俺たちのやり取りを見て、今度はニットがカラカラと笑い出す。
「にしても、噂の『黒牙《こくが》』がこんな愉快な生物だったとはねぇ。噂は当てにならないもんだね」
「何ですか? その『黒牙』ってのは?」
気になる単語があったのが聞き返してみた。文脈として俺のことを指しているのは分かるが、初めて聞いた言葉だ。いつの間にそんな二つ名が俺に付けられていたんだ。
そんなふとした疑問だったのだが、ニットは大層驚いた表情を浮かべていた。背後でも息を飲んだような音が聞こえる。
シャーロットがそんなに分かりやすく驚きの表現を出したことから、相当意外な言葉だったというのは分かるが、何でそんなに驚く?
「あ、アンタ黒牙じゃあなかったのかい? 陛下の奴隷じゃないって聞いてたから、アタシャてっきりそうだと……」
「あー、すいません。まずその『黒牙』ってのを教えてもらえませんか?」
その『黒牙』ていう存在が俺だと勘違いしていたのは分かった。
で、その黒牙って結局なんなのよ?
「この本を読みなさい」
シャーロットの声に振り返ると、その手には一冊の本が。
なになに、『ウソのようなホントのはなし 勇者!? 魔王!? 魔女!?』
何だそのコンビニに置かれてそうな裏話系のタイトルの本は。
「あ、それだったら、こっちの本も持って行ったらいいよ」
ニットが取り出したのは、『マジで怖いジツワ 伝説の暗殺者『黒牙』を追え!』という本。
だからなんで……いや何も言うまい。
ウガ家の人間が書いたわけではなさそうだが、正直これは酷い。
「それに黒牙について書かれてるから読みな」
「どうも。本は持って行って良いんですか?
「この城から出さず、ちゃんと返してくれるって約束してくれるならね」
「それなら大丈夫です。あ、じゃあこの本も一緒に持っていきますね」
その言葉に甘えるついでに、本棚から新たな本を一冊取り出して、今度こそ図書室を退室した。
魔力を体外に放出すると大気中に雲散する。それを押し止めると薄紫の靄のようなものが出来上がる。それを魔墨という。その魔墨で術式を作成。
後は魔墨の強度を上回らないように、術式に魔力を流し込む。そして魔術はこの世界に顕現し――。
ぼふっ。
実際に聞こえたわけではないが、そんな音が響いた気がした。
「不発だな」
「不発ね」
「……っぐ、何で発動しないんだよ!?」
俺は思わず自らの手を睨みつける。怒りの余りプルプルと震えているが、抑える気などまるで起きない。
「この本の通りやってんのに何でじゃあ!?」
睨めつける視線を横に滑らす。そこにあるのは先ほど図書室から持ってきた本、『獣人でも出来る魔術入門』。
魔墨を放出した。術式も完璧。だというのに、どうしても魔術が発動しない。
いや、原因は分かっている。
「何でこの本には、魔力の通し方について書かれてないんじゃあ!?」
「いやー本当にアンタ、魔導が下手ね」
「それも致命的なほどにな」
魔導。
要は術式に魔力を流す作業のことだ。魔墨放出、術式作成に比べたら、その難易度は屁みたいなものらしい。あまりに簡単すぎて、本にそのやり方が書かれていない程だ。魔導具を起動させるのに必要な技術だが、魔力さえあれば子供でも獣人でも魔導具を動かせることから、それはもう基礎的な能力なのだろう。
それが俺には出来ない。
「ふざっけんなよ! ちゃんとそこらへんの方法も書いとけよ! 何が『魔墨の放出と術式の作成さえ出来れば後はカンタン。すぐに魔術が使えるよ』だよ?! 俺にとっちゃあそれが一番大事なトコなんだよ!」
「随分荒れてるなー」
リュークがぼんやりと言うが、その程度では俺が止まることはない。
「魔墨も術式も出来て、何で魔導が出来ないかなー?」
ベルが呆れた声を出したと思ったら、俺の顔面が水塗れになった。怨嗟の声を挙げ続ける俺を尻目にベルがサラッと魔術を発動させた。
「ほらこれで落ち着い――」
「一体全体何ですかこれはベルさん皮肉ですかぁ?! 『アンタこの程度も出来ないのプフー!』って意味ですかぁ?!」
「――てないわね全然。こんなに噛みつかれるとは思ってなかったわ」
「まるで冷静さを失っているな」
うるせぇ。スキルを切って床ドンしてるだけ冷静だわ。
「ふー、少し取り乱しちまったみてえだな」
「少し? 私の知らない意味があったのかしら」
「むしろ、かなり取り乱した時を見てみたくなるな」
黙らっしゃい。
「にしても、魔導がこんなに下手な奴が居るのねぇ」
「そうだな、普通はこんなところで躓かないだろうし」
兄妹の言葉に再び取り乱しそうになるが、落ち着け俺。深呼吸深呼吸。
二人の言う通り、本には魔墨と術式について重点的に書かれていた。獣人が魔術を使えないというのは魔力量の他に、この二つが基本下手だからという理由がある。
だからこそ大半のページを割いて、やり方や鍛錬法が書かれていたわけだ。
その辺は何ら問題なく行えた。問題はその後に控えていたわけだけど。
「分かったことは一つ。どうにかして魔導の方法について学ばなきゃいけないってことだ」
「どこで教わるのよそんなもの?」
「だが身に付けなければ、魔術どころか魔導具すら使えないとなれば、泣き言も言ってられないだろ」
……ん?
「ごめんリューク聞こえんかったわ。もう一回言って」
「うん? 泣き言も言ってられないだろ」
「もうちょい前」
「魔導具すら使えないとなれば」
「そうそうそこそこ」
俺はうんうんと頷き。
「なんで魔導具使えないの?!」
クソ思いっきり叫んだ。
フィルスの森で似たようなやり取りをした気がするが、そんなことは今の俺には関係ないし、そんなことで止められない。
意味のない言葉を叫び続ける俺の凶行に目を見開く……ことなどせずに、兄妹の二人は言葉を探るように目線を合わせ、ゆっくりと頷いた。
「何でって、ねえ?」
「魔導具ってのは、『魔導が出来るだけで使える道具』って意味だからなぁ」
「なん……だと?」
俺が今まで読んだ本の中にはそんなこと書かれて……あったな。
書いてた。読んでた。知ってた。っていうかバリバリ覚えていた。
ただその現実を直視したくなくて目を逸らしていたんだな、俺。
ははっ。なんて、無様。
魔力の問題を解決したと思ったら、次は魔導ですか。ふざけんなよ。
手足を地に着き、呆然としている今の姿は、さながらナガレカワ君に負けた時の赤毛坊主と完全に一致していることだろう。
そんなクソどうでもいいことを考えて現実逃避しようとしてみたが、うん無理だわ。
「すまないリューク。しばらく立ち直れそうにない。大丈夫俺なんぞが居なくてもアルヴァの試験ぐらい余裕でパスできると信じてる。幸運を祈る。俺を憐れめ」
「はあ。分かった分かった。僕自身の周りのことが落ち着いてきたら、どうにかして魔導を教えてくれる人材を探そう。『魔道具使用の効率化』とかお題目を付けてな」
「さっすがリューちゃん!! 話が分かりゅー!」
手と足のバネを弾けさせて跳躍。勢い余って一回転は俺の嬉しさの象徴だ。
その言葉を待っていたんだよリュークさんよぉ! いやー持つべきものは頼れる人脈だよなぁ。
「別にそんなことしなくてもいいんじゃない兄さん?」
「うん、僕がそんな気がしてきた。騙された感じだ」
「おいおい人聞きのこと言わないでくださいよー。まるで僕がリュークに強要したみたいじゃないですかー。強要どころか、お願いも懇願もしてません」
俺がやったのは、それっぽくなるように空気を作っただけ。それすらも成功率五割切ってたし。
本気出せば成功確率を九割九分九厘にまで引き上げる自信はある。伊達に忍はやってないですから。
「まあ無駄にはならないだろうからいいけどさ」
やれやれという仕草で首を振るリューク。
それが不本意ですという全力アピールだとしても、言質は取ったからな。
「そういえば、アンタが持ってきたこの本は一体何なの?」
ベルが指し示したのは、黒牙について書かれているという本。俺は図書館でのやり取りを説明した。
「ふーん。それでその黒牙っていうのは何なの?」
「簡単に言っちまえば、名の知れた凄腕暗殺者のことだ」
そして黒牙とは、黒い体毛を持つ獣人のことを指している。
ひっくるめて言うと黒くて凄くてヤバい獣人というわけだ。
「俺の毛の色は黒だろ。だからニットの婆さんとアルヴァ嬢がそれだと勘違いしたっていうだけの話さ」
「まあ、獣人で黒い体毛は珍しい、というか聞いたことがなかったからな。無理もない」
「胡散臭いわねー。本当に居るの?」
リュークが納得の、ベルが疑問の声を上げる。
「基本的に金とか銀とか赤とか、明るい毛色が多いらしいな。あのカンタールも金に近かったし。黒は居ないわけじゃないけど珍しいんだってさ。んでもってこいつの存在自体は噂とか怪談の類に近いが、だからと言って嘘だとは言いきれないな。ほれここ。『黒い体毛を持つ獣人が戦場で目覚しい働きをした』だの、『物音に気付いて部屋に入ると、領主の死体と黒の獣人がそこに居た』だの、目撃例は多数あるぞ」
「いや、もっと胡散臭くなってない? それ」
「あ、やっぱり?」
こっちの世界でも胡散臭いのは変わりなかったらしい。『マジで怖いジツワ 伝説の暗殺者『黒牙』を追え!』というタイトルからして察しろというわけか。
「でも、シャーロット嬢とウガ剣公は黒牙の存在を信じていたんだろ?」
「信じていたというより、ありゃ確信してたな。常識みたいな感じだった」
「最近誰か暗殺でもされたのかしらね?」
「暗殺されそうになったのはこちらだというのに。なあエイナよ」
おい何故そんな意味深な目でこっちをみるリュークよ。
俺はまだこっちの世界で暗殺なんてしたことないぞ。ちゃんと正面から堂々と殺しにいってるからな。
「というか、暗殺者のクセに名が知れてるってどういうことよ? ダメなんじゃないの、職業的に」
「それはスタンスの問題だな」
「スタンス?」
そう、スタンス。印象と金銭についてのスタンスだ。
名が知れてるっていうことは、それだけ警戒される、敵からも狙われやすくなる、手口も知れ渡る。不都合だらけだ。並の暗殺者ならすぐさま廃業に追い込まれる。
黒牙にはそんな不都合すら押しのけて仕事をやり遂げてきたという実績がある、ということだ。
雇う側からすればそれは頼もしく映り、狙われる側には恐怖でしかない。
そんな奴が敵対勢力に雇われたという情報が入ったら、ろくに食事も喉を通らないだろう。
「例え本当は雇われてなくてもな」
「なるほど。名前でビビらせているわけね」
情報操作の一種ですな。
「実際に雇うより思いっきりお手頃な価格にして、名前だけ貸したりするのも商売としてはアリだからな、この業界」
ヤの付く自営業の方々の代紋を借りてる、みたいな。
古来の忍にもちょいちょい名前が知られている奴が居るのも、そういう威圧効果があったのではないかと思っている。
「勝手に使っちゃえば……逆に命狙われそうね」
ベルは自己完結したけどその通り。勝手に使えばそうなることだろう。
「言っとくけどこれは勝手な想像だ。あくまでも名前が知れてることに関する質問の答えの一つだからな」
「だがもし実在するとすれば、どのみちそいつは大した強さの持ち主ということなのだろう」
そう。プライドか何かは分からないが、『恐怖の象徴』というスタンスを取れるのは、結局名が知れるデメリットを跳ね除けるだけの強さが必要不可欠。
もう一つのスタンスである金銭はもっと簡単。その方が稼ぎが良いから。
どっかの専属暗殺者だったら存在を隠したかもしれんが、フリーランスなら名を売らなきゃならんからな。
「でも、そもそもその情報が真実だとは限らないしね」
「確かに。結局実在してるか分からない噂レベルの存在だからな。警戒しても意味はないか」
「いやいや分からんぞ~。こういう話をした後は、本人に狙われるってのがお約束だからな~」
噂をすれば影、って奴だな。
「それは嫌だなー」
「ちょっと笑えないわよー」
そんな冗談に笑いあう俺たち。
なんかフラグ建てた気がしないでもないが、多分気のせいだろう。