四人の異世界人が来て、そろそろ三週間ほどになる。アリーは他の家庭教師がどのように授業を進めているのかが気になったので、和泉に連れ回されているクリス以外の家庭教師を日曜日に集めて訊いてみた。「お二人は普段、どのような授業をされているのですか?」「わたしは基本の魔法講座とか、リライトの歴史とかを教えてます。魔法はタクヤさんが防御系を得意みたいなので、防御系を重点的にやってもらってます」「私は魔法の理論とかを主に」 ココとフィオナは問われたことに対して、簡単に現状を説明する。「そうなのですか。わたくしはシュウ様が勉強をあまり好きではないらしく、雑談程度に授業をしていますわ」 修は不真面目ではない。だが生真面目とは口が裂けても言えないので、真っ当な授業など一切合切期待できない。「アリーさんは苦労してるんです?」「いえ、ココさんが仰ったように苦労しそうなものですが、シュウ様は一度聞けば大体覚えてくださるので、特に困ったことはありませんわ。普段、真面目に聞いてくれないのが難点ですが。あと、ここにはいませんが、クリスさんはどうなのでしょうか?」「大変みたいです。イズミさんって魔法の理論とかそっちに凄く興味があるらしくて、専門的なことを詳しく訊いてくるそうです。さらに王都中の武器屋巡りをしたり、いきなり突飛な行動をするみたいです」今日も今日とて振り回されている唯一の男性家庭教師のことを思い、ココがくすくすと笑い声を漏らしながら彼の苦労を語る。「確かに大変そうですわね」 アリーも同じように笑って、しみじみと頷く。 まだ数週間しか一緒にいないが、彼女達も異世界組の生態を把握し始めていた。「シュウ様やイズミさんと比べたら、タクヤさんとユウトさんは特に苦労なさそうですわ」 この間の友達宣言によって修以外の様付けが抜けたアリーは、ココとフィオナが担当している二人の授業風景を想像してみる。「タクヤさんは一生懸命な人です。わたしが困ることは絶対にしないんです」「ユウトさんは非常に真面目です。物腰も柔らかくて穏やかで、とても同年代とは思えません」「それはわたくしもユウトさんに対して思っていましたわ」アリーが大きく頷いた。あの四人の中でも、とりわけ精神年齢が高いように思える。と、ココがそこに追加情報を加えた。「でもタクヤさんによると、あそこまでのレベルだと“作っている”みたいです。本来はもっと砕けてるらしいです」 曰く、あれは余所行きの態度らしい。 アリーも優斗が異世界組と話している時の様子を思い出す。「確かにわたくし達以外と話している時は、もっと砕けて話してますわね」「時間が経てば変わるらしいので、しばらく待ってあげてくれって言ってました」 ココの説明にアリーは再び頷く。「そうですわね。本当に申し訳ないとしか言えないのですが、いきなりリライトに召喚されて気苦労もたくさんあるでしょうし、基本的にはユウトさんがまとめているようなものですから」 あれほど個性の強いメンバーを従えるのは大変なはずだ。「あれ? でもリーダーってシュウさんのはずじゃないです?」ココが首を捻る。彼ら……というか自分達のリーダーは修のはずだが、どうして優斗がまとめているのだろうか。「わたくしも気になって『シュウ様がリーダーではないのですか?』と尋ねましたら、『だって優斗の方が上手くやってくれるからな。俺はキメる時にキメればいいんじゃね?』と仰っていましたわ」 要するに修はやるべき時にやればいい、ということらしい。 確かに彼が真面目な様子で皆を仕切っていたら違和感が凄い。するとフィオナが続々と出てくる友人達の情報に、僅かばかり落ち込む様子を見せた。「……二人とも、よく知っていますね。私は勉強以外でユウトさんと話すことがないですから、少し羨ましいです」 優斗との授業は本当に無駄な会話がない。というより授業内容以外の話題が一切ない、というのが正しい。つまり他の人達と比べたら圧倒的につまらない状況だ。「どうして話すことがないのですか? ユウトさんでしたら雑談することを嫌がることもないでしょうし、問題と思いますわ」 アリーとしてはフィオナが何かをしたい、雑談したいと思ったところで優斗が拒否するとは考えられない。しかし互いのことを知ろうとしている段階だからこそアリーも勘違いしたのだが、一番の問題は優斗ではなく、「私が雑談というものを苦手ですし、ユウトさんも真面目に勉強してくれているので迷惑かな、と」 元々、フィオナは他の人達と比べて普通の会話をすることが得意というわけじゃない。 授業で普通に話すことが出来ているのは、あくまで決められた台詞を声にしているだけだからだ。質疑応答に関しても知識を言葉にするだけなので問題ない。 ついでに言えば優斗が真剣な表情で授業を受けているので、授業以外の会話をする状況にならないのも、殊更に雑談がない原因の一つだ。「もしかしてフィオナさんはユウトさんとお喋りしたい、と。そう思っているのですか?」「……はい。ユウトさんも授業だけではつまらないと思いますし」 他の人達は色々なことを話しながら授業をしているというのに、自分は彼に対して一切できていない。 ちゃんと授業はしているので立場的に悪くはないと考えるが、他の人達と比べると優斗だけが格段につまらない日々を過ごしている。「もしフィオナさんがそう感じているのであれば、ユウト様も雑談してくださいますわ」「そうでしょうか?」 アリーが安心させようとフィオナへ笑みを浮かべてくれるが、やはり自分が不得手ということもあって、不安というのは取り除かれない。 ◇ ◇ 一方、優斗が学院寮の部屋のベッドで俯せに寝転がっていると、遊びに来ていた修が不意に訊いてきた。「お前さ、フィオナと普通に話したりしてんのか?」「……はっ? また、突然すぎることを聞いてくるね」 脈絡一つない質問に優斗が目を瞬かせた。「俺とかは雑談しながらやってんだけど、優斗とフィオナだとイメージが沸かなかった」「なるほどね。まあ、予想は当たってるよ」 深い付き合いである以上、優斗がフィオナとの授業を受けている際にどのような態度を取っているのか、簡単に把握できるのだろう。「緊張すんのか?」「まあね。彼女と二人きりの空間というのは非常に緊張する。心臓に悪いって言い換えてもいいよ」 フィオナは本当に美人だ。優斗は今までの人生で、あれほどの美少女を目の当たりにしたことはない。しかも公爵令嬢ということもあり、友達になったとはいえ妙にフレンドリーな態度になるのも変だと優斗は思っている。「……お前、バカじゃね?」「いや、だってあれほどの美少女と二人でいるんだよ。僕だってさすがに色々と考慮するって。彼女を真っ直ぐに見たら、絶対に顔が赤くなる自信があるし」「……うわ~、なんつーか典型的なオタクみたいな態度だな」 珍しく修が大きく溜め息を吐いた。普段は冷静沈着なくせに、どうしてこういうことには弱いのだろうか。「否定はできないけど、これでも頑張ってるんだよ。顔が赤くならないよう、授業に集中して平然を装ったりとかね」「で、真面目ちゃんの仮面を被るにあたって授業以外の会話をしないようにしてる、と」「……なに、修。文句ある?」「ねーよ。ただ、フィオナも口下手そうだからな。いつも堅苦しい授業してると息が詰まると思うぜ。これからもずっとな」 ただでさえ異世界人ということで、それなりの気を遣わせているはずだ。その上、優斗が緊張して真面目一辺倒になっていればフィオナだって息苦しいだろうし、気軽に雑談もできないだろう。「時には脱線してもいいんじゃねーの? のんびり話してれば、お前だってフィオナの美少女っぷりに慣れるかもしれないだろ?」「……かもしれないけどね」 優斗も修が言いたいことは理解できる。 確かにずっとこのまま、というわけにもいかない。家庭教師と生徒という形を取っている以上、優斗はフィオナと一番長く関わっていくだろうから。「お前にとっては難しいかもしれねーけど、一歩踏み込んでみろよ。それに異世界から来た奴と美少女ってのは、くっ付くのが相場だぜ?」 ニヤリと笑って修がからかってくる。「なっ!? ちょ、修!?」「まあ、頑張れや。俺が期待する展開、待ってるからよ」 パンパン、と優斗の背中を叩いて修が部屋から出て行く。 からかうために来たのか、と優斗は一瞬だけ思ったが違うだろう。 修は修なりに優斗とフィオナの関係を気にしてくれていたからこそ、話を出したはずだ。「……まったく。ありがとう、修」 だから優斗は小さな声で感謝した。 とはいえ、どうしたらいいものか。 今日も今日とて学院が終わった放課後、優斗とフィオナは図書館で授業を行っている。「基本的な魔法は全てが『求めるは――』から始まっています。その後に続いていく詠唱に差異があるのみです。そして、その差異が魔法の用途を多様化させています」「では神話魔法も全て『求めるは――』から始まるのでしょうか?」「いえ。正確に伝えるのであれば、過去には独自詠唱による神話魔法を使う方もいたとされています。ですが、あくまで伝説上の人物の話です。基本的には『求め――』から始まるものが神話魔法だと考えていただければ結構です」 いつも通りの状況。フィオナが説明し、優斗が質問をする。無駄な会話など存在せず、延々と同じやり取りの繰り返し。けれど今日だけは少し違った。「あの……」 不意にフィオナが声を発した。「フィオナさん、どうしました?」「その……」 彼女は視線を右に左にさ迷わせながら、何かを言いたげだった。 そして窓から見える風景を目にして、「……良い……天気です」 呟いた瞬間、ぶんぶんとフィオナが頭を振る。「そうじゃなくて、ですから……」 ぐっと身体に力を込めて声を発しようとして、何かを言おうとして、「……なんでもありません」 それを飲み込んだ。けれど彼女の行動の意図を察した優斗が逆に声を掛ける。「フィオナさん。ずっと勉強するのも疲れたので、雑談の相手をしてもらってもよろしいですか?」 これで彼女が何をしたいのか把握できなかったら、自分は大馬鹿野郎だろう。 だから優斗は修からの応援を糧にして、あらためて自分から頼んでみる。「……えっと、ユウトさん。その、大丈夫でしょうか?」「何か問題があれば、僕はちゃんと言いますよ」 だから安心してほしい、と優斗は真っ直ぐフィオナを見据えて話す。 だが心臓には本当に悪い。相性だの何だので決められた関係だというのに、こんな心境になるのは相性以前の問題だ。 とはいえ彼女の行動を鑑みれば、自分の動揺など押し隠して一歩を踏み出すべきだろう。──美人だから緊張して話さないだなんて、あまりにも酷い話だよね。 せっかく雑談をしたいとフィオナが思っているのなら、彼女の想いを汲むことこそやるべきことだ。優斗は一度、大きく深呼吸をするとフィオナに笑いかける。「フィオナさんは何かやりたいことってありますか?」「…………?」「こないだ、卓也が言っていたでしょう? 買い食いでもなんでも、やりたいことをやろうって」 そうだ。 こんな緊張ばっかりの自分は全力で押しつぶして。 彼女がやりたいことをやってあげたい。「フィオナさんはどんなことをやりたいですか?」「……たくさんは望みません。ただ……ゆっくりとお話ができればいいんです」 フィオナは途切れ途切れにそんなことを口にしながらも、心はもっと貪欲だということを知っている。 本当はもっとたくさん、やりたいことがある。 でも、これ以上願うのは贅沢な気がして。 口に出すことは憚られた。「フィオナさん」 けれど、彼女の想いに気付かない優斗じゃない。「僕には言っていいんですよ。気を使うなんてこと、しないでください」「……そんな……ことは……」「あるんでしょう?」 絶対的な確信を持って訊いてくる優斗に、フィオナはこくんと頷いた。「とはいっても、すぐに色々なことをやろうとするのは無理かもしれません。僕は女の子と一緒にいると緊張する性質なので」 笑って、優斗は大きく深呼吸をする。「ですから、ゆっくりでいいのでやっていきましょう」 雑談したり買い食いしたり。 遊んだり、騒いだり。「僕達のペースでたくさん、楽しいことをやりましょう」 たくさんの楽しいことを。 2人でやっていこう。「…………」 笑みと共に届けられた優斗の言葉。「……はい」 フィオナはただ、頷いた。 嬉しかった。 ──きっとこれは。 友達だから、とかではなく、仲間だからというわけでもなく。 ──ユウトさんが心から言ってくれているから。 嬉しいんだ。 ならば自分も精一杯、応えよう。 ――たぶん。 こういう時にする表情はこれ、だろう。「よろしくお願いします」 今の自分にできる精一杯の笑みを浮かべて。 フィオナは優斗に返事した。