王城内で止まった馬車から降り立つと、リライトよりも清かな空気が胸の内を満たす。 レイナは大きく深呼吸すると、一つ頷いた。「空気が澄んでいるのだろうな。精霊に重きを置く宗教国だからかもしれないが、そう感じてしまう」「なるほど。俺もレイナが言うことを理解できるような気がする」 和泉もレイナと同様、初めてイエラートに来たからなのか同様の意見を口にする。 アルカンスト山から降る風も、リライトより涼しげな空気を彼らへ届けていた。 レイナは山を見ながら、 「そういえばセツナ。フォルトレスはアルカンスト山の向こう側で倒したのだったな?」「そうだな。だけど一番最初は王城の上のほうから神話魔法を放ったって言ってた」 なんか凄い魔法がフォルトレスに直撃して、それが優斗のやったことだとは知っている。 けれど放った場所がとんでもなく遠かったのは気付かなかった。 実際、ちょっとして卓也達が助けに来たのだから、勘違いしても仕方ないだろう。「オレは見てたけど、一般的な魔物と人間の戦いとは思えなかった」 長距離どころか超長距離の極大魔法バトルと言っても過言ではない。 卓也としても当たり前にある戦いとは思っていなかった。「あの日、リライトにまで地響きが起こったんだから驚きよね」 地響きを起こしているのが優斗だと分かってしまう時点でどうかと思うが、紛うことなき事実であり簡単に予想できることだから本当に酷い。「まあ、卓先が言ってた優先の凄さが身に染みて分かった瞬間だったな……って、あれ?」 克也もしみじみと優斗の酷さに笑いを浮かべていると、そこに一人の男性が近付いてきた。 男性の姿が判別できると、パッと克也の表情が明るくなる。「教官っ!」 イエラート兵士団の制服を身に纏い、齢三十歳は越えているであろう武人が克也の呼び声に顔を綻ばせた。「セツナ、王からのお使いは無事に果たせたのか?」「大丈夫だ。ちゃんと終わったから報告しに来たんだ」「ミルもセツナをちゃんとフォローできたか?」「……うまく、できなかった。だけど、次は、ちゃんとやる」「そうか。二人とも頑張ったんだな」 男性が、わしゃわしゃと二人の頭を撫でた。 と、ここで卓也達に気付いた男性が丁寧に頭を下げる。「セツナの教官をしている、タックス・スルトと申します。皆様は今回、セツナを助けていただいたリライトの方々でしょうか?」 レイナがリライト近衛騎士団の制服を着ていることから、四人がリライトの人間だと気付いたのだろう。 だから卓也、和泉、リルが教官へ同意の頷きを返そう……とする前にレイナが驚きの声をあげた。「タックス・スルト!? もしや貴方はかの有名なタックス・スルト殿ですか!?」「えっと……レナ先、教官のこと知ってるのか?」 凄く驚いているレイナに克也が問い掛ける。 タックスが有名人だということは知ってはいたが、レイナが驚くほどの人なのかと克也も逆に驚かされる。「この方は世界闘技大会において優勝候補を次々と薙ぎ倒し、初出場ながら優勝された方だ。しかも準決勝は歴代の中でも素晴らしい戦いの一つだと語りぐさになっている」 戦いに身を置いている者達にとっては本当に有名な人物だ。 だから克也が有名人だと言っていたことは、まさしく正しい。「……教官、本当に凄い人だったんだな」 思わず唖然とする克也。 そこまでの人だとは思ってもいなかった。「セツナ。少し話が逸れてしまったが、こちらはリライトの方々で合っているのか?」 少し照れた様子のタックスがあらためて聞き直す。 克也は素直に頷いた。「そうだな。卓先とズミ先とリル様とレナ先だ」「……相手方を紹介する時はちゃんと説明しろ。あだ名だけ聞いても俺が分かるわけ――」 と、言ったところでタックスも気付く。 一人だけあだ名ではない人物がいたことに。 しかもその人物が有名すぎるほど有名な名前だった。「リル様、だと?」「えっと、ちゃんと説明すると卓也先輩と和泉先輩が俺と同じ異世界人だ。あとリル様はリステルの王女様で、レナ先はレイナ先輩でリライトの近衛騎士の人だ」 ちゃんと皆のことを説明する克也だが、その紹介方法は色々と問題が含まれているので卓也が軽く克也の頭を叩いた。「あのな、刹那。オレ達が一応、異世界人だってことを隠してるって覚えてるか?」「……あっ。わ、悪い卓先! 教官だからつい……っ!」「絶対に言っちゃ駄目ってわけじゃないからいいけど、気を付けろよ。この教官さんは問題ないっぽいからいいけど、レキータの異世界人みたいに変な奴に言ったら面倒なんだからな」 完全な秘密なわけではないし克也が信頼しているので構わないが、ついさっきまでいた国で隠していたことを忘れているのはいただけない。 けれどタックスは全員の名前と立場が判明した瞬間、慌てて片膝を着いた。「こ、これは大変失礼を!」「……教官? いきなりどうしたんだ?」 突然、礼を示したことに克也が首を捻る。 だがタックスとしては当然のことだ。「馬鹿者! リル様だけではなくリライトの異世界人は公爵以上の権利と立場があり、さらにタクヤ様とは『瑠璃色の君へ』のタクヤ様だろう!? どうして礼儀を欠かすことができる!!」 他国の方々だろうが、礼儀は示すべき相手方だ。 けれど逆に卓也としては彼の反応が凄かったので、克也に確認を取ってみる。「なあ、刹那。お前とオレ達が知り合いだってこと、教官さんは知らないのか?」 「ん~、と……あっ、そうか。教官は俺がリライトの人と仲良いのは知ってるけど、それが異世界人だっていうのは知らなかったような気がする」 そもそも隠しているのだから、不用意に彼らのことをイエラート王が話しているわけもない。 加えて、「……ん? そういえばリライトはまだ勇者の召喚をしていないはずでは?」 前提条件として、リライトは未だ勇者召喚を行っていないことになっている。 なので状況に齟齬が生じるわけなのだが、疑問を浮かべたタックスに和泉が一言告げた。「気にしないでくれ。リライトにも色々と事情がある」「……左様ですか。そのように仰るのであれば、疑問を持つことはいたしません」 タックスは頷き、そして一切聞き返すことなく立ち上がると別の話題を克也に振った。「それにしてもセツナ、お前はアクライト殿とも知り合いだったのか?」「知り合いっていうか、今回の件で知り合ったんだ。俺達のこと、ちゃんと護衛してくれてありがたかった……って、教官はレナ先のこと知ってるのか?」 克也はレイナ先輩としか説明していないのに、ファミリーネームで彼女のことを呼んだ。 ということは、タックスはレイナのことを知っていることになる。「リライト近衛騎士団といえば彼女の父君であるアクライト団長やグルコント副長はもちろんのこと、彼女のことは他国の兵士や騎士であれば知っている者も多いだろう。容姿も似ていることからアクライト殿ではないかと疑ったが、本当にそうだとは思わなかった」 タックスはしみじみとした様子でレイナのことを語り始める。「去年の世界闘技大会。そしてレアルードの奇跡。俺のように教官をやっているのであれば、若い世代の活躍には常に注目している」 それが自国であろうと他国であろうと、タックスは常に目を光らせている。 だからこそレイナが素晴らしいほどの評価をされていることを知っていた。「閃光烈華。彼女ほどの若さで二つ名を得て、尚且つ勇名を轟かせる人物はあまりいない」「レナ先、確かに速いからな。そういう二つ名も納得だ」「とはいえ速さだけでは彼女ほどの状況にならないんだぞ、セツナ」 いつかは二つ名を持ちたいと言っている克也に対し注釈を入れるタックス。「本来、速さだけであればあまり周囲の注目を浴びることはない。だが彼女の瞬撃である曼珠沙華は威力があり、だからこそ映えた。そして映えた姿は皆の心に刻まれるだけのインパクトがあったんだ」 彼女の構え、動き、そして威力。 その全てが彼女のことを讃えさせた。「まるで閃光の如き鮮烈なる朱き華だ、とな。曼珠沙華という技が本当に素晴らしかったからこその評価だ」 技の名前もまさしく似合っている。 彼女に相応しいと誰もが思ってしまう。 とはいえ、「本来は俺が『鮮血の螺旋突』と名付けたはずなんだが、気付いたら曼珠沙華で呼び方が統一されていた」 一応、元々は和泉が付けた技名があった。 マンガから取り出した技なので、そのまま名付けたのだが誰も使ってくれない。 むしろ和泉でさえ曼珠沙華が技名だと聞いたら、そっちのほうが似合っているとさえ思ってしまう。「わ、私は別に和泉の決めた技名でもいいと思ったのだぞ! だが副長が曼珠沙華と呼び始めたら、皆がそれに倣っていき……その、そうなってしまった」 レイナも否定して回ることをしなかったので、彼女の有名な一撃は曼珠沙華という名前になっている。「まあ、最後に『曼珠沙華』って叫んでたら誰でもそう思うわよね」「正直、オレも言われるまでは勘違いしてた……というか結局は曼珠沙華って技名になったから、勘違いじゃなくなったのか」 くすくすと笑うリルと卓也。 和泉も仕方なさそうに頭を掻き、レイナは申し訳なさそうな表情でおろおろしている。 と、和やかなムードの最中、タックスが唐突に考える仕草を取った。「しかし、そうか。アクライト殿がいるのであれば……」 ふと思い付いたように、克也の顔を見てからレイナに振り返る。 突然のことに皆の視線がタックスへと注目する中、彼は一つのお願いをレイナへと伝えた。「リライトの近衛騎士――レイナ=ヴァイ=アクライト殿。貴女に頼みたいことがあります」