トラスティ家の庭では木刀を持ったクリスと愛奈が立っている。 「では、最初からいきますよ?」 「うんっ!」 二人は同じように構える。 そして一緒に上段から木刀を振り下ろす。 「一、二、三、四――」 「ごおっ、ろく、なな、はち」 上から下へと綺麗な動きで振り下ろしては、また上げる。 何度も何度も繰り返し、やり続けた。 「アイナちゃん、待って下さい」 すると隣を見ながら木刀を振っていたクリスは、愛奈の動きを止めた。 「右肘をもう少し、内側に持って行きましょう」 木刀を振り上げて止まっている愛奈の右肘に触れて、少し内側に押す。 「では、これでもう一度」 「うん」 また同じように構えを取る二人。 クリスも愛奈も楽しそうにやっていた。 少し離れた場所では優斗がマリカを膝の上に乗せてココと談笑する。 「アイちゃん、頑張ってます」 「本当だよね。でもまあ、クリスが先生だっていうのは良いことだよ」 先日のことだ。 愛奈が戦い方を教わりたい、と言ってきた。 『おにーちゃんとしゅうにいみたいにつよくなりたいの』 時折、言ってきたこと。 それを初めて家族の前でアイナは伝えた。 もちろん、最初はマルスもエリスも愛奈の経歴を考えて難色を示したが、優斗が取りなしてどうにか習い事という形で頑張ることとなった。 そこでさらなる議題に挙がったのが『誰が愛奈を教えるのか』ということ。 他から先生を呼ぶか、自分達で教えるか。 優斗は自分だと駄目だと思ったので、自身を却下。 卓也も教えられるほどではなく、修と和泉は論外。 ではクリスはどうだろうか、となった時に満場一致で『クリスなら』と肯定された。 見惚れるほど洗練された基本と、攻防共にハイレベルな実力。 教えることが上手そうな性格も相俟って、クリスに頼むこととなった。 「基本的なものなら、クリスに習うことこそベストだしね」 「ユウだと習い事より訓練って感じになっちゃいます」 「それはキリアのせい。フィオナにはちゃんと教えてるし」 弟子に対しては他に類を見ないほどの教え方をしているが、そうじゃなければ普通に教えられる。 そうして和やかに話していると、 「いーっ、にーっ、しゃーんっ!」 優斗の膝の上にいるマリカが手を上下に上げ下げして、愛奈達の真似をしていた。 何とも可愛らしい姿で、 「おーっ、マリカ上手上手」 「あいっ!」 パパが全力べた褒めする。 マリカはご満悦だ。 と、ここでちょっとした疑問。 「ユウってマリちゃんに怒ることあるんです?」 「あるよ」 「あるんです!?」 ココに大層驚かれた。 そこまで驚くことだろうか。 「あのね、僕だってマリカに激甘だっていうのは分かってるけど、それと躾は別だから」 「いや、でもユウが怒ったらマリちゃんが泣いちゃいません?」 相手しているもの全てを恐怖のどん底に突き落とす優斗の怒り。 そんなものが赤ん坊に向けられたら、と思うと危なっかしい。 「誰があの口調で怒るって言ったかな。窘めるように怒るだけだよ。好き嫌いはしちゃいけません、物を投げてはいけませんってね」 「それ、怒ってるんです?」 普段の姿が普段の姿だけに、怒ってるとは到底思えない。 「僕としては対マリカ最大級の怒り方」 「……これだから親バカは」 ココが額に手を当てた。 どうせ娘が素直に頷いたら『えらいね~っ!』とか言ってちやほやするに決まってる。 「アイちゃんはどうなんです? わたし達がいる時っていつも可愛がってますけど」 「義母さんに甘え下手なところを時々、義母さんが叱ってる。『もっとちゃんと甘えなさい』って」 というか長女と義息子が歳も歳なので、幼い愛奈にはもっと甘えて貰いたいというのがエリスの本音。 「マルス様の時はどうなんです?」 「相性が良いのか、案外甘えるんだよね。それが義母さんには気にくわないらしい。とはいっても、愛奈の精一杯の甘え方を『甘えてる』と捉えないのが原因だけど」 「例えば?」 「手を握って買い物に行く」 届いた言葉にココが顔をひくつかせる。 「……甘えてるんです、それ? もっとこう……これが欲しい、あれが欲しいとか」 「大好きなお母さんと一緒に買い物に行く、ってだけで十分甘えてるんだよ、愛奈は。しかも服も買って貰えるし」 「あ~、それじゃエリス様的には物足りないです」 「とはいっても手を繋いで買い物に行って、服を買ってもらった上にお母さんが満面の笑顔になる。これだけで愛奈的には最大の幸せだしね」 馬車で店に乗り付けるにしたって、車の中ではずっと手を繋いでいるし、服を着せ替えては真剣に似合う服装を考えるエリスに愛奈は大好きだと思いっぱなしなのだから。 と、クリスと愛奈は授業が終わったのか優斗達に近付いてきた。 「クリスおにーちゃん、あいなどうだった?」 「もちろん筋が良いですよ。アイナちゃんの先生として、楽しい限りです」 返答に愛奈はニコニコしながらココへと話し掛ける。 一方で、優斗とクリスも小声で話す。 「実際はどう?」 「言った通りです。魔法限定かと思えば、剣筋も良いですね。少なくともこのまま行けば、自分達と同じ歳になった頃には想像を絶する実力者になってるかと。おそらく自分は抜かされています」 「魔法は?」 「おおよその検討だと初級、中級は詠唱破棄でいけます」 「……僕、もう並ばれてるんですけど」 乾いた笑い声を優斗が漏らした。 これでも宮川優斗、詠唱破棄は中級までしか出来ません。 「得意不得意の属性は?」 「まんべんなくいけますが、とりわけ得意なのが風です。おそらく最初に出会った印象深い魔法が優斗の風魔法だったからだと思います。アイナちゃん自身も言っていました。最初に格好良いと思った魔法が風だったから大好きだと」 洞窟の中で上級魔法をぶっ放した優斗の魔法がやはり、思い出に残っているのだろう。 「それだけで得意なの?」 「ええ。上級魔法が使える理由も、その程度だと思いますよ」 「……まだ認識が甘かった。想像以上だな、これは」 愛奈も程度は違えど修と同じく天才と呼べる領域にいる女の子。 その認識はあったけれども、改めて思い知らされる。 すると膝の上のマリカが両手をあげて、 「しゅおーいっ!」 「そうだね。しゅごいね~」 優斗が赤ちゃん言葉でうんうん、と頷く。 そしてなぜかマリカの脇腹をくすぐる。 「こちょこちょこちょ~」 「くしゅった~いっ!」 きゃっきゃと喜ぶマリカと満足げな優斗。 「……ユウト。今の流れは?」 「ノリ」 「あ~い」 子供を構うときに流れを考えたら負け。 ◇ ◇ 一方、フィオナはアリーと一緒に街中を歩いていた。 「今日は優斗さんにプレゼントを買おうと思いまして」 「誕生日ではないから、何かの記念日とかだったりします?」 「いえ、思い返したら私から優斗さんにプレゼントしたことって、あまりないんです。だからしたいな、と思いまして」 胸元に光るハート型のネックレス。 軽く触れて、僅かにフィオナは微笑む。 「何をプレゼントするのですか?」 「時計やネクタイはありますし……やっぱり、アクセサリーでしょうか」 二人は話しながら高級そうな店へと入っていく。 顔なじみなのか、フィオナとアリーが入ってきた瞬間に店員が総勢、頭を下げた。 けれど気にすることなく二人は会話を勧める。 「あまり高級な物を好みそうではないですよね、ユウトさんは」 「けれど実際は巨大商工のご子息でしたから。昔からそういう類のものと関わりは深いですよ」 「ああ、そういえばそうでしたわ。少しばかりユウトさんから聞きました。だから帝王学みたいなのをやらされていた、と」 市民みたいな感覚は中学以降に培われたもので、幼い頃はアリーやフィオナ達と似たような状況だったらしい。 フィオナは幾つか選ぶと、店員に取り出して確認させてもらうよう頼んだ。 まず一番最初はピンク色に型取られた銀細工の中に宝石が嵌まっている。 「……フィオナさん。さすがにそれは可哀想ですわ」 「でも可愛いですよ?」 「ユウトさん、男の子ですわ」 アリーは最近気付いたが、フィオナは絶望的なまでにセンスがない。 ファンシーな物が好みな上に優斗が着けても似合う、と言い切ってしまう。 彼のことだから苦笑いを浮かべながらも着けてくれるだろうが、さすがに従妹として彼女のチョイスを否定してあげたほうがいい。 「じゃあ、これはどうですか?」 「可愛らしくデフォルメされた猫は可哀想を超えて悲惨ですわ」 「で、でしたらこれは?」 「ファンシー過ぎて絶対にユウトさんには似合いません」 アリーは悉くフィオナのチョイスしたものを却下していく。 けれど奥さんは納得がいかないのか、 「そ、そんなことはありません。絶対に似合いますよ」 「フィオナさんの特殊フィルターを通したら何でも似合うことになるでしょうが、実際は違いますわ。ピンク、犬の型取り、さらに駄目押しのピンクダイヤ。まさしく絶句ですわ」 確かマリカの名前も『フランソワ』とか『シャルロッテ』とか、そういう系統で案を出していたらしい。 まさしくセンスが無い。 「例えば……そうですわね。こういうのはどうでしょうか?」 少し店内を見回り、良さげなものを見つける。 店員に見せられたものは、フィオナも思わず納得しそうなものだった。 「銀のチェーンにリライトの紋章ですね。真ん中に宝石……これはクンツァイトでしょうか?」 細い鎖の先端にはリライトの紋章。 その中央には透明ながら桜色を帯びた美しい宝石が嵌まっている。 「店主。クンツァイトの宝石言葉は?」 「純粋さ、無償の愛、純粋な愛。そのような意味があります」 宝石言葉を聞いてアリーは満足そうに頷く。 「では、まさしくフィオナさんからのプレゼントとしては的確ですわ」 二人して帰り道を歩く。 するとフィオナがぽつり、と呟いた。 「でも、少し悔しいです」 「何がですか?」 「私よりも優斗さんのこと、分かっているような感じなので」 若干落ち込み気味なフィオナにアリーは笑い声を漏らす。 「わたくしとユウトさんは似ていますから」 こと性格面では似通っている。 さらに優斗とアリーでしか通じ合えないこともある。 「そ・れ・に、奥様に負けるような従妹ではないつもりですわ」 からかうような声音。 けれどフィオナは不意に表情が真剣になる。 「つまりアリーさんへの理解度が深まれば、必然的に優斗さんへの理解度も深まるというわけですか?」 いきなり飛び出た想定外な質問。 アリーは驚きながらも、とりあえず頷く。 「……へっ!? ま、まあ、そうですわね。ある程度は理解が深まるとは思います」 似てる面があるということは、そういう利点もあるだろう。 「ということは『目指せ大親友!!』でいきましょう」 可愛らしく握り拳を作るフィオナ。 珍しくぽかん、としたアリー。 「えっと……大親友ですか?」 「はい。もうアリーさんとは親友ですから」 誰もが見惚れそうな笑みで頷くフィオナ。 なるほど、とアリーは納得してしまった。 「……ユウトさんがフィオナさんに惚れた理由、少し分かった気がしますわ」 ◇ ◇ 夜が更けて庭では僅かな斬撃音が響く。 空気を切り裂く音もフィオナが普段、学院で耳にするような音ではない。 甲高く、時折破裂するようなものまで聞こえる。 「いつもながら凄いですね」 見えない、とはこういうことを言うのだろうとフィオナは常々思わされる。 おそらくは鍛錬になるレベルであって、限界値の速度ではないだろう。 それでも自分には見えない。 動く初動までは視認できる。 けれど、その後が速過ぎる。 霞んだ姿しかフィオナの視界には映らない。 その速度で一時間以上、彼は剣を振り回している。 「まっ、これぐらいでいいかな」 満足したように頷いた優斗。 家に戻ろうとすると、手を後ろに組んで自分を見ているフィオナの姿に気付いた。 「家の中にいていいのに」 「まーちゃんも寝ちゃいましたから。それに優斗さんのことを見ているのが好きなんです」 真っ直ぐ届いたフィオナの言葉に優斗は若干詰まる。 「……あ~、うん。ありがと」 どうして彼女はこんなにも照れるようなことを直撃させてくるのだろうか。 「フィオナ、少し変わったよね。前はもうちょっと照れてたような気がするんだけど」 「優斗さんがヘタレではなかったら、こうならなかったと思いますよ。何より言葉にしたら受け止めてもらえて、幸せを感じる。だから私は伝えるんです」 「……強いなぁ、フィオナは」 優斗はふっと表情を崩して家の中に入ろうとする。 けれど、不意に手を取られて引っ張られた。 「どうしたの?」 「渡したいものがあるんです」 フィオナは背後に回していた右手を前に出して、持っていたケースを優斗に見せる。 そして開けた。 「ネックレス?」 「はい、プレゼントです」 「……なんかあったっけ?」 優斗は頭の中をフル回転させる。 が、イベントだろうと何だろうと出てこない。 それでも何かあるのではと、む~と眉根を寄せる優斗にフィオナが笑う。 「私がただ、あげたかったんです。優斗さんにプレゼントを」 理由なんて本当に些細だ。 フィオナは軽く踵を上げると、優斗の首に手を回してネックレスを着ける。 そして一歩下がって、彼の姿を確認した。 「似合ってます」 「ありがと」 優斗が感謝すると、フィオナはあらためて彼に抱きつく。 「運動した後なんだけど」 「汗だってかいてないですし、別にどうであっても私は気にしません」 「僕としては少しぐらい気にしてくれると嬉しいかな」 けれどどうにも離れそうにないので、優斗も彼女を抱きしめ返す。 「こうしていると、本当に実感します」 「何を?」 「貴方のことが好き、ということを」 何度も何度も、理解させてられてしまう。 フィオナ=アイン=トラスティは宮川優斗のことが好きだということを。 「例えば手を繋いだ時、腕を組んだ時、キスをした時もですが、私は本当に貴方のことが好きなんだと実感します」 些細な触れ合いだろうと、その度に気持ちを再確認する。 自分が誰に恋をしているのか、と。 「もちろん、ただの好きでは終わることができないから嫉妬や不安も抱いてしまう」 彼には彼の立場がある。 彼には誰にも真似できない凄さがある。 だからこそ不安になる。 「でも、だから伝えられるんです」 好きだけど、好きだけでは終わらない感情。 不安になったり、嫉妬したりすることの出来る想いの強さ。 この気持ちの正体。 「愛しています、優斗さん」 伝えながらも朱に染まる頬は僅かに熱い。 さすがにこれはフィオナもちょっと照れる。 けれど、彼女の言葉を受け止めた当人はもっと凄いことになっていた。 「真っ赤ですね」 夜なのによく分かる。 抱きついている彼の身体からは心臓の鼓動が五月蝿いくらいに響いてくる。 「幸せすぎて恥ずいんだよ」 あまり顔を見られたくなくて、優斗はフィオナの頭に手を置くと自分に押しつけるように抱きしめた。 そしてどうしようもないように言葉を告げた。 「一生、君には勝てる気がしないなぁ」 勝ち目がない、というのはこういうことを言うのだろう。 「大魔法士なのに、ですか?」 「そうだよ」 いくら『最強』の意があろうと、勝てないものは勝てない。 けれど照れっぱなしのやられっぱなしは優斗の性に合わないのも事実。 抱きついているフィオナを少し押して身体を離す。 そして、僅かに屈んで口唇を合わせた。 「…………」 「――っ!?」 もう、こっちはこれ以上ないくらいに照れている。 限界値は平然と突破した。 だから別にキスしたところで恥ずかしさは変わらない。 「……ふぅ」 少しして口唇を離す。 彼女の顔を見れば、自分と同じくらいに真っ赤にしている。 「ふ、不意打ちですよ」 「でなきゃ意味がないでしょ。僕だけ照れてるのも嫌だし」 引き分けぐらいにはなったかな、と思いながら優斗は家へと向かう。 フィオナは少し呆然としたが、すぐに追いついて優斗に腕を絡ませる。 当然のことながら、エリスには真っ赤にした顔を壮絶に突っ込まれた。