捲っていた本を閉じる。 優斗は大きく一度、息を吸って……吐いた。 同時、年輩の女性が部屋に入ってくる。 「あら? もう終わったのかしら」 「ええ。一通りの確認は終わりました」 笑みを浮かべる優斗に対して年輩の女性――ミント・ブロームはお茶の準備を開始する。 手際よくティーカップを優斗の前に並べ、香りの良い紅茶を入れた。 「ありがとうございます、ミントさん」 感謝の意を述べ、優斗は紅茶を口に付ける。 近くの椅子にミントも座り、同じように飲み始めた。 「見つかったのかしら? 『始まりの勇者』に対する情報が」 「ほんの僅か、ですけどね」 山のように積み重なった本を見て、優斗は頷く。 これだけの膨大な量があっても、残滓とも言うべき情報は僅かしかなかった。 「けれどおかげで一つ、おそらくという程度の推論が出来ました」 正しいか正しくないかは分からない。 けれど過去を知り、思い浮かぶ節はある。 「聞かせてもらえるかしら?」 ミントが興味深そうな表情になった。 優斗も頷く。 「僕が異世界人だということは、前に会った時にお伝えしたと思います。先代が女性だということも」 「ええ、本当に驚いたわ」 ここらへんは前に会った時、伝えている。 優斗は本の山から別に分けている数冊の本を手に取り、該当のページをミントに見せる。 「この文献では女性となっていますが、おそらくはこの人物がマティスの夫だと思います」 ほんの僅か、数行しか書かれていないこと。 けれど大事なことが書かれている。 「ああ、この人ね。先代の側には摩訶不思議な術を使う人がいたのよね。紙に命を吹き込んで使役するってあったわ」 「ええ。セリアールでは存在しない術です。ですが……僕がいた世界には、このような術が文献として存在します」 魔法でも精霊術でもない、第三の術。 この世界では分からず、おそらくは優斗達がいた人間にしか分からない情報。 「大昔の物語なので正しいか正しくないかは分かりませんが、この文章で一つ思い浮かぶ言葉」 優斗はふと、ある一つの術が思い浮かんだ。 神秘的であり、自分達がいた世界にある魔法の如きもの。 「式神」 呪力を用いて、紙を生物のように使役する術。 「なので僕がいた国で1000年前、どんな人物や出来事があったのかを思い浮かべたんです」 西暦1000年過ぎ。 一体、その時にどんな人達がいて、どんな歴史になっていたのか。 「そして一つの可能性を思い浮かべました」 もしかしたら、という程度だが。 それでも可能性として繋げるには、最も正統な可能性。 「僕達の世界にも伝聞として、魔法のようなものがあります。もちろんこの世界とは体系が違いますが、まあ……僕としては摩訶不思議という点では似たようなものだと思います」 これが何の結果をもたらしたのか。 今となってはすでに分からない。 ただ“魔法陣が飛散した”という話から鑑みるに、偶然ではなく何かしらの力が働いたと見るべきだ。 では、その力とは何なのだろうか。 「1000年前、とある有名な人物がいました。今尚、名を出せば誰でも分かるほどの人物が」 歴史上、最も有名な人間のうちの一人。 興味がない人だろうと分かる、歴史に名だたる有名人。 「たぶん、彼はその一族の出なんです」 最初は当人かとも考えたが、おそらくは違う。 されど彼の一族に属する者ならば、可能性はある。 優斗は本を閉じて、机の上に置く。 「僕達がいた世界でも、この世界でも歴史に名を残さなかった存在」 両の世界でも偉大な人物がいた故に、消えていった存在。 「彼が『始まりの勇者』なのではないかと思います」 推論を言い終わると、優斗は再び紅茶を口にする。 「名は解らず、あくまで想像でしかないんですけどね」 くすっと笑う優斗。 けれどミントは満足したように頷いた。 「そうでもないわ。実に面白い話だったもの」 自分が追い求めた夢と同じ場所にいる存在。 相並ぶ両雄。 悪くないどころか素晴らしい物語だ。 と、ミントはある物を取り出しては優斗に渡す。 「そうそう。これ、読んでくれる?」 渡されたのは本。 表紙に描かれているのは、 「ミントさん。これって……」 一人の男と一人の老婆。 題名は――『大魔法士と夢を追いかけた老婆』。 「貴方の物語。新しい絵本よ」 彼が大魔法士であると発表された際、出版しようと思っている絵本だ。 内容は優斗とミントが出会った時のこと。 「少々、恥ずかしいですね」 自分が絵本になるというのは、何ともむず痒い何かがある。 ミントが優斗の様子にくすくすと笑った。 「それでも、貴方が描いた物語よ」 夢を叶えてくれた。 追いかけたことが間違いではないと教えてくれた。 「あと、もう一つ見せたいものがあるの」 そう言ってミントはもう一つ、同じサイズの本を渡す。 「これは?」 「私の孫――ライネの中にある、もう一つのお伽噺よ」 ミントが描いている時、孫が言ってくれた。 自分もやってみたい、と。 大魔法士様を描きたい、と。 「私が描いたのは、夢を追い続けた老婆に出会った――夢」 そして大魔法士に出会ったことによって、叶った夢。 「あの子が描いたのは、少女の嘘を真実に変えた優しい存在」 同じ話でも、視点が変われば題名も事柄も変わっていく。 ミントはライネの絵本を優しい表情で見詰める。 「私は年寄りだから、この先どこまでユウト君の物語を見ていられるか分からない。もちろん当分の間、死ぬ気はないけどね」 まだまだ頑張って生きていくつもりではあるが、どこまでやっていけるかは分からない。 近いうちに倒れる可能性だってゼロではない。 「でも、私に何があっても代わりにあの子が描き続けてくれる。私が夢見たお伽噺を」 孫が言ってくれた。 自分が見続ける夢を継ぐ、と。 「またずいぶん、格好良く描かれてますね」 何枚かページを捲る優斗は苦笑する。 何というか、拙いながらも美化されているのが良く分かった。 「あの子の中の大魔法士様がそうなのよ」 格好良くて、優しくて、強い。 それがライネの中にある大魔法士。 「まだまだ乱雑で、構成だって適当。だけど――」 読めば分かる。 見れば理解できる。 「――この絵本には貴方への想いが込められているわ」 嘘を本当にしてくれた人に。 柔らかく笑って頼み事を頷いてくれた人に贈る、ライネが描いた絵本。 優斗は一度だけ視線をミントに送ると、再び絵本に視線を戻す。 「実は……僕はあの時、迷ってたんです」 「なにをかしら?」 「大魔法士であることを言うべきか言わざるべきか、ですよ」 “夢”や“憧れ”を持ってもらえるような存在ではないと思っていたから。 「でも、こういうのを見ると……言ってよかったって思います」 自分のやったことが絵本になる。 自分の起こした出来事がいずれ、お伽噺になる。 “そうなってもいい”のだと、教えて貰えるようで嬉しかった。 「いずれ、『始まりの勇者』の名も世界に轟くでしょう」 内田修が己の実力を魅せて、大魔法士と同じように世界へ知られることだろう。 「今度は歴史に忘れさせやしない」 名が在るから残す必要がないのではない。 後世の為に必要なものだから。 優斗はミントを真っ直ぐに見据える。 「その一つを貴女に託してもいいですか?」 忘れさせない術の一つを、彼女にも頼みたい。 「相並ぶ僕らが、正しく相並んでいくために」 決して交じることなく、戦わないでいたことの証明を。 「いずれまた現れる僕らのような存在に、道を示すために」 迷わず、正しく進む為の道を。 「僕と……僕の親友の物語を貴女には描いてほしい」 最強と無敵が紡ぐ、誰もが夢見る話。 「大魔法士と始まりの勇者のお伽噺を」 優斗は柔らかい表情で問いかける。 「お願いできますか?」 「ええ、もちろんよ」 ミントは優斗の頼み事に心底、嬉しそうな表情を浮かべる。 そして丁寧に頭を下げた。 「私が大魔法士様の頼み事を断るわけがありません」 一番のファンだと自負がある。 一生を賭けて追いかけた夢だという自信がある。 そんな相手が頼んでくれたのだ。 自分がやってきたことを認めて、さらにお願いしてくれたのだ。 嬉しくないわけがない。 「老い先短くとも、我が生涯を賭して成し遂げると誓います」 絶対に描いてみせる。 彼らの絵本を。 自分と……もしかしたら、自分の孫で。 後世に継がれていく、強くて優しい二人のお伽噺を。