黒歴史ノート。それは、少年少女の夢と創作力と妄想と中二病が詰まった歴史書である。
後に成長したかつて少年少女だった存在がこれを読むと、胸を引き裂かれ心の臓が締め付けられるという闇の書物としても有名だ。
そして科学の発展した今や、黒歴史ノートは電子媒体へと移り黒歴史ハードディスクという存在を生み出すに至った。
これは、ある元SS書きが学生時代に生み出した黒歴史ハードディスクから発掘された物語を改稿した、闇の書物の一端である。
『すぐに使える嘘八百:その1 節分編』
「それじゃあいくよー。おにはーそと! ふくはーうち!」
ある冬の日のこと。
あたしは学校帰りに親友の雪に誘われて、雪の家まで遊びに訪れていた。
「おにはーそと!」
家に行くと、いつも通りに雪のお母さんのアリーセさんが出迎えてくれた。
アリーセさんは日本に帰化した元ドイツ人。欧州人は二十歳を越えると見て一気に老け込むなどと童顔種族の日本人は言うが、アリーセさんはどこからどう見ても二十代にしか見えない不思議な人だ。
「ほらほらー、あゆみちゃん、動いて動いてー」
お母さんの血を受け継ぐ雪は、日本人とは思えない綺麗な銀色の髪をしている。
その雪は、あたしが居間に上がるや否や、赤く塗られた厚紙を渡してきた。
厚紙の両脇には、ゴムでできた紐が結び付けられて垂れ下がっている。うん、これはどう見ても……。
「どうしたのー、あゆみちゃん?」
「……って何で高校生にもなって節分の鬼をやらなきゃいけないんじゃーっ!」
どう見ても、スーパーの節分コーナーで配られていた鬼のお面だった。
「わーすごいあゆみちゃん鬼そっくりー」
うるさい!
図らずして一通り鬼としてひと暴れしてしまったあたしは、羞恥心でテンションを下げながらソファーの上で寝転がっていた。
勝手知ったるなんとやらではないが、小学生時代から何度も訪れていたこの家では多少奔放に振舞うのももうお馴染みになってしまった。
雪とアリーセさんは、ばら撒かれた落花生を集めてちゃぶ台の上で黙々と殻を破って中のピーナッツを食べていた。
この地方では、節分は炒った豆ではなく落花生を使う。投げた後も拾って食べられるのは経済的なので賢い風習改変だなと思う。
でも他の豆と違ってピーナッツはカロリーが高いと言う最大の弱点を抱えている。
それをひたすら食べ続けるこの親子は、ある種の冒険者だ。でも、いくら食べても太らないしなー、この人たち。乙女心デストロイヤーめ。
「あゆみさん、何で『鬼は外、福は内』って言うか知ってます?」
相変わらず流暢な日本語を使って、アリーセさんがあたしに話題を向けてきた。
ああ、そういえばアリーセさんは日本の書物をドイツ語に翻訳する出版関係のお仕事をしていたんだっけか。
日本文化は生粋の日本人であるあたしよりもずっと詳しい。
「知らないですね」
「記憶にございませんー」
「あらあら、ではせっかくの節分ですし、国語の授業といきましょうか」
日本文化の話を出来るのが嬉しいのか、アリーセさんは落花生を割る手を止めてにっこりと笑った。
あたしは身を起こしてちゃぶ台の前まで移動する。
「豆って、昔は薬に使われていたのですよ」
アリーセさんは落花生を一つつまむと、顔の前でひらひらと左右に振った。
「正しくは、子供に食べやすいよう薬として煎じた豆ですね」
薬かー、まあお昼の健康番組とか雑誌のダイエット特集とかで大豆とかがピックアップされることもあるし、解らないでも無いかな?
隣の雪は何やら感心して、めもめもなどと呟いている。メモ帳なんてどこにもないけど。
「おいしいので子供はたくさん食べたがるのですけど」
「うんうん」
「薬ですからそんなに多く食べてはいけません」
アリーセさんは雪のほうをちらりと見ながら言った。
いや、アリーセさん。多く食べていたのはあなたも一緒じゃないですか。
「ですから、歳の数だけ食べるのですね」
「食べ過ぎると鼻血ですー」
話の途中も黙々と食べ続けていた雪がタイミングよく鼻血をたらし始めた。
アリーセさんはあらあらと言いながら雪の鼻にティッシュを当てた。
うん、雪。鼻血が出たのは薬の副作用じゃなくてピーナッツの食べすぎだよね。
「それで」
ティッシュで娘の鼻を押さえながらもマイペースで話を続ける。
「薬……今のとちがって漢方みたいなものなのですけど、それを食べることで、『病つまり鬼は外、健康つまり福は内』って言ったのです」
「なるほど、元々は豆まきは家じゃなくて自分の体でやるものだったんですね」
「そうです、ですから」
アリーセさんは空いた片手で落花生をつまむと、落花生を顔の前でまたひらひらと左右に振った。
「あゆみさんも一緒に食べましょう」
歳の数は食べませんよ?
その後はまあいつも通りにだらだらと過ごし、六時も過ぎたのであたしは家に帰ることにした。
手に持つ鞄の中には、歳の数だけ渡された落花生と、何故か鬼のお面も入っていた。
「あ、あゆみさん」
「はい、何でしょう?」
玄関の前で、アリーセさんがあたしを引き止めてきた。
あれ、忘れ物でもしたかな?
「さっきの節分の由来のお話だけれど……」
「ええ、はい、豆がお薬だったという話ですね」
「あれ、嘘ですからね」
「オォイ!?」
……今日は歳の割りにお茶目なアリーセさんの姿が見れました。
◇ ◇ ◇ ◇
『すぐに使える嘘八百:その2 バレンタインデー編』
一日遅れのバレンタインは――
一九九九年二月十五日月曜日
一日遅れの今日の日は、皆ちょっとしたお祭気分。
鞄の奥に隠したそれは、一作日、友達同士で集まって作ったチョコレート。
……溶けてないかな。
まあ、大丈夫か。まだ冬の季節は終わりそうに無いし。
右手の鞄を左手に持ちなおし、歩を進める。
昨日の夜に降った雪が、歩道に薄く積もっていた。新雪のさらに下は、半ば氷とかしたつるつるの雪道なので、足を取られると見事に転んでしまう危険がある。
車道は既に積もった雪は全てタイヤに固められて、圧雪アイスバーンに変わっていた。この通りの車の行き来は多い。
通りを左に曲がり小道に入ると、視界の奥にガードレールが見えた。
川沿いの通学路。
自分と同じ制服を着た生徒達が沢山歩いている。名前の知らない、でもどこか見覚えのあるいつもの姿。
と、前方に非常に見覚えのある目立つ頭を発見。
声をかけずに隣に並んでみる。
「…………」
反応は無い。
とりあえず、一発朝の挨拶をしましょうか。
「雪っ! おはよっ」
「わ、わ、わ!?」
銀色の三つ編みがゆれる背中を平手でたたくと、彼女は奇声とともに謎の蛇行を開始した。
ガードレールにぶつかり川へと落ちそうになったので、慌てて襟を掴んで引き戻す。
……うん、この子、寝てたね?
「え? なに?」
「おはよう、雪」
「あ、あゆみ?」
「あ、じゃないわよ。まったく……」
「そ、それよりあゆみ、この体勢は嫌なんだけど……」
慌てて襟を引っ張ったものだから、雪は後ろに大きく仰け反っていた。
人通りの多いこの場所では目立つし恥ずかしいことこの上ない。さらにあたしが手を離せば、雪の上に脳天直撃。
仕方がないので上に引き上げ起こす。どっこいせー。
「いたっ。酷いよー」
「目覚ましがわりにはなるでしょう」
軽口を叩きながら、二人で並んで道を歩き始める。
やっといつもの登校風景に戻った。世間話をしつつ、二人で笑う。
でも、今日はいつもと違う日。
「ねえ、雪。今日、どうするの?」
「ん? 何を?」
「チョコ。あなたこの前、来れなかったから聞いてないのよね」
「何を聞いてないの?」
「誰にあげるのかに決まってるでしょ」
あたしがそう訪ねると、雪は相変わらずののほほん顔で、
「作ってないよ」
思った通りの答えだった。
さらに雪は笑って続ける。
「あ、でも昨日、お母さんと一緒にチョコのデザート作ったんだよ」
はいはい、アットホームなお話で。
ま、そういうのもありね。と言うか、あたしは、ミーハーな色恋話よりもそういう話のほうが好きだったり。
特別な行事も幸せな日常のひとつみたいで、ね?
「あゆみは、どうするの?」
「え?」
言われて返答に困る。
でも、訊かれて当然のことでもある。
「あたしは……」
よく、解らなかった。
授業中、何気にクラス中を見渡してみる。
そして、ため息をついた。
よく、解らない。
……いや、だって、ほら。みんなと騒ぐイベントとしてチョコを作っただけで、渡す相手なんて考えてなかったし!
休み時間のこと。
クラスの友人達と集まって、話をしていた。
話題は勿論、
「で、で、渡せずじまい」
「わー、気弱ー」
いわゆるこういうノリの話が展開。
皆好きよね、こういうの。話すことの無いあたしはあまり乗り気じゃないけど。
なので、話半分に教室中を見渡しながら、一人でぼーっとチョコのようにとろける。
男子がちらちらこちらを見ているのが微妙に気になる。
女子も男子もどこか浮き足立ってるなー。
と、不意打ちに、
「あゆみんは結局どうしたの」
関係無い方向に向けていた頭を戻し、ミーハーな色恋話を続ける彼女達に視線を向ける。
あたしの内心は無視して彼女達は勝手に盛り上がる。
「あ、それ私も気になる」
「この前聞いても、秘密よ、ってねー」
またまた返答に困り、
「うーん、どうなんだろうね」
と、あいまいな返事をする。
当然みんなは納得するはずも無い。
「ねねね、もしかしてゆーき君とか? 商店街で一緒にいたって目撃例もあるし」
無い無い。
「川瀬じゃないの? 部活でよく一緒に居るからさ」
論外。
「あゆみんだったら雪に決まってるよねー」
あたしはレズじゃねえ。
「じゃあ――」
「全部却下」
それだけ言って、自分の席に戻って机に突っ伏す。
さて、どうしようかな。
「というわけで、どうにもいかないわけなんです」
チョコパフェをかき混ぜながら愚痴る。
放課後の甘味屋で、部活を休んで会食中。
店内からは多くの人の喧騒が感じられる。学校帰りのブレザー姿も見うけられた。
中高生に人気の商店街のこのお店は、放課後のこの時間はいつも人で一杯。かわいい制服の店員さん達は忙しそうに店内を動き回っている。
あたしは、それを横目にパフェを一口。
「そうですね……」
あたしの前にはアリーセさんが座っている。
商店街に買い物をしに来ていたところを半強制的に連行してみました。
とりあえず、この店の初心者向けと呼ばれている店長お勧めピーチサンデーを勧めておいたんだけど……、アリーセさんが雪と同じく甘いもの好きだったかどうかは覚えていない。でも、美味しそうに食べてくれてるから良いよね。
まあアリーセさんのおごりだけど。
「あゆみさん、バレンタインデーの由来って知っていますか?」
知っています。
「ふぇふはふ……」
でも、口一杯にパフェを入れてしまっているために返答が出来ない。
それを無視してアリーセさんは、一人勝手に話を進める。
「十世紀のドイツのお話です。聖教徒女性師団セント・バレンタインという組織がありました。彼女等は神の導きに従い信者だけで無く全ての生きる民……、ええと、師団のある場所は自治都市でしたので市民を守る為の自警団として活躍していました」
……なにそれ。
いろいろツッコミいれたい部分はあったけれど、とりあえず聞いておこう。
「当時、混沌派の邪教が、聖教の教徒を生贄としてミサを行っていました。それを討つため、師団は日々闘い次々と殉死していきました」
そこまで言って、アリーセさんはサンデーをスプーンですくい、一口食べる。
とりあえず話すだけ話させておこうと、あたしもチョコパフェを食べる手を進める。
一瞬の沈黙が訪れる。店の喧騒は相変わらずだ。
「そして」
アリーセさんは一口だけのサンデーを飲み込むと、再び話を続けた。
「あるとき、邪教の一斉蜂起が起きるという情報が師団に舞いこんできたのです。……それも、明らかに都市全てを殲滅してしまえる規模でというものです」
知らない。聞いたことの無い話だった。
アリーセさんは、肘をつき、手を組んであごをのせる。ピーチサンデーは残り少ない。
あたしは半分ほどまで減ったパフェをさらに食べ続ける。
「自分達が闘いの地から帰ってこれないかもしれない。彼女達はそう理解し、自分の愛する人へ、ある物を託したのです」
「チョコですか?」
ついつい合いの手を入れてしまった。
いつのまにか、話に引き込まれでもしてしまったのだろうか。
「血です」
アリーセさんは口元を強く歪めて笑い、
「木のロザリオに、自分の血を染み込ませたのです」
甘味屋を出て商店街を歩く。隣は当然、アリーセさん。
道を行く人々の歩く速さには統一感がない。速度だけではなく目的の場所も皆ばらばらそれぞれだろう。
「では、特別愛している人がいない場合は、どうしたんですか?」
話は、まだ続いていた。というかあたしが質問を投げていた。
買い物の邪魔かな、と、今更ながらに思いつつ結局ついていってしまう。
「やっぱり、誰にも贈れないままですか?」
「いいえ、彼女達には共通して、愛する方がいましたから」
「誰ですか?」
「神です」
短いアリーセさんの言葉。だけど、それが全てだった。
……帰ろうか。
「参考になりました。でも……、さっきの話、嘘でしょう? 確か、セント・バレンタインは、ローマかどこかの聖人の名前のはずですよね」
「はい」
なぜか笑顔で答えるアリーセさん。
やれやれ。節分のときと言い、嘘が好きな人だ。
家に帰り、結局最後まで残ったチョコレートを机の上に置き、一人考える。
さて、アリーセさんの嘘話の通りに考えてみると、彼女達は神を見たことが無くても、心から信じ愛していたということ。
あたしは何かの宗教にはまっているわけではないから、神様に贈るなんてキザな真似はしないけど。
アリーセさんはどういうつもりであたしにこの嘘を言ったのかな。
……うん、そうだ。決めた。
このチョコレートは、あたしの一番信じる大切な人へあげよう。
一日遅れのバレンタインは、
――自分のために。
―――
■あとがき
HDDを整理していたら八年前に書いた二次創作SSを見つけたので、何となくオリジナルにして改稿してみました。
キャラの名前と身体特徴を変えただけでオリジナル話として成立するとか、自分の書く二次創作ってなんなんだろうなーと泣きたくなりました。
気が向いたら中二病っぽい短編も載せるかもしれません。