『私は貴女を受け入れられない。力を合わせ、貴女と共に戦うことなど、風鳴翼が許せるはずがない』
かつて立花響が共闘を願い出た際、風鳴翼は取り合おうともしなかった。
無二のパートナーであった天羽奏が身に付けたガングニールを纏って現れたからではない。
響の中に命を懸けて戦いに挑めるだけの芯を見出だすことができなかったからだ。
だから翼は響にこうも言った。
『覚悟を持たずにのこのこと遊び半分で戦場に立つ貴女が、奏の……奏の何を受け継いでいるというの!』
だが、それは翼の見立て違いだ。
どうして立花響に覚悟がないと言えよう。
彼女の胸にはこんなにも今も、生きることへの渇望が、願いが、想いが、そして歌が、激しく鳴り響いているというのに。
けれど、それは翼には届かない。
少なくとも今はまだ。
風鳴翼は立花響のことを何も知らないから。
そして立花響もまた風鳴翼のことを何も知らないから。
だから風鳴翼は一人で立つのだ。
立花響を制して、忌むべき過去の象徴たる鎧を自らの力とする少女の前に。
たとえ、ここで燃え尽きることになったとしても。
「防人の生き様、覚悟を見せてあげる! 貴女の胸に焼き付けなさいッ」
フェイトの周囲からはすでにノイズの気配は完全に消えていた。
高町なのはの全身全霊の一撃と、フェイトの窮地に彗星のように現れたシンフォギア奏者――立花響の活躍があったからだ。
(アルフが無事でよかった……)
フェイトはただ、それだけを思う。
一歩間違えれば、否、何かが起こらなければ自分が死んでいたというのに。
優しいからというだけではない。
アルフが大切だからというだけでもない。
喪失への恐怖。
いつかなのはが感じたように、フェイトの胸中にはどうしようもないほどにふくれ上がった寂しさがあった。
「フェイトちゃん」
なのははフェイトの過去を知らない。
抱えている想い。
彼女のもとを去らざるをえなかった教育係のリニスのことも、母親の一方的な拒絶から来る確執も。
けれどそのすべてを知る必要があるだろうか。
きっと知らないからこそ埋められるものもあるはずなのだから。
「よかった、間に合って。でもわたしだけじゃ助けられなかったから……あの人のお蔭だね」
なのはとフェイトの視線の先には、胸の歌を響かせ、拳を振るった立花響がいる。
「生きるのを諦めないで」と叫んだ彼女は、今はフェイトとアルフを同時に相手取ってみせた風鳴翼と、ノイズを召喚した鎧の少女とが、激しく戦う様を見守っていた。
見守らざるをえなくなっていたという方が正しいのかもしれないが。
互いに蚊帳の外に置かれた格好だが、フェイトにとっては望ましくもある。
もとよりフェイトの目的はただひとつなのだ。
「ジュエルシードは貴女が預かっておいて」
だから、アルフが驚くのは至極当然のことで。
その意味の大きさが分かるから、なのはも僅かに息を飲んで、破顔して力強く頷くのだ。
「任せてっ。次に会ったときに必ず渡すから!」
フェイトはその言葉を疑わなかった。
高町なのはという子はきっとそういう子なのだ。
何より今は、目的よりも優先したい願いがあるから。
「フェイト……どうしてあんな奴に」
理由は誰より問うたアルフが分かっている。
それでも、否、だからこそアルフは言葉にせずにはいられない。
使い魔である自分がフェイトの足を引っ張るなんて許せなくて。
母であるプレシアへの情の深さを知っているからやるせなくて。
自分の存在がこれまでのフェイトの頑張りをすべて捨てさせてしまうのだとしたら、いっそ今すぐに消えてしまいたかった。
「ジュエルシード集めはこれで終わりじゃないから」
口惜しくないわけがない。
フェイトも母に誉めてもらう光景を夢見る年頃の少女だ。
だが、己の欲を殺し、アルフが納得できる言葉を端的に選べるのだから、フェイトはきっと何よりもまず優しいのだろう。
少なくとも、寂しさだけで行動する少女では決してない。
流す涙を止められずにアルフは頷く。
今は身体が動かずとも、必ずや主の想いに報いることを誓って。
「またね、フェイトちゃん!」
「……うん、また」
響いたなのはの声に僅かに視線を送り、フェイトは膝を折ってアルフの手を取る。
やがて眩い光に包まれていく二人。
座標軸を詠唱し、動けないアルフを連れて、フェイトはプレシアの住まう時の庭園へと次元転移していった。
所持するジュエルシードはまだ二つ。
それでも、記憶に残る母の笑顔をまた自分に向けられると信じて。
知らぬが故に埋められるものはあるが、知らぬが故に埋められないものもある。
高町なのははまだ、そのことを知らない。
そしてフェイト・テスタロッサもまた、高町なのはのことを何も知ってはいなかった。
まだ二人を結ぶのは小さな約束のみ。
だから、高町なのはは頑なにそれを守ろうとするだろう。
「じゃあ行くよ、ジュエルシード――」
「――チッ、ヤラせるかよ!」
なのはの周囲に現れたのは無数のノイズ。
連戦で疲弊していた翼を制して優位に立っていた鎧の少女の目は、本来の目的であったジュエルシードへと向けられていたのだ。
魔法を知らぬ鎧の少女は、なのはが何をしようとしていたのか理解していたわけではない。
それでも、なのはの行動を止めなければ目的の完遂が難しくなるのは察することができた。
だからこそのノイズの召喚。
シンフォギア装者ではないなのはがノイズを圧倒する様は見ていたが、あのような所業が簡単に行えるものとも思えない。
そうであれば自身の安全を確保するために一旦距離を取るはず。
それは鎧の少女の思い違いではなく誰の目にも明らかなことだったが、しかし、
「バカがッ、逃げろっ!」
焦ったのは何故か召喚した鎧の少女。
高町なのはは動かない。
まるで何かに取り憑かれたかのように、己の危険を認識していないかの如く。
事実、認識できていないのだ。
それほどまでに高町なのははフェイト・テスタロッサとの約束を守りたいと願い、その行動に集中していた。
「――封印ッ」
封印されたジュエルシードは、なのはの持つレイジングハートに吸い込まれて消えていく。
この時点で鎧の少女は目標の確保に失敗していたが、彼女の思考にそのことはなかった。
このままでは自分の願望に幼い少女を巻き込んで殺してしまう。
(まただ……クソッ、どうしてこのガキどもは思い通りに動きやがらねぇッ。自分の命を大事にしろよッ)
脅して動けない状況に留め置くつもりだったもう一人の少女が、自らノイズの大群に飛び込んで襲われんとしていた際にも密かに感じていた焦燥が、鎧の少女には走っていた。
完全聖遺物。
それがもたらす戦闘能力。
現在の体力。
気力。
この時点における鎧の少女は、風鳴翼にほとんどの点で勝っていたのかもしれないが、しかし覚悟という一点では明らかに劣っていたのだろう。
「繰り返すものかと私は誓った!」
だから、結果としてそこを突かれることになる。
鎧の少女に動揺が走るのとほぼ同時に、立花響は駆け出していた。
握り込む拳に籠めるのは守りたいという想い。
だが響の周囲には、翼に加勢させぬよう鎧の少女が周囲に配していたノイズの群れがいる。
その警戒を抜けられるのならば、翼が窮地に陥った際に響は参戦していた。
けれど、それが響の行動を止める理由にはなりえない。
普通の個体よりも巨大で力のあるそれらは、召喚された際の主の命令を遵守して響を行かせまいと行く手を遮る。
一体目の手をかわし、
二体目の身体を砕き、
三体目の股を掻い潜る。
最短で。
最速で。
絶対に間に合わせるという強い意志が響の身体を動かす。
それでも……、
「離せ、離せよッ」
ついにノイズに捕らえられてしまう響。
足掻こうにも、叫ぼうにも振りほどけはしない。
奇跡を起こすには下地がいる。
必要だった力が、立花響にはまだなかった。
所詮偶然手に入れた武器を振り回すだけの彼女では、戦士としての本領を発揮できはしないのだ。
(嫌だ……私は奏さんの代わりになるんだ。だから……ッ)
想いだけでは届かぬ現実。
けれど、それが奇跡を起こせぬ理由には成りえないと証明したのは、他ならぬ立花響であったではないか。
一度起きたことは二度起きる。
迫る危機に気づき、恐怖に表情を染めて悲鳴も上げられずにいた高町なのはを救ったのは、誰よりも彼女の身近にいた存在。
「なのはは僕が守る!」
心に決めた絶対の誓いと共に現れたのは一人の少年。
普段はフェレット。
実は魔法の世界からやってきた男の子。
ユーノ・スクライアであった。
ユーノに残された魔力は少ない。
フェレットの姿で回復を試みてはいたが、万全ではないのだ。
それでも彼には、この窮地を乗り切る手段を導き出せる頭脳がある。
もとよりノイズの打倒は不可能だ。
彼にはそこまでの威力を瞬時に出せる力がない。
ここで優先すべきはノイズの位相を本空間に固定させること。
それができなければユーノの攻撃は届きもしないのだから。
なのはがレイジングハートの力を借りてやったこちらの座標軸へのノイズの固着。
それをユーノは、デバイス抜きで行ってみせる。
ぶっつけ本番。
けれどそうしなければなのはを守れないのならば、ユーノは確実に成功させる。
「飛ぶよ、なのはッ」
ノイズの固着の成功。
それを確認せずに放ったのは、倒すのは諦め、吹き飛ばして距離を開けることのみに注力した風の魔法。
しかしてユーノは、最悪の状況を乗り切った。
だが、ここですぐに次の手を打たなければすぐにふたたびノイズに囲まれて、今度こそ命はないだろう。
幸い地上を這うタイプのノイズは飛べない。
驚いて固まっているなのはの手を引いて、ユーノは上空に飛んだ。
まだ飛行タイプのノイズが点在するが、魔法で飛ぶ彼らに追いつけるものではない。
逃げるだけならば容易と言えた。
「このまま離脱するよ」
「うん……」
まだどこか上の空のなのはを連れて、ユーノは全速力で安全な場所まで飛んでいく。
(もうほとんど魔力がない……これでまたしばらくフェレットでの生活かな)
そんな、少し前なら考えられないような暢気なことを思いながら。
「ユーノくんって人間の男の子だったんだ」
しばらくしてポツリと呟いたなのはの言葉に、「あれ、言ってなかったっけ」、「言ってないよー」とひと悶着もあり、やがて背後から大きな爆発音と激しい光が立ち上った頃には今回の騒動はひとまずの決着を見ていた。
まだ、彼ら、彼女らは何も知らない。
互いのことも。
戦う理由も。
それぞれの想いも。
そして、その中心に立ち、個人が持つことを許された域を遥かに超えた力を持つことになる少女のことも。
今はまだ、何も知らなかった。
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8月は仕事が忙しすぎて書く暇がありませんでした。
待ってくださっている方がおりましたら申し訳ありません。
以前ユーノが……って感想に書いてくださった方のコメント返しで、ユーノの魔力云々と書きましたが、それは半分ブラフです。
イベント先取りでここでの活躍が決まっていたので。
心配する鎧の少女に容赦ない翼さんサイドの絶唱描写は今後の回想シーンで入ると思います。
いよいよ主人公の出番が来る……かもしれませんね。