薫が気にしていた赤星の練習相手はそれほど間を置かずに知ることができた。
だが、その出会いは満足感など何一つもたらさず、さらなる無力感を与えることを知る由もなかった。
風芽丘高校剣道部は例年夏休みに入ってすぐに合宿を行う。
8月の頭に行われるインターハイ全国大会に出場できた場合は最後の仕上げとして、残念ながら出場できなかった年には雪辱を誓うと共に予選での問題点などを洗い出していた。
練習場所は古くから付き合いのある長野県の剣術道場を練習に使わせてもらい、宿は近くにある県営の施設を使っていた。徹底的に安上がりにしている代わりに期間はおよそ2週間と長く、この期間に心身を鍛えあげることにしていた。
今年の全国大会には団体は男女ともに勝ち上がり、個人戦では女子は薫が男子では2年生ながら赤星が出場することになっていた。
それだけでも気合が入るというのに今年は例年にはないサプライズもあった。
「本当にありがとうね薫。顧問の先生に聞いたんだけど色々と動いてくれたんだって?」
「大したことはしてないんよ。それにうちらだって千堂たちの動きは参考にさせてもらっている」
宿を出て練習場に向かう道すがら薫は護身道部部長の千堂瞳と言葉を交わしていた。
もともと学園では同じ道場を使い何かと交流のあった剣道部と護身道部だったが合宿は別々に行っていた。ただ、今年はお互いの部長である薫と瞳の提案で合同での合宿を行うことになった。
細かい技術や練習方法、競技への取り組みなどに似て非なることは多かったが、得るものは多い。薫はそう感じていた。
瞳と連れ立って歩くうちに後ろから大股で迫る足音が聞こえてきた。いわゆる達人には程遠い薫ではあったが、地面を踏みしめる音やリズムから男子剣道部の誰かであろうことは見当がついた。
だからこそ疑念が沸き上がる。ただの音からこれ以上の情報をくみ上げる人間というのは一体どういう修練を積むものなのだろうか。
「また難しい顔をしてるわね」
「そんなことは……」
「あるわよ。人と話しているときにそんな顔してると誤解されるわよ」
「そんなつもりはなかったんじゃが、すまない」
どんな技術にせよ一朝一夕で身につくはずもない。そう分かってはいても焦れる気持ちは抑えきれず表情に出てしまっていた。
そんな薫に後ろから屈託のない声がかけられる。
「おはようございます先輩方」
「おはよう赤星君」
「おはよう」
薫より頭一つ高いところにある顔に爽やかな笑みを浮かべ赤星が近づいてきた。もともと彼は練習には熱心で率先して動いていたが、今日はいつにもまして気合が入っているように見えた。
「随分と早いのね、練習が始まるまで1時間以上はあるわよ」
「それを言うなら先輩たちだって早いじゃないですか」
「うちらは鍵を開けたり雑用があるからね」
「そうですか、よければ手伝いますよ」
「対してやることがあるわけじゃないから気にせんでいいよ」
「そうですか、それでは先に行って少し走りこんできます」
そういうと赤星は足早に立ち去ろうとする。いつになく急いた様子に薫は戸惑い声をかけた。
「今日はえらく張り切っとるね」
「友人が練習の様子を見に来るんですよ。あまり恥ずかしいところは見せたくないですからね」
練習の見学や陣中見舞いというのはそれなりにあったので咎めだてするようなことではない。
ただ、交友関係は広そうだが赤星の友人が来たことはなかったので、なんとなく問いかける。
「赤星がそんなことを言うなんて珍しいね。どんな人が来るんじゃ?」
「親友です」
「へえ、なんかいいね」
恥ずかしげもなく言い切る赤星に瞳が感嘆の声をあげる。薫も内心で感心していた。こんな風に口に出せるまっすぐさを少しうらやましく感じる。
「それじゃ、俺は先に行っています」
「ああ、大丈夫だとは思うけど、後の練習に差し支えんようにな」
薫の言葉に軽く頭を下げると赤星は走り去った。もちろん全力ではないがジョギングというには早いペースだった。
「本当に張り切ってるのね」
「もう10日目で結構疲れも溜まっているはずなのに大したもんじゃ」
「練習見せてもらったけど真面目にやってるしあの体格だもんね。今度のインターハイは結構いいところまでいくんじゃない?」
体力のある方ではない薫からすればあのタフネスさはうらやましいものだった。瞳の言うように恵まれた素質に加え剣道に対する真摯な態度は今後の成長を大いに期待させた。
「あれでちっとも慢心しないのは育ちがいいんじゃろうか」
「う~ん、そういう感じでもないと思うのよね。実際普段は本当に普通な感じだし」
そんなことを話し合っているうちに剣道場についた二人はてきぱきと準備を始める。
標高が高いところにある分海鳴よりは涼しいが、それでも日中には30度を超える。お互いに責任者としてやらねばならないことはいくらでもあった。
そしてほどなくいつも通りに練習は始まった。昨日と変わらぬ充実した時間が破られたのは、午後の練習が一息つき休憩に入ろうとしたところだった。
「いや~みんな青春をしているねえ」
そんなことを言いながら3人の男が突然道場に入ってきた。
彼らは神棚のある側にある通常の入り口ではなく、夏場は開け放しにしている下手にある扉から入ってきた。
外に面しているこちら側は通常では入りに使う場所ではない。
ただ、あまりに堂々と入ってきたため誰にも止められずに道場の真ん中あたりまで進むと、言葉を発した男はあたりを見渡した。
薫も最初はOBでも来たのかと思っていたのだが、明らかに感じが違っていた。
真ん中にいる最初に言葉を発した男は、白いスーツに胸元が大きく開いた黒いシャツを着ているのにジャケットのボタンだけきっちりと留めている。その割にサイズが若干大きく見えちぐはぐな印象を与える。
短く刈り込んだ頭に鋭い眼光。どう見ても剣道部の夏合宿に現れる風体ではない。
付き従う2人の男たちは似たような妙に柄の多いジャージのようなものを着ていた。片方の男が竹刀袋に似た細長いものを持っていたので最初はOBかと勘違いをしていたが、こんな格好をした剣道部員などいるはずもない。
おまけに3人とも靴を脱がずに道場に上がり込んでいた。
「君たちはだれだ」
「あ~、あんた責任者の人かい?」
「風芽丘高校剣道部顧問の大柴だ」
語気荒く2名いる顧問のうち若い方の先生が、言葉を発している男に詰め寄ろうとする。だが、手ぶらの方の男が間に入って止めていた。
「そうかい、おじさんちょっとお願いがあって来たんだけど聞いてもらえるかな」
「何が目的か知らないが聞けるわけがないだろう。いいから出ていけ」
飄々とした白スーツの男の態度に顧問が切れたように大声を上げる。通常なら彼もこんな風に声を荒げるタイプではない。
だが、何が目的かわからない男たちに不吉なものを感じたのだろう。
「そんな意地悪言わないでもいいじゃない。君ら棒振りがうまいんだろう」
「棒振りじゃない剣道だ」
「そう、その剣道をさうちの若い衆に教えてほしいんだよ」
そういうと顧問の返事を待たずに、左に立っている袋を下げている男に手を振る。
「先生がお怒りだからお前からも頼め。ちゃんと熱意を見せるんだぞ」
「うっす。よろしくお願いします」
それだけ言うと手に持っていた袋の口を縛っていた紐をほどいた。やはり竹刀袋だったらしく中から木刀が一本出てきた。
「道場破り?」
「多分違うと思う。うちの道場にもたまに来たけど全然感じが違う」
道場の壁際で休んでいた薫に近くにいた瞳が声をかけてきた。こんな柄の悪い道場破りなどいるわけがない。薫のうちで嫌な予感が膨らむ。
木刀を持った男は竹刀袋を乱暴に投げ去ると木刀を両手でつかむ。そして、何をするのかと思うよりも早く両手を大きく開いた。
右手は柄頭をそのまま持ち、開いていった左手にはそのまま木刀の切っ先が握られていたままだった。
右手の近くから木刀は二つに割れ銀色に鈍く光る鉄の刃が現れる。
それは薫にとってはなじみ深い刀を、木刀の形に隠していた仕込み刀だった。
刃渡りは仕込みにしたせいか定寸よりも短めでおよそ2尺ぐらいだろうか。きちんと研ぎまでされているのかは分からないが、人を傷つけるものとしては十分すぎるほど危険なものだった。
「本身じゃと……」
「仕込み刀?」
何が起こっているのか理解が追い付かない。剣道部の合宿でこんなことが起こるなど想定もしていなかった。部員の誰もが行動に移すこともできず動きを止めていた。
「何をしている。やめないか」
だが、さすがに教師が止めに入ろうとした。しかし、手ぶらの男が立ちはだかり近づけさせない。その動きを見て、我に返った他の者も立ち上がろうとした。その様子を見た白スーツの男が手をスーツの内側に滑らせると何かを取り出す。
彼はまるで名刺を取り出すサラリーマンのような自然な動きで黒い塊を取り出した。
その様子に言いようのない悪寒を感じた薫が飛び出そうとした瞬間に、白スーツの男が手に持ったものを上に向けた。
パン
音自体は軽く甲高い音だが腹に響く感じがする。
その音が何を意味するのか頭で理解する前に誰もが動きを止めていた。
男は手に持った“拳銃”を薫達女子生徒が固まっている方に向けた。
コルトガバメントM1911 通称ガバメント。もとは米軍が正式採用していた拳銃だがとっくに代変わりしている骨董品に近くなりつつあるものだった。ただ、レプリカや横流しが相当数出回っていた。
そんな種類など見分けのつくものなど剣道部の部員にはいないが、これが危険なものであることは誰もが分かった。
「なんか物騒なことを考えているみたいだけど、あまり変なことはしない方がいいよ」
「なんで拳銃なんか……」
「おじさん運動不足だからね。君らみたいな乱暴そうな人に囲まれたらすぐにぼこぼこにされちゃうからね。護身用だよ護身用」
そして、お世辞にもいいとは言えない面相に下卑た笑みを浮かべる。
「先生みたいな人にかかったら俺なんかすぐに叩きのめされちゃうんだろうけど、その間にこいつから弾を一発吐き出すぐらいはできるんだよ」
「何を……」
「いいからそこから下がりなよ。さもないと緊張のあまり手に力が入っちゃうよ」
そう言いながら女子生徒の方に視線を向ける。
「ひっ」
たまたま目があった生徒が小さく悲鳴を上げる。薫はその子の前に回り込み男からかばおうとする。
にたりと笑みを深めた男が薫に視線を止める。だが、軽く身じろぎした薫から視線を切り道場の中を見渡す。
そのすきに手ぶらの男が顧問を突き飛ばす。
「兄貴がああいってるんだ、とっとと下がってろよ」
「いや~みんな強そうだね。おじさんさっきも言ったようにうちの若い衆と遊んでほしいだけなんだよね」
口調は軽いがねばりつくような視線からは意図は読めないながらも、確実に悪意を感じる。
道場の中をふらふらとさまよっていた男の視線はやがて1点で止まった。その視線の先には男子剣道部のエース赤星がいた。
彼は悪意に満ちた視線を小動もせず受け止める。
「おいよせ。相手なら俺がする。だから生徒に手を出すな」
顧問の悲鳴のような声が上がったその一瞬。
誰もが彼に注意を向けた。
だから、気づかない。
白スーツの男が何かを言おうとしたのか一歩踏み出そうとした瞬間に背後から声がかけられた。
「誰も相手がするものがいないなら俺が相手をしよう」
それは、場違いなくらいに落ち着いた声だった。
銃声が鳴った時には3人の男が入ってきた入り口にたどり着いていた。子細はわからないがどうせろくなことではない。できるだけ情報を手に入れようとそのまま道場の様子をうかがった。
ほんの短い時間しか観察できなかったが、見た限りでは白スーツの男からは態度と裏腹にあまり隙は見いだせなかった。
場数を踏んでいるのか、グアムなどにある射撃練習場ではなく本格的な戦闘法を本職にレクチャーされているのかまではわからない。
だが、武装的にも立場的にもこの男を最優先で無力化しなければいけない。
そう思い気配を殺し男の背後に立つため動き出す。
足音は極力殺し、近寄る速度もあえて抑える。まれに空気の揺れを感じて気付くものもいるためだ。相手がそれほどの手練れには見えないが、持っている凶器を警戒し念には念を入れる。
3メートルほどの距離を詰める間には誰かには気づかれるだろうが、この男に気付かれなければ問題はない。
そう思いながら近寄ったところで顧問の先生が声を上げた。道場中の視線がそちらに集まる。
思ってもいない好機が来た。これを逃す手はない。
「誰も相手がするものがいないなら俺が相手をしよう」
だから、そう声をかけた。
そして白スーツの男の動き、その後の行動を探るべく全神経を集中させる。
この男にただ1発の銃弾も打たせてはいけない。
すると男は先ほどまでのふざけた言動が嘘のような機敏さで、こちらに銃口を向けるべく振り返った。
頭で考えたわけではなく完全に反射での行動だろう。かなりの速さだが、こうなることはかなりの確率で予測ができていた。うまく当たってくれたことに安堵し、間合いを詰める。
体を反時計回りに回転させながら両手でグリップを保持した銃をこちらに向けようとしてくる。
その体が回転しきる前に銃身をつかもうと右手を伸ばす。当初の予定ではそのまま上から押さえつけながら投げ飛ばすつもりだった。
だが、身長は俺より10センチ近く高く、体重に至っては30kgぐらい重そうだ。そんな男を相手に1発も打たせずに銃をもぎ取ることは難しそうなため、方針を変更する。
銃身を抑えに行った右手でオートマチック拳銃のスライドを上から握り、後ろにずらす。速さと正確な動作が必要なそれをうまく成功させることができた。
力いっぱい後ろにずらされたスライドは確かな抵抗を手の中に残した、思惑通りに本体から弾き飛ばされた。弾丸というものは撃針が底を打つことで初めて爆発する。
リボルバー拳銃とオートマチック拳銃では仕組みが違うが、引き金を引くと撃針が弾丸を叩く仕組みは同じだ。そして、オートマチック拳銃の撃針は可動式のスライドに内蔵されている。
つまりここを壊してしまえばこの場にいる誰もがこの拳銃を使うことはできない。タフそうな3人を相手にして拳銃の取り合いなどしていては、不慮の事故が起きる可能性を捨てきれない。
初手は思惑通りに行ったが、一息つく間などなく体は次々と動く。
拳銃を壊した右手はその勢いのままに目の前の男に叩き込む。骨太そうな男がそれしきのことで倒れるわけなどないが、目的は動きを止めることだった。
勢い任せだったため正確な動きはできなかったが、こめかみのあたりに右手が当たった。白スーツの男はぐらつくこともなかったが一瞬だけ動きが止まった。
その瞬間に開いた左手を男ののどに突き入れた。
全力を込めた場合は一撃で殺しかねない危険な技だが、銃だの日本刀だのを持ち出す輩に容赦する気はなかった。
拳や手刀では気道を潰しかねないのでさすがに掌にした。ただ、これだけで確実に無力化したとは言い切れない。だから右足を男の股間に滑り込ませる。
思い切り跳ね上げた右の足刀から何かを潰した感触が伝わってくる。それにさしたる感慨もわかないまま苦痛のあまり気絶した白スーツの男を、日本刀を下げている男に向けて転がす。
日本刀を持った男がどれぐらい喧嘩慣れしているかは知らないが、物理的に人一人を超えてくるのには時間がかかる。その程度の時間が稼げれば十分だった。
ただ、そうすると必然的にもう一人の男の間には何も障害がなくなるが、視界が開けた瞬間に若干意表を突かれた。
派手なジャージらしきものを着た若い男は、ポケットに入れていたらしいバタフライナイフを取り出してこちらに向かおうとしていた。
俺が声をかけてから10秒もかかっていない。何が起きているかなど理解もできていないはずだ。それなのにこの反応。驚愕というよりは関心をしてしまう。
やくざや不良の類にはまれに見られるが、暴力を起こすまでの過程が短い人間がいる。街中で肩がぶつかっただけで瞬間的にどなったり暴力をふるえるのは、別に常在戦場よろしくいつでも構えているわけでもない。
何かが起こってそれに対して反応を返す際のプロセスが人より少ないのだろう。それが結果的に行動の速さにつながる。
そして、ナイフを取り出した男は何の躊躇もなく右手に握った凶器を前に突き出し体ごとぶつかる勢いで飛び込んできた。
覚悟を決める間もなく、勢いだけで人を殺しかねない攻撃をしてくる。ためらいがないにもほどがある。
思い切りのいい攻撃だとは思うが意表を突かれたのはほんの一瞬で、男が飛び込む前にこちらの態勢は整っている。まっすぐぶつかってくる相手に対し左足を前に出しながら半身になる。
そして、踏み出した左足で相手の右ひざを正面から踏みつぶした。
ゴキリ
かなりの確率で後遺症が残る危険な技だが、手加減の必要など感じなかった。
湿ったような音が聞こえたが男の手にはまだナイフが握られている。痛みが襲ってくるにはまだ間があるが、踏み込む足を潰された今どんな動きもできない。
理解が追い付き騒ぎ出す前に、ナイフを握った手首をとらえ引き込むようにして腰に相手を乗せる。柔道でいう袖釣り込み腰に近い形で男の体を跳ね上げた。
力任せに投げたのできちんとした技にはなっていない。おかげで握った手から嫌な手ごたえが伝わってくる。
だが、かまわず道場の床にたたきつけた。その瞬間に限界を超えた右肩の関節が外れたらしく、その手から力なくナイフが零れ落ちる。
この男はまだ意識を保っているが右手と右足を潰されている時点で実質的に身動きが取れない。
だから握っていた手を放し、ナイフを拾い上げ最後に残った仕込み刀を手にした男に向き直った。
仕込み刀を持った男は中段に構えこちらの様子をうかがっていた。せっかく数で上回っているのに、様子を見たりしているあたり実は荒事に慣れていないのかもしれない。
だが、相手の状況などどうでもいいことだ。
中段に構えた切っ先を細かく上下させる相手に歩み寄る。
その動きから北辰一刀流の鶺鴒の動き方と思ったがどうも動きが硬い。これはむしろ剣道の動きだろう。竹刀を上下させてリズムをとる動きが体に染みついているのかもしれない。
見たところ真剣を使った戦いには慣れていないのだろう。荒事に向かう覚悟は決まっているのかもしれないが、緊張は隠しきれていない。
そうはいっても刀は刀。危険なことには違いない。距離を慎重に測りながら、だが一定の速度で近づく。
そして、相手の間合いのやや手前で手にしたナイフを体の中心に向かって投げた。もとよりこんな小さな刃で仕込みとはいえ本身を受け止められるわけもない。
ならば、牽制に使うぐらいがちょうどいい。
胸の辺りに向けて投げたナイフを刀で打ち払らわれる。危なげない動きだったが目の前から刃がそれた瞬間に合わせて思い切り踏み込む。
体ごとぶつかるような勢いで肘をみぞおちに向け突き出す。
相手も払った刃を返してきたが、一瞬早く俺の肘が体に突き刺さった。お互いに近づきすぎたため刃が当たっても切れるような位置ではない。それでも当たらないことに越したことはない。
深く突き入れた肘に確かな感触を感じた。肋骨折るまではいかないが確実にダメージは入れている。
「げふっ」
声というよりも肺から息を漏らし相手の動きが止まる。
そして、相手が手に持ったままの刀を巻き込むように肘を決めそのまま投げた。
御神流 萌木割り
刃のついた武器を持って投げるときは本来ならその腕を落とす。だが、さすがに剣道部の合宿を行う道場で流血沙汰は避けたかった。なので腕を折るだけにとどめた。
まだ、右ひじが折れただけの男の上に乗り、その鼻面に掌底を入れる。鼻骨の砕けた手ごたえが伝わってきた。
立て続けに起こっている事態についていかないのか呆然とした表情に苦痛と脅えが浮かぶ。よく見れば意外と若い感じがする。多分二十歳を少し超えたぐらいではないだろうか。
かつてはいま壁際にいる赤星たちと同じように汗を流していたのかもしれない。だが、そんな感傷に浸る気もない。
苦痛と鼻をふさがれたことにより、息を大きく吸うため口が開いたところを横から顎を打ち抜く。脳を揺さぶられた男は白目をむき意識を失った。
俺は男の手を離れた仕込み刀を手に取り落ちていた鞘にしまった。
カチン
小さな音が1分にも満たない短い闘争の終わりを告げた。
何が起こったのか誰もが理解できていなかったが、恭也が刀を収めた音を合図にやっと動き出すものが現れた。
「高町」
赤星が切羽詰まったような声を上げ恭也に走り寄った。つかみかかるような勢いだったがその顔に浮かんでいるのは焦燥だった。
「けがはないか?」
その言葉に意表を突かれたのか道場に入ってきた時から能面のごとく動かなかった恭也の表情が動く。
そして、苦いものを多く含んではいるが笑みを浮かべる。
「最初に出てくる言葉がそれか。敵わないな」
「いいから、大丈夫なのか」
「ああ、問題ない。けがをしているのは連中だけだ」
言いながら転がっている男たちの方に視線を向ける。骨を折られたり睾丸を潰された男たちがうめき声をあげている。
「君は何者だ」
「風芽丘高校2年の高町恭也です」
ようやく立ち直った顧問が恭也に声をかける。興奮した様子の顧問に対し恭也は落ち着いて返事を返す。ほんの少し前まで命の危険すらあるやり取りをしていたのにそんな様子は全く感じられなかった。
「へっ、これ……でお前らも……終わりだな。これで、インター……ハイにも……」
「戯言の続きは警察で話せ」
「お前……も終わりだ。かなら……ず、落とし前……をとらせる」
「そうか、それは手間が省けていいな」
ただ一人意識を保っているバタフライナイフを持っていた男が、苦痛をこらえながら途切れ途切れに言葉を発する。恭也は苦しそうな様子を気にかけることなく冷淡に答える。
「ああっ」
「お前ごときを探し回る手間がなく、向かって来てくるなら楽でいい」
殺意どころか怒りすらにじませてはいなかったが、その言葉に何を感じたのかバタフライナイフを持っていた男の顔色が痛みとは別の理由で白くなっていく。
だが、その言葉に顧問が反応する。
「警察を呼んだのか」
「ええ、ここに入る前に通報しています。そもそも警察が間に合えばこんなことはするつもりもありませんでした」
「しかし、大会前に警察沙汰はまずい」
「そうは言いますが相手があんな物を持ち出している時点で警察の介入は避けられませんよ」
「ダメか……」
「ダメです」
頭を抱える顧問にバタフライナイフを持っていた男が下卑た笑いを浮かべる。
その二人を見ながら恭也は言葉を続ける。
「あの男の言葉は聞かなくてもいいですよ。先ほどの銃声は他の家にも聞こえているのでどのみち騒ぎは避けられません」
「しかし、大会間際の大事な時期にこんな騒ぎに巻き込まれたとなると色々問題が……」
「そうであってもやましいことが無い以上堂々と聴取を受けてください。もめ事を恐れる気持ちがああいう輩に付け込まれるもとです」
警察沙汰や裁判などに縁のない人間にとってそれらは煩わしく、時によっては避けるべきものだろう。だが、やくざからすれば思うつぼだ。彼らにとって警察と揉めることも裁判を起こすことも日常茶飯事だ。
どこまでいけば罪になるのかそういったことを熟知している。そのため騒ぎを大きくしたくない人間の心理に付け込み脅してくるのだ。
「そもそも、剣道部員でもない俺が銃まで持ち出したやくざ者を叩きのめしたところで、何の不祥事でもありません。堂々と聴取を受けてください」
恭也の言葉に顧問は考え込んでしまう。ただ、遠くから聞こえてくるパトカーのサイレンが決断を先延ばしにする余裕をくれなかった。
「すまん高町。俺は何もできなかった」
そんな顧問をよそに、思いつめたような表情で赤星が頭を下げた。それはある意味道場にいる剣道部員と護身道部員の大多数に共通する思いだった。
自分たちを狙ったと思われる暴力に対して何もできなかった。心構えができていなかったとはいえ口惜しいことには違いない。
だが、恭也は心底不思議そうな様子で首をかしげる。
「お前はあんなことをするためにこんな暑い中、毎日切磋琢磨していたのか」
そう言うと、ひとまとめに転がされうめき声をあげることしかできない男たちを指す。自業自得とはいえ彼らを襲った暴力の凄まじさの一端を感じ取れる。
「違う。俺たちの剣道はそんなためにやっているわけじゃない」
「だったら、あんなことができない事など悔やむな。お前が磨いてきた剣はあんな連中を相手にするためのものじゃないだろう」
「だったら、お前はどうなんだ……」
「俺のことはどうでもいい。だが、お前は、お前たちは自分のしてきたことを恥じるようなことだけはするなよ」
赤星の声に答えると恭也は道場の外をうかがう。どうやらパトカーが近づいてきたらしい。
パトカーを出迎えるために恭也が道場の出口へと向かおうとする。その背に赤星が声をかける。
「高町、俺たちはどうしたらいい?」
「俺が決めることでもないが、あんな連中を使ってまでお前たちがインターハイに出るのが嫌だったらしい。だったら普通に出場して勝ち進めばいい」
「それでいいのか……」
「それが、あいつらや後ろにいる連中にとって一番の嫌がらせだろうさ」
そう言うと恭也は歩き出した。その顔にはうっすらと笑みが浮かんでいたが、背を向けていたため誰もそれを見ることはできなかった。
「俺たちは勝つよ。だからお前もインターハイを見に来てくれ」
恭也は笑みを深めたが、振り向かずに歩み去った。
えらく間が開いてしまいましたが以前に書いたものの続きになります。
今回は厨二病患者が一度は妄想する学園にテロリストが的な話を臆面もなく書いてみました。
うまくいったかどうかは別としてとりあえずは満足しました。
次はバトルのないほのぼの話が書きたいです。まったくめどは立ってないですけどね。