「はぁ?」
束は吐き捨てた。
束の目的はこのイベントをぶち壊した上で、千冬との決着を付けるためのものだった。
その為には、大晃の排除は必須なのであるが、正面から排除するのは手こずる。
だからこそ、無人機を放った。
人質を取れば、下手な動きは出来ないだろうという打算。
大晃を確実に排除する手段を保有していないという現実。
それら二つが、無関係な人間を人質に取るなどという暴挙の原因となっている。
街ごと観客たちを人質に取る計画。
それは今のところ、想像以上にスムーズに進んでいる。
無人機は何の抵抗も受けてはおらず、全ては束にとって順調に進んでいるように思われた。
それなのに、大晃にあるのは焦りでも不安でもない。
答えを探し求める探求者がしばしば陥る、俗世への無関心。
そういうものを想像させる態度である。
「だいちゃん? 頭がおかしくなったフリならもっと上手くやらないと、ダメだよ」
予想とは異なる態度に、しかし、束は全く動揺の気配を見せない。
仮に大晃の行動に目的があるのだとして、考えられる理由の一つとして時間稼ぎがある。
意図の分からない発言に気を引き付けておいて、その間に反撃の一手を打つというわけである。
しかし、試合の運営には何の動きもない。
仮に動いていたとして、束に気がつけない道理はない。
だから、この男は有効な対処を打てないままに時間を引き延ばしているに過ぎない。
所詮は動揺を誘い出すための奇行。
そう断じた、束の声には隠しようのない冷淡さがあった。
それはそうだろう。
大晃の態度は追い詰められた挙句の現実逃避にしか見えなかったのだから。
「何故、人は闘うのだろうか?」
尚も繰り返す。
声は周囲に染み入るように響き渡り、観客たちは神妙に聞き入っている。
周囲は、街は、静まり返り、ただ、大晃の発する声だけが空気を震わせている。
「だいちゃん。良い加減にしないと、本当に……ッ!」
その妙な光景に、束の声が揺らいだ。
静寂に満ちていた。
アリーナも、その周辺も、それらを取り囲む街は静かだった。
それが可笑しいのである。
これほど大規模に無人機を展開して、無数の人質を威圧しているのであれば、もう少しうるさくても良い。
なのに、周囲一帯からはどんな声も上がっていない。
それだけではない。
相変わらず、無人機に抵抗する動きはどこにもなく、一般人からはともかくISの専用機を保有する者たちすら不動の構えである。
人質への配慮とも取れなくもないが、この場に集まる精鋭の全員が一人たりとも動いていないというのは、あまりにも不自然である。
「人が闘う理由とは一体なんだろうか?」
理想的な展開の中で浮かび上がる複数の違和感が、不気味だったのだろう。
束の声は気圧されたように沈黙し、代わりに大晃の声がより大きく、深く響き渡っていく。
マイクに拾い上げられた声は、リアルタイムで世界へと飛び、彼らにもまた疑問が投げかけられる。
「古来でも人は闘っていた。このイタリアでもかつてコロッセオで名高い剣闘士たちが闘い、観客はその眩さに目を輝かせたのだろう」
その言葉に、聴衆たちは古の時代に想いを馳せる。
闘いは清く輝かしいものではない。
むしろ、陰惨な闘いもこのコロッセオで繰り広げられていただろうことは想像に難しくない。
聴衆たちがコロッセオと聞いて想像したのも、男たちが何かを賭けて闘い、時には不具になり、命を失う、痛ましい姿だった。
しかし、観客たちはその己の想像に出てくる傷ついた男たちに、尊いものを見た気がした。
それは、大晃のキャラクターが声とともに伝播した結果と言えるだろう。
大晃の声は静かで、厳かであったが、損なわれていない陽気さが観客たちに届いたのだ。
「遥かかなたの古の時代を、今、再び、繰り返そうとしている。
そんな特別な闘いだからこそ、俺は問うていた。人は何故闘うのか? 人の闘う理由とは、意義とは一体何なんだ、と」
声が、拡大していく。
音量はそのままに届く範囲だけが、どんどん遠方へと伸びていく。
「答えなど何もなかった。答えなどいらない、これが俺の結論。
闘いを迎え入れる度に、その闘いの意義を見出せば良いだけのこと。
だから、問題は、俺が、世界が、この闘いを見るお前さんたちが、何を見出したいのかだ」
そして、遂に、その声はこの世界の何処かにいる、束の耳へと、何の中継もなく直接に届いた。
「俺はこの闘いの結果、世界最強が完全に、どういう異論もなく決まることを望んでいる」
耳元で囁くような声が、束の背中を押した。
油断なく構えて、観客たちを威嚇していた無人機が各々に構えていた武器の照準が、大晃ただ一人へと向けられた。
「なるほど、そう来るかい」
腕を広げてやれやれと肩をすくめる。
その一瞬の後、無人機たちは――。
「目標変更、安城大晃の排除を最優先とする」
受け取った命令を実行する。
手のひらが開き、大晃を焼き尽くすべく、恐ろしい破壊力を秘めた光が収束していく。
かつて、IS学園を襲った無人機が幾度か放った熱線。
競技用のISを蒸発させかねない威力を持つ代物を、より洗練された機体である『ゴーレムⅢ』が放つ。
その威力は戦闘に特化した機体ですら耐え切れない領域に辿り着いているだろう。
それら何百もの破壊の光を、手招きするように大晃は腕を開いて。
「照射」
無人機は一斉に、何百条にも渡る破壊光を、大晃へと注ぎ込んだ。
光が一点に注がれる。
その結果、生まれたのは光球だった。
無数の光線は、大晃を飲み込み、エネルギーが拮抗しているためか、球形に広がっていく。
現実離れした光景だった。
漫画やアニメで光線がぶつかり合い、拮抗したエネルギーが蓄積された結果として、球形に広がる。
漫画の表現と同じ、しかし、漫画でしか見ることのできない光景だ。
まだ、終わらない。
大晃は身動き一つしないで光に呑まれ、無人機はどんな物体ですら耐えきれないほどの熱量を叩き込んでおきながら、執拗に光を浴びせかけていく。
まるで、中心地点にいる敵がまだ生きていることを確信しているように。
無人機だけではない。
大晃が飲まれる様を目撃した観客も、端末を通してことの成り行きを見守る者たちも、そして、束ですらも、大晃が生きているという確信を払拭できないでいた。
「ああ、良い眺めだ」
上機嫌な声だ。
風情のあるもてなしに感嘆する粋人のような、芸術に目を輝かせる少年のような、無数の属性を孕んだ声が、光の内側から全ての人類に向けて放たれる。
「本来なら楽しむ余地のないこの光に包まれて、その内側から見る光景を楽しめるなんて、俺はなんて幸せな人間なんだろう」
熱は限界を超えて注がれて、光の蛹は直径はもう50メートルを超えていた。
無人機がようやく照射を終えた時には、100メートルに達していた。
「この幸せを皆様にも分けてあげます」
そして、光の蛹は破られた。
その中心にいるのは安城大晃。
両手を広げたその周りには、光球が形を変えただけの光が絶えず形を変えて、滞空している。
その光は大晃が制御しているようだが、本来は減衰し消滅するはずのエネルギーが宙を漂っている様は、他者のオーラを取り込み自身の支配下に置いているようだった。
「LAッ!?」
無人機が光に貫かれて、電子音の唸り声を発した。
形を変えて、不定形のエネルギー弾となった光が一瞬で幾百もの無人機の主要機関を貫いていく。
運良く生き残った無人機は報復を開始しようとするが――。
「GYAッ」
「GUWAッ」
「AGA!?」
目に見えない網でも絡みついているかのように身動きが取れず、為すすべもなくやられていく。
最も、大きな変化は無人機が次々に撃破される光景ではなかった。
一番、大きな変化は、観客たちの心に起きた。
「綺麗……」
そういう声が口々に上がってくる。
感嘆の声だ。
先ほどまで支配していた恐怖がいつのまにか、感動で塗り替えられていた。
報復を恐れるのが自然な反応のはずなのに、彼らは、もう、無人機のことなど気にしていなかった。
自分の近くを通り過ぎる光は、燐光を伴い、通り過ぎた軌道上に神秘的な輝きを残していく。
あらかた無人機を片付けた光が今度は戯れるように観客たちの間を飛び回る。
――観客に愛嬌を振りまく妖精。
そう形容するのに相応しい光たちが、観客たちの意識を釘付けにする。
夢の国の再現のような光景はあちこちで起こった。
例えば、アリーナの一般席で、街かどで、ホテルで、店で、一般家屋で。
「ふん。相変もわらず、可笑しなことを考える方ですわね」
アリーナのVIP席。
ガラスで覆われたそこにも光は入り込んで、気ままに振舞っていた。
セシリアが鼻を鳴らして、指を一本、軽く突き出すと、光は懐いたかのように吸い寄せたられる。
――アリーナだけではありませんわね。
セシリアはこのイベントの広がりを予想した。
光はカメラの前でも戯れ、鮮やかな姿がネットワーク上で広がっていく。
無人機の襲来が、さらにとんでもない出来事に変じていく様を、人類は共有していく。
夢の国にでも迷い込んだような高揚感がもたらされていく。
無人機は未だに排除されていない。
行動不能なだけで機能の停止に至っておらず、モノアイの赤い光が健在の機体も存在している。
それにも関わらず、人は熱狂していた。
無人機はイベントを彩るオブジェと成り果てている。
「皆さま、実は謝らなければならないことがあります」
全てが変わっていく。
果てのない熱狂が押し寄せてくる。
「今回起きたテロを装った、オリエンテーションはわたくしの一存で取り仕切ったものであります」
嘘だが、まるっきり嘘でもなかった。
大晃は束からの脅迫を誰にも告げずに、放置していたのだから。
「本当に申し訳ない。しかし、ご安心ください。闘いを今さら中断することはあり得ませんから」
だが、その謝罪は観客をより盛り上げた。
もし、襲撃が本当だとしても、今さら試合が延期になるのは興ざめ。
そういう雰囲気が醸成されていた。
しかし、無人機の襲撃が最初からイベントとして組み込まれていたのなら、中断の心配をしないで、心ゆくまで楽しんで観戦できるというものだった。
その安堵が嵐のような歓声を呼び起こしていた。
真相を知る者もいるが、もはや、誰にも止めることはできない。
未曾有のテロは、未曾有のイベントへと昇華された。
千冬はビットからアリーナへと通じる通路を歩いていた。
ただ一人としてビットには入れず、半ば閉じこもっていた状態だった千冬は淡々と準備を整えて、今まさに試合を迎えようとしていた。
「束か」
その前に立ちふさがるのは、篠ノ之束。
傍らに、クロエ・クロニクルを侍らせている。
「ちーちゃん、私さ、あいつに、大事なものを壊されたんだよ」
そう呟いた束には覇気がなかった。
俯いた顔からは笑顔が剥がれ落ち、声は弱々しい。
「ねえ、私が何を目指したか知っている? 最初はさぁ、宇宙に行きたかったなぁ」
もはや、現実には存在しない思い出を、楽しそうに振り返った。
束の開発したISの目的は、宇宙への進出だった。
「でもさぁ、誰も乗ってこなかったんだよね。ISの論文を送りつけてもさ、帰ってくるのは非現実的だなんていう答えばっかりで。
唯一、金子先生だけは喰いついてくれたけどさぁ」
金子昇。
ISに宿る自我の研究の第一人者にして、特殊合金を発明した科学者でもある。
大晃の育ての親でもある。
その彼だけはいくらか良い反応を示したが、それ以外はさっぱりで、その現実に束は失望した。
「だから、ISを兵器として印象付けた。
どれだけ宇宙開発だの、宇宙は人類のフロンティアだの、言ったところで誰も聞いてくれるとは思えなかった。
ISを広めるためには、現行の兵器を超えた兵器としての力を示す以外になかった」
「それは、違うだろう。
貴様は世間から、無関心に扱われるのに耐えられなかっただけだ」
「……ッ」
千冬は言う。
世間の無関心に耐えられなかっただけだ、と。
それは本当のことだろう。
もとより、世間一般というものに対して無関心であったが、最初は誰もがISに対しては無関心であった。
ISを広めるために力を誇示したというのは本当であるだろうが、世間からの無関心に耐えられなかったという側面も否定は出来ない。
「そうだよ。だから、私は兵器としてISを広めた。
そうすれば、世界は無関心ではいられなくなる。
私の読みは当たっていた。
力のある国はこぞってISを求める、自分たちで研究するようになったんだから」
しかし、束の声には失望感が漂っている。
ISが広まったそれは良い。
だが、それは計画の第一段階だ。
本来ならば、そこから宇宙での活動を目的としたISの開発も進まなければならない。
兵器としての扱いをより特化させていく、国家、そして、組織に対して束は失望感はより深くなっていく。
ここまでお膳立てして、なお、私の求めるものが分からないのか、と。
個人単位で宇宙開発を目指す者もいるにはいたが、他者への徹底的な無関心が根幹となっている人格を持つ者に、それが目に入るはずがない。
結果、束は人類全般に深い失望を抱いた。
「だから、私は世界を私のものにしようと思った。
このIS『群咲(むらさき)』を使って」
周囲に現れるのは、空間投影型のティスプレイが現れる。
どのような形にでも束の意図通りに変化する、実体のないディスプレイ。
そこに表示されているのはーー。
「なるほど、ISの稼働情報か。全世界のISを貴様は掌握するつもりなのか」
全世界のISの稼働情報が、青く光るディスプレイに表示されているのだ。
「現在、有力な先進国家は、どこも強力なISを保有している。
ISに通常火器が通用しない前提に立つのならば、全てのISを支配することが可能な『群咲』は世界を征服し得るものだ」
千冬は、しかし、狼狽えていない。
警戒すらしていない。
憐憫を感じさせる態度は、『群咲』が何らかの要因で役立たずの代物になってしまったことを物語っていた。
束は肩を落とした。
「そう、全部、だいちゃんのせいなんだ」
束が一つのパネルをタッチする。
タッチされたパネルは青から紫へと落ちていく。
だが、紫色に落ちたパネルは再び彩りを取り戻す。
中心部に緑の点が広がり、紫を侵食して拡大する緑は、力強く煌々と輝いている。
「『最終移行』。全世界に広がった進化の光が全てを変えてしまったんだ」
かつて、大晃が自身のIS『無手』と闘い、相互理解に及んだ結果、起きた『ファイナル・シフト』。
それが全てを塗り替えたのだ。
その解き放たれた、『ファイナル・シフト』の余波はISをアップデートして、進化させた。
現実を再現するかのように、緑は周囲へと伝染していき、青だったパネルを緑で塗りつぶした。
「もうISのコアを誰も支配することはできない。この私ですら……ッ」
束は唇を噛んだ。
もう世界征服など出来やしない。
そんな諦めが束を支配していた。
「ちーちゃん」
「なんだ?」
「私を殺して」
「それで、束は、満足なのか?」
「うん」
束は間髪いれずに答えた。
「『群咲』が無い、無人機も無い、今の私に残っている望みはちーちゃんと最高の殺し合いをすることだけ」
人質は、不確定要素を排除し、千冬とやるためのものだった。
その無人機たちも目に見えない力で制された。
その力だけなら、どうってことはないだろう。
あらゆる手段をもってして、その力を潜り抜ければ良いだけのことだから。
一番の問題は、安城大晃というキャラクターだった。
脅しすら、自身のイベントを引き立てるために利用する手練手管。
束の精一杯の逆襲をも前座として取り込む、貪欲さ。
危機の中に合って、己の中にある疑問から目を逸らさない、哲学者のような純粋さ。
その全てが想像を超えていて、束を打ちのめした。
「でも、それも無理だからさ。私を殺してくれればそれで良いよ」
そう言って、束は頭を垂れた。
何もかもがどうでも良かった。
「……ですか?」
「クーちゃん?」
「どうしてですか?」
そんな束を、クロエが遮った。
「やはり、私は納得できません。
何故、束様が死ぬ必要があるのですか?」
クロエが言っていた。
束が力なく返した。
「さっき言ったばかりだよね? ちーちゃんと最高の殺し合いはしたいけど、今の私じゃあちーちゃんの相手にはならないから」
無人機もない。
群咲もない。
そんな状態では望みを叶えるなんて不可能だ。
せめて、再起するまでの時間があれば、と思う。
しかし、試合は間近まで迫っている。
結局、千冬の闘いを束は止めることなどできない。
クロエは、ならば、とばかりに続けた。
「では、私もお伴します」
「それも言ったばかりだよね。クーちゃん? クーちゃんは何にもやってないんだから、付き合う必要は無いんだって」
「確かに私は今回、何の指示も受けていません。精々、無人機を展開するお手伝いをする程度の事しか出来ませんでした。
それでも、もしもの場合に備えて、会場に身を潜めておりました。
未遂ではありますが、場合によっては人質に危害を加えていたかもしれません」
「でも――」
「今さら、そんなつれないことを仰らないでください。私はどこまでも、貴方に着いて行きたいのですから」
流石に束は葛藤する。
例え、それが娘同然に可愛がったクロエの発言であっても、平時であれば毅然と対応できていただろう。
最大の望みが絶たれた今となっては、束に気力は残っておらず、ただ、力なくクロエを見るばかり。
そんな二人を見て、千冬は表情を動かさないで、小さな声を発した。
「心配するな、クロエ。私には束を殺すつもりなど、全くない」
クロエがすっと束を庇うように身構えた。
千冬が束を許す理由がないからではない。
抑揚のない千冬の声が、不吉な兆しのようであったからだ。
「何で?」
クロエの後ろで、束が呟いた。
何かを察したのか、声色は先ほどよりも暗くなっている。
「私はあなたたちの邪魔をしたんだよ。
無人機を乱入させて、人質を取って、あなたたちを脅そうとしたんだよ。
普通は殺すよね、見逃すはずないよね?」
そこまで言って、束の声が震え始めた。
自分のしたことを千冬が許すはずがない。
しかし、千冬はそれでも殺さないと言っている。
その理由を口にして初めて、気が付いたのだ。
そう。
最初から千冬の態度は妙だったのだ。
本当なら束と目を合わせた瞬間に切りかかっていてもおかしくなかった。
その時点で気が付くべきだった。
許す理由がないのに、殺さない。
それが意味する致命的な事実に感づいた。
気が付いて束は後悔した。
言わないでくれ、と目で懇願した。
しかし、千冬は容赦なく、その理由を束に告げたのだ。
「貴様のやったことが、何の障害にもならなかったからだ」
千冬は淡々と述べていく。
「今日、人質に取られたもの達が、そして、大会の運営側がやけに大人しかったのは、下手に動けなかったのもある。
しかし、それだけではない。もっと、漠然とした理由であいつらはじっとしていた」
人質を、専用機持ちを含めた警備達をも黙らせた理由。
それが千冬の口から明らかになった。
「予感があった。全ての物事があるべき姿のまま進んでいるという、確信を一人残らず共有していたのだ」
「やめてよ……」
束は首を振った。
しかし、千冬は語るのをやめなかった。
「もはや、奴は運命と同化している」
運命との同化。
それが何を意味しているのか。
千冬は端的に語っていく。
「あらゆる人間に、同一の未来への確信を抱かせる。
それはもはや予言を超えた、運命の取捨選択に等しい行為だ」
半径数キロにも及ぶアリーナは限界まで人を収めている。
そこにいるのは数十万もの人々。
些細な行動ですら大きな軋みとなり、ため息をもざわめきへと変換させる人の群れ。
彼らの恐怖を、大晃はその身一つで抑えた。
それはもはや人の域を超えた業だ。
運命。
あるいは通常人が見通すことのできない、目に見えない流れ。
大晃はそれらすら従えているとしか思えない。
「あいつの望むように、世界は、運命は進んでいる。束よ、貴様の、今日のテロでさえ、やつを喜ばせる以外のない物でもなかった」
全てはまるで最初からそうと決まっていたかのように進んでいた。
今日、ここで試合が開かれることも。
束が襲撃をかけてきたことさえも。
「あるいは、あいつ自身が望んでいたのかもしれない。貴様の暴発すら」
「止めてよ!」
束は悲鳴に近い、声をあげた。
到底、受け入れられる考えではなかった。
「私は自分の意思でやった。他の誰でもない、私のために。
だから、ちーちゃんは私を殺さないといけないんだよ。
だって、ちーちゃんは私を殺すって言ったんだから!」
声を張り上げた。
千冬へと掴みかかった。
「殺して! 殺してよ! ねえ、邪魔をする人間は殺すんでしょ!
だったら、殺してよ! ちーちゃんたちの邪魔をした私を殺せーーっ!」
何度も繰り返した。
自分のしでかしたことが、大晃の手のひらの上だった、という千冬の説をどうしても否定したかった。
その為なら、本当に死んでも良かった。
「束」
その連呼も千冬の何気ない呼びかけで霧散した。
いや、させられたという方が正確だろう。
「今のあいつを揺るがせるものなど、もはや、この世には存在しないだろう」
千冬の淡々としていた語り口にようやく現れた感情。
それが束を圧倒していたのだ。
その感情の名は。
嫉妬。
「私は所詮凡夫だ」
千冬は静かに目を閉じた。
「今日、アリーナに降り立つ無人機を見て、思い出していた。
かつて、一夏が拐われ、脅迫の電話を受け取った、あの時のことを。
直前の呼び出し音や私に電話を渡してくれた者の怪訝そうな顔や、誘拐者の耳障りな声、やけに遠くに聞こえた周囲の喧騒を」
暗い過去を思い出している。
「それだけじゃない。
埋め合わせでアリーシャ……、いや、アーリィと闘ったこともよく覚えている。
あいつの右腕を切り落とした、あの感触は、私の記憶にこびりついているよ」
千冬は未だに過去に囚われている。
悔いばかりが残っている。
だから、思ってしまう。
あの時、ああしていれば、こうしていれば、と。
「もし、大晃が私だったら、いや、私が大晃のように振る舞えていたら。
人々の不安を受け入れ、飲み込み、昇華した、今日のあいつを見ていたら、そう思わずにはいられないのだ。
何故、私はああいう風になれなかったのか、と」
千冬は目を開いた。
「束、貴様に一つ言っておいてやろう」
束の顔を撫でて、千冬は言った。
「安城大晃は私が殺す」
束を横へと押しのけて、千冬は前へ前へと、アリーナへと進んでいく。
「それが出来るのは、私だけだ……っ!」
そのアリーナはどこよりも広かった。
ISの戦法は多岐にわたる。
拳銃、機関銃、剣に槍に薙刀、ミサイルや自律兵器、そして、それらの間の子のような武器が目白押しとなっているからだ。
従来存在しなかった武器が生まれ、その無数の組み合わせから生まれる戦術はもはや数え切れないほど。
では、その戦法の一つ一つを玩具と見立てて、近距離と遠距離に大別して分けてみよう。
近距離と遠距離。
ラベルの貼られた箱に入りきらないほどの山盛りのおもちゃが入っている。
数え切れない戦術に箱から溢れるばかりの戦法。
ISの試合を成り立たせるために必要なのは、それらを丸ごと収める箱であった。
つまりは、広さ。
近距離系の選手がその速度を生かして快適に飛べるだけの距離を、遠距離系の選手が相手を遠ざけるだけの間合いを。
ISの能力を引き出した者達が、十分に闘えるだけの場を確保することこそが、アリーナに求められる役割であった。
そのアリーナの中でも、『ネオ・コロッセオ』は最大の規模を誇っている。
「ふん! 相変わらずだな、ここは」
めまいすら感じさせるアリーナを前に千冬は再び目をつぶった。
アリーナへの入り口から漏れ出る騒音は目を閉じた瞬間に消えて、しばし、思い出に浸る。
第2回モンドグロッソ。
出場選手だった千冬は何度も、この広さを体感している。
栄光。
名誉。
国家。
閉じたまぶたの裏を高速で流れる、情景。
「皆様、私には、もはや、敵はおりません」
情景にノイズが混じる。
安城大晃。
無人機を目に見えない力で制した彼が、アリーナで何かを語っている。
それが千冬に届いているのだろう。
「格下の相手であれば、幾人が集まろうと、その全てを掌握することが可能です。
今の俺に掛かれば、はるか遠方にある岩を潰すことも、あるいは、シャボン玉を割ることなく動かすことも造作ないのです」
事実、大晃は幾千もの無人機の動きを封じ、外観をそのままに機能を停止させた。
それと並行して、自身を襲う熱線をコントロールし、アリーナを、街を、彩った。
語れば、語るほどに、想像すれば、想像するほどに、従来のISを遥かに超えた規模と精度。
街一つの範囲をカバーする知覚能力ははるか遠方を観測する本来のISの目的を考えれば当然のようにも思えるが、しかし、視界を遮る建築物が立ち並んだ街並みの中で一体の無人機も逃がさずに感知する感覚は、やはり、本来のISですらあり得ないもの。
その事実を、見ている者たちはおぼろげながらに感じ、見せつけられた男の怪物性にこう思う。
恐らく、最強のチャレンジャーである安城大晃を、織斑千冬は下すことができるのだろうか、と。
「もし、私がこの力で捕えられない人間がいるとして、世界を探しても、そう何人も見つかるものではないでしょう」
例えば、アリーシャ・ジョセスターフならば。
山田真耶ならば。
セシリア・オルコットならば。
そして――。
「織斑千冬ならば」
その言葉が放たれたタイミングで。
今か、今かと待ちわびた観客たちの前に、最高のタイミングで。
ついに、あの、織斑千冬がアリーナへと姿を現したのだ。
「あ! 千冬様だ!」
「キャーー! 本当だ!」
「頑張れ! お姉さまーー!」
大晃が操る光に目を奪われた観客たちも、千冬の登場には当然気が付いた。
まず、最初に声を出したのは、千冬のファンたちであり、全世界のファンが、あらゆる言語で千冬を応援する。
最初のブリュンヒルデ。
その戦績と端麗な容姿から、世界中に抱えているファンは多い。
だから、黄色い悲鳴にも似た歓声は会場を埋め尽くした。
「変わっていないな、あの頃と……っ!」
過去に思いを馳せる千冬は何かを察知した。
会場に、街中に散っていた、大晃の意志。
コントロールされた無数の光。
それらが妖精の揺蕩うような動きから、直線的で鋭角的な線となる前兆。
大晃の意識のこわばりの様なものを感じたのだ。
「キャッ! 光が!」
「一ヵ所に集まって……!」
光の直線が無数に描かれた。
その直線の先にあるのは、光の球体。
光が集まっているのか、どんどんと膨れ上がっていく。
半径数10メートルのそれはやがて半径100メートルほどまで膨れ上がり、太陽のごとき姿を顕現した。
大晃はいつに間にか人差し指を一本立てて、自身の直上に振り上げている。
その指の先には光の太陽が煌々と輝いていて、エネルギーを収束する装置として自身の指を見立ているようだった。
もちろん、この動作はただの振りだろう。
なんの特別な動作も無しに、光を操っていたのだから。
「千冬さん、あなたならばこの光どう対処しますか?」
大晃は指を振り下ろした。
光は指の軌道をなぞるようにして、飛んで行く。
観客の目からはその速度は酷く緩慢なものに見えた。
同じ速度でもより大きな物体の方がより遅く見えることがある。
加えて半径数キロにも及ぶアリーナという通常では考えられないスケール感。
それらの相乗効果で光球の速度を遅くみせた。
しかし、無論、それはアクセルをベタ踏みして、加速を終えたスポーツカーよりも速い。
何せ、ものの数秒で数キロにも及ぶ距離を詰めて、千冬へと迫ったのだから。
「らぁ!」
しかし、千冬はその巨大な球を正面から迎え撃った。
暮桜が備える剣、初代雪片を抜き放ち、下から振り上げるようにして、振った。
光球はただそれだけの動作で、上空へと弾かれた。
大晃の支配を振りほどく速度で、グングンと上って行く。
見えなくなった。
そして――、
豪ッ!
光が四散して、花火のように煌めいた。
衝撃が遅れて、地上へと届いてくる。
恐らく、上空数千メートル以上の高度で生まれたであろう、とは思えない位の衝撃であった。
千冬は刀を振り上げた姿勢のままに、静止している。
「凄えッ!」
「弾いたのか!」
「化けもんだ!」
観客達は口々に賞賛を送る。
あれほどの爆発を生んだ物体だ。
質量は相当なものだろう。
それをはるか上空へと、引力を物ともせずに弾き返した、想像を絶する腕力。
千冬は今の一撃で、大晃と同等の怪物性を、観客達に刷り込んでいたのであった。
「千冬! 千冬!」
「大晃! 大晃!」
鳴り止まない二人を応援する声。
その中心で大晃と千冬は静かに睨み合っている。
大晃は楽しげに、千冬は陰鬱に。
二人は、久しぶりに直接言葉を交わす二人は、世間話のように声を掛け合った。
「随分と人が集まったのもだな」
「そりゃあそうでしょう。あなたの試合が観れるって言うんですからね」
織斑千冬。
現役の引退後、何年も試合をしていない為、半ば伝説と化したIS操縦者。
そんな千冬がこれから闘うのである。
観客が集まらない訳がなかった。
しかし、千冬は、遠くで朗らかに笑う大晃を見て、憂いを込めた声を送った。
「違うな。私が呼んだのではない」
千冬は思い返していた。
事の起こりから、今に至るまでを。
「大晃、貴様の開いた記者会見が良かった。
あれのおかげで私たちの闘いは男対女、という利権の手を遠ざけた」
男の権利拡大の為ではなく、女尊男卑の風潮に物申す為でもない。
この世界で一体誰が世界最強なのかを知りたい。
記者の質問にも臆さずに、答えた大晃が、そのテーマを誤解なく世界へと広げた。
「今日のテロだって、そうだ。ただ、撃退するのではなく、力の証明と興業に利用するその手腕は人間離れしている」
向かってくる無人機の全てを撫で斬りにすることなど、千冬にとっては造作もない。
人質の安全を確保しながら、全ての無人機を無力化することだって、能力を使えば可能だ。
しかし、その上で試合を装飾するイベントとして、テロを仕立てるなんてことは、千冬には出来ない。
千冬が真面目だからというのも理由の一つである、もう一つ見過ごせないものがあった。
それは――。
「大晃。数十万人にも膨れ上がった人間の不安や期待を背負うなんてことは、私には出来ない。出来ないんだよ……!」
告白に近い小さな叫びだった。
千冬は、劣等感に苛まれている。
過去と現在の二つは、千冬を容赦なく揺さぶっているのだ。
「だから、私は貴様に世界最強の座を渡したくはない」
それでも千冬には残っていた。
世界最強を望む欲望が。
何をしてでも、世界最強でありたい、というエゴが。
「例え、貴様を殺したとしても……」
アリーナの空気が硬くなり始めた。
周囲の歓声が次第に遠くなる。
硬直した空気が、声の振動を遮っているようであった。
「良いですねぇ。遠慮しないで下さいよ」
逆撫でする言い方で大晃は笑った。
大晃の顔もひび割れていく。
笑みが引き裂くように、口元を広げていく。
「では、そろそろ――」
「ああ、そろそろ――」
二人は同時に呟いて、動いた。
「始めましょうか」 「始めようか」
遂に、世界最強を決める闘いが始まった。