大晃の記憶が再現した自分自身。
それは強かった。
一夏は歯を噛んで、そいつを睨んだ。
再現された一夏は本物の一夏とは違い灰色を帯びている。
その灰色の自分自身は無味乾燥にこちらを眺めている。
「へッ! 随分と俺を高く評価してくれているようだな」
敵の強さ。
しかし、それは大晃からの高い評価と強く結びついてのモノ。
嫌な気持ちは全くない。
逆に、光栄ですらあった。
「だがな、いくら大晃が俺のことを知っていても、この一ヶ月のことは何も知らないだろう?」
一夏はそう言って、加速した。
敵もまた加速し、結果的に中央でのつばぜり合いが始まる。
一夏は力を込めた。
腰で絡み合って腕を押すような形での一瞬の押し込みに敵は退く。
それは戦術的にも大きな意味があって、敵は一夏を引き込むようにして回転。
超至近距離からの零落白夜が、一夏を襲った。
だが――、
「これは知らないだろう!」
重心を低くどっしりと構えた甲斐もあってか、一夏もまた素早く回転した。
そして、回転に合わせて振った右腕にはいつの間にシールドが展開されていた。
エネルギーを打ち消すのが主な機能である、雪羅。
それで零落白夜の刃を叩いたのである。
俗に言うシールドバッシュ、あるいは攻撃をタイミングよく払うことで隙を発生させるパリィ。
物理的な干渉力を生じさせるほどにバリアの密度を高めることによって会得した新たな技である。
近距離はもちろん、物理的な遠距離攻撃にすら対応可能な優れものであった。
「!?」
敵は強く雪片を握りしめた。
払われた雪片が水しぶきと共にあらぬ方向へと飛ばされそうになったからである。
それを何とか堪えた敵であったが、それこそが大きな隙となった。
「甘い!」
一夏は灰色の自分自身を一刀両断にした。
切り裂かれた敵はバラバラに引きちぎられたかのように宙へと溶けて消えていった。
黒々とした刀と煌々と紅く輝く刀がぶつかり合う。
黒く輝く自分自身との闘い。
その中で箒は何かに気が付いた。
「なんだ、この感覚は!?」
箒は妙な感覚を味わっていた。
敵として対峙した自分自身。
敵を侮らない、大晃の記憶から再現された己。
それは間違いのない強敵である。
そのはずだった。
「全てが手に取るように分かる! 分かるぞ!」
だが、敵の振るう刃が雨を斬ることはあっても、決して箒へと届くことは無いのである。
敵の出した技。
どういう位置に自分がいればいいのか。
どういう体制でそれを待ち受けるべきなのか。
どういう技を受けて、どういう技を避ければいいのか。
あるいは前へと出て向かい打てばいいのか。
その全てが手に取るように分かるのである。
目にも止まらぬ技の攻防。
その一つ一つで箒は敵を上回っていく。
ほぼ互角の勝負に見えるその闘いは、確実に箒が支配していた。
決着までの時間はそうかからない。
箒は敵の首を容赦なくはねた。
散り散りとなって霧散した敵を前に箒は息を吐く。
一ヶ月の成長の実感。
それが箒に深い満足感を与えていた。
セシリアは、己の分身を前に息を吐いた。
相手の装備は自身と全く同じ。
ブルーティアーズのビットが合計十二個、宙を舞っている。
それらがほぼ同時にレーザー光を吐く戦場は、無数の光に彩られていた。
その彩りの中でセシリアは静かに佇んでいた。
「なるほど、そういうことですのね」
何かに当たりをつけたかのように、セシリアは呟いた。
「わたくしの強さは、もはや、大晃さんの想像を遥かに超えているというわけですか……」
セシリアは目の前の敵を圧倒していた。
ビットから発射されるレーザーは全てが、セシリアと敵の半分の位置でかき消されている。
互いの放ったレーザーが打ち消し合っているのである。
そのタイミングと角度は正確無比。
飛来する銃弾を発射した銃弾で当てて、止めるような絶技。
それを成しているのは、セシリアであった。
流石に初見の相手では不可能であるが、自分を象った相手であるからこそ可能な技である。
しかし、それにしてもセシリアの技量は凄まじい。
セシリアは既に敵の力量を見切っていた。
「わたくしは強くなっていく。あなたの想像すらも超えて!」
セシリアの放ったレーザーは相手方のレーザーを駆逐し、さらに突破して敵へと辿り着く。
無数のレーザーに撃ち抜かれた敵は、断面をセシリアの前に晒して絶命していった。
鈴は油断なく構えた。
何度も、斬り合った敵が目の前で構えている。
「……強いわね」
接戦だった。
敵の振るう双天月牙は鋭く重い。
攻撃のパターンも自分と同様でやりづらくて仕方がなかった。
だが、しかし、だ。
逆に自分自身と同じということは有利な部分もある。
「じゃあ、私に似せた部分を利用するとしようかしらね」
鈴はおもむろに敵へと近づいた。
衝撃砲にはエネルギーがチャージされている。
敵もまた同じ。
エネルギーをチャージしている。
そして、至近距離での斬り合い。
互いが位置を変えて、防御し、技を出し合う。
一見は互角のこの展開。
だが、差はすぐに現れる。
鈴が技を出し、敵の隙を突いた瞬間ーー。
敵は鈴の側面へと回り、チャージしていたエネルギーを解放した。
引き伸ばされた空間が、歪み散り散りとなる。
その刹那。
「流石、私、そう来ると思ってたわよ」
鈴は全て分かっていた。
敵が晒した隙が虚であることも、どのような反撃が自分を待ち受けているのかも。
そして――、
「私じゃこれを避けきれないことも知っている」
自分に通じる攻撃が何であるかも、熟知している。
敵は回避を始めるがもう遅い。
超至近距離から放った拡散衝撃砲を避ける手段はない。
空間を揺るがす衝撃は、敵を呑み込んで射線上の全てを消滅させた。
「己と敵を知れば百戦危うからず……己を知る私を真似たのは悪手だったわね」
鈴は敵が完全に消滅したことを確認して、呟いたのだった。
シャルロットは驚愕を覚えていた。
原因は敵の行動パターンにある。
シャルロットのISは量産機のラファール、それをカスタマイズしたものだ。
通常のものよりも機動性に優れ、格納領域がより拡張されている。
その一つ一つの武装は決して特別なものではない。
量こそ多く、威力はあるが、他の専用機でも使える物が大多数を占めている。
そんなシャルロットが用いる戦闘方法は専用機持ち達の中で、最も複雑な理論で構築されている。
闘いの中で絶えず変化する、敵との距離。
その距離に応じて適した武器は変化する。
敵の能力。
それもまた有利な武器を変える条件となりうる。
そういうあらゆる物事を瞬時に判断して、自分が使用すべき武器を選び出す理屈。
シャルロットは闘いの中で、闘う方法を組み立てていったのである。
「……まさか、ここまで大晃の理解が深いとは」
敵は大晃の記憶から再現されたものである。
シャルロットの姿を再現している敵は、その武装の使い方さえもほとんど真似てみせた。
記憶の主である大晃がシャルロットの理屈に精通していなければ不可能な芸当である。
大晃は素手で闘う。
そんな大晃がここまで自分の闘い方を熟知していたとは。
大晃の強さの秘密を垣間見た気がした。
「でも、だからこそ、お前は僕に勝てない!」
シャルロットは吠えた。
武器を持ち替えて瞬時に敵との距離をゼロにする。
敵もまた武器を持ち替えて迎え撃った。
交差する二つの影。
一方が崩れ落ちる。
残ったのは――。
「私よりほんのちょっと弱いあなたじゃ、僕には勝てないよ」
無数の技術を使う闘いだからこそ、積み重なった技術の差は大きくなる。
それが勝敗を分けたのだった。
「流石は父さん……優れた洞察力からなる戦力分析は、軍人である私よりも正確だ」
ラウラは軍人。
敵の力はとうに測り終えており、その興味関心は敵を生み出した大晃の記憶へと向かっていた。
「一体どのようにすればこれほど洞察力を身に付けることができるのか?
父さんの経歴は知っているが、ただ漫然と闘いを繰り返すだけでは、決して培うことのできない力だろうに」
軍人にとって敵戦力を測ることは必須の能力だ。
敵の力の多寡によって遂行するべき作戦の内容が大きく変わることもあるのだ。
ドイツのIS特殊部隊の隊長を任されているラウラがその能力に長けていないはずもなく、ラウラは一際高い洞察力を持っている。
それを上回る大晃の洞察力にラウラは舌を巻いていた。
「きっと、知っていたのだろうな。いつかこういう窮地に陥る日が来ることを……」
ラウラの想いは大晃の過去へと飛んだ。
大晃は遠い昔に無手と会っていたのだ。
だから、きっと自分が無手に侵されてしまう日が来ることを知っていたはずなのだ。
それを乗り越える為に身に付けた力の一つが洞察力であるはずだった。
「もっとも、父さんはそんなに難しくものを考えていなかったかもしれないがな」
そもそも、大晃にとって闘うことは全力で楽しむべきことだ。
闘いを尊ぶ者からしてみれば、敵をよく見て機先を制することはごく日常的なもの。
細かい分析を繰り返す内にいつの間にか洞察力を手に入れていた、ということは十分あり得ることであった。
「さてと、遊びが過ぎたな……終わらせるか」
ラウラはようやく意志を外界へと向ける。
そこには息を荒くするほどの攻撃を出しながら、その全てがかすりもしない現実に狼狽える敵の姿があった。
しかも、既に敵は身動きの取れない状況にあった。
空間停止結界。
無数に枝分かれした帯が貫いている。
その貫かれた部分が動かせないようであった。
肩に装備してあるレールカノンの砲口から徹甲弾が撃ち出されて、敵の顔面を撃ち抜いた。
――耐えなければならない。
大晃の脳裏で言葉が鳴り響いていた。
それは警句のように大晃の心を引き締めているのだろうか?
大晃は未だに忍耐の時を過ごしている。
一夏と別れてから、大晃は苦戦していた。
「どうしたの? それで全力なの?」
「……っ!」
無手には遠距離攻撃手段はあるものの、大晃はそれらへの対処法を見出している。
距離が空くことによる油断は、被弾へと繋がる恐れもあるからか。
自然と二人のやり取りは近距離の打撃戦へと移っていた。
大晃と無手の拳が交差する。
そして、無手の拳が先に当たり、大晃は吹っ飛んだ。
「ダメダメだね」
無手の声が憎たらしいほどに余裕綽々であった。
追撃はない。
追撃後の混戦を警戒しての立ち回りは、消極的ではあるが、反面隙がないとも言える。
大晃はゆっくりと立ち上がって無手を見据えた。
「……臆病なんだな」
「賢い、と言って貰いたいわね」
恐らくは挑発が目的のこの台詞すらも、無手は真剣には取り合わない。
所詮は負け犬の遠吠えに過ぎない。
無手は答えた。
皮肉をたっぷりと込めて。
「だって、あなたはもうそんなにもボロボロじゃない……どうして、無理をする必要があるの?」
すでに、大晃は甚大なダメージを受けていた。
顔はあちらこちらが腫れ上がっている。
身体中が痣だらけで、疲労感が蓄積している。
イメージの世界で傷をうけることは精神に傷を受けることに等しい。
大晃の劣勢は誤魔化しようのない事実だった。
不意に大晃が呻き、頭を押さえる。
焦点の合わない眼が意識の混濁具合を示していた。
――ああ、でももう良いか? 否、まだ頃合いではない。
混濁した脳に奔る電流の様な言葉。
それが大晃のことを支えているらしかった。
「なるほど、あなたは良く頑張ったわ」
無手が口にする称賛の言葉。
その裏には隠すことのできない侮蔑があった。
「この一ヶ月を迎える前から、私はあなたをじわりじわりと蝕んでいた」
拳が空を打つ音をバックに、無手は語り始めた。
ことの始まりは臨海学校での銀の福音事件に遡る。
無手の限定解除。
無手の枷を外しスペックを跳ね上げる荒業は、大晃が暴走状態にある軍事用IS『シルバリオ・ゴスペル』との闘いを互角にすることを可能にした。
だが、代償は大きかった。
この時から、本格的な無手の侵食が進み始めていたのだ。
「その時ですら、あなたの肉への影響は大きかった。……拳を形作る骨がもろくなる程度には」
一ヶ月前のキングゴーレム戦での苦戦。
その大きな原因になったのはキングゴーレムそのものの頑強さもあろうが、不調の影響も確実にあった。
そして、二度目の限定解除の結果、無手は己を縛るもの全てから解き放たれたのだ。
拳を放ちながら、大晃もまた無手へと応じる。
「何が言いたいんだい?」
「あなたじゃもう私には勝てないってことよ」
キングゴーレム戦までですら、無手が刻んだものは大きかった。
その後の一ヶ月間、無手が大晃にしたことの大きさはそれすらも比較にならない。
じわじわと進行する難病と人の悪意を凝縮したかのような劇病。
どちらがより大きな苦痛を生むだろうか。
少なくともこう言うことはできるだろう。
この一ヶ月間、大晃は無手という名の劇病を患っていた、と。
「まだまだ、結果は分からんぜ……」
「いや、もうおしまいよ」
無手は己の勝利を確信する。
今、ここにいる大晃が、記憶を無くした、抜け殻のようなものであること。
それは大晃のコンディションが最悪であることを意味している。
確かに最強の自分自身をここに再現してはいるが、肝心の記憶がなければ、どうしたってそれは歪なものになる。
肉体に刻まれた闘いこそが、大晃を形作る大きな要素であるからだ。
それは大晃が膨大な戦闘経験を手放さなければいけない程に追い詰められていたことを意味する。
最悪の状態であるといっても過言ではない。
しかも、無手の手にしたアドバンテージは、まだこれだけではない。
対戦相手の不調、というこの上ない有利さをも上回る、力を手に入れている。
「あなたの拳はもう私には当たっていないないでしょ?」
さっきから、無手はもう、攻撃を放っていない。
腕は防御のみの為に使われている。
だから、大晃はそんな無手へと向けて、拳を蹴りを無数に放っている。
そんな無数の、膨大な組み合わせが生むコンビネーションを、無手は一つも被弾することなく全てを弾き受け流し、あるいは避けきっていた。
まるで、全ての攻撃が事前に見えているかのように――。
「私はあらゆる手段であなたを責め立てた。今、あなたに見せているのは、それによって得た力」
悪夢のような光景を前にしても大晃の表情に陰りは見えない。
いや、僅かに顔色は変わった。
何か無手のしたことに大いに心当たりがあるような、そんな表情だった。
ほんの少しだけ、大晃の中に残っている記憶の残滓が無手の言葉に反応し、その反応が自然と顔に出た。
その程度の反応であったが、無手にとっては十分な答えであった。
「ISは自らを進化させる、『経験』によってね」
一次移行。
二次移行。
それらの単語は人とISとの関わりの変化を意味する言葉だ。
ISは自らを纏う人間のことを知ろうとする。
人がISを起動して闘えば闘うほどに、ISはよりその人間のことを知り、より近くに寄り添い、大きな力を発揮できるようになる。
上に挙げた単語はその関わりがある一定のラインを超えた時に起こる現象だ。
その人にあった適性毎に、異なる進化をすることがISの強みであった。
当然、ISそのものである無手にも、それは当てはまる。
「私はあなたのことを何でも知っている」
無手は大晃のことを知り尽くしていた。
この一ヶ月。
無手は大晃を見えない刃で刺し続けた。
肉の奥の奥の方までほじくり返して、大晃の内側を覗き続けた。
そして、遂に知った。
大晃という男を。
「例えば、あなたが危機に瀕した時に、どういう反応をするのか、私は知っている」
大晃の肉体に生まれた損傷。
その傷を癒す際に、何兆個もの細胞たちがどう動き、傷を埋めていくのか。
そこから得られる情報は大きい。
しかも、今回、無手はかなりの深手を負わせている。
傷が深くなればなるほどに、細胞たちはより活発に動き、肉体を守ろうとする。
その防衛反応とそこから得られる情報は、無手の膨大な経験となっていた。
「そう、あなたはもう覚えていないだろうけど、私とあなたは前にも一度合っている。
その時に試していたのよ、あなたを知ることがどれほど私を有利にするのか、確かめる為にね」
本当なら、無手はその時に、大晃を喰ってしまっても良かったのだ。
何故、そうしなかったのか?
それは時を引き伸ばせば引き延ばすほどに自分が有利になるのだという確信を得たからである。
だから、無手は一ヶ月の時をわざわざ置いたのだ。
より盤石な盤面を形作る為に。
――もう駄目だ……諦めてしまえ。
内なる声に従い歪む表情。
手が動いていた。
大晃が己の手で、己の手を隠すように覆っていたのである。
表情から漏れ出る、何かを、無手から懸命に隠すような仕草だ。
大晃は、歪んだ口元を片手で防いでいた。
「ふふん、今更、隠しても無駄よ。狼狽えているあなたの顔が私には見える」
さあ、今度こそ喰ってやろう。
無手の腕が大晃の腕を掴んで、そして――。
無手は大晃の顔を今度こそ見て、その歪みを見た。
その闘いは当然、モニターの前にいる者たちも観ていた。
この場にはいない、IS学園の校舎前で見張りをしていた楯無もまたこの闘いを見物していた。
「……安城君」
楯無は深刻そうに呟いた。
大晃はずっと打ちのめされていた。
拳や蹴りも当たらず、逆に相手からカウンターを決められる始末。
何度も倒れては立ち上がり、ということを繰り返している。
「楯無さん?」
「……山田先生」
背後からの声に楯無は振り返った。
真耶が量産型IS『打鉄』を纏って、立っていた。
「大丈夫ですか? 顔が青いですよ?」
「心配かけて申し訳ありません。でも、大丈夫ですよ。心配いりませんから」
楯無の雰囲気が一瞬で切り替わった。
ほとんど勝ち目のない闘いを見守る少女からIS学園生徒会長としての顔になっていた。
もっとも、それはほんの少し曇った表情を除けばの話であったが。
「楯無さんは闘いをどう見ますか?」
「え?」
突然の質問だった。
闘いの推移は真耶も知っているはずだ。
大晃があまりにも分の悪い勝負に挑んでいることくらい把握しているだろう。
楯無がこの闘いに対してそういう想いを抱いているか、も見抜いているはずの真耶が何故そんなことを聞くのか、楯無には分からなかった。
真耶の静かな表情に急かされるように、楯無は答えていた。
「正直に言って、ほとんど勝機はないと思います」
「その根拠はなんですか?」
「無手は今日この日の為に、入念な準備を行ってきました。
安城君を痩せ細らせる責め苦はそれだけで十分な効果があるでしょうが、相手の情報を得るための布石ですらあった。
無手の言葉が嘘とも思えません。現実に、無手は安城君の攻撃を全て見切って反撃に転じています」
「それだけではありませんね?」
「ええ、反対に安城君のコンディションは最悪です。
劇病とほぼ変わりない体調不良は肉体だけでなく、精神にも悪い影響を与えていることでしょう。
仮想空間での闘いは、現実以上に精神力が物を言いますから……」
改めて言葉にしてみるとあまりにも酷い状況だった。
敵はずっと前からこの闘いの下準備を始めていた。
その差が今ここで現れたのだ、と楯無は考えていた。
「もし……」
「もし?」
「この不利な状況を覆せるのだとすれば、敵の想定を超えたことをしなければならないか、と」
だが、果たしてそんなことが可能なのか?
可能性があるとすれば、大晃の持っている狂気。
自分が壊れてでも前に突き進む、という姿勢そのものは失われてはいないだろう。
しかし、それで勝った所で大晃に何が残るというのだろうか。
「やっぱり心配なんですね」
真耶の労わるような台詞に楯無は内面を吐露しそうになった。
だが、そういうわけにはいかない。
一応、今はIS学園の護衛としてここにいるのだ。
真耶と話をしている最中だって、周囲への警戒を忘れてはいない。
それに自分ばかり話をさせられるのはどうにも抵抗がある。
楯無は真耶に真意を尋ねるべく、口を開いた。
「山田先生の見解をそろそろお聞きしたいのですが」
真耶はあごに手を当てた。
何か考えをまとめる作業をしてから、真耶ははっきりと確信に満ちた口調で言った。
「恐らくはこの闘い、安城君が勝つでしょう」
「へー、何を根拠でそんなことを言っているのかな?」
束は平然と言った。
平然としているだけに声に含まれている苛立ちの震えが伝わってきた。
ことの起こりは些細な会話であった。
「……ねー、実際さぁ、まだ勝ち目があるとでも思っているの?」
束はあくびを噛み殺して、平然と言った。
侮蔑を超えて退屈を感じ始めていたようだった。
態度からもそれは読み取れる。
椅子の上にだらしなく座る束は自然と周りの者の気を逆撫でしていく。
「……束様。みっともないですよ」
「もー、真面目だなぁ、くーちゃんは」
隣でピンと背を伸ばしているクロエが注意をするが、束は意に介した様子すら見せない。
ただ、思うがままに振る舞っている。
「全く、お主というやつは……」
いくら直接の手出しをしないとはいえ、放っておくわけにもいかない。
苦笑した金子が怒り心頭といった様子の千冬を右手で制して、束の相手をする。
「でもさぁ、大ちゃんは頑張っているけど、全然通じてないよ」
「ふむ」
「大ちゃんのことは凄いと思うけど、やっぱりこれじゃ勝てないよ。事前にちゃんと準備をしとかないからこうなるんだよ。
凡人はこれだから……で、先生はこの闘いどうなると思うの?」
束の無遠慮な質問に、金子は答えたのだった。
「……大晃が勝つじゃろうな」
「へー」
分かりきっている答えを求めていた束は、予想外の言葉に意識をはたかれた。
それで冒頭の台詞が出てきたのだ。
金子は束のやや剣呑になった視線に全くたじろぐことなく、言った。
「確かに、奴は崖っぷちに立たされておる。どこをどう考えたって大晃の方が不利じゃ。
そう、わしらに見えている範囲ではな」
金子には大晃が正確には何を考えているのかは分からなかった。
そんな金子でも一つだけ分かることがあった。
「大晃、あやつには妙なところがあった。
人とは違うものの見方をすることが多い男じゃった」
他の人から見れば窮地にしか見えない場所に、大晃は立っている。
だが、それは本当に大晃にとっても同じなのだろうか。
あえて、そこに身を置いている大晃にしか分からないことがあるはずだ。
金子はそう考えていた。
そして、なにより――、
「大晃と無手を切り離すことが不可能になった時、あやつは笑っておったのじゃ」
待機状態の無手が消えた。
つまり、無手が完全に大晃に取り付いた時だった。
そのとき大晃が浮かべた笑みを金子は忘れることができなかった。
今になって金子は気が付いた。
儚い笑みの裏に、喜びの色あったことを。
根拠らしい根拠ではない。
それでも大晃の勝利を確信させるには十分すぎる出来事だった。
「だから、何? だいちゃんはいっつも笑ってたじゃない」
束の反論も金子には届かない。
金子は再びモニターを注視していたからだ。
束も釣られてモニターに目を向けた。
状況が再び動き始めていた。
大晃の両腕を掴んで無理やりに顔を露わにしてやった。
無様な恐怖に歪んだ姿を、ゆっくりと楽しもうと思っていた。
それなのに、大晃の顔面に浮かんでいたのは恐怖でも諦めでもない。
「何よ……!? その顔は!」
無手は悲鳴にも似た声を上げていた。
見た。
見てしまったのだ。
大晃の中にある、歪みの頂点を、自身にとって最悪の形で。
「何で、笑っていられるのよ!?」
薄く上がった口端が微笑を形作っていた。
あくまでも静かな微笑だ。
だからこそ、禍々しく思えた。
白というキャンパスはあらゆる色を浮き彫りにする。
それと同じように、大晃の内に存在する狂おしいまでの闘争への衝動がはっきりとした形をもって姿を現していた。
「お前さんも良く知っているだろうが」
大晃の両腕がゆっくりと無手の両腕を押しのけていく。
「……お前さんが己の内に飼っている欲求と似たようなもんさ」
無手は見てしまった。
闘いに歓喜するその顔を。
「さあ、これから全て見せてやる……俺の中にあるものを!」