静寂と暗闇に包まれた森の中で、音もたてずに一人二人と倒れていく。最期の時の断末魔も、刃の響く音すらもない。ただ、風にそよぐ森の声だけが音となり、時間が経っていくにつれ静かに、そして確実に命の数を減らしていく。森の中に残された人間の命は、木の葉隠れの暗部たちと、敵対するどこぞの里の暗部たち。音もないまま静かに、そして苛烈に散っていくこの戦場は、暗部同士の戦いの激しさを象徴していた。
「一人、やられた」
「敵の動き、未だ掴めず」
二人の忍者が木を挟み、互いに背をあずけながら息を殺し、潜んでいる姿がある。下手に音を出せない状況であるため、一瞬たりとも気を抜くことが許されない状況でもあるため、警戒の邪魔にならぬよう視界の端で手話での意思疎通。暗闇の中で行われる手話ではあるが、互いの意思を伝えあうのに問題はなかった。
「いかに」
「増援、呼んだ、待て」
隊長と思しき忍者が、待機の指示を出す。森の中は相変わらず目に見えて起きる変化はないが、二人の忍者は五感を研ぎ澄まし、消えていく敵と味方の命の数を数えながら、刻一刻と自分たちが劣勢になっていくのを察知していた。
今回の木の葉隠れの暗部たちの任務は、里に侵入してきた敵勢の排除であった。里への侵入を許す前に、あらかたの敵勢は駆逐できた。殲滅をはかろうと追撃をかけたところ、ちょうどこの森で待ち伏せを受けたのである。しかも、その相手は敵の暗部という精鋭たち。敵の意図は未だ不明でだが、中忍、上忍から暗部までをも動員した大規模な作戦のようであった。木の葉隠れの暗部隊は善戦、奮闘を見せたものの、数の違いはいかんともしがたく、次第に劣勢になっていってしまった。
「敵、接近、数不明」
隊長とは逆の方向を見張っていた忍者が、敵の動きを知らせる。増援が到着するのには、まだ時間がかかりそうだ。敵の規模や戦術が解明できずにいるのも痛い。暗部の装着する仮面の中、冷や汗が頬を伝う。
『敵も、相当に遣う』
決して侮っていたわけではない。目的は解らぬままだが、味方の被害を考えると敵はエースクラスの暗部を投入してきているのは間違いがなかった。このままこの場で増援を待ち続けていても、全滅するのは時間の問題とも思えた。ならば、隊長として。囮となって一人でも多くの戦力を里に帰すのがこの場合は最善。上手くすれば、務めを果たし里に逃げ込める可能性だってある。この、親友から譲り受けた眼を上手く使いこなすことができれば。
覚悟を決めた隊長の仮面から、写輪眼独特の赤い光がわずかにこぼれる。囮となるなら、隠す必要はない。そう思い、自身の仮面を外しかけた時だった
「我、策有り、接近戦、仕掛ける」
背面を預けていた部下が送る手話に、眼を疑う。この状況での接近戦は自殺行為、いわば無駄死にも等しい。
「待て」
急いで待機の指示を出すも、部下の忍者は見ようともしない。静寂に包まれた森の中、なにやら布がほどかれる音が静かに響く。音の主は、間違いなく部下のものである。
「トウジ、お前まさか」
声を発したのは、何時間ぶりだろうか。ごく小さな声であったが、カカシは思わず声に出してしまったことを悔いた。
部下の忍者は、腕に巻かれた布をほどき終えると、何とも無造作に、無手で森の暗闇へと歩を進める。まるで散歩にでも行くかのようなその足取りは、今まで息を殺し、気配を消して潜んでいたのが滑稽に思えてしまうかのようであった。
カカシは部下の蛮行とも言える行動をなんとか制しようとするが、振り返らぬ部下の足を止める事はできなかった。
「我、五分後、戻らざれば………」
暗闇に消えていく部下が残した、最後の手話。森の闇は想像以上に深く、手話での伝達は闇に阻まれて途中で途絶える。しかし、カカシは、部下が最後に何を伝えようとしていたのかは、何となく理解できた。
元暗部にして元特別上忍、しばトウジが木の葉忍術研究開発本部に配属されていらい、何か月がたったであろう。袖を通すたびに胸が高鳴り心が踊った暗部の服を脱ぎ、研究開発本部員に支給される白衣にようやく慣れてきた頃だ。
研究開発本部という、名前だけなら非常に立派なものではあるが、あらかたの忍術は研究しつくされたといえる現代においては、不要の部署であるともいえた。実際は、忍術の研究開発に熱心であった二代目の時代の名残ともいえる閑職にすぎない。
年末を迎える時期になると『無駄飯喰らいだ』という意見が飛び交い、毎年毎年廃止の危機に瀕するのが恒例行事であった。そんな風前の灯とも言える研究開発本部がなんとか今日まで生きながらえているのは、忍具開発という部門で若干の需要があることと、二代目と懇意であった現三代目の温情によるところが大きい。トウジは肩の狭い思いをしながら、鬱々とした日々を過ごしていた。
木の葉の里を一望できる高台、歴代の火影の面々が建ち並ぶ顔岩の上に、火影が常駐する立派な屋敷が建立している。里の中枢として威厳が漂うその屋敷の片隅の一室にに、研究開発本部の事務所が設けられている。窓からの景色は、悪くは無い。緑豊かな里の景色が四季折々の変化をもたらし視覚を楽しませ、通りを行きかう里の人々の生活情景が開発に必要な創造力をかきたててくれる。残念なのは、日当たりが非常に悪いという点であった。常になんだか薄暗く、肌寒い気さえしてくる開発本部の事務室は、今となっては日の当たらぬ部署となった、研究開発本部の現状を見事に体現している。
夕方ともなれば、ようやく西日が申し訳程度に差し込んでくる。屋敷の中は任務を終えた者と、これから任務に就く者とが入れ替わる時刻だ。一日の中でも慌ただしいと言える時間帯なのだが、研究開発本部はそんなものどこ吹く風と静まりかえっている。そんな寂れた夕刻の事務所に、二つの姿があった。白衣を着た黒髪の青年と、場にそぐわない恰好をした中年の姿。
「しばやん、灰皿とってくれや」
角刈りに、無精ひげ。手入れなどとは程遠い伸び切った眉毛に、見え隠れする鼻毛。逆三角形という言葉がふさわしい荒みきった眼は、日刊のスポーツ新聞を射抜くように見据えている。しばトウジに声をかけた男は、まさに『おっさん』という文字がぴったりの風貌であった。本来なら支給された白衣を着るべきところ、男は茶色の作業着姿である。ところどころすすけ、汚れている。
トウジが無言のまま灰皿を差し出すと、男はおもむろに煙草を咥え火をつける。広いとは言えない事務室の中は、男の煙草の匂いが蔓延していた。
「かぁーっ!火の国五連敗かよぉ!」
独り言が、非常に大きい。男は懇意にしている野球チームが連敗していることを、深く嘆いた。
煙草を一服しながら新聞に目を通すその姿は、一日の仕事を終え、これから帰る職場風景としては問題はないのかもしれない。しかし、男は朝からこの調子なのである。独り言を呟き、煙草に火をつけ新聞に目を通す。昨日の先発の悪口を言ったかと思えば、また煙草に火をつけ、大きな声で何やら独り言。たまに見える変化といえば、トウジに何やら喋ったり、煎茶を音たててすするくらいである。男はひたすらにこのローテーションを朝から守り続け、夕方にまで至った。今日だけの話ではない、毎日なのだ。
やろうと思ってできる事では、決して無い。連日休むことなく規則的に行動するこの男を、トウジは上忍顔負けの強靭な精神力を持っているか、ただの狂人かのどちらかだと見当をつけるようになっていた。
そうこうしているうちに西日は沈み、ただでさえ薄暗い事務所がより陰気な姿へと移り変わっていく。窓の外では里の人々の往来が少しばかり賑やかになり、里の一日の終わりを告げようとしていた。
トウジは目に通していた書類を整理すると、悲しいものを見るような目で男を眺める。そして、男が一日かけて吸い散らかした煙草の残骸を吸殻入れへと片づけ始めた。研究開発本部の一日も、これで終わりなのだ。
「ゲンさん、時間ですよ」
「おぉう!もうそんな時間かい」
トウジの呼びかけに、ゲンさんと呼ばれた中年はバサバサと新聞を丸める。日がな一日座っていた安手の椅子から、重そうな腰をゆっくりと上げた。
「あぁーっとぉ!帰るとすっかぁ!」
ゲンは咥え煙草のまま、目いっぱいの伸びと屁を放った。
配属された当初のトウジは、先輩であるゲンをたてるために、こういった場合は何らかのリアクションをとっていた。それについてはゲンも満更ではなく、喜んでいたようであった。
『ちょっとゲンさん、止めて下さいよ!』
『ガハハ!』
今となっては懐かしい思い出。トウジはゲンさんの屁を完全に無視し、荒っぽい仕草で煙草を吸殻入れへと放り込む。
「どうだ、しばやん。ちょっと一杯」
ゲンは右手でお猪口の形を作ると口元に当てた。これも、いつもの事であった。
普段なら即座に断っていたトウジではあるが、最近はゲンを邪険に扱いすぎた事が気に留めたのか、作り笑顔でゲンに答えた。
研究開発本部は、里からは完全に閑職と見なされているせいかトウジとゲンを含めてたった三人しかいない。もう一人はビトーという老齢の上忍が在籍している。本部長職は三人のうちの最高位であるビトー上忍が勤めている。肝心のビトー上忍は、最近は病院にかかりつけであり、てんで職場にに姿を見せない。トウジも配属されてから、数回くらいしかあったことのない人物である。『アルツハイマーらしいぜ』とゲンは言っているが、考えれば考えるほど今の境遇が絶望的なもののように思えてくるので、トウジは上司の事を考えるのをやめていた。
今年度のアカデミー卒業生から、一人だけ配属されるという噂を耳にしたが、噂は噂でしかないし、ゲンとはこれからもずっと一緒なわけである。関係が悪くなりすぎるのも考えものだとトウジは思い、久しく忘れかけた酒の味を思い出すのもたまにはいいかという思いも強く、笑顔で了承したのである。
ゲンはトウジの笑顔を見ると、素直に喜んだ。
すっかり暗くなった木の葉の里の一角に、忍者の里らしからぬネオンの光がチラチラと輝いている。里の繁華街。任務を終えた忍者たちや、一仕事終えた里の住人達の姿でにわかに活気づいている。簡単なお食事処から居酒屋、高級料亭やいかがわしい風俗店まで。忍び五大国という名にふさわしい、なかなかの歓楽街が木の葉にはあった。
一番栄えてる通りから一、二本外れた通りの古びれた居酒屋に、トウジとゲンは居座っている。賑わいのある通りではないことと、まだ時間が早いこともあってか客の姿はトウジとゲンの他に見えない。居酒屋の主人は鷹揚な手つきで焼き鳥を焼いている。居酒屋の中おかれた誇りかぶったテレビからは、野球中継がブツ切りの映像で流れている。やはりゲンは、中継を見ながら独り大きな声で何かを嘆いていた。トウジは豆腐をつまみに酒をちびちびとやり、ゲンは豪快に焼酎をあおっている。寂れかけた居酒屋の雰囲気は、どこか職場の雰囲気と似ているようで、トウジは居心地の悪さを覚えた。
「なぁ、しばやん。顔岩って誰が作ったか知ってるか?」
焼酎で顔を赤く染めたゲンが、下品な笑みを浮かべながら話す。先ほど終わった野球中継によると、ゲンの贔屓チームは優位に回を進めており、このままいけば六連敗を阻止できるらしい。時間の関係で中継は終わってしまったが、ゲンは今までの試合展開にたいそうご満悦といった様子であった。ゆでだこのように赤く染まった顔と、焼酎の減りの早さがゲンの機嫌の良さを現している。
「あれはなぁ、聞いて驚くなよ!あの顔岩はナント!俺の一族が、代々彫ってきてんだよ!」
この話を聞くのは何回目だろう。
トウジはそう思いながら、静かに耳を傾ける。ゲンは軽快に焼酎を振るいながら、唾を飛ばしてまくし立ててくる。
「初代様の顔岩だって、俺のひぃひぃひぃひぃひぃ、ひぃひぃひぃ爺さんが彫ったんだ!」
少しずつ話を盛ってくるのも、いつものことだ。指折り数えながら真剣に話すゲンを、トウジは真顔で眺めていた。
「歴代の顔岩には目ん玉入れちゃいけねぇしきたりがあんだ。何でだと思う?」
「…………さぁ」
「それはなぁ……目ぇ入れるとな、あいつら動き出しちまうんだよ!」
話のオチも、まったく同じ。ゲンは嬉しそうに満面の笑みを浮かべている。トウジは一通りのくだりを聞き終えると、盃に残った酒を一気に流し込んだ。
事実、ゲンさんの一族は工務店を営んでおり、腕の良さを買われて代々火影の顔岩を彫っている。この一連の下りも、瞳を入れたら動くくらい精巧に作り上げているのだぞと言いたいのだ。一族の偉業を嬉しそうに語るゲンを見て、トウジは包帯に巻かれた自身の右腕が無性に邪魔くさく感じた。いっそのこと切り落としてしまいたいとさえ思うが、そう簡単に切り落とせない訳もある。
ゲンは『二代目の頬のラインはプロの業だ』と顔岩批評を始め出したが、トウジの耳には入っていない。じいっとちゃぶ台のうえに投げ出した自身の右腕を凝視しているだけであった。
「なぁ、トウジ。お前の右腕の包帯、何でいつも巻いてんだ?」
ひとしきりの顔岩批評を終えたゲンが、トウジの右腕を覗き込む。顔を近づけてきたゲンの鼻息が不快に感じたので、トウジはすっと右腕をひっこめた。
「ケガしてんなら焼酎かけりゃイチコロだぜ?」
「ゲンさん、やめてください」
ゲンがふざけて焼酎を零そうとするのを左手で制する。その左手を待ってましたとばかりに、ゲンは両手で捕まえた。そして
「いいじゃないのぉ~」
満面の、笑みであった。どうだと言わんばかりの、会心の笑みと言ったほうが良いであろうか。最近テレビでよく見る、あのネタをおっさんが全力で模倣している。その奇怪な笑みを見て鳥肌が立ちかけたトウジは左手を振り払おうとするも、ゲンさんは掴んで離そうとしない。その間も、あのセリフを繰り返し繰り返し呟いてくる。
「いいじゃないのぉ~トオジちゃん」
「…………ホントおっさんだな」
年老いた人間は可聴できない程度の音量で、トウジは静かに本音を呟く。ゲンさんの両手は未だに離れない。トウジは久々に飲みの席に出たことを、ひどく後悔した。
そんなやり取りを数回繰り返していると、今まで客足からは程遠かった寂れた居酒屋の扉が不意に開かれる。がやがやと二、三人の若者が店内に流れ込んできた。見たところ、仕事帰りの里の忍者のようであった。二件目の飲み直しにこの居酒屋を選んだのか、できあがっている様子である。
「なんか辛気臭ぇと思ったら、研究開発本部のお二方じゃありませんか!」
その中の一人が、奥に座るトウジとゲンを目ざとく見つけ、絡んできた。入ってきた連中のうち、一人だけテンションが違う。悪酔いしている風である。
「何にもしないで里から給料が貰えるなんて、ホントいい仕事みつけましたね、特別中忍殿!」
絡んできた若い忍者は、仕事の憂さを晴らすために飲んでいたのであろうか。その矛先は完全に研究開発部へと向かっていた。
特別中忍。下忍以上、中忍未満という、なんとも微妙な階級。この特殊な階級の歴史を遡れば、技術職である研究開発要員のために用意された、由緒ある階級である。しかし、一時は盛んであった研究開発も今では廃れ、『特別中忍』の称号を持つ忍者は、トウジとゲンの二人だけとなっている。
『特別中忍』という微妙な響きと、里内では希少な階級であることが仇となり、このようにネタにされることは日常茶飯事であった。
「ゲンさん、帰ろう」
トウジは帰りを促すように引き起こすが、腕を離さぬゲンは、坐して動こうとしない。ゲンは、より一層顔を赤くし、肩をいからせ暴言を吐いた若者を睨みつけている。
「あれぇ、ゲンさん。やもめがすぎて、今度は男に切り替えたんですか!」
若者の暴言は加速する。一人が制止しようとしているが、いう事を聞く様子は微塵もなかった。余程、仕事中に嫌な事でもあったのだろう。若者には、勢いがあった。
「顔岩彫るのに飽きて、今度は野郎のケツでも掘る気ですか!」
「てめぇ!」
『言い過ぎだ』とトウジが思った時には既に遅く、完全に頭に血が上ったゲンは灰皿を投げつけていた。
敵もさることながら忍者の端くれ、華麗に灰皿をよける。反撃にとばかりに手元にあったおしぼりを投擲してきた。空を切って飛ぶおしぼりは、ゲンの頭に直撃する。理性を失ったゲンさんは、何かを喚きながら若者に向かって突進していった。
場末の寂れた居酒屋が、一転して両軍入り乱れての演習場となる。
古びたテレビからは相変わらずブツ切れの映像が流れ、ニュースではアナウンサーが悲痛な顔で『逆転六連敗』の言葉を繰り返していた。
「くそぉーっ、くそぉー……」
繁華外から遠く離れたあぜ道で、呪詛を呟くゲンの声が遠吠えのように響く。辺りは僅かに街灯が立っているだけで、何もない。
居酒屋で始まった若者とゲンとの乱闘は、主人の必死の制止もあり、双方痛み分けという形で一応の終結を迎えたが、体に受けたダメージはゲンの方が圧倒的に多かった。赤く染まっていた顔のいたるところに痣や瘤を作り、関節は悲鳴を上げている。若さには勝てなかったのだ。
一人歩くこともままならぬゲンに肩を貸し、まばらに道を照らしている街灯の明かりをたよりに、よたよたとトウジは歩いている。酔いは先ほどの乱闘ですっかり冷めた。包帯に巻かれた右腕がなるべくゲンに触れぬよう、肩を貸しているゲンの酒臭い息に顔をそむけながら。
居酒屋での乱闘で、トウジは一部始終を見ているだけでほぼ何もしていなかった。見かねた主人が仲裁に入った頃、相手に詫びを入れながらなんとなくゲンを外に連れ出しただけである。元暗部であるならば、あの若者たちを制し懲らしめるのは至極簡単なはずであった。しかし、それができずに終わったのは、里の禁を破った負い目と、『特別中忍』に甘んじている現在の境遇のためなのか。居酒屋における自身のふがいなさに自問自答を繰り返していると、光に呼び寄せられた夜の虫が嘲笑うかのように顔面に突進してくる。『負け犬』そんな言葉が、不意に頭をよぎった。
「あいつらぁ、みてやがれちくしょお」
ゲンは足を引きずりながら、呪詛を繰り返す。ありったけの恨み辛みを含めてはいるようだが、悲しくなってくるほどにその響きはむなしかった。
「しばやん、明日、俺は造るぞぉ」
今さら造ったところで、いや、何も言うまい
「革命だぁ、俺の造ったモノで革命をおこしてやるんだぁ、なぁ、しばやん」
その言葉も聞き飽きた。今の我々に、一体何が造れるというのであろう。いや、今はゲンさんを無事に家まで送り届けることだけを考えねば
町から離れ、郊外に差し掛かると夜道はいっそう暗くなる。月明かりだけが頼りとなるが、あいにくのくもり空。二人はひどくぎこちない動きをしながら、帰路へとついていく。犬塚家の遠吠えが、暗闇の中で響いていた。
翌日、トウジは若干の頭痛を覚えながらいつも通り事務所へと出勤した。
普段なら重役出勤であるはずの、ゲンの姿がそこにあった。顔中痣だらけだ。
咥えたばこに、薄汚れた作業着。いつものゲンに変わりは無いが、頭には手ぬぐいが巻かれている。
その手拭いに書かれた文字は『くどう工務店』三角形の眼は、獣のようにぎらついていた。
「さぁ、さっそく造ってやろうじゃねぇか」
「造るって、何をです」
「コレだよ、コレ」
ゲンは咥えていた煙草をつまみ、トウジの足元へと投げる。
男たちの挑戦が、始まったのだ。
「煙草の葉っぱによ、直接チャクラながしてみてくれ」
一時は繁栄を極めた研究開発部。時代の流れには追いつけず、荒廃の一路をたどった。
「うげっ!吸えたモンじゃねぇな!お前も吸ってみろ!」
「わ、私は煙草なんて吸ったことありませんよ」
繰り返してきた恥辱まみれの日々。周りからは、無駄飯食らいと罵られた。
「いっそのこと、チャクラを葉っぱに流すんじゃなくて、フィルター部に細工をしてみては」
「……お前、いっぱしの技術屋の顔になってきたじゃねえか」
圧倒的な敗北感。忍者を辞めようと思ったことは、何度でもあった。
「て、てめぇ……フィルターに何仕込みやがっ……た」
「ゲンさん!?ゲンさーん!!」
しかし、土壇場で男たちは立ち上がった。
「やはり、葉っぱとフィルターの両方に手を加える必要がありますね」
「あとひと踏ん張りだ!気合いれろ!」
受けていた屈辱を払拭するため、かつての栄光を取り戻すために。
燻ることを余儀なくされていた青年の淀んだ眼には、いつしか輝きが取り戻されていた。かつて、暗部で活躍していた頃と同じように。
「俺はもう味とかわかんねぇよ」
「何を言ってるんです。煙草を吸えるのはゲンさんだけじゃないですか、さ、もう一本」
開発が完成に近づいた頃、ゲンの肺は真っ黒だった。
「何か喉が凄くイガイガする」
永久にお蔵入りとなりそうだった『チャクラタバコ』長年の眠りから覚め、ついに完成の時が近づいた。
試行錯誤を繰り返した結果、ようやく満足のいくモノが完成に至った。見た目はごく普通の煙草だが、トウジは満足げに見つめている。
「ようやく、できましたね」
朝の光が事務所に差し込んでいる。開発に着手してから、気が付けば丸一日が経っていた。朝日が栄光のように完成した煙草を美しく照らしている。その光景に、トウジは眼を細めた。
「何を言ってんだしばやん、俺たちの仕事はまだおわりじゃねぇ」
煙草を吸い続け、すっかり声が枯れてしまったゲンさんが呟く。その眼は未だギラギラと情熱の炎を灯していた。
「俺らだけで実験してても成功かどうかはわからねぇ。誰か『第三者』の眼で確かめねぇとな」
ゲンさんはおもむろに事務所の窓を開けると、身を乗り出して里の往来を見回した。情熱で燃え立った瞳をより一層ぎらつかせ、獲物を物色するかのように通りを睨みつけている。
「おい!猿飛!オーイ!」
声が、大きい。獲物を、いや、第三者を見つけたようだ。
『なんだぁ、ゲンさんじゃねぇかぁ』
「お前!煙草吸うだろ!?ちょっとこっち来い!」
『あいにくだけど、今から新しい班員に挨拶に行かなきゃいけねぇんだよ』
「そんなに時間とらせねぇよ!煙草を一本吸うだけだから!後で煙草やるからよ!こっち上がって来い!な!」
『……しょうがねぇなぁ、ゲンさんの頼みとあっちゃあ』
窓の外から声が聞こえる。声の主は、猿飛アスマ。里の上忍。そして、喫煙者でもある。
しばらくすると、アスマはトレードマークともいえる煙草を咥えたまま、煙が立ち込める開発本部の事務所に姿を現した。
「うわっ、すげぇ煙だな」
喫煙者であっても、思わずむせかえってしまう。それぐらいの煙が、男たちの研究の実績が、事務所の中にとぐろを巻いて漂っていた。
「おう、トウジじゃねぇか。元気にしてたか?」
トウジは暗部だったころ、任務の関係でアスマとは面識があった。トウジの身上を気に掛けるアスマの問いかけに、トウジは一本の煙草を差し出して答える。
「なんだい?これは」
「我々が研究開発した新種の煙草です。どうか試飲してください」
差し出された煙草を手に取ると、アスマはいぶかしげに見つめた。トウジとゲンの顔に緊張が走る。
「……やばいモン混ぜたりしてねぇよな」
不安げな表情をしながら、アスマは煙草を咥え、火をともした。ゆっくりと吸い込み、肺に入れ、煙を吐き出す。その一連の動作を、トウジとゲンは食い入るように見つめ続けた。
「ど、どうです?」
「どうって……うん、うまいと思うよ。普通に」
「そういう事じゃないんです!」
普段は物静かなトウジが叫ぶ。そのあまりの形相に、アスマは煙草を落としそうになった。
「その煙草は、吸えばチャクラが補給できるようになっているんです!」
「あ、そうなの?そう言われてみれば、なんか増えたような気が」
「具体的にはどうなんですか!あなた程の忍者であれば、それくらいわかるはずだ!」
トウジは煙草を受け付けない自身の体を呪った。苦労に苦労を重ねてようやく開発した煙草を、この身で試すことができないなんて!
必死の形相で食い入るように意見を待つ二人の前に、アスマは計り知れない重圧を感じてた。そして、言葉を選ぶように、ぽつぽつと感想を述べる。
「えーと、うん、そうだ。一体くらいかなぁ……分身の術、一体分のチャクラ」
歯切れが悪いアスマの意見であったが、それを聞いたトウジとゲンは眼を見合わせる。煙草の吸引によって、チャクラの補給が可能となった瞬間であった。開発は、成功であったのだ。
「成功、ですね」
「ああ、造ったんだ。俺たちは」
「……もう用事は済んだみたいだし、戻ってもいいかい」
開発した煙草には、いったいどれほどの価値があるというのだろう。実際に採用するかどうかは、里の上層部が審議する。もしかしたら、『くだらない欠陥品』という烙印を押され、再び永久に眠りについてしまうのかもしれない。だが、そんなことは関係なく、トウジとゲンは、何とも言えない達成感にひたっていた。
窓の隙間から柔らかな風が室内に吹き込んでいる。男たちの健闘を称えているかのようであった。
「しばやん、さっさと報告書をまとめろや」
ゲンが窓をさらに大きく開けた。より一層、心地よい風が室内に循環し、徹夜で蔓延していた煙を一掃する。
「ちゃっちゃと書いて、飲みに行くぞ」
「…………はい!」
木の葉忍術研究開発報告書 い
チャクラタバコシリーズ
嗜好品として愛用されている煙草に、忍具としての機能を持たせ、長く辛い戦いを続けざる得ない前線の忍者に一時の休息とチャクラ補給を効率的に行ってもらうべく、本研究開発本部が開発試作に着手した。
いずれの試作品も、煙草の葉に対し任意のチャクラをコーディングすることにより、チャクラ補給の目的を達成せいしめんと認める。また、フィルター部への改良を加えることにより、味を損なうことなく補給が可能となった。
以下、試作品について列挙す
マイルド木の葉 いノ一
木の葉隠れで圧倒的なシェアを誇る煙草銘柄に対し、特殊チャクラをコーディングした。使用者は本試作品を吸引することにより、分身の術一体分のチャクラが補給可能となる。また、煙草本体に含まれるニコチン濃度とチャクラの補給率は比例する事が研究によって明るみになり、さらなる改良の余地が認められる。ただし、ニコチンによる喫煙への依存と肺がんのリスクは研究開発の段階では解消する事ができず、使用の際は多用を控える等、一定の考慮が必要である。
ラッキー木の葉 いノ二
幻術チャクラをコーディングに使用。副煙を対象に吹きかけることにより、幻術と同程度の効果を認めた。文字通り、相手を『煙に巻く』事が可能となる攻撃的な喫煙具である。
本試作品は、マイルド木の葉の開発段階で偶発的に誕生したものであり、使用者が誤って肺まで吸引した場合、使用者自身が術に落ち るという欠点を併せ持つ。
忍具の特性上、あくまでも吹かしで使用せざるを得ず、諸々の制約は受けるものの、捕虜になった際、または処刑寸前の最期の一服を 乞う際等、相手の意表をつく限定的な場面において使用すれば、起死回生の効果を発揮するものと認める。
木の葉忍術研究開発本部 特別中忍 しば トウジ
結言
吸いすぎは、あなたの健康を害します