注 大阪の言葉は各自で関西弁変換お願いします
外伝 明日美の碁 清春の道
2002年8月 棋士採用試験(プロ試験)本戦開始。
院生順位8位ギリギリで今年の奈瀬明日美は予選免除された。
現在院生で和谷の研究会に居るのは小宮と奈瀬だけである。
二人とも年齢的に今年最後のチャンスであり必死であった。
和谷研究会は中国留学中で閉会中だが九星会に先に帰って来た伊角の下に武者修行として対局を繰り返していた。
他には囲碁サロンではギャラリー(北島)が煩いから道玄坂でヒカル、アキラに鍛えられていた。
「だからここでは強引すぎる。むしろ一旦様子見をするべきだ」
「でもこのままだったらジリ貧になる気がするけど」
「だからと言ってそういった露骨な手は簡単に見抜かれて逆に対応に困っただろ!」
「ムゥ」
「本戦までまだ時間があると思っていると足をすくわれるぞ」
塔矢の鋭い舌鋒に奈瀬はへこむ。
「でも塔矢のこの打ち回しはわざと隙を作ったんだろ」
そう言ってパチパチと打っていくヒカル。
すると逆転のポイントが奈瀬や見学の客にも見えてきた。
「これも手拍子で受けたからであって、もっと石の意図を読み取る訓練をしないと」
「石の流れで不自然な所を感じ取れば罠や失着が見えてくるさ。気分を変えてお客さんと置き石で打ってきなよ。置き石は荒しの訓練になるから接戦の時の力になるよ」
アキラの厳しい指摘の後でのヒカルのフォローに思わずホロリとなる奈瀬。
それでも道玄坂の客相手に置き石が増えるのだから力が付いて来ているのは確かの筈。
「越智もプロ試験の時塔矢アキラに鍛えてもらったと聞いたけどよく耐えられたわね」
「とにかく進藤に勝ちたいと必死だったからね、気にならなかったな。でもあんな面があるとは知らなかったよ」
二人の視線の先には塔矢の予選の検討で怒鳴り合っている二人の様子だった。
これでも怒って飛び出さないだけ進歩したと言われるのだから進藤ならあり得るが塔矢が感情をむき出しにする姿に研究会に参加するまで誰も知らなかったのだ。
その後和谷が戻って研究会が再開すると小宮、奈瀬の試験の検討は師匠に任せて和谷、越智、伊角に他にも予定が空いていれば出来るだけ来る様にしているアキラとヒカルも参加しての対局によって鍛え上げていた。
門脇と本田は残りのメンバーと一緒に別の棋譜の検討を行って不満が出ない様に配慮を行っていたのだ。
「平常心を保てば普段勝率5割の相手でも7割位まで上がるよ。例え直接の棋力が変化しなくても焦りや見損じが減るから取りこぼさなくなる。プロ試験ではこれは大きい。
中国で学んだ物で棋譜や何かよりもこれが一番大切だった」
九星会でそう奈瀬に説明する伊角。
「そうであればこの前の道玄坂での塔矢でも進藤の指摘のポイントの発見といかなくても手拍子は防げたはず」
「そうは言っても己の心をコントロールするのは難しいわ」
「だが何時かは出来なければいずれにせよ伸び悩むぞ」
「そうね、頑張る」
既に9月になりプロ試験も佳境となるがここ数年のプロ試験と違い突出した受験者が居らず小宮3敗、奈瀬4敗だが合否が全く不明の状況だった。
研究会での仲間との対局。師匠との検討。自宅での棋譜並べ。やれる事は全てやる。
更にプロになった伊角に教えてもらった平常心の維持。
碁会所での置き石による荒しの鍛え。
これにより院生順位が上位の相手にも勝ったり、去年まで緊張で取りこぼしていた下位の相手にも確実な勝利で白星を重ね10月になる。
その間にもアキラの厳しい指摘に奈瀬も小宮も技術だけでは無く精神も鍛えられていく。
奈瀬は他にも伊角によって癒され適度に精神がリラックスして実力を発揮する結果合格ラインを維持していたのだ、
プロ試験最終日。
小宮は6敗で前回で合格決定。
奈瀬は9敗。ここで勝てば合格、負ければプレーオフ。相手は院生順位1位で10敗の足立との天王山。
伊角を始め研究会仲間は和谷のマンションで待っていた。アキラとヒカルはイベントのゲストで仕事。越智は馴れ合いは不要結果は直ぐわかると不在だったが。
伊角の携帯が鳴る。
緊張の中奈瀬の泣き声が聞こえる。
「伊角くん、私…… 私勝った、プロになったよ」
その瞬間に部屋の中で歓声が上がったが伊角は何も言わずに飛び出していった。
和谷が追いかけようとしたが門脇に肩を掴まれ首を振って遮られていた。
「伊角くん、プロになれたよ。皆の……伊角くんのおかげだよ」
「奈瀬が頑張ったんだからプロになれたんだ」
研修センターから出て待ち合わせ場所で語り合う二人。
その日は心配を掛けた両親の為に早く帰る奈瀬をそのまま送っていく伊角。
仲間からの祝福は後日となった。
新入段者。
小宮 6敗。今西 8敗。奈瀬 9敗。
今年は全員院生出身で18歳が合格であった。
「来年は全員北斗杯予選に出れるんだ。楽しみだな」
ヒカルの何気ない言葉で一挙に気を引き締める小宮と奈瀬。
そして奈瀬に黙って頷く伊角。
勘の良い門脇や次郎丸は二人の関係を察するが賢明にも黙っていたのだ。
その後足立の他フクも院生を辞めプロを諦めると知ったメンバー。
「ボクは大学進学を目指すよ。そしてアマ大会で世界を目指す」
フクこと福井の決意の言葉だった。
大阪某所
「おじさん、今度の高校で囲碁部が出来たよ。清春と同年代でも囲碁が出来るのが居るんだよ」
北斗杯の後、社清春の父に幼なじみの少女がそう訴える。
「だから清春を囲碁に専念させて」
「清春に言われたのか?」
「まさかそんな事頼む訳あらへんのを父親が知らへんでどうすんの」
― 北斗杯2日目。
「親が願っているのは子の幸せです」
解説室から出た時清春の師匠に出会い、囲碁組織の将来が悲観的でありその為の反対で高校進学であると持論を主張したのだ。
「それなら何故院生に、プロになるのを認めたのです」
二人の会話に突然割り込んだ声に驚き振り向く。
「失礼。今日の選手の進藤の父親の進藤正夫です。あなたは囲碁の将来を危ぶんで棋士に反対して高校に行かせているんですね」
「そうです。中卒では将来転職するにも資格を取るにもほとんど選択できません。そのままでは派遣も難しいから最低でも高卒と願うのがいけませんか?」
「一度選んだ進路を専念させずに挫折したら生涯後悔を残す事になります。
最も伸びる時期に学校では一流になるのには難しいでしょう。
歌舞伎役者などは義務教育ですら無駄と言うくらいです。歌舞伎の観客も囲碁と同じくらい先細りの世界ですよ。
どんな世界でも全力で挑むものが尊敬されるのです」
「だが才能があると言われても保証は無い」
「大企業も既に鉄鋼業、最近の家電、半導体の苦境とどこも将来の保証はありませんよ。
私もかつてはエリートと言われた勤務医ですが今では医療費削減に医療ミスによる裁判リスクの3K職場と言われで今も夜勤明けで病院から直接来るくらいですよ」
そう言っても決して後悔はせずに己の仕事に誇りを持つ男の顔があった。
「苦労を掛けさせたくないと願うのがいけない事ですかな」
反論する声には既に張りが無くなっている。
「あなたも仕事の苦労も楽しんでいた時は苦労と思っていなかった筈。
一度息子さんを信じてみてやってください」
「あなたは息子さんを棋士にして後悔しないのですか?」
「幼くともアレも自分で人生を決めた男です。もはや私は見守るだけですよ」
最後の正夫の笑顔が眩しく見えた。
「……おじさん、聞いてるの?」
「ああ済まない」
「もう、だからうちらじゃ大会上位は無理な初心者ばかりだけど、それでもボランティアで近くの幼稚園や小学校に教えに行って裾野を広げるの。
将来が不安と言って反対するのは簡単だけど少しでも碁を知ってもらって可能性を広げないと」
「はやてちゃんは前向きだね」
「テニス生命は断たれたけれど生きているもの」
そう元気に笑うはやてちゃんこと中島はやて。
(将来性のあるテニスでもいつ選手生命を失うか判らん世界だ。安泰という言葉はどこにもない)
「社強化プロジェクトって知っているかな?」
「えっ?」
社強化プロジェクト
北斗杯で改めて中韓のレベルの高さと塔矢と進藤という同世代の東京者のレベルも。
そしてその二人に刺激される関東の若手たち。
中部、関西の組織のトップはその事実に震撼した。
このままでは海外はおろか関東にも取り残されると。
そこで名古屋、大阪の院生に地元棋士が積極的に講師に参加。
新人の底上げを図り本命の社には。
大学出身棋士が英語に現国、数学に物理、化学といった教科を教え赤点を防ぎ出来るだけ囲碁に専念するように手伝ったのだ。
社会系の教科は年ごとに内容が変わるので自習に任せたが。
そして社の素質に惚れ込んだトップたちは石橋棋聖を始め多く現れ、手が空けば積極的に対局する様に協力して経験不足を補っていた。
実際に社は棋戦の手合も始まれば勝ち進む事が予測されたのだ。
とにかく社を中心に若手の強化が始まり名古屋の院生にも一人有望なのが出たと言う話も出てきたくらい将来が楽しみなのだ。
「清春にそんな価値があるのですか?」
師匠の吉川にそんな事を聞いたりもした。
「素質だけであらへん、ご両親の育てた結果の人格に皆が好んだのです。だから積極的に育てようと思ったんや」
「そうですか」
そうやって今日も関西棋院で打ちに行っていたのだ。
「ほえー、清春って期待の新人さんだったんや。なおさら学校が勿体無いじゃん」
「確かに。本当に一生を掛けるのかと聞いて当然と清春も応えたがな。
結局あいつの人生だ好きにするが良いと言ったら一学期で辞めると決めたよ」
「おじさん、それ酷い」
「何、聞いてこないから言わなかっただけだ。あいつも既に言っていると思ったんだがな」
そう言いながら我が息子は情けない奥手だと内心思っていた。
「はぁ~、空回りだったんか」
「教える子供たちにプロが生まれたり、将来スポンサーになる社長が出るかも知れないから頑張れば良い」
「おじさん、変わった?」
「かもしれない。清春を一人前と認めたからだろう」
そんな時に丁度清春が帰ってきて父親に彼女を送るように言って再び外に出て行った。
「何で辞めるって言ってくれんかったんや」
「休み明けに言うつもりだったんだ」
「せっかく囲碁部作って説得しようとしたのに恥かいたじゃない」
「それは済まんかった」
「テニスを諦めた身には囲碁も良いから無駄では無いけどね」
日常生活には支障はないが激しい運動は止められた故障した右肘を持つはやて。
だからこそ社も棋士として時間を無駄に出来ないと自覚し父親も認め母親を漸く説得したのだ。
社も夏からプロの道一直線となる。
あとがき
奈瀬プロ入りと社二足の草鞋を脱ぎます。
女流枠の無いヒカルの碁で悩みましたが合格。
勝率も実際に近付けて敗北数を増やしました。
代わりに足立とフクが院生を辞めプロを諦めました。
社も院生は高校に行っているのも多くてもプロになってからはどうかと?
ここで進藤の父とぶつけて揺さぶって、子供として保護者だからという視線から対等の男同士として認めさせました。
三年間の高校生活はアキラ、ヒカルとの差が広がると思って中退。
今後もライバルとして成長していくでしょう。
実際規模の小さい関西棋院は苦しいようだから父親の懸念も正しいのかもしれないけど、それでも親のエゴにしか見えないから見守るが好きにさせるに変わりました。
現実の井山、一力も中卒だしトップを狙うなら高校はハンディにしかならないと思いました。
中国の囲碁道場の紹介テレビ。月~金まで朝から晩まで囲碁の勉強のみ。土日に最低限の一般教養の勉強とプロに成れなかったら潰しの利かない教育。日本は負けるはずと思ったから社も中退決定。