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No.40336の一覧
[0] 聖将記 ~戦極姫~ 【第三部】[月桂](2014/08/15 00:02)
[1] 聖将記 ~戦極姫~ 第一章 京嵐(二)[月桂](2014/08/15 23:44)
[2] 聖将記 ~戦極姫~ 第一章 京嵐(三)[月桂](2014/08/21 22:47)
[3] 聖将記 ~戦極姫~ 第一章 京嵐(四)[月桂](2014/08/25 23:54)
[4] 聖将記 ~戦極姫~ 第二章 瑞鶴(一)[月桂](2014/09/03 21:36)
[5] 聖将記 ~戦極姫~ 第二章 瑞鶴(二)[月桂](2014/09/06 22:10)
[6] 聖将記 ~戦極姫~ 第二章 瑞鶴(三)[月桂](2014/09/11 20:07)
[7] 聖将記 ~戦極姫~ 第二章 瑞鶴(四)[月桂](2014/09/16 22:28)
[8] 聖将記 ~戦極姫~ 第三章 雨月(一)[月桂](2014/09/19 20:57)
[9] 聖将記 ~戦極姫~ 第三章 雨月(二)[月桂](2014/09/23 20:30)
[10] 聖将記 ~戦極姫~ 第三章 雨月(三)[月桂](2014/09/28 17:53)
[11] 聖将記 ~戦極姫~ 第三章 雨月(四)[月桂](2014/10/04 22:49)
[12] 聖将記 ~戦極姫~ 幕間[月桂](2014/10/12 02:27)
[13] 聖将記 ~戦極姫~ 第三章 雨月(五) [月桂](2014/10/12 02:23)
[14] 聖将記 ~戦極姫~ 第三章 雨月(六)[月桂](2014/10/17 02:32)
[15] 聖将記 ~戦極姫~ 第三章 雨月(七)[月桂](2014/10/17 02:31)
[16] 聖将記 ~戦極姫~ 第三章 雨月(八)[月桂](2014/10/20 22:30)
[17] 聖将記 ~戦極姫~ 幕間[月桂](2014/10/23 23:40)
[18] 聖将記 ~戦極姫~ 第四章 黎明(一)[月桂](2018/06/22 18:29)
[19] 聖将記 ~戦極姫~ 第四章 黎明(二)[月桂](2018/07/04 18:40)
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[40336] 聖将記 ~戦極姫~ 第二章 瑞鶴(二)
Name: 月桂◆3cb2ef7e ID:fbb99726 前を表示する / 次を表示する
Date: 2014/09/06 22:10

 南近江 観音寺城


「その方ら、上杉の幽閉を解けと申すのか?」
 観音寺城の一画におかれた弓道場、そこで日課の稽古をおこなっていた六角義治は、傍らでひざまずく二人の重臣に冷めた声をかけた。
 ふたりの重臣の名は後藤賢豊(ごとう かたとよ)と進藤賢盛(しんどう かたもり)という。
 いずれも智勇兼備の人物で、政治、軍事、外交といったあらゆる分野で功績を積み上げ、陰に日向に六角家を支えてきた。『六角の両藤』を知らない者は南近江に存在せぬ。まさしく柱石と呼ぶべき宿老たちであった。


 そのふたりが硬い表情であらわれ、つい先ごろ甲賀の地で捕らえた越後の主従を解放せよと訴えている。
 義治は唇を曲げて云った。
「早朝からの登城、何か変事でも出来したかと思えば、そのようなことであったか」
「――失礼ながら、若。そのような、の一言で済ませてよい問題ではございませぬ」
 謹厳な表情で、謹厳な声を紡ぐ賢豊。
 隣の賢盛も、ヒゲ面を困惑に染めながら僚将に同意した。
「後藤どのの申すとおり。庇護を求めてきた相手に一度は諾を与えておきながら、身柄をおさえた後に態度を翻すなど信義にもとること甚だしゅうござる。顔をつぶされた和田家も若の所業を恨みに思いましょう」


「さすがは我が六角の重鎮よ。耳が早い」
 二人の諫言に対し、義治は薄笑いで応じる。
 義治は二人から視線を外し、中断していた稽古に戻る。
 矢を番え、弦を引き、これを射る。一連の動作は流れるように鮮やかで、こと弓術に関するかぎり、賢豊も賢盛も義治に教えられることは何もない。
 六角家は先代当主義賢、その嫡男である現当主義治のいずれも、家臣 吉田重政(日置吉田流弓術の継承者)から弓を習っており、その腕前は並外れたものであった。


 たゆまぬ鍛錬の成果でもあるのだろう、片肌脱ぎの格好で弓を射る義治の身体は均整がとれており、遠くの的を見据える眼差しは猛禽のそれにも似た猛々しさがある。その美々しい姿は、六角家の家臣たちに新たな英主の登場を予感させるに十分なものであった。
 むろん、まだ義治が年若な当主であることも事実。諸事に性急であったり、不備が散見されるのはいたし方ないことであろう。そのあたりを補佐するのが老臣の仕事である、と賢豊たちは心得ていたし、実際、今日まで彼らなりに誠実に若年の主君を補佐してきたのである。
 ――ただ、義治はそういった家臣たちの容喙を好まなかった。



「六角の当主は私だ。私のやることに、いちいちそなたらの許可を得る必要はあるまい?」
 皮肉げなその一言が両藤に対する義治の感情を物語っている。
 賢豊と賢盛は、ひざまずいた格好でちらと目線を交し合った。賢豊が口を開く。
「確かに若は六角の当主にございます。その下知に従うのが我らの務め。ただ願わくば、若の存念をお聞かせいただきたい。六角と上杉の間にはいかなる遺恨もなし。むしろ将軍家に忠なる上杉は、義輝公をお助けしてきた我らと志を同じくする者ではありますまいか。上杉もそう考えればこそ、京より逃れきて我らに助けを求めたと思われます。窮鳥、懐に入りてこれを殺さぬは人の情、武士の仁。今、あえてこれを討つことにいかなる意義がありましょうや」


 賢豊の質問――というより詰問に義治は吐き捨てるように応じた。
「上杉が我らの同志? 賢豊、その方、まだ五十路に達しておらぬはずだが、はや呆けたか。越後などという辺土の守護職、しかも当主の景虎はつい昨日までその上杉の家老ずれに過ぎなかった奴輩だぞ。それがどうして近江源氏の嫡流たる我が六角の同志たりえるのか。血筋、家柄、そして将軍家に対する諸事の貢献。どれをとっても我が家は上杉よりもはるかに優る。くらべものにならぬといってもよい。しかるに、あの公方めは我が家を無視し、上杉ごときを次の管領に擬しおったッ」
 憎々しげな声音には上杉家に対する蔑視と、その上杉家を重んじてきた義輝に向けた軽侮が含まれている。その言葉を聞いた誰もが感じ取れるほど濃厚な感情であった。


 義治の誹謗はなおも続いた。
「そもそも三好によって都から逐われた公方が御所に戻れたのは我らの勲ではないか。我らが江南をしっかと支配し、後ろから公方を支えたればこそ、公方は将軍として都に居続けることができたのだ。それらの功を一顧だにせず、一度や二度上洛したというだけで上杉を登用しようとした公方は、見よ、御所を攻められ無様に果てた」
 あまりといえばあまりの言葉に、賢盛がたまらず口をはさんだ。
「若! お言葉が過ぎまするぞッ!」
 ヒゲを震わせた強い叱責に対し、義治は冷笑で応じた。言葉を改めることなく、さらに先を続ける。
「哀れとは思う。が、助けられなんだと悔やむ気持ちはない。国境に兵を配したのは都の混乱が江南に及ぶのを防ぐためであって、恩知らずの仇を討つためではないのだ。功臣に報いず、賎臣を重用した愚かな将軍が、愚かな最期を遂げた。先の乱はただそれだけのこと。我が家の真価を知るのは味方した将軍より、むしろ敵にまわした三好の方であったよ」


 それを聞いた瞬間、賢豊の目に鋭い光がはしった。
「……若。ただいまのお言葉、どのような意味で仰ったのか?」
「そのままの意味だ。つい先日のこと、三好家から私のもとに使者が来てな。これまでのことは互いにすべて水に流し、今後はともに日ノ本のために力をあわせようではないかと申してまいった。応じてくれたのならば、新たな将軍の下、この身を管領に任ずるという確約と共にな。そのための条件として提示されたのが上杉の身柄だ」
「まさか……受諾なさったのか? 三好家は将軍殿下を弑し奉った大逆の家ですぞ。その三好と組めば、将軍殺しの悪名は六角家にまでふりかかりまする」
 賢豊の言葉に、賢盛もそのとおりだとばかりに力強くうなずいた。
「それよりも、ここは将軍家の仇を討つと称して立ち上がるべきでござろう。三好の内部も相当に混乱しておる様子。将軍の仇を討つという大義の下、敵の混乱をつけば御家の大勝利は間違いなしでござる。三好めを都から逐った後、しかるべき人物を新将軍として擁立して畿内を制する。これがかなえば、六角家の名は将軍家の二なき藩屏として、全国津々浦々にまで轟きわたるでござろう」




 膝を進めた賢盛は熱い声で進言したが、その熱は若き当主の心を溶かすにはいたらなかった。義治は冷めた声で告げる。
「かつて我が父はそなたらの進言に従い、三好と戦って公方をたてた。逆臣に都を逐われた公方を匿い、彼奴らと刃を交えてついには都を取り戻したのだ。で、その結果、どうなった? 打ち勝ったはずの三好家は強大になる一方であり、助けたはずの公方は恩を忘れて賎臣に媚びる有様。実利を得られず、名誉もなく。近年では浅井の小せがれにさえ敗れる始末ではないか。野良田(のらだ)の戦いにはそなたも出ていたはずだな、賢盛? 浅井に勝てぬ程度の兵術で、よくも三好に勝つなどといえるものだ」


 揶揄するようにいわれ、賢盛はぐっと唇を引き結ぶ。 
 義治が口にした野良田の戦いとは、北近江の浅井長政と六角家との間に起きた合戦である。
 戦いが起きた理由はいくつもあるが、要するに六角家の弱体化を見抜いた浅井家が、北近江の支配権を確固たるものにすべく兵を発したのであり、六角家は当時、まだ当主であった義賢みずからが出陣した。この時、義賢に付き従った将の中には、義治がいったように進藤賢盛の名もあった。
 この戦いにおける六角家の作戦は、進藤賢盛と日野城主の蒲生賢秀の両名が主導したものであり、結果はいうまでもなく六角家の敗北であった。



「戦乱の世を卓抜と生き抜いてきたそなたたち宿老の知恵、軽んじるつもりはない。だが、そなたたちの知恵に限界があることは、この一事を見ただけでも明らかなのだ。これより先の六角家は若き知恵、若き力によって進んでいくべきである――そのようにお考えになったからこそ、父上は若輩の私に家督をお譲りになった。ゆえに、私は私がよしと考えた道を、ためらいなく進むであろう」
 迷いのない口調で断言した後、義治はひざまずく賢豊の顔をじっとみつめた。
「賢豊よ、これが私の存念だ。こうして知るにいたったからには、我が下知に従ってくれるのであろうな? それこそ臣たる者の道である、とそなたは先ほど、そなた自身の口で申したのだから」
 賢豊は主君の眼差しを真っ向から受け止めると、真摯な声で応じた。
「は、確かに申し上げました。したが、若。いま少し拙者の話をお聞きいただきたい」
「それがしからもお願いもうしあげる。先の戦での不手際、弁明のしようもございませぬ。若がご不信を抱かれるのも当然でありましょうが、此度の件をしくじれば、先の戦とはくらべものにならぬ不利益が――」


 賢盛も勢い込んで口を動かす。
 しかし、義治はどちらの話も最期まで聞こうとはしなかった。
 先を続けようとする二人に対し、苛立たしげに手を振って憤然と告げる。
「もうよい」
「若、どうか――」
「もうよいと云った!」
 義治は怒りに震える声で重臣ふたりを叱咤する。もはや隠そうとする素振りさせ見せず、義治は両藤を憎々しげに睨みすえた。


「当主の下知に従うのが我らの務め? ふん、おためごかしを。賢豊、それに賢盛もだ。そなたらはな、はじめから私の下知に従うつもりなぞないのだ。そなたらは、ただ当主の下知を、おのれらの都合の良いものに変えることだけを望んでいる。後藤家にとって都合の良いもの、進藤家にとって都合の良いものにな。そうして自分たちの家を肥え太らせ、家人どもに恩を売り、やがては六角家を乗っ取るつもりであろう? 京極を追い落とした浅井のように」
 義治の言葉は明らかに越えてはならない一線を越えていた。
 物に動じない賢豊の表情が強張り、賢盛の顔が紅潮する。
「若! それは……それはあまりといえばあまりなお言葉ですぞ!」
 憤然とした家臣の激語に対し、義治はより強烈な怒声で応じた。
「そう、それよ! その呼び方こそ、そなたらが私を軽んじている何よりの証! いつまで経っても、若、若、若! この身は六角の当主であるぞ! 殿と呼ばぬかッ!!」


 叫ぶと同時に、義治は構えていた弓矢を、的ではなく二人の家臣へと向けた。
 凝然と座り込む両藤に対し、義治は奇妙に平静な声で告げる。
「者ども、出会え」
 その声に応じて、弓道場の入り口から十名近い家臣たちが駆け寄ってくる。いずれも義治の側近であり、後藤家、進藤家の者はいない。
 二人は一報を聞いた段階で急いで登城してきたため、もとより連れて来た家臣はすくない。その家臣たちも、義治の指図でこの場からは遠ざけられていた。


 後藤賢豊と進藤賢盛の名と顔を知らない者は六角家中に存在しない。隠れもない六角家の重臣ふたりが、主君から弓矢を向けられている。その驚愕すべき光景に、だが、駆けつけた家臣たちは誰ひとりとして驚きを示さなかった。
 その平静が、無言が、幾たびも戦場を駆け抜けた宿将たちの背に悪寒をはしらせる。
 ――いや、悪寒、などという不確かなものではない。少なくとも賢豊の方は、この段階で義治の意図を察していた。


 かつては自らの手で襁褓(むつき)をかえたこともある若者に、賢豊は静かに言葉を向ける。
「若……義治さま。これが、あなたさまのやり方でございますか」
「そうだ、これが私のやり方だ。自らの家を太らせることのみを考え、主家に仇なす不忠の臣は、ことごとくこれをうち滅ぼす」
「そのように荒々しき手つきで政事(まつりごと)を行えば、その反動はいずれ必ず御身に返ってきましょうに」
「だからといって手をこまねいていては、どの道、滅亡を待つのみだ」
 そういった義治は、賢豊の顔を見てほんのかすかに憐憫の表情を浮かべた。


 短いためらいの後、義治の口から押し殺した声がこぼれでる。
「賢豊……後藤家は、そなたの存在は、今の六角家には大きすぎる。そなたが家中にあるかぎり、誰も彼もが私ではなくそなたを見る。仮にそなたが隠居したとしてもかわらぬであろう。私が名実ともに六角を背負って立つためには、そなたを除く以外に手がないのだ」
 それを聞いた賢豊は、束の間、天を仰いだ。義治の挙が昨日今日考えたものでないことを理解したのだ。
 現在、六角家の有力者の大半は三好軍に備えて国境に配されている。同時に、危急の際に備えて両藤は観音寺城に詰めているように、という命令を義治はくだしていた。今にして思えば、この配置も計画的なものだったのだろう。
 義治は京の変事を奇貨として重臣たちの粛清に乗り出したのだ。


 賢豊は若き当主の決断に未来の破滅を予感したが、もはや義治の意思を覆すことができないのは火を見るより明らかであった。目を閉ざし、口を一文字に引き結んだ賢豊は、それから後、ついに一言も発することはなかった。
 他方、おさまりがつかないのは賢盛である。
 朋輩と当主の会話で事の次第を悟ったのか、その声は怒りに震えていた。
「若! ここで我らを斬れば、若が家中を統べることは未来永劫かないませぬぞ!」
「それはそなたらを生かしておいたところでかわらぬ。今現在、そうであるように、な」
「……まさか、此度のこと、承禎さま(六角義賢)もご承知のことか」
「然り。もっとも、父上は私がお前たちの命を奪うとまでは思っておらぬ。精々が無礼を咎めて蟄居させ、家督を息子どもに譲らせる――その程度に考えておられるのだろうな」
 義治もその手は考えないでもなかった。だが、そうしたところで、どうせ有象無象の家臣どもが寄り集まって両藤を復権させるに決まっている。以後は今以上に窮屈な政道が待っているだけだろう。


 六角家が戦国大名として自立するためには、これまでのように国内豪族の旗頭という立場ではいけない、と義治は考えていた。他の雄敵と渡り合うため、家中にゆるぎない主権をうちたてておかねば、この先の勢力争いで生き抜くことはできない。
 時間さえあれば、時をかけて有力者たちの勢力をそぎ落としていくこともできる。単純に彼らが死ぬのを待っても良い。義治は彼らより二十以上も若く、当然、彼らは義治よりも二十年以上早く死ぬ。そこから家中の実権を握っていけば血を流す必要もないだろう。
 だが、しかし。
 北近江では浅井家が守護である京極家を追い落とした。
 隣国美濃では油売りから立身した斎藤道三が、これも守護である土岐氏を追い落とし、その道三も尾張斯波家の家老であった織田家によって先ごろ滅ぼされている。同じことが江南の地で起きぬと誰にいえようか。
 そこにきて、二条御所の乱である。
 もはや時代の趨勢は疑いなく乱世に向かって突き進んでいる。
 悠長に構えていられる時間は過ぎ去った。義治が粛清を決断した所以である。








 事が終わった後、義治は側近たちに厳然と命じた。
「手はずどおり、後藤、進藤、両家の屋敷に兵をいれよ。余の者は知らず、息子どもは断じて逃がすな!」
「はッ!」
 数名の家臣が足早に立ち去っていく。それを見送る時間も惜しみ、義治は矢継ぎ早に指示をくだしていった。
「各地の城主に使いを走らせよ。後藤賢豊、進藤賢盛。両名、当主たるこの義治に対して看過しがたき無礼の段、これあり。義治、家法に従ってこれを斬り、もって秩序を遵守せり、とな。とくに蒲生、三雲の両家には私がしたためた書状を必ず届けよ」
 その二家は義治が頼みとする家である。もっとも、今回の件を事前に話せば必ず反対されたであろうから、計画を打ち明けているわけではない。特に蒲生の当主は後藤賢豊と縁が深いため動向には注意を要するが、実直な為人から推しておそらく義治の命令に叛くことはないだろう。
 それに、叛いたら叛いたで計画を前倒しすれば良いだけのことである。多少、無理をすることになるが、義治には成算があった。


「主だった家臣の大半は国境に差し向けている。三好軍と対峙している奴らは身動きがとれぬ。ゆえに刃向かう者がいるとは思われないが、くれぐれも警戒は怠るな」
「はは!」
 命令に応じて側近たちが慌しく動きまわる中、ひとりが義治に問いかけた。
「殿、上杉の処遇はどうなさいますか?」
「上杉?」
 問われた義治は、一瞬、眉根を寄せた。正直なところ、その名は意識の外にあった。
 義治にとって越後の主従は賢盛たちを誘き寄せる餌であった。名高き上杉家の一行を捕らえたときけば、必ず両藤は義治の真意をただすためにやってくるだろう。謙信たちが江南にやってきたことは、有力者粛清の機をうかがっていた義治にとって願ってもない切っ掛けとなったのである。



 そうして事に及んだ義治にとって、すでに謙信たちの役割はほぼ終わっていた。
 賢豊に語った上杉家への軽侮は嘘ではなかったが、肝心の将軍がすでに亡い以上、あとに残るのは管領と銘打たれた空手形のみと思えば憐れみさえおぼえる。どこかに適当に閉じ込めておき、折を見て三好家に引き渡せば良い。その程度に考えていた。
 しかし。


「上杉の当主は姉や一族の長者を退けて越後を統べるにいたった者。従容として殿に進退をあずける潔さは持ち合わせていないと思われます」
「ふむ」
「くわえて、三好の思惑も気にかかりまする」
 義治としては、両藤を除いた混乱を収めるまでは三好家と事を構えたくない。管領職も得られるとなれば、なおさら上杉の引渡しを拒む理由はなかった。
 しかし、引き渡された三好家が、この事実をどう利用するかは気をつけねばならない、と側近は懸念をもらす。


 おそらくではあるが、三好家――もっといえば三好三人衆は、義治を将軍弑逆の共犯者として引きずり込む魂胆があるのではないか。
 義輝の忠臣であった上杉一行を六角家が捕らえた。この事実を利用して、世間に六角の関与を疑わせるのは難しいことではない。それが成功すれば、もはや三人衆と六角家は一蓮托生となり、義治としては自家を守るために今後とも三人衆に協力せざるをえなくなる。孤立を深めつつある三人衆にとっては願ってもないことだ。
 最悪の場合、向こうはすべての責任を六角家になすりつけてくるかもしれない。


 むろん、こちらはそれを否定することができる。しかし、将軍の忠臣を捕らえたという事実が喧伝されればどうなるか。
 将軍弑逆に関わってはいない。けれども、将軍の忠臣は弑逆者に引き渡した。
 この義治の行動は、世間の者の目にはいかにも胡乱に映ってしまうことだろう。




 この側近の意見は、義治にも首肯することができた。
「なるほどな……」
 粛清に関して悪名をかぶるのは覚悟している。しかし、自分で企んだわけでもない将軍弑逆の片棒を担がされるのはごめんであった。ましてすべての責任をおしつけられるかもしれぬとあらば、再考の余地はある。
「――いっそ、斬ってからどこぞに埋めるか。あとくされのないように」
 義治の目に危険な光がよぎる。
 ひとたび約を違えて捕らえた以上、上杉側の義治に対する心象は最悪であろう。ここで解き放っても害こそあれ益はない。これから家中の統制に専念したい義治としては、面倒ごとの種は早めに処理しておきたいところだった。


「それがよろしいかと存じます。故意に情報を流した両藤をのぞけば、上杉主従を幽閉したことを知る者はごくわずか。向後、彼奴らの行方については知らぬ存ぜぬで押し通すことができるでしょう」
「よし、三雲城の成持(しげもち 三雲城城主 三雲成持)に伝えよ。それと、まさか邪魔されることはあるまいが、すべてはひそやかに、かつ迅速にとりおこなうよう命じておけ」
「御意」
 側近はうやうやしく頭を垂れる。


 これよりしばらく後、観音寺城から南に向かって早馬が放たれた。



◆◆



 南近江 日野城


 六角家中において、主家を支える藩屏と目されていた後藤賢豊と進藤賢盛の両名が、当主 義治の手で無礼討ちに遭った。
 その知らせは江南の地を疾風となって駆け巡った。
 わけても観音寺城の南の守りである日野の地にはもっとも早く知らせが届けられていた。日野城をおさめる蒲生賢秀(がもう かたひで)が、いわゆる六家老と呼ばれる大身の重臣であることが理由であったが、もうひとつ、賢秀の奥方が後藤賢豊の妹だったからでもある。
 賢秀は主君によって義理の兄を討たれたのだ。


 日野城奥座敷では、当主の賢秀と、賢秀の父である蒲生定秀(さだひで)が眉間に深いしわを刻んで善後策を講じていた。
 定秀は六角家の先々代当主 定頼、先代当主 義賢と二代にわたって六角家に仕え、重臣中の重臣として家中で重きをなしていた。現在では家督を息子に譲って楽隠居の身であるが、蒲生家中はもとより六角家中においてもその影響力はまだまだ大きい。
 それでなくても、今回の一件は六角、蒲生の両家にとって御家の一大事となりかねぬ。というより、すでになっている。隠居の身だからとて傍観しているわけにはいかなかったのである。


「――では、まことに若殿は賢豊と賢盛を手討ちにしたのだな? 間違いないのか」
「はい」
 いまだに信じられぬ、といいたげな定秀に対して、賢秀はうなだれるように首を縦に振った。
「仔細を伝えてきた殿の書状は直筆、また観音寺に走らせた使いの者も先刻戻ってまいりました。謀反人として晒されていた首級は、間違いなく義兄と進藤どののものであったそうです」
「……なんという」
 父と子は互いに目を見交わし、そこに自分と同じものを見出して暗然となった。
 義治は無礼討ちと主張しているが、蒲生という名家をみずからの手で差配してきた二人にとって、主君の内心はあまりにも明白であった。


「父上、これはどうあってもこのままで収まる事態ではございません」
「当然じゃ。若殿は御家を支える双璧を、みずからの手で叩き割ったのだぞ。賢豊も賢盛も良き臣下であると同時に人望厚き当主でもあった。慕う者、頼りにする者は無数といってよい。これより家中を襲う騒擾は、疑いなく御家を揺るがすものになるじゃろう」
 父の言葉に賢秀は力なくうなずいた。
 兄の死を知った賢秀の妻は床に伏しており、事態を知った家臣たちの動揺をおさえるのも簡単ではない。後藤家の縁戚であり、進藤家とも深いつながりを持つ賢秀のもとには、すでに両家からの使者もやってきていた。
 内に外に積み重なった難問の山は、働き盛りの賢秀を憔悴させるに十分なものであった。


 さらに別の問題もある。
「今のところ、殿はこれ以上粛清を続けるご様子はありません。しかし――」
「うむ……この先どうなるかはわからぬな。蒲生家もまた江南の雄。両藤を目障りと思うた若殿が、蒲生のみを見逃す理由はない。いや、自身の手で書状を送ってきたくらいなのだ、おそらく若殿は蒲生家、というよりおぬしのことは信頼していよう、賢秀。だが、それがいつまで続くかは誰にもわからん。それに、仮に若殿がそなたへの信を見せ続けたとしても、それはそれで問題じゃ。蒲生家が若殿をそそのかして事におよんだのだ、などと言い立てる輩があらわれるかもしれんからの。わしにせよ、そなたにせよ、味方は多いが、敵も多いでな」
 戦国の世で大家を維持しようとすれば、望むと望まざるとに関わらず決断を下さねばならない時は多い。結果、他者の恨みを買うこともまた。


 盲目的に主君に従うことはできぬ。反六角家、反義治の旗手になることもできぬ。かといって両者に近い蒲生家が中立を保つことはほぼ不可能。
 どれだけ考えても八方ふさがり、そのくせ対応を誤れば蒲生家が滅びることだけは間違いないときている。
 定秀と賢秀は深刻な顔で眉間をもみほぐす。先刻からずきずきと響く頭の痛みは、どれだけ時間が経っても一向におさまらず、それどころか強く、激しくなりつつあった。




 と、その時だった。
 とたとた、という軽い足音と共に、室内に澄んだ声音が飛び込んできた。
「とと様、じじ様!」
 跳ねるような足取りで現れたのは、今年十歳になったばかりの賢秀の娘 鶴姫である。
 にこやかにほほえむ孫の顔を見たとたん、それまで暗い面持ちで思案にふけっていた定秀の渋面が、瞬く間に好々爺のそれに変じた。
「おお、鶴ではないか! こちらにまいれ」
「はい!」
 固く凝った部屋の空気を蹴飛ばすように軽快に祖父に駆け寄った鶴姫は、そのまま祖父の胸に飛び込んでいく。
 老いてなお頑強な身体でがっしりとその身体を受け止めた定秀は、孫の頭をなでながら大きな声で笑った。
「ふはは、鶴は今日も元気じゃのう」
「はい、鶴は元気です、じじ様!」


 目の前で繰り広げられる父と娘の交歓を、賢秀は苦笑まじりに眺めていた。定秀が子煩悩ならぬ孫煩悩であるのは今にはじまった話ではない。定秀は鶴姫の器量を常々ほめたたえており、孫の将来が楽しみだといった類の言葉を日に三度は口にする。
 鶴姫の器量に期待しているのは定秀ばかりではなかった。亡くなった後藤賢豊なども「蒲生の鶴どのは鳳の雛よ」と方々で称賛してまわっており、姪に会うたびに目を細め、猫かわいがりしていたものだった。


 娘の将来に期待するという点で賢秀は祖父たちに劣らない。ただ周囲の大人が甘やかしてばかりでは、まだ小さな跡取りの心に驕りを芽生えさせてしまうかもしれぬ、と危惧していた。
 ゆえに賢秀自身はなるべく娘に対して厳しく接するように心がけている。鶴姫はそんな父親に反発を示すことなく、そのいうことを良く聞き、決して家臣たちに傲慢に振舞うことはせず、身分の低い者たちにもわけへだてなく声をかけた。そんな素直でよくできた娘から「とと様、とと様」と慕われているのだ。賢秀の「厳しさ」も推して知るべし、ではあった。


 しばし後、定秀から離れた娘に賢秀が問いを向ける。
「鶴、そなた、かか様のもとにいたのではなかったか?」
「はい、かか様のお部屋でお話の相手をつとめておりました。さきほどかか様がお眠りになられたので、お邪魔にならないようにこちらへ参った次第です」
 ちょこんと姿勢ただしく座った鶴姫が、父の問いにはきはきと答える。
 賢秀は思わず緩みそうになる頬をなんとかおさえながら、やや厳しい声を出した。
「そうか。だが、今、父はじじ様と大事な話をしておる。そなたはさがっていよ。こんぺいとうといったか、そなたの好きな南蛮菓子をもって後で部屋に参ろうほどにな」
 その言葉を聞いた鶴姫は一瞬目を輝かせたが、すぐにそんな自分を恥じるようにぐっと唇を引き結ぶと、真剣な表情で口を開いた。


「とと様」
「む、どうした?」
「後藤のおじ様のこと、鶴も耳にいたしました。口はばったい申しようではありますが、今は御家の一大事、ではないでしょうか。鶴は蒲生家の跡取りとして、わずかなりと、とと様とじじ様のお力になりたく存じます」
 思わぬ娘からの申し出に賢秀は目を丸くする。
 一瞬、戯言を口にするな、と叱りつけるべきかと考えた。が、鶴姫は真剣そのものといった様子で父親の顔を見つめている。少なくとも増長や戯れで口にした言葉ではないようだ。


 これが単純な政務の話であれば、賢秀は特に迷うこともなくうなずいたであろう。
 だが、今回の一件は鶴姫にとって主君が実の叔父を斬り捨てたというものだ。十歳の娘にとって、いかにも酷である。
 娘の心を傷つけないよう、賢秀はなるべく穏やかな口調で再度部屋に戻るようにと云おうとしたが、ここで定秀が孫に賛同した。
「よいではないか、賢秀」
「父上? しかし……」
 定秀は目を細めながら鶴姫を見やる。
「蒲生の跡取りが、御家の一大事に自分も役に立ちたいと望む。何もおかしなことではない。わしとそなたが渋面をつきあわせても良き思案は浮かばなんだ。であれば、若き鳳の考えを聞くのもまた一案よ」


 何も鶴姫の考えを蒲生家の決定とするわけではない、と定秀は云う。
 おそらく定秀は強張った思考を解きほぐす切っ掛けを欲しているのだろう。そう思い至った賢秀は、仕方ないと肩をすくめつつ、鶴姫にこの場に残るよう言い渡す。
 それを聞いた鶴姫は目を輝かせて礼を云った。
「ありがとうございます、とと様! じじ様!」
「その代わり、この場にいるかぎりそなたを子供扱いはせぬぞ。蒲生の跡取りとして、一個の武士として己の考えを練り、しっかりと口にせよ。浅き思慮で発した弱き言葉は、誰の耳にも届きはせぬ」
「はい、心得ました!」



 かくて再開された祖父、父、娘の話し合いは定秀と賢秀の状況整理からはじまった。これは鶴姫に事態の詳細を伝えることにもなる。
 鶴姫は伯父である賢豊はもちろん、進藤賢盛とも面識がある。当然、当主の義治にも。どの人も、程度の差はあれ、鶴姫に優しく接してくれた。戦に出た知人が戻らなかった経験はあっても、知人が知人を手にかけるという経験ははじめてのこと。鶴姫は膝の上で震える拳をぎゅっと握り締め、その衝撃に耐えている様子だった。
 だが、話が終わる頃には手の震えもおさまったようで、その顔にはきわめて真剣な表情が浮かんでいた。


 定秀は孫に向かって静かに問いかけた。
「鶴よ、そなたであればこの状況、どう動く?」
「鶴なら……」
 鶴姫はそこで言葉を切った。祖父と父が様子をうかがう中、言葉を続けようとはしない。
 当然といえば当然の反応だった。わずか十歳の少女にすぐさま打開の案が思いうかぶはずもない。少々せかしすぎたかと考えた定秀が口を開こうとした、その寸前だった。


「鶴なら、今この時を転機とみなします」


 定秀が賢秀を、賢秀が定秀を、それぞれうかがった。
 二人は視線の先に自分と同じ戸惑いを見出し、相手が自分と同じ心持ちであることを知る。
 二人は「殿さまを諌める」ないし「両藤をなだめる」といった具体的な対策が出るかもしれぬ、とは考えていた。
 だが、今回の件を転機とみなす、とはどういうことか。苦し紛れに吐き出した妄言とは思えないのだが……


 賢秀がやんわりと問いかける。
「鶴。転機、とは何を指して申しておる?」
「蒲生の御家が、新たな道に踏み出す時。そういう意味で申し上げました」
 返って来た答えはいささかのためらいも揺らぎもないものだった。
 明哲な思慮の下に発された、明晰な言語。
 思わず孫の、娘の顔を見直した定秀と賢秀を前に、鶴姫はゆっくりと自分の考えをつまびらかにしていった……

 



◆◆





「うゆー、疲れたよぉ……」
 部屋に戻ってくるや、そういってだらしなく倒れこんだ鶴姫を見て、傍仕えの三雲賢春は思わず眉根を寄せてしまった。
 しかし、すぐにその顔は気遣わしげなものになる。
 普段であれば、だらしがないですよ、と注意の一つもするところなのだが、今の鶴姫が文字通りの意味で疲れ果てていることを賢春はよく承知していた。
 鶴姫の頭の下に柔らかい布枕をあてがうと、そっと問いかける。


「父君とご隠居さまはなんと仰せでした?」
「じじ様はなんか大笑いしてたよ。とと様には、猫をかぶっておったなって小突かれた……うう、別に猫をかぶってたわけじゃないのに」
 横になったまま、すねたように膝を抱える鶴姫を見て、賢春はくすりと笑った。
「ええ、そうですね。姫さまはただ、もう少しの間、とと様とじじ様に甘えていたかっただけですもの。猫をかぶっていたわけではございません」
「その言い方だと、なんかすっごい子供みたいだよ、わたし」
「世間一般では、元服も髪結いもしていない甘えん坊の童を、子供、というのですよ」


 それを聞いた鶴姫は唇をとがらせた。
「佐助だってついこの前までわたしと一緒だったくせに。自分は一足先に成人して、賢春なんて名前をもらったからって、大人ぶっちゃって」
「大人ぶっているのではなく、大人になったのです。そこが姫さまとの違いですね」
 澄まして云う賢春を見て、鶴姫はぶすっとむくれる。
 とはいえ、賢春は鶴姫より五歳以上は年上であり(正確に何歳上なのかは鶴姫もよく知らない)、本来ならとうに成人していてもおかしくないのである。
 そうならなかったのは、賢春の父であり、三雲家の先代当主であった賢持の戦死に端を発する三雲家の内紛のせいであった。


 ――賢春にとって忌まわしい出来事を、あえてここで口にする理由はない。
 鶴姫は表情をあらため、囁くような声で傍仕えの女忍びに問いかけた。
「何か新しい動きはあった?」
「おおきな変化は特に。気になるのは、六角の殿が捕らえた上杉どのの処遇をお変えになったことです」
「解き放つ気になったのなら嬉しいんだけど……そうじゃないよね、きっと」
「はい。手の者の知らせでは、上杉どのを幽閉した寺の警備がきわめて厳重になった、と。どうやら密かに討つおつもりのようですね」


 それを聞いた鶴姫は、がばっと勢いよく身を起こした。あまりに勢いがつきすぎて、あやうく賢春のあごを突き上げるところだった。もちろん賢春は余裕をもって身を避けたが。
「ああ、もう! ほんっと、観音寺の殿様はこらえ性がないんだから! いくら紐が絡まって困ったからって、なんでもかんでも斬って捨てれば良いってものじゃないでしょ!」
 両手をあげてそう叫んだ後、鶴姫は力なくうなだれた。
「目の前の難問に腰を据えてとりかかる根気がないからこそ、殿様は後藤のおじ様や進藤様を手にかけられた。わかってはいるんだけど……」
「云わずにおれないお気持ちはよくわかります」
「……ありがと。でも、いつまでも愚痴を吐いてはいられないよね。このままじゃ、江南は内乱で乱れに乱れた挙句、四方の勢力に攻め込まれてむちゃくちゃになっちゃう。打てる手はぜんぶ打っておかないと」



 そのための許可はすでに父親からもらっている。
 鶴姫の大きな目に眩めくような智略の光が躍った。
「蒲生の御家は秀郷卿以来の江南の名家。理を知り、義を知り、情を知る、江南鎮撫の要なり。六角なくとも蒲生があれば、江南乱れることはなし――この言葉を名実共に備えたものにするために、わたしたちは行動する。謙信公は助ける。両藤の名跡も断たせはしない」
 いわゆる六家老と呼ばれる六角家の重臣たち。後藤、進藤、平井、目加田、三雲、そして蒲生。
 義治はそのうちの二家、後藤家と進藤家を取り潰そうとしている。さらに平井と目加田の両家を国境に張り付け、三好軍と対峙させて身動きが取れないようにした。
 一方で、蒲生と三雲の両家にはいかなる画策もしていない。おそらく、義治はこのニ家は自分に従うと判断したのだろう。蒲生賢秀、三雲成持、いずれも穏健派であり、義治にも忠実であった。


 見方をかえれば、義治はこのニ家に叛かれるときわめて困難な立場に立たされるということである。六角家のみの力で六家老を制することができるのなら、義治ははじめから六家老すべてを葬るべく策動したであろうから。
 ゆえに、蒲生家が強要すれば、両藤の跡取りたちに名跡を継がせることは可能であろう。むろん、そんな手段にでれば義治が心穏やかでいられるはずもなく、蒲生家と六角家の間に大きく深い溝が刻まれる。
 だが、それで良い。
 鶴姫が父と祖父の前で口にした転機とは、すなわち蒲生家が六角家の下から離れる時を意味していた。


「どの道、後藤のおじ様を斬ってしまった時点で六角家は長くない。瀬田の西から、琵琶湖の北から、稲葉の山の頂きから。江南めがけて押し寄せる敵勢に、君臣の心そろわぬ六角軍が勝利を得られる道理がない。わたしたちはきっと負ける。けれど、江南を劫略させたりなんて決してしない。治めることは許しても、奪うことは許さない。その覚悟と意志を突きつけて、わたしはあなたたちの足を縫いとめる」
 幼い瞳に苛烈な炎を燃やし、蒲生鶴は公然と宣言する。
 今はこの地にいない、けれどやがてやってくる、彼方の侵略者たちに向けて。



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