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No.40336の一覧
[0] 聖将記 ~戦極姫~ 【第三部】[月桂](2014/08/15 00:02)
[1] 聖将記 ~戦極姫~ 第一章 京嵐(二)[月桂](2014/08/15 23:44)
[2] 聖将記 ~戦極姫~ 第一章 京嵐(三)[月桂](2014/08/21 22:47)
[3] 聖将記 ~戦極姫~ 第一章 京嵐(四)[月桂](2014/08/25 23:54)
[4] 聖将記 ~戦極姫~ 第二章 瑞鶴(一)[月桂](2014/09/03 21:36)
[5] 聖将記 ~戦極姫~ 第二章 瑞鶴(二)[月桂](2014/09/06 22:10)
[6] 聖将記 ~戦極姫~ 第二章 瑞鶴(三)[月桂](2014/09/11 20:07)
[7] 聖将記 ~戦極姫~ 第二章 瑞鶴(四)[月桂](2014/09/16 22:28)
[8] 聖将記 ~戦極姫~ 第三章 雨月(一)[月桂](2014/09/19 20:57)
[9] 聖将記 ~戦極姫~ 第三章 雨月(二)[月桂](2014/09/23 20:30)
[10] 聖将記 ~戦極姫~ 第三章 雨月(三)[月桂](2014/09/28 17:53)
[11] 聖将記 ~戦極姫~ 第三章 雨月(四)[月桂](2014/10/04 22:49)
[12] 聖将記 ~戦極姫~ 幕間[月桂](2014/10/12 02:27)
[13] 聖将記 ~戦極姫~ 第三章 雨月(五) [月桂](2014/10/12 02:23)
[14] 聖将記 ~戦極姫~ 第三章 雨月(六)[月桂](2014/10/17 02:32)
[15] 聖将記 ~戦極姫~ 第三章 雨月(七)[月桂](2014/10/17 02:31)
[16] 聖将記 ~戦極姫~ 第三章 雨月(八)[月桂](2014/10/20 22:30)
[17] 聖将記 ~戦極姫~ 幕間[月桂](2014/10/23 23:40)
[18] 聖将記 ~戦極姫~ 第四章 黎明(一)[月桂](2018/06/22 18:29)
[19] 聖将記 ~戦極姫~ 第四章 黎明(二)[月桂](2018/07/04 18:40)
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[40336] 聖将記 ~戦極姫~ 第三章 雨月(七)
Name: 月桂◆3cb2ef7e ID:fbb99726 前を表示する / 次を表示する
Date: 2014/10/17 02:31

「――そうして師が近くの小島に舟を寄せると、相手の剣士は勇んで島に降り立ちました。それを見た師は、頃はよし、とばかりにそのまま舟を操ってその島から離れてしまったのです。相手の剣士はおおいに怒りましたが、師は『戦わずして勝つことこそ武の真髄。これぞ無手勝流よ』と高笑いして、そのまま旅をお続けになったのだとか」
 上泉秀綱の話を聞きおえた鶴姫は、ぎゅっと拳を握り締めると、興奮を隠せない様子で何度もうなずいた。
「戦わずして勝つ。孫子の兵法に通じるものがありますね! さすがは齢七十にして未だ不敗を誇る不世出の剣帝 塚原卜伝(つかはら ぼくでん)さまです!」


 目をきらきらと輝かせながら、憧れの剣豪の話に聞き入る鶴姫。
 秀綱はそんな鶴姫を眩しげに見やった。
「鶴どのは我が師のことを本当に尊敬なさっているのですね」
「はい! じじ様がまだ当主であられた頃、少しの間ですが教えを受けたことがあったそうで、じじ様は『あのおりに授かった教えは、我が血肉となって今のわしを支えてくれておる』と大変感謝なさっていました。鶴も、いつか教えを請いたいと願っているのですッ」


 それを聞いた秀綱はこっそり呟いた。
「……なるほど。衣食の世話をしてくれる相手には猫をかぶ――こほん、礼儀正しく振舞うのは、その頃からかわっていないのですね」
「え?」
「いえ、こちらのことです。そうですね、師は今も全国を行脚しているはずですから、そのうちひょっこり蒲生家に顔を出すこともあるかもしれません」
「楽しみです!」


 卜伝の強さに憧れてやまない鶴姫は、その弟子であり当今の剣聖と名高い秀綱に対しても敬意と憧憬を隠さない。これは長恵に対しても同様で、鶴姫が二人に指南を願い出ないのは、今はそんなことをしている場合ではない、とわきまえているからだろう。
 それでも普段の挙措から何かを学ぼうとは思っているようで、秀綱の歩き方を真似てみたり、長恵の素振りをじーっと観察したりと、色々工夫している様子だった。
 観音寺城をひそかに抜け出した一行は、追っ手に備えながら南に向かっている最中である。本来であれば不安と緊張に苛まれてしかるべき逃避行は、意気軒昂な鶴姫によって活気と微笑みの絶えない道中となってしまっていた。




 鶴姫が場を離れた隙を見計らい、丸目長恵がこそっと秀綱に問いかける。
「お師様。私がうかがっていたお話とずいぶん違うのですけど。たしかお師様のお師様は、旅好き、酒好き、女好きの三拍子が揃った御方ではなかったでしたっけ?」
「派手好き、賭け好き、戦好き、を忘れていますよ、長恵」
 付け足した秀綱の顔にはめずらしく諦念が浮かんでいる。そこはかとなく疲れた様子を見せながら秀綱は続けた。
「幼子の夢をこの場で砕くのは無体というもの。それに、師は子供好きでもありますからね。仮に鶴どのと出会うことがあったとしても、相手を失望させるような振る舞いはつつしむはずです」
「お師様。私見ですが、あのお姫さまは近い将来とっても美人になると思うのです」
 美しく育った鶴姫の前に現れた塚原卜伝が女好きを発揮してしまったらどうするのか、と問いかける長恵。
 返って来た答えは、これまためずらしくなげやりだった。
「そうならないことを願うのみです」




 南近江 布施山城外


 観音寺城の南方に位置する布施山城、この城の主の名を布施公雄(ふせ きみお)という。
 布施家は布施山城の他に大森城も領有しており、六家老には及ばずとも十分に大身と称しえる家柄であった。
 その当主である公雄と三雲賢春の間には一つの因縁がある。かつて布施家が六角家に叛旗を翻した折、討伐軍を率いたのが今は亡き賢春の父 三雲賢持であったのだ。
 公雄にとって、賢春はかつての敵手の娘、ということになる。


「もっとも、私は公雄どのとお会いしたことはありませんし、そもそも私が生きて姫さまにお仕えしていることをご存知ではないのですから、以前の因縁が交渉ごとの妨げになることはありませんでしょう」
「んー、そうなんだけどね」
 布施山城に向かう途次、鶴姫は腕を組んで考え込んでいた。
 布施家の蜂起は失敗に終わり、首謀者であった布施本家の当主 三河守は降伏、後に観音寺城で六角義賢によって切腹を命じられている。この際、分家の当主である公雄も処断されるところであったのだが、三雲賢持、後藤賢豊、そして蒲生定秀らのとりなしによって命を救われ、三河守亡き後の布施山城を任されることになった。


 そのあたりを考慮すれば、鶴姫が布施山城に助勢を請うても無下にされることはないだろう。一度叛旗を翻した布施家は、以後、六角家から冷遇されており、義治の代になってからはほとんど無視同然の扱いを受けているので尚更である。
 しかし、鶴姫は布施山城を訪ねるという選択肢を捨てた。その理由を鶴姫は次のように説明した。
「わたしが追っ手なら真っ先に布施山城への道を塞ぐもの」
「早馬を使えば先行することは簡単ですね」
「うん。それに、ここで布施家を訪ねちゃうと、正面きって六角家と敵対することになっちゃうだろうしね」
 おそらく、六角家の下から脱するという意味では公雄と鶴姫の意志は共通している。しかし、鶴姫は六角家に叛旗を翻して主家を追い落とすつもりはない。それでは主家の混乱と弱体に乗じた、ただの下克上であり、仮にうまく事を運べたとしても、遠からず織田なり浅井なりの別勢力に呑み込まれてしまうだろう。


 鶴姫の対六角戦略は、主家の無道を正すことを主眼とする。そうあってこそ蒲生家の信義が際立ち、江南の人心を束ねる核となりえるのである。
 そう口にした後、鶴姫は長い髪の毛をいじりながら、困ったように笑った。
「勝手に城を抜け出ちゃったわたしが云っても、あんまり説得力はないんだけどね」
「それは仕方のないことかと。あのまま城に残っていても何も出来ませんでしたでしょう。そうかといって、日野に戻りたいと訴えても義治どのや承禎どのが頷いてくれるはずもなかったですし。ところで姫さま」
「ん、なに?」
「布施山城への道を避けるのであれば、西まわりと東まわり、どちらかを選ぶことになりますが、どうなさいます?」
「西には亡くなった後藤のおじ様の館があるから、警戒は厳重だと思うんだよね。だから東から――ん?」


 突然、鶴姫が訝しげな表情を浮かべて足を止めた。何かを確かめるように、かすかに目を細めている。
 不思議に思った賢春が主の視線を追うと、どうやら鶴姫は街道脇に流れている小川の方を見ているらしいとわかった。
 小川といったが、その川の水流は激しく、水量も多かった。おそらく普段は村の子供たちが安全に遊べる程度の水流であり、水量なのだろうが、先ごろから降り続いた雨の影響で、現在はかなり水嵩が増しており、流れもはやく、濁った水で底が確認できない危険な状態となっている。
 くわえて、上流でがけ崩れでもあったのか、川の中ほどには人の手では運べそうもない巨岩が、濁流に押されながら今もゆるゆると動いている。川岸近くには根があらわになった杉の流木も転がっていた。上流から流され、偶然にここの岸に流れ着いたのだろう。


 鶴姫が見ていたのはその杉の木であった。
 賢春が問いかける。
「姫さま、どうなさいました?」
「……ねえ、佐助。あれは――」
 そう云って鶴姫が指差したのは、濁流に晒され、枝葉で覆われて影になっている部分であった。そこに何かが見えた気がしたのだ。
 いや、何か、などという不確かなものではない。
 鶴姫の目に映ったそれは、流木にひっかかっている人間の姿にしか見えなかった。








 鶴姫が目にとめた影はまさしく人間だった。
 引き上げられたのは、おそらく尼僧と思われる剃髪した女性であった。さすがに鶴姫ほどではなかったが、年齢はかなり若い。
 およそ生気というものが感じられないくらい衰弱しており、他者の気配を察することに長けた忍びや剣豪でも、この尼僧の気配に気づくことは難しかったに違いない。もし鶴姫が気づかなければ、一行はそのままこの場を通り過ぎていただろう。


 尼僧は医術の心得のない鶴姫が見ても、明らかに危険な状態に陥っていた。それも、ただ足を踏み外して濁流にのみこまれたから、というわけではなさそうだ。何故なら、尼僧の身体には幾つもの傷跡が生々しく残っているからである。特に右のふくらはぎを撃ち抜いた弾痕は、それを見た鶴姫が思わず目をそむけてしまうほどの深傷だった。
 手当てこそきちんとされていたようだが、この傷ではろくに立ち上がることもできなかっただろう。そんな少女がどうして川に流されるような目に遭ったのか。その答えは、尼僧の首にはめられた鉄の枷にあるものと思われた。



「捕らわれの身だった、のかな?」
 鶴姫の声には、すでに先刻までの弾むような響きはどこにもなかった。死んだようにぐったりとしながら、ときおり痛みにあえぐ尼僧の顔を痛ましそうに見つめている。
 賢春が小さくうなずいた。
「おそらくはそうでしょう。身体の傷も、斬り合いによるものとは思えぬ節がございます。何らかの理由で捕らわれた末、責めを受けていたのではないでしょうか。そして、隙を見て逃げ出し、濁流に身を投げた」


 それまで尼僧の手当てをしていた秀綱が静かに続けた。
「賢春どのの云うとおりであれば、この者にも追っ手がかかっている恐れがあります。できるだけ早くこの場から離れるべきでしょう。とはいえ――」
 秀綱は気遣わしげに尼僧の顔を確かめた。川原に横たえられた尼僧の顔色は、蒼白を通り越して土気色に変じており、すでに冥府に片足を踏み入れているとしか思えない。ここから動かすのは非常に危険であった。まして、この先の道中に連れて行くことなぞできるはずがない。


 近くに住んでいる農民に幾ばくかの金子を渡して治療を頼む、という手もあるが、もし尼僧に追っ手がかかっていた場合、頼んだ相手にも危難が及んでしまう可能性がある。それに、よくよく考えてみれば、この尼僧が善人であるという保証はないのだ。目を覚ますや、周囲に危害をくわえることも考えられた。
 尼僧が目を覚ますまで待って事情を問いただすのが最善であろうが、この様子では、たとえ命の危険を脱しても、いつ目覚めるか見当もつかない。鶴姫たちにしたところで追われる身であることに変わりはなく、他者の事情に首を突っ込んでいる時間はないのである。


 そうなると、選べる手段は限られてくる。
 それを口にしたのは長恵だった。
「お姫さまと賢春には先行してもらい、私とお師様がこの子に付き添うのが第一の案ですね。もしくは私ひとりでもかまいません。まだ六角家の追っ手は私とお師様のことは察知していないはずです。観音寺からの追っ手が来てもごまかすことはできるでしょう」
 それを聞いて、鶴姫は小首をかしげた。
「丸目さま、今のが第一の案なら、第二の案はどのようなものなのでしょうか?」
 問われた長恵は、後方の木立を指差しながら答えた。
「第二の案は、あちらでこそこそしている誰かさんをひっ捕まえて、事の次第を白状させる、というものです」
「――え?」
 鶴姫はびっくりしながらも、長恵の動きにつられるようにそちらを見た。
 すると。




「くここ! なんじゃ、ばれておったのか。これでも気配は断ったつもりなのじゃが、なかなかに鋭い奴輩(やつばら)よ」
 大鐘のごとき野太い声が、濁流の音を割って鶴姫たちの耳に飛び込んでくる。
 そうして姿を見せたのは、齢六十を越えているとおぼしき僧形の老人であった。


 老人は、そりおとした頭髪の代わりというわけでもあるまいが、腹までとどく長いひげをたくわえていた。黒々としたひげは奇妙なほど艶を放っており、窪んだ両眼の奥には脂ぎった黄色い光がちらついている。
 薄物をまとっただけで半ばむきだしになっている上半身は、壮年のそれに劣らぬほど筋骨たくましく、上背も長恵や秀綱と比べて頭一つ以上高い。背筋もまっすぐに伸びており、顔にも声にも精気が滾っている印象である。
 鍛え上げた壮年の男性を、首から上だけ老人のものにすげかえたような、そんな不均衡さを感じさせる人物であった。


「さて、いささか唐突ではあるが用件を申そう。そこに転がっておる女性(にょしょう)を引き渡してもらいたい。それは拙僧の玩物でな、先夜に逃げ出しおったのを今まで捜していたのじゃよ。おっと、理由やら素性やらは訊かんでもらいたい。それを訊かれれば、拙僧もそなたらの素性を詮索せぬではいられなくなるからのう」
「もってまわった云い方ですが、ようは見逃して欲しければ黙って立ち去れ、ということですか」
 身も蓋もない長恵の翻訳に、老人は思わずという感じで目を丸くする。次の瞬間、その口から堪えかねたような笑声が溢れ出た。
「くこここ! おお、まさしくそのとおりじゃ。なんじゃ、えらく話の通じる御仁よな。なにやら尋常ならざる剣気を放っておるが……」


 云うや、老人は表情を一変させ、ぎょろっとした眼で長恵、秀綱、賢春、そして鶴姫と順番にねめつけた。
 老人の視線をまともに浴びた鶴姫は、理由のないおぞましさで身体が震えるのを自覚する。
 いや、理由がないわけではない。瀕死の状態にある尼僧のことを、事もなげに玩物と云い捨てるような輩が、まともな僧侶、まともな人間であるはずがないのだから。



 そんな鶴姫の内心に気づくはずもなく、老人はなおも言葉を続ける。その内容は鶴姫たちが予想だにしないものであった。
「ふむ。このような辺地には似つかわしくない者どもであることよ。いずれも人品卑しからぬ。特にそこの童は、なにやら伝え聞いた人相とことごとく一致しておるのう。もしやとは思うが、江南の鳳 蒲生鶴とはうぬのことであるか?」
「――ッ」
 そ知らぬ顔で受け流すには、鶴姫はいささか人生経験が足らなかった。これが別の相手であれば、あるいは何とか表情を繕うことができたかもしれないが、この老人は声といい表情といい、またその言動といい、奇妙に鶴姫の不安感を刺激してくるのである。



 相手の反応を見て、自分が図星をさしたことを確信したのだろう、老人は三度哄笑した。
「くここここ! なんとなんと、玩物を捜しておったら、思いもかけずに目当ての宝珠を見つけることができたわい! うぬら、すまぬが今しがたの言葉は取り消させてもらうぞ。前々から目をつけておった蒲生の姫、我が物とする好機を逃すわけにはいかんからのう!」
「ひッ!?」
 面上に情欲を漲らせ、自分を凝視する老人を前にして、鶴姫の口から押し殺した悲鳴がもれた。恐怖ではなく、醜悪さに対する生理的な嫌悪感が、鶴姫の自制の殻を突き破ったのだ。



 しかし、次の瞬間、鶴姫を怯えさせた老人の姿は、鶴姫の視界から消えうせた。
 賢春が二人の間に割り込んだのである。のみならず、抜く手も見せずに放った二本の懐剣が、すでに老人の眼前にまで迫っていた。
 眉間と喉を狙って投じられた懐剣は恐ろしいほどに正確であったが、しかし、老人の身体を捉える寸前、甲高い音をたてて地面に叩き落とされてしまう。
 それを為したのは凶刃を向けられた当人であった。老人の手には、いつの間に抜き放ったのか、一本の太刀が握られていた。



「数珠丸恒次(じゅずまる つねつぐ)。かの日蓮が振るっていたとされる聖刀よ。真贋は拙僧の知るところではないが、この刀の鋭き切れ味は受けあおう」
 そう云った老人は、どこか愉快そうに付け足した。
「とはいえ、うぬら全員を相手にするのは、いかな拙僧とて手にあまる。いやさ、一対一でも厳しいか。したが、拙僧の武器は太刀のみにあらず。どれほど巧みに刀剣を扱う者でも、鉄砲弾からは逃れられまいて」
 その言葉を合図として、老人の背後から麾下の兵とおぼしき者たちが姿を見せた。
 男女あわせて五人。いずれも若い。というより幼い。彼らはいずれも装填を終えた火縄銃を抱えていた。



 それが、射撃をする者と弾込めをする者を分業させた、烏渡しと呼ばれる射撃術であることを長恵は知っている。
「烏渡し。ふむ、御坊は紀州の産でしたか」
 老人は驚いたように目を瞠った。
「ほう、よう知っておるな?」
「先ごろ出来た知人から聞きまして。ところで御坊、いいかげん名乗りくらいあげてくれませんか。どうやら周囲にも御坊の手下は潜んでいる様子。ただの好色でいけ好かない狒々爺(ひひじじい)というわけではないのでしょう?」
「くこ、くこここ! なんとなんと。密かに配した我が手下三十名の存在に、はや気づいておったのか。いや、蒲生の家臣にこれほどの使い手がいるとは思っておらなんだ。あと十も若ければ、主と共に可愛がってやったものを」
「ふむ。好色でいけ好かない上に変態な狒々爺でしたか」
「くここ、教養が足りぬな、娘。わざわざ付け足さずとも、狒々爺の一語ですべて足りるのだぞ?」
「いつぞや師兄からいただいた教えにこういうものがあります。『大事なことは二度繰り返せ』」
「ようわからぬ教えだのう。役に立つとも思えんが」
「正直なところ私も同感なのですが、師兄のことです、きっと何か深遠な意味が込められているのでしょう。実際、今も時間を稼ぐ役には立ってくれていますし」


 
 その言葉を負け惜しみと受け取った老人は笑い飛ばそうとした。が、いつの間にかもう一人の剣士が自分との距離を詰めていることに気づき、かすかに眉をしかめる。
 その剣士の名はもちろん知る由もない。が、尋常ならざる使い手であることは一目で知れた。濁流の音に紛れて――いや、かりに川の音がなかったとしても、川原にしきつめられた小石は擦過音ひとつたてなかっただろう。そんな滑らかな足運びができる者が、無名で埋もれているはずがない。おそらく、かなり名の通った剣士である、と老人は見て取った。
 稼がれた時間も詰められた距離もわずかなものだが、今日まで培ってきた老人の経験が、この間合いは危ない、とさかんに警鐘を鳴らしている。



 老人は念のために剣士から距離を置くと、太刀を鞘に戻して部下から鉄砲を受け取った。
 その口から、もう何度目のことか、笑い声が発される。ただ、先ほどまでのそれと違い、今度の笑声は多分に意識して放ったものであった。
「くここ、わざわざ警告してくれるとは親切なことじゃ。礼がわりに教えてしんぜよう。拙僧の名は杉谷善住坊(すぎたに ぜんじゅぼう)と申す。紀州根来の傭兵隊を束ねておる頭のひとり。見知りおいてくれい」
 善住坊と名乗った怪僧の言葉に、長恵はこくりとうなずいてみせる。
「承知しました。そんな名前の狒々爺を成敗いたしました、と師兄に報告するといたしましょう」
「できればよいがな。我ら根来衆の鉄砲の腕、知らぬわけではあるまい。皆、そこらの大名どもの兵よりはるかに腕の立つ者どもであるぞ。当たらぬとたかをくくっておると痛い目に遭う」


 云うや、善住坊は黄ばんだ歯をあらわにして、鶴姫に笑いかけた。
「どうじゃ、蒲生の姫。配下を助けたくば、おとなしゅう拙僧に従わぬか? うぬが素直に拙僧に従うのなら、そこに転がっておる者も助けてやろうほどに」
 この提案に返答したのは、問われた鶴姫ではなく従者の賢春であった。常は鷹揚な賢春の声音は針のごとく尖り、視線は冬の近江富士(三上山)から吹き降ろす山風のように冷たく厳しい。
「戯言を申すな、下郎」
「戯言とは心外な。せめて心安く拙僧に身を委ねられるように、と姫の心を気遣っておるというに」
「――」


 もはや口をきく価値もない、と判断した賢春はそれ以上言葉を紡ごうとしなかった。
 その賢春の耳に、低くおさえた長恵の声がすべりこんでくる。
「あの狒々爺はお師様が。私は右の道を切り開きますので、賢春はお姫さまを連れて続いてください。囲みを抜けた後は、私たちにかまわないこと。いいですね?」
 敵の首魁に挑む秀綱はいわずもがな、逃走路を切り開く長恵に向けても伏兵による銃撃が浴びせられるだろう。それを承知しているはずなのに、長恵の声には寸毫の乱れもない。
「……わかりました」
 賢春はそう答えるしかなかった。
 どうして根来の傭兵が鶴姫を狙っているのかはわからないが、間違いなく云えるのは、この戦い、長恵たちにとっては何の関係もないものである、ということだった。野武士、盗賊程度ならいざ知らず、鉄砲持ちの相手から鶴姫を守らなければならない義務も義理も二人は持っていない。
 にも関わらず、二人はなんらの躊躇もなく鶴姫の脱出に協力してくれようとしている。それも最も危険な箇所を自分たちに割り当てて。
 感謝してその言葉に従う以外に、賢春が出来ることは何もなかったのである。



 鶴姫もまた何も云わなかった。云えなかった、という方が正確かもしれない。今このとき、自分が何を口にしても邪魔にしかならないことを、十歳の姫はよくわきまえていた。
 鶴姫の視線が横たわる尼僧に向けられる。善住坊と名乗った男から玩物と呼ばれていた少女がどんな扱いを受けていたか、鶴姫には知る術がない。しかし、それがひどいものであったことくらいは想像できる。
 見捨てたくはなかった。
 だが、助ける術がなかった。
 もし、鶴姫が自分で自分を守れるだけの力量を持っていれば、救う手立てはあったかもしれないが、鶴姫が足手まといになっている今の状況では、いかに賢春、長恵、秀綱という使い手たちといえど、尼僧を見捨てる以外の選択肢が持てないのである。


 鶴姫は血がにじむほど唇をかみ締める。
 それに気がついたのか、それとも偶然であったのか。このとき、鶴姫は長恵のとぼけたような声を聞いた。
「お姫さまと賢春が無事に逃げるのを見届けてから、私は引き返してこの子を担いで逃げ出します。できればお師様は、それまでに狒々爺どもを一掃しておいてくださいな」
「……え?」
 ぽかんとする鶴姫。
 その耳が、今度は秀綱の呆れたような声を捉えた。
「師匠づかいの荒い弟子ですね。確言はできかねますが、期待にそえるよう努めることは約束します」
「さすがお師様です。というわけで、お姫さま」
「は、はい!?」
「あなたさまは余計なことを考えず、ちゃんと賢春についていってください。あ、私たちの心配は無用ですよ。なんといっても、お師様には敵の鉄砲をものともせぬ究極奥義があるのです」
「……きゅ、きゅうきょくおうぎ?」
「はい。その名を『一之太刀』。お姫さまもご存知の塚原卜伝さまからお師様が授かった刀剣術の極みにして頂き。相手が剣でも槍でも鉄砲でも、物ともせずに斬り伏せることができるという、文字通り最強の一太刀です」


 もはや嘆声をもらすこともならず、鶴姫はぽかんと口をあけたまま聞き入るしかなかった。
 これはおそらく自分を安心させるための言葉だろう、とは分かっているが、話す人は剣聖、使い手も剣聖、授けたのも剣聖とくれば、もしかしてと思ってしまう。



 あわせれば十を越える鉄砲の音が川原に響き渡ったのは、その時だった。




◆◆





 その鉄砲を放ったのは善住坊でもなければ、根来衆でもなかった。
 確かに彼らはいつでも鉄砲を放てるように準備はしていたが、善住坊ははじめから鉄砲を用いるつもりはなかったのだ。むろん、部下の流れ弾が鶴姫にあたるのを怖れてのことである。
 鉄砲を用いるにしても、それは護衛の者たちを鶴姫から引き離した後のこと。そう思い定めていた善住坊にとって、この場での銃撃は予期せぬものであった。まして、その銃撃がことごとく隠れ潜んでいた僧兵を撃ちぬくものであり、瞬きの間に手勢を半減させられるなど予期できるはずもなかった。



「ふん、紀州に戻れば代わりなぞいくらでもおるとはいえ」
 持っていた鉄砲で敵兵の一人を撃ち殺した善住坊は、傍らの部下――稚児に次の鉄砲を要求しながらひとりごちた。
 稚児たちを除けば、善住坊が紀州から連れて来た僧兵の数は三十名ほど。数こそ少ないが、全員が精兵といえる者たちである。しかし、彼らは今、背後からの奇襲を受けて次々と地面に倒れ伏していた。
 現れた敵の数は優に根来衆の倍に達するだろう。鉄砲もかなりの数を所持しているようだ。いかに鶴姫に目がくらんでいたとはいえ、これほどの敵の接近に気づかぬとは不覚以外の何物でもない。
 おそらくは隠密を事とする部隊なのだろうが、いったい誰の手勢か。


 と、いきなり善住坊に鉄砲を渡そうとしていた稚児の身体が傾いた。
 見れば、その首には深々と刃が埋めこまれている。
 年若い稚児をためらいなく葬り去ったのは、藍染めの着物を着た少女であった。先刻まで善住坊らが潜んでいた木立に隠れて接近してきたのだろう。
「どうもこんにちは。あなたが根来の善住坊どのですね?」
 血に染まった刃を引き抜きながら気軽に訊ねてくる少女に対し、善住坊は底冷えのする声で応じた。
「いかにも拙僧は善住坊である。で、拙僧の邪魔をするうぬは何者じゃ?」
「よかった、人違いじゃなかったね。ま、千代女の云った人相どおりだったから心配はしてなかったんだけど」


 相手が口にした名前を聞き、善住坊の太い眉が毛虫のようにうごめいた。
「千代女じゃと? ではまさか、うぬが滝川一益か?」
「大当たりー、です。賞品は出ませんけどね」
 相手の戯言に付き合うつもりはなかった。善住坊の口が裂けるほどに開かれ、鼓膜を突き破るような大喝が発される。
「このたわけ者がッ!! 拙僧はうぬに協力してくれと千代女に頼まれておったのだぞ。まさか、間違えました、などとぬかすつもりはあるまいなッ!?」
「ええ、もちろん。だって間違えてなんていませんもの」


 そう云った途端、それまで何も持っていなかったはずの一益の左手は短筒をしっかと握り締めていた。
 右手に刀、左手に短筒を握った一益に対し、善住坊の手にあるのは撃ち終えたばかりの鉄砲のみ。代わりの鉄砲を用意している他の稚児も、一益を怖れて動けない。
 奇術のような鮮やかさであったが、善住坊が気にしたのは至近から自分を狙う短筒ではなく、落ち着きはらって微笑んでいる一益の思惑であった。
「……ふむ、裏切りか?」
「さてさて、裏切りとは面妖な。私に与えられた命令は蒲生の姫を捕らえよというものです。どこぞの狒々の嬲り者にされるのを黙ってみてろ、なんて命じられた覚えはありません。それと、気になることがもう一つ」
 それまではどこか軽さを感じさせた一益の口調が、ここでわずかに重みを加えた。


「私の所領は和田家のそれに近いのです。あそこで死にそうになっているのって、和田惟政どのじゃないですか?」
「――ふふ、さてのう。拙僧はこなたを探る怪しい忍びを射落として、素性を吐かせるべく責め立てただけじゃでな。どこの誰かはよう知らぬわ」
 とぼける善住坊に対し、一益は肩をすくめた。すでにその口調はいつものものに戻っている。
「では、そういうことにしておきましょう。どーせ捕らえたところで素直に目論みを吐くつもりは――」



 言葉の途中、一益はまったく前置きなく短筒の引き金を引いていた。
 意表をつくつもりだったのだろう。実際、動けたのは善住坊ただひとりであった。その善住坊は一益の動きを予測していたらしく、一益が引き金を引いたときには、すでに近くにいた稚児を自身の盾にし終えていた。


「があッ!?」
 短筒の弾に胸を射抜かれた稚児の口から血が溢れ出る。善住坊はその稚児を無雑作に一益の方に蹴り飛ばした。
 一益の身体が体重を感じさせない軽さで後方に跳び、自身の意思によらずして血を吐いて突っ込んだ稚児はそのまま地面に倒れ伏す。
 その瞬間、倒れた稚児の背を踏み抜くようにして善住坊が一益に迫った。その手にはすでに数珠丸恒次が握られている。


「殺ッ(シャア)!」
 踏み込みは老人のものとはとうてい思えぬほどに早く鋭い。振るわれた刀は完全に一益の身体を捉えていた。
 対する一益は、その一閃を避けようとはしなかった。振るわれた恒次の刃に重ねるように、自身の刀を短く振るう。体勢が整いきれていない一益では、善住坊の剣勢に耐え切れない。ヘタに受け止めれば刀を弾かれるだけだと判断した一益は、受け止めるのではなく、受け流すことを選択したのである。
 むろん、それとて尋常ならざる力量を要する業であったが、一益は涼しい顔でやってのけた。




 火花を散らして二人の刀が激突し、善住坊の剣戟がわずかに軌道をそらされる。
 虚空を両断する斬撃。その隙に一益はさらに二歩、三歩と後退する。
 それに対し、善住坊は追撃を仕掛けなかった。周囲で繰り広げられている互いの配下の戦いは、間もなく決着がつくだろう。このまま一益に拘泥していては、善住坊の方が袋のネズミとなってしまう。そのことを理解していた善住坊は、おどろくほどの早さで駆け出していた。脱兎のように、という表現そのままの逃走で、当然のように配下の者たちは置き去りである。
 それを見た一益は腰に手をあててため息を吐いた。


「追っ手をかけたら、一人も帰ってこなさそうですね。ま、いーでしょう。蒲生家と和田家に恩を売り、なんでか知りませんが蒲生に力を貸している左内さんに恩を返せる。成果としては十分すぎます」






◆◆◆






 南近江 青地城


 青地城の軍議の席。その末席に座った俺は、軍議が始まるまで左内と小声でやりとりしていたのだが、その際、思わぬ名前を聞いて声を高めてしまった。
「なに!? 左内って滝川一益とも面識があったのか!?」
「うむ。というても、あれがまだ滝川家を継ぐ以前の話じゃが。賭博場で素寒貧になっておったところを家に招いて、飯を食わせてやったのよ。一宿一飯の恩義というやつじゃな」
 そう云うと、左内は不思議そうに訊ねてきた。
「相馬の方こそ、よう一益の名を知っておったな。滝川家は甲賀諸侯の中でも格別高名な家というわけではない上、一益自身も父の後を継いでまだ一年ほど。これといった手柄もたてておらぬはずだが」
「あ、ああ、以前なにかの折にちらっと名前を聞いたんだが、それはさておき、博打好きはともかく素寒貧になってたのか?」
「うむ。あれはなんというか、妙に勝負弱いやつでの。たいていの勝負には勝つくせに、ここぞという勝負では派手に負けるのよ」
「……この城にいなくて残念なような、ほっとしたような、複雑な気分だ」
「ふふ。ま、いればいたで必ず役に立ったと思うぞ」


 左内はここで、ぐぐっと俺の顔を覗き込んできた。
「で、相馬よ、つい昨日まで軍議に出るつもりはないとごねておったのに、どういう風の吹き回しじゃ?」
「このままじゃ埒があかないと思ってな」
 俺がそう思うに至ったのは、昨日の三好政康の攻勢を目の当たりにしたからである。
 激烈な攻撃を仕掛けてくるだろう、とは予想していた。していたのだが、三好軍の勢いはそんな俺の予想をはるかに越える凄まじさだったのだ。
 背水の陣と呼ぶことさえはばかられる。犠牲などまったく気にかけていないあの戦いぶりを見れば、政康がはじめから『次』を考慮していないことは明瞭だった。


 あの調子では三好政康はどれだけ自軍が不利に陥ろうと退却せず、ついには自軍と同数以上の六角兵を道連れにして、部隊が磨り潰されるまで暴れ続けるだろう。
 正直にいえば、三好軍と六角軍にどれだけの犠牲が出ようと俺の知ったことではない。政康が力尽きるまで暴れるつもりなら、そのとおりにさせてやればいい。そうすれば、労せずして三人衆の一角を葬ることができる――と、そんな風に考えもしたのだが。


「したのだが――考えをかえたのか?」
 問うてくる左内に、俺は軽く肩をすくめてみせた。
「将来はともかく、現時点で何の代価も払えない俺の頼みをきいてくれた奇特な誰かさんが云ってただろう。青地の城主どのの危難を見過ごすのは気が咎めるって」
「なるほど、ここで傍観しておると身どもが不満を覚える、と思ったわけか」
「まあ、そんなところ――」
「義治公はともかく、青地、蒲生の勢とは共に死戦を潜り抜けた仲。先に友通を討ち取った戦で、蒲生家が六角家に唯々諾々と従っているわけではないことも確認できた。どうやら彼らは他の六角家臣とは毛色が違うらしいと認めつつ、これまで散々六角家などどうでもいいと嘯いてきた手前、今になって彼らを案じているとは言いがたい。そこで身どもを理由にしてみた、と。つまりはそういうことじゃの? そもそも今の六角家はもはや三人衆など相手にしてはいられぬという状況にある。本当に三人衆の首級だけが目的ならば、この城に留まって戦う意義は薄いといわざるをえぬしのう」 
「………………をを、どうやらお歴々がいらっしゃったようだゾ?」
「まことじゃの。では、無駄話はこのくらいにしておこうか」
 にやにやと笑う佐内の額に、むしょうにデコピンを浴びせたくなったのは、俺の心が狭いせいなのだろうか?






 そうして始まった軍議は、しかし、はじめから嵐の気配を宿していた。
 口火を切ったのは俺である。
 発言を求められた俺は、今日まで胸中で温めていた案を披露したのだが、それを聞いた瞬間、軍議の間がはっきりとざわついた。それも、あまりよくない方向のざわつき方である。
 蒲生定秀は呆れ顔を隠さず、その息子の賢秀や青地茂綱が思案する様子を見せているのは、俺というよりも左内に対する心遣いであろう。


 しばし後、賢秀がおもむろに口を開いた。
「一騎打ちを挑む、か。たしかに、早期に決着をつけるために大将首を狙うのは常道である。したが、今は源平の世ではない。こちらが誇りをもって名乗りをあげたところで、敵が応じねばどうにもならぬのではないか」
「しかり。まともな武将ならば、一騎打ちの申し出など歯牙にもかけぬ。今の世に何を云っているのかと笑いものになるだけじゃろうて」
 これは定秀の言葉である。
 この場に集まった蒲生、青地両家の諸将も、定秀の言葉に同意するようにうなずいていた。
 彼らは先の戦で岩成友通を討ち取った俺(策自体は左内のものとなっている)の功績を認めてくれており、左内の言葉(『身どもが知るかぎりにおいて、松永弾正に並ぶ智恵の持ち主』というトンデモ推薦)もあって、一兵士に過ぎない俺の話を、一応は聞く姿勢を見せてくれていたのだが、どうやら俺の進言はそういった信頼や心遣いを一撃で粉砕してしまったようだった。



 そのことに気がついた俺は、一礼して部屋から退出するために立ち上がった。
「愚言を呈してしまったようで、申し訳ございませんでした。それがしはこれにて失礼させていただきます」
 そんな俺を止めたのはこの城の城主である青地茂綱である。
「いや、それには及ばぬ。左内どのの言葉もあることゆえ、他にもなんぞ意見があれば聞かせてもらいたい」
 茂綱の言葉は英語にすると「one more chance」というところだろう。一城の主が一兵士に向ける気遣いとしては、おそらく最大級のものである。
 が、俺にとってはいらぬ気遣いであった。


「青地さま、それは互いにとって無用のことと心得ます。愚者は成事にくらく、智者は未萌に見る。今、目の前の敵すら見えていない方々に、いったい何を説けと仰るのか。無益なことはせぬにかぎります」


 ――唖然呆然、しかるのち激怒。
 俺の言葉に対する反応はこんな感じだった。




 すっくと立ち上がったのは蒲生家の種村伝左衛門である。
「雇われ兵ごときが何をぬかすか、無礼者が!!」
 続いて立ち上がったのは、これも蒲生家の結解十郎兵衛。こちらは伝左衛門ほど怒りをあらわにしていなかったが、その視線の鋭さは鋭利な刃物を突きつけられるに等しい威圧感をともなっていた。
「我らを愚者と呼び、みずからを智者と称す。なれば智者どの、うかがおう。『目の前の敵すら見えていない』とはどのような意味であるのか。智者どのの目には、三好政康以外の敵将が映っているのであろうか?」
「ふん、そのような者がおるはずなかろう。みずからの策を一蹴された、腹立ち紛れの雑言に決まっておるわい。したが、もし本当に違うものが見えているならば聞いてみたいものだ。まさか瀬田城の三好長逸に気をつけろ、などとは云わぬであろうしな」
 十郎兵衛の問いに、伝左衛門が皮肉もあらわに追従する。伝左衛門にいたっては予想した答えを先に封じようとしているあたり、よほど俺の態度が腹に据えかねたのであろう。



 むろんというべきか、彼ら以外の諸将からの視線も厳しいの一語に尽きた。
 若干一名、面白がっている奴もいるが。そいつとは別に、よく見ると横山喜内もハラハラした様子で周囲を見回しており、どうやら俺のことを気遣ってくれているようだった。口を開かないのは、若輩の身をはばかってのことであろう。
 ありがたいといえばありがたいが、だからといってこちらが態度を軟化させる必要はない。
 念のために云っておくと、これ、何かの考えがあって相手を挑発しているわけではない。共に戦ったことで青地、蒲生の二家に対して芽生えたかすかな好意。その好意にもとづく発言を一蹴されたので、それに相応しい態度をかえしているだけである。いかに六角家とは毛色が違うとはいえ、彼らが六角家の家臣である事実になんらかわりはないのだ。


 俺は肩をすくめて云った。
「どうやらお歴々はみな耳が悪いようですね。それがしはすでに答えを申し上げた。それがわからぬ方に何を云っても無駄だ、とも申し上げた。その上でなお、それがしに同じ問いを向けることの意味、試みに考えてみられるがよろしかろう」
「ぬ?」
 訝しげな伝左衛門に向かって、俺は口角をつりあげた。
 もしかしたら謙信さまたちを討っているかもしれない六角家に協力している、という状態は、俺が思っていた以上に神経をささくれ立たせていたらしい。せめてもの好意を一蹴されたことも手伝い、自分でも意外なほど感情のコントロールがきかない。
「何度も同じことを訊くなと云っているのだ、うっとうしい。そもそも俺が貴様らに――」


「相馬」


 皮肉から激語に転じた、その瞬間。
 左内がいたしかたないと云いたげに俺の名前を呼んだ。
 穏やかな声音は不思議と強い調子で俺の耳朶を打ち、俺はおそまきながら平静を取り戻す。
 とはいえ、思いっきり「うっとうしい」とか「貴様ら」とか口走ってしまった事実は消しようがない。平静を取り戻したとはいえ、六角家の家臣に頭を下げる気にはなれない。これはもう、追放なり投獄なりを覚悟しなければならなそうだった。


 ところが、である。
 密かに諦念に捕らわれた俺の耳に、世はすべてこともなし、とでも言いたげな左内の声が響いた。
「すまぬな、各々方。その者、以前に少々六角家と揉め事を起こしておって、此度の戦も身どもの請いに応じてしぶしぶ腰をあげてくれたのじゃ。色々と鬱憤がたまっておったのだろう。無礼の段、身どもからもお詫びする」
 そう云った左内は、他者に口を挟むことを許さない絶妙の呼吸で話題を引き戻した。
「それで先に相馬が云うた言葉の意味じゃがの。ご隠居どのはこう申された。『まともな武将ならば、一騎打ちの申し出など歯牙にもかけぬ』と」
「ふむ、確かに申したな」
 気難しい顔でひげを弄りながら定秀がうなずいた。
 それを確認した左内はさらに続ける。
「各々方、よくよく思い起こされよ。確かにまともな武将ならば一騎打ちを申し出たところで一蹴されて仕舞いじゃろう。したが、先にこの城に攻め寄せた三好政康めは、はたして『まとも』であったろうか?」



「――む」
 定秀がひげを弄る手をとめ。
「――ふむ」
 賢秀が何かに気づいたようにうなずき。
「――そういうことか」
 茂綱が得心したように手をうった。
 


「岩成友通を討たれ、三人衆は策を練る頭を失ったも同然じゃ。今になっても都から援兵が出ぬところを見れば、三人衆と宗家との間に隙が生じたことも疑いない。兵も離散に離散を重ね、今や瀬田のそれをあわせても総勢は千に届くまい。そんな状態で、自軍の倍近い兵がたてこもるこの青地城を落とすことに何の意味があるのだろうの? 城攻めを強行すれば、ただでさえ少ない兵がさらに少のうなる。たとえ首尾よく城を落としたところで増援はどこからも来ぬ。糧食を得るあてもなければ、先々を考える脳もない。挽回の目はどこにもないのじゃ」
 左内は云う。
 政康が勝利を目指して賭けに出るのなら、この城を無視してひたすら義治の軍においすがるべきだった。これが成れば、あるいは戦況が覆ることもあるかもしれない、と。


「その程度のことは政康めもわかっておったろう。にも関わらず、あれはこの城に攻め寄せた。一か八かの賭けに出て勝利を求めたわけではない、ということじゃ。では、財貨なり糧食なりを求めたのであろうか? 否、それならば、この城ではなく草津の町に攻め寄せたであろう。つまり、政康めが求めるのは勝利にあらず、財貨にあらず、糧食にあらず。では、彼奴めは何を求めてこの城にやってきた? 答えは一つしかない、と身どもは見る。すなわち、僚将 岩成友通を討ち取りし者を、みずからの手で八つ裂きにすることじゃ」
 左内の言葉は理路整然としており、説得力にみちていた。少なくとも、三好政康の不自然な動きに対する一つの解答には成りえていた。


 怒気に顔を歪めていた者たちも、いつしか左内の言葉に聞き入っている。
 左内はそんな諸将を見渡して、自らの言葉を締めくくった。
「政康めの目的が復讐であれば、こちらからの条件次第で一騎打ちに応じる目も出てこよう。そこまでいかずとも、あれを兵から引き離し、誘き出すことは十分に可能である。逆に応じなければ、彼奴には復讐以外の目的があるという判断もできるであろ。いずれにせよ、仕掛けてみて損はない、と思う次第じゃ。そして、政康めを釣る餌が何になるかじゃが――もう身どもが口にするまでもあるまいの」


 悪戯っぽく俺を見て笑う左内。
 その左内に促されるように、室内の諸将の視線が再び俺に集まってきた。
「……岩成友通を討った者。それが、三好政康を誘き出す餌になるということか」
 うめくような伝左衛門の言葉に、十郎兵衛が右手で口許を覆いながらうなずいた。
「……しかり。荒唐無稽と思うたが、一騎打ち、か。目はある。確かにある」
 先ほどの怒気が一掃されたわけではない。むしろ、拭いきれていない者が大半であろう。だが、それを上回る何かが、この場に集った諸将の表情を覆っていた。




 沈黙の帳を破ったのは蒲生定秀である。
 定秀はみずからの席から立ち上がると、じっと俺の顔を見据えた。
「なるほど。三好政康を我が目で見ておきながら、一騎打ちが意味するものを解しえなかった。たしかにわしは愚者であったようだ。おぬし、北……北相馬ともうしたか?」
「は」
「相馬よ。我が不明をここに詫びる。このとおりじゃ」
 そういって、定秀は頭を垂れた。顔をわずかに傾けた、というものではない。はっきりと、深々と頭を下げたのである。諸将の口から悲鳴にも似た声があがったが、定秀は一向に気にかける素振りを見せず、なおも俺に云った。


「そなたの策を無下に退け、しかも左内の言葉を聞けば、そなたは我らに意趣ありと聞く。その上で頼むのは厚顔な振る舞いであると謗られようが、曲げて頼む。今一度、そなたの策をきかせてはくれぬか。此度の戦はどうしても負けられぬ。たとえ勝っても犠牲が多ければ、どのみち蒲生も青地も衰亡せざるをえなくなろう。犠牲少なくして勝つ方法を、我らに指南してほしいのじゃ」



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