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No.40336の一覧
[0] 聖将記 ~戦極姫~ 【第三部】[月桂](2014/08/15 00:02)
[1] 聖将記 ~戦極姫~ 第一章 京嵐(二)[月桂](2014/08/15 23:44)
[2] 聖将記 ~戦極姫~ 第一章 京嵐(三)[月桂](2014/08/21 22:47)
[3] 聖将記 ~戦極姫~ 第一章 京嵐(四)[月桂](2014/08/25 23:54)
[4] 聖将記 ~戦極姫~ 第二章 瑞鶴(一)[月桂](2014/09/03 21:36)
[5] 聖将記 ~戦極姫~ 第二章 瑞鶴(二)[月桂](2014/09/06 22:10)
[6] 聖将記 ~戦極姫~ 第二章 瑞鶴(三)[月桂](2014/09/11 20:07)
[7] 聖将記 ~戦極姫~ 第二章 瑞鶴(四)[月桂](2014/09/16 22:28)
[8] 聖将記 ~戦極姫~ 第三章 雨月(一)[月桂](2014/09/19 20:57)
[9] 聖将記 ~戦極姫~ 第三章 雨月(二)[月桂](2014/09/23 20:30)
[10] 聖将記 ~戦極姫~ 第三章 雨月(三)[月桂](2014/09/28 17:53)
[11] 聖将記 ~戦極姫~ 第三章 雨月(四)[月桂](2014/10/04 22:49)
[12] 聖将記 ~戦極姫~ 幕間[月桂](2014/10/12 02:27)
[13] 聖将記 ~戦極姫~ 第三章 雨月(五) [月桂](2014/10/12 02:23)
[14] 聖将記 ~戦極姫~ 第三章 雨月(六)[月桂](2014/10/17 02:32)
[15] 聖将記 ~戦極姫~ 第三章 雨月(七)[月桂](2014/10/17 02:31)
[16] 聖将記 ~戦極姫~ 第三章 雨月(八)[月桂](2014/10/20 22:30)
[17] 聖将記 ~戦極姫~ 幕間[月桂](2014/10/23 23:40)
[18] 聖将記 ~戦極姫~ 第四章 黎明(一)[月桂](2018/06/22 18:29)
[19] 聖将記 ~戦極姫~ 第四章 黎明(二)[月桂](2018/07/04 18:40)
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[40336] 聖将記 ~戦極姫~ 第三章 雨月(六)
Name: 月桂◆3cb2ef7e ID:fbb99726 前を表示する / 次を表示する
Date: 2014/10/17 02:32
 南近江 草津


 数刻前まで天頂にかかっていた日は西に大きくかたむいており、草津の町は茜色の空に覆われつつある。あと一刻もすれば、この空も夜の闇に呑み込まれていくだろう。
「その闇にまぎれて退くつもりか、蒲生賢秀」
 草津の南に陣をしいた三好軍、その陣中にあって、敵陣から立ち上る炊煙を見据えていた岩成友通は呟くように云った。
 炊煙自体はめずらしいものでも何でもない。現に三好軍の陣中からも立ち上っているが、その数が昨日までと比べ、目に見えて増えているのであれば、敵軍がなにがしかの軍事行動をとろうとしている、と考えるべきであろう。


 そして、眼前の蒲生勢がとりえる行動は退却以外にありえない。そのことを岩成友通はよく知っていた。
「日向守さま(三好長逸)からの報せによれば、織田と浅井が国境を侵したという。まことであれば六角軍は退かざるをえまい。そして、六角義治は有利な戦況を手放してまで兵を返した。情報の正誤を確認する必要はなかろう」
 六角軍が三好軍を拠点から引きずり出すために策を講じた、という可能性もないではないが、ほぼ勝ちが確定していた戦線を乱してまで小細工を弄するとは考えにくい。やはり織田軍らの参戦は事実と見るべきであった。



 速やかな江南征服を目論んでいた友通にしてみれば、この両家の参戦は痛し痒しの出来事である。危地を脱したのは事実だが、これから先、弱体化した六角軍よりもはるかに手強い二家を相手にしなければならない。本来であれば、彼らが野心を逞しくする前に決着をつけたかったのだが、もはやそんなことは云っていられなかった。
 当初の目論見は成らなかった。この後は、六角家に加え、あらたに参戦したニ家を相手とした血みどろの死戦を幾度も繰り返さなければなるまい。背後の松永久秀や、これまで沈黙をたもっていた三好長慶らがどう動くか――


「――いや、今はそんなことを考えている場合ではない、か」
 友通は先走る自分を制し、まずは眼前の蒲生勢を片付けるべく頭を働かせた。すべては蒲生勢を打ち破ってからのことだ、と思い定める。
 友通の手勢だけでは蒲生勢に届かないが、夜陰に乗じて退く敵を討つだけなら、兵力の多寡はさほど問題ではない。問題があるとすれば、蒲生勢を挟んだ向かい側に布陣しているはずの政康が、敵の動きに気がついているかどうかであるが――
「今から使者を出したところで間に合うまい。まあ、こと戦に関するかぎり下野どのは信用できる。問題ないだろう」
 別段、先の青地攻めの失態を皮肉ったわけではない、これは友通の本心だった。だからこそ、先の青地攻めの失敗は友通にとっても驚きであったわけだが、勝敗は兵家の常、一度の敗北は一度の勝利でつぐなえば良い。




 と、不意に何かの気配を感じた友通は周囲を見渡した。
 すると、いつの間に飛来していたのか、友通から少し離れたところに一羽の鳥が佇んでいた。忙しげに立ち働く兵士たちに気がついていないはずはないだろうに、奇妙な落ち着きを保って友通の方を見つめている。
 白い羽毛に長い脚、長い首、そして鋭いクチバシ。
 それは白鷺(しらさぎ)であった。
 そうと知った友通の顔に、めずらしくやわらかい表情が浮かぶ。


 友通は格別に鳥を好いたり、可愛がったりしているわけではないのだが、一番好きな鳥を挙げよと云われれば白鷺の名前を出す。
 これもさして深い理由があるわけではない。幼少のおり、父から教えられた「白鷺がつがいとして選ぶのは、生涯で一羽だけだ」という言葉が心に残っているためである。
 それが本当のことであるかは知らないし、あえて知ろうとも思わないが、以来、友通はなんとはなしに白鷺に親近感を抱いていた。



 不意に友通は短く苦笑する。
 同族同士で殺しあう人間に、それも今まさに「どうやって敵を討とうか」と考えている自分に親近感を持たれたところで、白鷺にとっては迷惑なだけだろう。そんな風に思ったのだ。
 その友通の様子を、白鷺はなおも無心に眺めていたが、やがておもむろに鋭いクチバシを開くと、一声鳴いて茜色の空に向かって飛び立っていった。
  

 友通の傍らに控えていた小姓のひとりが、おずおずと口を開く。
「吉兆、でありましょうか?」
「我らが勝てば吉兆となり、敗れれば凶兆となる。結局は我ら次第なのだから、鳥獣の動きに一喜一憂することはない」
 武家ともなれば諸事に縁起を担ぐもので、西国の毛利元就などは勝ち虫といわれるトンボ一匹で全軍を鼓舞したとも伝えられている。
 が、友通はそういったことに意を用いない。成り上がりの身であることも関わっていたかもしれないが、要は結果を出せば良い、というのが友通の考えであった。


 慌ててかしこまる小姓を尻目に、友通は踵を返して自分の陣幕に向かう。
 炊煙の件を諸将に伝え、夜襲の準備をさせるためであった。




◆◆




 夜半、密やかに陣を出た岩成勢は、夜の闇に乗じて蒲生勢に忍び寄ると、頃合を見計らって喊声とともに突撃した。
 蒲生勢の陣地には常にもまして多くの篝火が焚かれている。厳重に夜襲を警戒している、そう見せかけて退却を容易にするための策であろうと思われた。
 事実、襲来した岩成勢を迎え撃ったのは、準備万端ととのえた敵兵の姿ではなく、今まさに逃げ出そうとしていた者たちの驚き慌てた姿である。三好軍の喊声に応じてあがったときの声には、戦意ではなく狼狽が込められていた。


 奇襲の成功を確信した友通は、そのまま次々と手勢を投入して敵陣を切り裂いていく。これに対して蒲生勢は反撃らしい反撃もできず、ただずるずると引き下がるばかり。四半刻にわたる攻撃により、岩成勢は先刻までの敵陣をほぼ完全に占領するにいたった。
 その頃には、すでに蒲生勢は抗戦を諦め、おそらくは当初の計画どおり青地城の方角へ退きつつあった。当然、友通はその後を追ってとどめを刺そうと試みたのだが、さすがに本隊とおぼしき部隊は堅く、数度にわたる攻撃はことごとく弾き返されてしまう。
 それでも友通は追撃の手を緩めなかった。勝敗の帰結はすでに明らかだが、この戦の先を考えるならば、六角家の戦力はここで可能なかぎり削ぎ落としておくべきである。
 もう間もなく蒲生勢の前に三好政康の手勢が立ちはだかるだろう。足を止めた敵勢を前後から挟撃し、一息に屠りさる。それが友通の目論見であった。



 と、友通の耳になにやら驚き騒ぐ兵たちの声が飛び込んできた。
 何事か、と眉をひそめた友通のもとに一人の兵士が駆け込んでくる。その兵士は敵将 蒲生賢秀討死の報を携えていた。






 これ以上ない吉報を耳にした友通は、しかし、表情に「喜」も「驚」も浮かべることはなかった。その表情に浮かんだのは「疑」である。
 戦の趨勢は明らかに三好軍に傾いていた。間もなく敵将を討ち取ることができるだろう、と友通が考えていたのは事実である。しかし、いまだ敵の本隊を捕捉できていなかったこの段階で、どうして敵の大将を討ち取ることができたのか。


 詳細を聞いた友通の眉がつりあがった。
「裏切り、だと?」
「は、はい! こたびの戦で蒲生に雇われた兵の一部が、寝返って敵将を襲ったとのことでございますッ」
 友通ははっきりと苛立ちを込めて舌打ちする。
 吉報を耳にして沸き立っていた将兵は、見るからに不機嫌そうな主将の姿を目の当たりにして、たちまち静まり返った。


「さすがは昨日と今日で敵味方をとりかえることに慣れた雇われ兵、機を見るに敏である――そう云いたいところだが」
 この戦況で寝返ったところでどれだけの功になると思っているのやら、と友通は吐き捨てた。
 友通にしてみれば、遅かれ早かれ蒲生賢秀の首級をとることはできた、と思っている。織田や浅井があらわれる以前であればまだしも、今このときに裏切りを働いた者たちを賞する気にはなれない。むろん、感謝などする必要もない。



 やがて運ばれてきた首級は、髪こそ撫でつけられていたものの、ひどい有様だった。おそらく手柄をもとめた兵たちが寄ってたかって斬りつけたのだろう、頬は裂かれ、目は潰され、左右の耳は切り落とされている。
 これではこの首級が本当に蒲生賢秀のものであるのか確かめようがないが、首級と共に運ばれてきた特徴のある兜が、持ち主の地位を無言のうちに証明した。
「黒漆塗りの燕尾形兜(えんびなりかぶと)か」
 蒲生家当主に代々伝えられているという兜は確かに本物であった。
 そのことを確かめた友通は、何事か思案した後、賢秀を討ち取った兵たちを連れてくるように命じる。



 やがて三好兵に囲まれるようにしてあらわれた者たちは七人。当然、武器はすべてとりあげられている。
 彼らは周囲を囲む将兵の威に一瞬怯む様子を見せたが、賞されることは間違いないという確信に促されるように、期待をこめて友通の前にひざまずいた。
 そんな彼らに友通は冷淡な言葉を浴びせかける。
「嬉しそうだな。雇い主を裏切り、先刻までの味方に斬りつけたことがそれほど楽しかったのか?」


 よくやったと称賛されるに違いないと思い込んでいた雇われ兵は、友通の冷えた言葉に思わず顔を見合わせる。おそるおそる顔をあげてみれば、視界に映るのは明らかな嫌悪を宿してこなたを見下ろす友通の顔であった。
「貴様ら、褒美が欲しいか?」
 改めて問われた兵たちは再び顔を見合わせる。
 友通は彼らが結論を出すのを待っていなかった。もとより、裏切り者の意見など聞く気はない。
「では、くれてやろう。貴様らへの褒美は黄泉路を往く旧主の案内役だ。名誉ある役割だぞ、しっかと務めるがよい」
 その言葉に一拍遅れて、ひざまずく兵たちがざわめいた。かまわず友通は先を続ける。
「賢秀どのもはじめての道のりで苦労しておられようからな。およばずながらこの友通、貴様らと賢秀どのが出会えるよう手助けしてしんぜる」



 もはや誰の目にも友通の意思は明らかであった。悲鳴をあげて逃げようとする兵たちの背に向かい、友通は断固として命じた。
「斬れッ!」
 反応は素早かった。
 雇われ兵たちを連れて来た三好兵は、その命令がくだされるのを待っていたかのように、素早く彼らを斬り伏せていく。
 七人すべてが倒れ伏すまで、かかった時間はごくわずかであった。


「首をとりましょうか?」
 うめき声をあげる兵士の傍らに立った三好兵が友通に問いかける。
 友通は短くかぶりを振った。
「無用だ。とどめを刺した後、他の屍と共に埋めておけ」
「御意。早速そのように」
 配下がうなずくのを見た友通は、これで事は済んだと判断し、これから先のことについて考える。


 賢秀の死は蒲生勢へのとどめとなる。まずは政康と共にこれを蹴散らし、それから青地城に攻めかかろう。今ならば青地城を落とすのは容易いはずだ。城を落とした後、六角義治率いる本隊を追い、彼らが観音寺城に帰り着くまでに、これを捕捉、撃滅する。しかる後、織田軍、浅井軍との戦いを……




「殿ッ!!」



 突如あがった悲鳴じみた叫びは、先に白鷺を吉兆と見たがった小姓のものであったろうか。
 その声は思案にひたっていた友通の意識を一瞬で現実へと引きずりあげた。
 咄嗟にその場から飛び退ろうとしたのは、危険に対応する武将の本能であったのだろう。
 だが――


 凶刃はもはや避けようがないほどに友通に迫っていた。
 三好兵の甲冑を着た兵士が身体ごとぶつかってきた、その瞬間、腹部に何か冷たいものがめりこんでくる感触があった。
 悪寒が友通の意識をわし掴みにする。
 一瞬の空白。
 悪寒は焼け付くような激痛に形をかえた。喉の奥から熱く苦い何かがせりあがってくるのを感じた友通は、反射的にそれを飲み下そうとする。
 しかし、果たせなかった。


「ぐ……が、はッ!?」
 友通の口から血が吐き出され、襲撃者の黒髪が暗赤色に染めかえられていく。
 それまで凍りついたように動かなかった周囲の兵士が、ここでようやく事態を察して怒号を発した。 
「おのれ、殿に何をするかァッ!」
 振り下ろされた刃は、数え上げれば十を越えていたであろう。しかし、そのいずれも襲撃者に届かなかった。三好兵と同じ甲冑をまとった兵士たちがそれを阻んだからである。
 冷静に事態を観察している者がいたならば、友通に鎧通しを突き立てた者も含めて、彼らが件の雇われ兵たちを連れて来た兵であると気づいたかもしれない。




「貴様ら、いったい何を……!?」
「気でも違ったか!!」
「ばかもの、そんなことを云っている場合か! はよう殿をお助けせねばッ!」
「医者を、医者を呼べ! 呼ばぬか!」
 怒号と悲鳴、疑念と驚愕が交錯する中、いまだ意識を保っていた友通は、おさまらぬ吐血の苦しみにあえぎながらも、左手で襲撃者の身体を抱え込んだ。
 傍から見れば、そして血の色さえなかったならば、恋人同士の逢瀬に見えたかもしれないが、むろん、そんな甘さは薬にしたくともありはしない。


「……ちィ!?」
 予期せぬ友通の動きに戸惑ったように動きをとめた襲撃者は、すぐに相手の意図を察したらしく、友通を突き飛ばして距離を置こうとする。
 しかし、友通の細い左腕が、そんな襲撃者の動きを許さなかった。組み打ちや襲撃に備えて右の腰に差しておく短刀、いわゆる馬手差しを抜いた友通は、お返しとばかりに襲撃者の身体に刃を突きたてようとする。


 友通と襲撃者の間に差があったとすれば、体重をこめて刃を突き刺した襲撃者と異なり、密着状態の友通は力ずくで相手の防具を貫くことができなかった点であろう。相手の左腋を狙った友通の一撃は、咄嗟に腋をかばった襲撃者の左肘に突き刺さり、動きを止められてしまった。
 ただでさえ深傷を負っていた友通が、身体を絡めた状態ですばやく次撃を繰り出せるはずもなく、まして別の相手によって横合いから繰り出された一刀を避けることは不可能であった。


 襲撃者が再び友通の身体を突き飛ばす。首筋を深く切り裂かれた友通は、今度は耐えることができず、そのままどぅと仰向けになって地面に倒れこんだ。
「…………あ」
 揺れて、かすれる視界の中、友通はようやく自分を襲った相手の顔を視界にいれることができた。
 といっても、薄れゆく意識の中でわかったのは、相手の黒い髪と、おそらくは男性であろうということくらい。今の友通に自分を討った相手が誰であるかを知る術はなく、また知りたいとも思わなかった。



「ちょう……け……さ、ま……もう、し……わけ…………」
 かは、と。
 最後に心に浮かんだ人物に向け、深く詫びた友通の口から、ひときわ多量の血が吐き出される。
 それが岩成友通の最期であった。
 ややもすれば、あっけないとさえ思われる死に様であったが、事切れた友通はもうぴくりとも動かない。
 この友通に死によって、世に三好三人衆と謳われた勢力はその一角を永遠に失うこととなった。のみならず、江南をめぐる戦いにおいて三好軍の戦絵図を描いていた友通の死は、三人衆の勢力の急速な減退を招くことになるのである。  
  




◆◆





「ほれ、相馬! 何をぼうっとしておるかッ」
 叱咤にも似た左内の一言で、俺はハッと我に返った。一瞬だが、自失していたらしい。
 我に返ると同時に、今しがた討ち取った相手に抉られた左肘が激痛を訴えてきたが、こちらは命を奪ったのだから(とどめは左内の一刀だが)恨みごとなど云えようはずもない。
 俺は腹の底から搾り出した声を、天にも届けとばかりに解き放った。


「三好三人衆の一角、岩成友通討ち取ったり!! 合図だ、火矢を放って賢秀さまにお伝えせよ! 策は成った! これより我ら蒲生勢、全軍を挙げて三好軍を討ち滅ぼすッ!!」
 三好軍に扮して本陣に紛れ込んでいた左内の手勢が、心得たように大声で唱和した。
 眼前で主を討たれた兵の中には、怒号をあげて斬りかかってくる者もいたのだが――


「のけ、雑兵ッ!!」
 太刀を小枝のごとく振り回して敵兵を退けたのは横山喜内である。
 喜内は先の軍議で左内が策を披露したとき、みずから参加を願い出てこの場にいる。いわく、蒲生家の窮地を救うための策に、蒲生の兵が一人も加わらないでは自分を送り出してくれた父母に顔向けできない、ということであった。
 それは嘘ではないだろうが、たぶん俺たちを怪しむ気持ちもいくらかは持っていたのだろう。左内が蒲生賢秀に対し、身どもの手にかかって云々と口にした際には、噛み付きそうな顔で左内を睨んでいたし。



 それでも、ここまで事態が進んだ以上、俺たちへの疑いは完全に晴れたに違いない。
 喜内の剛勇に助けられながら、俺たちは悲鳴と叫喚に満ちた陣幕の外へ走り出た。当然、その最中にも、岩成友通討ち取ったり、と何度も叫んでいる。
 本陣から走り出てきた俺たちを遮ろうとする兵がいないわけではなかったが、そのほとんどは喜内の太刀と、左内の刀で退けられる。大半の三好兵はわけもわからず、俺たちの前に道を開けた。
 それも仕方ないといえば仕方ないことだった。三好兵の格好をした――つまりは味方のはずの俺たちが、主を討ち取ったとわめきながら斬りかかってくるのだから。寸前まで敵将を討ち取ったと沸き立っていた三好兵にしてみれば、こんなわけのわからないことで死んでだまるか、という心地であったろう。



 そういった三好兵の多くも、やがて否応なしに現実を認識しなければならなくなる。
 先に俺が叫んだ蒲生全軍で云々というのは大部分が嘘だが、一から十まですべてが偽りというわけではない。合図の火矢を見た蒲生勢の一部、結解十郎兵衛が率いる部隊が三好軍に襲い掛かったのである。
 わずか百名たらずの部隊であり、主目的は俺たち、もっといえば喜内の迎えであったが、それでも主を失った岩成勢にとって、この一撃はことのほか大きく響いた。常であればすぐさま届くはずの友通の命令が一向に届かず、本陣に差し向けた使者もなしのつぶてとくれば、流言と思われていた友通討死の報せも信憑性を帯びてくる。
 間もなく俺たちは援軍と合流して岩成勢から離れたが、追撃してくる兵はただの一人もいなかった。







 その後、俺たちは本隊の後を追って三好政康が展開していた包囲陣に踏み入ったのだが、幸いにも敵の主力部隊とぶつかることはなかった。
 二、三度、三好の小部隊と刃を交えたが、いずれも小競り合いのみで突破に成功している。どうやら政康は蒲生勢の本隊を追っているようで、俺たちはその間隙を縫う形で包囲を抜け、政康と鉢合わせしないように大きく回りこんで青地城へ再入城した。


 すでに岩成友通を討ち取った報せは青地城に届いている。そのため、城内は戦勝に沸きかえって――いるわけではなかった。
 織田、浅井両軍の侵攻はすでに兵たちの間でも広まっている。この凶報の前では、三人衆のひとりを討ち取った功績も小さなものにしかなりえない。
 しかも、いまだ三人衆の攻勢がやまぬとあっては、なおさら勝利を喜んでいる暇があるはずもない。


 そう。混乱する岩成勢をまとめ終えた三好政康が、残兵を率いて青地城に進軍してきたのである。





 ここ数日でようやく見られるようになった青空の下、今にも城に攻めかからんとしている三好勢を見据えていた俺に、横合いから声がかけられた。涼やかでありながら、どこか飄々とした独特の声音は、もちろん岡左内のものである。
 その左内は呆れたように眼下の三好軍を見て云った。
「いや、しつっこいの。いまさらこの城を落としたところで、挽回の目などないことはわかっておろうに」
「だからといって、僚将を討たれたまま、おめおめと引き下がるわけにはいかない、というところなんだろう。正直、ここまで素早く兵を纏めるとは思っていなかった」
「執念のなせる業であろうか。数は、ふむ、一千に届かぬかな。これだけ見れば先の戦よりもマシになっているはずじゃが、何故であろうか、先の戦より面倒なことになる気がしておる」
「同感だ。ヘタすると初撃で叩き潰されるぞ」


 俺が顔をしかめたのは肘の痛みのせいばかりではなかった。
 左内が口にした執念という言葉は剴切だろう。まさしく三好政康は、僚将の仇を討つという執念で兵を纏め上げたに違いない。
 俺と左内の視界には、陣頭に立つ三好政康の姿が映っている。さすがに距離が開いているので、どんな表情を浮かべているかまではわからないが、それでも伝わってくるものはある。


 左内が歎ずるように云った。
「虎の尾を踏んだのは、なにもあちらばかりではなかったようじゃ」
「ここまで来て政康に従っている以上、敵兵も覚悟を決めているだろう。もう扇動も撹乱もきかない。打って出るか、立てこもるか、いずれにしても正面から潰しあうことになる」
 数だけ見れば蒲生勢は政康の部隊を上回るが、これとて二倍、三倍の開きがあるわけではない。
 おそらくは死兵となって突っ込んでくる敵兵を野戦で迎え撃つのは下策。かといって、先の戦いで防備を剥ぎ落とされた青地城に立てこもったところで、どこまで耐えしのげるか。
 しかも、今回は耐えたところで援軍が来るわけでもないのである。




 考え込む俺の傍らで、左内が思い出したように口を開いた。
「そういえばの」
「ん?」
「賢秀どのからの言伝じゃ。次の軍議には相馬も出てほしいとのことであるが、どうする?」
 唐突な要請をうけ、俺は訝しげに左内を見た。
「ずいぶんいきなりだな?」
「喜内の坊やから岩成友通を討ち取った相馬の働きを聞いたのであろ。これまでの策が身どもではなく、相馬から出たことまでは気づいておらぬだろうが……いや、しかし茂綱どのは身どものことをそれなりに知っておるし、疑ってはいるかもしれぬなあ」
 俺はかぶりを振って応じた。
「面倒な。これまでどおり、左内に窮地を救われて恩返しに励んでいる浪人甲ということにしておいてくれ。別に嘘ではないしな」
「その作り話のおかげで、身どもは蒲生のお歴々から何やら端倪すべからざる策士であると思われてしまっているのだがの」
「それだって別に嘘ではないだろう」


 策士かどうかは知らないが、端倪すべからざる人物であるのは間違いない。
 話は終わりだと伝えるため、俺はふたたび三好軍に視線を転じた。
 賢秀が俺を呼び出した意図がどこにあるにせよ、軍議の主題は現在の戦況をどのように覆すか、という点に据えられるだろう。
 それにこたえる術がない俺が軍議に出たところで何の意味もない。いや、正直にいえば、一つだけ胸中で温めている策があることはある。しかし、これを実行するだけの条件がまだととのっていないのだ。もっと云えば、その条件がととのう可能性はほぼ皆無である。


 なにしろ、今の俺には策を成就するために必要な相手と連絡をとる術がない。
 今このとき、たまさか彼女たちが青地城にやってくる、ということでもないかぎり、俺の策は実現しようのないものであった。



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