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No.40336の一覧
[0] 聖将記 ~戦極姫~ 【第三部】[月桂](2014/08/15 00:02)
[1] 聖将記 ~戦極姫~ 第一章 京嵐(二)[月桂](2014/08/15 23:44)
[2] 聖将記 ~戦極姫~ 第一章 京嵐(三)[月桂](2014/08/21 22:47)
[3] 聖将記 ~戦極姫~ 第一章 京嵐(四)[月桂](2014/08/25 23:54)
[4] 聖将記 ~戦極姫~ 第二章 瑞鶴(一)[月桂](2014/09/03 21:36)
[5] 聖将記 ~戦極姫~ 第二章 瑞鶴(二)[月桂](2014/09/06 22:10)
[6] 聖将記 ~戦極姫~ 第二章 瑞鶴(三)[月桂](2014/09/11 20:07)
[7] 聖将記 ~戦極姫~ 第二章 瑞鶴(四)[月桂](2014/09/16 22:28)
[8] 聖将記 ~戦極姫~ 第三章 雨月(一)[月桂](2014/09/19 20:57)
[9] 聖将記 ~戦極姫~ 第三章 雨月(二)[月桂](2014/09/23 20:30)
[10] 聖将記 ~戦極姫~ 第三章 雨月(三)[月桂](2014/09/28 17:53)
[11] 聖将記 ~戦極姫~ 第三章 雨月(四)[月桂](2014/10/04 22:49)
[12] 聖将記 ~戦極姫~ 幕間[月桂](2014/10/12 02:27)
[13] 聖将記 ~戦極姫~ 第三章 雨月(五) [月桂](2014/10/12 02:23)
[14] 聖将記 ~戦極姫~ 第三章 雨月(六)[月桂](2014/10/17 02:32)
[15] 聖将記 ~戦極姫~ 第三章 雨月(七)[月桂](2014/10/17 02:31)
[16] 聖将記 ~戦極姫~ 第三章 雨月(八)[月桂](2014/10/20 22:30)
[17] 聖将記 ~戦極姫~ 幕間[月桂](2014/10/23 23:40)
[18] 聖将記 ~戦極姫~ 第四章 黎明(一)[月桂](2018/06/22 18:29)
[19] 聖将記 ~戦極姫~ 第四章 黎明(二)[月桂](2018/07/04 18:40)
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[40336] 聖将記 ~戦極姫~ 第一章 京嵐(二)
Name: 月桂◆3cb2ef7e ID:fbb99726 前を表示する / 次を表示する
Date: 2014/08/15 23:44

 摂津国 石山御坊


 摂津の国にある石山御坊は二つの顔を持っている。
 一つは浄土真宗本願寺派の教団拠点としての顔。
 もう一つは、日ノ本各地で活動する一向一揆を指揮統率する「本願寺軍」の本拠地としての顔である。
 壮麗にして堅固な構えは寺院という枠を飛び越え、城郭――否、要塞とよぶべき偉容を呈しており、石山御坊を見た者は口を揃えて「摂州第一の名城なり」と感嘆した。


 石山御坊の価値は軍事だけにとどまならない。
 もともと摂津の国は京、堺と接し、山陽、紀州といった諸地方と繋がる交易上の要地であった。この要地に腰を据えている事実が、どれだけの利をもたらすかは説明するまでもないだろう。
 また、淀川は京へ物資を運び込む重要な水路であるが、石山御坊はこの淀川をのぞむ地に建てられているため、都の商業活動にも影響力を行使することができた。瀬戸内をはじめ、主要な国内航路とも深く結びついており、教団の府庫に流れ込んでくる財貨は泉の水のごとく湧き出でて尽きることを知らず、宣教師の中には本国への報告書で「日本の富の半ばは本願寺のもの」と記した者さえいた。
 

 強大な軍事力と潤沢な経済力を併せ持ち、信仰を軸とした宗徒たちの結束の強さは比類ない。
 その力は凡百の大名のおよぶところではなく、畿内を制した三好家さえ、本願寺の力を警戒しつつも融和策を採らざるをえなかった。


 畿内における武家の最大勢力が手出しできない宗教団体、それが本願寺教団なのである。




 今日の本願寺の隆盛は、疑いなく教団発足時から最大のものであった。今や本願寺の影響力は、信仰のみならず、世俗の権力にも及んでいる。
 ただ、本願寺教団がはじめから今のありようを求めていたかと問われれば、答えは否であろう。
 元来、本願寺は仏法(信仰)と王法(世俗)の調和に心を砕いてきた教団であった。宗教である以上、信仰を本義とするのは当然であるが、それは世俗の権力を力ずくで打倒することを意味しない。
 一向宗徒が一国の守護を追放した、かの加賀一向一揆に際しても、時の法王は一揆衆の行動を諌め、武器を捨てるよう働きかけている。一向宗という名称も、教団内部では用いられていなかった。
 つまり、各地の一向一揆の活動は本願寺教団の意図せざるものであったのだ。少なくとも、当初は。


 しかし、法王の制止をうけても各地の宗徒の活動はやまなかった。それどころか、宗徒たちはかえって教団上層部を非難した。
 宗徒たちにしてみれば、教団上層部の態度は自分たちを見捨てるものであり、世俗の権力におもねり、仏法を軽んじるものとしか映らなかったのであろう。
 教団上層部にしても一枚岩であったわけではなく、宗徒の望みにこたえるべきではないかと考える者も、徐々にではあるが増え始めていた。


 その流れを一気に加速させたのが今代の法王である。
 宗教指導者としての才覚と、軍事指揮官としての適正を過不足なく兼備する法王は、本願寺教団および信徒に対する迫害に対して、武器をもって抵抗するのは「やむをえぬ仕儀である」として、子飼いの坊官(本願寺軍における武将級の僧たち)を派遣して各地の一揆衆を統率せしめた。
 それまで足並みの揃っていなかった一向一揆の活動は法王の下で統一され、乖離しつつあった指導者と信徒の関係も修復された。これにより教団内部における法王の権限は飛躍的に強化され、法王は名実ともに教団指導者としての地位を確立したのである。






 石山御坊の最奥、法王の間。
 部屋の主は、着流しに扇子一本という、およそ法王の地位からかけ離れた軽薄な格好で南蛮渡来の椅子に腰掛けていた。
 しかし、そのことで法王の威厳が損なわれることはない。
 涼しげな目元にまっすぐ伸びた鼻梁、白皙の頬に艶やかな唇、すべての部位が望み得る最良の位置に配されている麗顔。ふとした言葉、ふとした仕草の端々に漂う男としての色艶は、軽薄さをたちまち瀟洒へとかえてしまう。部屋の隅に控えている女たちの視線は、酔ったように法王の面上に据えられて動かなかった。


 もっとも、法王自身は自分の容姿にさして関心がないようで、今も自らの手で面倒そうに長い髪を束ねている。その手つきはいかにもぞんざいであったが、そんな動作さえ人目を引きつける華に満ちている。
 魅力という才能は確かに存在するのだ――法王の前で頭を垂れながら、鈴木重意(すずき しげおき)はそんなことを考えていた。



 重意は紀伊の国に住まう雑賀衆の棟梁であり、雑賀孫一(さいが まごいち)の名で呼ばれることもある。これは雑賀衆の棟梁が代々引き継いできた名前なのだが、むしろこちらの方が通りが良いかもしれない。
 事実、法王も重意のことを呼ぶ際、もっぱら孫一と呼びかけた。
「孫一、紀州よりはるばる苦労であったな。急な招きを申し訳なく思う」
 髪を束ね終えた法王が声をかけると、重意は一段と深く頭を下げた。
「もったいなきお言葉。しかし、猊下のためとあらばこの孫一、千里の道も苦とはいたしませぬ。必要とあらば、我と我が雑賀の衆、いつなりと御前に馳せ参じますゆえ、猊下におかれましてはどうか遠慮なしに我らをお使いくださいませ」
 無骨な中年男の精一杯の世辞に、法王は楽しげにくつくつと喉を震わせた。
「常にかわらぬ雑賀の誠心、うれしく思うぞ。頼廉、おぬしもそう思うであろう?」
「御意。頼もしき限り」


 法王の言葉に短く応じたのは下間頼廉(しもつま らいれん)という坊官だった。
 本願寺軍には武略に長けた坊官が少なくないが、衆目の一致するところ、首座に位置するのはこの頼廉である。
 雑賀衆を率いる孫一と並んで「本願寺の左右の大将」と称される頼廉は、女性であることを除いて、当人に関する情報は皆無に等しい。常に顔を白布で覆っており、他者が見ることができるのは切れ長の瞳のみ。
 身体の輪郭から女性であることは明らかであり、当人もことさらその事実を隠そうとはしていないのだが、それ以外の情報については問われても黙して語らなかった。


 下間頼廉と雑賀孫一。
 双璧と呼ぶべき二人の将を招いた法王は、彼らに対して一つの命令を下す。
 その瞬間、両将の瞳に刃のきらめきが躍った。



◆◆



 石山御坊の一室。
 顔見知りの坊官に案内された部屋に腰を下ろした鈴木重兼(すずき しげかね)は、先刻から緊張のあまり身体をカチコチにしている弟に苦笑まじりの声をかけた。
「重朝(しげとも)。はじめて御坊に招かれたのだ、緊張するなとは云わないが、少しくらい肩の力をぬいても良いのではないか?」
「し、しかし、兄さま。ぼくが不心得なまねをして御坊の方々の不興をかってしまえば、それは父さまや兄さまの恥となり、引いては雑賀衆の恥となってしまいますッ」
「案ずるな。遠来の客の些細な失態に眦をつりあげるような御仁は、ここにはいない――とも言い切れないが」
「やはり、一時たりとも気をぬくことはできません!」
 若々しい頬を真っ赤に染めて、鈴木家の末弟重朝は全身に力を込める。雑賀衆に名を連ねてはいるものの、未だ初陣を迎えていないという気負いと焦りが、少年特有の虚栄心と混ざり合い、恥をかくまいとする振る舞いに結びついてしまっているらしい。


 その様を見て、困ったものだと思いつつ、重兼はそれ以上言葉を重ねようとはしなかった。
 人間、気力には限りがあるものだ。必要以上に気を張った状態はそうそう長く続かない。そう思ったから、あえて気負いを助長するようなことを云って、弟の限界を早めるようにしたのである。



 それからしばし後。
 兄の目論見どおり、早々に気力が限界に達した重朝は、どことなく悄然とした様子で茶をすすっていた。
 それでも、尽きるのが速ければ、回復するのも早いのが若さの特権であるらしい。さほど時間を置くこともなく、重朝はそわそわと落ち着かない様子で部屋の中を見回しながら、兄に話しかけた。
「それにしても、聞きしに優るところですね、この石山御坊は。僧の方々だけでなく、旅人や商人、それに異国の者たちまで、内も外も人で溢れています」
「そうだな。堺は商人の町だが、御坊にはそれに加えて真宗の僧や本願寺に従う武士たちがいる。西国から京へ向かう者、逆に京から西国へ向かう者、あるいは我らが住む紀州に向かう者も、一度はこの地を通らねばならない。たくさんの者たちがたくさんの目的をもって集い、散っていく場所なのだ。およそ人の数だけでいうなら天下一かもしれない」


 兄が口にした単語を聞き、重朝は感に堪えない様子で何度もうなずいた。
「天下一、天下一、ですか。本当にそんな感じに見えます。ぼくたちの妙見山のお城も、大きくて人も多いと思ってましたけど、ここと比べるとまだまだ小さいんだなって思いました」
「まあ、くらべものにならないだろうな。それと重朝、今の言葉、父上が聞けば機嫌を悪くされるだろうから、云ってはダメだぞ」
「あ、そうですね。わかりました。しっかり口に鍵をかけておきます」


 そういって歳の離れた兄と弟は笑いあう。
 すこしの沈黙の後、重朝はぽつりと呟くように云った。
「姉さまもいらっしゃれば、もっと楽しかったんですけどね」
「……そうだな」
 寂しさを隠しきれない様子の弟を見て、重兼は慎重に言葉を選ぶ。
「重秀が父上に派手に逆らって、城を追放されてから、もう半年か。さっさと仲直りしてくれれば良いのだが、二人とも妙なところで頑固だから困りものだ」
「兄さまでも、父さまのお怒りを解くことはかないませんか?」
「折に触れて申し上げてはいるのだが、な」


 兄の返答に重朝は力なくうなだれた。
「いまだによくわかりません。あのお淑やかな姉さまと、優しい父さまが、どうして……いったい二人は何について言い争われたんですか?」
「私はその場にはいなかったが、これからの雑賀衆がとるべき道についてだと聞いている。父上にせよ、重秀にせよ、譲れないものがあり、不幸にもそれがぶつかってしまったのだろう」
 重兼の物言いは、わかるような、わからないような曖昧なもので、年端もいかない重朝を納得させることはできなかった。
 重兼もそれはわかっていた。実のところ、重兼は父と妹が衝突した理由もはっきりと把握している。
 だが、幾つもの理由から、この場で弟に真実を話すことはできなかった。



 というのも、父と妹が意見を対立させた理由の一つが、ここ本願寺との関係についてだったからである。
 今まで同様、これからも本願寺に従って雑賀衆の未来を拓いていくべき、というのが父の考えであり。
 これからは本願寺と一定の距離を保ち、雑賀衆独自の道を模索していくべき、というのが妹の考えであった。
 妹の考えの底には、武闘路線を拡大していく今代の本願寺法王への不信感がある。このままでは雑賀衆は本願寺が起こす戦いによって疲弊していき、ついには弊履のごとく使い捨てられるのではないか、と妹は案じているようだった。


 一方、その法王の有形無形の援助によって雑賀衆を束ねる立場に就いたのが重兼たちの父 重意である。法王なくば、父が孫一の名を継ぐことはできなかったであろう。
 その父にとって、妹の考えは忘恩不義としか思えなかったはずだ。実際、父はそういって妹を厳しく叱りつけたという。
 それに対しての妹の返答が、わが子の追放を父に決意させた。
 妹曰く。
 法王が鈴木家に手を差し伸べたのは、雑賀衆を意のままに操るためである。強者に力を貸したとしても、相手は恩に感じず、意義は薄い。弱者に力を貸してこそ、相手は恩に感じ、末永く本願寺の走狗となる。だからこそ法王は鈴木家に味方したのだ。もし、当時の鈴木家が強者の立場にあれば、法王は鈴木家と敵対する家に力を貸したであろう。助けられた恩は恩として理解しているが、それは鈴木家が本願寺の野望に殉じる理由にはなりえない――



 妹の言葉を思い返し、重兼は重いため息をはいた。
 こんなことを、本願寺の本拠地である石山御坊で口にするわけにはいかない。求めて危難を招き寄せるようなものだ。
 くわえてもう一つ、重兼は弟に真相を話せない理由を抱えていた。
 父が妹を追放した、おそらく本当の理由は重朝にあるのだ、という理由を。




 三人兄弟の父である重意は古い人間だった。
 何が古いかといえば「女は男に従うべし」という考えを持ち続けており、実際にそれを言動で示しているところが、である。
 当然、重意は後継者には男児を据えるつもりだった。ただ長兄の重兼は幼少時から病弱で、そのせいか長じてからも身体が弱かった。日常生活に支障はないが、雑賀衆の棟梁として戦場を駆けるのは難しい。
 二女の重秀は女児ゆえに除外。
 幸い、三男の重朝は健康で、器量も申し分ないと重意の目には映った。事実、その見立てに間違いはなかったのだが、皮肉なことに戦将として重朝よりもはるかに優れた稟質を示した者がいた。
 それが二女の重秀である。


 鉄砲の腕も、部隊を率いる手腕も、戦術の冴えも、重秀はすべてにおいて長じており、淑やかな為人も手伝って将兵の信望は瞬く間に二女に寄せられていった。
 重秀自身に孫一の名を継ぐことへの執着はなく、重秀と重朝の姉弟仲も良好であったから、重朝に後を継がせることに問題はないはずであった。
 が、重意は自身の経験から、後継問題には万全を期したかった。
 すでに才覚を示した重秀をさしおいて重朝を後継者にすれば、家中の混乱を招くのではないか。重朝が初陣を果たした後、重秀に匹敵する才を示すとは、重意にも思えない。
 仮に家中をおさえることができたとしても、他家が容喙してくる怖れもある。雑賀衆の中には、以前に重意と争った土橋家のように鈴木家に敵対的な家もあるのだ。


 とつおいつ考えるに、重秀の存在は鈴木家にとって動乱のタネになりかねない。重意はそう判断せざるをえなかった。
 むろん、この時点で重意は重秀を追放するつもりはなかった。重意が考えたのは、重秀を早めに嫁に出し、家中の人心を重朝の下でまとめあげておく、その程度のことである。
 ただ、重秀が本願寺に対する苛烈な認識を口にした際、即座に追放という手段をとった心底には、早めに後継問題の芽を積んでおくという意図があったことは確かである……



(父上としては、重朝に後継者の席を与えると共に、本願寺への不信を口にした重秀を逃がしてやる、という思惑もあったのだろうが)
 人払いをしていたとしても、一度口を離れた言葉は飛び立って他者の耳に飛び込んでいく。重秀の言葉はいずれ本願寺に伝わってしまうだろう。そうなった際、鈴木家を守り、かつ重秀を危難から遠ざけるためには、重秀を雑賀から追放するしかない。
 そういった理由から、おそらく今後とも重秀の帰参が許されることはないだろう。帰参がかなうとすれば、重朝が孫一の名を継ぎ、名実ともに雑賀衆の棟梁になった後、ということになるだろうか。


 重兼はそんなことを考えながら、どうやって話題をそらせようかと頭をひねっていた。真相を口にすれば、弟は痛めずとも良い胸を痛めてしまう。そのことがわかりきっている以上、重兼に出来ることはこの場の話題を転じることくらいしかなかったのである。




◆◆◆




 和泉国 堺


 その日、芝辻清右衛門の下へ出向いた俺は、用件を終えた後、まっすぐに世話になっている商家に戻ってきた。
 堺見物ができる状況ではなく、また、その気分にもなれなかったからだ。
 吉継らと共に店の中に足を踏み入れた俺を待っていたのは、何やら慌しく走り回る家人の姿であった。見れば番頭さんがせわしなく彼らに指示を出している。


「何かあったのでしょうか?」
 不思議そうな吉継の声に、他の人間はそろって首をかしげた。
 よく見れば、家人たちの動きは慌しくはあっても混乱した様子はない。となると、別に一大事が出来したわけでもないのだろう。何か大口の取引でも舞い込んできたのだろうか。
 と、俺たちの帰りに気づいた番頭さんが急ぎ足で歩み寄ってきた。
 その口から出た言葉に、俺は思わず眉をひそめてしまう。


「私に客、ですか?」
「はい、天城さま――筑前守さまにお会いしたい、と仰っておいでです」
 その言葉で、眉間にきざまれたしわがいっそう深くなる。
 俺がこの商家にいることを知っている者はごくごく限られる。しかも官位まで口にしているところをみるに、その客は正確に俺の素性を把握しているようだ。思い当たる節はまったくなかった。


 正直にいえば、この大変なときにそんな怪しげな客の相手をしたくはなかったが、そこまでこちらの事情を把握している相手とは誰なのか、という点は気にかかる。
 無視できる相手ではなさそうだし、無視していい相手でもないだろう。
 その俺の考えは、はからずも的のど真ん中を射抜くものであったらしい。番頭さんが口にした客の正体は驚くべきものであった。




 部屋に入った俺を前に、その人物は折り目正しく一礼すると、落ち着いた様子で口を開いた。
「お初にお目にかかります、天城筑前守颯馬どの。それがし、安宅摂津守冬康と申します。無事、勅使としての任を果たされたご様子、祝着に存じます」
 安宅冬康、か。三好の一族にして淡路水軍の長である人間が、なんでまたここに。
 この冬康という人物、優しげな眉目をしており、いかにも良家の若君という感じなのだが、名乗りと共にこちらが予期していない情報を詳らかにしてくるあたり、なかなかに食えない御仁でもあるようだ。


 もちろん、そんな内心はおくびにも見せない。
 俺は九国で更なる磨きをかけたポーカーフェイスを駆使し、丁寧に返答した。
「お目にかかれて光栄です、摂津守どの。三好の一族にして安宅家の当主たる摂津守どのが、それがしごときをねぎらうためにわざわざ足を運んでくださるとは想像もしておりませんでした。昨今の畿内は混乱著しく、その騒擾は遠く九国にまで届くほどでしたが、こうして摂津守どののお顔を拝見していると、それも虚報風聞の類であったのか、と安堵する心地です」


 冬康が勅使の件を知っていることについてはさして驚かなかった。
 義輝さまが事実上三好の傀儡であったのは周知の事実。三好家が勅使の目的を掴んでいたとしても不思議ではない。
 九国の情勢についても堺商人から情報は届けられているだろう。問題は俺が帰還したことまで三好に筒抜けになっていることだが、冷静に考えると、毛利の策動を阻むため、勅使が京に戻ることは大々的に喧伝してしまった。
 となると、それが三好の情報網に引っかかってもおかしくはない。というか、まず間違いなく引っかかっただろう。そう考えると、淡路水軍を率いる冬康が、大友家の船を見つけるのはそれほど難しいことではなかったかもしれん。


 しかし、だとしても冬康が単身で俺のもとを訪れる理由がわからない。
 今の近畿の状況は不穏の一語に尽きる。三好家の重臣である冬康は猫の手も借りたいくらいに多忙であるはずだ。
 今の俺の台詞もそれを意識してのものであった。平たくいえば「悠然と構えてみせてるけど、実は忙しいんだろ? 俺も忙しいんだ。さっさと用件をいえ」と伝えたのである。


 その意図はどうやら正確に伝わったようで、冬康は短く苦笑した後、表情を改め、真剣そのものといった面持ちで口を開いた。
「将軍殿下が弑逆された一件についてはすでにご存知でありましょう。我が姉にして主である三好家当主 長慶はこの件の主犯と目されておりますが、さにあらず。このことについて、筑前守どのと話をしたいと望む者が京都におります」
「――その方の名は?」
「我が兄、三好豊前守義賢」






 
 冬康が辞去した後、俺は吉継たちに今しがた冬康と話した内容を伝え、三好家の招きに応じることを告げた。
 たぶん反対されるだろうなあと思っていたのだが、明確に反対を表明する者はひとりもいなかった。もっとも、吉継や長恵の目にははっきりと「さっさと説明!」という言葉が浮かび上がっていたが。


「まず、俺を謀殺する、というのはないだろう。今の三好家に俺にかまっている余裕はないはずだし、仮に俺が目障りだったとしても、わざわざ京まで誘き寄せる必要はない。堺は三好のお膝元、やろうと思えばいつでもやれるはずだ」
「師兄。わたしや姫さま(ひいさま)のことはともかく、お師様(秀綱のこと)が師兄のお傍にいることは三好も掴んでいるはずです。師兄とお師様を確実に引き離すために、ということは考えられませんか?」
 長恵の疑問に、俺は首を左右に振った。
「たぶん、それもない。罠にかけようとしているにしては、動いた人間が大物すぎる。三好の一族は、たぶん今この国で一番忙しい連中だ。そんな連中が動いたってことは、それ相応の理由があるんだろう」


 そうはいってみたものの、その理由とやらは見当がつかない。
 義輝さまを弑したのは長慶の指示ではない、と冬康は云っていたが、それを俺に説明したところで悪評を晴らすことにはつながらない。俺にそんな影響力はないからだ。そんなことは向こうも承知しているだろう。
 となると、向こうが必要としているのは俺個人ではなく、俺の立場なのかもしれない。将軍家の忠臣たる上杉家、その上杉家に連なる俺を説くことで、間接的に謙信さまを説くつもりなのかもしれん。
 正直、これにしたところで、わざわざ安宅冬康が動くようなことではないという気もするのだが、これ以上はいくら考えてもわかるまい。


 虎穴にいらずんば虎児を得ずという。それに、義輝さまがなくなられたとはいえ、勅使として幕府や朝廷に報告する義務がなくなったわけではない。
 また、冬康が最後に口にした台詞も気になっていた。
 去り際、冬康は次のように言い置いていったのだ。
『あなたが求める情報のすべてとはいいません。けれど、その中の幾つかは、兄と話すことで明らかになるでしょう』
 これが謙信さまの行方を示唆するものであることは間違いなかった。これを聞いた時点で、俺の中で「京に行かない」という選択肢は消え去っている。
 奇妙な成り行きではあるが、再び京の地を踏むことになりそうであった。




 ……なお、後から思えば不覚の極みであったのだが。
 この時点で俺の中に、松永久秀という厄介きわまりない人物についての警戒は、きれいさっぱり抜け落ちていた。
 




◆◆





 それからしばし後のこと。


「また俺に客ですか?」
「はい、今度は小奇麗な女性の方ですよ」
「千客万来ですね、お義父さま」
「まったくだな。来る人、来る人、みんな心当たりがないのが困りものだけど」


「芝辻さまの鍛冶場からお越しになったとのことですが、どういたしましょうか」
「ふむ、なんだろう? とりあえず出迎えるか、何かさっきの件で聞きたいことがあるのかもしれない」
「となると、はや目的の人物が見つかったのかもしれませんね、師兄」
「だといいが、さすがに早すぎるだろう。それに、今の段階で手をあげてもらっても、一緒に連れて行くわけにもいかんしな」
「物好きで腕の立つ鍛冶屋さん、という可能性も――」
「それはない、と断言して差し上げよう」
「ふむ、ならば、もしわたしの推測が当たっていた場合、師兄は何でもひとつ云うことを聞くということでよろしいですね?」
「受けてたとう。当然、外れていたら長恵が云うことを聞いてくれるわけだな。なんでも」
「どんとこい、です」



「……お義父さま、何やら嫌な予感がして仕方ないのですけど」
「はっはっは、吉継は心配性だな。世の中、そうそう都合の良いことは起きないものさ」



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