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No.40336の一覧
[0] 聖将記 ~戦極姫~ 【第三部】[月桂](2014/08/15 00:02)
[1] 聖将記 ~戦極姫~ 第一章 京嵐(二)[月桂](2014/08/15 23:44)
[2] 聖将記 ~戦極姫~ 第一章 京嵐(三)[月桂](2014/08/21 22:47)
[3] 聖将記 ~戦極姫~ 第一章 京嵐(四)[月桂](2014/08/25 23:54)
[4] 聖将記 ~戦極姫~ 第二章 瑞鶴(一)[月桂](2014/09/03 21:36)
[5] 聖将記 ~戦極姫~ 第二章 瑞鶴(二)[月桂](2014/09/06 22:10)
[6] 聖将記 ~戦極姫~ 第二章 瑞鶴(三)[月桂](2014/09/11 20:07)
[7] 聖将記 ~戦極姫~ 第二章 瑞鶴(四)[月桂](2014/09/16 22:28)
[8] 聖将記 ~戦極姫~ 第三章 雨月(一)[月桂](2014/09/19 20:57)
[9] 聖将記 ~戦極姫~ 第三章 雨月(二)[月桂](2014/09/23 20:30)
[10] 聖将記 ~戦極姫~ 第三章 雨月(三)[月桂](2014/09/28 17:53)
[11] 聖将記 ~戦極姫~ 第三章 雨月(四)[月桂](2014/10/04 22:49)
[12] 聖将記 ~戦極姫~ 幕間[月桂](2014/10/12 02:27)
[13] 聖将記 ~戦極姫~ 第三章 雨月(五) [月桂](2014/10/12 02:23)
[14] 聖将記 ~戦極姫~ 第三章 雨月(六)[月桂](2014/10/17 02:32)
[15] 聖将記 ~戦極姫~ 第三章 雨月(七)[月桂](2014/10/17 02:31)
[16] 聖将記 ~戦極姫~ 第三章 雨月(八)[月桂](2014/10/20 22:30)
[17] 聖将記 ~戦極姫~ 幕間[月桂](2014/10/23 23:40)
[18] 聖将記 ~戦極姫~ 第四章 黎明(一)[月桂](2018/06/22 18:29)
[19] 聖将記 ~戦極姫~ 第四章 黎明(二)[月桂](2018/07/04 18:40)
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[40336] 聖将記 ~戦極姫~ 【第三部】
Name: 月桂◆3cb2ef7e ID:fbb99726 次を表示する
Date: 2014/08/15 00:02


 せせらぎの音をたどってようやく小川を見つけた俺は、わき目もふらずに川辺に駆け寄った。
 手で水をすくう手間を惜しみ、そのまま川面に口をつけて音をたてて水を飲み込んでいく。
 消毒もせずに川の水を飲む危険性は承知していたが、正直、そんなことを気にしている余裕は一ミリたりとも残っていなかった。
 なにせこの小川にたどり着くまで、ずっと鍬(くわ)やら鋤(すき)やらを持った人たちに追い回されており、死ぬほど喉が渇いていたのである。


 ようやく渇きから解放された俺は、川面から口を離して安堵の息を吐いた。ついでにため息も吐いておきたい気分だった。
 両親の墓参りの帰り、気まぐれに春日山城址に足を向けてから今日で三日あまり。巻き込まれた事態の異常性を思えば、ため息の一つや二つ吐きたくなっても仕方ない、と思う。
「まったくなあ……ここはどこ、わたしはだれ、とか本気でいう日が来るとは思わなかった」
 しみじみと呟く。
 幸い、記憶はしっかりと残っていたので、自分が天城颯馬である事実に疑いを抱くことはなかった。
 しかし、俺の記憶が確かならば、俺は春日山城址から一歩も出ていないはずだ。しかるに、気がつけばどことも知れない平地に立っていた。見かける人間の大半はボロ布と見まがう粗末な衣服を着ており、意を決して話しかけてみても、うろんな目で睨まれるばかり。時には先刻のように怪しい奴だと追い回されることもあった。いったい俺が何をした。 あんまりにも腹が立ったので、逃げるついでに軒先に転がっていた野菜をくすねてきたが、これは不当なる暴力に対する正当な抵抗の証である、と声を大にして訴えたい。


 が、その程度の戦果で空腹がまぎれるはずもなく、体力的にも精神的にも疲労はとうにピークに達している。
 やたらとかたい上に苦味が強い野菜を無理やり飲み下した俺は、天を仰いで呟いた。
「しかし、これからどうしたものか」 
 いちいち内心の声を言葉にしてしまうのは、やはり今の状況に不安を感じているからなのだろう。何かしら喋っていないと落ち着かないのだ。
 むろんというべきか、あてなど何もない。が、ここでじっとしていても問題は解決しないということだけはすでに理解できていた。これは夢なんだと現実逃避するには、三日という時間の経過はあまりにもリアルだったから。
 と、その時。


 不意に背後で鈴の音が鳴った。


 俺はバネ仕掛けの人形のような動きで身体を半回転させると、拳を握り締めて身構えた。少しばかり過剰な反応かもしれないが、今日までの経験を鑑みれば、警戒してし過ぎるということはないだろう。
 それに、俺は水を飲んでいる間、無警戒でいたわけではない。川辺には石が敷き詰められており、誰かが近づいてくれば、石を踏む音ですぐにわかったはずなのだ。
 それがなく、いきなり鈴の音が聞こえてきたことに俺は驚いたのである。


 警戒と驚きが混在した視線の先に立っていたのは――白木の杖をついた一人の女の子だった。杖の先に鈴が結び付けられており、これが俺の耳に聞こえた音の源だろう。
 綺麗な少女だった。容姿も、そして身なりも。
 汚れひとつ付いていない白色の着物は、今日までこの地で見かけた人々とは明らかに一線を画している。眼前の少女を見ていると、自然に巫女という言葉が思い浮かんだ。
 年齢は、俺の感覚でいえば高校生には達していない。たぶん中学生くらいではなかろうか。優しげな顔立ちに、腰まで届く黒髪がびっくりするほど良く似合っている。
 瞳の色や声音はわからない。少女はずっと目を閉ざし、口を開くこともなかったからだ。ただ、その顔に浮かんでいたのは安堵の表情だ、と俺には見えた。
 顔ばかりではない。少女は杖を持たない左の手を自身の胸に置いており、その仕草はやはり少女の安堵を示すもののように思われた。


 俺は握り締めた拳の力を緩めたが、完全に警戒を解くこともしなかった。目の前の女の子から害意は感じられなかったが、見覚えのない子であることもまた確か。少女が俺を前にして安堵の表情を浮かべる理由がわからない以上、警戒するに越したことはない。
 というか、そもそも少女はずっと目を閉ざしているのだから、俺が誰だかわかるはずもないのだ。姿を現したときの状況といい、やはり怪しい人物ではあるだろう。


 そんな俺の警戒の眼差しを、視力以外の何かで感じ取ったのかどうか。こちらに歩み寄ろうとしていた少女は動きをとめ、一瞬だけ口を開きかけた。が、すぐに何かに気づいたように口元を手で覆うと、今度ははっきりと困惑とわかる表情を浮かべた。
 しばし何事か考え込んでいた少女は、急に「ひらめいた!」といわんばかりにぎゅっと左拳を握り締めると、そっとその場にしゃがみこみ、持っていた白木の杖を地面に置く。


 杖が地面に置かれた際、先端につけられていた鈴が、ちりんと澄んだ音をたてた。
 杖を置き終えた少女は、ゆっくりと立ち上がると、俺に向けて両の手のひらを開いてみせる。
 それが害意のないことを示す動作であると悟った俺は、戸惑いつつもその推測を声に出してみた。
「ええと……敵意はない、ということかい?」
「――!」
 こくこくこく、と高速で上下に揺れる少女の顔。外見から推して物静かな子だと思い込んでいたが、先ほどからの百面相といい、どうやら思った以上に活動的な子であるらしい。
 あるいは、こうして俺と出会えた事が、少女にとって、はしゃがずにはいられないほど大切なことであったのかもしれない――いや、まあたぶん違うだろうけど。


 少女は杖を拾いなおすと、ゆっくりとこちらに近づいてきた。
 一歩進む都度、杖の先で揺れる鈴が、りん、りんと涼しげな音をたてる。その音が、つい数日前の記憶と結びついたが、この時の俺にその意味を理解することはできなかった。
 俺が理解できたのは、目が見えず、言葉もしゃべれない眼前の少女が、白く細い指をつかって俺のてのひらに書き記したこの子の名前だけ。


 『そうしん』
 それが、これから先、ほんの数日だけ旅の道連れとなった少女の名前であった。 



 聖将記 ~戦極姫~ 【第三部 乱世の閃影】



 和泉国 堺


 襖の外から聞こえてくるチュン、チュンという鳥のさえずりで目が覚める。
 瞼をこすりながら襖を開けると、空はまだ夜の支配下にあった。東の方向に、かすかだが曙光の兆しが見て取れる。
「えらく早起きしてしまったな」
 そう呟いた俺は、肩の凝りをほぐしながら大きく伸びをした。
 昨晩、床に就いたとき、夜はだいぶ更けていた。それを考えると、俺が眠っていたのはせいぜい三、四時間というところだと思うが、寝足りないという感覚はまったくない。


 この充足感が、あの懐かしい夢を見たことでもたらされたものなのだとすれば、あの少女に感謝しなければならないだろう。あれ以来、一度も会うことができていないのだが、あの子、元気にしているだろうか。
 まあ短いとはいえ、共に旅をした仲である。あの子が俺の心配を必要とするようなやわな子でないことは重々承知していた。なにしろ、道中でからまれた荒くれ者たちを杖一本で撃退した子だし。それを見た時は、ほんとに目が見えないのかこの子、と唖然としたものである。


 耳をすませば、大勢の人たちが立ち働く物音が聞こえてくる。早起きしたと思っていたが、この家には俺よりもさらに早起きしている人が結構な数、いるようだった。
「農家の朝は早いというけど、商家の朝も負けず劣らず、ということかね」
 今、俺が厄介になっているのは泉州堺にある、とある商家の屋敷である。大友家の御用商人 仲屋宗悦どのが堺における活動の拠点としている場所だ。
 九国を出て、瀬戸内を通り抜け、畿内へとやってきた俺は、ひとまずこの屋敷に腰を落ち着けた。
 心情からいえば、即刻越後へ向かいたかったのだが、なにしろ畿内の情勢がまったくわからない。無計画に越後へ向かった挙句、三好あたりに怪しまれて捕まったりすれば目もあてられない。
 つけくわえれば、ここまで来る道中も決して安穏としたものではなく、一度しっかりと休息をとる必要があったのである。


 ……いや、まあ意味ありげに云ってはみたものの、別にどっかの大名に襲撃されたとか、そういったことがあったわけではない。毛利軍は妨害するどころか喜び勇んで俺たちを送り出したほどだし、噂に名高い村上水軍に追いかけまわされたりもしなかった。
 ただ単に、俺が慣れない船旅で疲労困憊しただけである。揺れすぎだ、船。
 おかげで同行者のひとりからは、
『なるほど、師兄に勝つには船戦。おぼえておきましょう』
 とか云われる始末である。おぼえてどうする気か問い詰めたかったが、海上の俺にそんな余力が残っているはずもなく、ともすれば喉下にせりあがってくる何かを飲み下すだけで精一杯だった。



 ともあれ、手早く身支度を調えた俺は部屋を出た。
 夜のうちに何か新しい情報が届いている可能性もある、そう考えてのことだったが、あいにく、そこまで物事は都合よく進まなかった。
「申し訳ございません。目新しい情報は何一つ。三条西家に遣わした者も、いまだもどっておりません」
 そういって恐縮したように頭を下げたのは、この店の番頭さんだった。府内にいる主人の代わりに店を切り盛りするこの人物、多種多様の商取引はいうにおよばず、大友家と京都を結ぶ外交面の太いパイプを維持する役割も受け持っているそうで、俗な言い方をすれば「かなりの切れ者」というやつである。
 そんな人物がどうして俺にここまで丁寧に接してくれるのかといえば、俺が大友家の恩人兼賓客という扱いになっているからだった。俺としてはくすぐったい上、微妙に座りが悪いのだが、強いて扱いを改めるよう頼むのも面倒なので――というか、そんなことを気にかけている時間もなかったので、相手の納得がいくようにさせていた。


 で、この番頭さん、今回の政変に際しても抜かりなく情報を収集しており、それによると、現在までのところ畿内で大きな合戦は起きていないらしい。将軍が討たれたことにより、一部の幕臣が三好家に兵を向けようとしたそうだが、もとより武力にまさる三好軍の敵ではなく、この動きは三好軍によって鎮められた。
 結果、京は三好家の統治の下で治安を回復しつつあり、それを見た周辺の国々も軽挙を慎んでいる、というのが現在の状況であるようだった。将軍没後の畿内の混乱に乗じようとする者は少なくないだろうが、思ったよりも三好家の動きが統制がとれているので、ヘタに手を出して手痛い反撃をくらうのを怖れ、様子をうかがっているのだろう。
 もっとも、畿内の情勢は日を追うに従って緊迫の度を高めており、遠からず大きな動きがあるでしょう、と番頭さんはつけくわえた。


 俺としては正直、畿内のことは二の次で、一番の関心事は謙信さまたちの行方にあった。
 当然ながら、その点は真っ先に確認したのだが、あいにく謙信さまたちに関する情報は何もなかった。
 これはまあ、仕方ないといえば仕方ない。将軍討死という一大事にあって、少数で上洛していた上杉家一行の行方に関心を払う者などそうそういるはずもない。少なくとも、今日まで謙信さまたちの身に危難が及んだという情報は伝わっていないとのことなので、今のところはそれで満足しておくしかない。
 今しがた番頭さんが口にしたように、謙信さまたちが京での宿所にしていた三条西家にはすでに人を遣わしている。この使者が帰って来るのを待って、今後の動きを決するべきだろう。



 俺はそう結論づけた、のだが。
「とはいえ、せっかく名高い堺の町にいるのだし、ただぼうっとしているのはもったいないと思うわけだ」
 朝食の後、俺は同行者たちにそう告げた。
 この場にいるのは大谷吉継、丸目長恵、上泉秀綱、そして小野鎮幸の四名である。鎮幸は立花道雪どのが道中の護衛としてつけてくれた人物なのだが、当面の間は堺にとどまり、俺の目的のために尽力してくれるとのこと、実にありがたい。
 そう云って礼を述べたら「共に矢石の雨をくぐりぬけた仲ではないか、水臭いことをもうすな」と返され、背中をばんばんと叩かれた。痛かった。


「堺……ふむ、鉄砲でも買い求めていかれますか? 大友家からの進物を使えば、一丁どころか十丁でも二十丁でも買い込めそうですが」
 そう口にしたのは丸目長恵である。今日は結い上げた髪に花のかんざしを挿しており、外見だけ見れば裕福な商家の娘さん、といった風情だった。
 ちなみに長恵が口にした進物というのは、宗麟さまから俺たちに贈られた財物のことで、冗談ではなく船の積荷はほとんどこれだった。これを元手にすれば、そこそこの規模の商家が建てられる量である。
 俺がそうと知ったのは府内の港を出た後のことで、鎮幸どの曰く「あらかじめ伝えると絶対に突き返されるから」という宗麟さまの指示で、船が港を出るまで口を緘していたそうな。どうも道雪どのあたりから入れ知恵があった気配が濃厚である。


 俺は長恵の推測を、かぶりを振って否定した。
「鉄砲をもって歩けば、どうか怪しんでくれって云ってるようなものだろう。この面子で武器商人というのもおかしな話だしな」
 俺の言葉に、長恵はふむとうなずいた。
「となると、他に師兄の考えそうなことといえば……そうですね、鉄砲鍛冶の人を越後に連れていく、といったあたりでしょうか? 一人の職人は、百の鉄砲に優りましょう」
「おお、当たりだ。正確にいえば、その予約をしておきたい」
 その言葉に反応したのは吉継だった。


「お義父さま。予約、とは?」
 首を傾げる愛娘に、俺は自分の考えを説明する。
「鉄砲鍛冶の技術は堺にとっても大切なもの、頼んだからといって、そう簡単に他国に渡してはくれないだろう。しかも行き先は遠い越後だ、大抵の人は二の足を踏む。くわえて、今の畿内は混乱の真っ只中にある。道中の安全も保障できないこの状況で、俺たちにつきあってくれるどこぞの剣聖みたいな物好きがそうそういるとは思えない」
「それはまあ、確かに」
 深く納得した様子の吉継と、はて、と首をひねる長恵。
 鎮幸は興味深げに耳をそばだて、秀綱どのは姿勢ただしく食後のお茶を味わっていた。


 そんな皆の様子を眺めつつ、俺は言葉を続ける。
「というわけで、俺たちが春日山城にもどり、畿内の情勢がある程度落ち着いてから、越後に鉄砲鍛冶を招く。そのための人選を今のうちに頼んでおけば、後々物事が楽に進むだろうと考えたわけだ。移住する方にしても、準備の時間が多いに越したことはないだろうしな」
 問題は、遠い越後に移住しても良い、という物好きな鍛冶師さんがいるかどうかなのだが、そこらへんは俺たちが額を寄せ合っても解決できることではない。とりあえず、高額の報酬を餌にして――もとい、十分な支度金を条件にして交渉することにしよう。
 幸い、そのための資金は山のようにある。どのみち、船一杯の財貨を越後まで持ち運ぶなんて無理なわけだから、ここで思い切って使ってしまうのも一案であろう。


 と、ここで吉継が控えめに疑問を呈してきた。
「お義父さまの考えは理解しました。しかし、さきほどお義父さまご自身が口になさっていたように、この町にとっても鉄砲鍛冶は貴重な技術です。いくら金子を積んだからといって、簡単に他国へ渡すものでしょうか?」
「そこは、そうせざるを得ないだけの対価を積むことで解決できる」
「金子以外の対価、ですか?」
「そう、たとえばこの本とかな」
 そういって俺が懐から取り出したのは、段蔵が記した鬼将記――ではもちろんない。
 これは大友家が記した鉄砲と火薬の秘伝書である。表紙には『鉄放薬方并調合次第 改訂版』と記されていた。


 南蛮と深い繋がりを持つ大友家が、南蛮から得た知識に加えて、自分たちが工夫、発見した鉄砲技術を記した本。内容は鉄砲生産から鉄砲隊の運用、火薬調合の割合、効率的な硝石生産の方法など多岐に渡っており、その価値は計り知れない。出すところに出せば、それこそ一生豪遊しても使いきれない金品を得られるだろう。
 堺は鉄砲の一大生産地であり、当然、その技術、知識は他に抜きん出ているが、それでもこの本の価値が薄れることはないはずだ。
 つまるところ、俺は技術供与と引き換えに人材獲得を目論んでいたのである。


 むろん、改訂本をそのまま相手に渡したりはしない。一時的に貸すだけである。
 写本をつくろうか、と考えないでもなかったのだが、この本は間違いなく大友家にとって門外不出の品だったはず。いくら頂いた物だからといって、安易に写本をつくるのはためらわれた。
 そんなことを考えながら、俺は言葉を続ける。
「鉄砲に関する技術と人材。この二つはこれからの上杉家にとって大きな力になる。それを持ち帰ることができれば、春日山で怒り狂っているであろう某筆頭家老どのも、感心のあまり怒気を解いてくれるやもしれん」
 力強く拳を握り締め、希望的観測を口にする。
 と、それまで黙っていた秀綱どのが、澄ました顔で口を開いた。


「人の夢、と書いて儚いと読みますね、天城どの」
「……救いはないのでしょうか?」
「それは山城守さまに直接うかがってみてください」
 無情な返答に、がっくりと頭をたれる。
 そんな俺を見て、兼続のことを直接知らない吉継や長恵が不思議そうに目を瞬かせていた。




◆◆




 堺の町に芝辻清右衛門(しばつじ せいえもん)という人物がいる。
 もともと紀伊国根来(ねごろ)の刀鍛冶であったこの人物は、領主である津田算長の命令で南蛮渡来の武器 鉄砲の複製を命じられ、見事それを成し遂げたことで知られている。
 この成功により、根来では鉄砲の量産が可能となり、鉄砲による武装化が急速に推し進められていった。
 この流れは根来と関係の深い雑賀(さいが)にも及び、鉄砲の破壊力を利して敵軍を蹴散らす両軍の武名は瞬く間に畿内を席巻するにいたる。
 精強無比をうたわれる鉄砲集団 根来衆 雑賀衆の誕生である。


 清右衛門は後に住居を堺に移し、堺における鉄砲生産の一翼を担うようになる。
 堺の町衆にとって、鉄砲は商品であり、同時に自衛の武器でもある。清右衛門の移住は歓迎され、町を挙げて様々な便宜がはかられた。
 清右衛門に与えられた広大な鍛冶場もその便宜の一つであり、今日も今日とて鍛冶場からは鉄を叩く甲高い音が響き渡っている。
 空には雲ひとつない晴天が広がり、快い薫風が路地を駆け回る子供たちの頬を優しくくすぐっていく。わが子を見守る母親たちは、聞きなれた鎚の音に耳を傾けながら、最近とみに高まっている物価について、しみじみと不平を言い合うのだった。





 絶好の散歩日和ともいうべき外の光景から一転して、鍛冶場の中は地獄の釜底とはかくあらん、という状況だった。
 立ち上る熱気が室内を満たし、炉から引きつける熱風が鎚を振るう者たちをじりじりとあぶっていく。滝のような汗を流す彼らの周囲では、弟子たちが息を切らせながら駆け回っていた。


 そんな鍛冶場の一画に不思議な人物がいた。
 鎚を振るう姿こそ他の鍛冶師たちと同じだったが、目だって若く、腕も驚くほど細い。丸太のような腕を持つ隣の鍛冶師と比べたら、それこそ大人と子供といっても通用しそうである。
 大半の鍛冶師たちが片肌脱ぎで鎚を振るっているのに対し、この人物はしっかりと作業衣を着込んでいたが、さすがに熱気がきついのか、胸元の合わせ目がわずかに緩くなっている。そして、そこからきつく巻かれたサラシがちらと覗いていた。


 しばし後。
 作業がひと段落したのか、その人物は鎚を置いて大きく息を吐き出した。
 そうしている間にも、額から頬へ、頬から顎へと汗が伝わり、ぽたぽたと床に滴り落ちていく。その汗を拭うべく、脇に置いておいた手ぬぐいへ手を伸ばそうとした瞬間だった。
「お嬢、どうかお使いください! 洗い立てですッ」
「わわッ!?」
 眼前に自分の物ではない手ぬぐいを差し出され、お嬢と呼ばれた人物は驚いて、円らな目をぱちくりとさせる。
 小ぶりな顔立ちにお嬢という呼びかけ、さらにはサラシを巻いても隠しきれていない胸元の膨らみ。それらから明らかなように、この人物、鍛冶場ではめずらしい女性の鍛冶師であった。


 もっとも、少女は鍛冶を生業としているわけではないので、正確にいえば鍛冶師とは言い難いのだが、その腕前は気難しい年配の鍛冶師たちも認めており、こうして鍛冶場の一角に席を与えられている。
 男ばかりのむさくるしい職場に見目麗しい少女がいれば、そこに注目が集まるのは必然といえる。さすがに熟練の鍛冶師たちは少女に気をとられたりしなかったが、若い弟子たちは事あるごとに少女に話しかけようと機を窺っていた。
 たとえば、今のように。



 困惑する少女の前に、さらに別の手拭いが差し出された。
「お嬢、そんな使い古しよりも、ぜひこちらを! 昨日買ったばかりの新品です!」
「そんなどこの誰がつくったかもわからん粗末なものをお嬢に使わせるつもりか。お嬢、これは今日、俺が縫い上げたばかりのもの、ぜひともこれをお使いください! 布も良いものをつかってありますッ」
 三人目が差し出した手ぬぐいを見て、前の二人の顔に驚愕が走った。
「手縫い……だと……!?」
「おのれ、ちょこざいな! ええい、オマエのような奴は鍛冶より裁縫で身を立てるがいい!」
「ふ、どこかから負け犬どもの遠吠えが聞こえてくるわ。さあさあ、負け犬は負け犬らしく、その粗末な代物を懐にしまい、この場から立ち去るがいい!」
「な、なんの、まだお嬢がオマエのものを使うとは決まっていない!」
「そうだ、諦めたらそこで試合終了だと親方も云っていたしな!」
「あな見苦しや。お嬢、こうなったらお嬢の口からこいつらに引導を渡してやってください!」


 当の少女をよそに、何やら勝手にヒートアップしていく三人の弟子たち。少女としてはあははと苦笑いするしかなかったが、このままでは埒があかないと思ったのだろう、小さく、しかしはっきりとした声で三人に告げた。
「あの、自分の物がありますから」
 そういって申し訳なさそうに自分の手ぬぐいを手にとる。
 と、それを見た三人の顔が衝撃で凍りついた。「がーん」という音さえ聞こえてきそうな有様である。
 そのまま身動ぎ一つしなくなってしまった弟子たちを見て、どうしたものかと少女が途方に暮れていると、助けは思わぬところからやってきた。



「――おいこら、バカ弟子ども。秀坊(ひでぼう)を困らせてんじゃねえぞ」
 腹の底にずしりと響くようなその声は、この鍛冶場の主である辻占清右衛門のものであった。
 その声を聞くや、凍り付いていた弟子たちは速やかに再起動を開始する。
「お、親方!? べ、別にお嬢を困らせたりはしてませんですッ」
「そ、そうです。ただ手ぬぐいを渡そうとしただけでして、はい」
「右に同じでありますッ」
 ピンと背筋を伸ばして次々にこたえる弟子たちを見て、清右衛門はふんと鼻で息を吐いた。
「手ぬぐいなんぞ一つありゃ十分だろうが。三つも四つもおしつけりゃあ邪魔になるだけだ。ほれ、わかったらとっとと仕事にもどれ。それと、秀坊よ」
「はい、小父さま。何かご用でしょうか?」
 一瞬、清右衛門の視線が炉の方に向けられる。それで作業に区切りがついていることを確認したのだろう、清右衛門は済まなそうに云った。
「わりぃんだが、ちとわしの部屋まで来てくれんか。おまえさんの意見が聞きたくてな」
「私の意見、ですか?」
 鉄砲鍛冶として知らぬ者とてない清右衛門が、自分のような若輩者に何を聞きたいというのだろう。そう不思議に思ったものの、もちろん否やはない。
「かしこまりました。すぐにうかがいます」
「頼むわ。ああ、それと急ぎってわけじゃねえから、汗を落とした後でかまわねえぞ」
「はい」


 用件を伝え終え、頭をかきながらもどっていく清右衛門。
 その後ろ姿を見て、少女はふとあることを思い出した。
(そういえば、午前中はお客さんが来ていると云っていたっけ)
 その客との間で何事か起きたのだろうか。
 そんなことを考えながら、少女は作業場の後始末に取り掛かった。




◆◆




「小父さま。重秀、参りました」
「おう。入ってくれや」
 清右衛門の声に応じて少女が襖を開けると、部屋の中では清右衛門が難しい顔で腕組みをしていた。
 清右衛門の前には一冊の本が置かれており、どうやらその本が清右衛門の悩みのタネになっているらしい。
 促されるまま、清右衛門の前に座った少女の前に茶と菓子が差し出される。


「ま、とりあえず飲んでくれ。菓子の方は、娘っ子たちの間で近頃話題のやつらしいな。娘がそう云っとったわい」
「絹ちゃんのおすすめですか。では、遠慮なくいただきます」
 しばしの間、部屋の中には茶をすする音と、菓子を食べる音だけが響いた。
 間もなく菓子を食べ終えた少女は、丁寧に「ごちそうさまでした」と頭を下げると、部屋の主に本題に移るよう促した。


「それで小父さま。私の意見を聞きたいとのことでしたが?」
「おう、とりあえずこの本をざっと見てくれんか。わしが何か説明するよりも、その方が秀坊にとってもわかりやすいだろうしな」
「は、はあ、よくわかりませんけど、わかりました。拝見しますね」
 清右衛門の言葉に首をかしげつつ、少女は差し出された本を手に取った。本の表紙には『鉄放薬方并調合次第 改訂版』と記されている。
(鉄砲と火薬に関する技術書、かしら?)
 そんなことを考えながら、少女は内容に目を通していく。


 はじめはパラパラと頁をめくっていた。
 「ざっと見てくれ」とのことだったので、精読する必要はない、と判断してのことである。が、すぐに頁をめくる手の動きは緩慢なものとなっていった。字の表面を撫ぜるだけだった視線も、次第に食い入るようなものに変じていく。
 それは確かに鉄砲に関する技術書だった。が、ただの技術書ではありえなかった。
 記されていたのは鉄砲の作製、それを装備した部隊の運用、火薬の調合、硝石の生産等に関する種々の方法。いずれも精密で具体的、かつ実証的なものであった。
 余人が見ても、この本の価値は半分もわかるまい。だが、鉄砲鍛冶である清右衛門や、鉄砲に関する深い知識を有する少女から見れば、この本が万金にも優る価値を有することは明らかすぎるほど明らかであった。



「口はばったい云い様だがな」
 しばらく後、少女の視線が本から離れるのを待って、清右衛門は口を開いた。
「わしゃ作ることに関しちゃ玄人だ。撃つのも慣れとる。だから、そこに記されとる内容や数字が嘘やでまかせじゃねえのはわかるんだが、部隊として運用するってなるとまるっきり門外漢だからな。そのあたりを雑賀衆の秀坊に確かめてもらいたかったんだ」
 その問いかけに対して、少女は慎重な口調で応じた。
「そう、ですね。私が知っていることもあれば、知らないこともありましたから、絶対にと言い切ることはできません。ですが、この本に書かれていることに偽りはないと思います」


 云い終えた少女の目に鋭い光がよぎった。
「――小父さま、この本をいったいどこで手に入れたのですか? 南蛮における鉄砲隊の運用方法、さらにはそれを日ノ本の兵で実行した際の長所短所まで詳細に記されています。こんなものを書けるのは、よほど南蛮と近しく、しかも相当量の鉄砲を保持している大名くらいのものです」
 心当たりの大名家がないわけではない。しかし、鉄砲隊の運用方法にしても、他の内容にしても、この本に記されている情報は安易に外に漏らして良いものではない。もし同じような内容の本を雑賀衆で記したとすれば、間違いなく門外不出の秘伝書扱いになるだろう。
 清右衛門がこの本をどういう伝手で手に入れたのかはわからないが、どう考えてもまともな経路で流れてきた品ではない。ヘタをすれば、この本を見たがために命を狙われる事態さえありえるのではないか。


 その危惧が、少女の表情を自然と厳しいものにかえていく。
 が、それは次の清右衛門の一言でたちまち霧散した。
「そりゃ手に入れたんでなく借りたもんだ」
「借りた!? こんな貴重な本を、いったいどうやって!?」
 愕然とする少女に、清右衛門はあごヒゲをしごきながら説明する。
「ああっと、どこから話せばいいもんか。まあ簡単に云うとだな、午前中に来た客が置いてったんだよ。面倒な頼みごとをする代価だっつってな。大切な頂き物だから、中身を書き写すのはご遠慮くださいとも云ってたな」


 清右衛門の口から語られていく事情。
 それを聞くにつれ、はじめ呆れ気味だった少女の顔は、徐々に興味深げなものへとかわっていった。
 いずれ自国に鉄砲鍛冶を招きたいので、腕が立ち、かつ遠国に移住することを承知してくれる人物を探しておいてもらいたいという頼みには、さして驚きを感じなかった。清右衛門のもとにその手の依頼が持ち込まれるのは珍しいことではない。実際、清右衛門の弟子の中には請われて他国に移り住んだ者もいるのだ。そのための条件として、高額の報酬を約束する者も少なくない。
 ゆえに、少女が興味を引かれたのはそこではなく。


「――行き先は越後、ということは上杉家ですね」
「ああ、そうだ」
 一つ目は上杉という家名。少女は上杉家と関わりを持ったことはなかったが、京の都から死臭を払った奇特な大名の名前はたびたび耳にしていた。
 そしてもう一つは、この家に訪れたという客人がとった態度であった。


 はじめ、少女はその客の行動に呆れていた。
 その客と清右衛門は初対面であったという。初めて会う相手に対し、同じ大きさの黄金よりもはるかに貴重な書物を貸し与えるというのは、無用心に過ぎるのではないか、と。
 書き写すのは遠慮してほしい、という言葉にも首をかしげざるをえない。自分の目の前で相手に読ませるならいざ知らず、一時とはいえ貸し与えてしまっては、相手がこっそり書き写したとしてもわからないではないか。
 なんというか、えらく間の抜けた人だなあ、というのが正直な感想だった。


 しかし、清右衛門の話を聞くにつれ、その感想は大きく変わっていった。
 客である青年は貴重な書物を差し出すと同時に、多額の金品を置いていったという。それだけ早急に鉄砲鍛冶を必要としている、ということなのだろうが、それでいて現在の畿内の混乱と、それによって鍛冶師が傷つく危険を慮り、すぐにも越後へ連れて行こうとはしていない。鍛冶師を招くのは越後で受け入れ態勢を整え、畿内の情勢が落ち着くのを待ってから、ということだった。これは清右衛門がつけた条件ではなく、向こうから口にしたことであるそうだ。


 大名家から遣わされてくる使者の中には、鍛冶師側の都合など意に介さず、自分たちの都合のみを押し付けてくる者が少なくないが、その点、この客は鍛冶師に対しても敬意を払っていると感じられる。
 そこまで考えて、少女は気づく。
 鍛冶師に対して気を遣える人物が、少女が呆れるような間の抜けた対応をするはずがない。
 となると、客人が貴重な書物を清右衛門に預けた理由はもっと他にある。


 初対面にも関わらず、清右衛門の為人を信頼した。それは確かだろう。
 同時に、相手がその信頼に気づくことも見越しているのかもしれない。
 清右衛門に限った話ではないが、昔気質の人の中には「意気に感じる」人がけっこう多い。相手からの信頼には、等量以上の信頼で応えようとする人たちだ。実際、清右衛門は今回の件、かなり真剣にとりかかろうとしている節が見て取れる。


 ぞんざいにも見える書物の扱いに、そういった智恵がひそんでいたのだとすれば、その客人、なかなかどうして曲者というべきだろう。
 少女はそう思ったが、しかし、嫌な感じは受けなかった。
 策士ではあるだろうが、仕掛けられた策略は頬がほころぶ類のものだ。


(会ってみたいな)
 自然、少女の心にそんな気持ちが芽生えていた。




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