魔王軍の前線基地 鬼岩城
バルジ島から帰還した翌日。フレイザードは今後の方針を決めるための軍団長会議に呼び出されていた。
鬼岩城の左肩に位置するレフトショルダーの間に、ハドラー・フレイザード・ザボエラ・ミストバーンら魔王軍の幹部が集う。
フレイザードは対面したミストバーンを思わず睨みつけたくなる衝動を抑えて、円卓の一席に座った。
「皆、ご苦労だった」
かつては魔軍司令ハドラーと六大軍団長たちの七人が揃っていた広間だが、現在の参加者は四人しかいない。
クロコダインとヒュンケルは人間側に寝返り、バランはハドラーからカール王国の侵攻を押し付けられて出張中だ。
もしバルジ島の戦いであと一人でも欠けていたならば、会議そのものが開催されなかっただろう。
「まったく、部下から討ち死にしたって聞いた時は耳を疑ったぜ。生きてたんなら生きてたって早く言ってくれよな」
ずいぶんと久しぶりに見たような気がするハドラーの姿に、フレイザードは好意的な視線を向ける。
英気に満ち溢れたハドラーの立ち振る舞いからは、心なしか以前よりも一回り力強くなったような印象さえ受けた。
「オレは確かに一度死んだ。しかしバーン様より不死身の肉体を授かっていたオレは、ミストバーンの暗黒闘気の魔力でよみがえったのだ」
「それはそれは、さすがは魔軍司令殿に魔影参謀殿。そのお力には並々ならぬものがありますな」
ハドラーが自身の不死身の肉体の秘密を語る。
話を聞いたザボエラがすかさず太鼓持ちにまわる一方で、フレイザードは表情を硬くして剣呑な気配を漂わせ始めた。
今のハドラーの発言には、フレイザードにとって聞き捨てならない内容が含まれていたのだ。
「……へぇ。バーン様はおろか、ミストバーンの配下にまで成り下がったってわけだ」
「貴様ッ、このオレを愚弄するのかっ!」
「図星を突かれてお怒りですか? 魔軍司令閣下」
フレイザードは凍てつくような氷のまなざしで、ひたとハドラーを見据えている。
(むう、こやつにいったいなにがあったというのだ!?)
ハドラーはフレイザードの突然の豹変に瞠目した。
フレイザードの纏う雰囲気は以前よりも明らかに鋭さを増しており、その瞳には何か危険な意志が宿っている。
(ミストバーン抹殺計画。できればハドラー様に知恵を貸してもらおうと思ってたが、こりゃあダメだな)
ハドラーに相談して協力を得るという作戦は始まる前に頓挫していた。
ミストバーンを倒すためにフレイザードが頼ろうとした男は、すでに敵に取り込まれた後だったのだ。
(ガラにもなく人に頼ろうとした結果がこのありさまだ。本当にざまぁないぜ)
フレイザードの心の底から、不思議と笑いが込み上げてくる。その見事なまでの躓きっぷりは、もはや不満や怒りを通り越して滑稽ですらあった。
親であるハドラーが不死身の肉体を持ち、暗黒闘気の魔力で復活できるという話はフレイザードにとっても朗報といえる。
だが、復活する際にミストバーンの協力が必要である以上、フレイザードがミストバーンを排除する気だと知ればハドラーは間違いなく妨害する側に回るだろう。
「ところでフレイザードよ。おぬしは勇者たちと一戦を交えることもせず逃げ出したそうじゃな?」
ハドラーとフレイザードの不仲を嗅ぎつけたザボエラが、フレイザードを陥れるために意地悪く話題を変えた。
「おう、不甲斐ない味方のおかげで氷炎結界呪法も破られちまったしな。あそこで戦うのは自殺行為ってもんだぜ」
「しかし、人質を返した挙句に敵前逃亡では利敵行為と言わざるをえまい。どう責任を取るつもりじゃ?」
自分自身もなんら成果を上げていないにも関わらず、ザボエラはフレイザードの責任を追及してくる。
他人を蹴落とすことで相対的に自分の評価を上げようとする手法は、魔王軍の中でもザボエラの専売特許といっていい。
「オレが捕まえた人質をどうしようとオレの勝手だ。とやかく言われる筋合いはねぇよ」
フレイザードは肩をすくめて冷静に反論した。
魔王軍では通常、捕虜や戦利品の扱いは手に入れた当人に一任されている。
「アンタが一人で行って勇者一行の五人を始末してこれるってんならオレは止めないぜ? クロコダイン一人を相手に尻尾を巻いて逃げ出した妖魔師団長さんよォ」
フレイザードは相手を小馬鹿にしたような態度で、逆にザボエラを糾弾する。
敵に何の損害も与えることなく撤退したという点において、ザボエラもフレイザードと同罪なのだ。
(うぬぬっ、まだ一歳にしかならん若造が妙な知恵をつけおって)
ザボエラにも反論が無いわけではない。
勇者たちのように正義を語るような輩は総じて性格が甘い。パプニカの姫を人質に交渉すればやりようはあったように思える。
だが、ザボエラがクロコダインに授けた人質作戦が不首尾に終わったことは記憶に新しい。ヘタに反論すると墓穴を掘る可能性が高かった。
(ククク、もっともオレなら勇者一行の全滅も可能だったがな)
なにも言い返せずに顔を伏せたザボエラを見て、フレイザードは内心であざけった。
自分にはできることが同じ軍団長であるザボエラにはできない。フレイザードは建前を並べる裏でひっそりと優越感に浸った。
「そこまでにしておけ。いまは仲違いをしていられる状況ではない」
険悪な空気を嫌ったハドラーが両者の仲裁に入る。
ハドラーは軽く咳払いをしてから、今後の方針を全員に示した。
「オレとしては今一度全軍の力を結集してダイたちを叩こうと思う」
「そのことなんだがよ、ハドラー様」
「どうした、なにか意見があるのか?」
ミストバーンの息がかかっているハドラーは当てにできない。
本来味方であるミストバーンを討つためにザボエラやバランを動かすのも難しいだろう。
となると勇者ダイに味方するか、自力で何とかするしかあるまい。
「オレは今回の一件で自分の力不足を痛感したんでな。一度魔界にでも行って鍛えてみようと思う」
フレイザードが選択したのは自力で何とかする道だった。
それはすなわち、協力者の存在に頼ることなく個人でミストバーンを上回る実力を身につける道だ。
ハドラーとの事前の打ち合わせ無しに勇者一行に味方すれば、その時点で魔王軍とは完全に敵対することになるだろう。
いくらミストバーンを倒すためとはいえ、生みの親であるハドラーと敵対することはできるだけ避けたい。
「なんだと?」
ハドラーにとってフレイザードの申し出は完全に予想外だった。
フレイザードはこれまで本能的な勘を頼りに戦ってきただけで、戦闘技術を磨いたことがない。実力の伸び代は十分にあるだろう。
決して悪い話ではないのだが、この局面でハドラーにとって唯一信頼できる部下であるフレイザードを手放すのはあまりに惜しい。
「それはよい。フレイザード殿のパワーアップは魔王軍全体の利益になるじゃろうて」
ザボエラは好々爺とした笑みを浮かべて、フレイザードの提案に全面的に賛同する。
(ザボエラめ、余計なことを)
ハドラーにはザボエラの考えが読めていた。
フレイザードをダイとの戦いから外すことで、自分が手柄を得る機会を増やそうという目論見だろう。
望まぬ展開に苦々しい表情になったハドラーは、さりげなくミストバーンの様子をうかがう。
「…………」
ミストバーンはいつも通りに沈黙を守っている。フレイザードの魔界行きに反対する様子はない。
(この男が黙っているということは、バーン様もお認めになるということか)
沈黙の男の異名を持つミストバーンは滅多に口を開くことはないが、その実この場で最も強い発言力を有している。
大魔王バーンの側近として、魔王軍最高責任者の意向を直に受けた言動をするためだ。
「話は分かった。だが、いまはダイを倒すために全力を注ぐべき時だ。フレイザードの戦線離脱を許すわけにはいかん」
「ハドラー様よぉ、前にオーザム攻略の褒美をくれるって言ってたの覚えてるか?」
「む、いやしかしだな」
そういえば魔王軍の運営やアバンの使徒たちの対応に追われていたため、オーザム攻略の褒美は考えるといったきりで何も与えていなかった。
ハドラーは言葉に詰まりながらもフレイザードを引き留めるためのさらなる口実を探す。
「ならば、その穴は私が埋めよう!」
大きな音を上げて会議場の扉が開き、この場に呼ばれなかった最後の軍団長、竜騎将バランが入室してくる。
「なっ、バラン! 鬼岩城に戻っていたのか!?」
予期せぬ相手の登場に驚いたハドラーは、思わず椅子を蹴って立ち上がった。
(早すぎるっ! あのアバンの祖国であるカール王国を、わずか一週間足らずで攻略したというのか!?)
ハドラーとしては絶対にダイとバランを会わせるわけにはいかない。
そのためにバルジ島の戦いでも、バラン率いる超竜軍団だけは意図的に作戦から外したのだ。
「勇者ダイの相手はこの私が務めさせてもらう! それとも、私と超竜軍団では実力的に不服かね?」
「そ、それは……」
どれだけ知恵を絞っても、フレイザードの魔界行きとバランの参戦に反対する理由が見つからない。
ハドラーの苦悩は深まるばかりだが、もはや会議の大勢は決しようとしていた。
***
大魔宮バーンパレス 玉座の間
事の顛末を知った大魔王バーンは優雅にワインを嗜みながら、二人の側近とともに今後の展開に思いを馳せていた。
「フレイザードの思慮深さは意外だったな。功を焦って死に急ぐとばかり思っていたが、自ら身を引いてみせるとは」
フレイザードのような子供は痛い目に合わなければ成長しない。
勇者一行と会いまみえれば十中八九、目の前の大きな手柄に目がくらんで敗死するだろうと考えていた。
「フレイザードは明日魔界へ旅立つことになっています。監視はつけなくてもよろしいのですか?」
バーンの脇に控えていたキルバーンが、フレイザードの処遇に関するバーンの意向を確認する。
「捨て置け。すべてが手のひらの上というのも味気ないものだ」
フレイザードの戦線離脱はバーンとしても予想外の動きだったが、魔王軍の強化に繋がるのであれば悪い話ではない。
魔界で戦闘経験を積み、大幅なパワーアップを果たして戻ってこれたなら、労いの言葉の一つでもかけてやるつもりだった。
逐一こちらから進展を確認していたのでは、結果を見る際の面白みに欠ける。
「案外、彼もこちらの敵に回るかもしれませんよ。本当によろしいので?」
反逆の兆候とするには根拠として弱いが、フレイザードの魔界行きは勇者一行との戦闘を避けた結果であるようにも見える。
勇者ダイと接触したクロコダインとヒュンケルは人間側についた。
ならば、今回ダイと接触して言葉を交わしたフレイザードが人間側につく可能性は否定できない。
「それはそれで楽しめそうだが、ありえんよ」
大魔王バーンは手元のワイングラスを揺らしながら、キルバーンの懸念を一蹴する。
禁呪法生命体が自らを生み出した主人に逆らうことは滅多にない。本能的に逆らえないようにできているのだ。
フレイザードの主人はハドラーであり、ハドラーの主人は自分である。フレイザードが大魔王に牙をむく可能性はそれこそ万に一つだ。
それに、もし障害となるようであれば、その時はあらためて刈り取ればよいだけのこと。
「…………」
ミストバーンも大魔王バーンと同じ見解だった。
まさか失われた時空での出来事を発端に、フレイザードが自分への強い殺意を募らせていようなどとは思いもよらない。
恨まれている当人ですら身に覚えが無くて気づけないのだ。フレイザードの秘めている叛意が見抜かれることはなかった。
***
魔界。地上のはるか地底深くに存在するもう一つの世界。
ハドラーに氷炎魔団の部下たちを託したフレイザードは、単身で魔界へと降り立っていた。
(そういや一人で自由に旅をするなんて生まれて初めてかもな)
バカと煙はなんとやら。フレイザードは早速目につく範囲で一番高い山の山頂に登った。
ハドラーから餞別として渡された地図と周辺の地形を見比べて、気分は物見遊山の観光客だ。
大嫌いなミストバーンや嫌味なザボエラと顔を合わせる必要がなくなった解放感が、フレイザードの心を軽くしていた。
マグマが煮えたぎる灼熱の火山帯。分厚い氷に閉ざされた永久凍土。強い瘴気に満ちた不毛の大地。
空は常に薄暗い雷雲に覆われており。決して太陽の光に照らされることはない。
そんな初めて見る魔界の風景に、フレイザードは心躍らせる。
(すげえな。地上の雑魚連中と比べたら強そうな気配がわんさかいやがる)
地上のアークデーモンをさらに凶悪にしたベリアル。ライデインにも似た邪悪な稲妻を操るライネック。地上では見られない強力な野良モンスターたちの群れ。
世界最強の男になりたい。男なら誰もが一度は夢見る目標を胸に、フレイザードの武者修行の旅が始まった。
フレイザードが魔界に降りてから一ヶ月が過ぎた。
毎日愉快にヒャッハーすることで急成長を遂げてきたフレイザードだが、その成長は頭打ちを迎えている。
優れた先達に師事することもなく、我流で鍛えて極められる強さなど、常識的な範疇でしかない。
(魔界に来る前に比べれば強くはなったが、まだまだミストバーンの強さを超えているとは思えねェ)
これ以上の成長に限界を感じていたフレイザードは、一つの賭けに打って出る。
冥竜王ヴェルザーの支配領域へと出向き、冥竜王配下のドラゴンたちを狩って回ったのだ。
フレイザードは両腕を交差させて大地を駆ける。
ブラックドラゴンが吐きだした冷たくかがやく息を右手で吸収しながら、グレイトドラゴンが吐く灼熱の炎を左手で吸収する。
右腕に生み出した氷の剣でグレイトドラゴンの首を刎ねると同時、左腕をブラックドラゴンの口腔へとぶち込んで、火炎呪文で頭部を内側から爆砕した。
図体がデカいばかりのドラゴンたちなど、成長したフレイザードの敵ではない。
幾日もの間ドラゴンを狩り続けたフレイザードは、やがて竜族の王と謁見することに成功する。
突如として開いた空間の裂け目の向こうから、魔界の奥地に封印されている竜の石像が姿を見せたのだ。
『最近、ずいぶんと派手に暴れているそうだな』
(こいつが冥竜王ヴェルザー。かつて大魔王バーンと魔界を二分したって男か)
フレイザードは魔界行きを決めてから初めて知ったことなのだが、魔界には魔王軍と緩やかな対立関係にあるもう一つの勢力が存在する。
竜族の王が率いる魔界のドラゴン軍団。冥竜王ヴェルザーの軍勢だ。
『貴様はバーンの配下の者だろう。相互不可侵の約定を違えるつもりか?』
ハドラーからはヴェルザーの支配する地域には絶対に近づかないように言われている。
この場所にいるのはフレイザードの独断だ。この時点で彼は、魔王軍と大魔王バーンに対する明確な裏切り行為を働いていた。
フレイザードの大胆な行動力は、時間を巻き戻すことで所有者のミスを帳消しにできる『時の砂時計』の存在と無関係ではない。
「取引に来た。大魔王バーンの側近であるミストバーンを殺してやる。だからオレに力を貸せ」
実力をつけて自力で何とかしようと考えたフレイザードだが、自分一人では力をつけるのにも限界があった。
ミストバーンを倒すためにはやはり協力者の存在が必要不可欠だ。しかしハドラーは当てにできず、勇者に味方してハドラーと戦うこともできない。
フレイザードが次なる協力者候補として白羽の矢を立てたのが、魔界の第三勢力であるヴェルザー陣営だった。
『面白いことを言う。ミストバーンを殺せばバーンも黙ってはおるまい。魔界最強の男を敵に回すだけの覚悟がお前にあるのか?』
「ミストバーンを殺す邪魔をするってんなら、相手が大魔王だろうとぶっ潰すだけだ」
フレイザードの言葉に嘘偽りはない。
相手が誰であろうと物怖じしない強靭な精神力。なにがあろうとミストバーンを必ず殺すという揺らぐことなき強固な意志。
バーンの計画を妨害するための刺客としては一級品だと、ヴェルザーに納得させられるだけの器量をフレイザードは備えていた。
『……本当に面白い男だな。バーンに逆らう気概を持つ者など久しく見ておらん。よかろう。力を貸そうではないか』
フレイザードが魔界入りしてからおよそ二ヶ月が過ぎた。
フレイザードはハドラーに持たされた魔法の筒から悪魔の目玉を出して、ハドラーとの定時連絡を行っている。
無論、独断でヴェルザーと接触したことはハドラーにも伏せていた。
『戻って来るのだフレイザードよ。近々人間たちは死の大地に攻め入ってくるようだ。アバンの使徒たちとの決戦の日は近い』
「ははっ、お任せください!」
魔王軍の誰かに討ち取られて終わりだろうと思われていた勇者一行は、奇跡的なまでに善戦していた。
竜騎将バランを退け、ハドラーとザボエラの夜襲を切り抜け、ザボエラの息子ザムザを討ち取り、ミストバーンが持ち出した鬼岩城を真っ二つに破壊する。
勇者一行の活躍とそれに勢いづけられた人間たちの抵抗によって、魔王軍の地上制圧は遅々として進んでいないのが現状だった。
(アバンの使徒との決戦ね。オレはもうそっちには興味ねえんだがなぁ)
ハドラーはアバンに。フレイザードはミストバーンに。
自分を殺した者に強い執着を抱いているという点で、ハドラーとフレイザードは似た者同士だといえる。
いまさら勇者ダイや人間たちを始末してもミストバーンを喜ばせるだけなので、フレイザードには彼らと戦うつもりはこれっぽっちも無かった。
とはいえ、それを正直に話して未だアバンの使徒への復讐を終えていないハドラーの戦意に水を差すわけにもいかない。
(余計なことを考えるのはやめだ。オレはとにかくミストバーンさえ殺せりゃそれでいい。こっちの邪魔だけはしてくれるなよ、ハドラー様)
ハドラーとの音声通信を終えたフレイザードは、地上への帰路についた。
***
そして物語は最終局面を迎える。
『オレをなめるなァッ! 大魔王ォッ!』
いつどこで歯車が狂ったのか。あるいは最初からこうなる運命だったのか。
魔王軍の本拠地である大魔宮バーンパレスでは 超魔ハドラー 対 大魔王バーン の魔王軍頂上決戦が行われていた。