死の大地の南東に位置する世界最北の国オーザム。
氷と吹雪に覆われた極寒の雪国はいま、魔王軍六大軍団の一つ、氷炎魔団の侵攻によって滅亡の時を迎えていた。
オーザム王国の王城 玉座の間。
「おのれ魔王軍め、資源も乏しいこんな小国を滅ぼしてなんになるというのだ!?」
「生きている人間はすべて根絶やしにする! それがオレの方針だ! 文句があるならかかってきな!!」
玉座の間でフレイザードと対峙しているのは、オーザム王と近衛兵長、そして数人の近衛兵たちだ。
城内の通路には凍てついた兵士と焼け焦げた兵士が数多く横たわる、死屍累々の光景が広がっていた。
魔王軍の苛烈な攻撃によってオーザム騎士団が壊滅してしまった今、彼らがこの国に残された最後の戦力だった。
「ヒャダルコ!」
「メラミ!」
「おっと、ごちそうさん」
まだ年若い近衛兵たちはそれぞれに攻撃呪文を放つが、氷結呪文はフレイザードの右腕に、火炎呪文は左腕にそれぞれ吸い込まれてしまった。
右半身に氷を、左半身に炎を纏ったエネルギー岩石生命体であるフレイザードには、熱に類するエネルギーを吸収する能力が備わっている。
「おのれ、化け物め!」
剣術を得意とする近衛兵長が腰に下げていた鋼の剣を抜き放ち、気勢を上げてフレイザードに切りかかる。
「せいっ!」
「うおおっ!?」
近衛兵長の繰り出した鋭い斬撃が、フレイザードの氷の右腕を切り飛ばした。
相手のうろたえる様子に希望を見出した近衛兵長は、フレイザードを脳天から両断するべく、大きく剣を振りかぶった。
「フレイザード覚悟っ!」
「……なんちゃって」
チャンスとばかりに踏み込んできた近衛兵長の顔面を、瞬時に再生したフレイザードの右手が掴んだ。
強烈な冷気が全身を伝い、近衛兵長の身体は氷に覆われていく。だらりと下がった手から滑り落ちた鋼の剣が、軽い音を立てて床に転がった。
「ふん、あっけねぇな。最後の最後、国王を守ろうって連中でこの程度かよ」
「だ、騙し討ちとはなんと卑劣なっ!」
「バーカ、この程度で騙されるヤツが間抜けなんだよ。だいたいよぉ、戦いに卑怯もクソもあるわけねぇだろっ!」
フレイザードは罵声を浴びせてくるオーザム王を一喝すると、氷漬けになった近衛兵長の亡骸を乱暴に投げ捨てる。
床に激突した亡骸はガシャンと澄んだ音を残して、残された人間たちの戦意ともどもあっけなく砕け散った。
「ひゃっはー 燃えろ燃えろー」
「燃やし尽くせー 根こそぎだー」
フレイザード配下のフレイムたちが、陽気に踊りながら城内の各所に火を放ってまわる。
オーザム各地から避難してきていた民間人。人間と共生していた家畜たち。素朴な絵画や民芸品。
徹底した破壊を命じるフレイザードの方針により、オーザム王国のすべてが燃え落ちていく。
「フレイザードさまー 地下で変なの見つけましたー」
「お宝だー お宝だー」
生き残った人間の駆除と暇つぶしを兼ねて城内を探検していたブリザードの兄弟が、小さな箱を玉座の間へと運んできた。
フレイザードが箱を開けてみようと近づくと、その宝箱の中身に思い当たったオーザム王が、強い怒りを込めた叫び声をあげる。
「返せっ! その『時の砂時計』は我がオーザムの秘宝っ! 貴様のように邪悪な者が触れてよい品では――」
「そうかい。とりあえず死んどきな」
魔王軍の侵攻に最後まで抗おうとするオーザム王の血を吐くような言葉に、フレイザードは指先からメラゾーマの炎を放つことで応えた。
五指爆炎弾《フィンガー・フレア・ボムズ》 五発のメラゾーマを同時に打ち出す荒業が、王と近衛兵たちを容赦なく蹂躙する。
「クカカッ、しょせんこの世は弱肉強食だ! 弱いやつは死ぬしかねぇんだよ!」
人間の肉と脂肪が焼ける嫌な臭いを残して、オーザム王家の歴史と血筋はここに途絶えた。
「こいつは戦利品として頂いておいてやるぜ! ……しっかし、こんなチンケな代物が秘宝とはねェ」
宝箱の中に入っていたのは、手のひらに収まりそうな大きさの砂時計が一つだけだった。
本当に最後の最後までしみったれた国だったな。フレイザードは傲岸不遜な感想を吐き捨てて、黒煙立ちのぼるオーザム王国を後にした。
魔王軍の前線基地 鬼岩城。
フレイザードは直属の上司であり、自身の生みの親でもある魔軍司令ハドラーに、オーザム王国攻略の詳細を報告していた。
「――ご苦労だった。魔王軍の切り込み隊長の異名にふさわしい働きだ」
「ははっ」
フレイザードが片膝をついて畏まった態度を見せると、ハドラーは満足そうに頷いた。
「それで、これがオーザムの秘宝とやらか」
ハドラーはフレイザードが持ち帰った『時の砂時計』を検分する。
氷と炎の化身であるフレイザードが手に持っても壊れなかったことから、特別な金属を用いたマジックアイテムであることは明白だ。
金色に輝く縁取りには竜《ドラゴン》の意匠がこらされており、内部の白く透き通った砂からはなにか不思議な力が感じられる。
ハドラーの知識ではその用途までは分からないが、持っていて害になるということはないだろう。
「勲章代わりだ。その『時の砂時計』とやらはお前が持っておけ」
「オレがもらっちまっていいのか?」
「うむ。いかに希少な品とはいえ、部下の戦利品を横取りするわけにはいくまい。他にもなにか褒美を考えねばならんだろうな」
「ありがてぇ。手柄を立てられる戦場さえ用意してくれりゃあ、オレはどこにだって行くぜ」
「ふふふ、オレが魔王軍で最も信頼しているのはお前だ。今後も頼りにしているぞ」
魔軍司令たるハドラーからの惜しみない称賛は、フレイザードの自尊心を大いに満たした。
いち早く人間の国を滅ぼしたフレイザードの功績は、勇者アバンを打ち破って上機嫌だったハドラーによって高く評価される。
勝利と栄光、そして名誉を求めるフレイザードにとって、今回のオーザム攻略は満足のいく仕事だった。
***
時は流れて パプニカ王国 バルジ島
魔軍司令ハドラーはダイたち一行を打倒するための総攻撃を立案する。
しかしそれは、軍団長を失った百獣魔団と不死騎団、そしてバラン率いる超竜軍団を欠く不完全なものだった。
バルジの島中央に位置するバルジの塔。
最上階には人質のレオナ姫が禁呪法によって氷漬けにされている。
苦悶の表情で封じられているレオナ姫を尻目に、フレイザードは戦場の監視を部下たちに任せて遊んでいた。
お気に入りの玩具である『時の砂時計』をテーブルの中央に据えて、サラサラと流れる砂の動きをまるで無邪気な子供のように楽しんでいる。
オーザム攻略を成し遂げた証である『時の砂時計』は、大魔王バーンより賜った暴魔のメダルに並ぶフレイザードの宝物となっていた。
「氷魔塔、炎魔塔ともに破壊されました! 結界が維持できません!」
「ハドラーさま討ち死に!」
「ミストバーンさま ザボエラさま 退却されました!」
「勇者たちがこの塔に向かっています!」
物見に出していた魔物たちの報告はそのどれもが戦況の悪化を告げるものだが、フレイザードは動じない。
「クククッ、なってねえよなぁハドラー様もよ、助太刀を買って出といてやられちまうとはなあ」
フレイザードは上司であるハドラーのことを気に入っているが、それと戦場の習いとは別の話だ。
全軍を統括する立場にあるハドラーが自分から前線に出て戦死したならば、それは自己責任というものだろう。
死にたくない者は端から戦場になど出てくるべきではないのだ。
「だが、これでまた勇者ダイに箔がついたってもんだ。魔王軍総がかりでも倒せなかった勇者の一行、全滅させれば俺の大金星よっ!!」
啖呵を切った氷炎将軍フレイザードが、意気揚々と出陣する。
そして、悲劇は起こった――
「このままフレイザードさまのところへ行けると思うなよっ」
「覚悟しろっ 勇者どもめっ」
「……メガンテ」
フレイザード配下の氷炎魔団、フレイム・ブリザード・爆弾岩らの苦戦。
「会いに来てやったぜぇ! 人質抱えてのんきに最上階で待ってるなんざ性に合わないんでなぁ!」
「暴虐もそこまでだ、フレイザード!」
「なっ、クロコダイン! ヒュンケル! テメェらが助っ人に来てやがったのか!?」
ダイ・ポップ・マァムら三人のアバンの使徒に加えて、フレイザードと同格である元軍団長二人の参戦。
「アバン流刀殺法、空烈斬ッ!」
「オ…… オレの核《コア》が切られて……!?」
「ウギャアアアアア~~ッ!!」
多勢に無勢の圧倒的に不利な戦いの中で、フレイザードはダイの新必殺技によって半身を失う。
「ミ、ミストバーン助けてくれっ! このままじゃ死んでも死にきれねえっ!」
「これは我が魔影軍団最強の鎧…… お前に魔炎気と化す決意があるのなら与えよう……」
ピンチに登場したミストバーンの手によって、新たに魔炎気生命体となりパワーアップを果たしたフレイザードだったが……
「嘘だっ!? オレは最強だ! 最強の身体をもらったんだ!! こんなガキにやられるはずはねえっ……!?」
「これが、本物のアバンストラッシュだッ!!」
「……すばらしい……」
鎧武装フレイザードは、空烈斬の習得により完成していたアバン流の奥義アバンストラッシュを喰らって爆発四散する。
その光景を目の前にしたミストバーンの口から漏れたのは、敵である勇者ダイの力に対する賛辞だった。
――激闘の末、フレイザードは敗北したのだ。
戦いに敗れたフレイザードは持っていた力のすべてを失い、わずかに一欠けらの炎を残すのみの姿になってしまっていた。
「たっ、頼むっ! もう一度だけチャンスをくれミストバーン!」
再度の助力を懇願するフレイザードの哀れな姿を、ミストバーンは無感情に見下ろしている。
「…………」
ミストバーンはおもむろに足を振り上げると、地面に転がっているフレイザードを容赦なく踏みつけにする。
彼にとってはフレイザードなど、勇者ダイの完成版アバンストラッシュを目にするためのただの捨て駒でしかなかった。
ぐりぐりと地面に擦り付けるように足を動かしてフレイザードの燃えカスを完全に処分すると、ミストバーンは虚空へと姿を消した。
『どいつもこいつも気に入らねえ! オレよりも強い勇者のガキ! オレを利用するだけ利用して見捨てやがったミストバーンっ!』
それはもはや声にもならない断末魔の絶叫。フレイザードの魂の雄叫びだった。
『絶対に許さんぞ! 必ず復讐してやるからな! 畜生、オレはこんなくそったれた結末は認めねぇ!! ぜってぇに認めねぇぞォッ!!』
胸中でありったけの怨嗟の声をぶちまけながら、フレイザードの意識は消滅した。
フレイザードの意識が消滅したのと同時刻。
バルジの塔の最上階で、テーブルの上に鎮座している『時の砂時計』が、鮮やかな黄金色の魔力光を発していた。
所有者の死亡。設定されていた発動条件の一つを満たしたことで、『時の砂時計』は自動的にその機能を発揮する。
それは天界に住まうとされる時をつかさどる精霊たちが、地上に残した神の奇跡。
フレイザードは暗く深い死の淵から、なにか不思議な力によって引っ張り出される感触を覚えた。
まるで底なし沼から助け出されるかのような、経験したことのない未知の浮遊感とともに、戦いに敗れて失ったはずの五感が蘇ってくる。
(なんだぁ? オレは助かったのか……?)
フレイザードの意識が覚醒する。
目が覚めたとき、彼は石の段差の上に腰掛けて、テーブルの中央で静かに時を刻んでいる『時の砂時計』を眺めていた。
『時の砂時計』の内部、本来なら白く透き通っていたはずの砂の一部が、役目を終えたと主張するかのように黒ずんでいる。
(まさか全部が夢だったってのか?)
フレイザードは軽く混乱しながらも立ち上がり、現状を把握するために素早く左右に視線を飛ばした。
無骨な石造りの内装と、氷に囚われている姫君。建物の外には青空が大きく広がっている。ここがバルジの塔の最上階であることは間違いない。
「はっ、おいおい、冗談だよなぁ?」
フレイザードは何気なく見下ろした自分の身体が五体満足であることに気がついて、思わず声を出した。
もはや永遠に失われたと思っていた、氷と炎と岩石で構成されている元の身体だ。魔影軍団の鎧は見当たらないし、魔炎気生命体にもなっていない。
理解を超えた現象に直面して呆然と立ち尽くすフレイザードの耳に、聞きなれた部下たちの声が入ってくる。
「ハドラーさま討ち死に!」
「ミストバーンさま ザボエラさま 退却されました!」
「勇者たちがこの塔に向かっています!」
時間が、巻き戻っていた。