ボクには足が無かった。
あ、いや、唐突な台詞でしごく申し訳ない気持ちになるけれど。だけど、ボクをーー安城みつるという何のしがない、取り柄もない、ダメダメなボクを、それでもより長く、より深く記憶に留めてもらうには、多分、その前述の言葉が最も適しているだろうということを、ボクはボク以外の誰よりもよく知っていて。
だから、何の脈絡もないけれど、とりあえず出だしのインパクトを優先して、ボクは再びそれを口に出して言うことにした。
ボクには足が無かった。
正確に言うならば、無くなった。
最初から無い、のではなく、途中から、人生の始めから終わりまでの岐路で、ボクは自身の身体の部位の内で最もお世話になっただろう半身ともいうべき両足を、その下半身から永劫に失くし、亡くしたのだ。
十一歳の時だった。
ちなみに今のボクは二十一歳で、つまり毎日を車椅子の上で怠惰に暮らす今現在の十年前に、ボクはあっさりとーーそれこそ咲き乱れた桜の弁が風でハラハラと地に落ちるぐらいの気軽さで、四肢の半分を失ったのだ。
その時、その瞬間の記憶は残念ながら無い。
ただ途切れた記憶が途中再生されたころには、既にボクは病院のベッドの上に居て。そして夢のような、夢であってほしい、けれど夢ではなかった悪夢のような現実と直面していた。
聞いた話では、どうやらボクは工事中だったビルの屋上から落ちてきた鉄骨の下敷きになったらしい。
運良く、直撃ではなかった。けど、端撃ではあった。そんな言葉が実際にあるかどうかは解らないけれど、とにかく不可思議なことに、その鉄骨はボクの膝から下だけを襲来したらしいのだ。
とんだ足フェチである。
いや、まあ、何千日と経った今だから言える小粋なジョークではあるけれど。小粋なブラックジョークではあるけれど。実際のところ、ボクが事故から完璧に立ち直るには約五年ほどの年月が掛かったのだけれど。
だけれど。
今のボクは元気です。
……あれ、一体ボクは、なんの話をしていたんだっけ?
んー?
んんん………。
………………。
まあ、いいや。
なんか、ド忘れしちゃった、てへっ。
「ド忘れって……相っ変わらずマイペースだな、みつる兄ちゃんは」
「ああ、ゴメンね、火憐ちゃん。どうも、最近は座ってるだけで頭がポーッとしちゃうんだ。もし勘に触るようなら、すぐにでもどっか行くからさ。火憐ちゃんだって、ボクみたいな鈍臭いやつと一緒には居たくないだろう?」
「別にそんなことねーよ。あたしが好きで一緒に居るだけなんだからさ。それともみつる兄ちゃんはあたしには側に居てほしくないって言うのか?」
「いや、そんなことはない。断じて、ない。たとえ地球が逆に回り始めて、太陽と月も降ってきて、もう世界が滅亡しそうなその瞬間になったとしても、ボクは君に側に居てほしいと思ってるよ」
「……なんだかそれはそれで凄いこっぱずかしいことを言われてるような気がするけど、へへっ、でもけっこう嬉しいかもな。それこそボディガード冥利に尽きるってもんだ」
ぴょこんと。頭の後ろにあるポニーテールを揺らしながら、彼女は太陽のように眩い笑顔を浮かべていた。
阿良々木火憐。職業、中学三年生兼正義の味方なパワフル少女。その勇名はボクの住むこの田舎町の全土に広がっているという知る人ぞ知る有名人であり、通称をファイヤーシスターズと呼ばれている……と、事細かく教えられたのが先週の月曜日だったかな?
いかん、いかん。
二十一にして、早くも記憶力が衰退しているような気がするよ。
「んん?どうした、みつる兄ちゃん。なんだか腹痛を堪えるような難しい顔してさ」
「うん、ちょっとね。自分の記憶力が疑わしくなってさ。だから、確認も兼ねて少しだけ質問させてもらってもいいかな?」
「そりゃあ大変だ。解った。じゃんじゃん質問してきてくれよ。あたしのスリーサイズから足のサイズまで、なんでも全部答えてやるぜ!」
いや、それは答えないほうがいいんじゃないかな。
主にボクの精神衛生上的に。
「……ごほん、じゃあ聞くけど、今は六月だよね?」
「おうともよ!今は六月。五月でも七月でもなく、六月だ」
「じゃあ次に、ボクが火憐ちゃんと始めて会ったのは、先々週の金曜で合ってるよね?」
「それも正解っ。公園で兄ちゃんが柄の悪そうな不良どもに絡まれてるのを、あたしが颯爽と現れてあれよあれよと撃退した時が、兄ちゃんとの初対面だった」
「で、その火憐ちゃんは今はボクのボディガードをしている、と」
「その通りだぜ!まっ、あたしにかかればどんな凶悪犯や悪魔超人が来ようとも、ちょちょいのちょいで返り討ちにしてやるさ!」
どんな正義超人よりも頼もしい言葉だった。
だけど、しかし、けれども。
首筋をかき、軽く咳をしてから、ボクは最後の質問を彼女にする。
「じゃあ最後にだけど……火憐ちゃん。火憐ちゃんは、なんでボクのボディガードなんかをしているの?」
「うん?どういう意味だよ、そりゃ」
あっ、しまった。もしかしたら言い方が悪かったかもしれない。
慌てて、ボクは続ける。
「あの、ゴメンね。さっきも言ったけど、別に火憐ちゃんと一緒に居たくないわけじゃないんだけれど、むしろ逆なんだけれど、でも単純に不思議なんだ。なんで、火憐ちゃんはボクなんかのボディガードをしているの?」
こんなダメダメで、取り柄もなくて、面白みのないボクを、何故彼女は守ろうとしてくれるのか。
最初の時もそうだった。
無条件にボクを守ってくれて、だからお礼を言って、本当ならそこでお別れだったはずなのに。
なのに、その後も彼女はなんやかんやとボクの前に現れて、頼んでもいないボディガードを進んで買ってでてくれた。
何故だろう。
どうしてだろう。
そんな僕の疑問に、彼女はあっさりと答える。
「なんでって……はんっ、そんなの決まってんだろ!【弱い者】を守るのが正義の味方だからだよ!」
断言だった。
弱い者……ああ、そうか。確かにボクは弱い者で、彼女は強者、正義の味方なんだから。だから、彼女はボクを守ってくれるのか。
納得した。
結局、申し訳ない気持ちはそのままだけど、でもちゃんと理由があることに、ボクは内心でホッと胸を撫で下ろす。
よかった。迷惑をかけているわけじゃなくて、ああ、ホントに、よかった。
「そっか。うん、解った。それと、ありがとうございます」
ぺこりと頭を下げる。
けど、火憐ちゃんは慌てたように、
「や、やめてくれよ。あたしが勝手にやってるだけなんだからさ。兄ちゃんは別に礼を言う必要はねーって。っていうか、むしろ踏ん反り返って『ぐわはははっ、褒めて遣わそう』とか言うぐらいで丁度いいんだよ」
なぜ、そこで魔王口調なのか。
まあいいや。あまり深くは突っ込まないでおこう。
とりあえず内心とは裏腹に頷いておく。
と、
「……あ」
胸ポケットに振動。携帯のアラームが、鳴っていた。時刻は十八時。つまり、お開きの時間である。
「……ごめんね。火憐ちゃん。残念だけど、今日はもう帰らなくちゃ」
「えー、もうそんな時間かよ。せっかく今日こそはあたしの華麗な演舞を見せようと思ってたのに」
「ホント、ごめんね。もういっそ生まれてきてごめんなさい」
「いや、謝りすぎだよ。どんだけ卑屈なんだよ」
とは言いながらも最後には「まあ仕方ないか。んじゃ、また明日なー!」と。そんな嬉しい言葉を残して、火憐ちゃんは駆け足で走り去っていった。
その後ろ姿を眺めながら、ボクはちょっとばかしの寂しさを抱いて、左右の車輪に手をつける。
……ああ、そういえば。
「あの幽霊の噂話、まだ全部聞いていなかったな」
つぶやき、ボクは明日の予定を計画しながら、キコキコと帰路についた。