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No.40199の一覧
[0] 過去と連鎖とアンダーグラウンド[漱com](2014/07/17 15:19)
[1] 過去と連鎖とアンダーグラウンド。2[漱com](2014/07/17 15:18)
[2] 過去と連鎖とアンダーグラウンド。3[漱com](2014/07/18 19:14)
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[40199] 過去と連鎖とアンダーグラウンド
Name: 漱com◆bbf661f8 ID:48e8b8c4 次を表示する
Date: 2014/07/17 15:19
 プロローグ

 消し去ってしまいたいという過去は誰にでもあるはずだ。でも誰だって過去は消せない。起こってしまったことは変えられない。俺も例外じゃない。
それに過去は未来へと連鎖していくものだからたちが悪い。過去は過去で終わらない。それが良い方に繋がることもあるんだろうが、俺は今まで悪い方にしか繋がらなかった。
 全て過去のせいだ。
 俺が社会不適合者であることも、高校二年生にもなって引き篭っていることも、学校に行けないことも、今、病院にいるのも。事故にあったのも。
みんな過去のせいだ。

          1

 妹が軽い体調不良をおこした。なので買い物は引き篭っている俺に白羽の矢が立った。
しょうがないので、自転車をこいでスーパーに向かう。
そしてスーパー近くの曲がり角に差し掛かったとき、俺の進行方向に彼女が現れた。民家の塀で死角になっていた位置から出てきた彼女に、一瞬目を奪われた。
雪化粧をしているかのように白い肌。砂糖細工のように端正な顔立ち。彫刻で作られたかのような細い四肢。そして異様に長く細い髪。
なにより、触ったら溶ける雪のような儚さに、意識を奪われた。
それが命取りだった。
反応が遅れてブレーキをまだしていない。彼女はやっと俺に気づく。目を瞑り身をかばうような構えをとるが遅すぎる。もう目の前だ。
ほとんど本能でハンドルを右側に切る。
そして俺の視界は流れ――、深さ二メートル以上の側溝に、自転車ごと落ちた。

          □

気づけば病院のベッドの上だった。腕には骨折の治療跡が見受けられる。当然個室などではなく、相部屋である。俺の親がそんなに金をかけてくれるわけがない。
病室の外から「秋本漱介、秋本漱介……あったー!」という、俺を呼ぶ、見知らぬ誰かの声にしたい声が聞こえる。
その声が止んだ数秒後、勢いよく扉が開かれる。ベッド同士を区切るカーテン越しで様子はよくわからないが、数人の患者がどよめきの声をあげていた。
あれと他人の前で深く関わり合いになるのは恥なので、狸寝入りをする。
誰かがカーテンを動かす音が聞こえる。全身の力を抜いて自然体に――「とらー!」チョップされた。
やむを得ず、それで起きました、というように体を起こし、眼をこする。
「あっはっは。狸寝入りなんて無駄だよお兄ちゃん」
 何故気づいた……。自分でも上手く出来てたと思うんだが一目見ただけでわかるとは。十年以上の付き合いだからか?
作戦第二を開始する。「ここは、どこだ。あなたは誰だ。俺は――」「きてはー!」ビンタされた。これは普通に痛い。
「お兄ちゃんは自分を思い出したかな? なんならフルネームで呼ぼっか。秋本漱介さん」
「その手間は必要ないですよ妹さん」
 揺れるポニーテールが、文字通りはしゃぐ子馬の尻尾のような妹。来年高校受験だというのに、幼いし、馬鹿だしでまさに子馬だ。
「よく思い出したね! 可愛い妹のことを忘れるなんて即ギルティーだよ」
「そうかそうか。確かにお前、頭部が可哀想だからな」
「えっ、頭部が可愛いそうって? お兄ちゃんなに口説いてんのさー!」
「頭の構造がアレって言ったんだよ……」
 病室の人間全員が自分から離れていくのを肌で感じる。みんなベッドに寝たままなのにな。
「しかし外に出たら骨折って……。お兄ちゃんはやっぱり外に出るべきじゃないね」
「かもな……」マジで久しぶりに外の空気を吸った途端にこれである。
「でも大丈夫。お兄ちゃんは一生私が養うから!」
そのいつも家で宣言しているその言葉を大声で叫ばれ、病室の人間がざわめく。
視線が痛い。そして何より腹が痛い。
俺は変化しない日常を過ごしたいだけなのにどうしてこうなるんだ……。


入院期間が終わり家に帰ることが許された。
当然、直接見舞いに来たのは妹だけだった。そのせいで爺さんに麗しい兄妹愛と囁かれたり、妹をくれと高校生に絡まれたりした。全部無視した。
腕の包帯は残ったままなので、道中、奇異の視線にさらされる。
首筋に刺さる視線の不快感は凄まじい。梅雨の時期恒例、垂れる前髪が目にかかるうっとおしさでストレスが二乗される。
 家の近所を通れば道行く人々の噂話が聞こえる。
「あの子って……漱介くんかしら」
「家に引き篭ってる子よ。怪我してるけど何かあったのかしら」
「どうせケンカよ。いろいろ問題ありそうな子だもの」
「そういえば自殺未遂もしたって聞いたことあるわよ」
「それほんとなの?」
「秋本さんはどういう教育をしてらっしやるのかしら……」
振り向くと主婦たちはそそくさと逃げていった。
これだから外は嫌だ。
常に好奇の視線にさらされ、近所にはあること無いことの噂話をされる。気を使いすぎて頭が痛くなってくる。
狭い部屋のほうが、よっぽど落ち着ける。
暗い考えはストレスの元なので軽くかぶりを振って打ち消す。
そういえば妹が言っていたが、俺を救急車で通報したのはあの少女じゃなかったらしい。通りがかりの一般人が悲鳴を上げながら通報したとか。
多分逃げたんだろう。いや彼女は別に悪くはないのだけれど、俺だったら逃げる。人間非日常な出来事にはとりあえず逃げる。生存本能強すぎ。
まあきっと今後関わる機会は無い。住んでる日常が違うんだから。
そう、あんな「過去」は連鎖しない。少なくとも俺の主観ではそうだ。
そのはずだった。
「ただい、ま?………………」玄関のドアを開けてリビングに入って硬直した。
「………………」
「ああ、帰ったか。こいつが息子の秋本漱介だ」
最後のセリフが俺の父親で。
最初の沈黙があの事故彼女(事故を引き起こしてくれやがった彼女の短縮形)のものだった。
わかりやすく言うと、なぜか彼女が俺の家にいた。


親父曰く、「秋本漱介に会いたい」というメモ用紙を彼女に渡されたため、家に連れ込んだとのこと。
見ず知らずの女子そんなことを頼まれても、普通は警戒してデタラメな用事を告げて逃げるか、変質的行為に及ぶかのどれかのはずだが、お人好しである親父にはそれは通用しない。仕事が消防士のせいかは知らないが、近所に頼まれた犬の散歩を母さんとの用事より優先させて大喧嘩に至ったことがある。どうでもいいな。
そんな終わった過去より目の前の彼女のほうが問題だった。
面倒ごとになるのは間違いないので、そそくさと自分の部屋に逃げようとしたら、件の彼女についてきた。
しょうがないので部屋に招いた。といってもお互い話を切り出すことはなく、俺はこの部屋に座ってすぐ、机のパソコンを起動した。時間が経てばどうにでもなるだろうという、現実逃避。
けどいつものオンラインゲームにプレイするが、どうも集中しづらい。ログアウトしてネットニュースを見ることにしたが、やはり内容が頭に入ってこない。
背中の視線がそうさせているのは言わずもがな。沈黙には耐えれる人間なのだが、視線は無視しきれない。
このままやっても時間の無駄なので、目の前の問題の放棄を終了し彼女と向き合う。
視線がぶつかり合うと、彼女はあわてて顔を背けたので、大胆な行動に出た割に引っ込み思案なのかもしれない。メモ用紙で親父に話しかけたのだから、人と話すのが苦手なのかも。
「しかし……」
 俺が声を出すと挙動不審に反応する。それはともかく、初めて合うわけではないのに全くデジャビュを感じない。初めて会う気がする。
「あ……」
 顔をまじまじと見てようやく気づいた。あの病的に長かった彼女の髪がうなじの辺りまでバッサリと切られていた。つい最近切ったばかりのようだ。
ほかに変化がないかよく見るが特になかった。
しかし顔をよく見てやはりこの人は女子に妬まれやすいと思った。主に容姿で持たざる者に恨まれそうだ。
そんな人間と邂逅を果たしたというのにちっとも心が沸き立たない。そんなミーハーな性格をしていないのもあるが、彼女が不審者極まりないのが原因だろう。
「えーと、あなたの名前はなんですか?」
「………………」無言。
「名前は?」
よくよく考えると彼女に気を使う要素が全くないので、口調を改めた。
威圧的に言ったこともあって火がついたように鞄をあさり始めた。
そして突き出してきたのは開かれた携帯電話。赤外線交換のときの待機中の画像が表示されている。
「交換しろってことか?」うなずかれた。
俺の個人情報をいただこうとはいい度胸だと思ったが、携帯電話を全くと言っていいほど使わない俺の電話番号など、惜しむ価値がないので交換した。(交友的な理由で価値がない)
両方の交換が終えると、さっそく彼女がメールを打って送信してきた。
『私、平塚木鳥っていいます。木鳥でいいです』
 アドレスのプロフィール欄を見ると、確かに名前が同じだった。生年月日を見ると年齢は俺と同じらしい。
「木鳥……さんはメール依存症なのか?」
揶揄も込めて訊いたら『半分』と帰ってきた。
どういう意味かと思ったら、木鳥が俺のパソコンを勝手にいじりだす。
「まっおまっ!」
 止めようとしたらただ検索サイトを使っているだけだった。
木鳥が席を譲った時に開かれていたサイトは、某フリー百科事典サイト。
そこに書かれたいたのは「失声症……?」
要約すると、主に心理的障害が原因で話すことができなくなる精神病らしい。
会話をメモやメールに頼るのはそういう原因があったのだと納得する。もっとも理解をしても同情するつもりはないが。
あくまで他人事なのだから関係ない。そんなことよりここに来た理由を聞き出そうとしたら、メールが届いた。
 手っ取り早く会話が成立しないもどかしさを感じながら、メールを開く。
『私、今家に帰れなくて』二通目『私を当分この家に泊めてほしいんです』

          □

「理由は話してくれないのか?」
木鳥は首を振って否定を示す。
今、家族会議が開かれていた。当然先陣切っている親父だけでなく母さんと俺と妹も参加。
親父も最初は追求したがっていたが、失声症ということを知ると妙な方向に空気を読んで、詮索をやめた。
「とりあえず今日のところは帰ってもら」俺に被せるように親父が告げる。「決めた、当分泊めよう」
は?
「親父、なんで問題の解決を図ろうとした俺のセリフを打ち切るんだ」
「お兄ちゃんそれ露骨な厄介払いって言うんだよ……」
彼女を厄介だと思っているのは否定しない。
「しかし彼女にも深い理由があるんだろう」深い悪意とは思わないのか。
「それに俺ぐらいの人間にもなると目を見れば善人かどうかが分かる」「そうかじゃあ親父が街中で売りつけられた金運の壷は何だおい!」
代金の一万五千円分すらリバースされていないそれは、今も親父の部屋に飾られている。
「あ、あれはきれいな瞳をしたお姉さんだったから……」
「きれいなお姉さんの瞳の間違いじゃねぇの?」
「う。うるさい! 父親に逆らうのか!」
「父親と思われたいのなら引きこもりの息子から借りた金を返せ。父親として恥ずかしくないのか?」
「まあまあお兄ちゃんも落ち着いて」
「おお、娘は俺の事を守ってくれて」「いやー、さすがに壷と借金の件はどうかと思うよー?」
ひでぶと言って親父はテーブルにつっぷした。若いなぁこの人。親父をこの人呼ばわりである。
「そもそもなんであんたは反対なのさ」
今まで黙っていた母さんが話し出す。
「……母さんは反対しないのか?」
「もう慣れた。どうせ反対してもどうにもならないし」
「大変だな。でも理由は簡単だろ。俺はあくまで家族の安全を第一に言ってるだけだ」
 この場合の家族は俺も入っていて、なおかつ単数形である。わー俺自己中心的。
「自分の人生も顧みずの心配をありがとう。そこまで言うならあんたの部屋に泊めればいいじゃない」
「…………え?」
 思いもしなかった回答に、返事が間の抜けたものになる。
「あんたの部屋に泊めれば常に監視ができて安心じゃない。家族の心配をしてくれるなら一番いい方法でしょ? それに人と関わる機会が増えたらあんたもまともになるかもしれない」
「ちょちょちょ! お母さん何でお兄ちゃんをまともにしようとしてるの! 将来私が困るでしょうが!」
「ロクデナシの方が困ると思うけど?」もっともです。だがやめんぞ。
「わかってないなぁー。ロクデナシの方が養ってる方が私の心象がいいじゃん! それにまともな人を養ってたらいろいろ突っ込んで聞かれるしさー!」
動機がアレだが援護してくれる妹に感謝したほうがよさそうだ。ちなみに建前ではない。テストの点が二桁(五教科合計)の妹にはそんな器用な真似はできない。
「そしてなによりお兄ちゃんと屋根の下一つに女の子が寝るなんて、不純な関係は禁止なんですよ! それは将来妹が養うときに」
そのとき母さんが妹に何かを書いた紙を渡した。妹はそれをまじまじと何度も見つめる。
「……お兄ちゃんファイトー!」
「母さんあんた何をしたぁぁ!」
妹から髪をふんだくると『お小遣い上げるよ』軽い。どうやら妹の軽いのは体重と頭の中身だけではなかった模様。
「嫌だ! 俺は諦めないぞ!」
「その根気は社会復帰に回すといい」
「ごめん親父、それは無理」
多数決で押し切られ、俺の部屋に木鳥が泊まることになった。人海戦術ってすごい。違うか。


晩飯を謙遜しながら(でも残さず譲らず)ちゃっかり頂いた木鳥は俺の後ろで寝ている。もう日付は変わった。
俺のような廃人はオンラインゲームでネットでのみ社交的に振舞うのだが、後ろの物体がはなつ気配を敏感に感じ取ってしまい、昼と同じでのめり込めない。
しかたないから最後にニュースサイトでも見て寝ることにした。
めぼしいニュースを探しながら聞き耳を立てると、まだ起きているようだ。ネットの光のせいで眠れないのなら、遠慮する必要がないとはいえ少し申し訳ない。安眠妨害される気持ちはわかるし。
その中に『グロ注意!』と注意書きがあるニュースがあった。開くと体のあちこちが抉られた女子高生の写真が映る。
「うおー……」
コメントを読むと包丁を突き刺したあと、刺したまま回転させて肉をえぐったらしい。こういうの見ると家にこもると命の危険がないのだとつぐつぐ実感する。社会的地位が危ういがそこは割愛。
「こんな奇天烈なことの起こった場所、は」
本文を読む、を開いて目を疑う。
ここからたった一駅移動したらある都心部。事件が起きたのは七月上旬の深夜。もっと正確なら昨日の祝日の夜。
そして遺体の状況から力の強い男は除外され、子供か女が犯人と推測される――。
後ろを振り向く。勢いが良すぎてテーブルに足をぶつけたが痛みが気にならない。
物語のように実に都合よく、条件の当てはまった人間が、タイミングよくここに現れた奴がいた。
『私、今家に帰れなくて』
偶然で振り払うことができないほど、不審な人間が俺の部屋にいた。

          □

眠ることなく朝を迎えた。徹夜の目に日光が差し込んで涙が出る。
後ろからいきなり豹変して襲って来ることはさすがになかったが、これからも安心して眠れそうにもない。意識しただけで眠気も吹っ飛んでしまうし。
まだ五時半時間というのに部屋から出てきた俺を見て、母さんが軽く驚いていた。悪いか。
眠気がひどいので一階の食卓に行ってモーニングコーヒーを作った。飲んだが全く晴れない。むしろ寝ぼけて指にコーヒーがかかってその熱さと反射的な叫び声のほうが効果があった。カフェイン役立たず。
誰一人いない静かな食卓。遠くから響く母さんの足音が心を和らげる。
「平穏だ……」
 親父、今日も俺は引き篭ります。ヒキコモリ生活三ヶ月目からしてヒキコモリの心理を掴んだ気がする。
俺の部屋から音がし始めたから木鳥も起きたな。
落ち着いたらなんか眠くなったから寝ることにしよう。朝食もあるからだいたい三時間ぐらい。


起きたら午後三時だった。ちゃんと八時間寝るとか健康体過ぎる。
空腹に耐えかね目が覚めて、食卓に行けば昼食は……ないな。
「母さん飯とってくれたりしてない?」
「あるわけねーだろ」
「でーすよねー」
食料を求めて冷蔵庫を開けると、母さんがおやつとしてよく食べるいりこしかなかった。巨大な家庭用冷蔵庫だと空隙が強調される。
「……年貢で徴収されたのか?」
「ああ、今日は外食食べに行こうと思ってたのよ」
「ああ、なる――」「で、あんたが起きてこなかったから、昼ごはん食べた後無理して食べに行った」「なんでだよ」
順接を使っているのに意味がつながっていませんね。通信簿に理路整然と会話しましょうって書くぞ。
「昼のうちに行っておけば、あんたの分を木鳥ちゃんに廻せるじゃない。働かない奴は食うな」
「なぜ居候娘が俺より人権が優先されているんだ」
くそうあの殺人犯(仮)め……。違うかもしれないけど怖くてヤキ入れることはできそうにない。する気無いけど。
「最初は反対してたけど、なんやかんやで母さんも世話やきだな」
「じゃなきゃあんた、ここにいないでしょ」
「……だな」
母さんと親父、義理がなかろうと人を救済できる高尚な厚意に感謝をしよう。
「それにあの子、ちゃんと家事手伝ってくれるし。ニートのあんたとは格が違うわ。今だって洗濯物干してくれてるわよ」
「家事手伝いとニートは同義語なんだが。つまり俺と同レベル」
「あんた何もして無いでしょ」
「いやいや、俺だって自宅警備やってる。セ○ムしてますよー」
「黙れ。ともかく何か食べたかったら、お使いしてきて」
「スーパーの電話宅配サービス使えよ」
「あんたが社会復帰するための愛のムチ」
「いやムチとかいらないんでアメだけください」
母さんの愛の無いムチが炸裂したシーンはカットさせてもらおう。

          □

「妹よ。買い物に付き合え」
「私はお兄ちゃんと同じ高校に入るために受験勉強中なんだけど……」
「心配するな。お前ならそんなの問題にならない」
 どうせ落ちるからな。そこだけ口外せず、妹を騙して家から連れ出す。
 玄関まで行くとさも当然のように木鳥がついてきた。
「なんでいんだよ……」
ケータイを差し出してきた。メール画面に表示されているのは『木鳥ちゃんもついでに日用品とか買ってきな』
「母さんいつの間にメルアドの交換を」
 俺が寝てる間か。俺も知らないのに。
「じゃあ一緒に行きますか! お兄ちゃんは留守番でしょ?」
「いや、俺も行くっつーの」
 行かなかったら、俺のことを思ってくれてないのに、俺のために拳を振るわれるからな。


木鳥が徒歩なので、俺の愛車はお留守番。
喧騒とストレスにまみれる街中を通り抜けていると、精神が擦り切れていくのが実感できる。
 このままだと俺の魂だけが消滅して心身停止すると、場末の占い師に言われても信じてしまいそうだ。
俺は人間アレルギーできっと間違っていない。でも木鳥はまだマシな気がする。相容れない理由が殺人犯(仮)だけだから。
「お兄ちゃんお兄ちゃん」
妹が小声で木鳥に聞こえないように囁く。何故ついでに腕を組む。
木鳥は俯くか、ケータイをいじりもせずじっと見つめるかの二つをしながら歩いている。こいつも俺と似たようなものなのだろうか。
「木鳥さんってさ、谷田さんに似てるよね」
「あー」
そういえば似ている。体格とか髪型とかが、そっくりだ。どおりで普通の人間と比べてマシなはずだ。
あの件以来一度も会っていない彼女は大丈夫だろうか。精神衛生的な意味で。
「懐かしいな……」
「……お兄ちゃんまたあいつと会いたいの?」
「あいつは無いだろ、あいつは」
「……あの人は」少し丁寧になった。「私からお兄ちゃんを奪おうとした人だもん」
 組んでいた腕を強く引き寄せた。力がこもっていて少し痛い。それだけ心配してくれているのだろうか。
「…………」
 自分を大切にしてくれる人はちゃんと一生大切にしろと、昨日読んだ本に書いてあったな。
「よーしよし」なでてやった。
「なあっ! お兄ちゃん何を」
「お前を一生大切にしてやるからなー」ちょっと気恥ずかしいので、できるだけ語調を淡白にした。
妹は呆然とした後、いきなり奇声をあげて後退して水の通っていない浅い側溝に頭から落ちた。妹の奇行には慣れているつもりだったが、さすがに驚いた。まだまだ精進しなければならないらしい。したくないけど。
派手に音が鳴って視線が俺たちに降り注がれる。
「今のって」「あの二人兄妹みたいだけど」「じゃあ禁断の」「現実にいるんだ……」
周りの視線が凶器のように心臓に突き刺さる。血ではないけど何かが傷口からあふれ出てる気がする。
というか周りの囁きで始めて自分の言葉の意味に気づいた。
ご近所の噂の種を困らせないようになってしまう前に妹を引っ張りあげて逃げ出した。


デパートについて買い物も済ました。俺の住んでいる場所は田舎であるため、徒歩だと三十分ぐらいかけないと大きなデパートはないのだ。
妹と木鳥は二階の服売場にいる。妹の服を着ているから少しサイズが小さいため、出るころには買ったものを着ているだろう。
俺は一階のエントランスのベンチで休んでいる。考える人のあごに当てている手を膝においてうなだれる。俺にとって一番楽なポーズ。
ポーズは違うが元ネタのように、暇つぶしに考え事をする。
なんで木鳥は俺の家に来たんだろう。
……もし、殺人犯だとしたらわからんでもない。とにかくどこでもいいから逃げこみたいんだ。
いや違うか。普通は通報されるからそんなことしない。親父が特例過ぎて……ということは親父のことを知ってた? だとすると俺の住所の入手経路は……ストーキングか! 
「なわけないよなぁ……」
息を吐き出すみたいに漏れた声に、通りかかった小学生が反応して、そそくさと逃げていった。
でも事件と木鳥がやってきた日が異様なほどマッチしてるのは事実で。
……犯罪者の保護は、家族以外なら犯罪じゃなかったか? ああでも善意の第三者なら無罪なんだっけ。
でも、そんな誰かの犯罪疑惑より俺の人生のほうが問題だよな。
俺は高校二年になってから学校に登校するのをやめた。ヒキコモリ歴三ヶ月あたりの初心者なのだ。
これまでは心身ともに引き篭ってきた。これからは、どうするか。

          □

答えが見つかるわけがなかった。
妹も木鳥も戻ってきて、それでも尚考えながら家に帰っていた。
ちなみに木鳥は事故のときもさっきも、地味なシャツとジーンズだったが、今は丈の短いスカートと、肩を出したワンピースの上半身部分だけのような……名前忘れた。まあそんな服を着ている。
妹が事実に誇らしげな顔で感想を聞いてきたけど、生返事しか返せなかった。
俺の今は暗礁に乗り上げたまま停止中で、このままだと食料が尽きて餓死――というような状態というのはわかっている。
それでも前に進む気になれない。全部過去のせいと言い続けて精神の安らげるが、それじゃあ根本的解決にはならない。
「お兄ちゃん、大丈夫?」
「考え事してるだけだ……」
引き篭ってから、こんなんでも元気になったほうだと思う。最初の精神状態はそれは荒んだものだった。
ときどきずっとこのままなのかと不安を覚える。立ち直らなきゃならないのはわかってる。それでも立つ気になれない。
周りのいろんなものがどこかへ消えて、一番大切な人間とも離れ離れになって、苦痛だけなのに立ち上がる気にならなかった。
胃が痛くなるだけだから考えることをもやめた。
「お兄ちゃん木鳥さんがやってきてから具合悪いでしょ」
「そうだな……」
木鳥が若干悲しそうな顔をしたが知ったことじゃない。
「お兄ちゃんそういう変化とかが苦手だもんねー。なんか猫みたい。住むところが変わるだけで体調崩すし」
「トラウマが刺激されんだよ……」
変化とは、俺にとって失うことでしかなかったから。
変化が変化を呼んで、また失わせて。
気づけば全て失っていた。得た物なんて一つもない。
「……こっちから帰ろ」
妹が家までの直線の道を、一つ右に外れる。
大地主がいるのか、この辺には半径何百メートルもある大きな田がある。住宅街がそれを囲むように立っているので、道を一つ外れれば通れる場所はあぜ道しかない。
妹はそのあぜ道を通って、俺たちもそれについて行って。
田んぼのど真ん中についたら、何を考えたか妹は自分の口の横に両手を持っていって。
「お兄ちゃんの高校を合格してみせるぞぉぉぉぉ!!」
叫んだ。
「お前何して」「お兄ちゃん言いたいことははっきり言うの! 一人でも誰も聞いてなくてもいいからちゃんと言いたいことを叫ぶことがこの妹のように快活に生きる方法なのですよ! さあお兄ちゃんも!」
そんな大声で叫んで近所に聞こえたらどうすると叱ろうとしたら、メールが届いた。
ケータイを開くと木鳥からのもの。
 長文だから要約すると、ように自分が来てしまったことに対してゴメンという内容だった。
木鳥が反応を見るのが怖いのか、俺たちを置いて走り出した。
「……やっぱ叫ぶか」
こんなことで傷つくような人間を殺人犯なのか?
その答えを叫ぶことにした。実にアホらしくなって羞恥心が置いてけぼりになる。

「んなわけねぇだろぉぉぉがぁ!」

俺の横に強風が通り抜けていって、けどちゃんと叫びは前へと飛んでいった。
叫んですっきりして、心でセピア色に変換されていた景色が、色づいていった。
 ちなみに木鳥が俺の大声に驚いてこけて、顔面からいった。あ、見えた。いや見えてない。白だった。いや違う。

          □

一方的にではあるが木鳥にもちゃんと謝った。
そして夕食時。
「母さん! ご飯入れてくれ!」「あ、ああ」
腹に力を入れすぎて、ほとんど怒鳴っている俺の声が響く。
「木鳥! 醤油とってくれ!」
木鳥は驚いて茶碗を落としそうになり、危ういながらもキャッチする。
「親父!」「……金は返さんぞ」
返せ。
「……お兄ちゃん」「なんだ妹!」
妹は実に言いづらそうに口を開く。
「その……そこまで元気すぎるとこっちまで身構えちゃうというか調子狂うというか……」
「言いたいことはなんだ!」
「ごめん、ちょっとうざい……」
「……お前がやれっつったんだろーが。はぁ……」
いつもどおりの腹に力が全く入っていない、息をするような喋り方に戻す。妹の知能指数を考えて聞くべきでした。


深夜ごろ、日課であるオンラインゲームをプレイしながら考える。
正直、木鳥は人を殺せるような奴には思えない。あれら全てが演技だとしたらたいしたものだし、それは疑われると予想してなければ意味の無い行動だ。探偵の自意識過剰というんだったか。
それに家に帰れない理由だっていくらでもある。家出したからとかそういう理由だろう。家出なら保護する側も家に帰そうと躍起になるから黙ってたのかもしれない。そもそも荷物もちゃんと持ってたし。計画殺人ならこんな怪しい行動はしないだろう。
木鳥が殺人犯というより、たまたま家出のタイミングと重なって事件がおきたというほうが自然だ。この近辺にどれだけの人 間がいて、どれだけの殺意を抱かれていると思っている。
俺の家にわざわざ来た理由はわからんが、そんなの本人以外知らないんだから考える必要なーし。
仲良くしろと言われるのは難しいが、慣れていくぐらいはできるかもしれない。
マイセルフの人生相談も目処がついたところで、もう終わるか。
ネットフレンドに別れのチャットを告げて、パソコンの電源を切った。
相変わらず木鳥は眠れてないようだ。俺が起きてると眠れないらしい。
ベッドで寝転んで数分するとやっと寝息を立て始めた。
「………………」
俺の部屋の床で寝ている奴は殺人犯ではなく、ただの一人の少女。それも見とれて事故を起こしてしまうぐらいの容姿を持つ。
……別にどうこうするつもりは無いのだが。
当分、安眠とは程遠い生活を送ることになりそうだ。

          2

それから半月ほどたち、世間は夏休みになった。
木鳥は携帯を持ったままなのにも関わらず、木鳥の両親からの連絡はこなかった。失声病なのだから、家庭環境が複雑でもおかしくないが。
妹は夏休みに入ったのと、どういうことなのか休み前の面談で、俺の高校を受験することを許されたことで狂喜乱舞していた。偏差値はそれなりに高いんだが……。
「やった! よっしゃ! イエス! イエース! これでお兄ちゃんを一生養うための野望の第一歩が成功したんだぜぇぇぇぇ!」
「お前の声は徹夜にきついからやめてくれ……」
妹はだいぶピーな人間のようだ。放送禁止の人格表現ゆえ自粛。
木鳥も慣れたのか俺が起きてても眠れるようになり、俺の生活スタイルは以前のものに戻った。その人は母親に頼まれて朝食を作っている。
「お兄ちゃん! この夏休みで青春な甘酸っぱくエロスなイベントを満喫しよう!」
「時間があったらな……」
 妹とエロスなイベントって犯罪ですよ。
でも、妹の努力の、主に実力テストの一夜漬けの成果が現れたのは兄として喜ぶべきだろう。
「時間があったらって……お兄ちゃんヒキコモリだから二十四時間フリーじゃん! つまりツンデレ的な遠まわしな肯定だね!」
「違うっつーの……俺は寝てくる」
だから妹にツンデレな態度をとるなんて以下略。


その次の日、昼食を済ませた後、妹が俺の絵の部屋に来た。木鳥は携帯のアプリのゲームで遊んでいる。ほんともう家の一員という感じである。借りてきた猫のようなところはもうあまり無い。木鳥とも日常会話をこなすくらいに仲良くなった。
とまあ閑話休題は終わりにして「お兄ちゃん勉強教えろ!」命令された。
「実力テスト終わってから久しぶりにドリル開いたんだけどさ。全然わかんないの。ドリル枕元に置いたんだけどなー」
「勉強しなくなって忘れたのか……。というか枕元においたから記憶削れたんじゃねぇの。ドリルだけに」
「な、なるほどー……」冗談ですよ?
「日頃から世話になってるし、そのくらいは付き合ってやるよ。食卓に行くぞ」
立ち上がったら、木鳥も携帯のアプリを終了してついてきた。
「手伝ってくれんのか?」首を縦に振って首肯してくれた。
携帯で文を打って見せてくる。
『私南章女子学院に通ってたから、けっこう教えられるよ』
「へぇ。……谷田が行ってたところと同じなの、か……?」
谷田の名前を聞いたら、木鳥の顔が急に蒼白になったのでとまどった。谷田と何かあったんだろうか。俺が言うのもなんだがまともな奴じゃなかったから、何があってもおかしくないんだが……。
「お兄ちゃん、いいかげん忘れなよ。あいつのこと」
「ん、ああ……」
生返事をして、二階の俺の部屋から食卓に降りていく。
今、谷田は何をしているんだろう。一年半前から会っていない彼女のことをふと思った。


手始めに受験勉強もかねて、夏休みの宿題からとりかかるつもりらしい。
理科ならけっこうできるんだよー! と言ってまず元素記号の問題を。
「カルシウムの元素記号は――Cィィィだ!」
「贅沢だなーおい」
盛大に間違えた。牛乳の大半はダイヤモンドでできてるらしいですよ。
『Cは炭素の元素記号なんだよ』
「あっそうだったんだ。ありがとう木鳥さん!」
「元素記号は元素の名前の頭文字であることも多い。Cじゃないなら……」
「なるほど! つまりKだぁぁ!」
「お前の骨はガラスできてるのか。もろそうだな」答えからより遠のきました。さっきのヒントでそうなるとそんな回答を出すなら英語も×。理科をやって英語の実力が分かるなんて、すごいな妹(皮肉)。

 理科は諦めて国語に移った。
「『犬のジョンは、飼い主が死んだときどのような気持ちになったか答えなさい』なんて犬の気持ちなんてわかるわけないじゃん! どうせオニオンスープ食べたいとかそんなもんだよ!」
『後追いするつもりだ!』
犬に玉ねぎを与えてはいけません。意外に合ってるかもしれないけど○はやれない。

「保健体育なら得意だよ! いつかお兄ちゃんに実践するつもりだからね!」
「いつか俺、瀕死の重態になって妹に応急処置されるのか……」
あえてピントをずらしてみる。受験には関係ないので後回し。


 一時間かけて妹の中に巣食う『馬鹿』と戦った。その結果。
「妹よ……無理じゃね?」
「まだだ、まだいけるよ! なんとしてもお兄ちゃんの高校に受かる!」
「なんも言ってないのにそう思うってことは自覚してんだろ」
「う……」まあ流れで誰だって気づくが。
『大丈夫だよ! 今からがんばればきっと受かるよ!』
「おお……木鳥さんが女神に見える」
「実に定型文だったけどな」
よく実力テストで受験可能ラインまでいけたもんだ。さきほどXプラスYはXYと答えてくれやがりました。
「……ま、お前には引き篭ったとき世話になったからな。最期まで付き合ってやるよ」
「えっお兄ちゃんちょっと大胆すぎだよ!? 一生ともにするとか木鳥さんもいるのに」
「お前が不合格になるまでと言う意味だっつの」
『世話になったって……妹さんは漱介くんに何をしたの?』
「なんてこと無いですよ、ただ心身ともにお兄ちゃんのそばにいただけですよ~」
「だいぶ語弊があると思うぞ、それ……」
 ある意味間違ってはいないんだが。
始業式の日、登校の途中で家に帰った俺は部屋に引き篭って、それから出なかった。
なんで腹を痛めて、ストレスをためて、「普通」とのズレを感じてまで学校に行くのか、わからなくなった。
死にたいわけでもなく、生きたいわけでもないが、立って歩くだけの気力がなくなった。
なにも食わず飲まずで、ずっと家に引きこもった。
そして、妹は俺の部屋の前でずっと待っていた。扉越しで姿を見たわけではないがわかった。同じく学校ににも行かず、なにも摂取せずに俺のことを呼び続けて、声が枯れればノックでひたむきに呼び続けたから。
それで、俺は生きようとするだけの気力を得たのだ。立つまでにには至らなかったがこれはしょうがない。そればっかりは、きっかけが他人でも自分でしなければ。
部屋から出たとき、お互いの顔は笑えるぐらい酷かったものだ。
その後、栄養失調で足元がふらついて、俺を出迎えてくれた親父を巻き込みながら階段を転げ落ちた。妹はそれを見て卒倒。母さんが奇声をあげるという出来事があったんだが、そこはもういいや。
……思い出して疑問になった。
「なんでお前はあそこまでしたんだ?」
答え方を考えているのかすぐには返ってこなかった。国語だっていい成績でなかった妹は一分ぐらいかけて解答を作った。
「……お兄ちゃんの背中を見たら安心するんだよ。ああちゃんと生きてるって。また会えるって。話せるって。引き篭ってたらお兄ちゃんの状態確認できないじゃない」
「生きてて当たり前だろ」
「いーや。お兄ちゃんは自主的に地獄に旅立ちかねないからね。いつも生きてるかどうか心配するぐらいなら、見れる範囲にずっとお兄ちゃんがいたほうが楽だよ。だから」妹は深呼吸していつもどおりに宣言した。「私は一生お兄ちゃんを養うつもりなんだよ!」
「……そーかい」
 妹らしい、としか言えなかった。
なんで俺にまた会って話したいのかという理由が説明されて無いから、説明文としては○はやれない。せいぜい△だ。
それでも他の教科よりは、まだましか。
『さっきの話聞いて思ったけどさ』メモ画面が突き出される。『妹さんってほんとに漱介くんのことが好きなんだね』
「……は? いや、それはないだ」「なっななななななななななななななな何言ってるんですか木鳥さぁん!?」
「おーい妹。夏だからかー?」
 『夏だから』が原因になるような症状を答えなさい。配点十点。答えは警察に捕まった後の変質者に聞くとわかるかもな。
「お兄ちゃんは黙ってて! 私はお兄ちゃんをお兄ちゃんとしか思ってないの!」
「俺を俺として扱うのは当たり前だろ……」
「そういうことじゃなくて! お兄ちゃんはお兄ちゃんでありお兄ちゃん以外の何者でもなくて。ああでもお兄ちゃんとは男だからお兄ちゃんを男として思ってるわけであり、お兄ちゃんのお兄ちゃんによるお兄ちゃんのための政治があああああああもう訳わかんなくなった」
「訳わかんないよな、ほんと、お前が。あと最後のただの独裁国家」
『お兄ちゃんである漱介くんは、妹さんのことをどう思ってるの?』
「木鳥は案外明るいのな……」
『人見知りが激しいだけだよ。漱介くんにはもう慣れたから。で、どう思ってるの?』
妹をどう思ってるか、か……。 考えたことなかったが成績が中の上な俺はすぐに解答できた。
「厚意には感謝してる……ぐらいだ」
少しずれてる答えだが、テストでなくアンケートみたいなもんだ。いいだろ。
「ちょちょっおお兄ちゃん!? 好意に感謝とかええええええ」
「同音異語だと思うぞー」
今日も家は騒がしい。
俺に生きたいだけの気力を与えてくれる騒々しさが今日も満ちている。

          3

相変わらず夏の日差しがさんさんとふりそそぐ日本である。
俺と木鳥はそんな中をあぜ道を歩いていた。


 チャイムが鳴って出てみれば、茶髪に染めるというといういまいちな高校デビューをスタートした友人がいた。
「お前の唯一の友達である島崎さんが、夏休みの宿題と補修のプリントを持ってきてやったぜー」
「………………二文字余計だな」
お前のの友達……タイプミスになった。やっぱ三文字で。
「なんだよーもっと感謝しろよー」
 うざったらく、肘で俺の腕をつついてくる。なんか島崎は妹とテンションが似てるな。そうじゃないと不登校児に関わろうとしないのだろうが。
「俺は夏休みの宿題が無機物であることにだけ感謝してる」
「な」んでの前に理由を言う「夏休みの宿題は夏休みに入ってから配布されるものなのか?」
遠まわしに「お前、渡すの忘れてただろ」あ、口に出た。
「そもそも島崎は俺とクラス違うだろ」
「お前のクラスメイトは全員よく知らないとかで断られたって」
「………………」
本音が六割、知ってるから行きたくないが四割、とグループ分けできるだろう。地元高校だから古くから俺を知ってる奴も多い。
「なら担任が」「行きたくないって本音だされた」「仕事しろよ……」
今時の、平気で万引きした若者が教師になっていく影響だろうか。今は関係ないな。
「まあ、勘違いしてある程度やっちゃったからさ、遅れたのは勘弁してくれよ」
「遅れた上に、間違った答えを消す手間まで増やしやがったのか」
「秋本ぉ……」
成績が低いのを認めたのか、苦笑いで反撃された。
「ま、期末中間全部0点の俺よりマシだ。休んでたからな」
「じゃあ教えてやろうか? いやー秋本に勉強教える機会が来るとは……って誰だ?」
後ろを向くと木鳥が俺の部屋から降りてきていた。玄関の廊下の半ばにある階段を降りきったところで島崎に気づく。
「おー……い?」
 島崎に声をかけられた時点で、木鳥は肩を跳ねさせて玄関と反対方向に駆け出した。
「珍しいな。あいつ人見知りとかめったにしないのに」
と、嘘をついてみた。真に受けたのかちょっとへこんでた。
「……俺、そんな気持ち悪かった?」
「声がとっても性的でした」つまりせくすぃーな声であった。嘘なのでひらがなである。まあさっきから全部嘘しかついて無いから、言う必要ないけど。
「そうか……、声か、声のせいで彼女できねーのか?」
ここまで真に受けてると、どうタネばらしを切り出せばいいものか。


「お前より教科書のほうが戦闘力が高いなー」
「戦闘力五のゴミに負けるとは……」
島崎に授業内容を教えてもらったが、教科書のほうがためになった。ノートの内容は、迷路や自分が作ったポケモンで埋め尽くされてる小五と、反抗精神溢れる真面目じゃない中二のハーフみたいだ。比喩まじりの婉曲表現なのは島崎の沽券を慮ってのことです。
「それにしても木鳥ちゃん、かなりのの美少女だなー。俺にくれよ」
 俺はもう夜にでもやろうとリビングのソファの上で寝転がった。
「いや、俺のじゃないし」「ああ、普通の男が同居人なら既になってるだろうけど、お前じゃなー」
俺に合わせてか、島崎も対面のソファに身を預ける。
「まるで俺が枯れてるかのような言い方はやめてくれ」
「そうじゃなくて、お前は谷田だろ。あ、でもそれだと木鳥ちゃんは一応対象に入るのか……」
 本人は俺の部屋で俺のパソコンをいじくってるようだ。さっき起動音がしてた。
「やっぱ島崎も思うか」
「だって見た目の特徴もあるけどさ、性格とかが小学校の谷田に似てるじゃん。あのまま年相応に育ったらあの子って感じだ」
「そーだ、あー」
 な、が力が抜けてあ行の発音になった。白いカーテンからもれ出る光と、かすかに照らされたまっ白な天井がアロマセラピーを出しすぎる。
「あの子との生活、うまくいってんのかー? 下宿先、秋本の部屋らしいけどさ」
「それなりだぁー」
「そうかぁー。……やっぱ谷田に似てるからか?」
……あまり考えたくないので話を逸らそう。
しかし自分でも分かっている。
何故見とれて事故がおきたのか。
何故こうもあっさりときっかけだけで受け入れられたのか。
「それより島崎。その名前聞いて思ったけどさー。谷田が最近何してるか知ってるか? もう随分会ってない」
お互い会いづらくなっただけだが。
「……知らないなぁ」「間があったことについて激しく言及したいんだが」
「谷田のことは、ほんとに知らんよ。さっきのはお前との思い出を駆け巡ってただけだ」
「男に思い出されてもなぁー。ごまかさず谷田についてさっさと」
「そんなことよりお前いつ学校来るの?」
「…………」
言葉のついてない三点リーダーだけが、強制出動の問題提起で口を塞がれてしまった。
けどそろそろ無言で貫きとおす訳にも行かない。うちの学校には、いやどこでもそうだろうが留年の回数が限定されているのだ。三回を過ぎると退学だ。
 今年は捨てるにしても、このままだと惰性のまま不登校を続け退学になるかもしれない。それは親父と母さんに申し訳ない。公立といえど学費は馬鹿にならないし。
柔らかい暖かいものが下にあって、日光を通しやすい色のカーテンから透過した日差しを浴びてると、日向ぼっこをしたがる少年の気持ちを理解できる。
こんな状態だと時間も忘れてしまうので起き上がった。寝てもいないのに低血圧の人間の起きたてみたいに脳が揺れる。
「このままじゃやばい……」
 そういえば最後に外へ出たのが、木鳥が来た日の翌日だった。
 このままだと本気で廃人になってしまう。社会復帰する意欲が薄いにしても、これは酷すぎる。状況をよくする気はないからといって、悪い方に転がせたいわけじゃないのだ。
「とりあえずヒキコモリから脱却せねば」
しかし足がソファと一体化したかのような錯覚を受けて離れない。
ここは義務感を与えてみよう。……木鳥がこの家に来てから一ヶ月か。
俺はそれを祝う義務がある。そのためにどこか出かけよう。出かけなければならない!
無理だったので、そばにあった携帯をとって出かけないかとメールを送信した。これで立ち上がらざるを得ない。
「なあ島崎。木鳥を下宿一ヶ月記念で祝おうと思うから一緒に来てくれ」
「何でだ?」
「いや一人じゃいろいろと気まず」「なら断る」「はぁ? なん」「どごぞの男に声が性的だから近寄らないほうがいいと言われたからな」
しまった冗談と、誤解を解いておくんじゃなかった……。それならフォロー入れてやるとかでついてこさせれたのに……。
上の物音が激しくなったから準備をし始めたんだろう。一刻も早く応援を呼ぶために二階の妹の部屋へと駆け上がった。
「妹さん、一緒にでかけませんかー。あ、勉強中だったか」
「いや別にしてないから行こう!」
そばにあった漫画やゲームの攻略本でノートを包み隠した。ノートでそれを隠せ。
「まさかお兄ちゃんから誘ってくれるなんて……。これは妹に欲情してのデートと受け取って構わないよね!?」
「ノー、アイドーント」
意味がわからないのか、どこかの探偵みたいに妹はあごに手を当てて考えていた。リスニングが苦手なだけだよなそうだよな。
「むー。ま、いいや。今日は召かしこんでいくぞー!」
 クローゼットを空けて、勉強のときより数倍真剣に服を選んでいる。なんか、勉強会の日から扱いが少し変化してる気がする。昨日も「あら親父ったらまた都会で騙されて変なもの買って来たわよやーねぇ奥さん」なんて言ったら「おおおおおおおおおおおおくおくさおくさささ」と妹バグっていた。奇人変人と謳われている妹だが、少し方向性が違っていたからよく覚えている。
「お兄ちゃんが私を誘うなんて珍しいよね。ヒキコモリ脱却なら協力しないよ?」
え、じゃあもう片方の理由を「木鳥が家に来て一ヶ月目だし、誕生日的に祝おうと思ってな」
妹の動きが不自然に止まった。
「どうした」
「……お兄ちゃんって、女の前で他の女の話は禁止だよー?」
不思議と、妹のこめかみがひくついてる気がする。いや、今ので怒るわけないしな。
「お前は女というより」体の出っ張りからも考えて「妹だろあいたっ」
筆箱が的確にこめかみにヒットした。缶ケースではなく布製だったのが幸いだが、女子らしく何種類ものペンが入ってるから意外に痛い。「なんか変なの合間に入れたでしょ今!」
「おい、おちつけ」「木鳥さんだって私より少しいいだけなのにむしろ私はまだ成長期だからうす胸でも私のほうが可能性高いから私の勝ちにも等しいのにどうして分かってくれないのぉ!」
「なんで理解できるような思考回路にしてないのぉ!?」
「うるさいこのデリカシー無しめ! 私は高校合格のために勉強してたんだよ! お兄ちゃんは知らなかっただろうけどさぁ!」。
「いや知って」「黙れぇ!」
蹴られて廊下に追い出さる。そして扉は大きな音を立てて閉められた。
普段はちっぽけに見える扉も、今は、かの天岩戸のように見える。
こんなやり取りをしている間に木鳥が隣の俺の部屋から出てきた。
木鳥レベルの美少女と二人っきりで出かけるのはデートに等しいから、ある意味は得なんだろう。しかし。
『お待たせ』
いつもどおり携帯のメモ画面を突き出して会話する木鳥。無表情。
「アア、チョットマッテテネ」
まともな会話ができない奴と出かけるのは、大変なのだ。聴覚はなく視覚を使わなければならないし、なにより。

徒歩一時間以上かけなければ田舎であるここは、ろくな娯楽施設がない。そして今行くところもただの、いやただとはいいがたいほど小規模なショッピングモールである。
『天気いいね』「そうですね」肩をつつかれたから立ち止まって内容を読み、そっけなく返事をする。
『夏だしやっぱり暑いね』「そうだな」五歩も歩かないうちに、またつつかれたから立ち止まる。
「なあ別にメールでもいいぞ」
『メールだと料金が馬鹿にならないから……しょっちゅう使うし』
「……そうか」
周りからすれば、カップルにでも見えるのかもしれない。ただし五歩歩いては立ち止まる妙なカップルとして。
別に俺は沈黙が平気な人間だが、木鳥はそうじゃないらしく、こうやって必死に内容を考えている。前は黙っているだけだったが、俺に慣れてしまった今は違う。
無視するわけにも、うるさいというわけにもいかず。
公園のベンチで本を読んでいる老人は本に落としていた眼を上げ。
犬の散歩でもしていた少年は好奇心で立ち止まり。
庭の植木鉢に水をやっている主婦はおかしな二人組みに噂の種を見つける。
木鳥と二人きりで行動するときの、何よりの弊害。
突き刺さる視線の感触を感じると、思わず俯いて、ため息をついてしまう。
「腹痛ぇ……」
『大丈夫? 治すコツ知ってるから教えようか?』
原因である木鳥は会話のネタが見つかって少し嬉しいらしい。

          □

普段の二倍以上の時間をかけてやっとショッピングモールについた。前に木鳥と妹とできたデパートとは規模も違う。早くから出たというのに日は昇ることをやめて、沈むことに徹し始めていた。
途中、視線に耐えかねて、「話さなくていいから」って言ったら泣かれた。そばを通ってた知らない老夫婦に彼女は大切にしなさいと優しくたしなめられました。もう死にたい。
しかし泣くだけじゃなくて、うずくまって頭を掻き毟りながら、えずいていたからトラウマなのかもしれない。
失声症になった理由と関係あるのかもしれないが、さすがにプライベートすぎてなぁ……。
それにしてもショッピングモールの付近でさえ田畑が広がっているんだから田舎である。
とりあえず、開いた自動ドアの間を通って店内に入る。
木鳥は仲直りのために自動販売機で買ったジュースをちびちびと大切そうに飲んでいた。別に一気に飲んでくれてもいいのだが。ぬるくなるし。
「ところでどこ行く? 行きたいトコあるなら聞くけど」
『?』
聞かれるのは予想外だったのか。一文字だけ打って見せてきた。そういや言ってなかったか。
「いや、もともとお前の家に来てから一ヶ月記念に誘ったんだよ」
「…………!」
携帯で返事を打つのも忘れるほどに感激していた。何でか知らんが目じりに涙まで浮かんでいる。
『……お母さんに言われたの?』
「あいにく俺一人での計画です。悪かったな、誰かに言われないとやらなさそうで」
『いやそうじゃなくて……ありがとう』
本当に嬉しそうな顔で返事を見せられるとなんだかこそばゆい。まあ、美少女の笑顔なのでわざわざ二時間かけてきた利益はあったかな、と思う。
しかし真っ先に母さんの名前が出てくるあたり、母さんはやっぱりコミュニケーション能力高いな。連日連夜「若い肌うらやましー。若い肌超ほしー」と抱きついて過剰なスキンシップしていただけだったはずなのに……。


まずは服を選んでくれとのことだった。念のため金を出そうかと訊いたら『大丈夫』と返ってきた。大丈夫じゃなければ庶民的な値段の服を絶賛していただろう。
木鳥はたまにフッション関連のサイトを覘いていたこともあってそれなりに詳しかった。助言をもらいながら服を選んでいく。
隣のバカップルが露出の多い服を彼女に買って騒いでいた。だが木鳥と付き合ってるわけでもないので俺は無難にワンピースあたりでも進めよう。
しかしミニスカートを見て、一ヶ月前に眼に焼きついて離れない白色を思い出した。
「………………やっぱ素材は活かさねば、な」
急遽方針変更してミニスカートと、それに似合う肩を出していて体のラインが出やすい服を進めた。あと足のラインが際立つように太ももまである靴下。相変わらず服の名前はほとんど知らない。
木鳥は羞恥心が隣にいたバカップル以上にあるのかためらっていた。
『いや、ちょっと恥ずかしい……』
「心配すんな。こんぐらいお前クラスの美少女なら普通だ」
説得するためにどストレートに言葉を選んだのが功を労したのか、林檎以上に真っ赤になって反論をやめた。
『でも体のラインが出すぎるかなと……』
「木鳥はおうと……間違えたスレンダーだからそこまで恥ずかしい格好にはならない。安心しろ」凹凸って言いかけました。
『で、でもこれはやっぱり駄目だよ』
む、理由が書いてないからもう少しだ。反論の理由も尽ききたんだろう。
「なんでだ? 理由を聞かせてくれ」言外に、無かったら押し切るという意味である。
木鳥は必死に考えて『その、ナンパされたら困るし。強情な人だったら』言うのが恥ずかし
い理由を作り上げた。
「大丈夫だろ。そんときは俺が守るし」
説得のためにこっちの羞恥も顧みず言っていたから、するりとそんなセリフが出てしまった。
でもその言葉が効いたのか、恥じらいながら俺をひとしきり叩いた後、木鳥は買ってくれた。
いざというときに頼られても何とかできそうにないから失言と虚言に等しいんだが――。
『ナンパされたときはお願いしますよナイトさん』
「どっちかっていうと参謀なんだけどな……。相対的にだけどデスクワークのほうが得意だし」
木鳥との距離が縮まった気がするし、別にいいか。

          □

そこからはただぶらぶらと歩き回るだけだった。誰も持ってるのを見たことのないわりに、シリーズものになってる変哲なガシャポンをやったり、外観を読まずに設置されてる駄菓子屋で、三十円の粉っぽいヨーグルトを買ったり、名前を聞いたことがない映画を見たり……。
後半から木鳥を楽しませるというか、俺が木鳥と行きたい所に行ってたけど喜んでるみたいだから問題ないか。
今は使用用途がよくわからない、鉄製の小物を売っている店の冷やかしに来ている。このモールに微妙な店が多すぎるのは気のせいじゃない。
木鳥は粗末な木箱に入れられた、椅子の足に巻きつけてデコレーションするというアクセを熱心に眺めていた。どんな頭の形をしてれば、椅子の足をデコレーションしたいと思えるのか気になる。
「そんなん見て楽しいか?」
『漱介君と一緒なら』見せたあと、文字を消して打ち直す。『って言えばラブロマンスだね。使い方を考えるだけでけっこう楽しいよ』
動揺する区切り方はやめてください。
「どう使えるかも分からないのにか」
『そんな商品だからこそ考えるのが楽しいんだよ! これだから実用性にしか目を向けないリアリストは……』
使い方を考えるのも実用性にしか目を向けないのも意味同じだと思うが……。そのドヤ顔止めろ。
会話が終わると、また木鳥は商品を手にとって使い方を思案する。
木鳥はだいぶ凡人だ。
少なくとも見る限りでは精神病にかかるだけのトラウマを抱えてるとは思えない。
無理してそういうふうにしてるわけでもなさそうだし、電波受信してる空回りな喜び方もしていない。
顔黒で肩をペイントした、どこかの南蛮民族のような女性店員も、俺と木鳥を微笑ましく見ている。きっと彼女からしたらコミュ症の彼女を持つカップルとかなんだろう。
俺と谷田とは大違いだ。
 見た目こそ散り間際の花みたいだが。
心は俺たちなんかよりずっと強いんだろう。
……いや、今日は木鳥を祝う日なんだからこんなテンションの低くなること考えなくてもいいか。
俺も商品をざっと見て、唯一まともに使えそうなアクセサリーを買った。小さく粗末に作られた三つ子の剣が、鎖に通されているものだった。首にかけても手に巻きつけてもバッグにつけても良しという、ほんとにこの店では珍しくまともに使えそうなものだった。ただ簡単なつくりのわりに九八〇円はリーズナブルに思わせて地味に高い。
その買ったものは木鳥にやった。木鳥が払おうとしたが、さすがに一つぐらいは奢らないと男がすたるから断った。
木鳥はそれを首につけて喜んでくれた。はしゃいで踊るたびに、胸元の剣がぶつかり合って音を鳴らした。


もう日が赤くなってきたし、締めとしてゲームセンターに行くことになった。薄暗い場所でネオンとうるさいSEが過剰労働するような方ではなく、壁が緑色に塗られてて、メダルゲームやクレーンゲームばかりある方である。もっと言うと景品はフィギュアやモデルガンではない。
木鳥はゲーセンの隅に大きく取られている、クレーンゲームの機体を壁にして迷路を造ったような空間に入った。
そしてビッグチョコボーとか名前の、長さ三十センチもある太いチョコの棒が景品になっている機体を選んだ。なぜ四方八方に別のがあるのに、迷わずそれを選んだ。
ひょっとして木鳥の家がモールの近くにあって、よく通っていたのだろうか。木鳥の高校もこのへんにあるし。
……だから邪推は止めろって。俺。人の粗探しばっかする田山くんかよ。……田山って誰だっけ。フィクション?
木鳥は慣れた手つきで百円硬貨を三枚投入し、二つのボタンを使って、クレーンと商品の縦軸横軸を合わせる。こんなくだらん景品なのに一回三百円とかただの詐欺だろう。
さまざまな角度から景品のX軸とY軸を推測して、クレーンの速度からボタンを押す時間計算して、タイミングを合わせて離す。あまりの真剣さに、場を和ませようと話しかけたが頷きしか返ってこなかった。携帯で話すのも億劫らしい。
一発で商品を頂こうとする素人考えではなく、じりじりと少しずつ取り出し口へつながる穴へと近づけていく。一センチ進ませるのに三百円。飛ぶように金が消えていく。クレーンゲームは貯金箱とはよく言ったもんだ。
七回ほどやって、ようやくチョコバーの三分の一が穴に乗り出した。あとはもう乗り出してないほうを掴み、自重で穴へと滑り落とさせるだけだ。
こっちも見ているうちに目が離せなくなって、固唾を飲んで見守る。
最後になるであろう三百円が投下され、クレーンが力の抜ける電子音を立てて動きだす。
情けないそのアームも、今は芥川龍之介の、かのカンダタを救おうとした「蜘蛛の糸」に見える。
クレーンは木鳥の狙いどおり先端部分をクレーンが包み込み持ち上がって――。

横から走ってきた誰かが機体を蹴って、そのまま落下した。

もし漫画なら物の輪郭だけが白で描かれて、あとは真っ黒という風景になっただろう俺のの情景もそんな感じだ。
クレーンの先にしか注目してなかったから、蹴った奴の後姿はおろか、着ていた服も色さえぼんやりとしか覚えていない。
一応少しは進んで残り半分ほどになったから、あと一回やればすぐに落ちるだろう。だがそういう問題でもない。見れば木鳥は白い灰になって硬直している。再起不能かもな……。
とりあえず犯人が逃げた方向を見たらすぐに見つかった。中央に置かれてる小さなお菓子を救うタイプのクレーンゲームの影に隠れていた。靴がはみ出ているからバレバレだ。あんなところに座り込む奴もそういまい。
ついでに見えた片足で犯人も分かった。
「フトマユの暗殺者曰く……同じ靴を二度も履くんじゃない――的な意味だったはず」
 読んだことないから正しくは知らん。
 回り込んで顔を覗き込むと犯人は顔をそらした。口笛まで吹いている。
「やっぱお前か。妹」
服は真夏だというのに明るい茶色のコート……記憶の片隅に残っている色と同じだ。
ハンチング帽にサングラスまでつけている。トレードマークのアホっぽいポニーテールは健在だが、これに前を空けた茶コートが加わると、どう考えても偶然会ったとかそういう服装じゃない。おしゃれと尾行スタイルを混ぜ合わせた服装だ。
「いやいや妹さんじゃないですよ?」妹と同じ声で妹じゃない人は弁論する。「私はただの秋本……秋本……あれ、下の名前が思いだせない……」
本気で忘れてるようだった。ついに馬鹿が深刻な状態になったか? まあ俺も思い出せないんだけど。
当たり前か。妹の名前なんて、考えるの面倒で最初っから無かったしね! ……ん? 今のは本当に俺のセリフか? 神の介入?
「ともかく見苦しい弁論はやめろ、妹」
耳を掴んで立ち上がらせる。サングラスを取るとやっぱり妹だった。
「尾行してた理由は何だ?」
 今さっき会っただけ、じゃないはずだ。さっきからずっと見てたはず。
「いや私にもやんごとなき事情が……」
「知能指数が低俗な奴が何を言う。お前のせいで木鳥は完全に死んでるぞ」
「だったら人にジェラシー抱かせるようなことはやめて。仲良くしすぎ!」
「一緒にクレーンゲームしてただけだろ……」
「私ともやったこともないくせに!」だったら何だというんだ。
「あーともかく尾行してた理由を根掘り葉掘り聞かせてもらうぞ」
妹を木鳥のとこまで連れてきて、未だに白い灰になっている木鳥を軽く叩いて覚醒させた。
『いつから尾行してたの?』
「ついさっき見かけてこっそり覗いてただけだよ嘘じゃないです」
「つまり出かけたときからずっとか……」
『警察呼ぶよ?』
「信じる気ゼロですか二人とも!」
『クレーンゲーム失敗させたこと一生覚えておくからね……』
「怖っ!? あの虫も殺せなさそうな木鳥さんがこんな怖いことを……」
 木鳥から怨念じみたオーラがもれ出ている。クレーンゲームが彼女の何を変えたのか。
「もういいから妹の尋問は後にしてさっさとやろうぜ。ここまでやって景品とれないのも悔しい」
『そうだね』
木鳥はもう一度お金を入れて、ゲームを開始する。
まず木鳥は横軸を合わせるボタンを押して――。

「あっれー? 平塚じゃん?」

不意に誰かが木鳥の苗字を呼んだ。
木鳥はそれに触発されて体ごと振り向く。あれほど夢中になっていたクレーンゲームのことには注意を払うことができないのかボタンから手も離れていた。
妹も俺もぽっと出てきた第三者に面食らっている。男三人に女子二人。雰囲気が、いかにも若さを弾けさせてるようなグループだった。ただ身なりからして頭キレてる不良さんではないよう。
並び方や手を繋いでるところから、ダブルデート+αと推測できる。αが見る者の涙を誘う役割なんだろう。いやほんと同情する。αさんは一人だけ染めてて金髪だが、モテたくてやったのか? だったら尚泣ける。
「え、知り合い?」「友達、別のクラスだったけど同じ中学でさー」「すげー美少女」「ちょ! あっくん、堂々と彼女の前で浮気しないで!」「ところで『だった』って……転校したってこと?」「ううん。なんか一年の後半不登校になって……進級はしたみたいだけど二年になってから一度も来てなくて心配してたんだ」「あー知ってる! でもヘアスタイル超ロングだったよね? 切ったの?」
 畳み掛けるような言葉と質問。きっともう木鳥にはノイズにしか聞こえていない。
「………っ! ……………っ」
木鳥から漏れでてるのは過呼吸の音だろうか。会って一分も経ってないというのに、髪の先から垂れるほど冷や汗を垂らしている。
視線は真っ直ぐに床へと向けられてそのまま動かない。まるで、見たら失明するほどの強い光から、目を背けるように。
 そんな痛々しい姿を見て小さく呟く。
「強いわけじゃなかったんだな……」
俺と同じで逃げてただけだ。
さっきの会話から、ヒキコモリ期間は俺より長いようだから。傷が癒されていたからのあの元気な行動だ。俺と同じくらいしか引き篭ってなかったら、俺と同じような状態だったのだろうか。
「ちょっと、え、平塚! 大丈夫?」
やっと普通じゃない木鳥の状態を見て、普通に生きてきた元友達が心配する。
 元で間違ってないんだろうな。例え直接関わってなくても、いっしょに心の傷に刷り込まれた。
場違いだとわかっているが、それらより俺は木鳥に近い立場にいるみたいで、少し嬉しい。信頼されるのは悪くない。
「帰るか?」
小声で耳打ちしたら、木鳥は頷いた。
別に、現実に向き合わなくたっていい。逃げることが許されてるなら逃げたっていいんだ。
俺は木鳥の手を引っ張って歩き出す。
相変わらず、触れば砕け散りそうな手だ。
「待って待って平塚! そっちの男いったい」「待てよ」
言葉だけで引きとめようとしていた女子とは違い、男が俺の肩を掴んで逃走を停止させた。
俺の肩を掴む主は、さっきのαさんだった。俺の私服や顔をねめつけて、鼻で笑った。
「お前、秋本だろ?」「…………?」何で俺の苗字を?
 他の四人もαさんの行動は予想外なのか口を開くのを忘れていた。
 αは俺の驚いてる様子を見て嫌らしくほくそ笑む。
「同じ中学の田山だよ。お前みたいな電波でも覚えてるだろ? 同級生ぐらい」
長々と話す気のようで、持っていたメダルのたんまり入ってる小さなバケツを、クレーンゲームの筐体の上に置いた。
……フィクションじゃなかったんだな。田山。


木鳥だけの問題じゃ無かったか。
木鳥よりかは大丈夫だが、それでも神経使う相手なことには変わりない。
「お兄ちゃん構わず帰ったほうが……」
「いや、いい」
ここで帰ったら因縁を持たれかねない。そしたら木鳥がここに来るのも、もう叶わなくなるだろう。
あれだけやりこんでたんだ。また、こさせてやりたい。
といっても真っ向勝負するつもりはない。勝負でもないし。
俺たちをいびりに来たんじゃないんだから、煙にまかせれば忘れるだろう。
「あ、そういえば久しぶりだなぁ!」
あえて白々しくα……田山の後ろにいた、あっくんと彼女に呼ばれていた男の肩を掴む。
「久しぶり久しぶり! 元気にしてたか?」
羞恥心を投げ捨てて、わざと電波らしく振舞う。慣れないにっこり顔を浮かべて肩を揺さぶった。
連れの人たちも引く間もなく呆然としている。こんなものでいいだろう。
「じゃ、再開を喜びたいんだけど時間が」「あ! お前、一年のときクラスメイトだった秋本か! ごめん忘れてた!」
 え。「あんまり話さなかったからさ。いや言い訳だな。ほんとごめん!」
……知り合いだったのか。全く覚えてないけど、とりあえず好青年というのは分かった。ごめんあっくん。
「うわーつか秋本も二年から学校に来てないだろ? 俺と同じクラスなんだぞ。進級やベーぜー? そろそろ来いよ」
「考え中だ。将来の先輩」
「留年する気満々かよー!」
どっと笑いが起こる。好青年なだけあって、このグループのリーダーみたいだ。田山は気に入らないのか笑ってなかった。
「くっだらねぇ」田山のぶち壊しな発言。
イントネーションがなんか特徴的だし、こいつ目立ちたがりと見た。他人にリーダーとられると不快なんだろう。田山からするとあっくんはリーダー気取ってるお調子者で、それについていく他のメンバーは、コロコロ騙されるアホなんだろうな。
「こんな犯罪者とニートの予備軍な電波をネタにしてると、あとでどうなっても知んねぇぞ」
「……変わってないみたいだな。田山」
 『お前』を揺るがすような大事件は起こらなかったようで。俺と違って、な。
「ああ? 電波でもやっぱ人のことは覚えてんだな。趣味が人間観察しかねぇからか?」
「趣味が一つしかないわけないだろ……」人間観察は否定しない。「そもそもほとんど覚えてねぇよ」
「あ?」「頭で、お前と粗探しってワードが不思議にマッチしただけだ。それで人格判断した」
田山の後ろからクス、と笑い声がする。それだけで『俺腹立ったわ』という表情をするんだから安っぽいな。
「ままま、どうでもいいだろ。隣の茶コートの子。秋本の妹?」
「ああ」「どもー。お兄ちゃんがお世話に……なってるかな……うん」
「あはは。面白い子だな、つかこっちも美少女……。秋本ずるいぞ!」「だーかーらー! あっくん私の前で浮気するなー!」「あなたも美人だから大丈夫ですよ! その大人の色香私にも分けろー!」「ほ、褒められた……。もう私あっくん捨ててこのこと付き合う! 可愛いし!」「やめて! 百合に走ったら俺勝てないから! 秋本も説得してくれ!」「人生くっついて分かれての繰り返しだ。すぐに新しい彼女ができる」「俺をじゃねー!」
このあっくんという男。俺にも普通に話すが、別にヒキコモリにも話すんじゃなく、ヒキコモリの部分は気にしてないんだろう。こういう人間ばかりなら、自意識過剰なヒキコモリがどれだけ減るか。
「つーかお前の妹はこんな明るく……。血がつながってるとは思えん」「そう言われても、正真正銘妹だっつ」

「繋がってねぇだろ。嘘はよくねぇなぁ」

空気が固まった。田山は空気より自分の嗜虐趣味のほうが大切らしい。
「おい、何言って」「あっくんは黙ってろ。秋本は親に捨てられて、父親の妹に預けられたんだと。だからそこのは従妹であって妹じゃあない。だろ?」
田山は体面など気にせず、醜く口を歪ませる。
俺が否定しないから、あっくんも図星と気づいたんだろう。ヒキコモリは気にしなくても、さすがにこれは無関心でいられなかったのか、気まずそうに黙った。
「お前が電波だったから切り捨てられたんだろ? 自業自得だよな」
「おい田山!」
「うるせぇよ。……そういえばお前、谷田は?」
「知らん。もう会ってない」
「そーか。残念だよ。お前ら電波二人がくっついてたほうが社会のためなんだが!」
「田山! もういいだ」「黙ってろつってんだよ!」
止めようとしたあっくんを突き飛ばす。完全に空気からも輪からも浮いている。さすが役割がα。
「中学ンころから気に入らなかったんだよ。お前! いっつも冷めた目で見てやがって……!」
「いちゃもんだろ。そんなこと気にするからモテないんだ」「うるせぇ!」
田山の怒号はゲームセンターのBGMにも負けず響く。耳に響くからやめてくれ。他の客にも迷惑だろ。
「そもそもあっくんはなんでこんな奴かばうんだよ! こいつはなぁ」「やめてください! もういいじゃないですか!!」
妹が田山に掴みかかるが振り払われる。
「こいつと谷田は、こいつはなぁ――」
俺は激情に身を任せて、無言で田山の服の襟を掴む。
おいやめろ。問題起こしたら木鳥が来れなくなるだろうが。自分で言ったんだろ。
 田山は俺には動じず、俺に手を出させたことで勝ち誇ったように吼えた。

「こいつは谷田と心中未遂したんだぜ! 学校でよぉ!」

舌の奥がざらりとした。思い出したくないノイズが、勝手に再生される。
『君に生きてる価値なんてないよ――』優しく諭すような声。学校の屋上。「キモいんだよ! やっぱ被害者はいずれ加害者になるって本当だったんだな! イカレ野郎!」

うるさい。

『だからせめて死ぬことには意味を持たせるために、あたしも一緒に死んであげよう――』勝手な押し付け。転落防止のフェンスの向こう側。「やっぱ電波でも心中なんかして生き残ったら気まずくなるモンなのか? ザマーミロ!」

耳障りだ。

『きっと君は意味も無く自殺するだろうから、せめて意味を持った自殺にしてあげるよ! じゃあ逝こうか!』心の弾みが伝わるイントネーション。首に一緒に巻かれたマフラー。「つーか何で生きてんだよお前! 死んどけよ! 屑でも社会で役立たなきゃ駄目だろうがぁ!」

黙れ。

黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ。
ABリピートのように切り取られた記憶が、一瞬の内に何百何千と再生される。
腹が痛い。
脳が軋む。
舌の奥が気持ち悪い。
耐え切れない。
もう見たくない。
「ああああぁぁぁぁぁぁあぁあぁああああぁぁあ!」
田山のメダルバケツを手に取る。
中身の銀色のメダルをこぼしながら田山へと。
腹の底から湧き出るストレスを発散するために。怒りのままに。
田山の血が迸る眼球に叩き込んだ。
威嚇する側とされる側の関係から一転、弱肉と強食となった変化に対応できない田山はモロにくらった。
容赦せず二度三度と、眼窩から頭の中身に入れるつもりでバケツをぶつける。
振るわれる度に、理性と共に飛び散るメダル。
逃げようにも襟を掴むことを許していた田山は逃走ができない。先手をもらって闘争もできない。
情け容赦という文字は我輩の辞書にない! のごとく力を入れて最後の一撃を叩き込んだ。帰ったら辞書にラインを引いて消そう。
手が痺れたからバケツと田山を離す。眼に叩き込んだとはいえ、バケツは円形なので眼窩によって阻まれるため、田山も失明はしてないだろう。今も殴り続けた片目を抑えながら、涙と血管を迸らせた目で睨んでいる。
最後にその鼻っ柱に蹴りをいれる。大げさにのぞける田山。ザマァ。
 それからアフターケアは妹に任せて、俺の奇行で症状が解けた木鳥の手を掴む。数人の野次馬を押しのけて逃げ出した。
エスカレーターは使わず、より近い非常用でもある階段を利用する。三段五段飛ばしと文字通り駆け降りる。反射神経のみで足を運んでいて、自分でも危うさが足から伝わってくる。
一刻も早く忘れたい。思い出させるこの場所にいたくない。その思いが脳内麻薬を噴き出させて、ギリギリのところでバランスをとる。
一階と二階の間にある階段の踊り場で、俺は最上段から地面へと跳躍した。
脳内麻薬はちゃんと麻薬の効果を果たしてるらしく、その時の俺はいけると判断しての跳躍だった。
風を切る感覚が気持ちいい。鳥になるっていうのはこういう気分なんだな、とテストの解答欄を間違えたようなことを思った。
幸い、アドレナリンで火事場の馬鹿力が出ていたから、俺はちゃんと足から着地できた。
俺は。
掴みっぱなしの右手。木鳥は俺より運動神経がないのか、ジャンプではなく引っ張られる形で落下した。そういえばさっきから後ろで変な着地の音がしていた。
俺のせいで強制的に宙を舞った木鳥は、俺を巻き込みながら地面にダイブした。
「――――――ッ!」
叫ぶこともできず、胸からゴム質の床に叩きつけられる。肺から空気が皆逃げ出した。痛覚は前に総動員して、背中の感触は感じられなかった。
続いて顎から。もし舌が前歯の間にあったら、噛み切ってしまったことだろう。瞬時に歯を食いしばってよかった。
一瞬気を失ったが、その一瞬の後、降ってきた木鳥の重さで目覚めた。木鳥は線が細いから、身長は標準のわりに軽いと思う。じゃなかったら踏み潰された蛙みたいに死んでたかもしれない。それでも骨さえも折れずにすんだのは悪運が強いこと以外の何者でもない。心中から生き延びただけではあると自画自賛した。
骨はギシギシなるものの痛みがしないことに感謝しながら起き上がる。
「悪い、大丈夫だったか?」
『問題ないよ』
そう返したものの、立とうとしたら相当痛かったみたいで尻餅をついた。口を歪ませながら、痛みを抑えるために浅く息を吐き出している。
「やっぱどこか怪我したか!?」
『大丈夫。早く帰ろう』
そんなにも逃げたいのか。いや逃げ出したのは俺だし、俺も学校に通っていたころでさえ、登校中クラスメイトに会っても気づかなかったフリして追い越したから気持ちはわかるが。
「起き上がるときは問題なくて、立とうとしたときに痛がったから……」
足か。
容態を見るために太ももまである靴下に手をかけて脱がした。木鳥の足に悪寒が走ったのが、肌触りで分かったが、木鳥の太ももに触りたかったわけでも、生足を見たかったわけでもない。断じて。
膝や向こう脛には内出血の痕も見れなかったが「うわぁ……」足首が赤黒く染まっていた。変な方向に曲がってはいないが、腫れが見ていられないほどに酷い。
「これ……サービスセンターとかで治療を頼んだほうが」『余計な気は回さなくていいから』
痛みを必死に堪えながら立ち上がろうとする。
「だけど! 俺のせいだし」『いいから、本当に』
痛みに耐えながら歩いて、数歩で耐え切れず転んでも這いずって前に進む。
それを見て説得するのを諦めた。ただ強情なんじゃない。怖いんだ。これ以上ここにいてまた彼女らに見つかるのが。
これ以上止めても、きっと心が壊れるだけだ。
「――分かった。手当は家でする。おぶって帰るから。……他に痛いところは無いか?」
それでやっと前進を止めてくれた。目立つからやりたくないんだけどなぁ……。

          □

「あともう少しだぞー」
 カラスが鳴く時間も通り越し、月しか見えない夜の時間になったころ、やっと家の近所のあぜ道まで来た。
こんな、女子をおんぶしてる姿を見られてると思うと、胃腸に優しくないこと請け合いなので、人気のない道を歩くために大分遠回りしてしまった。
「日が沈むころには帰るつもりだったんだが」
『長かったね。まあ私はおんぶされてただけだけど』
「楽でいいな……」
この、前髪に張り付いて垂れる汗は、決して蒸し暑い夏の夜のせいだけではないはずだ。木鳥が軽いから言うほど大変ではなかったけど。しかしこいつ何食ってるんだろう。今は俺たちと同じもののはずなのに、全く肉が無くて骨と皮だけでできているんじゃないか。
『今変なこと考えてない?』
「別に、お前の肉のつき具合を背中から感じ取ってた」
 無言で頭を叩かれた。あえてセクシャルハラスメントな表現を使ったのがお気に召さなかったらしい。素で照れられても困るが。
まあ、首に回してる手から携帯を見せてくるから、歩きながらでも木鳥の言葉を見れるのは便利だ。周りに気を使うからもうやりたくないけど。けど今は夜で人がいないから、思う存分にこの体温を感じとれる。
『守ってくれたね』
「は?」
『服売場で言ってくれたよね。「守ってやる」って。ナンパされたときじゃなかったけど』
「……守れたか? 怪我させてるし」
『守ったよ。もし漱介くんがいてくれなかったら、きっとあのまま蹲ってたから』
そうでもないだろう。きっと耐え切れなくなって逃げてたはずだ。精神はより傷ついただろうが。
『私さ。虐めにあったんだよね。一人の子が先導し始めて、クラス全体でのになってさ。
 理由は知らないけど完全に無視されて、喋ることも許されなくて……学校でも声を出さなくて、そのうち家でも声を出さなくなって、気がついたら声が出なくなってた』
「一人でか……そいつかなりの支配者の素質があるのか」
切り替えしに困る話だから、少しずれた返事にする。
俺も経験済みだが、表はともかく裏では虐めに反抗してたり、無関心を決め込んでる奴もけっこういるもんだ。よほどうまく先導してたのか、木鳥がそれだけ恨まれてたのか……。後者はない気がする。せいぜい美貌が妬ましいとかそれぐらいだろ。
『うん、リンチまでされたりしてさ、今もその子には逆らえない』
「物騒だな。話変えるが今日会ったやつもやってたのか?」
『違うよ。クラス同じじゃなかった友達。もう二度とまともに会えないけど』
「…………だろうな」
『考えるぐらいなら、もう大丈夫になったけど。いざ学校の人に会うとフラッシュバックしてさ。それにもう違うって、取り残されたって肌で感じちゃうし』
「……そうか。それで前に谷田の名前聞いて気分悪くしてたのか」
『うん』
 短い分を打つのに妙にインターバルがあったが、また思い出したんだろうか。それなら悪いことをした。
 一通り離すことが終わったのか、沈黙が訪れた。かすかに聞こえる無視の音がいっそう静謐さを強調する。心地よい暗闇。
「で、話してどうしてもらいたかったんだ? 言っとくが慰めるなんて器用な芸当はできないからな」
『それもあるかもしれないけど……ただ、話したかったからかな。言うだけ言って安心したかった』
「そうか」一拍おいて続ける。「じゃあ俺も話させてくれ。谷田と俺の関係」
 一方的だとしても話された以上、こっちだけ話さないのも考えものだと思った。
『付き合ってる……でしょ?』
「いやそれもそうなんだが……なんで知ってんだ?」
『ほら、心中って聞いたから』
聞こえるような状態とは思えなかったが……まあいいか。谷田が言ってたのかもしれないし。
「元、だけどな。あいつもあれ以来会ってこなくなったし」
 心中未遂以来、谷田は俺の前に現れなくなった。クラスも違うし、谷田自身が来なくなると俺も会う機会がなかった。何で来なくなったのか理由は知らない。今はもう知る気もないが。
「話は小五のころまでに遡るんだけどな……」

続きます。三部に分ける予定です。
元々電撃大賞に送り、落選してしまったものを批評してもらいたくてのせました。些細なことでもいいので厳しく言ってくださると幸いです。
読んでくださりありがとうございました。


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