しばらく何が起きたのか自分でもわからなかった。
(なんだか、頭が重い……下半身がすーすーする)
身体を起こして異変に気づく。
「なっ、ちょっと、おま……」
上半身は朝から着ている七分丈のTシャツにパーカーを羽織っていたが、問題はボトムだった。
「穿いてない」
ライトノベルを書くときにはお決まりのセリフだが、普通それはヒロインの姿を描写する際に使われる表現だ。しかもそれは、下着があるべき場所に肌の露出を多めに描き、なおかつギリギリ下着があるべき場所をスカートの生地で覆うことによって、あたかも「穿いてない」ように見せるテクニックだ。というか、これは文章ではなく挿絵イラストの技法である。
男性読者の劣情を煽るためのもので、男性キャラクターである自分に適用されるものではない。
いまのぼくの姿は痴態と言ってもいい。
ジーンズは膝まで下げられ、その上にトランクスが重なっている。
「穿いてない」じゃなくて、「まる出し」だった。
「な、なんでだ」
何が起きたのかと頭が混乱している。驚愕すべき事実は、ぼくの大事な部分が力なく横たわっていることだ。横たわっているのはいいのだが、なにか違和感がある。
この感覚には覚えがある。しびれたような、心地よい倦怠感。
「なんで今、ぼくは賢者タイムになっている?」
傍らにはティッシュの箱が。手近にあったごみ箱を覗いてみると、そこには使用済みの紙の丸まったものがいくつか。自分で処理するときより少し少ない気がした。
一人暮らしでもしているのなら、よほど疲れているのなら、事を終えてそのまま眠ってしまうなどということもあるのかもしれないが、ぼくはそんな間抜けではない。しかも、ここは自宅だし。
時計を見た、正午を過ぎている。こんなことをして寝入る時間でもない。それにかすかに頭痛もする。
「こんなかっこうで昼寝して、風邪でも引いたか? いや、昼寝なんかしてないけど」
額に手を当てても、熱があるようには思えなかった。
考えたくない。考えたくはないが、心当たりがひとつだけある。
「いや、しかし、そんなまさか」
かかる事態が発生する前、この部屋にいた人間がもう一人。その姿が消えている。
ぼくはこのとき、ひとつ判断ミスをしていた。原因究明より先にすることがあった。
「小見尋、樹梨亜ちゃんはもう帰ったの?」
ノックもされずにドアが開いた。そこにいたのは、
「きゃああああああ」
絹を裂くような悲鳴はぼくのものだった。自分でも意外なほどに乙女チックな声音だった。自分でこんな声を出せるとは思わなかった。
「……」
母は無言で立っていた。息子の醜態にも動揺はしているのだろうが、ぽかーんとした顔をしているものの、取り乱すことは無かった。
「ば、ばか、ノックせずに開けるなって言ってるだろ!」
今まで母にこんな乱暴な口のきき方をしたことは無かったが、ぼくはすっかり冷静さを失っていた。あわてて立ち上がり、トランクスとジーンズを引き上げたのだが、足がもつれてバランスを崩した。そして、顔から絨毯に倒れ込む。
「ノックしろ、なんて今まで一度も言ったこと無かったでしょ。それより、大丈夫なの?」
今日までぼくはとくだん家族に後ろめたい秘密など持っていなかった。だから、部屋に鍵をつけてくれと言ったこともないし、母が勝手に部屋を掃除しても怒ったりすることはなかった。
彼女ができたことは言ってないが、隠すつもりも無い。
「で、出てってくれ!」
涙声になっていた。恥ずかしすぎて、死にたくなった。
母はため息をひとつつき、廊下へ姿を消し静かにドアを閉めた。
「小見尋、よく聞きなさい」
ドアの向こうから、母の声が伝わってくる。
「……なんだよ?(震え声)」
「あのね、小見尋。あなたもそういうお年頃なのでしょう。いま、お母さんに見られたこと自体は気にしなくていいけど、さっき樹梨亜ちゃんが急ぐように帰っていったわ」
母の気遣いが余計に心を抉る。当然、樹梨亜にもこの姿を目撃されているだろう。
「わたしが心配しているのはね……あなた、樹梨亜ちゃんに変なことしたんじゃないでしょうね?」
猜疑心のこもった声だった。
「してねーよ!」
ぼくは彼女をそういう目で見たことは……まったく無いと言えば嘘になるけど、一人っ子のぼくにとって彼女は実の妹同然の存在だ。それに、いまのぼくには……
「本当ね?」
念を押された。
「もし、樹梨亜ちゃんにひどいことをしたのなら、お母さん、あなたを殺して自殺するわ」
背筋の凍る言葉だった。だが、しかしそれは心配無いだろう。おそらく真相はその逆だ。