中学卒業を間近に控え、まもなくミッドに旅立ってしまうなのはたちとの別れについて考えるアリサの話。
※ハーメルン様にも投稿させていただいております。
◇◇◇
「いってらっしゃい、なのは」
あたしの見送りの言葉に、笑顔で手を振る親友。
振り向くと同時に揺れる片側のサイドで結った髪は、昔から変わらない彼女の元気な姿を表している。
教室を出ていく跳ねる尻尾を眺めながら、あの結い方は頭が重くならないのかしら、なんて益体もないことを考える。
すずかとともに、あたしの初めての親友であるなのは。
子供の頃から「可愛い」子だったが、ここ一、二年で「綺麗な」へと、その形容詞を転じさせつつあった。
一般に男の子よりも女の子の方が、身体的にも精神的にも成長は早いのだと言われる。
いつの頃からか、幼い時分からのトレードマークであった頭の両端で揺れるツーサイドを止め、片結び、いわゆるサイドテールへと髪形を変えたことも、彼女が子供から大人へと歩を進めるに際しての、心理的な踏ん切りのひとつだったのだろう。
可愛いから綺麗へ、子供から大人へ。
流れている血の影響か、はたまた置かれている環境によるものか、あたし自身、やはり周りの同級生たちと比べても、大人への道を一足も二足も先んじているという自負がある。
多少の自惚れはあったとしても、自分の容姿や頭の出来が、他人のそれよりも優れているということが、思春期特有の願望などではなく客観的な事実だという自覚もある。
そんなあたしから見ても、最近のなのははとても輝いているように思えた。
果たしてそれが「女の子」であることに別れを告げ、「女性」としての一歩を踏み出したことによるものなのか、それとも彼女の「お仕事」の充実ぶりによるものなのか。
ただひとつ確かなのは、あたしと彼女の別れがすぐそこに迫っているということ、ただそれだけだった。
「どこに“いってらっしゃい”なんだろうねー」
「ほんとほんと。高町さんっていっつもどこかに“行って”るよね」
「ほら、あれでしょ。“お仕事”、なんでしょ?」
尻尾が見えなくなるやいなや、耳に飛び込んでくるさえずり。
聞えよがしに発せられる会話が、あたしの神経を逆なでする。
「ねえ、ねえ、どうなのバニングスさん?」
くすくすといった表現がぴったりな含み笑いで、投げかけられるからかいの言葉。
止せばいいとは分かっていながらも、あたしはつい声の主へと厳しい視線を送ってしまう。
案の定視線の先には、にやにや笑いのクラスメイトたち。
「きゃあ、バニングスさんこわーい」
言葉の意味とは裏腹に、楽しげな笑い声が教室内に響きわたる。
瞬間、ささくれ立つ心。
言いたいことがあるならばはっきりと言ったらどうかと、喉元までせり上がってきていた詰問の言葉は、辛うじて自制に成功する。
反応してしまえば、さらに彼女たちを楽しませるだけだろう。
お世辞にも沸点が高いとは言えないあたしの性格を、初等部の六年間と、まもなく三年間を終える中等部の合わせて九年間、一貫校の中で共に過ごしてきた彼女たちはさすがによく分かっているようだ。
しかし彼女たちがこちらのことをよく分かっているのならば、その逆もまた然り。
最も効果的な対応として、無視をきめこむことにする。
いつの間にか強張っていた顔から力を抜き、先ほどの何の益にもならないやりとりを思考の隅に追いやる。
あたしがこれ以上取りあうつもりがないということを察したのだろう。
彼女たちは互いに顔を見合わせ忍び笑いを漏らした後、次の話題に移った。
別段彼女たちは、あたしの親友の行き先について、真剣に知りたいと思っているわけではない。
すでに高等部への持ち上がりが決定し、あとは卒業式を迎えるのみ。
さしたるイベントのない現状に飽いているのだ。
暇を持て余した女学生がゴシップを貪り食うのは世の常なのか。
度重なる早退に、高等部への進学辞退。さりとて他校へ受験をしに行ったという話もなし。
暇つぶしに腐心する彼女たちには、そんななのはの様子は恰好のおもちゃなのだろう。
加えて学業優秀で眉目秀麗。純粋な行く末の心配や疑問ではなく、そのゴシップは多分にやっかみを含んだものとなってしまう。
同種のやっかみはきっと、今日は朝から登校していない、もう一人の親友であるフェイトにも及んでいるように思う。
しかし日本人にはない怜悧な容貌と、それに付随する物静かな雰囲気が、直接下卑た話の種にするのを躊躇わせているのか、なのはのそれとは違い、あたしの耳に届くことはない。
現状は、ただただもどかしい。
世間一般から見れば非行ともとれる親友たちの行動には、その実きちんとした理由があるのだと、本当はとても、とても立派なことをしているのだと、胸を張って擁護することができない。
そのいかんともし難い歯痒さを、今は別々のクラスになってしまったすずかと共有できることが唯一の救い。
心優しい彼女のこと、あたしのように感情を露わにせずとも、このもどかしさに胸を痛めているに違いない。
おそらくは、もうしばらく後に訪れる高等部への進学というイベントを迎えれば、口さがない級友たちの、なのはに対する興味も薄れることだろう。
彼女たちの興味の矛先は、新しい人間関係の構築と、真新しい制服の可愛い着こなし方と、それにほんのちょっぴりの勉学の不安へと向けられることになる。
しかし、彼女たちの刺激への飢えが満たされる頃には、なのはたちはもういない。
現在あたしやすずかが感じるもどかしさの要因が、間もなくあたしたちに別離をもたらす。
六年前のあの日から、こうなることはきっと決まっていたのだろう。
これまで先延ばしにしてきた別離の苦しみと向き合う時が、ついにやってきてしまったことを思うと胸が痛い。
私は魔法使いです。
そんな言葉が友達の口から飛び出したなら、冗談だと思うだろうか、それとも何かの比喩表現だと思うだろうか。
たびたびお話の中で出会うそれは、とてもきらびやかな存在で、あるいはとても怖い存在で、人々を、とりわけ幼子の心を魅了する。
将来の夢は魔法使い、なんて言ったことのある人も少なくはないだろう。
しかし成長するにつれ、ひとつ、またひとつと、夢は潰えていく。
魔法使いなどという非現実的なそれは、その最たるものだ。
ならば果たして魔法使いを名乗るにおいて、小学三年生という時分の是非はどうだろうか。
早熟な子であれば、きっと鼻で笑うだろう。
夢見がちな子であれば、心のどこかで信じることもあるかもしれない。
自身を顧みると小学三年生のあたしは、おそらく前者に属していたように思う。
当時、なのはやフェイトの口からそんな言葉を聞いたなら、皆でよく遊んでいたゲームか何かの話と思ったに違いない。
けれども、「事実は小説より奇なり」とはよく言ったもので。
言葉よりも先に、実像を見せつけられてしまった。
六年前のイブの夜、なのはとフェイトの二人が光の奔流からあたしとすずかを守ってくれたことは、今でも鮮明に覚えている。
夢見がちな少女のおとぎ話を、現実のものにした親友。
将来は親の跡を継ぐのだというあたしの目標は、しかしまだ先のこと。
これからも学業は続く。
勉強は嫌いではないけれど、社会に出るにはまだ何年もの雌伏を要する。
だからこそ、一足飛びに大人の世界に身を置くことになる親友が、すこし羨ましくもある。
この国の子供たちの多くに与えられる、義務教育後の猶予期間。
自分が何者になれるのかに悩み、そしてその何者かに至る修練を積むための「時間」という権利を、行使することなく歩を進める彼女たち。
漠然とした夢などではなく、すでに手を伸ばせば届きそうな位置にまで、「将来」を手繰り寄せた彼女たちの表情を、友人として素直に素敵だと思う。
しかし同時に、その一途な表情に一抹の不安を覚えてしまう。
夢中になれるものが見つかることは良いことだ。
ましてやそれが自分の「将来」の根幹となるのであれば、なおのこと。
「好きこそものの上手なれ」を地で行くなのはは、しかしそうであるがゆえに、のめり込みすぎて視野狭窄に陥ってしまうきらいがある。
かつて“お仕事”で大怪我を負い、歩くことすらままならない日々を送っていた彼女。
当時のことを思い返すと、無茶を仕出かした親友への怒りと、親友のために何もできない自分への怒りがないまぜになった心が、未だにあたしの胸を揺さぶる。
単に子供が無茶をして、危険な目にあっただけ。
そう言い切ってしまえれば、この気持ちも幾分か軽くなってはくれるのだろう。
けれどもそれで納得できるには、あたしと彼女の距離は近すぎた。
命にかかわる怪我をしたとの一報を受けたときの、全身の血の気が引いていく様子がはっきりとわかったあの感覚は、出来ることなら生涯味わいたくはない。
そんな風に思っている親友が、引き続き命の危険を否定できない場所に、自身の「将来」を託す。
どうして納得できようか。
どうして心配せずにいられようか。
彼女の“お仕事”の実情を、きちんとわかっているわけではないあたしでさえ、そう思ってしまうのだ。
ともに働くフェイトなど、いったいどれほど心をすり減らしていることだろう。
大怪我の際、“あちらの病院”に入院していたために、なかなか窺い知ることの出来なかったなのはの状況。
日に日に沈み込んでいくフェイトの表情が、あたしたちへの便りだった。
今でこそ、再び元気になったなのはだが、しかしまたいつ無茶の再現を仕出かしてしまうか気が気でない。
危険な真似は止めてほしいというのが、あたしやすずか、“こちら”に残される者たちの共通の想いだ。
しかし、それでもなのはは歩を止めることを良しとしなかった。
後々になってフェイトやはやてから聞いた、彼女の“あちら”での二つ名が示す通り、不屈の心でもって魔法の道へと返り咲いたのだ。
その「不屈」の二文字は、柔らかな笑顔の下にとても頑固な素顔を隠す彼女に、なんとぴったりな言葉か。
彼女の中にある、自身を信じ抜くことのできる心の強さは、あたしが一番よく知っている。
「帰ろっか、アリサちゃん」
放課後になり、あたしを迎えに来てくれたすずかの声を合図に、席を立つ。
なのはが早退して以降、あまり授業も身につかず、気づけば彼女のことばかり考えて一日が過ぎてしまった。
二人並んで廊下を歩く。
思いに耽っていたせいか、この場になのはたちがいないことが、なんだか無性に寂しくなってしまう。
いったいあと何日、彼女たちとこの廊下を歩くことができるのだろうか。
別離が間近に迫った今、何でもない日常の行為さえも愛おしく感じる。
道は既に分かたれて、あとはそれぞれに踏み出すのみ。
「将来」に向かって進んでいくのだ。
渋々見送るのではなく、親友のその名から連想される花のように、明るい笑顔で送り出したいと思う。
そんなことを考えながら、すずかと二人、帰路を行くのだった。