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No.39716の一覧
[0] 【WW2・時空犯罪・日本魔改造・蹂躙】名無しの火葬戦記【作者にネーミングセンスはない】[峯田太郎](2021/06/14 12:11)
[1] その一『ハル長官の憂鬱』[峯田太郎](2020/11/01 13:02)
[2] その二『ヒトラー総統の童心』[峯田太郎](2021/06/14 12:13)
[3] その三『アメリカの夢と悪夢』[峯田太郎](2021/06/14 12:17)
[4] その四『ポーランド戦線~義勇兵と解放軍と、毎日、最大の敵』[峯田太郎](2020/11/01 13:02)
[5] その五『チャーチル首相の偏屈』[峯田太郎](2020/11/01 13:01)
[6] その六『太陽の国から来た惨いヤツ』[峯田太郎](2021/06/14 12:11)
[7] その七『幻想の帝国』[峯田太郎](2021/06/14 12:17)
[8] その八『戦争の冬、ロシアの冬』[峯田太郎](2020/11/01 13:05)
[9] その九『雪と老嬢』[峯田太郎](2021/06/14 12:18)
[10] その十『ムッソリーニ統帥の愉悦』[峯田太郎](2021/06/14 12:17)
[11] その十一『カップ一杯の温もりを』[峯田太郎](2021/06/14 12:16)
[12] その十二『変わる大地』[峯田太郎](2021/06/14 12:14)
[13] その十三『天国に涙はない』[峯田太郎](2020/11/01 13:09)
[14] その十四『とある老教師の午後』[峯田太郎](2021/06/14 12:15)
[15] その十五『兵は詭道なり』[峯田太郎](2021/01/02 12:56)
[16] その十六『経度0度の激闘』[峯田太郎](2021/06/14 12:13)
[17] その十七『英雄の名』[峯田太郎](2021/06/14 12:15)
[18] その十八『千の千の千倍の‥‥』[峯田太郎](2021/06/14 12:14)
[19] その十九『上海の夜』[峯田太郎](2021/06/14 12:16)
[20] その二十『マンハッタン島の取り引き』[峯田太郎](2021/01/02 12:55)
[22] その二十一『終わりの夏、夏の終わり』[峯田太郎](2021/06/14 12:12)
[23] その二十二『また会う日まで』[峯田太郎](2021/06/14 12:12)
[25] その二十三『未知の昨日、既知の明日』[峯田太郎](2021/06/17 11:02)
[26] その二十四『いまなお棚引くや、故郷の旗よ』[峯田太郎](2021/06/17 11:02)
[27] その二十五『テキサス大攻勢』[峯田太郎](2021/06/17 11:03)
[28] 『番外、資料編』[峯田太郎](2021/06/14 12:19)
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[39716] その二十三『未知の昨日、既知の明日』
Name: 峯田太郎◆cbba1d43 ID:59e4fefc 前を表示する / 次を表示する
Date: 2021/06/17 11:02






            その二十三『未知の昨日、既知の明日』




 勝者は決して進歩しない。

 新天地を目指す者は常に負け組である。人類の歴史もチンパンジーの祖先となった同胞に縄張り争いで敗れ、森から追い出されたときから始まっている。
 日本とアメリカ。二十世紀の半ばに激突した二つの帝国も敗者からの巻き返し組であった。

 アメリカ合衆国の源流は英本土から追い出された狂信的宗教集団である。開拓の第一陣として北米大陸へ踏み込んだ者たちは、邪宗として討伐されるよりは、と故郷を捨て新天地に乗り出した敗残者だったのだ。
 彼らに続いた者たちは欧州から、そして世界各地から流れ着いた食い詰め者だった。植民地は人間の捨て場所であり、元居た場所で問題なく暮らしていける甲斐性や協調性を持つ層が行く場所ではない。

 合衆国人の歴史は敗者として始まり弱者として続いた。だからこそ彼らは先祖が世界一の大国へ我を通した独立戦争とその勝利を誇る。



 文明論的にいうと日本の敗北はこれまで三回、元寇も含めるのならば四回あった。
 唐との戦いで巨大文明の、元寇で世界帝国の、黒船の来寇で産業革命の力を見せつけられた。何れも国家や民族の形態に致命傷を及ぼすことこそなかったものの、敗北には違いない。

 四度目は前大戦である。一次大戦は日本文明にとっての敗北であった。

 軍事的には勝っている。日本陸軍はドイツ製永久要塞をほぼ無血で陥落させ、祖国を列強諸国へ名実ともに一等国と認めさせたのだから。
 しかし文明としては欧米諸国に惨敗した。大戦の戦禍は日本人たちの想像を絶する凄まじさであり、死と破壊を欧州の大地に撒き散らした。

 一日あたり数個師団の将兵が消し飛ぶ地獄の如き消耗に、西部戦線へ赴いた観戦武官たちは戦慄する。北フランスの前線ではどこもかしこも、かつての203高地を越える殺戮が繰り広げられていたのだ。

 勝てない。
 現状において欧米列強群との総力戦は必敗である。一国や二国となら距離と地勢を活かせば守りきれるかもしれないが、列強が数カ国束になってかかってくれば手の打ちようもない。
 その目で欧州大戦を見た極少数と彼らがもたらす情報を理解した少数の日本人たちは、二十世紀版の維新を決意した。

 変わらなければ負けてしまう。技術の進歩により世界は狭くなる一方であり、五度目の文明的敗北を迎えたならば日出ずる国は滅亡あるのみだ。
 概念的な亡国ではなく、物理的、遺伝子的な意味で生き残れない。地図の上にも史書の中にも残れないだろう。
 地球と同重量の奇跡があれば、フィリピンより幾らか待遇が悪い植民地となれる。

 日本帝国は欧米諸国から、特にアメリカ合衆国からの敵意を集めすぎていた。

 合衆国的世界観からすれば、異教徒の有色人種国でありながら列強の末席と認めざるを得ない力を持つ専制国家など存在を許せる訳がない。彼らにとって日本は悪の化身であり、自由と信仰と秩序と道徳と文化と平和と人権の敵なのだ。
 日本人達はミカドをツァーリやキングと一緒にするなと言うだろうが合衆国人には馬耳東風。聞き入れるわけがない。

 アシダカグモやゲジゲジをスリッパで叩く主婦と同じく、嫌いだから合衆国人は君主制を憎むのである。そこに理屈はない。
 いくら害はない、むしろ益虫であると訴えても虫嫌いの人は虫である以上絶対に不快害虫を許せないように、君主という名の生け贄であるとしても合衆国人は許さない。
 先祖が英国貴族の一員となれなかった僻みを八つ当たりされる側はたまったものではないが、無理が通れば道理は引っ込むし、隔絶した暴力があればどんな無理も通せる。そして合衆国の持つ暴力は20世紀に入った時点で全世界の半分に達していた。

 黄色人種は精々が洗濯屋か庭師として、合衆国市民のお零れに預かって媚びへつらうならば生存を許す。そうでないのなら駆除あるのみ。
 極東の小島に住まう蛮族(INDAN)、滅亡させた後でなら演劇や小説の悪役として出番が許される存在。それが日本人に対する合衆国人主流派の認識だった。


 故に合衆国主流派は1世紀近くの時を掛け、丹念にそして執拗に準備を進めた。ペリー来航以前から休むことなく策を練り謀を巡らせ続けた。

 彼らの思惑どおり、日本帝国は大陸に深入りし海洋に広がった。日本人の望んだ国威の高まりと共に列強諸国の警戒心も高まった。
 彼らの思惑どおり、日本の軍備、特に海軍が国力と不釣り合いなまでに肥大し何もかもを圧迫した。

 社会の歪みは国家大戦略すらも捻れさせ、日本帝国は傾きはじめた。島国の猿は遠からずして戴く君主ごと破滅の坂道を転がり落ちるはずだった。



 合衆国の目算が狂った事が誤魔化し切れぬ域で表に出たのは1932年5月半ばの事だった。世に言う5・15事件である。


 日本海軍の不穏分子による首相暗殺を発端とするこのクーデター未遂事件は、海軍将校団と陸軍憲兵隊による市街戦にまで発展した。
 相次ぐ要人の殺害、皇軍の相撃による陸海双方の死傷者続出だけでなく戦闘の巻き添えとなって民に多数の犠牲(犬養邸襲撃事件によるものを含まず)が出る事態にヒロヒト帝は激怒した。
 その怒りは彼自身が近衛師団を率いて事態の収拾に当たった程に激しかった。彼が率いた部隊が一発の弾も撃たずに済んだことは、日本の民衆にとってせめてもの幸いであろう。


 皇軍が双撃し帝都市街に銃弾が飛び交う。これだけで大不祥事である。

 不祥事なのだが、発端となった犬養邸襲撃事件を‥‥海軍の現役将校が予算配分への不満を元にする憤激から現職の首相を始めとする政府高官たちを射殺した蛮行の、真相を追及していくと更に救われない話となる。

 犬養邸へ押し掛けた海軍青年将校たちを「話せば解る」と説得しようとして撃たれた犬養首相や床次通信大臣は、いわゆる軍拡派であり海軍の予算増を容認していたからだ。
 軍事の専門家でない両大臣をして「無理だ」と判断せざるを得ない空想的軍縮予算案は、前政権の政策であった。
 同年初春の選挙とその結果である政権交代は、国家財政と産業基盤だけでなく外交と国防体制に致命的損害を与えつつある憲政会政治を打倒するという意味も持っていた。

 では何故に首相たちは撃たれたのか?

 当時の陸軍軍人たちの殆どが呆れかえったことに、その日官邸へ押し掛けた海軍将校たちは何も知らなかった。
 問題の予算案を誰が言い出したのかとか。
 そもそも現政権は何処の政党で、どのような政策を掲げているのかとか。
 現時点での予算配分はどうなっているのか。
 そういった事を全く気に留めていなかったのである。

 犬養政権に変わった結果、海軍予算案が修正された事。いわゆる浜口軍縮の前よりも更に増えた事実を首相の元に押し掛けた海軍青年将校達は知ろうともしなかった。


 これは別段、珍しい心理状態ではない。
 スズメバチに刺されて痛い目を見た人間が大の虫嫌いとなり、ミツバチやクマバチまでも見付け次第駆除しようとするようなものだ。そういった人物は周りからどれほど「その蜂は刺さない」と言われても聞き入れない。
 原因を求めるならば、政治と軍事を切り離そうとした大日本帝国の構造的失敗であったのだろう。尤も、切り離さなければ19世紀中に明治政府は軍により打倒されていただろうから、元勲たちを責めるのも間違いであろうが。


 日本帝国の軍人は選挙に行かない。投票する権利も立候補する資格もないからだ。
 選挙に関わらないということは政治に参加できないということであり、参加できないことに興味を抱く者は極少数派である。

 実質的創設者の影響か「触れるな、だが注視せよ」という姿勢で政治に興味を持つ将校の多い陸軍と異なり、海軍は「政治に関わらず」という座右の銘を掲げる組織文化であり、政治へ真摯に向き合う士官は少数派であった。
 昭和初期、殆どの海軍将校は政治に何も抱いていなかった。興味も関心もないのだから、政治を知ろうとする意識すら湧いてこない。無関心は無責任と直結している。

 人間の心理として、地球の反対側で見ず知らずの孤児が餓死寸前である事よりも、隣家の飼い犬が今日の夕食を貰いそこねているらしい事の方が気になるのは当然だ。関われないことにまで責任を持てというのは理不尽に過ぎる。


 というわけで、大多数の海軍将校にとり政治家と政党はどれも全て一緒くたの害悪に過ぎなかった。
 若槻礼次郎も犬養毅も、彼らにとっては同じ穴に巣くう害獣であり「問答無用」で駆除すべき対象でしかない。



 5.15。かつて干犯と乾パンの区別も付かない大衆を煽って国政を揺るがせた男にとり自業自得であったかもしれないこの事件は、岡田海軍大臣ら海軍高官の辞職と予備役編入そして現役将校への大規模粛清人事をもってしても収まらなかった。

 僅かな時をおいて更なる不祥事が巻き起こったのである。
 当時の日本人というか、無責任な大衆には「腐敗した金権政治屋」たちを血祭りに上げた5月の事件に喝采を送った者が少なくなかったが、半年後の11月11日に起きた赤坂事件に対しては態度を一変させた。


 その日の朝、海軍の不穏分子、現役及び予備役の将校と下士官計39名が決起し、政治結社の構成員200名余りを引き連れ赤坂離宮を襲撃した。当日離宮に滞在していたはずの、皇族である海軍某大将を人質に取ろうとしたのだ。

 しかしこの企ては些細な偶然により失敗する。
 前夜離宮で秘密裏に行われていた会合へ参加していた、件の皇族提督はとある事情により宿泊をとり止め日付が変わった頃に離宮を離れていたのだが、唐突かつ秘められたその行動を襲撃者たちは掴み損ねたのだった。

 襲撃そのものは実行された。
 離宮を制圧し、熟睡していたため逃げ遅れた会合参加者の一人である海軍某中将を人質にとって籠城していた決起部隊に対し、鎮圧に関する全権を委任された海軍は開発されたばかりの陸戦用大口径奮進砲弾数十発を打ち込むという暴挙に及ぶ。
 結果、赤坂離宮とその庭園には爆薬の代わりに砂を詰めた30㎝奮進弾の弾頭23発が突き刺さった。
 砲弾の示す圧力と上空から飛行機で撒かれた大量のビラに、決起部隊の士気は砕かれる。

 曰く、 
  「まだ間に合う。降伏せよ。
   投降するものは罪一等を減ずる。
   刃向かうものはすべて射殺する。
   汝らの名は逆賊として残されるであろう。
   24時間だけ待つ」


 翌朝、離宮に白旗が上がった。
 首謀者7名は自決。残りの者たちの多くが投降し、一部の者は逃亡を図り捕縛された。



 半年前の事件には「君側の奸を討つ!」という動機そのものは理解できると共感を覚えた大衆も、赤坂事件‥‥此度の御寝禁をお騒がせるどころではない不義不忠へは激しく反発した。

 宮殿を襲撃し皇族を害そうとした不穏分子たちの言い分が「俺たちにいい目を見させろ」でしかなかった為に、彼らへの視線は更に冷たいものとなる。
 常日頃から、海軍へは既に充分すぎる程の予算と名誉が与えられている、と日本の大衆は確信していたのだから。


 前年夏の浜口蔵相暗殺事件も含めれば三度続いた不祥事の結果、海軍の威信は傷つけられ政治的発言力は低下した。以後四半世紀に渡り、日本の首相に海軍出身者が就くことはなかった。


 合衆国の戦略に齟齬が発生した事が、一連の事件とその後始末の中で明らかになった。
 後に合衆国海軍の駐在武官が報告書へ纏めたように、日本人達の主流勢力は何年もあるいは更に前から、勢い任せの暴発ではなく長期的視野に立った国家改造を選んでいたのである。

 日本人達は超人でも優良人種でもない。だが世紀単位で計画を立て実行する希有な能力を持っている。
 もちろん実行できることと成功することは違う。成功したからといって幸福になれるとは限らない。だがそれでも彼らは止まらなかった。
 過去に何度か、近い例では19世紀半ばや17世紀初頭にあったように日本人達は世紀単位の時間を見越して国家運営の計画を立てた。20世紀前半から半ば過ぎにかけて計画を実行した者たちはGと呼ばれた。



 ロシアのコミンテルン。スペインのファランヘ。イタリアのファシスト。ドイツのナチス。チャイナの青幇。
 それら覇者以外にも負けて滅び、潜伏を余儀なくされ、あるいは舞台に上がったものの人々の記憶に残ることなく退場していった弱小諸勢力も数えれば幾つになることやら。

 二十世紀は秘密結社の跳梁跋扈する時代であり、世界大戦は秘密結社の闘争でもある。
 メイン・プレイヤーとして最後にまで残った二つの帝国も、その内部に巣くう結社によって動かされていた。

 移民国家ゆえに合衆国は他の列強国と比べ土地的な繋がりが緩い。その反動として強烈な縁故社会なのだ。何をするにしても対人的な繋がりが必要となる。
 合衆国の大学生は、極論すれば全てが秘密結社の構成員だ。その大半が日本でいえば俳句同好会などに当たる緩い集まりなのだが、一割ないし二割程度は活動内容を知った者が真顔にならざるを得ない集まりである。


 多くの人々にとって不幸なことに、日米に巣くう各種秘密結社の主流は妥協する気がなかった。双方ともに事態は既に限界点を越えており、穏当な交渉による決着が成立する段階ではないと認識していた。
 ホワイトハウス始め合衆国主流派の掲げる大義は「全市民の死滅」すら許容するものであり、Gと呼ばれる者たちの意思は「合衆国の殲滅」なくして日本人の生存は有り得ないと統一されている。


 日本に巣くう秘密結社群が代表として担ぎ上げたのが永田鉄山陸軍大将であり、米国に潜む秘密結社のうち最有力組織が現代版カエサルとして戴いたのがフランクリン・デラノ・ルーズベルト議員であった。

 各派閥が担ぐことに耐えられる御輿としての面が強い前者と異なり、後者は合衆国の地上と地下の両面を実質上も支配した。
 金銭と権力、暴力と陰謀。FBIを始めとする公的諜報機関とマフィアなどの地下組織そして大手情報産業は大統領の手足となり耳目となり口舌となって、合衆国を牛耳った。合衆国を牛耳ることは合衆国の対外政策を牛耳る事である。
 第32代大統領は積極的に外交を行った。熱心すぎる外交姿勢は国内と同じく、国外でも金銭と暴力と陰謀にまみれていた。


 漏出したFBI機密、いわゆるBOX文書と呼ばれた資料。
 それは元FBI長官エドガー・フーヴァーにより収集された大統領命令書の写しであった。BOX文書は5.15事件、赤坂事件そして40年末のクーデター未遂事件にまでルーズベルト大統領の関与があった事を示している。
 日本海軍に関連する事件だけでなく、数千件に渡る機密文書は全世界の悲劇惨劇の多くに米国政府の関与があったと記していた。

 なかでも合衆国人達の興味を惹いたのは客船ヴァージニア号の沈没が、大統領の極秘指令により同船舶の貨物室へ仕掛けられた時限爆弾によるものでありUボートは全くの無関係であるという文書である。

 前々から、ヴァージニア号から救助された乗員乗客の間にも「あの事件はおかしい」と囁かれ続けていた。
 舷側に魚雷が当たった筈なのに当直の乗員の中に被雷時に上がる筈の水柱を見た者がいなかったり、乗客の中にやたらと「魚雷が当たった」と爆発時に船内にいて見たわけでもないのに騒ぎ立てる者がいたり、船底の中央部分から浸水が始まったり、と不審な点が見受けられたからだ。




     ・・・・・




  【1941年9月14日 グロス・ベルリン 総統親衛隊本部 長官執務室】



 第三帝国の政治的中心は誰か、といえばそれは間違いなく総統ことアドルフ・ヒトラー大統領兼首相である。
 では総統に次ぐ人物はといえば、現在ではこの部屋の主であった。

 閣僚の序列や内外の知名度、大衆からの支持でいえばゲーリング国家元帥やヘス副総統やゲッベルス宣伝相らの方が上だが、実際に行使できる権勢としては親衛隊長官が優る。
 ドイツ第三帝国の権力は、現在ではその三割以上をこの部屋の主に握られている。
 第三帝国を統べる人物が見聞きする情報の大半を親衛隊(SS)が握っているからだ。


 この部屋の主である貧弱な文官然とした男は以前よりも多忙であった。黒縁の眼鏡を掛けた、如何にも神経質そうな顔立ちは連日の激務により青白さを増している。

 「やれやれ、消しゴムと人材はなくなると価値が解ると言うが」

 黒檀製の重厚な執務卓には書類が山と積み上げられている。現代の権力者の常としてSS長官も日夜区別なく書類の山と闘う存在であった。有能な秘書や事務官を多数動員してもなお、その仕事量は膨大である。
 春の人事改変から半年近く過ぎたが、混乱の余波はまだ残っている。英本土という、管理するには広すぎる焼け跡を采配しなければならぬ事もあって何時まで経っても親衛隊長官の仕事量は減らなかった。

 あれもこれも全て陸軍が悪い。
 連中に少しでも能があればイングランドの管理を手伝わせられた。しかし現実は非情であり、ドイツ陸軍は依然として無能である。英本土の行政に関わらせたが最後、どれ程の不祥事が巻き起こるか想像はつくが易々と跳び越えられるだろう。

 兵に飯を食わせることもできない輩が、将軍でござい元帥でございと威張ってられる無恥さには一周回って感心すらしてしまう。奴らの面の皮を剥ぎ取って、戦車の正面に貼り付ければ増加装甲に使えるかもしれない。
 親衛隊が総統閣下の勅命をもって食料流通を仕切るまで、兵達へは黒パンすら満足に供給されなかったのだ。

 更に言うと前RSHA(国家公安本部)長官が死んだのも陸軍の所為だ。
 奴らが愚劣にも総統閣下の暗殺など企てるから、こんなに忙しくなったのだ。奴が生きていれば書類の山も少しは減っているだろう。

 ん? 何だこの書類は。「緑の大隊所属、ベルクムント中尉の飲酒運転事故を揉み消すや否や」だと? 誰だこんな決済を長官執務室まで上げた阿呆は、そんなもの法令に従って順当に処分しろ! 一々上に伺いを立てるな!


 思わず溜息が出る。

 死んだときは清々したが、居なくなって欲しくはなかったな。

 というのが、現時点での親衛隊長官の感慨である。流石に口には出さない。
 前RSHA長官は人格や素行に多大な問題がある部下だったが、その能力だけは惜しんでいる。

 もっとも、それが出来るとしても彼は前のRSHA長官を蘇らせたりはしない。死人には死人の役目がある。



 この人物、ハインリッヒ・ヒムラーSS長官を「蓮の池に舞い降りた白鳥のような男」と評した者がドイツ第三帝国の高官にいる。

 冗談ではなく、素面で。

 政治的な態度を指した比喩であるとの注釈を聞いたならば、思わず吹きだしてしまった者たちも頷くかもしれない。いくらなんでも詩的に過ぎる、と呆れるだろうが。

 あくまでも比喩的にだが、親衛隊長官と白鳥との間に共通点を見いだせるといえば見いだせる。
 ヒムラー氏は第三帝国閣僚のなかでも権力欲の強い方に分類される人物でありながら、親衛隊の権限拡大に必死で動いている姿を水面下だけに留めておこうとする分別があるからだ。
 言うまでもないがヒムラー長官にとっての水面上とは、総統閣下の視界内という意味である。


 なお、SS長官への人物評に吹き出した者たちも、同じ評者が続けた「馬鈴薯畑に放された豚のような男」という、マルティン・ボルマン元総統秘書についての発言に対しては反応が異なった。
 少なくない人数が怒りを露わにし、結束して抗議活動に訴えたのだ。件の素人評論家は衆の圧力に屈し、公式文書で「豚さんごめんなさい」と要約できるものを総統官邸に提出して決着がついた。

 たとえ政府高官といえど御婦人方、とくに職場が近い官公庁各部署の秘書やらタイピストやら掃除人といった働く女達を怒らせては業務に差し支える。
 頻繁に総統官邸へ出入りする身で、官邸やその周辺の女たちを敵に回せばろくな未来は待っていない。
 かつては党本部の影にて権力を誇りながらも現在は全ての公職から離れ、ザクセン州の片田舎で晴耕雨読の日々を送るボルマン氏のようになりたくないのであれば、話が大きくなる前に白旗を上げるしかなかった。


 戦争の変化は往々にして社会的弱者の価値を引き上げる。

 マスケット銃の普及が騎士の時代を終わらせたように。
 応仁の乱の泥沼ぶりが、足軽衆を室町時代後期の基幹戦力としたように。
 前大戦がなければ合衆国の婦人たちは依然として家庭に閉じこめられたまま、工場で働くことすらできなかったように。

 近代における民主化は国民皆兵が呼び寄せた。
 誰もが銃を使えるようになったからこそ、銃を使えるもの皆の声が政治に届くようになった。正確には、大衆の声に耳を貸さない為政者は大衆の銃で蜂の巣にされた。


 総力戦は社会へ変革を求める。それまで裏方を任されていた者たちが主戦場へ出て、裏方になれなかった者たちが裏方を任されるからだ。
 裏方の力なくして戦はできない。ゆえに、裏方を任された社会的弱者達の発言力は増す。近代欧州における女性の権利獲得にはフローレンス・ナイチンゲールと看護婦達が大きな役割を果たしている。

 信賞必罰を怠る組織に明るい未来はなく、功績には報奨で応えねばならない。故に戦争がその渦中に巻き込めば巻き込むほど、女たちの社会的立場は向上する。
 二次大戦期のベルリンはドイツ史上稀な水準で女達が強かった。総統の姪御を旗印にしての事とはいえ、女の敵の代名詞となった高官を公職から追放できた程に。


 斯くの如く第三帝国中枢部の女性層に嫌われていたボルマン氏であるが、今年の4月1日の朝だけはその不在を一部に惜しまれた。
 もし彼がそのとき官邸前にいれば、突如暴走した総統専用車に轢かれたのはラインハルト・オイゲン・トリスタン・ハイドリヒではなかったかもしれない、と。
 落命の報せに、涙で頬を濡らした者よりも祝杯で咽を潤した者の方が多かった先代RSHA長官だが、その死を惜しむ者はそれなりにいた。獅子や虎は動物園の人気者。離れたところから野獣を眺める事に楽しみを見出す者は少なくない。

 それを行うことは簡単であるが、SS長官が集団農場からボルマン氏を呼び出して職務を与えることはない。死者より更に使いどころのない人材もこの世には存在する。



 「長官、そろそろ休憩なされては如何です?」

 部屋の主とは対照的な、男性的魅力に溢れた声を発したのは親衛隊の軍服を着込んだ好男子である。
 すらりとした長身に引き締まった体躯、顔立ちも充分に男前だ。30代に入ったばかりの年齢で少将の階級章を付け、親衛隊の要職に就く出世頭。
 加えて趣味は乗馬と弦楽器演奏。素行は常識の範囲内とくれば、親衛隊本部内に勤務するご婦人たちの評価が高いのも当然であろう。

 見れば時計の針は茶の時間にしても良い頃合いに達している。SS長官は無表情で秘書達に休憩を命じた。退出する秘書達と入れ替わりに現れた従卒に言いつけて、自分用のコーヒーと茶菓子を持ってこさせる。
 何かとマメで気配りの人である宣伝相と違い、彼は秘書達と共に和気藹々とお茶の時間を過ごせる気質ではない。

 「私の分は?」 
 「貴様の職場で好きなだけ飲み食いしろ」

 結局、ヒムラー長官は再度従卒に言いつけて茶と茶菓子を持ってこさせる羽目になった。
 親衛隊少将はそれまでと同じように足を組んで椅子へ座り、膝の上に乗せた弦楽器を弄っている。

 自分の仕事が暇だと言って上官の部屋に入り浸り、あげくに菓子や飯や酒を集ってくる。図々しいカラスのような部下の態度に、ある意味では真面目人間であるヒムラー長官の神経は逆撫でされるが、まだ我慢できる。
 勝手に動いて畑の作物を食い荒らす豚や、勝手に動いて家畜や郵便配達員を食い殺す猛獣より余程マシだ。職務を滞らせたことがないし、無能ではあるまい。カナーリス提督の評価も高いことであるし。

 いや、確か東洋の古い兵学書には「敵陣営に無能がいたら誉めそやして功績を立てさせてやれ。そいつが出世すればこっちは楽になる」というのがあった気がする。まさか、な。能力だけはあった前任者は大層カナーリス提督に嫌われていたが。


 招いてない客の分を従卒が持ってきた。一礼して引き下がる。

 コーヒー豆は中米産の上物、菓子はバームクーヘンである。
 何故か極東の同盟国で人気の高いこの焼き菓子は、最近のベルリンでも姿を見ることが多くなっていた。
 日本から輸入された自動バームクーヘン調理器を邪道と誹る菓子職人はドイツにも多いが、大衆の口と財布は正直だ。
 国際問題になりかねない風説の流布が宣伝相直々の采配により押し流された結果、一部の菓子屋は廃業の危機に瀕している。
 自動菓子焼き機が作れるのはバームクーヘンに限らない。

 「まあ、嘘は言ってませんよね」
 「勝負は付いたのだ。菓子職人たちも潔く転職するなり奮起して腕を磨くなりすれば良かろう」

 ゲッベルス博士はこの件について全て事実を語っている。注意深く聞かないと、件の自動菓子焼き機がドイツ製であるように誤解される表現をしただけだ。
 宣伝省主催のドイツ菓子博覧会。その会場で行われた「どの菓子が一番美味いか」を決める催しに参加したベルリン市民達は自らの選んだ菓子が機械の焼いたものと知って驚愕し、その機械がドイツ製であると認識して、納得したり満足したりした。
 それ以後のドイツ圏では機械が焼いた菓子にそれなりの需要が存在している。

 事情を知る者たち、特に敗者達は口を噤んだ。第三帝国は紛う事なき独裁国家なのだ。事ここに至った上で機械の出所を云々すれば恥の上塗りになるだけでなく、身の危険すら有り得る。


 「戦争も自動でやる時代だ。ケーキが機械だけで焼かれても不思議はないな」
 「V2号兵器ですか。あれは酷いですよね」

 V1号ことフィーゼラーの無人飛行爆弾に続いて、日本帝国が繰り出した「勝利の兵器」第二弾。
 それはドイツ第三帝国の幹部層を顔面蒼白とさせるに充分な代物であった。
 図上および実際に部隊を動かした演習の両方で、現時点の国防軍では阻止不可能と立証されている。対抗手段を研究していない軍隊では止めようがないのだ。止められる軍隊は当然ながら、現時点では日本軍のみ。

 試験場で示されたその威力たるや、見学していた英海軍からの転向者たちが躍り上がって喜んだ程だ。比喩表現ではなく、実際に佐官や将官までが歓喜のあまり立ち上がり手と手を繋ぎその場で踊り始めたのである。
 40秒ほどで紳士の体面を思い出したのか踊りを止め、何事もなかったかのように席へ戻ったがあれはよい見物であった。

 親衛隊の高官達にも、英国人の振る舞いを見て見ぬ振りする情けがあった。同時に、合衆国の若人達への同情も。
 敵国の少年少女達は当然ながら選挙に参加していない。彼ら彼女らは自らの意思と選択が全く関与しない事柄の責をこれから負わされるのだ。V2号のもたらす破壊と災禍は先輩兵器の比ではない。

 この予言が外れたならば、少将は今の職場から退き故郷へ帰って教師にでもなる。授業では生徒達に歴史を教え、放課後は部活動で音楽を指導する生活も悪くなかろう。



 「しかし、あれを今出してきたということは『G』は此処まで読んでいたのか?」
 「案外、急場の間に合わせかもしれませんよ。V兵器は元々そういった部類のものですし」

 かつてスペイン内戦に第三帝国が介入したのは、新兵器や新戦術の戦訓を得るためでもあったが政治的には反独勢力の首魁であるフランスを牽制する為であった。イタリアにしても、地中海で目障りな勢力を押さえアフリカの権益を保つ意義があった。
 両国ともアカは大嫌いだが、それだけで参戦したわけではない。では日本は? なんの得があってスペインに派兵した?

 親衛隊長官はそれを、イベリア半島をV号兵器の発源地とする布石であったと見ている。ドイツはロシアへ嗾けて噛み合いさせるには最適だが、英本土や北米を狙うには地理的に向いていない。
 V2号兵器で北米を狙うには英本土が最適であり、英本土を狙うにはスペインに中立以上の関係でいて貰わねば困る。
 そして英本土は北米侵攻の橋頭堡に使うには傷付きすぎてしまったが、スペインは健在だ。

 対して親衛隊少将は、V2号兵器自体が戦局の変化によって登場した存在であり、その足場としてスペインが選ばれたのは偶々条件が整っていたからであろうと見ている。


 どちらにせよ合衆国の破滅は避けられない。それは運命である。
 早期の講和は不可能だ。
 元から仲介できる勢力、日米の間に立てる立場の国がなく両国の講和は絶望的だった。国家は最大規模のヤクザ組織である。列強国同士の諍いを手打ちに持ち込むには、名ばかりの中立国や弱小国では貫目が足りない。

 今はどの国も合衆国との講和を望んでいない。

 合衆国が英本土から撤退する際に放った最後っ屁はスカンクのそれよりも強烈であり、欧州勢力が北米勢力と単独講和するどころか大戦から離脱する可能性すら消し飛ばした。
 現在の国際情勢で尻尾を巻き戦場から離れれば米国へ組みする者として袋叩きにされる。袋叩きにしなければ、日本とイングランド残党はしない勢力を米国の共犯者とみなし「絶対殺す」名簿欄の末尾へ書き加えるに違いない。

 欧州各国の指導部も引く気はない。合衆国がブリテン島退去時に行った史上最大の破壊工作を彼らは「文明への挑戦」と受け取ったのである。



 親衛隊が保管している、一本の記録映画がある。


 干涸らびかけた赤ん坊の死骸を大事そうに布で包み、何事か話しかけあやそうとしている被災者の老婆。

 熱に炙られた地下室の扉をこじ開けて、その中で発見した人型の炭と化して抱き合ったままの親子らしき遺体。

 腐敗し膨れあがった死骸が、水桶に入れられた馬鈴薯の如く沈み浮かび漂うテムズ川。
 その水面をゴムボートに乗り、櫂で遺骸を掻き分けて渡る武装親衛隊の若者たち。
 迂闊にも膨れあがった腐乱死体を櫂で突いて、破裂させてしまう新兵と不運にも巻き添えに遭い爆発の飛沫とガスを浴びる戦友。両者は堪らず嘔吐してしまう。

 火炎放射器で得体の知れぬ物体を次々と焼き払う日本兵。炎に呑まれるカビまみれの汚物に、所々人体の特徴が残っているのは錯覚ではあるまい。

 火傷を始めあらゆる状態の、戦場より悲惨な傷を負った者たちが詰め込まれた野戦病院で、患者の手足を切り、皮を剥ぎ、膿を搾り、点滴を打ち、一人でも多くを救おうと奮闘する医療従事者たち。

 絶望すら消え去った表情で炊き出しの列に並ぶ老若男女の被災者達。彼ら彼女らの列に沿って歩みつつ消毒液を散布する、純白の防護服を着込み防毒面で顔を隠した衛生兵たち。

 廃墟に点在する生焼け半焼けの遺骸と生ごみそして生き残ってしまった者たちが垂れ流した諸々を喰らい、際限なく増えて遂に地上へ溢れ出した蝿の幼虫。
 おぞましき灰白色の流れとなって、無数のウジ虫は餌を求め洪水の如く廃墟の隙間を這い進む。



 休戦状態にある敵軍現場指揮官からの救援要請に応え、協定軍の救護部隊とその護衛達はロンドンの地へ降り立った。
 同行した従軍撮影班により撮られ、直後に現像され後方へ送りつけられたロンドンの映像が上記の地獄絵図である。

 無編集の現場映像を見せられた、第三帝国の閣僚達は言葉を失った。
 ある者は眉を顰め、ある者は吐き気を堪え、なかには失神する者さえいた。
 最後の者も含めて、それらの人々を「軟弱」と誹る者はいなかった。その場でも、その後でも、誹ることを第三帝国の総統は許さなかった。
 人が地獄を恐れるのは当然であり、恐れぬ者を讃えるのは良いが恐れた者を責めてならない ‥‥と。 


 今更な話であった。戦争とは地上に地獄を造る行為に他ならない。
 欧州の歴史は血塗られた道などというような甘っちょろい代物ではなく、大国の閣僚ともなればその身は首まで血と汚物に浸かっている。「長いナイフの夜」で屠った同胞、かつての同志たちを始めとする幾多の血肉を喰らって第三帝国幹部層は生き長らえてきたのだ。

 だがそれでも、戦争には線引きが必要である。地獄にだって果てはあるのだ。
 合衆国民主党政権の行いは最低限の区切りをなくし地獄を際限なく拡大するものであると、戦争を戦争に留め置く作法を踏みにじるものであると欧州の指導者達は受け取った。


 そもそも、敵国の政府と国民を同一視するどころか、自国に帰化した者までも対象にした日系人強制収容の時点で国家の存在意義を否定する蛮行であり、常軌を逸している。
 民族あるいは人種そのものを敵視している点で、米民主党の政策はドイツナチス党のものより遙かに悪質であった。

 第三帝国内ではユダヤ人の嫌疑を掛けられた人物でも、当局が「違う」と判断すれば釈放された。明らかにユダヤ人であっても共産主義や無政府主義などの過激行動集団と関わりがなければ、最悪でも強制移住で済んだ。

 一方、米国内で日系人と判定された人物が解放された例はない。思想信条に関係なく日本人の血を引くこと、日本人の血を引いていないと証明できない事自体が罪となった。
 合衆国に忠誠を誓い、志願兵を始め対日戦争に協力を申しでた日系人は少なからず存在したが、米民主党政権は省みなかった。

 米民主党員の一部には日系人部隊の編制や、日本語通訳への採用など「日系人の戦争利用」を唱えた者たちも存在した。
 だが41年4月19日のニューヨーク大空襲により自由の女神像が破壊され、同時に日系人活用論の主導者ヒューイ・ロング上院議員が行方不明となるとそれらの声は急速に小さくなっていった。今となっては公の場で響くことはない。

 誰だって命は惜しい。「恩人である筈のロング氏を日本軍の空襲にかこつけて始末した」との現大統領への風評は、合衆国内でも密やかに言い伝えられ続けている。
 なお、BOX文書においてロング上院議員行方不明事件に関与するものは未だ確認されていない。



 所詮は他人事、と米国での日系人や東洋人達への仕打ちへ興味を示さなかった欧州人達も、英本土の惨劇には恐怖した。

 彼らの殆どは合衆国人の「自由と民主主義を護る為にどんな事でもする」という言葉を口先だけのものと判断していたのだ。7月半ばまでは、そう決めつけていた。

 合衆国人達は何処までも本気だった。英本土破壊作戦に化学兵器や生物兵器が使われなかったのは、単に実行者達の手元にそれが無かったからに過ぎない。
 FBI長官フーヴァー氏の不審死の後に漏れた文書の一つ、初期の英本土破壊工作計画書によれば郵便網や落下傘やゴム風船を使った英国内及び北フランス地域での病原体散布まで準備されていたのである。

 合衆国内部の派閥抗争により欧州派遣軍へ手配されていた炭疽菌やペスト菌などの生物兵器が回収され、細菌戦が未実行に終わったことは幸いであった。
 もし実行されていたら欧州の人口は割の単位で減っていただろう。日本帝国の防疫態勢を打ち破るために用意された数々の生物兵器は、楽天家揃いの合衆国人ですら「本土と地続きの場所では使えない」と判断する水準で危険な代物なのだ。



 欧州諸国、特に協定勢力の枢軸である独伊指導者達は天を仰いだ。せっかくの勝ち戦が台無しであった。
 戦後を見据えて国家体制を平時向けへ移行する準備が無駄となった事もあるが、彼らはとうの昔に戦争に飽いていたのである。

 飽きたならとっと止めれば良い、と言われても戦争はおいそれとは止められない。人にも国家にも事情がある。
 独伊の指導者たちは後世に名を残す独裁者であった。独裁者に過ぎなかった。
 大衆と軍部の機嫌を損ねる訳にはいかなかった。彼らの権力基盤は堅いようで脆い。ある意味究極の人気商売である。

 弱い独裁者など窓拭きにも使えぬ塵屑であり、自分から「戦争やめたい」と言い出す独裁者ほど大衆から「弱くなった」と見られる存在はない。
 民が全権を委任するからには独裁者は正義の権化であらねばならず、独裁者の行う戦争は聖戦でなくてはならない。聖戦を自らとり止めようとする輩の正義を誰が信じようか。

 つまりヒトラー総統とムッソリーニ統帥が独裁者である限り、自分から戦争を止めることはできない。大衆が許さない。
 独裁者を辞める事もできない。独伊両国の国情は厳しく、いま指導者を失えば亡国あるのみだ。


 国際情勢の荒波からイタリアを救うにはムッソリーニ統帥の手腕が必要であった事は確かだ。代打が務まる人材は彼の国に存在しない。

 残念ながらドイツは異なる。
 ドイツを救う為にヒトラー総統が必要という観測は間違いである。ナチス党員などの支持者が抱いている儚くも空しい妄想に過ぎない。

 実際にはアドルフ・ヒトラーの手腕を持ってしてもドイツを救うことは不可能である。
 ドイツは滅びるさだめにある。歴史から見ても地勢から見ても避ける術はなく、遠からずして滅びる。
 第三帝国は最初から短命が約束されていた。同時期のドイツに出現し得たなかでは最良最長の統治を可能とした存在だが、運命を覆す力はない。

 なぜドイツが滅びるかについて、ここでは語らない。理由が多すぎて語り尽くせないからだ。



 第三帝国総統親衛隊の長官と幹部。いまこの部屋にいる二人にも、祖国の滅びが避けられないことは解っている。
 解った上で行動している。人は何れ死ぬし、国家は何れ滅びるのだから。

 暗殺などの事態が起きない限り自分が初代にして最後の親衛隊長官となるだろう。
 そんな思いにヒムラー長官の胸中へ秋風が吹くが、同時に誇らしくもあった。総統あっての親衛隊だ。共に在り共に栄え共に滅ぶ、そこに矛盾はない。
 誰であろうと運命に抗う術はない。オーディンの化身たる総統閣下ですら持ち合わせていない。神々の黄昏は、遅らせることはできても避けることはできないのだ。

 
 遠くないうちに滅びるにしても、大英帝国よりは穏やかにであって欲しい。合衆国よりは遅くであって欲しい。そう望むのは当然である。

 合衆国は早急に、数年以内に、英本土の惨状すら上回る程に徹底して破壊される。この予言も外れようがない。
 外れたとしても親衛隊長官が職を辞して故郷へ帰り養鶏業者に戻ることはないが。


 「あの仕事は私に合わない。二度とする気はないよ」

 一部の反ナチス派が喧伝するデマと異なり、ハインリッヒ・ヒムラー元社長が養鶏事業から撤退したのは経営する養鶏所が倒産したからではない。彼は倒産させて事業を畳んだのである。

 誰かに養鶏所を引き継いで貰うことは出来なかった。生来気の優しい所のあるヒムラー氏は養鶏所の存在に耐えられなかったのだ。
 世のため人のために必要な仕事であることは解る。科学的に見て、養鶏が動物性蛋白質を人類が安価かつ安全に安定して得られる現時点において最良の手段であることも知っている。誰かがやるのであれば、止める気も誹る気もない。

 それでも、彼は養鶏所という残酷な施設に関わることが嫌になった。自分の手を離れた施設が順調に運営され続けることすら我慢ならなかった。
 日本訪問時に知り合ったとある仏僧は「高野山で過ごした10年の日々よりも、養鶏所で働いた7日間の方が悟りに近づけた」と語ったが、親衛隊長官は全面的に賛同する。
 あそこは命の尊厳だの生類への憐れみだのといった言葉を、寝言ですら言えなくさせてしまう場所だ。

 親衛隊本部に掲げられた標語である「寛容は弱さの証」とは、彼の自戒でもあるのだ。人は己の弱さを常に自覚していなければならない。

 彼の姿勢は、本人的には全く矛盾していない。
 ハインリッヒ・ヒムラーにとって「ユダヤ人」や「共産主義者」は社会に害をなす獣であり、人々のために命を捧げる家禽とは全くの別物である。羊飼いは羊のために命を懸けるが、狼に施す慈悲はない。

 汝の敵を愛せ。
 この言葉をヒムラー長官はユダヤ(ヘブライ)的迷妄の最たるものとして憎み、恐れる。
 もしそれが受け入れられると言うのなら、ユダヤ思想の奴隷どもは敵である我々を愛せば良い。我々は貴様らを憎む。ドイツを地獄に変え、欧州を腐らせ、世界の過半を汚染した虚妄を憎む。

 愚能なる四文字神に呪いあれ!  
 ユダヤ的迷妄の奴隷として生かされるぐらいなら、ゲルマン的迷妄を抱えて死んだ方がマシだ。

 ハインリッヒ・ヒムラーSS長官は精神的弱者であり、それを自覚していた。弱者ほど攻撃的になるものであり、しかも己の攻撃性を正当化し疑わない。
 弱者は強者を赦さない。善人が悪人を、健常者が狂人を赦す事は有り得ても、その反対はない。

 彼にとって今次大戦は精神世界の戦いでもあるのだ。敵は邪教を奉じる狂信集団であり、容赦などして敵う相手ではない。
 合衆国の父祖は宗教難民であり、彼の国は宗教国家である。杖をヘビに変える奇術を得意とした詐欺師に率いられ、内ゲバと粛清を繰り返しつつ放浪し、辿り着いたカナンの地を荒らし回った逃亡奴隷流民の末裔だ。

 合衆国と資本主義体制こそゲルマン民族真の敵と喝破した総統閣下は正しかった。これに比べれば赤色ロシアなど前座に過ぎない。

 勝利の日は近い。ユダヤ的妄執の傀儡は倒れる。親衛隊も第三帝国も総統と共に滅びるが、次のドイツ人国家が立つとき地上に忌まわしき人工国家は残っていない。
 不死鳥と違って灰の中から蘇りもしない。ユダヤ人資本家達が己の火葬場に積み上げているのは香木の枝ではなく放射性物質なのだから。

 伝説に謳われる不死鳥は、500年に渡る生涯をただひたすら香木を集め巣に貯め込むことに汲々とする生き物である。
 500年目に積み上げた香木の薪で己を火葬するとき、一本でも香木でない枝が混じっていれば不死鳥は只の灰になってしまい、香木の薪が足りなければ只の丸焼き鳥になってしまう。大層な名を持っていても所詮は畜生なのだ。

 畜生であっても人々の浪漫を刺激できるだけ、まだ増しな存在ではある。
 ユダヤ勢力が香しさの欠片もない冥王の物質(PLUTONIUM)を幾ら積み上げたところで、灰の他には廃墟と怨嗟が後世へ残るだけだ。
 全く持ってユダヤ思想は度し難い。無学で無力な逃亡奴隷の怨念(RESSENTIMENT)が産みだしたからだろう。
 思い通りにならぬ世界の滅びを妄想するのは勝手だが、せめてその後を考えろ。



 戦争は遠くないうちに終わる。合衆国の迎撃戦力は削り殺される。
 有能な歯科医が虫歯菌に冒された歯を処理するが如く慎重かつ速やかに、痛みを伴って。

 日米の航空戦は先が見えている。
 時間制限があるという点に置いて、戦争は野球よりむしろフットボールに近いだろう。
 ロスタイムに入ってから二桁の得点差をひっくり返せる蹴球チームなど何処にも存在せぬように、逆転の可能性は既にない。

 これだけの戦力差が付いた理由は生産能力、工業力や技術力もある。だがそれが決定打ではなかった。
 決め手となったのは飛行機乗りを始めとする人材の数と質である。

 「教育制度の差、か」
 「おそらくは」

 合衆国は航空要員の調達能力で日本帝国に劣っている。兵員の訓練制度で負けているわけではない。例えば飛行士の教育能力で言うと日米に差違はあってもあからさまな優劣はない。
 格差は教育をする側ではなく受ける側にある。即ち基礎教育の差だ。

 「愚民社会の縮図ですな」
 「そうだな。我々も他山の石とせねば」

 まったくもって他人事ではない。第三帝国の少年達を育成するヒトラー・ユーゲントにしても、学力の低下や思想の偏りを懸念する声が絶えない。体育や実習に時間を割り振りすぎだという批判も根強くある。
 難しいところである。
 SS長官も授業方針を偏らせたいわけではない。だが隙あらば教育現場へ忍び込み児童を誑かさんとする共産主義者や無政府主義者やヴァチカンの手先や合衆国崇拝者らを排除していくと、学舎の在り方はどうしても歪む。
 この世にまともな教師ほど、必要とされながら払拭している人材はない。


 話を戻すと、合衆国において飛行士は大学卒業者ないし在学生へ訓練を施して養成される。米軍では航空機は兵卒ではなく士官が操る物なのだ。
 反対に日本では、大学生だけでなく他の階層からも満遍なく採用され育成される。人種も民族も関係ない。たとえ爵位持ちであろうとヘボは操縦桿を握らせて貰えず、帰化転向した元赤軍兵でも腕次第でエースになれる。
 分母が多いのだから、分子を更に割って選び出された上澄み層の日本軍操縦士達が精鋭集団となるのは当然である。

 日本帝国における「超人兵士構想」の実体は、単に才能ある若人を全国民及び国民以外からも集め合理的に訓練させ大量の操縦士を育てた後に上澄みを選りすぐった、ただそれだけなのだ。
 単純明快であるが故に、合衆国では真似が出来ない。絶対に不可能だ。陸、海、海兵、州兵の合衆国4軍は未だに黒人兵へ銃すら持たせられないのだから。


 力には責任が伴う。強大な暴力にはそれに釣り合う責務が課せられる。
 それはアメリカ合衆国の基本思想である。彼の国は選良(ELITE)の動かす国なのだ。

 現代戦における航空機、たとえば合衆国が最も生産した航空機の一つP40戦闘機は12.7機銃を4ないし6丁搭載している。これは地上部隊で言えば、少なく見積もっても装甲車付き歩兵分隊に匹敵する火力だ。
 航空機は一機で歩兵小隊に匹敵或いは上回る戦力価値を持つ。数で言えば精々100機程度の航空機しか運用できない正規空母であっても、換算される戦力価値は1個師団かそれ以上。
 歩兵小隊の指揮官は少尉以上の士官であるからには、航空機を操る者が士官=少尉以上の将校となるのは合衆国的に理の当然である。

 逆に言えば、合衆国では士官(将校)でなければ航空機を扱う責任を負わせられない。

 合衆国における教育格差は大きく、実質的な貴族階級である富裕層以外の知識教養は著しく低い。
 富裕層出身でない軍の構成員、下士官兵の水準は合衆国では教育格差に比例して順当に低い。
 冗談でも誇張でもなく、自国語の新聞が読めず四則計算が怪しい軍曹は米軍では珍しくない。兵卒には給料明細に明かな虚偽があっても気付かない者さえ存在する。

 繰り返すが冗談ではなく事実である。

 入隊したばかりの訓練兵が地図を読めて当然な一般日本人はこれを聞いて「アメリカ人を馬鹿にし過ぎだ。もっと現実味のある嘘(PROPAGANDA)を言え」と失笑するが、事実なのだ。

 最低でも大学在籍者でなければ航空士の資格を持たせられない国と、小学校卒業者を訓練すれば航空士にできる国。
 両者の違いは明らかだ。これが黒船の来航から一世紀近くをかけた成果である。泉下の吉田寅次郎は己の教育方針を胸を張って誇るべきであろう。



 SS長官は焼き菓子の最後の一切れを呑み込んでいる部下に尋ねる。 

 「貴様の意見を聞きたいな。赤坂事件に関して、BOX文書が事実である可能性は高いのか?」

 問われたその男、総統親衛隊少将にして現RSHA長官は突き放すように答えた。

 「事実など幾らでも書き変えられます。残したのはあの妖怪ですよ? 全部仕込みでも不思議はありませんて」


 ぐうの音も出ない正論である。問題なのは親衛隊少将の言うとおり、ルーズベルト大統領が何を命じたかやフーヴァー元長官の意図ではなく日本、いや『G』が何を事実としたいのか、だ。

 それを間違えれば拙いことになる。
 親衛隊は『G』に信用されていない。勿論ナチス党も、だ。ドイツの軍部と大衆は論外。日本帝国に潜む秘密結社が幾らかでも信じているドイツの構成要素は、総統閣下という類い希な個性だけだ。



 合衆国海軍の大拡張はルーズベルト政権の諸政策のなかでも比重が大きかった。

 日米海軍第一の仮想敵が相互であったこと。
 一度は終息に向かっていた日支事変が、日本海軍の策謀により泥沼に填り込み講和の道筋が見えぬ状況になったこと。
 日本海軍内部の憤懣を煽り焚き付け暴走させて蒋介石派との講和交渉を破綻に至らせたのが、海軍左派と呼ばれる知米派および親米派勢力であったこと。
 日本海軍左派の幹部層は長年、外国人と接触し続けており特に米露の軍人や政治家と密接な関係があったこと。
 39年末に佐田岬沖で沈没した、謎の米国製潜水艦が入り組んだ地形で複雑な水流の流れる瀬戸内海に侵入し呉付近で破壊活動を行えたこと。
 日米が開戦に至った際の、いわゆる「ハルノート受け渡し」において日本側代表が元海軍高官だったこと。
 在米する日本人が留学生や観光客まで捕らえられ強制収容所へ送られたにも関わらず、野村提督を始めとする日本側外交官達は全員が無事に帰国できたこと。
 永らくコミンテルンとの関係を噂されていた、海軍左派の首魁とされる元高官が40年末のクーデター未遂事件直後に不審死を遂げていること。
 チャイナやロシアといった仇敵達には矛を収め、終戦工作に乗り出した日本帝国が合衆国へは益々態度を硬化させていること。

 状況証拠は充分だ。陰謀論を好まない層以外は、合衆国から流出し続けている数々の怪文書に興味を持たざるを得ない。



 SS長官は頭痛を覚えた。考えすぎたのかもしれない、と温くなったコーヒーを飲み干す。
 幸いまだ時間がある、結論を急ぐ必要はない。夜にでもラウバル中尉に相談してみよう。彼女の素人臭い見解を聞けば、逆になにか発想の手がかりを掴めるだろう。


 休憩時間が終わり、秘書達が新たな書類の山を携えて入ってきた。
 SS少将は調律の終わった弦楽器を手に取り、上司とその秘書達へ挨拶して執務室を立ち去る。

 「そういえば」

 出ようとしたところを呼び止められ、振り返る。

 「貴様は私にチェロを聴かせたことがないな」

 RSHA長官、親衛隊少将ヴァルター・シェレンベルクは小首を傾げて、いつものように答えた。

 「だって、貴方の耳じゃ聴いても解らないでしょう? 時間の無駄です」




続く。



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