<このWebサイトはアフィリエイト広告を使用しています。> SS投稿掲示板

SS投稿掲示板


[広告]


No.39716の一覧
[0] 【WW2・時空犯罪・日本魔改造・蹂躙】名無しの火葬戦記【作者にネーミングセンスはない】[峯田太郎](2021/06/14 12:11)
[1] その一『ハル長官の憂鬱』[峯田太郎](2020/11/01 13:02)
[2] その二『ヒトラー総統の童心』[峯田太郎](2021/06/14 12:13)
[3] その三『アメリカの夢と悪夢』[峯田太郎](2021/06/14 12:17)
[4] その四『ポーランド戦線~義勇兵と解放軍と、毎日、最大の敵』[峯田太郎](2020/11/01 13:02)
[5] その五『チャーチル首相の偏屈』[峯田太郎](2020/11/01 13:01)
[6] その六『太陽の国から来た惨いヤツ』[峯田太郎](2021/06/14 12:11)
[7] その七『幻想の帝国』[峯田太郎](2021/06/14 12:17)
[8] その八『戦争の冬、ロシアの冬』[峯田太郎](2020/11/01 13:05)
[9] その九『雪と老嬢』[峯田太郎](2021/06/14 12:18)
[10] その十『ムッソリーニ統帥の愉悦』[峯田太郎](2021/06/14 12:17)
[11] その十一『カップ一杯の温もりを』[峯田太郎](2021/06/14 12:16)
[12] その十二『変わる大地』[峯田太郎](2021/06/14 12:14)
[13] その十三『天国に涙はない』[峯田太郎](2020/11/01 13:09)
[14] その十四『とある老教師の午後』[峯田太郎](2021/06/14 12:15)
[15] その十五『兵は詭道なり』[峯田太郎](2021/01/02 12:56)
[16] その十六『経度0度の激闘』[峯田太郎](2021/06/14 12:13)
[17] その十七『英雄の名』[峯田太郎](2021/06/14 12:15)
[18] その十八『千の千の千倍の‥‥』[峯田太郎](2021/06/14 12:14)
[19] その十九『上海の夜』[峯田太郎](2021/06/14 12:16)
[20] その二十『マンハッタン島の取り引き』[峯田太郎](2021/01/02 12:55)
[22] その二十一『終わりの夏、夏の終わり』[峯田太郎](2021/06/14 12:12)
[23] その二十二『また会う日まで』[峯田太郎](2021/06/14 12:12)
[25] その二十三『未知の昨日、既知の明日』[峯田太郎](2021/06/17 11:02)
[26] その二十四『いまなお棚引くや、故郷の旗よ』[峯田太郎](2021/06/17 11:02)
[27] その二十五『テキサス大攻勢』[峯田太郎](2021/06/17 11:03)
[28] 『番外、資料編』[峯田太郎](2021/06/14 12:19)
感想掲示板 全件表示 作者メニュー サイトTOP 掲示板TOP 捜索掲示板 メイン掲示板

[39716] その十八『千の千の千倍の‥‥』
Name: 峯田太郎◆cbba1d43 ID:59e4fefc 前を表示する / 次を表示する
Date: 2021/06/14 12:14






            その十八『千の千の千倍の‥‥』





  【1941年5月22日 21時00分 チャイナ南部 長江下流地域 上海市 とある飯店兼賭博場の一室】



 この夜、鉄筋コンクリートビルディング5階の、軋み音のひどい昇降機(エレベーター)から一番離れた位置にある小部屋は貸し切られていた。
 軽合金製の窓枠に填め込まれた鎧戸と網戸付きの窓は固く閉められ、満州産の毛布よりも分厚い暗幕布が二重に張られている。しかし室内はシャツ姿だと肌寒く感じるほどに空調が効いていた。
 部屋の中央には円卓が置かれ、上物の酒肴や甘味、ミネラルウォーターやソフトドリンクの瓶に氷の入った水差し、チップとカードなどが並べられている。

 円卓に差し向かいで座るのは、二人の男。
 中年、いや初老に差し掛かった年齢の白人男と、この時代でいえば老人と呼んで良い年頃の東洋人。
 見る者によっては二人は同年代か、下手をすると東洋人の方が若く見られるかもしれない。一般的に、西洋人からは東洋人は若く見え東洋人からは西洋人は老けて見える傾向がある。
 体型や姿勢からみて、どちらとも現役か元か、とにかく軍人であることは間違いない。


 部屋の壁際には中華風の吊り棚があり、その上にはテレヴィジョン受信機が置かれている。
 そのブラウン管は縦横60センチ幅の大画面であり、今も電源が入れられ歌番組が流されていた。
 上海沖の電波灯台は民間の通信や放送も中継しているので、日本本土から送られてくる番組の映像音声ともに明瞭であった。
 白黒の画像だが、つい数年前まで総天然色であるという理由だけで映画館が満員となった時代である。それで当然なのだ。

 ちなみに受信機は棚に剥き出しのまま置かれていて、棚に固定しているのは機械の下面に敷かれた滑り止めのゴム板と枠のみだ。この店は高級店であり、店内の備品に檻や鎖や硝子箱を必要とするような人物を客としていない。



 カードを繰りながら、坊主頭の東洋人は流暢な、英国海軍的な訛りのある英語で喋っている。対する白人男は言葉の訛りから察するに米国人であるらしい。

 「カードゲームには無数の遊び方(ルール)があるが、日本の子供たちの間ではこんなものがあるのだよ」
 「ほう?」

 試しにやってみようか と、東洋人はカードを配りルールの説明を始めた。彼の語るものはいわゆるワン・ポーカーの変種である。
 参加者全員に均等にカードを配り、各プレイヤーは己の山札から一枚ずつカードを場に伏せて出す。
 それぞれが賭けるか否か、上乗せ(レイズ)するか否かを宣言し、チップを張ってから場に出した札をめくる。
 出したカードの数字が高い者が勝ち、場に出た全てのカードを手に入れる。このときジャックは11、クイーンは12、キングは13、エースは14として扱われ数字が同じならスペイド、ハート、クラブ、ダイヤの順にスートの種類で優劣が決まる。
 ただし例外があり場にエースが出ているときだけは2が最強の15扱いになる。ジョーカーは使わない。

 通常のワン・ポーカーと違うのは、配られた札を使い切るとそれぞれのプレイヤーはそれまでの勝負で奪った札をシャッフルして新しい山札とし、そこから一枚ずつ札を引いて勝負を続行する点にある。
 無論、続けていくうちに展開はぐだぐだになる。勝つたびに勝者へ弱い札が入ってくるのだから当然だ。


 東洋人が言うには、これはおままごとに興じる年頃の子供たちが遊ぶルールである。大人や「もう子供じゃない」と主張し始める年頃の子供がするものではない。

 「つまり子供が子供であることを受け入れられる幸せな時期にだけ楽しめる遊戯さ。ちなみにこの遊戯の名は『戦争(ウォー)』というのだよ」
 「それはまた。確かに配られたもので戦うしかない点は似てないこともありませんが」


 日本の子供達が勝った負けたと札比べの結果に一喜一憂するこの遊戯だが、終わらせる方法はたった一つしかない。参加しているプレイヤーたちが「もうあきたからほかのことをしようよ」と言い出すまで続くのだ。
 勝敗は参加者が決める。東洋人の知る子供たちの間では、賭けで分捕った駄菓子に満足している者が勝者扱いだったそうだ。


 「勝ったと言い張れる者が勝者、ですか」
 「そんなものじゃないかな? 何事も」




 遙か昔から現代に至るまで変わることなく情報の価値は高い。戦時なら尚更だ。
 国家間の戦争もまた情報の戦いであり、その一端である諜報活動は今次大戦において複雑極まりない応酬が続いていた。

 上海市は全世界と繋がる情報の交錯点であり、当然ながら各国情報部局が鎬を削る情報の戦場となっている。この二人の男も諜報戦の当事者だ。その道の本職ではないが、ときにはその方がかえって上手く行くこともある。
 工作員が敵国の陣地や施設に潜入し機密書類を盗んでいくような行為だけが情報戦ではない。敵に事実の一部をありのままに伝えることで判断を誘導し戦略的あるいは政略的な大戦果をあげることすら、時と場合と人物によっては可能なのだ。

 大概の場合において情報とは 何を 言ったかよりも だれが 言ったかの方が影響が大きい。
 これは戦争ではないが、とある国である大臣が議事堂で渡されたメモを読み間違い「某銀行が倒産した」と言ってしまったため、実際に当該の銀行が潰れた事例がある。更にそれを切っ掛けに小規模な恐慌まで起きた。
 極端な例ではあるが、一国の閣僚ともなれば発言の価値が重たくなるのは当然だ。同じ発言を陣笠議員や木っ端役人がしたのであれば梯子一つすら倒れなかったであろう。


 今は軍組織から離れた身ではあるが、二人の男はそれそれが属していた組織に少なくない影響力を持っている。組織のマイクとしてもスピーカーとしても、世界大戦に影響を与えられるであろう影響力を。
 それだけでも二人が接触するには充分だが、宵の口から夜中までポーカーやブリッジの合間に塩饅頭や林檎パイを食いつつ腹のさぐり合いをするのは他の理由もある。

 東洋人の男は英国の情報部が『GOLD(黄金)』と呼ぶ謎の組織と繋がりがあり、その組織から流される情報とその組織そのものについての情報を白人男は欲していた。
 この数年、いや十年以上前から暗躍が囁かれている謎の組織こそが日本帝国の政党や軍部や財閥などなどを纏め上げ、動かしている意思決定機関であることは列強諸国の指導層では常識となっている。

 存在を確信しているが詳細は解らない。永田首相や豊田大将など陸海軍高官の一部が組織の幹部であろうことは推測できるが、資金源などの組織概要すら掴めていない。
 英国情報部所属のある数学者などは、日本総人口の一割以上がGOLDの構成員または支援者である可能性があるとの見解を述べた程だ。 

 もちろん東洋人‥‥日本海軍中枢に近い位置へ居たことがある男にも利益があるからこの場で手札をめくっている。繰り返すが、諜報戦においては事実を適切な時期に適切な相手へ告げただけで、戦艦を沈めた以上の成果を上げることも有り得るのだ。


 
 「彼らは実在するよ、間違いなく。君が聞いている噂話の半分ぐらいにはえげつない連中さ。なにせ僕の『陛下への忠節』を疑って予備役に追い込んでおきながら、それでも海軍と祖国のために博打をやれと言ってくる輩だ」

 繋がりがあるからといって、友好関係にあるとは限らない。祖国が世界大戦という危機に瀕していなければ坊主頭の東洋人はGOLDと呼ばれる組織に協力などしなかっただろう。

 「忠節? 5.15事件でも赤坂事件でも貴方はヒロヒト帝の意向に従った筈では」
 「もっと前だよ。連中、海軍条約会議のことを脅迫行為だと蒸し返してね」

 もう10年以上も前のことになるが、坊主頭の東洋人は海軍の一員としてロンドンで開催された国際会議に参加していて、その際に自国の高官たちに「対米戦力7割案が呑まれなかった場合、不祥事を惹起しかねない」と警告した。
 列強諸国への過剰な譲歩が日本海軍内の不満を爆発させる決定打となった事は間違いない。その事実を警告することは海軍高官ならば当然だった。

 しかしその発言は聞かされた側に「我々(海軍)の言うことを聞かないのならテロ行為に訴えるぞ」という意味で受け取られたのである。
 当然ながら遺恨が残った。海軍、なかでもこの男が属していた派閥は軍拡によって随分と美味しい思いをしていたので、自分たち以外からの敵意と憎悪を盛大に集めた。
 そして遺恨はGOLDと呼ばれる秘密結社に受け継がれ、後に芽吹いた。1930年代に頻発した海軍の不祥事とその後始末で、海軍の政治的地位は大いに損なわれたのだった。



 何かについて詳しい者の全てがその何かを好んでいる訳ではない。
 知米派であることと親米派であることも必ずしも一致しない。現在の日本国内においては羆撃ちの猟師が熊好きである割合よりも少ないだろう。

 元より外交とは右手に棍棒を持ち左手で握手しつつ笑顔で相手の足を踏みつける行為なのだ。
 坊主頭の東洋人は日本海軍きっての英米協調派として知られていたが、日米が開戦してからは一貫して強硬論を唱えていた。知っているかいないかと親しんでいるかいないかと容赦するかしないかは、それぞれ全く関係がない。

 「血の大晦日」事件などの影響もあり、日本海軍関係者の大半は米国を信用していない。いや、決して信用できない事を信用していると言うべきか。
 サンフランシスコ沖海戦における米海軍の計画的国籍偽装と、その後米軍が陸海空全てにおいて同様の戦法を徹底したことにより、不信感は高まる一方だった。

 この坊主頭の男などは「もしも前大戦時に日本が金剛級戦艦を欧州に派遣していれば、千代田のお城に星条旗が突き立てられていただろう」と広言している。


 東京よりも沖縄や台湾を狙う方が容易い。戦略上の意義も充分にある。しかしそれらの地域では奪っても合衆国の市民達は喜ばなかっただろう。当時の合衆国市民にとって日本帝国は極東の人擬きによる国家擬きに過ぎない。

 準州であるハワイですら合衆国人にとっては僻地なのだ。フィリピンともなれば僻地のなかの僻地、それよりも更に数百年分文明の光が当たっていないのが日本列島だ。
 合衆国人的にはローマの残光が当たらぬ地域は蛮地である。彼らの価値観では日本はメキシコあたりと比べても文明的に三枚は格の落ちる地域なのだ。蛮地の最僻地である小島を得て、それが一体何になる?

 フィリピンですら経済的には持て余し気味だった当時の合衆国、少なくとも市民層の大部分にとり沖縄や台湾は火中の栗よりも魅力がない区域だった。
 大衆に地政学的な、戦略上の価値を論じるのは悪手である。理解できない言葉を使われた市民達は「海軍や政府が自分たちを騙そうとしている」と確信するからだ。


 客観的に見て、その十年後ならいざしらず1910年代後半のアメリカ合衆国が東京を制圧することは不可能である。
 しかし不可能であることは、実際にやる者がいない事を意味しない。何せこの世には、夜中に動物園へ忍び込み檻の中の雌獅子を手込めにしようと猛獣の寝床に押し入って、雌獅子に噛み殺された慮外者が実在するのだから。


 制圧する必要もない。やろうと思えば米海軍は、一次大戦中の東京湾一帯を火の海に変え日本帝国の国威を粉砕できた。
 もしも、その当時の日本から金剛級戦艦が全て居なくなっていたならば、できた。1隻の自国軍艦と千人ほどの乗組員を犠牲にする覚悟さえあれば十分に可能だった。

 先の大戦時に限った話ではない。日本が隙を見せれば、たちまちのうちにアメリカは蠢動する。それは日本海軍の構成員殆どにとって明白な事実であった。
 この見解に異論を挟む者もいるが極少数派でしかない。世の中には大地が平面だと信じる者もいるし、ソヴィエト・ロシアに他国侵略の意図など無いと信じる者もいるのである。


 「合衆国をなんだと思っているのですか貴方は」
 「都合の良いときには文明人の振りができる蛮族、かな」

 合衆国の諺に「フェアに振る舞うのは相手がフェアだと判ってからで良い」というものがある。これは逆に言えば、相手がフェアだとしても自分がフェアである必要はない、という意味でもある。

 幼き日のジョージ・ワシントンが正直を理由に許されたとき、その手に斧を持っていなかったとしたらはたしてどうなったのだろうか。
 日本的な感性から言えば「蛮族には何をしても構わぬ」「弱者に生きる資格なし」「子供は野獣、家畜以下」といったアメリカ的価値観こそ蛮性の表れとしか受け取れない。


 FairとかJusticsとかDemocracyといった英単語は、米国語においては一つの意味に変換できる。
 合衆国にとって都合が良いという意味に。
 米政府や米報道機関がそれらの単語を使うときには、その意味に変換すると良く解る。

 米国では重慶国民党もポリシェビキ・ロシアも民主政権なのは当然なのだ。その方が都合がよいのだから。
 逆にいうと米国語では都合が悪いことは自動的に非民主的と変換される。故に日本帝国は悪逆非道の独裁国家なのだ。合衆国的価値観では、そうなる。
 日本語では国民が主権を持つ国家が民主国家と呼ばれるが、米国語では米国支配層にとって都合の良い国家が民主国家と呼ばれる。彼ら米国支配層が合衆国こそ真の民主主義と主張するのも当然ではある。
 
 端的に言うと合衆国にとって、日本帝国は地政学的に都合が悪い。日本列島に存在する主権国家は、本質的にアメリカ合衆国の国益と衝突するさだめにある。
 日本から見た朝鮮半島がそうであるように、合衆国から見た日本列島は敵に渡すと果てしなく面倒な位置と構造にある。そして列島に独自の信仰を持つ異人種の異民族が帝権を掲げている限り、日本は合衆国の敵なのだ。


 両国の対立する要因について話を遡っていくと日米の文明論的差違へと進んでしまうので、この辺で止めておこう。
 とにかく、日本的視点からすれば米国の一部市民はまだしも大衆と政府は信用ならない。加えて現政権の実績と印象は歴代の中でも最悪中の最悪だ。

 
 米西戦争を見よ。適当な理由を付けて同盟国の同盟国へ攻め込むなど合衆国人にとって造作もあるまい、と坊主頭の男は嘯く。
 彼にとってUSA政府の信用度などチャイナの軍閥群と大差ないのだ。中華とローマ、古代帝国の継承者を騙る蛮族に過ぎない。

 腐れ学者を埋めるのはまだしも、書物を焼くのは頂けない。それは野蛮人の所業である。秦王朝や始皇帝にとって儒教と儒学者が日本帝国にとってのマルクス・レーニン教と共産主義者に等しい存在であったとしても、だ。

 内容が誤っているからこそ、害毒であるからこそ、その思想を記した書物は悪い見本として保存されねばならない。それが坊主頭の男を含め、現時点の日本帝国知識層で主流となっている空気だった。
 故に日本帝国では高校生以上に限ってではあるが資本論の購入や所持が認められている。ただし読書会など布教行為と受け取られかねない行為を無断で行えば、まず間違いなく監視下に置かれるが。

 そういった観点からすれば、付き合いで出席させられた立食パーティの席で「前に日本料理屋で食べた牡蠣の方が美味かった」と零しただけの若人を対日協力者の容疑で拘束し尋問するような陣営を野蛮人扱いしたくなるのも当然だった。

 不穏分子をあぶり出すための方便(因縁つけ)であるならまだ解るが、多くの功績を上げてきた俊英科学者であるファインマン博士だけでなくその同僚達まで大した根拠もなく、次々と連座させられたのだから救いがない。
 その薄い根拠というのが「交戦中の敵国であっても特許料を払う(ために積み立てておく)べき」という意見に賛成したから、という辺りが更に救われない。 
 

 ホイーラー教授ら連座を免れた科学者達の嘆願により、先日遂に最後の一人が無事釈放されたものの一時は博士号持ちの半数以上が逮捕拘束された科学者チームの活動は大きく滞った。多くの研究と技術開発が数ヶ月から年単位で遅延し、パイクリートなど中止に追い込まれた研究もある。

 最先端研究開発組織の柔軟性と裾野の広さという点で、当時の米国は日本に対して確実に優っていた。
 日本の研究開発態勢は歪なのだ。理化学研究所の中核研究員に権威(指導力)が集中しすぎている。
 古くはオリザニン騒動、新しくは疫病肉流出事件など多くの不祥事を積み重ねた結果、「スイス海軍、ロシア文化省、東大理学部」などという揶揄が定着してしまったのは東京大学の自業自得だが、歪みの弊害は軽視できない域に達していた。

 理化学研究所の一挙一動に日本中の理学系研究者が注目し、その研究を後追いする。あるいは自分の研究について後押しや推薦を得るために汲々としている現状はまともでない。
 一昔前までの欧米追従、先進諸国で評価されないモノに価値を認めなかった時期と、追従先以外なにも変わっていない。人はそう簡単に変われないのだ。

 
 話を戻すと、自陣営の長所を自分から潰してしまったこの事件は、米国らしさの証拠として歴史に残った。もちろん悪い意味で。
 戦史研究家のなかには、ファインマン事件は連合国勝利の最後の可能性を摘み取ったと主張する者もいる。



 「しかし 戦争に勝った と言い張るには少し早過ぎはしませんかねえ。合衆国の生産力は世界一です。隔月で戦艦と艦隊空母を、隔週で護衛空母を、隔日で駆逐艦を作れる国家が他にありますか?」
 「加えて毎日、航空機と装甲車輌をそれぞれ100以上作っているね。性能はアレだが」


 開戦から一年半近くが過ぎたこの時期、戦時体制に移行した米国西海岸そして五大湖周辺の工業地帯は出せる全力をもって稼働しており、戦争物資を生産していた。
 日本軍の爆撃機や飛行爆弾が届くテキサスや、カンザスやオクラホマの西側などでは工場が閉鎖され住民の一部と共に疎開が行われている。また実質的内戦状態にあるアーカンソーやルイジアナなどの南部地域では工場の操業もままならなくなった。

 それでもなお、国内総生産(GDP)でならアメリカ合衆国は世界最大であった。

 数は力である。選挙でもスポーツでも戦争でも普通は大勢の方が勝つ。頭数で優るソヴィエト赤軍を打倒したドイツ国防軍にしても、結局は戦場に持ち込めた鉄量で上回っていたから勝てたのだ。
 ウクライナ戦線でも航空機や火砲や装甲兵器の頭数でいえば赤軍のほうがやや多いぐらいだったが、一度に投射できる量と命中率と充足速度、そしてなによりも弾列に蓄えられた物量の総計で協定軍が大幅に優っていたが故の結果である。

 協定諸国軍で進められていた規格統一は、他はともかく火砲とその弾薬だけを見れば実用上問題ないと言える水準にあった。黒海とウクライナの両線戦はイタリアと日本勢力圏から送りつけられた物資により今も支えられている。

 こと効率において海運に優る運搬手段はない。敵航空機や地元民兵部隊の襲撃に悩まされながら河川や鉄道を使って運ばれる物量と、地球の反対側から大型船舶で海を渡って運ばれる物量とでは運送効率が十倍は違う。



 「ユーラシア方面での帰趨は決したかもしれません」

 白人男はソヴィエト・ロシアの敗北を認めた。
 ハリコフ方面での戦車戦もクリミア付近での機動戦にも敗れ、冬季攻勢に完全失敗した赤軍は当分の間大規模作戦を行えないまでに消耗していた。このまま戦局が進めば夏になっても冬になっても防戦すらままならないであろう。
 バクー油田を取り返せない限りそうなる。現在のソヴィエト・ロシアに、バクーの代わりとなる資源地帯を開発する余裕は残っていない。
 赤軍もポリシェビキ政権も、雨に打たれる粘土の巨像と化している。あとは崩れるのみだ。


 「しかしメキシコ戦線は停滞しているではありませんか。補給線が短くなったからには合衆国はまだまだ粘れますよ」

 海洋国家にとって海は天然の交通路であるが、逆に言えば海運力の効果は海辺とあとは大きな河川でしか発揮されない。制海権を取っていても水上戦力の優位でごり押しできるのは海岸からそう遠くない距離までだけだ。
 故に艦砲の届く範囲内に港湾や飛行場を置き拠点として確保した上で、そこから航空機や機械化部隊を動かして拠点周辺を守るのが基本となる。

 メキシコ地域の背骨である山岳部を避け、日本軍はカルフォルニアからの陸路と海路を使って太平洋岸の諸都市を押さえつつ南下していった。
 米軍の焦土作戦によりメキシコシティなど内陸部の拠点は完全に破壊されており、日本軍占領地域での再建工事は処理能力を超える難民の流入により大きく遅れている。

 メキシコにおける現在の最前線はベラクレス市付近だが、日米の正規軍に加え軍閥化したメキシコ軍各派と地元民兵や野盗匪賊が入り乱れての市街戦となっており、日本軍の侵攻速度は大きく落ち込んでいる。
 メキシコ産でない者には日本軍以外の区別が付かなかったのが主な原因だ。米軍の国籍詐称は常態化しているし、各所メキシコ勢力の大半は日本軍から見て意味不明に過ぎる集団だった。
 なお、現在ユカタン半島での前線はカンペチェ付近まで達している。

 米軍と親米派メキシコ軍と反米派メキシコ軍と地元民兵と地元野盗匪賊の類が行った破壊と略奪の結果、現地の治安は完全に破綻していた。そのなかを日本軍は野盗化した民兵を懐柔したり制圧したりしながら進んでいった。
 本物の野盗団や素人野盗の民兵組織はまだマシな部類であり、懐柔どころか接触もままならない自称自警団などは絶え間も見境もなく襲撃してくる。

 餓えた民衆は軍隊ですら襲う。そして可能である限り何度でも繰り返すのだ。
 奪わねば生きていけない。奪って満ち足りたとしてもそこで奪うことを止めれば生きていけない。奪って奪って奪い尽くしても生きていられるとは限らない。この時期のメキシコは地獄に最も近い場所の一つだった。

 大多数のメキシコ人にとって外国の軍隊とは米軍のことである。
 判断基準が米軍なのだから日本軍との初期接触における対応もまた米軍への対応と同様のものであった。なのでカルフォルニアでは一定以上の効果を発揮した宣伝ビラや食料・医薬品の投下も治安向上に有為な効果を発揮しなかった。


 もうしばらく後の話となるが、相次ぐ襲撃に耐えかねた日本軍は融和優先策を引っ込め強硬手段中心に切り替る。事ここに及んでようやくだが、日本陸軍は軍閥と民兵と野盗匪賊の区別を付ける必要がない事に気付いたのだ。
 同じ北米でもカルフォルニアとメキシコは違うのである。

 方針変更以降の日本陸軍は投降の呼びかけを無視した勢力または攻撃してきた勢力には容赦なく、民家を含む建造物の一軒一軒を砲爆撃で破壊し、穴という穴、物陰という物陰を火炎放射器で炙り催涙ガスで燻しつつ前進する事となる。
 当然ながらその進軍速度は被害軽減と引き替えに更に低下する。一時は間に合わないと判断されていたテキサス州の対日戦準備が必要最低限水準ではあるが完了する程に。


 メキシコでの遅滞作戦により時間が稼げた。だがこれで合衆国が戦局を逆転できる目処が立ったかといえば、そうではない。
 GDPでいえば未だアメリカ合衆国は日本帝国に優っているが、生産効率などを含めた実質的な数値でいえば既に追い抜かれている。

 日米両海軍の征空用艦上戦闘機で言うと三菱98式艦戦とグラマンF6Fがほぼ同格(Hardwareとして完全に五分な訳ではない)だが、調達価格はF6Fの方が高い。同量の資金と資源と時間を注ぎ込んだとしたら、98式はF6Fの3倍近い数を揃えられる。これは極端な例ではあるが、この時期の日米両国における産業的効率の差を表していた。

 親が毎日自動車を運転して幼稚園へ子供を送り迎えしないといけない社会と、幼児が自分たちだけで歩いて通園できる社会では同じ生活を営むために必要な資源が違う。単純に考えても乗用車とガソリンと拳銃が余分に必要となる。
 一言でいえばアメリカ合衆国の生活様式は非効率なのだ。ホットドッグ屋を開店するためにだけに、辞書よりも分厚い書類の束を処理してなお準備が足りない訴訟社会。それが米国の現状であった。 

 名目上の数値ですら伸び率を比較すれば近いうちに逆転されることは確実であり、米軍がそれまでに戦線を押し戻せるかどうか非常に怪しい。
 古代から現代まで続く戦史において、制海権で一度劣勢に追い込まれた側が逆転できた例は極めて少ないのだ。


 戦艦ではサウスダコダ級2隻、アイオワ級6隻、モンタナ級6隻、ユナイテッド・ステイツ級2隻の計16隻が建造中であるが、日本帝国は常陸級4隻、浅間級5隻(喪失した1隻を除いた数字)が既に稼働中である。
 加えて改浅間級6隻と武蔵級8隻のうち半数が進水済みだ。それぞれの1~2番艦は実戦も経験している。対する米戦艦で現在稼働しているのはノースカロナイナ級1とサウスダコタ級2の合計3隻のみ。
 従来艦のテキサスは訓練中に避雷しドックへ再入渠、アイダホは回航中に空母雲竜の航空隊により攻撃され撃沈、損傷激しいコロラドの戦線復帰は42年夏以降と予想されている。

 米海軍の新鋭戦艦は現役から建造中まで合わせて17隻、日本海軍が23隻。
 大型空母で比較すると、現在の米海軍に稼働する艦隊空母はない。量産型艦隊空母28隻と巡洋艦船体を流用した軽空母9隻が建造中だが、どちらも一番艦の進水は数ヶ月後である。
 日本海軍の正規空母は稼働中のものだけで15隻。建造中と修理中の中型・大型・超大型空母計14隻と同盟国へ売却済み及び予定の6隻を加えればこちらも数で優る。

 質の面では更に差が付いている。500㎏級対艦爆弾の直撃に耐え得る装甲甲板と150機に及ぶ搭載能力を持ち、満載排水量10万トン以上を誇る怪物(リヴァイアサン)4隻の存在感は圧倒的であった。
 装甲のない日本の補用空母ですら、米国産の護衛空母と比べれば生存率が20倍を越えている。
 同排水量あたりの搭載能力など幾つかの点で米国製大型空母は日本製正規空母に優っている。しかし船としての運動性と耐久性では明らかに劣っていた。対空火器や電子設備の性能でも数段落ちる。

 開戦当初は互角かむしろ米国側が優位にあった高級将校の質と数すらも逆転した。戦闘よりも軍内部の権力闘争と粛正人事、そして泥沼の密告合戦による収容所送りによって、米海軍の高級将校は枯渇状態に陥っている。
 
 
 連合国にはもうろくな主力艦がなく、建造中のものはあるが完成するかどうかすら分からない。たとえば相次ぐ爆撃によりニューヨーク造船所の稼働率は開戦前の三割を切る状態が続いている。そして完成したとしても乗せる将校が足りない。素人を乗せても船は動かないのだ。

 駆逐艦や哨戒艇などの小艦艇はまだ比較的人員に余裕があり、奮闘を続けているが彼我の損害比は圧倒的である。しかも改善の目処が立たない。
 連合国側海軍の平均練度は人員増加に反比例して下がり続けていた。流石の合衆国も人間を量産する工場は持っていない。人材育成能力において世界最大の規模を誇っていても、消耗に追い付けない。

 練度と技量の低下は海軍に限ったものではなく、熟練した船乗りが激減した一般船舶も被害が増しその結果として船乗りの平均技量が下がり更に民間の人材が失われる悪循環に陥いっている。
 いや、敵襲よりもむしろ後方での事故や事件や政治闘争で合衆国の船と船乗りは減り続けている。親日派を狩り出す愛国者たちの追求は、相手が船乗りだろうが将校だろうが緩むことはない。
 伊達に魔女狩りと称されている訳ではなく、一度親日派の容疑を掛けられた者が無事で済む可能性は甚だ低かった。


 日米開戦から一年半近くが過ぎたこの時期、大西洋の制海権は日本優位に傾いている。チャイナ、シベリア、太平洋、インド洋、地中海の各方面で戦線が安定したため主戦場以外へ戦力を送りつけたり貼り付けておく必要が薄れたからだ。黒海方面にしても前線は内陸に動いており海軍主力の出番は既にない。
 大西洋の制海権は協定諸国のものとなりつつある。4月19日のニューヨーク空襲以来、北米東海岸の諸都市が爆撃機や飛行爆弾の脅威に晒されない日はなかった。
 


 故に、坊主頭の東洋人は余裕たっぷりの態度だった。元から「あの人のハッタリだけはたいしたもんだよ」などと後輩たちから言われていた男だが、今現在の態度は演技ではないだろう。

 「 粘れる のと 勝てる のは月と金星ぐらいは離れている気がするがね。
 そもそも合衆国の経済は長期持久戦に耐えられるかな? ゴムが足りまい。備蓄はもう尽きかけている筈だ。合衆国の回収業者がいくら優秀でも限界があるだろう」
 「資源の備蓄状況については私の立場では確認のしようがありませんが、合成ゴムが開発間近です。原料の石油は東部や五大湖周辺の油田地帯だけで充分賄えますよ」


 二人とも正直者ではないが、あからさまな嘘はついていない。合衆国には資源も技術もある。時間だけが足りないのだ。


 「大量に安定して作る技術が開発されたとして、果たして戦争に間に合うかな。合成ゴムを作る工場を建てるにも動かすにもゴムは必要だよ、もちろん守るのにもだ。兵器を含む近代的な機械類のうち、ゴムの必要ないものがあったかな?」
 「カリブ海の制海権がある限り、南米から天然ゴムを輸入できます」


 合衆国が必要とする資源の殆どは本土とカナダで手に入る。不足しがちなものも備蓄や代用となるものがある。
 ただ一つ、決定的に不足している必須資源がゴムだった。天然品も合成品も、国内産では需要に全く届いていない。
 米国資本による南米の天然ゴム事業が順調であったが故に、北米では合成ゴムの需要が低かった。
 南米から幾らでも安価に買える資源の代用品を開発する意欲が薄いのは当然であり、戦局の悪化によって需要が高まったものの開発研究の遅れを取り戻すには時間がかかる。

 もっとも、いまこの瞬間にデトロイトあたりに合成ゴム製造工場施設が熟練作業員付きで生えてきて完璧に稼働したとしても、それでゴム不足が完全解決する訳ではない。
 石油などから合成できるゴムの性質は天然ゴムとは一致していないからだ。天然物と合成物にはそれぞれに向き不向きがあり、合衆国の工業には天然と合成のゴム素材両方が必要とされている。

 日本本土の科学工場群は天然物の代用が務まる合成ゴムの量産に成功している。その製法に関しての情報も幾通りかの経路で敵国まで漏れ伝わっているが、合衆国が追い付くには数年ないしそれ以上の時間がかかるだろう。
 合衆国本土内でも天然ゴムの原料となる植物は栽培できる。できるが、今次大戦に間に合う訳もない。合衆国は農業においても世界最大だが無から有は造れない。

 故に南北米大陸の分断を狙う『B作戦(メキシコ打通作戦)』は発案者側だけでなく日本海軍などからもそれなりに支持されていた。
 まあ、比較されるA作戦(黒海上陸作戦)があまりに投機的過ぎたせいではあるが。
 もしB作戦の計画書が対米戦案の候補として10年前に出されていたならば、日本海軍の士官たちの大半は冗句として受け取っただろうし、5年前なら立案者の入院を本気で勧めていただろう。



 「自分は土木には疎いので断言できないが」

 坊主頭の男は、そう前置きして語り始めた。
 おそらくパナマ運河はあと一年か一年半か、あるいはもっと短い時間で修理と拡張が終わるだろう と。そしてテワンテペク地峡を東西に貫く鉄道は更に早い時期、年内にも完成すると見込まれている。
 更に言えば中米ニカラグアにおいても運河工事が始まっていて、日本政府は開始から4年以内の開通を目指すと宣言した。
 パナマ運河の工事状況やクラ運河の進捗から考えればこちらも予定どおりの完成が可能だと受け取られている。


 「さて、合衆国はその後もカリブ地域の制海権を維持できるかね?」
 「ブリテン島を捨てれば、なんとでも」

 そう遠くないうちに、合衆国は大西洋戦線を縮小せざるを得ない。本国が危ないのだ、ブリテン島を失うことはこの戦争と欧州を失うことだと解っていてもそうするしかない。
 北米本土と英国本土を結ぶ線、大西洋航路を維持しようとする努力が米海軍の資材と人員を削り続けている。この赤字路線を切り捨てないことには海軍再建も合衆国の反攻も不可能だ。

 合衆国が撤退すれば英国、いやイングランド政府は協定諸国側へ鞍替えするだろう。でなければ餓死が待っている。

 そうなれば西欧での戦闘行為は終了する。するが、戦闘は止められても戦争はいきなり止められない。
 肉体が頑健な人物であれば全力疾走後に急停止しても健康に悪い程度で済むが、欧州各国の経済は人体に喩えるなら何処も彼処も病人や半病人だらけな状態なのだ。
 既に死んだも同然の、あるいは死体を柱にくくりつけて無理矢理立たせているような地域すら存在する。
 それらの国家では戦争行為の急停止が致命傷または死体損壊行為になりかねない。

 戦時経済からの軟着陸のために、そしてまさかの逆転劇を許さぬために欧州の各国は英本土が陥落したとしてもその後も暫くの間は戦争状態を続ける必要があった。
 防共協定諸国は、連合して北米を攻めるしかないのだ。少なくとも攻める準備や準備する振りぐらいはしないといけない。嫌だと言おうものなら平沼外相は容赦なく当該国への支援や交易を絞ってくるだろう。

 だが合衆国が真に恐れるべきはただ二つ、日本帝国と大英帝国だけである。他は大陸国家の沿岸海軍と地中海特化海軍でしかなく、大洋を押し渡って戦力を投射し続ける能力を持っていない。
 消耗著しい英国海軍だが、今すぐ戦闘を止め協定諸国側に鞍替えして日本からの援助を受け入れればどうにかこうにか再建できる芽がある。伊達に世界の海を制していた訳ではないのだ。


 「列強国を含んでいても、いえ含んでいるからこそ欧州諸国など恐るに足りません。所詮は烏合の衆です」
 「慧眼だね。烏合の衆に属していただけのことはある」

 白人男の顔から血の気が引いた。日焼けして赤黒くなっている肌が白蝋のように青ざめる。


 「止めろ。俺のことはどう言われても良い、だがあいつらを侮辱することだけは許さん」

 東洋人は余裕を浮かべた表情を消して真顔になった。掌に血が滲むほどに拳を握りしめ怒りを押さえ込もうとしている対戦相手と目を合わせてから、深々と頭を下げる。 

 「君の部下たちを嗤ったわけじゃない。だが謝ろう、誤解を招くような言い方をして済まなかった。どうか許してほしい」

 白人男は深呼吸して息を整える。
 相手の感情を揺さぶるのは交渉の基本であるが、先程のは流石に効いた。
 義勇飛行部隊。僅かな報酬と密やかな栄誉と、血の沸き立つ冒険を求めて集まった若者たち。
 彼らは何も手に入れられなかった。機材や物資を横流しされまともに戦うことすらできずに死んだ。冒険の末路にしても惨め過ぎる最後だった。送り込んだ祖国は彼らを見捨て、嘲笑い、そして忘れ去った。
 遺族が受け取るはずだった給金すら何処かに消え失せ、その責任は現場指揮官に押し付けられた。
 赦さない、赦せない、絶対に、何もかも。


 「こちらこそ、短慮を許して頂きたい」

 僅か数十秒で完全に精神の平衡を取り戻した白人男は、東洋人の謝罪を受け入れたしるしに頭を下げる。
 無論のこと本心から赦したわけではない。忘れることもないだろう。だが今回の情報交換をここで打ちきるわけにはいかないのだ。

 目の前の東洋人は日本海軍の元高官である。つまり合衆国の同類なみに根性の腐れ切った、選良(エリート)気取りの悪党。だがそれだけに体面やなにやらに気を使う立場だ。
 野球に喩えるなら、先程の発言は死球(デッドボール)である。ここは乱闘沙汰に持ち込むよりも一塁へ進んだ方がより高い得点に繋がるだろう。


 「付け加えるならば国民党軍をカラスに喩えることも、できれば止めてください。彼らに何の罪があるというのですか」
 「そうだね、カラスだからといって不当過ぎる侮辱だった」

 何よりも、目の前にいるのは敵だった。仲間を、部下たちを空で殺した戦力を育てた者たちの一人だった。その教育と編制の方針をめぐる対立により古巣を追い出された敵軍の元幹部。
 政敵を科学的でないと誹謗する一方で人相学などの神秘主義に傾倒し、海軍は政治に関わらずを座右の銘としながら誰よりも政治的に活動した矛盾の塊にして、戦闘機無用論を唱えたその口で日本軍海軍エースパイロット達の奮戦を宣伝した変節漢。
 所詮は敵なのだ。過去形であれ現在形であれ、敵でしかない。許す気も容赦する気もないが、認めることはできる。


 「もうご存じかもしれませんが‥‥」

 と前置きして白人男はとある情報を坊主頭の東洋人に渡した。上海は魔都などと呼ばれるだけあって、手に入れようと思えば大概のものが手に入った。逃亡した重慶国民党首領が現在クイヴィシュフにいるという情報の入手難易度はさほど高くない。
 坊主頭の男の方も、中共軍残党に捕らえられた蒋介石が赤軍に引き渡されたという情報を別の経路で手に入れていたが、初めて聞いたというような表情で受け取り、謝意を述べる。



 「おっと失礼、見逃したくない番組があるんでね」

 多少でなく気まずくなった空気を変えるために、坊主頭の東洋人は席を立ってテレヴィジョン受信機を操作した。電波の周波数帯を切り替えて、有線式の操作端末を棚の上に戻す。

 歌番組から切り替えられた短めのニュース番組に続いて流れ始めたのは、日本本土でも人気の娯楽番組である。一般参加者が持ち込む骨董品や美術品などを専門家が鑑定し、値段を付け公表するという内容だ。
 なお、出品者が承諾した場合は、鑑定済み品を番組の制作関係者や一般視聴者が実際に買い取ることもある。


 「貴方は骨董品が嫌いなのかと思っていましたよ」
 「実用品の方を先に揃えたいだけで、好きか嫌いかで言えば好きだよ。先週に一休と蓮如の馬が出たときは驚いたね」
 「私は曜変天目茶碗の本物が出てきたときの方が驚きでしたが」 
 「まさか10万円越え評価が二週続けて出るとはねえ。流石に今回はないと思うが」

 思考の根本が軍人であるため二人とも理解どころか疑問すら抱いていないが、この鑑定番組も日本政府が行っている経済政策の一環である。

 骨董品の価格は有って無いようなものである。需要と供給によって、実用的性能評価とは大きく違う市場価格が付いてしまうことも多い。
 時の権力者が珍重したために、それまでは三流または四流の評価しか与えられていなかった田舎刀匠の駄作凡作が幻の名品扱いされてしまった例すらある。

 逆に言えば美術品は元が粘土や砂鉄や顔料といったそれ自体は安価な物品でありながら、出来映えと宣伝と景気次第でどこまでも高値が付く。
 故に、日本国内で美術品や骨董品に投資する流れを作ることは景気対策として有効だった。納屋や土蔵から掘り出してきた品々を政府やその支援者が銀行振り込みを前提として買い取れば市場を通貨が循環し、博物館に文物が蓄積されるのだ。

 
 「ときに、お国の海軍は骨董品の調達を打ちきったそうですね?」
 「ああ。といっても8つも買い入れた後になってだがね。飾りに使うならその半分もあれば充分だろうに」

 そうすれば超大型空母が8隻揃っていたのに、と坊主頭の東洋人は愚痴る。
 かつて日本海軍が妄想していた八八艦隊、その焼き直し的に計画された対米戦用艦隊建造計画はやはり頓挫した。軍備において妄想は現実に勝てない。もし妄想が現実に勝てば亡国が待っている。
 20世紀半ばに達しても未だ台風に勝てる軍艦は存在しない。海が現実の脅威で満ちあふれているからには、海で現実を認めない者は藻屑と化すしかないのだ。

 故に武蔵型戦艦の建造は8隻で終わり、残る枠の4隻は空母として建造されることになった。それらの巨大空母が戦力化される前に戦争は実質的に終わっている可能性が高いが、軍艦の価値は戦時よりむしろ平時にこそ発揮されるので問題ない。



 「無理もありません、戦艦は解りやすいですからね」
 「確かに。海軍の顔だからなあ」

 サンフランシスコ沖での大惨事とそれを切っ掛けに起きた大小様々な騒動により、40年の晩秋から初冬にかけての時期は日本本土でも少なからぬ動揺があった。クーデターの前兆と判断された集会へ憲兵隊が乗り込んだ結果、銃撃戦に発展した事件すら起きている。
 本土内が身震いすれば新領土や占領地域で大地震となるのは必然であり、この上海でも戦闘と呼べる規模の擾乱が発生した。

 日本本土の動揺は早々に落ち着いたが、その理由の一つに巨大戦艦の勇姿があった。日本海軍が公開し宣伝した、次々と竣工する新鋭戦艦群の存在は素人にも解る海軍力の優位を示していた。
 新鋭戦艦の中でも武蔵級一番艦は本土以外の地域でも沈静化に貢献すること大であった。「史上最も多く自国民を殺した艦」という汚名と引き替えに。
 

 
 「元はといえば、お国の報道姿勢に問題があったのではありませんか」
 「僕は妥当だと思うよ。戦争中に国民へ隠し事をすればそのツケは酷いことになる」

 釜山港が燃えたり太田市中心部の数区画が消し飛んだり上海市の内と外で武力衝突が起きたりした理由の一つは、日本帝国政府がサンフランシスコ沖海戦の被害をほぼ全て公表した事であろう。
 たった一度の海戦で複数の戦艦や空母を含む数十隻が沈められしかも敵は実質一隻のみだったと、大本営は馬鹿正直に発表してしまったのだ。

 現在の首相が陸軍出身であることがこの発表に影響したのか否かはさておいて、元より日本帝国は戦果と被害の発表を正確に行う傾向があった。
 後世の感覚からすると「当時の列強諸国と比較すれば」といったところだが、少なくともこの戦争において日本帝国が存在しない敵艦を沈めたことにしたり、沈んだ船を沈んでないことにした事は、意図的にはしていない。
 潜水艦トートグの撃沈発表が何度も何度も大本営から為され、その度に敵軍から「沈んでない」と訂正される寸劇が繰り返されるという事例も存在するが、故意ではない。

 これも日本的合理主義の表れである。大本営は歴史に学んだのだ。元より日本軍は、長期的に見れば同じ失敗を繰り返さない傾向がある。
 日清戦争の教訓から日露戦争での感染症病死者は激減し、日露戦争の教訓から前大戦の要塞攻略はほぼ無血で成された。戦訓を消化して血肉とする速度が、米国などと比べると遅いだけだ。

 下手に損害を誤魔化そうとすれば、宮城にほど近い公園がまた燃える羽目になる。正直に言ったところでやはり炎上するのだが、どうせ燃えるのなら誤魔化そうとしない方が気が楽だ。
 個人の生活と違い、国家の運営は正直が幸福に繋がるとは限らない。だが逆に嘘が良いと決まったものでもない。嘘を根本にした組織に統治された結果、この世の地獄と化したウクライナやバルト三国などの例もある。
 

 「嘘、ねえ。エンペラーをGOD(神)と教育することは嘘に含まれないのですか?」
 「誤訳と宗教観の違いから来る誤解だよ、それは。日本の宗教観からすれば陛下だけでなく君も僕も神(Spirit)さ。立場や状況により格付けの違いがあるだけで、ね」

 西洋人であっても知識のある者なら、英語のGODと日本語のKAMIが似て非なる概念であることを理解している。
 東洋での生活が長いこの白人男もその程度のことは知っている。先程の会話は軽い嫌味に過ぎない。


 「嘘つきが嫌なら汪兆銘に肩入れなどしなければ良いでしょうに。所詮は奴も蒋介石の同類、同じ穴の狢と狸ですよ」
 「狐でも蛇でも一向に構わんよ。対処不可能のバケモノでさえなければな」
 「裏切られても良い、と?」
 「最初から敵だ。利用価値があるから今は刃向かってこないだけだよ」


 新大陸で生まれ育った者でも現地生活がそれなりに長いと上海の空気も読めるようになってくる。無論個人差があり、読めない者は何年過ごしても読めない。音痴と同じく駄目な者は一生駄目なのだ。
 読める側の新大陸人たちは確たる証拠こそないが察しつつあった。汪兆銘率いる南京国民党は、徐々にであるが反日的傾向を匂わせるようになっている。中華思想を抱く組織である限り、それは不可避の現実だ。

 だが、今は兆しが窺えるに留まっていた。有象無象の諸軍閥と違って他者の惨状から学習できる能力を持つ彼らは、張作霖や蒋介石の末路から迂闊な行動が滅亡に直結すると理解している。
 15万のドイツ式国民党軍を粉砕し、40万の列強植民地軍を蹴散らし、100万の極東赤軍を打倒した日本陸軍と事を構えるのは自殺行為だ。
 事を起こすのは、日本軍が最大動員兵力3000万と目される北米の泥沼に填ってからでも遅くない。それが南京政府の判断であった。


 根本的なところで、中華思想は日本帝国と相容れない。絶対的に相容れない。もし少しでも相容れられるのならば今頃ヒロヒト帝は紫禁城の主であり、北京の住人たちは天安門前広場に集まって皇帝陛下万歳を熱唱しているだろう。

 いずれ遠くないうちに南京国民党は日本に銃口を向ける。だがそれは今日ではない。まず間違いなく来月でも再来月でもない。重要なのはそこだ。来年や再来年はそうでもないかもしれないが戦況次第だ。



 「つまり、この戦争は再来年あたりに終わる、と?」
 「僕はそう見ている。戦を長時間続けると国民が飽きるからね」

 止まない雨はなく、明けない夜もない。
 永遠の平和がこの世にないからには、ファティマで天使が告げるまでもなく永遠に続く戦争もまた有り得ない。
 戦争はいつか終わる。問題はどのように終わるかだ。
 専制国家なら皇帝や僭主が勝利を諦めるまで続くが、民主国家では国民が敗北を受け入れるまで続くのが戦争だ。


 「残念ですが敗北を受け入れるには、双方ともに信用が足りませんね」
 「異人種、異文化、異宗教、異文明。不信要素の九連宝塔だな」


 善良な列強国など存在する訳もない。地獄すら生ぬるいこの現世で今まで生き残ってきた国家は例外なく邪悪の権化なのだ。 
 建国の第一歩からして友好的な原住民への騙し討ちであったアメリカ合衆国は勿論だが日本帝国もまた、前世界大戦での火事場泥棒や上海争乱から満州事変そして日中戦争へ繋がる動きは、清廉潔白などと言えたものではない。
 合衆国人の主流層から見ればヒロヒト帝はチンギス汗の尻尾であり、日本人の主流層からみればルーズベルト大統領はソヴィエト・ロシアさえ手玉に取った悪魔(共産主義)の化身だった。


 「まあ、僕個人としての見解は異なるがね」
 「ほう? どのように?」
 「いや、彼が共産主義者じゃないと言ったのではないよ。私見だがルーズベルト氏は神(GOD)になろうとしている」


 白人男は思わず吹きだした。それを理由の一つとして軍から追い出されてなお、目の前の男はオカルト話に溺れているらしい。
 彼が重用した占い師により飛行士への道を閉ざされた者だけを集め、訓練され編制された航空部隊の奮戦は映画にまでなったというのに、人はそうそう変わるものではないということか。

 「人が主(GOD)に? なれる訳がないでしょう」
 「なれるさ。現にチンギス・ハーンを神と崇める者がいるじゃないか。孔丘を神と祀る者はもっといる。カール・マルクスを奉じている者より多いかもしれん」

 聴き手の表情がやや改まった。続ける価値のある話題かもしれない。
 古来、教祖や君主の神格化はありふれた出来事である。その人物の意思や所業に関係なく。
 ナザレの大工の息子が主(GOD)と同一視されるのは彼が幾多の奇跡を起こしたからではない。彼の思想が世界を、少なく見積もっても西欧・東欧・南米三つの文明圏を今もなお動かしているからだ。


 俗に「十人殺せば極悪人、一万人殺せば英雄、一千万人殺せば神」という。
 古代においては天災などの物理現象そのものが神意として受け取られた。所属する文明圏の人口を割単位で殺戮されたならば、人々がその原因を神か悪魔の化身と考えても無理はない。
 いや、現代社会においてもその傾向はある。もしツングースカの隕石が1908年夏のシベリアでなくその8年後の北フランスにでも落ちていたら、多くの人々がそれを神の怒りと受け取っただろう。

 只の空想ではなく考古学的な根拠がある。天から落ちてきた炎と硫黄に焼き尽くされたというソドムとゴモラの伝説も、それなりの信憑性があるのだ。
 紀元前3100年頃に東地中海付近へ落ちた隕石の余波で死海近くにあった都市群が滅亡した事件が語り継がれ、旧約聖書における記述の元の元となった可能性がかなり高い。各地の発掘調査や古文書などからもそう推察できる。

 人間の認識する数は、普段の生活で触れるものが基準になる。一例を挙げるならば日本神話に登場する冥府の軍勢は千五百名であり、北欧神話において神々の宮殿は八十八の大広間を持つと語られている。
 それらの神話が出来上がった当時、人々が実感を持って把握できるのがその数だったからだ。

 歴史の中では百人規模の殺人者など珍しくもない。白起やハンニバルは数十万を殺している。ならば現代で千の千の千倍以上‥‥十億単位で殺した者の名は後世に神として残るだろう。
 後世があれば、の話であるが。仮に二十億死んだとしたら人類が絶滅しかねない。半分の十億であっても、文明水準は数世紀から十世紀以上後退すること請けあいだ。


 「と、いうか何をどうやればそんなことをやり遂げられると? 大統領が黙示録の喇叭でも吹くのですか?」
 「もし持っているなら躊躇いなく吹く。彼はそういう男だ」

 いかなる意味でもフランクリン・デラノ・ルーズベルトは常人ではない。揺るぎなき正義と信念の人なのだ。‥‥と坊主頭の東洋人は言う。

 「私にはできない。それで祖国が救われるとしても」

 日本にも信念の人と呼ばれた政治家がいた。いたがあの男と比べれば、いや、比較の対象にすること自体が烏滸がましい。
 浜口雄幸による祖国と国民への仕打ちは悪魔が土下座して弟子入りを志願するであろう域に達しているが、ルーズベルト大統領とは蝋燭と太陽ほども格が違う。

 「君にもだ。君は敵も味方も皆殺しにするカラクリなど使わぬ男だ。その点で私は君を信じている」
 「それは、そうですが」

 これを持っていきたまえ、と坊主頭の男は分厚い書類の束を取りだして渡した。それは北米から送られてきたマイクロフィルムの中身を書き写した報告書であり、マイクロフィルムそのものの複製も添付されている。
 内容は生存している中では世界で一番有名な科学者が書いた警告文だ。表向きは彼らの属している陣営の敵、つまり日本側が試みた場合を想定したことになっている。



 「正気の沙汰とは思えませんな、これは」
 「いかにもその通り。だが、合衆国ならやろうと思えば実行できるだろう」

 ざっと書類を読み終えた白人男は、溜息と共に肩を落とした。
 内容は理解できる。出来てしまった。上海では数日から十数日遅れとなることも多いが東京や大阪で出版された書籍の殆ど全てを購入できる。彼も日本の新聞や科学雑誌を読み込んでおり、その中には核分裂兵器に関する考察を載せたものもあったのだ。

 大量のウラニュウム鉱石と遠心分離器、そしてそれらを使う労力と資金があれば、まとまった量の高純度ウランを精製できる。
 合衆国海軍がウラニュウム合金弾を使って大戦果を挙げたことは確かであり、ウラニュウム合金の主原料は放射性ウランを搾り取ったあとの残り滓だ。

 アメリカ本土には既に高純度ウラニュウムが、核反応爆発兵器を試作できる規模で存在していてもおかしくない。
 ウラニュウム爆弾一発当たりの破壊力は推定でTNT爆薬数千トンから数万トン程度。この威力では10発や20発を使用されたとしても人類を死滅させるには到底足りない。
 だが、もしもこの書類に記された方法が実行されたならば‥‥。


 「我々、日本側は使うまでもない手だがルーズベルト氏にとってはどうかな」
 「これを私の伝手から流すことはできます。ですが効果があるかどうか」

 確かにこれを行えば全人類、いや地球上の生命体の殆どが死滅しかねない。だがあまりにも荒唐無稽すぎる。
 日本帝国がシリウス星系から来た地底人と組んでいるという内容で流した方がまだ、信用する人数は多いだろう。
 殆どの人間にとって、核分裂爆弾の存在自体が幻想(Fantasy)に過ぎない。20年以上前の大戦で大暴れした航空機ですら、主力兵器になったことを人々が認めたのは今次大戦が激化してからだ。
 人は実感できない威力に脅えることはない。殆どの合衆国人にとって、地震ですら絵空事の危険に過ぎないのだ。

 
 「確か君は 日本軍の航空機は木と紙でできている と報告したことにされていたな、そういえば」
 「そう改竄されて、肝心の部分は握りつぶされましたよ」

 まだ合衆国陸軍に属していた頃、白人男が本国へ送った報告書に「日本軍の一部機体が、驚異的な性能を持つ植物由来の新素材を採用している」と書いたのは事実である。
 世界初の航空機は木材の骨組みと布張りの翼を持っていた。現在でも一線級軍用航空機に木材など植物由来の素材を採用している軍隊は少なくない。赤軍の新鋭戦闘機や英国空軍の新鋭爆撃機は殆どの構造材が木製だし、日本軍の飛行爆弾梅花の主翼は合板だ。

 三菱98式艦上戦闘機に使用されている新素材は木材よりもむしろ紙に近い。特殊な処理をした木材パルプを高圧圧縮したものであり、鋼鉄以上の強度と粘度を持ちながらアルミニュウムより軽い。

 件の新素材は水や紫外線に弱く劣化しやすいなどの欠点はあるが画期的なものである事は間違いなく、報告書を送った側は本国で研究されることを期待していた。
 だが輸送中に新素材の現物が紛失した事と義勇兵部隊大敗の原因を指揮官個人の無能と不正と結論付けた欠席裁判の結果などにより、新素材の存在は責任を誤魔化すための妄言と扱われてしまった。

 更に悪いことに一部の新聞社などが複数の人物が行った発言を特定の人物一人が行ったかのように読めてしまう飛ばし記事を掲載して売りまくった。
 結果「義勇飛行隊は司令官の横領により戦闘能力を発揮できず、日本軍の木と紙でできた旧式機部隊に敗北し、司令官は横領した活動資金を持って逃亡した」という流言飛語(デマゴーグ)が流れた。
 ルーズベルト大統領は重慶政府への支援を続けるためにこのデマゴーグを認めるという高度な政治的判断を行い、義勇飛行隊の名誉は地に落ちた。司令官個人のは地獄までめり込んだ。故にそれ以降地獄の住人となった。
 

 「突拍子もない話だとは思うよ。空想科学映画だってもう少し現実味がある」
 「いえ、充分に有り得るでしょう。貴方がルーズベルト氏を知っている以上に、私は彼を知っているので」
 「では、やってくれるかね」
 「ええ。自称友人や自称親族ですら増えれば増えるほど厄介になりますからね、まして主となれば唯お一人で充分過ぎます」


 この書類を複写して北米地域へばらまいても大した効果はないかもしれない。渡した方もさほど期待してないだろう。だがやる。
 知人から迂回すれば陸軍の方になら回せる。彼の評判は、偽情報が蔓延している市井では最悪を更に下回っているが、そのぶん事の真相を知っている陸軍航空系の将校たちから同情や義憤を集めていた。現大統領へ反発する者たちは特に激しく。

 組織の根幹までアカに汚染されてしまった現在の米陸軍ではクーデターなど起こせないだろうが、将兵のなかに一人でも二人でも怠戦する者や脱柵する者が出るなら無意味ではない。
 戦局には何の影響がなくともその個人には無限大に意味がある。最悪でも大統領の妄想のためではなく、自分自身のために死ぬことができる。それは救いである筈だ。


 「では宜しく頼む。クレア・リー・シェンノート大佐」
 「了解しました、山本五十六予備役少将殿」





続く。



前を表示する / 次を表示する
感想掲示板 全件表示 作者メニュー サイトTOP 掲示板TOP 捜索掲示板 メイン掲示板

SS-BBS SCRIPT for CONTRIBUTION --- Scratched by MAI
0.039580106735229