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No.39716の一覧
[0] 【WW2・時空犯罪・日本魔改造・蹂躙】名無しの火葬戦記【作者にネーミングセンスはない】[峯田太郎](2021/06/14 12:11)
[1] その一『ハル長官の憂鬱』[峯田太郎](2020/11/01 13:02)
[2] その二『ヒトラー総統の童心』[峯田太郎](2021/06/14 12:13)
[3] その三『アメリカの夢と悪夢』[峯田太郎](2021/06/14 12:17)
[4] その四『ポーランド戦線~義勇兵と解放軍と、毎日、最大の敵』[峯田太郎](2020/11/01 13:02)
[5] その五『チャーチル首相の偏屈』[峯田太郎](2020/11/01 13:01)
[6] その六『太陽の国から来た惨いヤツ』[峯田太郎](2021/06/14 12:11)
[7] その七『幻想の帝国』[峯田太郎](2021/06/14 12:17)
[8] その八『戦争の冬、ロシアの冬』[峯田太郎](2020/11/01 13:05)
[9] その九『雪と老嬢』[峯田太郎](2021/06/14 12:18)
[10] その十『ムッソリーニ統帥の愉悦』[峯田太郎](2021/06/14 12:17)
[11] その十一『カップ一杯の温もりを』[峯田太郎](2021/06/14 12:16)
[12] その十二『変わる大地』[峯田太郎](2021/06/14 12:14)
[13] その十三『天国に涙はない』[峯田太郎](2020/11/01 13:09)
[14] その十四『とある老教師の午後』[峯田太郎](2021/06/14 12:15)
[15] その十五『兵は詭道なり』[峯田太郎](2021/01/02 12:56)
[16] その十六『経度0度の激闘』[峯田太郎](2021/06/14 12:13)
[17] その十七『英雄の名』[峯田太郎](2021/06/14 12:15)
[18] その十八『千の千の千倍の‥‥』[峯田太郎](2021/06/14 12:14)
[19] その十九『上海の夜』[峯田太郎](2021/06/14 12:16)
[20] その二十『マンハッタン島の取り引き』[峯田太郎](2021/01/02 12:55)
[22] その二十一『終わりの夏、夏の終わり』[峯田太郎](2021/06/14 12:12)
[23] その二十二『また会う日まで』[峯田太郎](2021/06/14 12:12)
[25] その二十三『未知の昨日、既知の明日』[峯田太郎](2021/06/17 11:02)
[26] その二十四『いまなお棚引くや、故郷の旗よ』[峯田太郎](2021/06/17 11:02)
[27] その二十五『テキサス大攻勢』[峯田太郎](2021/06/17 11:03)
[28] 『番外、資料編』[峯田太郎](2021/06/14 12:19)
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[39716] その十三『天国に涙はない』
Name: 峯田太郎◆cbba1d43 ID:8bf7f0f1 前を表示する / 次を表示する
Date: 2020/11/01 13:09






            その十三『天国に涙はない』





  【1940年9月3日午前06時10分 ハワイ諸島オワフ島近海】

 


 太平洋の空を、朝日を浴びつつ幾つもの飛行物体が飛んでいく。
 それに翼はあるが羽ばたかない。それは呼吸し鳴き声もあげるが鳥ではない。

 それに命はなく、意思もない。
 だが頭脳はある。単純極まりないその頭脳はたった三つのことにしか使われない。
 真っ直ぐに飛ぶこと。飛んだ距離を測ること。あらかじめ決めた距離を飛んだら動力を止め墜落すること。その三つだけだ。

 全体の印象は飛行機のように見える。いや実際の話、あえて分類するとしたら飛行機に分類するしかない存在だ。
 全長8メートル程の葉巻型胴体の横に翼を生やし、後部上面に筒型のパルスジェットエンジンを取り付けた玩具のようなこの飛行物体は、製造者たちから「V1号兵器」と呼ばれていた。あるいは「空技廠98式特殊飛行標的乙型」とも「98式無人攻撃奮進機梅花」とも。
 Vは勝利(VICTORY)のVである。 


 遙か上空から俯瞰すればこの無人兵器が、爆薬と燃料の塊を軟鉄板と合板で被い、同じぐらい安っぽい翼と発動機と制御装置を付けただけの代物がオワフ島北北東300キロ前後の海域からオワフ島南部の真珠湾を目指し列を作って飛んでいる様子を確認できただろう。
 アリの巣から餌場に伸びる行列のような連なりは、蟻のものと違って巣と巣が仲良く隣接していた。当然ながらその列も副列になる。
 横風などの影響もあってその列は崩れ気味だが、お行儀よく飛ぶことが彼らの役割ではないのでこれで充分だ。

 V1号兵器の役目、それは第一にF2AやF4FやP40といった合衆国陸海軍の主力戦闘機では容易に追い付けない時速600キロ以上の速度で飛ぶことである。
 この無人兵器が飛んで来るからには、オワフ島に配備された少数の高速戦闘機はその対処に当たらなければならない。
 並の戦闘機では迎撃は難しいが、P38などの高速機なら簡単に始末できる。なにしろ無人機なのだ、敵機が真後ろから接近しても逃げも反撃もしない。簡単に撃ち落とされてしまうだろう。

 ただ、あまりに炸薬量が多いので近くで撃つと爆発に巻き込まれることもある。なので遠方から撃たねばならない。遠距離から撃てば命中率は落ちる。つまりその分迎撃側の銃弾が消耗する。
 これは防衛側の新鋭戦闘機を引き付けることで、侵攻側戦力の被害を低減するために用意された兵器なのだ。特に大型の爆撃機や飛行船など人が大勢乗っている兵器の被害を。


 陸戦と違い航空戦では、手持ちの弾が切れたからといって近くの味方や敵から「ちょっと借りとくぜ」と調達する訳にはいかない。基地に戻って補充するしかないのだ。
 弾を撃ち尽くして補充に戻っている最中の戦闘機は戦力にならないし、戦闘機が失われる原因の一番は敵機との空中戦ではなく離着陸時の事故であり二番目は空襲による地上撃破だ。
 迎撃機が基地に帰る回数と留まる時間が増えれば増えるほど侵攻側にとって有利になる。それにくわえ作業量が増えれば増えるほど整備部隊も消耗する。

 かといって、放置していては一発あたり数百キロの炸薬が真珠湾かホノルル市か、とにかくオワフ島のどこかで炸裂するので無視もできない。無視されたらされたで、適当な位置で墜落して敵に被害を与えることが無人飛行爆弾の第二の役割だ。
 V1号兵器こと梅花のコストパフォーマンスはどんな爆撃機よりも圧倒的に安上がりなのだ。なんといっても人が乗っていない分戦死者が出にくい。

 戦記物などで「熟練操縦士は同じ重さの黄金よりも貴重だ」と言われるが、これは全くの事実であり誇張ではない。
 操縦士と競馬の騎手は1グラムでも軽い方が良いが、操縦士の体重が日本人の平均よりやや重たい60キログラムだとして計算してみよう。
 仮に黄金1グラム1円の相場だとしたら、60キロの金塊は6万円相当の価値となる。たかが6万円なのだ。1グラム2円だとしても12万円である。
 今時の航空機、1940年下半期に第一線部隊に配備される新鋭機は機体の調達費用だけでも2万円はする。発動機の値段は機体と同等かさらに高い。実際にはこれに維持費も加わる。
 そして操縦士の値段は機体より高い。操縦士を一人前に育てるには機体の調達費用よりも金銭が要るからだ。

 短期間の促成栽培で腕が上がるのは才能に恵まれた者だけだ。普通の人間は一日あたり1時間からせいぜい2時間程度の飛行訓練を繰り返し、累積した飛行時間が何百時間にも達するまで飛び続けることである程度の技量を手に入れる。
 どの程度で一人前と見なすかは所属する組織によって異なるが、一般的には500時間程度の飛行経験がなければ実戦投入は難しいとされている。
 100時間では飛び立つだけで命がけ、200時間では飛んで帰ってくるのがやっと、戦闘の真似事が出来るようになるには300時間以上の経験が要る。熟練と呼べるようになるには800から1000の飛行時間が必要だ。

 当然ながら燃料を使わないと練習機は飛ばないし飛行機は飛ばし続けていれば何処かが必ず壊れる。大事に倉庫にしまっておいても壊れることは壊れる。
 そもそも現用航空機の主材料であるアルミ合金は、時間とともに強度が落ちていく性質を持つ。
 陶磁器と同じく地面に落とせばまず間違いなく壊れるし、陶磁器と違って落とさなくても使わなくてもいずれ壊れるのが航空機なのだ。
 
 燃料や部品代だけではない。どんなに圧縮しても半年やそこらはかかる実地の訓練期間中ずっと、操縦士候補生も教官も練習機の整備員も基地の警備兵も事務員もそれらをまとめ上げる管理職も、飯を食うし風呂にも入る。給料だって支払わなければならない。
 これが意外と馬鹿にできない、近年の日本社会は景気の上昇もあって高賃金高物価の傾向があるからだ。その他様々な費用も計算に入れれば、どう遣り繰りしても操縦士一人を育てるのに数万円の費用が掛かる。

 一人前の操縦士が少なくとも万円単位の価値があるなら、一人で並の操縦士数人分から十数人分の働きをしてくれる熟練操縦士が黄金よりも貴重だというのは誇張でない。むしろ過小評価である。


 迎撃に飛び上がった側から見れば、無人爆弾を放置はしたくないが手持ちの弾は惜しいし近距離射撃の結果爆発に巻き込まれるのも嫌だ。
 となれば勇敢で腕に自信のある戦闘機乗りは、無人飛行爆弾に接近し自機の翼で軽く接触して平衡を狂わせ墜落させる‥‥という手段を思いつき実行に移すかもしれない。
 もしそうなった場合、飛行爆弾は失速して墜落を開始した途端に爆発する。

 V1号の機首部分には小型ラジオの親戚である特殊な信管が取り付けられていて、発射後数分でその信管は目覚める。そして一度目覚めたならばその信管は電波を発信して、己の放った電波の反射がある一定量を超えてから減退し始めると起爆する。
 つまり、V1号は飛行中に航空機など大型の金属塊が数十メートルの距離まで接近した後に離れようとすると、その瞬間に数百キロの炸薬が爆発するのだ。
 これは後に電波式近接信管として知られるようになる技術である。言うまでもなく、勇敢で機転の効く飛行機乗りをその場で仕留めるために考え出された兵器だ。

 合衆国でも一人前の飛行機乗りを育てるには万ドル単位の資金が要る。それを一発あたり二百円しない飛行爆弾で仕留められるのなら万々歳である。
 もっとも開発費や周辺機材の費用も入れれば梅花一発あたりの費用は何割か高くなる。故に日本海軍はとにかく大量に飛行爆弾を射出して元を取るつもりだった。量産効果を実感するにはとにかく数をこなさないといけない。

 無論のこと、無人飛行爆弾にも弱点はある。兵器であるからには当然だ。
 一例をあげれば、この信管はアルミニュウムや錫などの薄い金属皮膜を空中に散布する妨害電纜(チャフ)や阻塞気球に弱い。それらの空中に浮かぶ電波反射物と接触しても信管が作動してしまうからだ。

 しかし、初陣ならば問題ない。
 合衆国の工業力は世界に冠たるものであるし、国民の工業的素養も高い。軍を含め行政機関の対応も速い。
 だが、いかに合衆国といえどハワイ攻略艦隊がこの日世界で初めて実戦で大規模使用する無人飛行爆弾の群への対抗手段は用意できない。
 ハワイ攻略戦において、のべ五千発以上打ち込まれることになる新兵器への対抗手段を、一日や二日で考えつき造り上げ充分な数を揃え、実戦部隊に配備することは不可能なのだ。

 
 飛行爆弾を送りだした、そして今もせっせと後続を送り込み続けている日本軍ハワイ攻略部隊は、無人兵器の群を先頭に押し立ててオワフ島に攻め込む。
 そして遅くとも三日以内に、できることなら攻撃開始したその日のうちにオワフ島の航空戦力を無力化する予定だった。

 一人でも多く敵兵を、それも高度な教育と訓練を受けた本職の軍人を殺傷し敵の継戦能力を奪う。
 それが開戦以来日本軍が実行し続けている対合衆国用の戦法だった。無人飛行爆弾はこの戦法に適した兵器である。なにしろ無人だから味方の死者がそれだけ減る。

 この日のために開発され製造され量産され配備され運搬された無人兵器の疎らな行列は、三々五々と雲の下をくぐって敵根拠地を目指す。
 それは戦争の有り様がまた一つ変わったことの証明だった。





     ・・・・・




 日米の開戦から約8ヶ月、そしてイギリスとついでのオランダとベルギーが参戦してから約3ヶ月が経過した。
 この3ヶ月大英帝国+おまけ2国はやられっぱなしだった。1ヶ月で香港が包囲され、シンガポールを失い、そしてジャワ島やスマトラ島など東南アジアの殆どの地域が日本軍により占領され、現地には雨後のタケノコなみに新政権が発足した。

 ちなみに仏領インドシナは現地政府の判断で日本軍の進駐を受け入れ、後にヴィシー・フランス共和国に合流した。

 2ヶ月目の終わりが近づいた7月の下旬、在比米軍もろともフィリピン政府が降伏する。マッカーサー在比米軍司令官兼フィリピン軍元帥は「私は部下達と運命を共にする」と、日本政府によるフィリピン臨時政権首班への指名を断り捕虜となった。


 2ヶ月が過ぎ、オーストラリアとニュージーランドは英連邦からの離脱と同時に日本との同盟樹立を宣言する。以後この二国は日本帝国の仲立ちによって協定諸国との講和交渉を続けることになる。
 英国から見れば裏切り行為だが、離脱した両国から見れば普段からさんざん搾取した上に戦争に巻き込んでおいて援軍も寄越さない宗主国に立てる義理はない。
 誰かを裏切った者が誰かに裏切られるのは当然ではないか。本人が落ち目なら尚更だ。

 落ち目どころか大英帝国は破滅の坂を転がり落ち続けていた。3ヶ月目に入りオーストラリアの支援を受けた日本軍はインド洋の制海権を瞬く間に奪取しセイロン島を制圧、現地に潜水艦根拠地などの拠点を構築しつつ中東及びアフリカ東岸への通商破壊を開始したのである。
 この動きに呼応して決起した反政府軍の早期鎮圧に成功したから南アフリカは落ちずに済んだが、インドはそうもいかなかった。

 インドでは穏健派から急進派まで無数の独立運動勢力がデモ行進や決起集会や独立軍蜂起を開始しており、補給の途絶えたインド駐留英国軍では最早統治を保証することは不可能となりつつある。
 放置しておいても半年以内に、日本軍が進駐を開始すれば瞬時に大英帝国は崩壊する。かの国が名乗る帝位はインド皇帝なのだから、インドを失えば帝位は名乗れない。


 地中海の戦いは決着がつきつつあった。3ヶ月待たずして地中海方面の英国軍空海戦力は崩壊したのである。陸軍はまだカイロとスエズ運河付近で粘っているが、補給が途絶えた以上降伏は時間の問題だ。
 この3ヶ月ちかくの間に地中海の英国籍の軍艦は残らず沈没し、今は僅か数隻の駆逐艦と補助艦艇がカイロ港にあるだけだ。その残された数隻もおそらくは3ヶ月目が終わる前にイタリア空海軍の攻撃で沈められるだろう。


 援軍はこない。補給もこない。
 マダガスカル島はドゴール将軍が率いる愛国フランス戦線に制圧されている。愛国戦線そのものはフランス植民地やその他の国々から寄せ集められた志願兵たちによる弱兵部隊に過ぎない。この場合戦闘能力そのものは期待されていないからそれで構わないのだが。

 志願兵たちの士気は高いが、ろくな統一訓練もしていない部隊に戦闘力を期待する方が無理だ。なので後援者である日本帝国は陸海軍がそれぞれ飛行師団と航空艦隊をマダガスカルへ送り込んでいる。航空戦力を守る陸戦部隊も。
 日本軍と比べると量では見劣りするが、愛国戦線にも航空戦力はある。
 主にドイツ軍の捕虜収容所から一人あたり物資いくらで引き取った操縦士や基地要員たちで構成されるこの飛行隊は、未だにまともな分列行進(パレード)ができるかどうかすら怪しい愛国戦線陸兵部隊に比べれば遙かにマシな戦力だった。

 それらの航空戦力による遮断だけでも厄介なのに、つい先日マダガスカル島に建造された海軍根拠地には日本海軍の潜水艦部隊が進出してきた。インド洋でも連合国海軍の立場は弱くなる一方だった。


 瀕死の英国海軍はもちろん、主力艦の殆どがドックか海底に留まったままの合衆国海軍にも南アフリカを救う力はない。半年後や1年後はともかく、現在の大西洋艦隊は東海岸とブリテン島の連絡線を維持するにも四苦八苦の有様だ。
 ケープタウン沖が日本軍の撒いていった繋留機雷で充満していても、申し訳程度の掃海艇を送るので精いっぱいだ。インド洋を押し渡って上陸作戦中の日本軍を叩きのめしてソコトラ島を救援することなどとてもできない。
 ましてスエズやカイロに至っては、辿り着くことですら奇跡が必要だった。

 ジブラルタル要塞は協定諸国軍に制圧された。スペインを牛耳る国粋派政府は8月10日をもって連合国に宣戦布告し、奇襲攻撃をかけてイベリア半島南端を奪回したのだ。当然ながらジブラルタル海峡も協定軍が確保した。
 宣戦布告と同時の攻撃は国際法違反だが、英国がイタリアにやったことと同じ事である。「英国を放置しておけばいずれ我が国も同じ目に遇う、ならばこちらから仕掛けるべし」というフランコ将軍の言葉にスペイン国民の大半は賛同した。もしくは積極的に反対しなかった。

 伊仏西の地中海主要国陸海空軍そしてドイツから送られてきた航空隊や空挺部隊などの猛攻により、地中海の英国拠点は次々と陥落した。マルタ島も落ちた。ギリシャやトルコなど地中海に面した国々は協定諸国につくか、中立を保った。


 通商路を守る海軍として、英国海軍も合衆国海軍もその能力は決して低くなかった。むしろ両国ともに世界屈指、全世界で三本の指に入る優秀な海軍だった。
 だがしかし、いくら潜水艦や商船改造の特設巡洋艦や少数の航空機への対処能力が高くともそれだけでは無意味だ。
 海上護衛能力だけが高くても、それだけでは艦隊空母や高速戦艦による通商破壊を防げない。高速戦艦は空母を除いた水上戦力に対して最強であり、艦隊空母は高速艦隊による奇襲以外の水上戦力に対して無敵だからだ。

 もちろん自分と同質同等の敵なら話は別だが英国海軍にも合衆国海軍にも、戦艦や艦隊空母を船団護衛に貼り付けるような戦力の余裕は残っていなかった。
 実を言うと元から合衆国には日本海軍基準で言えば高速戦艦なるものは存在しない。30ノット出ない戦艦は日本海軍から見れば高速戦艦ではないのだ。


 協定諸国軍の潜水艦や特設巡洋艦や飛行艇による通商破壊に苦戦していた連合国海軍は、それに加えて勢いに乗る協定諸国特にドイツ戦艦部隊と正面から戦わねばならなかった。

 それは余りにも無理があった。
 よく訓練された最新鋭の高速戦艦と五分に渡り合えるのは、同じ程度によく訓練された最新鋭の高速戦艦だけだ。そしてよく訓練された空母部隊なら高速戦艦に対しても優位に立てる。
 巡洋艦や駆逐艦では、余程の数の差がなければ戦艦には勝てない。というか5倍や10倍の差で巡洋艦や駆逐艦に負ける戦艦は戦艦ではない。よく言って「戦艦のようなもの」だろう。

 この時期の連合国海軍には、そんなもどきの紛い物を含めてすら僅かな戦艦しか残っていなかった。空母はそれ以上に希少である。
 もしもこの数隻を戦闘で失えば取り返しがつかない。艦は旧式の役立たずであっても、乗っている者たちは違う。
 彼らは再建される海軍部隊の中核となる貴重な人的資源だ。失えば海軍主力部隊の再建が更に遅れることになる。合衆国にも、高度な教育と訓練を受け経験を積んだ船乗りを量産できる工場はないのだ。
 なので高速戦艦と空母を使い通商破壊や根拠地攻撃を繰り返す協定諸国海軍に対して、連合国海軍は巡洋艦と駆逐艦の群をぶつけて対抗させるしかなかった。

 当然ながら、連合国艦隊は協定諸国海軍の高速戦艦群に蹴散らされた。
 それはそうだ。巡洋艦や駆逐艦で戦艦に勝てるのなら、戦艦を造る海軍など存在しない。

 現場の連合国海軍将兵は勇敢だった。むしろ勇敢に過ぎた。羊の群を守ろうとして牧羊犬たちは皆、羊たちと共に死んだ。
 彼らにまともな武器が、せめて普通に爆発する魚雷があれば違ったかもしれない。
 だがしかしこの3ヶ月はもちろん、開戦以来合衆国海軍が使っていた‥‥もとい使わされていた魚雷は、特に水上艦艇や潜水艦が使わされていた魚雷は戦史に残るゴミ兵器だった。



 
  【1940年10月11日 アメリカ合衆国西海岸 サンフランシスコ郊外】 


 
 「実際、バルバロッサは普通に沈みましたからね」
 「まあな。いくら旧式機とはいえ一度に40機以上の雷撃機に集られたら、俺でも逃れられんぞ」

 古びたケーブルカーが名物の街は、名物の存在で解るとおり坂の街である。当然ながら郊外には幾つも丘がある。
 その丘の一つには小さな墓地があり、丁度二人の男が墓参りを終えたところだった。

 一人は年の頃60前後の、初老の男。合衆国海軍の軍服姿だ。階級章は中将。
 小柄だが活力に満ちた、誰が見ても解りやすい闘志を感じさせる顔つきである。いかにも歴戦の強者と思わせる船乗りの顔だ。

 もう一人は長身痩躯で理知的な顔立ちをした、30代後半の男。こちらも海軍軍人である。階級章は中佐。
 痩躯というのは合衆国の水準で言えばの話であり、たとえば彼らと戦争中の島国の基準でいえば充分以上に逞しい体つきだ。
 この国にも「青白きインテリ」と呼ばれるべき層はいなくもないが、この男はそうではない。彼の肉体はその知性と同じく骨太である。


 二人が話題にしたバルバロッサとは、ドイツ海軍のフリードリヒ大王級戦艦の二番艦である。先月上旬に実戦配備された新鋭戦艦であったが、その軍暦は一月も持たなかった。
 兄弟艦のフリードリヒ・デア・グロッセと共に北大西洋で通商破壊を行っていたバルバロッサは、必要以上に陸地(ブリテン島北部)に接近してしまいソードフィッシュ雷撃機の一斉攻撃を受け沈没したのだ。
 次兄のあっけない死を教訓として、三番艦のモルトケは充分な完熟訓練を行ってから戦線に参加することになる。いかに強力な対空火器を搭載していても、使いこなせなくては意味がない。

 数波合計百機余りで押し寄せた英国軍の旧式複葉機が放った航空魚雷は特筆すべき長所を持たない平凡な代物だったが、同時に特筆すべき短所も存在しない堅実な兵器だった。
 合衆国海軍が使っていたような、まぐれが起きない限り直進せず命中しても信管が破損していない限り爆発しないなどという屑魚雷ではない。

 他の兵器はともかく、英国軍は合衆国製魚雷の供与だけは拒んでいた。頑なに拒んでいた。合衆国の魚雷を使うぐらいなら不足しがちな自国製魚雷の配備を待つ方がマシだと断り続けていた。
 実際の話合衆国の魚雷は、日本との戦争前から造られ備蓄されていた魚雷は、開戦から9ヶ月間に渡って造られ続けた魚雷は欠陥品だった。
 なかでも水上艦と潜水艦で共有装備となっていたMk14魚雷はどうしようもない欠陥兵器だった。

 戦間期から二次大戦勃発前に開発された合衆国製魚雷には共通した欠陥が存在した。水流の変化に弱くすぐに進路がずれてしまう上に、信管が欠陥品で命中しても作動しないのだ。
 航空魚雷にも共通部品として使われていた接触式信管は「故障していれば命中したら爆発するかもしれない」というとんでもない代物だった。
 Mk14魚雷に搭載された磁気感知式の信管は更に質の悪いしろものである。爆発するのだ。命中しなくとも、発射しなくとも。

 問題のこの磁気信管は調節が非常に難しく、調節しても時間と共に狂い出し、狂い出し方によっては再度の調節を試みた瞬間に信管が起動する。事実、ガトー級潜水艦アルバコアなど磁気信管の異常で失われたと思われる艦艇は少なく見積もっても10隻以上に及んでいる。
 そして完璧に調節しても信頼性が低すぎた。敵艦によるもの以外の磁気変動を拾って何もない水中で自爆することもあれば、敵艦の船体にめり込んでも爆発しないことさえある。
 日本帝国の資料には総計7本にも及ぶ魚雷でメッタ刺しにされた貨物船がそれでも味方の港湾まで逃げ込んだという例が、写真付きで残った程だ。


 当然ながら「こんなもの使えるか」「まともな魚雷をよこせ」と現場から怒りの声が挙がったが、海軍兵器局は頑として魚雷が欠陥品であることを認めなかった。

 戦死したハズバンド・キンメル提督の後を継ぎ、太平洋艦隊司令長官となったチェスター・ニミッツ提督は元々潜水艦が専門だった。
 魚雷の信頼性云々と聞いて関心を持つのは当然であり、極めて有能な司令長官である彼が直々に編制した調査チームは調査開始から一月足らずの間に合衆国製の魚雷が欠陥品であることを突き止めた。
 だが、魚雷の製造元も設計者も「現場の言い逃れである」「海軍が自らの無能と臆病を魚雷のせいにしている」と主張して譲らなかった。

 開戦前は腐れ魚雷を秘密兵器と称しろくに訓練もさせず、実戦で証明された欠陥を頑として認めない開発・製造側に対するニミッツ提督の怒りは激怒とかそんな生易しい言葉で表現しきれるものではなかった。
 一時期の太平洋艦隊司令部では「トンプソンマシンガン片手に兵器局へ殴り込みかけようとする司令長官をスブルーアンス提督が羽交い締めにして止めているのを見た」という噂話が、知り合いがその知り合いから聞いた話としてまことしやかに語られた程だ。
 無論のことそれは無責任な噂話であり事実ではない。実際に抱きついて止めていたのは情報参謀のロシュフォート中佐である。


 ニミッツ提督の趣味の一つは射撃であり、集中力維持とストレス発散のために司令長官となってからも毎日射撃を行っていた。一々射撃場まで行く時間が惜しいので司令室の隣りに射撃場を造らせた程だ。
 なのでニミッツ提督は執務用の机から立って歩いてドアを二枚くぐれば銃が撃てる環境にある。
 ちなみに射撃場の標的(ターゲット)に貼りつけられている写真は永田首相や豊田連合艦隊司令長官のものではなく、ノックス海軍長官やスターク大将など米海軍高官たちのものである。キング中将の写真は本人が戦死してからは貼られていない。


 結局この問題は今ある魚雷の問題を解決するのではなく、兵器局の息がかかっていない設計者に新型魚雷を作らせてその魚雷を正式兵器として採用させるという手段で解決された。
 新型魚雷の開発を依頼されたアインシュタイン博士たち研究チームは依頼から3ヶ月余りで新型魚雷の開発を完了し、増加試作された新型魚雷は、何よりもその信頼性と量産性でニミッツ提督たち海軍将兵を狂喜させたのだった。
 今度はきちんと作動する磁気信管付きである。事実としてこの魚雷が出回り始めてから日本海軍をはじめ協定諸国の船舶損失グラフは大きく跳ね上がるのだ。
 兵器局としても内心はどうあれ、性能緒元(スペック)で全般的に優るうえに調達費用が半額近くまで下がった新兵器を不採用に追い込む事はできなかった。なにしろ敵は大統領直属の研究チームである、成果を握りつぶせる相手ではない。


 「光が曲がるの棒が縮むの、訳の解らんことばかり言う奴かと思ったがちゃんと仕事できるんだな」
 「アインシュタイン博士は物理と数学の大家ですからね」

 物理も数学も実学の極みである。新兵器開発だけでなく、戦争の様相とその因果を究明するオペレーションズリサーチなどの研究は直接的に合衆国の戦力を高めていた。ノーベル賞科学者は伊達ではない。
 実際には彼一人の功績ではなく彼の名の下に集まった者たち全員の功績なのだろうが、こういうことの注目が中心人物に集まることは珍しくもない。

 
 魚雷がまともになった。それ自体は喜ばしいが、それだけでは戦局はひっくり返らない。


 1940年9月3日、日本軍は遂にハワイ攻略作戦を開始する。日本側の思惑としては6月までには実施したかったようだが、英国の参戦やらなにやらで遅れていたのだ。
 上陸を図る攻略部隊は牛島満中将を司令官とする第21軍(軍団)。それに海軍特別陸戦隊第1連隊と第2連隊。
 合計四個師団分、7万人強の大兵力ではあるが攻略対象のオワフ島には合衆国の陸海軍及び海兵隊の精鋭が10万人近く立て籠もっている事を考えればいささか少なすぎる人数だ。

 攻者三倍の法則によれば30万人、そこまでいかずともせめて防衛側の倍はなければ攻略は難しい。少なくともより苦労する。
 しかし同時に幾つもの戦線を抱えている日本帝国に戦力の余裕は少なく、ハワイ攻略は上記の陸上戦力で試みられることとなった。
 もちろん海の上を歩いて行く訳にはいかないので、船に乗り空海の護衛を付けて運ばれることになる。


 ハワイは合衆国陸海軍の重要拠点である。なかでもオワフ島の真珠湾は本土のノーフォークやサンディエゴと比べ海軍根拠地としての格は一歩劣るものの、金城湯池の大要塞であった。
 日英開戦から二週間足らずで陥落してしまったシンガポールなどとは規模も防御力も桁違いだ。

 現在の太平洋艦隊に稼働する大型空母はない。だがオアフ島各地に散らばる飛行基地は艦隊空母数隻分の戦力として換算できる。
 海上戦力に対する陸上要塞と砲台の優位は言うまでもない。艦は沈むが砲台は沈まないのだ。
 戦闘区域の測量が完璧であることや照準装置の数と精度が艦船に積んであるものとは比較にならないこと、艦船と違い波風による動揺がない事などを考えれば、攻撃力でも陸上砲台は圧倒的優位にある。
 オワフ島砲台群の戦力は最新鋭戦艦10隻分以上に換算できた。 

 攻める側の日本海軍も無策ではない。開戦前から溜め込み続けていた飛行爆弾を総計五千発、間断なく撃ち込み続けて防衛側戦力を消耗させつつ有人機は攻略艦隊付近に留まり防御に徹した。
 合衆国陸海軍は日本側空母を無力化すべく攻撃隊を送り込むが、連合艦隊は機動部隊と攻略部隊の手前に6段12列に及ぶ防御陣を展開しこれを防ぎきる。
 米軍の攻撃隊は日本空母部隊の本陣というべき第一機動戦隊旗艦、空母紅鶴へ急降下爆撃機が辿り着くなど奮戦はしたものの大きな戦果はあげられなかった。至近弾で正規空母は沈まない。


 オワフ島からの攻撃隊を跳ね返した日本艦隊は攻撃に転じた。
 3個機動戦隊分の航空戦力、正規空母6隻(翔鶴・瑞鶴、蒼龍・飛龍、紅鶴・大鶴)と大小合計16隻(飛鷹・隼鷹・沖鷹・雲鷹・大鷹・祥鷹、大鳳・白鳳・天鳳・瑞鳳・祥鳳・龍鳳、千歳・千代田、瑞穂・日進)の補用空母、合計22隻1100機以上の航空戦力でハワイ諸島周辺の制空権を確保し、全ての障害を一つ一つ潰していく。

 艦艇や大型飛行艇から妨害電波を流して無線や電波探信儀を封じ、焼夷弾や煙幕で観測所の目を封じ、対要塞用の特殊弾を艦砲射撃と爆撃で浴びせまくる。
 それはドイツ軍がマジノ線相手に使った戦術の焼き直しであったが、効果は確かだった。
 焼き直しであるからには当然、マジノ線に使われた兵器のうちハワイまで持ってこれるものは極力持ってきている。
 超大型硬式飛行船に搭載され、上空一万メートル以上から投下され、電波誘導で高い命中率を誇る必殺の兵器。対要塞用12トン貫通爆弾もその一つだ。

 ドイツ第三帝国と日本帝国の共同開発品であるそれは、地上のいかなる人工物であっても耐えられない威力を誇る。
 音速の倍以上で飛来する、トン単位の高性能炸薬が詰まったタングステン合金の塊を防げる装甲など存在しない。将来はともかく現在のハワイにはない。

 あまりにも重すぎて、この爆弾を運べる飛行物体は大型飛行船ぐらいしかない。あとは開発中の六発巨人爆撃機ぐらいだが、各国で設計や試作が行われている段階の機体が1940年後半の戦いに間に合う訳もない。
 なのでドイツも日本も、今あるもので間に合わせている。

 いかに改修されたとはいえ飛行船は飛行船、前線に持ち込むには鈍重に過ぎる。なので独仏国境でもハワイでも、この兵器が使われるのは制空権を確保して尚かつ地上に上空一万メートル付近にまで届く対空火器がないことを確認してからである。
 結果として、連合国軍は飛行船を撃墜できなかった。独仏国境につづいてハワイ諸島でも。 

 日本神話に登場する雷神たちの名を与えられた八発の超大型爆弾はオワフ島の要塞群へ落ち、目標を瞬時に無力化したのだ。



 オワフ島の航空戦力は消耗を続け、要塞群は無力化した。だがまだ地上部隊が残っている。

 正式な開戦から9ヶ月。日米関係がいよいよ危ないと言われ始めてから一年余り、両国が実質的な戦争を始めてから2年以上が過ぎている。太平洋の要所であるオワフ島の防備は着々と‥‥予定より遅れ気味ながらも進められていた。
 飛行場はほぼ全て潰されたが、小型の砲台やトーチカといった防衛設備はまだまだ生き残っている。石油タンクなどの備蓄施設も地下などのより堅牢安全な場所に小分けされ隠されている。

 それらの正面切った設備だけでなく、日本軍に消耗を強いるための偽造設備も数多く作られていた。
 海軍がもう飛べないスクラップの旧式機をつなぎ合わせて、上空からなら稼働機に見える偽装標的を造れば陸軍も廃車に木材やブリキ板を貼り付けて戦車に見せかけた偽装標的を作り、それを見た市民も丸太を組んだり削ったりで人気のない場所に偽装砲台を建設する、といった具合に現場は創意工夫を凝らしている。

 ついには小屋や中身のない殻だけ倉庫を建て、平地を均して鉄板を敷いただけの滑走路に偽装戦闘機を並べ、周囲に十重二十重の偽装防空陣地を配した全部偽物の飛行基地まで出現した。
 実用主義で鳴る合衆国人であり、このニセモノ基地は緊急着陸などになら充分使える能力を持っており更に言うと機材と人員をトラックで運び込めば、短期間なら小規模戦闘機基地として使えないこともなかった。
 日本軍来襲後は実際に臨時基地として、数日間の激戦の末飛べる機体がなくなるまで使われ続けた。


 現地に残っている者も少なくないが、戦場となることが避けられなくなった頃からハワイ諸島から主に女子供老人達が本土へ避難を開始している。
 ハワイ近海にも西海岸にも日本の潜水艦がうろついていたが、それらはハワイから出る船よりも入る船を優先して襲撃しており、避難民に被害は少なかった。
 当然ながらそれら避難民は米国からの移住者やその子孫たちであり、現地民や日本などから来た移民は避難者として乗っていない。

 日系移民が船に乗っていない訳ではないが、彼らが本土に上陸することはない。
 この時期のハワイでは「日系移民が乗せられている輸送船は日本軍潜水艦の襲撃を受けない」という流言飛語(デマ)が流れており、ハワイ諸島の日系移民たちは祖国への戦争協力として「勇気溢れる志願者」がアメリカ本土とハワイとを結ぶ船団に乗り込んでいた。
 もちろん流言飛語に根拠や効果がある訳もなく、日系人が乗っていようといまいと沈む船は沈んだ。
 この勇敢な自主的志願者たちのなかには兵役を望む者たちもいたが、結局のところ合衆国はこの戦争で日系移民を徴兵することは最後までなかった。


 ハワイという、日系人が人口の三割を占めている特殊な土地だからこそ日系移民の戦争協力が可能だったのである。合衆国本土で吹く政治的な嵐は、日系人の徴兵などとてもできない程に激しくなっていた。

 後にイエロー・パージという実態よりもかなりまろやかな風味で呼ばれることになる、民主党の大物議員ヒューイ・ロングらが提唱した親日勢力追放運動は僅か数週間で全米に広がった。そしてもはや誰にも制御できなくなっている。
 市民権を持った合衆国の国民も単なる旅行者も区別無く、日本人いや大和民族の血を引く者であれば無条件で逮捕され財産没収の末収容所送りとなっている。
 正真正銘の日系人は無論のこと、日本系であるとの容疑を否定できなかった者たちも同様に。

 無論これは近代国家にあるまじき暴挙であり反対する者も少なくなかった。サンディエゴ市でも、日系人の妻を渡すまいとした公務員が警官隊と銃撃戦に及ぶ事件が起きた程だ。
 しかし、国際世論や人道の面から自制を呼びかけた政治家や大学教授などが相次いでスパイとして逮捕され、それら逮捕者の身辺を捜索した結果殆どの容疑者から実際に日本政府から買収された証拠が出た。

 その中には日米の開戦前後にルーズベルト大統領の外交方針を非難していた下院外務委員会の幹部、ハミルトン・フィッシュ議員などの大物も含まれており、今や知日派はもちろん日本人と黄色人種に少しでも同情したり配慮を呼びかける者は売国奴と決めつけられるようになってしまった。

 無関係どころか大別してしまえば日本とは敵対関係にある筈の中華系移民までもが暴徒に襲撃され、争乱を鎮めるために各地の州軍が出動する羽目になっている。
 特に暴動が激しかったサンフランシスコなどでは中華街が焼き討ちに遇い、その火は次々と引火して市街の2割近くが焼け落ちた。

 二人の視界に広がる町なみも人通りが少なく、焼け跡の整理も進んでいない。どうせこの街は日本軍によって踏み荒らされるのだからと、先月あたりから復興作業は中止されてるのだ。実際の話、今造り直しても無駄になる可能性が高い。
 今でも時々日本軍の爆撃機や無人飛行爆弾が飛んでくるし、僅かながらであるが被害も出ている。戦場となればもっと酷いことになるだろう。


 元々日系移民が多く商取引も盛んな西海岸では特にこのような事例が多く、既にカルフォルニア州だけで一万人以上に及ぶ内通容疑者が逮捕され取り調べを受けている。
 逮捕されなかった容疑者も千名以上に及ぶがそちらの捜査は進んでいない。死人は口をきかないからだ。

 内通の容疑をかけられた者の大部分は誤認逮捕であり濡れ衣を着せられただけだったが、二割弱の逮捕者は日系勢力からなんらかの不当な利益を‥‥不当かどうかは立証できなくとも帳簿には載っていない、偽札と思われる真新しいドル紙幣の札束や保証書付きの日本産真珠や保証書のない宝石類、日本帝国の刻印が入った金塊などの財産を持っていた。
 無論のこと逮捕された当人達は潔白を訴えたが、証拠品が出た以上は拘束して取り調べない訳にはいかない。現在の合衆国は黄金(ゴールド)の個人所有を禁止しているので、金塊を所有していること自体が犯罪だ。


 「売国奴を許すな」「薄汚い日本人を追い出せ」。合衆国市民の嫌日感情は高まる一方だった。その憎悪は日本と名の付くもの全てに向けられていた。
 西海岸では米国人が経営する日本料理店が開戦以来閉店中であるにも関わらず暴徒によって取り壊され、シカゴ図書館では図書館職員有志が翻訳された文学作品を始めとする日本関連の書籍をかき集め焚書を行った。

 類似の運動は合衆国全土で起きている。
 各地の日本式庭園などの施設は重機で破壊され、ポトマック川沿いを始め各地の桜並木が伐採された。書物や美術品はもちろん工業製品や民芸品なども日本関連のものは片っ端から壊されている。
 それは物質だけではなく文化面にも進もうとしており、各地の学校で学生や教師らが日本関連の資料廃棄運動を押し進められていく。

 これはつまり日本にかかわる全ての資料を廃棄し、それこそ全家庭の辞書から日本という文字を、最終的には概念そのものを抹消しようという運動である。

 実際の話、現在の合衆国都市部では中流以上の市民達が各々の家庭にある百科事典などを持ち寄り、日本関係の箇所を切り取ったり塗りつぶしたりするという「愛国運動」が毎週の日曜午後に行われており、参加を渋る者がいれば最悪焼き討ちに遇いかねない状況になっている。
 その過激さは悪名高きKKK団の所業すら穏健に見えるほどだった。


 この当時、世界地図を見せて「どこが日本か?」と尋ねて、正確に指差して示せる合衆国人は百人に一人もいない。
 元より合衆国人の九割はインドとエジプトの区別が付かないし、六割はテキサスとフロリダの区別も付かない。流石にワシントン州が東海岸にあると思いこんでいる者は、半分程度に留まる。

 実を言えば日本に関しては、知識として知っていて他の国‥‥例えば日本列島とフィリピン群島の区別ができる人数は指差せる人数よりも多い。知識だけでなく知恵も持ち、示した後で自由を保てる力を持っていないと自覚できる者は知らないふりをしているだけだ。
 桁外れの権力暴力またはその庇護を持たずして実際に地図を指差して正解を答えてしまった者の末路は、まあ、言うまでもない。


 他の文明圏から見れば異様に感じるかもしれないが、合衆国人の心理からすれば当然の仕儀であった。

 現在の、そして過去にも合衆国の教育制度には性教育がない。性行為は即ち悪徳であり罪源であるという観念からだ。
 合衆国の普遍的感覚では、学舎で学童に対し性について教育することは悪事を学校で教える事なのだ。その罪は、日本社会で言えば理科の時間に生徒へ鳥兜や夾竹桃を使った具体的な毒殺技術を教えるよりも深く重たい。

 教育現場だけでなく市井でも性的な情報は厳重に規制されている。
 数年前、欧州で戦争が始まる直前に米国で制作され公開されたとある映画の中で端役女優が、一瞬胸元の素肌を見せたことが問題となった程だ。
 派手に世論が延焼した結果、映画館や監督の親族宅などが焼き討ちされる事態となり、問題となった映画は上映中止となった。

 火事を怖れて子供の手からマッチを取りあげる事は他国でも珍しくない。だがランプや暖炉も取りあげ、焚き火や煮炊きまでも禁じるのが合衆国の流儀だった。可能であれば「火」の概念すら取り去るだろう。

 合衆国の国教はキリスト教である。建前上は「信仰の自由(ただしキリスト教である限り)」が謳われているが、主流派はプロテスタントであり他宗派の形見は狭い。
 即ち、平均的合衆国人の思想は聖書を基幹としている。
 キリスト教、いやアブラハムの流れを汲む教義(DOCTRINE)は 痴愚=善 であり 知識=悪 である。原初の人が負った罪が知識なのだから。
 
 日本帝国と日本人を概念まで含めて抹消すべく躍起になっているアメリカ原理主義者たちにしてみれば、日本本土の場所を地図で指差せる程に知っているという事だけで有罪なのだ。


 参加者全員が、この「愛国」行為に心から賛同していた訳ではない。しかし反対や拒否はできなかった。かつてない脅威と国難のなかで、主流勢力に反するものは即座に裏切り者とみなされ弾圧された。
 合衆国市民達は、少なくとも市民の行動を仕切っている者たちは自主的に互いを見張り密告し、ときには通報する前に「裏切り者」と見なした者たちを私刑(リンチ)に処した。


 新聞の記事もラジオ番組も、主流派である排日論者・主戦論者・現政府支持者達の声で埋め尽くされた。 
 この時期の合衆国は、大手はもちろん中小規模までマス・コミニケーションの全てが共産主義者に汚染されていた。それも、何処の国にもいる資本論かぶれなどではなく、ロシアであるいはロシアから来た教官らに厳しく教育され統制された本物のコミュニストにである。
 後の調査で判明するが、日米戦初期の段階で実にその浸透率は二割以上。新聞社などの社員のうち五人に一人はクレムリンまで繋がっていたのだ。しかも時間を経るごとにその比率は上がっていた。

 無論、全ての業界人が屈した訳ではない。ごく少数の反骨精神溢れる報道人たちは改造品の無線機を使い、海賊放送という形で真実の‥‥彼らが正しいと信ずる報道を行っていた。報道する自由を為すために。
 そして彼らの殆どは短時間のうちに檻の中か地面の下に引っ越した。自由の報道を聞いた合衆国市民の大部分は、政府や大手メディアの発表と違う報道を信用しない自由と、愛国的でない地下放送を受信したことを当局に通報する自由を行使したからだ。

 報道媒体でも公共の場でも言いたいことが言えなくなった者たちや、元から言うことができなかった者たちは口をつぐみ災難が自分の身に降りかからぬことを祈った。
 どうしても我慢がならなくなった少数の者たちは行動に移った。たとえば「日本人にもある名前だから怪しい、内通者かもしれない、いや内通者だろうきっとそうだ、そうに違いない」などという理由で暴徒に焼き討ちを受けた一家の主などは夜な夜な猟銃を片手に町はずれにおもむき、焚書の焚き火を目当てに発砲するなどの報復行動に出たりしている。

 現在の合衆国内は事実上の内戦状態、その二歩ほど手前にあると言って良かった。



 合衆国政府、少なくともホワイトハウスの住人達はこの狂騒を是認しており、むしろ煽っていた。
 大統領たちに諫言した者もいるが、それらの人物は速やかにホワイトハウスの人員名簿から消えた。真っ先に消えたのは胃潰瘍で入院中のコーデル・ハル国務長官だったが。
 
 明らかにルーズベルト大統領ら政府首脳は、この戦争を最後まで日本帝国と日本民族への敵意と憎悪を燃料として牽引させるつもりだった。文字通り、地球上から日本と名のつくもの全てを消し去るその日まで。
 無論、その過程には日本帝国の国家解体と民族の抹消も含まれる。意識的な意味でも物理的な意味でも。


 日本人だと、またはそのシンパであると判断された者にとっては最も軽い処分が砂漠の収容所送りなのだ。これでは日系人の戦力化など不可能であった。
 ハワイの日系移民は幸運だった。少なくともハワイでなら、多少の不自由さえ我慢すれば無事に生きていける。たとえくじ引きの結果輸送船に魚雷除けのお守りとして乗る羽目になっても、運悪く魚雷が当たるまでは生きていられる。
 魚雷が当たればまず生きていられない。彼らは船体に鎖などで縛り付けられているし、船が沈みかけているときに役立たずの「お守り」を回収したがる者はとても少ないからだ。


 攻略戦前でこの有り様なのだから、攻略部隊がやってきた戦場では余計酷くなるのは当然だった。
 ハワイ方面では、軍事基地や施設に数名から数十名単位の「勇敢な志願者」たちが人間の盾として入っている。
 この期に及んでも「日系人がいる場所には爆弾や砲弾が来ない」というデマが残っているからだ。志願者達がいようがいまいが、軍事的に価値のある場所にはこれでもかとばかりに集中攻撃をくらってしまうのだが。
 確かに日系人の居住区や集落には攻撃がこないが、それは軍事的に価値がないからである。試しに日系人集落のど真ん中に対空砲陣地を移動してみたら即座に攻撃されたので間違いない。



 攻略開始から1月余りが過ぎて、ハワイ戦線は日本軍の勝利が決定しつつある。
 防衛側の合衆国陸海軍および海兵隊は善戦していたが、制空権と制海権を握られ増援も補給もこない状況では勝ち目がない。
 どうにかしようにも、オワフ島近海に日本陸海軍の船がひしめいている状態では輸送船団を送ることはできない。一年後ならともかく今の合衆国海軍にはハワイ周辺の制海権を取り返す戦力がないのだ。

 現在稼働している艦隊空母はヨークタウンとエンタープライズのみ、しかも両方とも現在地は大西洋だ。太平洋にあるのは僅か数隻の商船改造護衛空母だけであり、しかもその護衛空母ですら補充する端から沈められている。
 これでは西海岸の哨戒行動ですら手に余る任務であり、事実として「出れば沈む」状態だった。現在残っている各種護衛空母のうち、四回以上の出撃経験を持つ船はボーグ1隻のみだ。

 小型機では航続距離が足りず、ハワイへは届かない。かといって大型機を護衛も付けずに出しても撃墜されにいくようなものでしかない。
 太平洋に連合国の戦艦は少ない。元から少ないのに8月末に脱出を計ったユタはサンディエゴ沖で被雷して沈み、修理中だったネバダは空襲を受け真珠湾のドックでへし折れている。

 潜水艦部隊は劣勢の中で奮戦を続けており、少なくない戦果をあげているものの戦局をひっくり返すには到底足りず、巡洋艦デトロイト率いる水雷戦隊がハワイ沖の日本艦隊へ夜襲を仕掛けたが、こちらは戦果らしい戦果を出せぬまま半壊して帰ってきた。 

 それでも合衆国の市民達は、特に海軍の将兵達は希望を失っていなかった。劣勢の中で闘志を失っていなかった。
 合衆国軍は不敗ではなく、合衆国は無敵ではなく、アングロサクソン系コーカソイド人種新教徒は不死身の半神などではない。
 だがそれが何だというのだろう。これは戦争なのだ。
 絶対に勝てる相手と、何をしようと負けようのない相手との戦いが戦いと呼べるだろうか。
 戦争であるからには勝ち負けがあるのは当然であり、今の戦況が思わしくなくとも最後に勝てばそれで良いのである。


 その掲げた正義の輝きがくすまない限り、合衆国人の闘志は尽きることなどない。

 敗走の混乱の中で、最も早くこの事実に気付き兵を叱咤して秩序を回復させ、被害拡大を抑えたのがウィリアム・F・ハルゼー中将であった。彼は狼狽する水兵達を怒鳴りつけ、言い放った。

 「聴け野郎ども! 俺達は確かに負けた。だが俺は諦めん。今日の屈辱は百倍にして奴らに返してやる!
 俺は貴様らに難しいことやれとは言わん。三つだ、たった三つのことだけをやり遂げろ。
 キル・ジャップス!(日本兵を殺せ!) 
 キル・ジャップス!(日本兵を殺せ!)  
 キル・モア・ジャップス!(とにかく日本兵を殺せ!) 
 これだけだ」

 この演説は彼の部下達だけでなく、海戦の敗北に衝撃を受け動揺していた合衆国市民の士気を大いに盛り上げた。
 以来ハルゼー提督は合衆国海軍一の有名人となり、不屈の闘将としてもてはやされている。
 本人としては件の演説は、有名になってしまったシメの部分よりも前半部分の方がより重要だったのだが。

 「奴らをモンキーと呼ぶのは止めろ。奴らが猿なら奴らにやられた俺達はなんなんだ、虫けらか?
 いいか、敵を侮るな、尊敬しろ。
 奴らは、ジャップの雷撃機は水平線の彼方から水面を舐める高度で突っ込んできて、対空砲火の中を艦の1000ヤード手前まで接近して魚雷を放っていきやがったぞ。
 貴様にそれができるのか? 
 俺はできん。だから奴らを認める、尊敬する。そして叩き潰す!」

 カルフォルニアだけでなく、今や合衆国48州で「キル・ジャップス!(日本人を殺せ!)」が合衆国市民の合い言葉になり、夜な夜などころか真っ昼間から堂々と行われる焚書や文物の破壊といった文化破壊活動の標語と化してしまっている現状はハルゼーにとってさぞや心外だろう。

 ハルゼー自身は知日派でも親日派でもない。合衆国海軍軍人の平均と比べてもなお日本人は嫌いな方だった。敵国の、異人種で異教徒で皇帝の下僕である連中に好意を抱く訳がない。
 そもそもハルゼーという男は全ての外国人を嫌っているし、合衆国人であってもその大半を嫌っている。
 味方でない者は全て敵であり、敵は幾らでも嫌いになれるという戦闘要員として得難い資質を持っているのだ。
 戦争が始まってからは更に日本人が嫌いになったハルゼーだが、それでも敵を知るために日本の軍事情報や文化なども遅まきながら学んでいる。敵を知らずに戦える訳がない。

 ただ、完全にいなくなった訳ではないが無意味に日本軍を侮る者は少なくなった。たとえば合衆国の新聞に載る風刺画の一枚には、丸眼鏡をかけた出っ歯の巨大ゴリラと戦うアメリカ軍の姿が描かれている。
 相変わらず一般的な合衆国人は日本軍を猿呼ばわりしているが、舐めてかかる者はかなり減った。


 「お前が書いた作戦書は読んだ」
 「どれですか?」
 「ギムレット作戦とかいうやつだ」
 「ああ、はい。どうでしょう? ただ一点を除けば悪くない案だと思いますが」

 墓参りに来ていた二人の男、その年輩の方であるハルゼー中将は一点こそが問題なのだと、こめかみを痙攣させながら言った。

 「突入した部隊の生還は不確実。こんな作戦が作戦と呼べるか」

 この場合の「不確実」とは軍隊風の言い回しであり、一般社会で使われる言葉に訳すと「奇跡が起きない限り生還者は出ない」という意味になる。

 「ですが、現状では唯一日本軍に痛手を与えられる作戦です。ブッシュマスター作戦もさほどの効果はあがっていませんし」
 「効果なんぞ最初から期待しとらんだろうが、お前は」
 「はい。それが何か?」

 日本陸軍の体質を揶揄または自嘲する言葉に「用意周到、動脈硬化」とか「規律遵守、頑迷固陋」とかいうものがある。陸ばかりでなく海の方にも、更に言えば軍隊だけでなく日本人の造る組織には多かれ少なかれ似たような傾向があった。
 隅々の細かいところまで計算された彼らの行動は、予想通りいけば絶大な効果を発揮する。しかし想定外の事への対処能力は高くない。
 つまり効果が薄いということは、その策は日本軍にとって想定済みだということだ。その事実が確認できただけでもブッシュマスター作戦は無意味ではない。


 ハルゼーの前に立つ中年男は怜悧な頭脳と穏和な物腰を持つ、有能な参謀将校だった。つい2年前までは。
 いや2年前の秋からも有能な参謀であることは間違いない。
 現に彼は世界各地での日本軍の作戦や戦闘情報を分析して、圧倒的優位にある敵に一撃を与える作戦を立てていた。

 彼が先日作り上げた作戦案「ギムレット」は、その名のとおり錐の一刺しにも似た必傷の策だった。ただし成功すれば、の話であり失敗すれば貴重な戦力が無駄になる。
 運と偶然に頼った、敵失に期待せねばならぬ投機的な作戦でありその上最大限に成功しても、投入した戦力の帰還は絶望的という、ろくでもないしろものである。
 だがしかし、現在の太平洋艦隊水上部隊にもっと有効な策が取れるのかというと、微妙なところだ。




 ハワイ戦線を消化試合気味に安定させた日本軍はその勢いのままアメリカ西海岸まで押し寄せてきた。それは明らかに急ぎすぎの軍事行動であり、日本軍にも余裕がないことを伺わせるに充分だった。
 日本軍の本土攻略部隊を迎え撃つために、合衆国陸海軍‥‥正確に言うとこの中佐は連動する幾つかの作戦案戦術案を立て、準備に勤しんできた。

 その作戦の骨子は極めて単純である。カルフォルニア州に点在する航空基地に航続距離の長い機体を出来るだけ用意して、日本艦隊を発見したらそこへ一斉に向かわせる。それだけだ。
 一斉に、といっても全ての基地から全機同時発進などできる訳もないし、できたとしても基地の位置や機体性能、気流の状態や搭乗員の技量などで大幅にズレが発生する。
 つまり敵から見れば数機から十数機の攻撃隊が多方向から絶え間なく押し寄せる展開になる。

 確かに日本軍は精強だろう。だが所詮人は人であり機械は機械に過ぎない。どんなヘボ相手でも出撃しないことには敵機は迎撃できず、燃料を消費しなくては飛ぶことはできず、弾を撃たないことには撃墜できない。
 そしてどんな名機も飛べばその度に補給と整備が必要で、ベテランの搭乗員でも作業を続ければ疲労が溜まる。いつか限界がくるのだ。

 兵器と兵員の質で大きく劣る迎撃側が、日本軍の本土侵攻を食い止めるにはこの一斉飽和攻撃に賭けるしかない。
 日本側の制空権、上陸支援能力、陸上部隊、補給物資、兵站能力、そして士気。これらのどれか一つでも破綻させることができれば状況はぐっと楽になる。
 たとえ撤退に追い込めなくとも橋頭堡の確保を遅らせることができれば上出来だ。上陸と占領の速度を遅らせることができれば、補給線の短い合衆国側が有利となるだろう。

 後がない合衆国陸海軍はこの作戦案を採用。西海岸地域からの工場や住民の疎開と合わせて大車輪で準備した。
 飛行基地を拡張あるいは新設して運用できる機体を増やすだけでなく、促成栽培で最低限必要な能力を持った搭乗員を量産して用意したのだ。

 促成栽培だからまともな腕の飛行機乗りではないが、妥協するしかなかった。
 とにかく無事に飛んで、帰って、着陸する技量があれば良し。急降下や空中戦の技術など必要なし。
 彼らは半ば囮であり、弾避けなのだ。敵艦の撃沈など期待していない。しかしたとえ機銃掃射でも簡易焼夷弾でも、輸送船を火達磨にしたり駆逐艦に魚雷や爆雷を捨てさせるぐらいの戦果は望める。
 それらの戦果が積み上がれば、日本軍に音を上げさせることもできるだろう。

 洋上航法ができるに越したことはないが、駄目なら駄目で良い。後方の司令所からでも大雑把な方向指示はできるし、最悪の場合、探しても敵が見つからなければ爆弾を捨てて帰ってくれば良いのだ。無事帰ってきてくれればまた出撃できる。
 故に、用意されている機体には必ず電波式の方位計が取り付けられ、搭乗員たちにはたとえなにがあろうと燃料が厳しくなれば西海岸からの電波をたどって帰還するように厳命されていた。
 もちろん軍直営の放送局は24時間体制で電波を流し続けている。その電波を頼りに新米飛行機乗りたちは日本艦隊を目指した。


 酷い作戦もあったものだが、戦艦も空母も足りず潜水艦も数が減る一方の合衆国が手早く拡充できる戦力は、もはや航空機しかなかった。
 水上艦艇は消耗しすぎている。船はともかく、これ以上船乗りが沈んでは海軍の教育態勢が崩壊しかねない。それに巡洋艦も駆逐艦もまずは大西洋での損失を穴埋めする必要があった。
 陸軍にしても火砲など重装備の量産には時間が必要だ。日本軍の97式中戦車と互角以上に戦える筈の新型戦車は未だに完成していない。

 もし、もしも合衆国の魚雷が開戦前からまともな代物だったなら、何隻もの潜水艦が生き延びられた。それに乗っていた優秀な潜水艦乗りたちも。彼らの無念を思うと中佐も腸が煮えくりかえる。
 彼も激昴したニミッツ長官の殴り込みを止めたものたちの一人だが、それは軍人の矜持ゆえにであった。計画殺人ならまだしも衝動に任せた突発的殺人など軍人のやることではない。  


 計画的に効率よく、どうしても避けられない必要最小限の味方を、最大限の戦果と引き替えに殺す。その方法を考えるのが参謀の役割だ。
 故に彼が立てた作戦は航空機による飽和攻撃だけではない。
 そのうちの一つ、ブッシュマスター作戦とは魚雷艇を潅木などに潜む毒蛇に見立てた命名だ。

 一斉飽和攻撃は一度だけでは終わらない。日本軍が西海岸にいるかぎり行われる。たとえその上陸を防げなくても。
 小型漁船改造の魚雷艇や爆薬を搭載した動力ボートの群を、上陸態勢に入った日本艦隊に向け一斉に突入させる。もちろん数しか取り得のない突入部隊はろくな成果をあげられないだろう。およそ戦力と呼べるような存在ではないのだ。
 しかし日本軍をたじろがせ、煩わせることはできる。

 彼らが怯んだところへ、今度は大陸奥側の遠隔地から飽和攻撃部隊が飛来する。カルフォルニア州の奥地やユタ州オレゴン州などに待機させてある攻撃部隊を移動させるのだ。そして同時に残存潜水艦部隊が出撃する。
 潜水艦、陸上砲台、水上自爆ボート、航空機。それらの一斉攻撃は確実に日本軍を消耗させる筈だった。少なくとも今度の魚雷は当たれば必ず爆発する。

 このなかでは急造魚雷艇や自爆ボートは囮の役割が大きく、戦果は特に期待されていない。発案した者にすらも。
 爆薬を搭載したボートを操る操縦員たちは敵艦へ突入する直前に海へ飛び込むことになっているし救命胴衣も与えられているが、戦闘中の海に飛び込むこと自体が危険行為だ。もちろん救助活動もするが、西海岸一帯は鮫の生息域でもある。
 というか、まず敵艦に接近すること自体が難しく、生還率は怖ろしく低い。だが発案者はそれを許容できる水準の損失と捉えていた。

 合衆国人の機械への素養は高い。元気な若者なら自動車を操れない方が少数派だろう。つまり誰でも最低限の訓練でトラックなどの運転手が務まる。
 同じく操作が簡単な、小型で安価な動力ボートならそこらへんの若者を集めて何日か訓練すれば使えるようになるのだ。囮としてならば。
 ボートは適当に調達できる。丈夫な船体にトラックの発動機を積みスクリューをつけ燃料タンクその他と爆薬を載せれば良いのだ。ボートも人間も、合衆国の国力ならいくらでも用意できる。

 これまでの全ての自爆ボート部隊の損失を合計しても、たかが三百か四百名が死ぬか行方不明となっただけではないか。もし全て無駄弾で終わっても合衆国全体から見れば取り返しのつく被害でしかない。
 いや、その犠牲は無駄ではない。猟師がうっとうしい蝿や虻に気を取られれば灰色熊の接近に気づかなくなるのだから。
 ブッシュマスター作戦の意義はそこにある。敵に、足下にいるかもしれない毒蛇に気を取らせ続けることが大事なのだ。


 「外道にも程があるな、おい」
 「提督は依然変わりなく、特殊攻撃部隊に反対し続けてください。同意などされては声望に傷が付きますから」
 「心配いらん。俺は今でも反対だ」

 未来ある若者を死地に追いやる。それは戦争では当然のことではあるが、それでも守られるべき一線はある筈だ。
 古風な男であるハルゼーはそう思っている。思っているし人命を使い捨てにする作戦には反対している。だが軍人なので命令には従う。従わなければ軍人でない。

 「まったく、どこからこんな作戦思いついたんだ」
 「ミニットマンの像ですよ。『人々よ鍬を捨て銃を取れ』」

 市民が各個に武装し、己の力と判断で生命・財産・尊厳を守る。それは合衆国の国是である。一説によれば、合衆国人が世界人口に占める割合は5%弱であるが合衆国内に存在する銃器は世界の半分以上だとまで言われている。
 都市部はともかく、ちょっと田舎に行けば誰でも銃を持っているのがこの国だ。田舎ならどこの家庭でも、寝室や納屋や車庫には古びた猟銃や拳銃の2丁や3丁は置いてあるものなのだ。
 都市部にだって銃砲店はある。用心のための散弾銃をカウンターの裏へ置いていない小売店の方が少数派だ。


 合衆国にはミニットマン(民兵)の伝統がある。市民は農奴ではなく、武装して自らを守る権利がある。
 この中佐は怜悧な頭脳の持ち主であり、西海岸へ用意された戦力では日本軍の上陸と侵攻を水際で防ぐことが難しいことを悟っていた。海空はまだしも陸上の戦力が少なすぎ、上陸を試みる敵軍の足止めができないのだ。
 入り口で防げないのならば奥に誘い込んで罠にかける。その結論に達するのは当然である。

 「合衆国は自由の国、そして世界一の工業国です。つまり至るところに銃と工具と燃料と爆発物があり、それらを扱える人間がいるのですよ。誇り高く自立心に富み武装した人々が至るところにいる、侵略するにこれほど適していない土地も珍しいでしょう」
 「市民に犠牲を強いるのか、志願兵だけでは足りずに」
 「強制はしません。できる訳がありません。合衆国は自由の国ですから。それに日本軍はその伝統的文化的に、無辜の民へ過度の仕打ちはしませんよ。彼らほど民衆の怒りを、その怖さを知っている軍隊はありませんから。
 その分無辜ではない者に対する仕打ちは冷酷になるのですが、それは致し方ないでしょう」

 人を撃つ自由は人に撃たれる自由でもある。侵略者とはいえ軍隊に発砲しておいて反撃されたら虐殺だと言い張るのは‥‥まあ、この国では日常茶飯事だった。
 合衆国では事の正邪は裁判所で決めるものだし、合衆国の裁判はごく僅かな例外を除いてより高額の報酬を弁護士に支払った方が勝つのだ。
 この国の倫理は石器時代から変わっていない。正しいか否かは、どちらの発言がより現実に即しているかでは決まらない。昔はどちらがより立派な棍棒を持っているかで決まった。今は積み上げた札束の厚みで決まる。

 勝てば官軍。最終的に戦争に勝ちさえすれば良い。あと一年間戦争を続けることさえできれば合衆国の勝利は確実だ。勝てばあとはなんとでもなる。人類の歴史上、国際法廷で裁かれた戦勝国は存在しない。



 中佐は、戦争を終わらせるものは国民の納得であると考えていた。少なくとも日本人相手の戦争ではそうなると、二度の日本滞在で考えるようになった。
 もしもこの戦争が、両国の中枢が望んで始めた戦争ならば終わらせることができるのは国民だけだろう。日本人ならそう考える。

 と、言うか日本が合衆国に勝てるとしたらそれしかない。
 日清日露と同じく、国力で優る敵に対し戦術的作戦的な勝利を積み重ねたうえで後方を攪乱し、継戦意欲を損なわせる。そこからが勝負所だ。

 では合衆国はどう戦うべきか。ひたすら守りを固めて反撃できる戦力が揃うまで待つべきだろうか?
 そうできるならそうしたいが、おそらくは無理だ。こちらからも殴り返さなくては士気が持たない。士気が崩れたらもう戦争は続けられない。合衆国の市民達が「この戦争は負けだ」と納得してしまう。
 
 故に、納得などさせてはならない。今更止める訳にはいかないと思い詰める所まで追い込まねばならない。両国の国民を。
 そのために、なるべく短時間で派手に容赦なく血を流させる。そして流した血に見合うだけの成果を、国益をもぎ取れと国民に唱えさせるのだ。
 合衆国の勝機はそこにしかない。戦いを長引かせることが勝利への道なのだ。
 短期決戦では勝てないが長期戦に持ち込めば勝てる。そして勝てば全てが手に入る。

 ここで負ける訳にはいかない。戦闘はともかく戦争で負けてはいけないのだ。
 戦争で負ければ、合衆国の市民は正義を信じることができなくなる。
 合衆国はドイツとは違う。象でも恐竜でも、巨体の生き物は巨大であればあるほど転んだときに負う傷が大きいのだ。一度倒れた合衆国が再び立ち上がることは不可能ではないが、大変な労力を必要とすることは間違いない。
 ドイツ人達は20年でやったが、合衆国人たちに同じ事ができるかどうか。やはり無理をしてでも勝つ方が選択肢として無難だ。

 勝ちさえすればなんとでもなる。
 勝てば西欧を英国が、東欧をロシアが、極東をチャイナが、そしてその他の全てを合衆国が手に入れる。


 「なあ、この戦争の根本的原因はチャイナ問題だったよな?」
 「大元をたどるとそうなりますね。マンチュリアを直接的に、そしてチャイナをそれと比較すれば間接的に勢力圏に入れようとした日本と、二つとも影響下に置こうとした合衆国との利害対立が原因です」


 結局の所、戦争の原因は99.9%経済だ。食えないから、あるいはもっと儲けたいから戦争に走るのだ。
 極東の国際問題とは詰まるところ、日本帝国というチャイナ地域警備員の職務範囲と権限と俸給を何処まで認めるか認めないかの諍いに過ぎない。
 
 「チャイナの資源や市場って、そこまで魅力的か? 何万何十万何百万の兵隊や市民を死なせてまで手に入れないといかんのか?」

 建国以来、アメリカ合衆国の対中貿易額が対日貿易額を上回った時期はない。チャイナ市場は広大であるが肥沃とは言い難く、得られる利益の上限もさほど高くない。
 当然の帰結である。合衆国の現政権とその後援者たちが夢想するほどにチャイナが魅力的な場所ならば、清朝末の時点で列強諸国によってチャイナは完全分割されていただろう。鶏の肋骨は食うに食えない部位だから生ごみ寸前の扱いを受けるのだ。

 合衆国側が対中貿易が上手く行かない理由を、現実を無視して日本帝国へ押し付けた事がこの戦争の主因である。
 対する日本側も国内の不都合を、事実を意図的に曲解して合衆国へ責任を擦り付けたのだからお互い様だが。


 「発端や経過や最終的な形はどうあれ、手に入れるべきです。さもなくばまた大恐慌が起こるでしょう」

 1929年10月24日に起きた株式暴落から始まった大恐慌は、結局は需要が供給に追い付かなくなった事が原因だ。それまでの世界構造では供給が需要を追い続けるものだったが、今世紀になって合衆国の生産力は人類文明の需要を満たしきってしまった。
 需要を満たしてしまったために供給過多に陥り、物の価格が維持できなくって経済が破綻した。大恐慌の本質とはそんなものだ。かつてなく巨大に、世界の国々を跨ぐほど膨らんだ経済の残骸は人々をかつてない重量で押しつぶした。

 そして、今は戦争特需により経済は持ち直した。戦後も復興が続くうちは大丈夫だ。
 だが、放置しておけば必ず次の大恐慌が起きる。
 合衆国には豊かな市場が必要なのだ。合衆国の生産力を吸収するために。

 「チャイナとインドと東南アジアを我々の市場とすれば、半世紀やそこらは持つでしょう。適切な範囲内で戦争を起こし続け新たな需要を作り続ければ、100年でも200年でも大丈夫な筈です」
 「適切な範囲、か」
 「はい。まあ、10年程度の時間をおいてそこそこの規模で戦争を行えばなんとかなるでしょう」
 「その度に若い者が死んでいくのか。やりきれんな」
 「アレクサンドロス大王は言ったそうですよ、 「こんな強力な兵器を使って戦争を続けたならば世界が滅んでしまうだろう」 と。彼が見た物は革紐の束を捻って飛ばす方式の投石機械(カタパルト)だった訳ですが」


 中佐は語る。誰が嘆こうが喚こうが、戦争は起きる。いつか誰かが本当に世界を滅ぼしてしまう兵器を開発するまでは、と。
 使えば世界丸ごと滅ぼしてしまう究極兵器。
 それが開発され実用化されたならしばらくの間、大きな戦争は起きなくなるだろう。たった一回分だけ、その究極兵器を使った全面戦争を計算に入れなければの話だが。

 「なあ、エド」
 「何ですか提督?」
 「お前は憎んでるのか、この国を」
 「まさか。私は愛国者ですよ」

 太平洋艦隊情報主任参謀エドウィン・T・レイトン中佐は心外そうな顔をした。納得していなさそうな顔つきの上官を納得させるべく彼は言葉を続ける。

 「確かに妻と息子は天に召されました。あの愚かしい騒ぎで」
 「憎くはないか、宇宙人が襲撃してきたと放送した馬鹿も、それを信じ込んだ馬鹿も、馬鹿の起こした騒ぎに便乗した下衆も」

 1938年10月30日、あるアナウンサーがラジオ番組に斬新な演出を加えて放送した。そして彼にとっても予想外の反応が起きた。
 そのドラマの臨場感があまりにも優れていたが故に、ラジオ聴者たちがパニックを起こしたのだ。
 サンフランシスコ市でも暴動が起き、結果的に数百人の死傷者が出た。その中には当時大尉だったレイトンの妻と息子も含まれていた。
 二人は野球場からの帰り道で暴動に遭遇し、騒ぎに便乗した強盗に襲われ10ドルにも満たない現金を奪うために殺された。


 「ウェルズ氏は法の裁きを受けました、直接の犯人は警官に射殺されています。私が憎むべきは無知と貧困とそれが生み出した犯罪であって合衆国ではありません」
 「だが、この国以外でならまず起きなかった事件だ」
 「まあ、たとえば日本などでは起きなかったでしょう。単身赴任などするものではありませんね、あのとき無理にでも日本へ同行させていればと思ったこともあります。無意味な思考だと分かってはいるのですが」

 全米で2万人近い死者を出した大事件であるだけに、前述のラジオドラマを放送した放送局と制作者は処罰された。
 脚本を書いた、原作者と同じ名を持つ男は禁固8年の刑に処されている。

 事件のあった時期、レイトン大尉は駐日大使館海軍武官補として日本にいた。
 彼が東京や横須賀で見聞したものを分析してまとめた「レイトン・レポート」は日本の急激すぎる発展と軍備拡大について警鐘をならすものだったが、当時の合衆国海軍上層部の脳内にあった日本像と違いすぎたため一部の人間以外には無視された。


 「あれを大統領が読んでいりゃあな」
 「読んでますよ? 我らがFDRは」

 何だと? と眉をつり上げる上官にレイトン中佐は涼やかな声で尋ねた。

 「提督はアーネスト・デニガンという男をご存じですか?」
 「いや、聞いたことがない名前だが何者だ?」
 「私のハイスクールの後輩です。なかなかに弁の立つ男でした」
 「‥‥で、そのデニガンとやらがどうしたんだ?」
 「つい先日知ったのですが、彼は現在大統領補佐官をしておりまして、二年前に私のレポートを手に入れてFDRやその側近達に見せたそうです」

 
 墓地の外れに沈黙が降りる。つまりは、レイトン中佐はこう言っているのだ。自分の報告書を読んだからこそ、理解したからこそルーズベルト大統領は対日姿勢を強硬なものとしたのだと。
 実を言うとこれはデニガン補佐官個人の見解とは異なる。アーネスト・デニガンはルーズベルト大統領の「限定された奇行」を一種の知能障害だと受け取っているからだ。



 二人の頭上に影がさした。上空を何機もの大型機が列を成して飛んでいる。

 「見慣れない機体ですね」
 「あれはコンソリデーテッドの新型だ」

 二人の頭上を飛んでいく四発大型機B24は、陸軍航空隊の主力大型爆撃機となるべくして開発された新鋭機である。まだ完成度の低い初期量産型ではあるが、その高性能を見込んで実戦配備と改良型の開発が進められている。

 「あいつらが頼りだからな」

 現在西海岸へ上陸中の日本軍へ攻撃を続けている航空戦力の主力は陸軍機である。海軍航空隊も参加しているが彼らは消耗し過ぎた。
 B17やB24のような大型四発機はもちろん、B25やA20のような足の長い双発機、なかにはB10のような明らかに旧式の爆撃機までもが燃料タンクを増設されて任務に就いていた。


 「提督、燃えてます」
 「またか!」

 二人の頭上で一機のB24が突如として火を噴いた。火達磨となって、煙の尾を曳き墜落していく。搭乗員たちが脱出する暇もない。

 「ええい、だからもっと厳しく取り締まれと言ったんだ! 陸軍の泥亀野郎が!」

 何らかの不具合が、おそらくは樹脂で固めていた燃料缶の蓋が外れるか何かして中身が爆弾槽に漏れ、機体内の火花が引火したのだ。あるいは触媒を包む保護材が破れて漏れた燃料が染み込んだのかもしれない。


 現在の西海岸には砲弾も爆弾も不足してる。いくら作っても必要量には足りていない。
 で、創意工夫の精神に満ちた合衆国の若者達は、投下すべき爆弾の代用品を作り始めた。そのなかでも特に問題があるのが粗製焼夷弾である。

 これはいわゆるジュリー缶、24リットルほど入るブリキの四角い燃料缶にガソリン・灯油・重油・廃糖蜜・粉石鹸・屑アルミの粉末などを混ぜて入れ、缶の表面にガソリンに反応して発火する物質入りの袋を貼り付けておくだけの代物である。
 敵艦などを見つけたら、上空からこれをばらまくのだ。当然ながら、ばらまかれた燃料缶は落下して海面や敵艦に激突し、破損引火、炎上する。
 こんなものでも燃料や爆発物を満載している空母や、魚雷や爆雷が甲板もしくは甲板近くにある駆逐艦にとっては脅威となる。脆くて動きの遅い輸送船、特に燃料を積んでいるオイルタンカーはいうまでもない。

 水平爆撃の命中率は低いと分かっていても、爆撃されれば回避したくなるのが人情だ。下手な爆撃も数が多ければ当たることもある。
 それが攻撃側の狙いである。一々回避行動や敵機の排除を行えばその分輸送船の船員も戦闘機搭乗員も、確実に疲労する。日本人は人間なのだから。
 人間である限り、物理面精神面での疲労はその戦闘力をそぎ取っていく。戦闘力が落ちれば誰かの攻撃が当たる。爆弾や魚雷が当たれば日本兵は死ぬ。彼らは所詮人間なのだ。


 元はと言えば、爆弾の不足から只の鉄屑を爆弾に混ぜて投下し始めたのが始まりである。
 大型爆撃機が遙か上空から撒き散らす小型爆弾が、その半分が信管も付いていないガラクタであったとしても狙われる方は全て避けなくてはならない。どれが本物かは、落とされる側からみれば命中してはじめて分かるからだ。

 つまり投下する爆弾の半分を混ぜものにしておけば同じ量の爆弾で二倍攻撃できることになる。潜水艦と戦う護衛艦艇が、潜水艦への牽制や脅しに爆雷ではなく適当なガラクタを水中に投下する事があるのと同じ理屈だ。
 本物の爆雷も只のガラクタも、投下した瞬間は潜水艦にはどちらか分からない。分からないからどれも本物の爆雷だと考えて対応するしかない。故に爆雷を使い切ってしまった駆逐艦や節約したい哨戒艇が、海へガラクタを投下することも立派に戦術だ。

 一度爆弾の水増しが常態となれば、「只のガラクタだけではなく、もっと威力のある物を投下してみよう」という流れになるのは当然である。簡単で安上がりに作れる大型火炎瓶を爆弾の代わりにしてみようとするのは、ある意味ごく普通の発想だった。
 トラックの車体表面に河原の砂利を貼り付けただけの「装甲車」や、実験室の硝子製フラスコにニトログリセリンを詰めてトリモチで被っただけの「粘着式手榴弾」を開発して実際に配備してしまった某大英帝国のアレコレよりはまだ、正気を保った兵器だと言える。


 だが粗製濫造の手作り兵器である故に、先程のような事故は頻繁に起きていた。起きてはいるがそれでも使われ続けている。
 陸海軍の当局は航空隊に不正規品爆弾の使用を禁止させていたが、それでも使おうとする者は後を絶たなかった。
 祖国を、故郷を、家族を守りたい。迫り来る専制君主の軍勢に一矢報いたい。その想いが勇敢な合衆国青年達に軍規と多少の危険性から目を背けさせているのだ。
 ハルゼーあたりに言わせると、敵弾が一発当たっただけで火達磨になりかねないものを爆撃機に積む時点で間違っている訳だが、人間の取る行動が理屈の正しさで決まるのなら負け戦など起きる訳もない。


 「ここまでして戦争をやらなきゃいかんのか」
 「正義の実現のためには致し方ないでしょう」

 燃えながら目の前の海に落ちていく爆撃機も、中佐の眉を動かすことはなかった。大型爆撃機1機と10人の飛行機乗りが惜しくない訳ではないが、その程度の損害で彼の心は揺さぶられない。

 「正義、正義か。いつか起きるかもしれない大恐慌を防ぐことが、か」
 「そうです。合衆国市民はすべからく週末は野球場に行き、ガールフレンドや妻や息子にピーナッツとクラッカージャックを買ってやり、問題なく家に帰れるよう自家用車を持てる生活の余裕が与えられるべきです。
 それが永遠に続くためには常に広く、常に新たである市場が必要です。我々の市場を荒らす者は誰であろうと叩き潰さなくてはなりません。
 それが合衆国の正義というものです」


 誰だってそうだ。週に一度は休日が欲しいし休日にはゆっくりしたい。ラジオで野球中継を聴くよりも、野球場へ行って直に観戦したい。ガールフレンドや息子には、ソーダ水とピーナッツと駄菓子を買ってやりたい。
 買ってやっても帰りの足を気にする必要のない暮らしを、自家用車を購入し維持できる暮らしがしたい。

 誰もがそう思った。
 きっと日本人たちもそうなのだろう。彼らも週末には野球場に行って、煎餅やキャラメル片手に野球見物がしたいのだ。
 彼らは人間なのだから。


 そして大恐慌が起きた。あまりにも豊かになりすぎた社会を、豊かではなかった社会をまとめていた理念で動かそうとしたが故に。
 過ちは修正されねばならない。あの惨劇を二度と繰り返してはならないのだ。

 そのためには広い市場と新たな投資先が必要で、この地球は合衆国と日本帝国が住み分けられるほどには広くない。
 故に戦わなくてはならない。どちらかがどちらかを決定的に打ちのめすまで。
 
 武器を使わない戦いは日本側が優位に立っていた。日本経済は30年代前期から中期にかけて回復期に入っており、しかも加速度をつけてなおも成長し続けていたのである。
 自由経済を政府の積極介入により発展させるという奇妙な経済政策は、一年間あたりの推定成長率で前年比4割増しの成長という、前大戦期とその後の合衆国ですら及ばない速度で日本を繁栄の上昇気流に乗せていた。
 故に現在と同じ手段ではその優位を覆すことは難しい、と2年前のレイトン中佐は報告書をまとめた。

 そしてその直後にFDRことフランクリン・デラノ・ルーズベルト大統領は蒋介石率いる国民党への支援を大幅強化し、英雄的名声を持つ退役軍人を指揮官とした義勇兵部隊を編制し、チャイナ戦線へと送り込んだ。


 歴史とは一人の軍人が動かせるようなものではない。だから彼の行動が戦争を引き起こした訳ではない。
 全くの無関係だとも言い難いが。

 「それがお前にとっての正義か、女房子供に野球場でピーナッツを買ってやることが」
 「ええ。正確には合衆国の全市民がそうできる状態であることが、です」

 もう自分にはできませんがね、とレイトン中佐は寂しげな顔をした。
 野球好きだった妻と息子を、球場へ連れて行くことすらもう彼にはできない。二人が今いる場所には、天国にはピーナッツとクラッカージャックがあるだろうし野球試合も見放題だろうからその点の心配はしていないが。

 ある筈なのだ、天国には。聖書にも「天国に涙はない、主が全てぬぐい取ってくださる」と書いてある。
 だから天国には駄菓子を買ってくれと泣く子供はいない訳であり、ということは天国では何時でも駄菓子が手に入るのだ。
 祖国を、妻と息子が愛していたこの国を天国に少しでも近づける。それがレイトン中佐の望みだった。

 だから合衆国は永久に栄えなくてはならない。
 故に日本帝国は滅びなくてはならない。最低でも合衆国の覇権と繁栄を脅かす力を、未来永劫に持たせてはならない。
 チャイナの市場や資源や利権の所属が問題なのではない。日本帝国に合衆国と張り合える力があること自体が問題なのだ。



 合衆国の勝機が揺らぎ始めている、揺らぐのではないかと恐れられている今こそ、今だけ必要とされている統率の外道。それに中佐は「ギムレット(錐)」という名を付けた。
 錐は所詮工具である。武器として使ったところで、銃剣にすら及ばない。どんなに上手くいっても錐では敵軍を壊滅させられない。祖国から追い出すこともできない。
 だが当たり所によっては、しばらく足止めするぐらいならできるだろう。


 「エド。これが最後になるだろうから正直に言うぞ」
 「なんでしょうか、提督」
 「時々な、お前と話していると悪魔が実在するんじゃないかって思えてくる」
 「是非とも実在していて欲しいものですね、そうしたら私は悪魔から魂を買い叩いてやれるのですが」

 だって魂一つを売るだけで悪魔は望みを叶えてくれるのでしょう? ならば魂を山のように買い占めて悪魔をこき使えば、どれほどの望みが叶うのでしょうね。
 そう言って、エドウィン・トーマス・レイトン中佐はにこやかに笑った。




     ・・・・・



 ネリー・ケリーは野球好き
 選手の名前もみんな憶えてて
 試合のある日は「フレー!」と叫んでる

 彼氏のジョーと遊園地
 だけどすぐにご機嫌斜め
 彼に向ってこう叫ぶのさ

 私を野球に連れてって 観客席へ連れてって
 ピーナッツとクラッカージャックも買って頂戴
 家に帰れなくったってかまわない




     ・・・・・



 悪魔の話をすると悪魔がやってくる、という言葉もある。
 悪魔に魅入られた訳ではないだろうが、その日のエドウィン・T・レイトン中佐は普段の注意力を欠いていた。
 普段の彼なら絶対にしないことを立て続けにしでかしてしまったのだ。

 彼の過ちは、上官と別れて墓地から出ようとしたとき、誰かが墓石の陰に隠れていることに直前まで気づかなかったこと。
 そしてそのことを不審に思わず、警戒しなかったこと。
 その人物、墓標の前で跪いていたが祈りを捧げていた訳ではなかった小柄な老婦人が立ち上がり、彼女の横を通り去ろうとした彼に「失礼、レイトン中佐ですね?」と訊ねたとき、反射的に「はい、そうです」と答えてしまったことだった。





 合衆国の永続と繁栄の希望を抱いたまま、レイトン中佐はこの日死んだ。享年37歳。
 銃声を聞きつけ駆けつけたハルゼー提督が抱き起こしたときには、既に事切れていた。

 彼を隠し持っていた散弾銃で撃ち殺した老婆はハルゼー提督の誰何の呼びかけを聞いた瞬間にその場から離脱、レイトン中佐の運転手を務めていた下士官と銃撃戦の末乗用車を奪い逃走する。
 彼女は半日後に国道沿いのドラッグストアに立て籠もっているところを包囲した警官隊に狙撃され死亡するが、それまでに警察官2名を含む11人もの人間を射殺していた。

 後の調査で、知人の証言や自宅から発見された遺書などから、この老婆がレイトン中佐の発案した特殊攻撃作戦に参加した若者の遺族であることが判明する。
 彼女は直接孫を殺した日本軍よりも、非道極まりない作戦の立案者であるレイトン中佐の方を仇として憎み、亡夫の愛用していた散弾銃の銃身を切りつめてスカートの下に忍ばせ、その日墓地に向かったのだ。
 合衆国では大概の家庭に銃が存在する。荒野のただ中に建つ丸太小屋でも、大都会の集合住宅でも何処でも倉庫に猟銃の2丁や3丁は置いてあるものだ。戸外を闊歩し時に屋内へ押し入ってくる危険な害獣対策に、銃は必要不可欠の器材である。

 なぜ彼女が軍機である筈のレイトン中佐の職務内容を知っていたのか、なぜその日の行動予定を知っていたのか、どのような交通手段を使って墓地まで移動したのか、現在に至るも不明であり、何者かの情報提供と示唆による暗殺ではないかと疑われている。
 




 ウィリアム・フレデリック・ハルゼー元帥(当時中将)は、1940年10月27日のサンフランシスコ沖海戦にて戦艦ワシントンに乗り込み陣頭指揮をとった。
 太平洋艦隊司令部は「ギムレット作戦」を、貨物船にハリボテを貼り付けた偽装空母を囮にして敵の注意を北方へと引き寄せた上で、なけなしの戦艦部隊を敵陣へ突撃させる作戦を採用し敢行したのだ。
 後に「ブルズ・チャージ」と呼ばれたこの突撃は日本軍の油断と混乱に付け込んで幾重もの警戒線を突破した。
 その結果、ノースカロライナ級戦艦ワシントンはこの日の海戦で空母赤城、加賀、翠龍、戦艦比叡、榛名、剣を撃沈。空母翔鶴、戦艦陸奥を大破、その他大小の艦艇を撃沈または撃破した。
 

 3時間余りの海戦で日本陸海軍は前述の艦艇とあわせ特殊機母艦大井・北上、巡洋艦高雄、特設母艦日光丸など25隻合計で31万7千トンに及ぶ沈没艦を出した。その大半はワシントンただ一隻によるものである。
 軍艦や軍所有の船舶以外にも撃沈・大破後処分されたものは数多く、喪失を免れたものの中小破した艦艇や、恐慌状態に陥った上陸船団の無秩序な退避行動を原因とする事故・同士討ちなどにより何らかの損害を受けた船舶は合計で100万トン近くに及ぶ。

 そしてニュージャージー生まれの典型的アメリカ漢が乗った、国父の名を冠した戦艦はその名に恥じぬ大暴れの末に爆沈した。
 なお、これは長らく戦艦長門の放った主砲弾がワシントンの舷側装甲帯を貫通した結果だと言われていたが、再調査の結果それより前のおそらくは比叡の砲撃によって発生していた内部火災が弾薬庫へ引火した故の爆沈である可能性が高いことが解っている。

 海戦終了後に救助されたワシントンの生存者は6名。

 無論のこと、「ハルゼーの量産に成功していれば米国は勝っていた」という歴史ジョークの元となった男は、その中に含まれていない。




続く。



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