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No.39716の一覧
[0] 【WW2・時空犯罪・日本魔改造・蹂躙】名無しの火葬戦記【作者にネーミングセンスはない】[峯田太郎](2021/06/14 12:11)
[1] その一『ハル長官の憂鬱』[峯田太郎](2020/11/01 13:02)
[2] その二『ヒトラー総統の童心』[峯田太郎](2021/06/14 12:13)
[3] その三『アメリカの夢と悪夢』[峯田太郎](2021/06/14 12:17)
[4] その四『ポーランド戦線~義勇兵と解放軍と、毎日、最大の敵』[峯田太郎](2020/11/01 13:02)
[5] その五『チャーチル首相の偏屈』[峯田太郎](2020/11/01 13:01)
[6] その六『太陽の国から来た惨いヤツ』[峯田太郎](2021/06/14 12:11)
[7] その七『幻想の帝国』[峯田太郎](2021/06/14 12:17)
[8] その八『戦争の冬、ロシアの冬』[峯田太郎](2020/11/01 13:05)
[9] その九『雪と老嬢』[峯田太郎](2021/06/14 12:18)
[10] その十『ムッソリーニ統帥の愉悦』[峯田太郎](2021/06/14 12:17)
[11] その十一『カップ一杯の温もりを』[峯田太郎](2021/06/14 12:16)
[12] その十二『変わる大地』[峯田太郎](2021/06/14 12:14)
[13] その十三『天国に涙はない』[峯田太郎](2020/11/01 13:09)
[14] その十四『とある老教師の午後』[峯田太郎](2021/06/14 12:15)
[15] その十五『兵は詭道なり』[峯田太郎](2021/01/02 12:56)
[16] その十六『経度0度の激闘』[峯田太郎](2021/06/14 12:13)
[17] その十七『英雄の名』[峯田太郎](2021/06/14 12:15)
[18] その十八『千の千の千倍の‥‥』[峯田太郎](2021/06/14 12:14)
[19] その十九『上海の夜』[峯田太郎](2021/06/14 12:16)
[20] その二十『マンハッタン島の取り引き』[峯田太郎](2021/01/02 12:55)
[22] その二十一『終わりの夏、夏の終わり』[峯田太郎](2021/06/14 12:12)
[23] その二十二『また会う日まで』[峯田太郎](2021/06/14 12:12)
[25] その二十三『未知の昨日、既知の明日』[峯田太郎](2021/06/17 11:02)
[26] その二十四『いまなお棚引くや、故郷の旗よ』[峯田太郎](2021/06/17 11:02)
[27] その二十五『テキサス大攻勢』[峯田太郎](2021/06/17 11:03)
[28] 『番外、資料編』[峯田太郎](2021/06/14 12:19)
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[39716] その十二『変わる大地』
Name: 峯田太郎◆cbba1d43 ID:98863f1a 前を表示する / 次を表示する
Date: 2021/06/14 12:14






            その十二『変わる大地』




 1940年6月18日、ドイツ第三帝国総統アドルフ・ヒトラーとフランス暫定政府首班フィリップ・ペタン元帥は講和条約に調印。一部の亡命者や海外領土はともかく、独仏本国同士の戦争はこれで完全に終結した。
 いずれ復仇戦もあるだろうが、それは何年か十何年かあるいは何十年か後のことになるだろう。何時のことになるかはともかく、必ずフランスは復活しドイツに挑戦するに違いない。
 千年王国? 言った本人だって本気で第三帝国の欧州統治が千年続くなどと考えてはいない。口にした瞬間はそうでもないが。

 講和の条件としてフランス本国領土のうちブルターニュ、ベイ・ド・ラ・ロワール、サントル、ブルゴーニュ、フランシュ・コンテ、そしてそれより北の7地方合わせて12の区域がドイツ領土として割譲された。
 もちろんその中には大パリ市などのフランス中核部も含まれている。実質上の亡国と言って良い。

 無論のこと、この事態を受け入れず抵抗を試みる者もいた。しかし数が少なすぎた。
 カレーなどからブリテン島へ脱出できたフランス軍将兵は僅か一万人足らず。これでは傷病兵が回復しても一個師団すら編制できない。そのなかにはルクレール大尉など未来の英雄達が含まれていたものの、現時点では敗残兵である彼らには建設的な事はもちろん、ろくでもない事をやらかす力すら残っていなかった。

 陸地を通って逃れようとした者たちがどうなったかと言えば、海を渡った者たちよりも悲惨だった。
 なにしろ陸続きのイタリア王国とスペイン王国は一応中立国だが、防共協定の主要国である。両国はフランスの窮地に付け込んで火事場泥棒的に参戦したりはしなかったが、ソヴィエト・ロシアと組んで世界征服戦争を仕掛けてきたフランスに対して甘い顔もしなかった。

 イタリア方面に逃げ込もうとしたフランス軍は国境を越えた瞬間にイタリア空軍の機銃掃射と急降下爆撃で歓迎され、更に進もうとした者は地雷原と機関銃陣地と野戦砲部隊に出迎えられた。進みようが無くなった所に背後からドイツ国防軍第7機甲師団の急襲を受けたフランス軍残存部隊は降伏するしかなかった。

 一方スペイン方面に向かったフランス兵たちは砲火を交えることこそなかったが、スペイン国粋派は亡命を求めるフランス人達を武装解除の上で拘留している。武装解除を拒んだ部隊はスペイン軍に追い返され、そこに追い付いてきた第9機甲師団らに捕捉され投降した。
 そして「今大戦における厳正なる中立」を謳うスイスは当然ながら国境を固め、軍服を着た者や小銃一丁でも持った者を通そうとしなかった。

 フランス軍に逃げ場はなく、故に国内に留まったあるいは逃げ遅れたフランス軍残存部隊は降伏か負けの決まった抵抗かの二者択一を迫られることになった。
 彼らの名誉のために、抵抗を選んだ者たちを排除するのにドイツ軍は大いに苦労する羽目になったことだけは明記しておく。
 実際の話、フランス戦でのドイツ側の死傷者や撃破された航空機や車輌などの被害は「パリが陥落するまでよりも、それから後の方が多い」という統計結果が残った程だ。
 確かにフランス軍は弱かった。しかし個々のフランス兵は決して弱くなかったのである。


 時系列をやや遡って、パリが陥落した翌日の5月27日。ドイツ第三帝国は英国政府に対し再度講和を呼びかけた。
 だが英国民はこれを拒否。徹底抗戦を断言する。
 英国政府が、ではない。首相や国王が何かを言う暇もなく、英国の世論が戦争継続を望んだのだ。

 大英帝国の臣民は更なる戦争を望んだ。ここで講和などしては近い将来に祖国が全てを失うことを殆どの者が理解していたからだ。故に彼らの士気は高かった。
 BBCのとある声真似の得意なアナウンサーが、当代の首相を真似て語った演説が何故か首相本人が語ったものとして扱われてしまい、ウィンストン・チャーチル氏の人気と支持率が爆発的に高まった程である。


 その演説の内容自体は

 「我々は確かに敗れ、手痛い打撃を受けた。だが降伏しない。断じてしない。戦いはまだこれからだ。
 我々は戦う。空で戦い、海で戦う。断崖で、砂浜で、波打ち際で戦う。
 荒野で、森林で、丘陵で戦う。山岳で、草原で、沼沢で戦う。
 街道で、牧場で、果樹園で、花畑で戦う。大通りで、広場で、公園で、路地裏で、花壇の植え込みで戦う。
 たとえブリテン島の端まで追いつめられ目の前に彼らが来たとしても、独裁者の軍隊に降伏などしない」

 という、トラック島沖で太平洋艦隊が壊滅したおりに合衆国のルーズベルト大統領がラジオで語ったものの焼き直しにすぎなかったが、演説など内容ではない。聴衆に受けるか受けないかのみが大事なのだ。
 どうせ元ネタになった方も、何処かの何かのパクリなのだ。英語圏の人間がこよなく愛するシェイクスピアの戯曲にしてもパクリとパロディの塊である。類似品の中で最も優れていたから残ったに過ぎない。
 あるいは残ったからこそ評価されているのかもしれないが、どちらにしても同じ事だ。


 この事態に焦ったのは英国首脳部である。事実はどうあれ、こうなってしまえば最早講和など不可能だ。世論を無視して講和を強行しようものなら最悪の場合革命沙汰になる。現政権どころか王室すら吹っ飛びかねない。
 通商破壊によって断末魔の苦しみにある本土を救うため、彼らは非情の選択を行わざるを得なかった。

 1940年6月3日の、ブレスト港襲撃事件である。

 パリ降伏後にブレスト軍港へ集合していたフランス海軍残存部隊は、英国海軍の奇襲を受けその主力艦全てを失った。生き残った駆逐艦などの僅かな小艦艇は一部がモロッコや南米などにまで逃れ、一部は英海軍に拿捕され、一部はポルトガルやスペインの港に逃げ込んで降伏した。

 宣戦布告を含めた一切の通告なしに、同盟国の艦隊へ行われた この「卑劣な騙し討ち」に仏海軍はもちろん全てのフランス人が激怒した。
 激怒しないフランス人は激怒した者たちによって以後フランス人扱いされなくなったので間違いない。
 ヴィシーフランスやドイツに併合された北部の統治が以後速やかに纏まったのは、この事件への怒りそしてブリテン島の住人への恨みによってであると言ってよい。

 早い話が、偉大にして英邁なる連合王国は昨日までの同盟者を切り捨てたのだ。もはや無用、と。
 フランス海軍はそうあまり強い海軍ではない。スペインやイタリアの海軍相手ならともかく復活したドイツ高海艦隊には見劣りするし、英国のグランド・フリートや日本の連合艦隊とは規模の面からして違いすぎる。比べる事自体が無茶だ。

 しかし無力には程遠い。組織としての活力はともかく所有する戦艦や巡洋艦の能力は決して舐めてかかれるものではない。
 航行中を航空機によって沈められるという世界初の記録を作ってしまった二隻の戦艦にしても、同じようにして沈められた戦艦マラヤよりも戦果的には善戦している。
 ダンケルクとブルゴーニュが沈んだのは数に勝てなかったからであって、艦の性能や乗組員の能力に問題があった訳ではない。

 だが英国から見れば、フランス海軍は味方にしてもそれ程には役に立たない。
 所詮は陸軍国の海軍であるし、フランス人が何を苦手としているといっても他者と歩調を合わせることほど苦手としている事はないのだ。特にイギリス人とは。
 それでいて敵に回すとうざったい。味方としては頼りにならないが敵に回せば面倒くさいのがフランス海軍である。ネルソン提督だってフランス海軍との海戦には勝ったが戦死したのだから。

 何よりも、もう英国にとってフランスそのものに大した利用価値がない。パリが制圧されてしまった以上、ドイツへの盾にも使えなくなった。
 ならば、どうせ負けると分かり切っているドイツに押し付けてしまえば良い。英国の役に立たないフランス海軍など沈めてしまえ。ドイツに付こうが付くまいが、味方にならぬのなら敵だ。
 勝てば全ては正当化できる。フランス海軍残存部隊は傀儡政府に寝返る危険があった、あれは緊急避難だったと言い張れる。

 ブレスト奇襲事件によってフランスは実質的に連合国から離脱した。傀儡政権であるヴィシー・フランス政府はもちろん、仏国民の殆どが英国を見限ったからだ。


 そして見限られた英国政府にとっては全て計算どおりである。これでフランスの凋落は決定したからだ。無論ドイツも。


 1940年6月5日、ニューファンドランド島沖の沈没事故を切っ掛けにアメリカ合衆国はドイツ第三帝国及びヴィシー・フランス共和国及びイタリア王国に宣戦を布告した。
 同日同時刻、大英帝国そして自由オランダ・自由ベルギー両政府を加えた連合国はヴィシー・フランス共和国及びイタリア王国及び大日本帝国に宣戦布告。地中海の英国海軍は日本船籍とイタリア船籍とフランス船籍の船を片端から拿捕あるいは撃沈し、イタリア海軍とフランス海軍の水上部隊と根拠地を次々と襲撃した。

 寝耳に水の宣戦布告に慌てふためいたイタリア政府とムッソリーニ統帥だったが、上記の攻撃にくわえてリビアの油田と精油所及び港湾施設が英国海空軍によって被害を受けたことに激怒し、英米両国ついでにおまけに対して宣戦を布告。地中海は戦いの海となった。

 同じくフランス軍投降兵らをまとめ上げたヴィシー・フランス政府とペタン元帥も連合国に宣戦布告した。
 ペタン元帥は国内のとりまとめと対独降伏交渉をしながら連合国と戦争をするという政治的軽業を行わなければならなかったが、なんとかやりとげた。
 その手腕は魔術というか奇術のようであったが、とにかくやり遂げたのである。故にペタン元帥は後世の一部歴史家から「そんな政治力があるならせめて5年前から発揮してくれれば」となじられたり呆れられたりするのだが、それは的外れな意見だろう。
 彼はあくまでも共和制国家の軍人であって、担ぎ出されでもしないかぎり国家首脳になどなる訳がなかったのだから。


 英国政府の狙いは明らかだ。   
 独・仏・伊の三国をファシズム国家とその傀儡とみなし、叩き潰す。それが出来さえすれば欧州は大打撃を受ける。今後数十年、ことによっては数世紀の間、かつての力を取り戻すことはないだろう。
 その間世界の覇権を握るのは誰か? 言うまでもなく合衆国だ。そして英国はその傘下に入り、二番手として世界の覇権を一部だけ担うことになる。
 つまり英国政府は、ドイツの手下になって合衆国に潰されるのもフランスと付き合い続けて諸共に落ちぶれるのも御免だから、元植民地の飼い犬になることにした訳だ。

 ブレスト奇襲はその宣言、フランスとは今後馴れ合わないという合衆国へ向けたサインなのだ。同時に、ここまでしたのだから戦勝後は欧州方面代官の役割ぐらい寄越せという図々しい要求も含まれている。
 正に厚顔無恥。えげつないにも程がある。
 しかし英国首脳部には他に手の打ちようが無かった。長らく英国の力の具現であった海軍が壊滅しつつあるからだ。

 英国海軍は強かった。植民地維持用の海軍としては。
 通商航路を守る海軍としても弱くはなかった。とりたてて強くもなかったが。
 そして海上決戦は、やる度に負けた。ドイツ海軍にもイタリア海軍にも日本海軍にも負け続けた。

 一例を挙げれば、英国の誇るグランドフリートは4月半ばの北海海戦でドイツ海軍の戦艦4隻(シャルンホルスト、グナイゼナウ、ビスマルク、ティルピッツ)と戦い、戦艦ネルソン、ロドネー、キングジョージV世、巡洋戦艦フッド、レナウンの5隻を喪失した。
 離脱に成功したR級戦艦2隻のうちロイヤル・ソブリンは帰還中に操作を誤り座礁した後、ドイツ海軍航空部隊による対艦爆弾の雨霰を浴びて爆沈。ロイヤル・オークだけは満身創痍ながらも沈没を免れ、現在ドックで修理中である。
 なお、ドイツ艦隊の被害は戦艦4隻のうち中破1小破1。その他にも重巡プリンツ・オイゲンが大破し戦場を離脱した後ダメージコントロールに失敗し沈没、駆逐艦が3隻中小破している。

 6月上旬、まだイタリア王国が宣戦布告もしていない状況でなし崩しに起きた第二次サラミス海戦では空母イラストリアス、アーガス、戦艦クイーンエリザベス、ウォースパイトを失った。
 もっともこちらはイタリア海軍の空母アクィラを自沈に追い込み戦艦ローマを始め海戦に参加したイタリア戦艦群全てを中小破させているだけ、殆ど一方的にやられている本国艦隊よりはマシだった。
 なお、この海戦の後に増援として地中海へ送り込まれたR級戦艦リヴェンジと空母グローリアスは、カイロ港でイタリア海軍の特殊部隊により船底に爆弾を取り付けられ大破着底した。

 英国の宣戦布告と同時刻に行われたタラント港への奇襲航空攻撃は、イタリア陸軍が運用実験中だった新型電波警戒機(レーダー)により発見され、通報を受けて飛び立った水上戦闘機部隊の迎撃が間に合ったため失敗に終わっている。
 防共協定諸国の軍部は全般的に交流が盛んであり、少しずつではあるが相互に長所美点を見習っての組織改革が進められていた。予算や組織としての文化などの問題もあってその歩みは順調ではなかったが、それでも幾つかの改善は成されている。

 たとえば、ドイツやイタリアでは陸海空の三軍態勢となっているが、これは空軍が航空戦力を独占していることになり陸海軍は航空支援が欲しいときに得られなくなるという問題があった。
 平たく言うと、旧来の態勢では独伊の空母は一隻の船の中に海軍と空軍が別々の指揮系統のまま同居しなくてはならない。これではまともに戦えない。

 なので独伊両国は日本陸海軍の航空隊を参考にして、空軍以外の航空戦力を整備している。たとえば前述の水上戦闘機部隊はイタリア海軍所属だ。機体と教官と操縦士の一部は日本製だが、所属も命令系統も指揮官も全てイタリア海軍である。
 陸軍からの警報が即座に海軍に届いたことからも分かるように、イタリア軍の組織柔軟性は決して低くない。スペイン内戦で鍛え上げられ実戦向けの組織となったのはドイツ軍だけではないのだ。

 改革はドイツでも日本でも行われている。改革につきものの軋轢や醜聞は多々起きていたが、それでも行われていて、成果も出た。
 おかげでドイツの某空軍大将が拳銃自殺したり日本の某海軍大佐が割腹自殺したりと色々あったが、なんだかんだで協定諸国軍は健闘しているのだからそれらの犠牲も無駄ではなかったのだろう。

 一例を挙げるなら、日独伊三国の海軍部隊が共同で採用した新型魚雷は外殻と推進器が日本製で、爆薬がドイツ製で、信管はイタリア製である。
 某国では、それまで配備されていた魚雷の開発者が利敵行為の容疑で公安組織に拘束されるという事件が起きた程に、この魚雷はあらゆる面で既存品より優れていた。
 三国の協力なしでは、ここまでの代物は到底造られなかっただろう。カール・デーニッツ提督は、戦後出版した回想録で魚雷開発の成功が協定軍勝利の一因である、と評している。
 


 その他大小の海戦でも英海軍は叩かれ続けていた。ノルヴィク海戦は戦果的に英海軍優位で終わった戦いだったが、それでも作戦目的の達成には失敗した。
 中破してキール軍港のドックで入院生活を送っているシャルンホルスト以外のドイツ戦艦三隻はその後も北大西洋上で猛威を振るい、軍属民間問わず連合国の船を沈めまくっていた。
 そこに新戦艦フリードリヒ・デア・グロッセとバルバロッサが加わったことで大西洋の英米海軍はお通夜状態である。

 7月10日、通り魔的通商破壊を行いつつアメリカ大陸東海岸へ接近していたドイツ海軍戦艦部隊に対し米大西洋艦隊は5隻の戦艦と空母ワスプを主力とした艦隊を迎撃に出す。航空機の傘がないドイツ艦隊なら充分通用するかと思われたが結果は惨敗だった。

 フレッチャー少将率いる航空隊は三度にわたる攻撃を行ったものの、ワスプの搭載機が半減するほどの被害を出したにも関わらず戦果はごく僅かなものだった。雷撃機部隊は壊滅、命中魚雷なし。急降下爆撃機隊は6割近い損失と引き替えに直撃弾3発、至近弾2。
 実質日本設計のシャルンホルスト級戦艦と、その影響が大きいビスマルク級の対空防御は設計者の強迫観念すら感じさせる水準にあった。その徹底ぶりは本物のハリネズミですら喩えに使われたならば己の至らなさを恥じらって逃げだしかねない。

 なにしろシャルンホルスト級は基準排水量35700トンの船体に45口径105㎜連装両用砲12基24門、40㎜4連装機関砲8基32門、40㎜連装機関砲12基24門、20㎜4連装機関砲10基40門、20㎜連装機関砲16基32門、9連装150㎜対空噴進弾4基、対空照準装置11基という既知外じみた重武装である。
 もっとも、お陰でシャルンホルスト級の主砲は360㎜砲を三連装3基の合計9門に抑えられているし、搭載兵器に浮力を振り分けている関係上装甲も決してぶ厚くはない。
 新型であり強力な戦艦であることは疑いないが、無敵でも不沈でもないのだ。もっともそんな戦艦は世界の何処にも存在しないが。
 500ポンド爆弾の直撃を受けたティルビッツの被害が小さかったのは当たり所が良かったのと、合衆国製対艦爆弾の貫通力が低かった所為である。魚雷ほど極端ではないものの、合衆国製の対艦爆弾もまた欠陥品の誹りを免れられぬ代物だった。


 日本海軍の空母攻撃隊相手でもある程度持ちこたえられることを目標に造られた戦艦は、ワスプの攻撃隊から直接的には大した被害を受けなかった。だがその執拗さには辟易していた。
 なのでドイツ艦隊は右に左にと舵を切って攻撃隊をやり過ごそうとしたのだが、この際の動きを「敵が退避を開始した」と誤認した米大西洋艦隊主力は追撃を断念して帰路についた。

 もちろんこの判断は誤りだった。速度で決定的に劣るアメリカ艦隊がドイツ艦隊に追い付けないのは確かだし、逃げ足の早い敵を無理に追撃しないという選択もそれ自体は間違いではない。
 だが、ドイツ艦隊が逃げたと判断するには早過ぎた。
 そう、鬱陶しい敵空母が一隻しかいないことを、その搭載機が激減したしたことを覚ったドイツ戦艦部隊は遙か上空成層圏近くまで上がった気球から放射される電波を頼りに、闇夜の中を疾走していたのだ。敵を求めて一直線に。

 そして翌日夜明けの直後、戦闘はないと艦全体で弛緩しきっていた戦艦ニューメキシコは戦艦ビスマルクによる遠距離砲撃の直撃弾を受け大破。迎撃艦隊指揮官キング中将は艦橋ごと爆砕され戦死した。もちろん指揮権委譲などする間もなく。
 短く激しいが一方的な戦闘が続き、個艦性能・乗組員の練度と士気で劣りしかも初撃で指揮系統を破壊された米戦艦残り4隻は不意打ちされた混乱の中、各個に戦うしかなくその結果として惨敗した。

 前日からの戦闘行動の連続により、燃費の良さに定評のあるディーゼル機関搭載のドイツ戦艦も流石に燃料切れが怖くなって本当に撤退した為に全滅だけは避けられたが、それでもノーフォーク軍港へ帰ってきたのは戦艦テキサス及びアイダホと駆逐艦3隻のみ。その5隻もワスプの残存航空隊が支援しなければ離脱できたかどうか。
 ニューメキシコ・ミシシッピ・ニューヨークの戦艦3隻、そして随伴していた重巡3隻と残りの駆逐艦6隻は大西洋に沈んだ。

 奇襲さえ受けなければここまで一方的にやられはしなかっただろう。だが指揮官が油断していなくとも奇襲そのものを防ぐのは難しかった。
 協定諸国軍と異なり、英国のレーダー技術はようやく地上配備が始まった所である。合衆国では海軍技官ですら存在を知らない人間の方が多いぐらいだ。合衆国に、船に搭載して実戦で使える水準の電波式警戒装置がある訳がない。
 実際の話、キング中将もその参謀達もレーダーやその類似品に対する確かな知識も見識も持ってはいなかった。精々「日本海軍の電波式測距儀は性能良いらしいぞ」という噂話を聞いた程度である。

 これはトラック島沖海戦の敗因をキンメル大将一人に押し付けてしまった弊害でもあるが、日本海軍が彼らの切り札、その一つである電波兵器の情報を秘匿し続けていたからでもある。
 防諜が緩いと評判の日本人とその組織だが、彼らが情報漏れ対策において全くの無能な訳ではない。どこに鍵を掛けるか、何を金庫に仕舞うか、誰を泥棒として警戒すべきかの感覚が欧米諸国の人々と盛大にズレているだけの話だ。

 しかし人の口に戸が立てられる訳はなく、日本陸海軍で電波兵器が開発されていることは噂として人々の間に流れていた。
 肝心の内容が「放射版から放たれた怪電波光線が数百メートル先の戦車をドロドロに溶かしてしまう」という荒唐無稽なものだったが、これが陸軍中野学校などによる情報操作の結果だと判明したのは戦後半世紀ほど経ってからのことである。

 アインシュタイン博士ら一部の科学者たちは「電波兵器の充実なくして現代戦の遂行は不可能」と主張し、実戦配備に向けた研究も始まっているのだが合衆国の電波兵器技術は協定諸国のものと比べると年単位の遅れがある。これはそう簡単に取り返せるものではない。



 このように正面切っての砲撃戦では協定諸国の戦艦に敵わず殴られ続け、「倍でも瞬殺、三倍でも必敗、五倍いればあるいは」とまで言われているのが連合国の戦艦部隊だ。
 現状でも劣勢なのに、ドイツ海軍に推定排水量5万トン以上の新鋭戦艦が二隻も加わっては士気が下がるのも当然である。


 BBC放送などが言うとおり、ラングレー二世を始めとする訓練用改造空母群が五大湖あたりで操縦士を量産しているので、協定諸国海軍の優位は長く続かないかもしれない。

 問題は彼我の優劣がひっくり返る前にブリテン島が干上がりそうだという点だ。
 自前の商船隊は壊滅状態、旧植民地からの輸送船も無事辿り着けるのは半分以下、対日宣戦布告をしてからは中立国経由で手に入っていた物資も止まってしまった。
 資源や物資をブリテン島へ運び込むには商船の通る航路を守らねばならず、航路を守るためには海軍が必要だが、海軍の船や飛行機を動かすには大量の資源や物資が必要なのだ。
 
 
 度重なる損失と破損により、現在の英国海軍には稼働する正規空母が一隻もない。合衆国から貸与された商船改造護衛空母以外の保有空母は全てドックか海底に泊まっている。その改造空母も次々と停泊地を海底に変更しているが。
 停泊地を海底へと変えてしまった空母は英海軍所属のものだけではない。米海軍所属の艦隊空母も既に半分は沈んだし、残り半分のうち半分もドックに入っている。
 レキシントン・レンジャー・ホーネットは沈んだしサラトガとワスプはドック入り、現在稼働している艦隊空母はヨークタウンとエンタープライズだけだ。
 
 連合国海軍は艦艇の修理と建造を急いでいるが、米国はともかく物資も人手も足りていない英国の造船所では作業も思うように進まなかった。
 開戦から延々と続く負け戦に製造現場の士気は低迷している。敗因の一つが、自らが造りあるいは整備している艦船の不具合にあると、薄々感じ取っている者たちは特に強い焦燥と絶望のなかにあった。

 無論のこと機械に全ての敗因がある訳ではない。しかし英国製軍艦の多くに問題があったのも事実である。蒸気式カタパルトなどの例外を除けば、軍事的に評価可能な全ての要素で英国製の軍艦は日本製の同種に劣っていた。
 純軍事的でない要素、士官室の内装などは別だが同程度の排水量を持つ艦どうしを比較すれば、日本海軍の方が平均的な居住性においても優れている。
 一例を挙げると日本海軍の艦船にも害虫はいるが、英海軍と違い厨房の灯りを消せば床が見えなくなるほどに蔓延ってはいない。
 
 かつて英国の報道は日本軍艦を「餓えた狼」と評したが、二次大戦期の英国軍艦は「野良犬の干物」とでも評されるのが相応しい代物だった。
 閉鎖された倉庫の隅などで時折発見される、迷い込んで其処で死に干涸らびた哺乳類の死骸の如き惨状。英国海軍がここまで落ちぶれた理由は色々ある。それを事細かく語れば書籍が何冊あっても足りはしない。
 
 何もかもが上手くいかない中で、やっとの思いで完成させたのが最新鋭空母インドミタブルだった。この空母は英国海軍の意地が結実した優秀な艦であり、航空機搭載数など性能的にも日米の主力空母に比肩しうる存在だった。

 装甲航空母艦インドミタブルは就役の二週間後、訓練航海に出た途端Uボートによって沈められた。
 新鋭空母の喪失を大英帝国の落日、その象徴ではないかと考える人々は決して少なくなかった。敵も味方も、つい最近までの身内も。
 






  【1940年9月15日 オーストラリア アデレード郊外 とある安食堂】



 もともとの敷地が狭いこともあって、今日も食堂は混んでいた。敷地面積が有り余っている土地柄なので駐車場は広いが、店内は狭い。歩き回って仕事している店主や給仕の体力は有り余っていない というのが店側の主張である。
 だが店は混んでいる。安くて美味くて料理が出るのも早いからだ。しかもこの店はチップが要らない。最初から店員の給料にチップ分が含まれている。
 その店側から出すチップの査定は店長がやっていて、店長の給料に含まれてるチップが一番多い。店長が一番働いているからだ。

 しかしそれでも以前までの給料よりずっと従業員への支払いが良い。そして高給料であるからこそこの店には質の高い店員が揃っている。
 店長が能なしでなく、働き者である限り実に有効な制度なのだ。
 客側に給与支給の面倒を押し付けている従来のチップ制度の煩わしさなど、もう思い出したくもないという客層がこの店に付いていた。だから今日も店は混んでいる。

 「例のインなんとかとかいう空母を沈めたUボート艦長だけど、ダイヤモンド付きの勲章を貰ったそうよ」
 「やれやれ、だね。グランドフリートとやらもとんだ見かけ倒しだよ」

 同僚達の噂話を聞いて、見かけ倒しだったのではなく過適応だったのではないかと、ジャクリーン・ソームズは思った。いわゆるサーベルタイガー現象だ。
 有史以前に生態系の頂点に立っていた大型獣専門のハンターは氷河期の終わりと共に、絶滅した獲物たちを追いかけるように滅びていった。氷河期が終わってから栄えた小さくすばしこい獲物を狩るには、彼らの巨大な牙は役に立たなかったのだ。
 それとは逆に、外敵のいない離れ小島で長く過ごしすぎた結果、突如として現れた外敵から逃げることも戦うこともできずに絶滅したドードー鳥のような例もある。
 英国海軍は進化の中であまりにも特化し過ぎたのだ、弱い者虐めに。

 英国海軍は植民地や大陸国家の海軍など相対的に弱い相手を虐め抜く技術は進歩したものの、代わりに同格以上の敵と渡り合う能力をなくしてしまったのだ、と個人的にジャクリーンは考えている。

 ろくに中学校にも通ってないジャクリーンだが、現在は夜間学校で学ぶ女学生だ。昼間というか朝の9時前から昼の15時までトラックの運転手として働き、15時過ぎから20時前まで学校で学び、その後はラジオを聴きながら家事や自習をしたり、家族や同じアパートの住人達とお喋りなどをしたりして過ごしている。普段の日は、だが。


 知識を増やす事は、言ってしまえば積み木を増やすことに似ている。
 たとえば、積み木を三個しか持っていない子供でもその三個だけを使って遊ぶことができる。だが、持っている積み木だけで様々な物を作ったり表現できたりするだろうか。
 まず無理だ。三個でも五個でも七個でも、それだけの積み木では家屋は作れない。小屋だって難しいだろう。
 しかし積み木の数と種類が増えたなら、増えた積み木を組み合わせることで表現力が高まる。百個二百個三百個と増やしていけば塔と城壁付きのお城だって組み上げられる。

 知識も同じだ。蓄えた知識が多いほど組み上げられる思考が高度になる可能性が上がる。いわゆる愚民政策などで大衆に知識を与えぬよう、教育の機会を奪うのはそのためだ。
 重税に不満を持ち生活の愚痴をこぼすことは誰にでもできる。しかし税制の不合理性を指摘し、より公平で効率的な是正案を提唱するには算術や社科学や財産運用や法律学さらにはその背景となる思想やら理念やらを理解する必要がある。無学なままで出来る事ではない。


 知識を増やすことは、そのまま能力と可能性を上げていくことである。故に学問は大事なのだ。
 全ての人が生まれながらにして平等に作られていない以上、その差を少しでも縮められるものがあるとしたら学問しかない。

 ジャクリーンは子供の頃から「頭がよい」と言われたことがなかった。実際に小学校での成績は下から数えた方が早い。
 しかし夜学に通いはじめてから僅か二ヶ月余りの時間で、彼女は相当な段階まで教養を積み上げている。そしてなおも貪欲に知識を吸収し続けていた。
 彼女が短時間で身に付けたものはいささか偏っていたが、例えば数学知識などは先進国の平均的な大学生と比べても見劣りしない水準にある。
 環境の差、教本の違い、それら以外の要素もあって、今のジャクリーンは学習が楽しくて堪らなかった。

 彼女に夜学へ通うことを勧めた恋人は、まさかここまでとはと呆れたが「勉強できるのは良いことだ」と応援してくれている。
 社会からの「女が学校に通ってどうする」というような圧力は、完全に無くなったわけではないが急速に減ってきている。今のオーストラリアには人手が絶対的に足りてない。
 なにしろ世界大戦の真っ最中である、需要はいくらでもあるのだ。国家経済の破綻を防ぐために、足りない人手を増やす為に猫でも柄杓でも使わなくてはならない。
 だから低所得層の若い女にも学べる機会が今のオーストラリアにはある。質の良い労働力は教育なくして得られないのだから。
 

 昼食のローストチキン・サンドイッチ、そして付け合わせの煮野菜(高菜)と豆腐ソースのパテ、をホットチョコで流し込み、食堂のカウンター席を立ったジャクリーンは細っこい体つきの、若いオーストラリア娘である。職業は学生兼トラック運転手。
 人手不足な今の南部オーストラリアでは、女の運転手は珍しくもない。
 なにせ働き盛りの男どもが元宗主国に万単位で捕まったまま帰国できないでいるのに、景気は上向く一方なのだ。なのでジャクリーンのように昨日今日運転を憶えたような新米ドライバーが増え続けている。

 無論のこと個々の事故や事件や社会問題が続出しているが、当局の手によって迅速かつ大雑把に対処されていた。全ては経済を回すためである。
 幸運にもジャクリーン個人に限って言えば、これまで運転席の裏に置いてある散弾銃の出番が来たことはない。
 彼女の乗るトラックは緑化センターの所属であり、センターから供給されるガソリンで動いている。今のアデレート周辺には、ガソリンスタンドに寄る必要がない運転手の財布より襲い甲斐のある獲物が他にいくらでもあるのだ。

 いつの世にも現金目当てでない強盗が存在するがそれらの大部分は数ヶ月前に、ジャクリーンが運転免許を取る前にアデレート周辺からは駆逐されている。
 地元の男どもから見て身体が細すぎのうえ薄味な容貌の彼女だが、だからこそ狙われる要素となりうる。野性の肉食獣が真っ先に狙うのは良く肥えた大柄な羊でなく、病気や怪我で弱ったあるいは老いたり幼かったりで元から弱い羊なのだ。
 ケチな盗人ほど貧乏人の懐を狙うものである。相手が金持ちだと報復が怖い。


 ジャクリーンは壁のコート掛けから、野暮ったい茶色のコートを取って羽織った。温かい食堂から出るのは辛いが、このお気に入りの防寒具があれば幾らかはマシだ。恋人から白金懐炉と一緒に贈られたこのコートはマンチュリアの冬に備えて作られただけあって温かく、しかも軽くて動きやすい。
 それにトラックには暖房装置もある。エンジンの廃熱を利用するものなので運転席が温まるまで時間がかかるが、その間ぐらいは我慢できるのだった。若さとは実に素晴らしいものである。

 なによりも一番辛い時期は過ぎている。南半球のこの国はまだ冬だが、これから少しずつ温かくなっていくのだ。
 戦争から一抜けできたオーストラリアは、平年よりいくらかは温かい冬だったこともあって今年は殆ど凍死者も出ていない。

 まあ、気象よりも久方ぶり(有史以来?)の好景気で誰もが懐を温かくできたからではあるのだが。もしもオーストラリア政府が大戦からの足抜けに失敗していたら、ジャクリーンは家族もろとも凍死していた可能性がある。
 オーストラリアにとっての戦争が終わらなければ当然ながら日本との貿易強化や資本注入もなく、彼女が恋人と出会うこともなかっただろう。



 学校から学費と生活費そしてそれらの返済義務の免除に加えそれなりの報奨金まで貰ってるジャクリーンは、校内屈指の秀才である。昼間の学校に移って勉学に専念したとしても誰も咎めないだろう。
 だが彼女は今日もトラックのハンドルを握り、ペダルを踏む。自動車の運転が好きだからだ。

 人間の意思どおりに動く頼もしい相棒。製造者と使用者と整備員が間違えないかぎり何の悪さもしない、機械の荷馬車。
 それは彼女にとって初めて思いのままに動かすことができた文明の利器であり、科学の勝利そのものだった。

 日本からオーストラリアへ持ち込まれた統制型トラックは、これまで主流だったフォード製トラックを一瞬で駆逐してしまった。なので、元日本兵の恋人に運転を教えて貰った彼女が初めて運転席に乗ったトラックが統制型であるし、他のトラックには乗ったことがない。 

 いや、正確には一度だけ、試しにフォードの6トン車を運転してみようとした事があるのだが一日走らせることすらできなかった。
 バッテリー液がどうの暖機運転がどうのとエンジンを掛けること自体が一苦労で、操縦性は最悪、騒音と振動だけは一人前で走行性能は劣悪そのもの、クラッチどころかハンドルを切ることすら苦労する代物だ。
 というか運転席まわりにしてもボンネットの下にしても設計が不合理過ぎて見ていると頭痛が起きる。知り合いの整備士に聞いた話では、素人が簡単に運転できて整備できると修理工場の仕事がなくなるので、アメリカ車はわざと使いにくい設計にして事故が起きるように設計してあるそうだが、本当かもしれない。

 しかも実際に走れば直ぐにエンジンが止まるわ部品が脱落するわパンクするわ排気が臭いわ燃料タンクに穴が開いているとしか思えない程に燃費が悪いわで、合衆国軍が負け続けている理由に納得したものだ。トラックならまだしも飛行機では「エンジンが止まりそうだから路肩に停めてちょっと修理」とはいくまい。


 荒れ地の中を突っ切る舗装された道を、統制型トラックは快調に走っていく。
 彼女が操るトラックの積み荷は土砂である。ただの土と砂ではなく、植物の栽培に適した成分を含んだ土砂だ。
 オーストラリアの地盤は世界有数の古さであり、土壌に含まれる栄養分は低い。他の大陸でなら苗を植えてから2~3年で花が咲き実を付ける果樹が、この土地では5年以上かかることもある。スープを取った後の牛骨なみに滋養が抜けているからだ。

 このトラックに積まれた土砂は、その栄養不足を補う培養土の基になるのだ。
 「L-レゴリス」なる商品名が書かれた袋入りの土砂を、ジャクリーンのトラックは港の倉庫から40㎞近く離れた農業試験場まで毎日4往復している。
 荷物の積み卸しは、クレーンでアルミ合金製のコンテナを降ろして積み替えるだけだから数分で済む。積み替え作業の時間に小休止をとって、また同じ道を引き返す。はっきり言って、車の運転自体を楽しめる人間でなければやってられない仕事だ。

 この「L-レゴリス」に粘土や堆肥や鹿沼土、それに「NA-ワックス」なる正体不明の粉末など何種類もの材料を混ぜて作られる培養土は、栄養分と保水能力に富み半分砂漠と化した地域でも植林を可能にする。
 半世紀後には、今は砂漠である部分の方が多いこの大陸が一面の緑に染まるのだと、ジャクリーンの恋人は言った。
 マンチュリアでは無理だったが、この大地ならそれができる と。

 それが彼にとっての「男の浪漫」であるらしい。日本人全般について詳しく知っている訳ではないジャクリーンだが、彼女の恋人が典型的な日本風ロマンティストであることは確かだった。

 彼の夢が、この大陸に来た日本人達が掲げた目標が達成されるとしても、それは遠い未来のことになるだろう。
 大陸南端のポートオーガスタあたりから運河やパイプラインを通して、中央の大盆地まで海水を引き込み巨大塩湖を作り大陸全体を緑化する‥‥などという既知外としか思えない計画まであるが、彼らは本当にやる気なのだろうか。

 その途方もない計画は、実は既に始まっている。まだ情報がジャクリーンの耳まで届いていないだけだ。
 砂漠地帯にまでパイプラインを引き、汲み上げた海水を露天で蒸発させて塩を作る施設と、蒸発した水蒸気を捕らえて雨を降らせるための人工山地が建造中だ。
 平地から頂上までの高さが200メートル程であっても、盛り土の山や大型の構造物があれば地形と風向き次第で狭い範囲に雨を降らせるには充分な上昇気流が発生する。あとは同じ事を各地でやれば良い。
 雨が降れば草木が生えて緑地ができる。緑地ができればそれ自体が水源となり、次の雨を呼ぶのだ。

 理屈は正しい。だが実現性は疑問だ。
 まだ、ちょび髭の某総統が先月ぶち上げた「パリからベルリン、そしてベルリンからワルシャワを経由してモスクワへ繋ぎ、シベリア鉄道から樺太を通して東京まで大陸横断鉄道を繋げる」という誇大妄想の方が実現性高そうなのだが。
 あれならドイツ第三帝国かソヴィエト・ロシアのどちらかがどちらかを打倒して日本と組めばできるだろう。

 
 不可能だ とは言わない。オーストラリア全土の緑化は無茶だと今でも思っているが。
 何が起きるのか解らないのが人生である。ひょっとしたら半世紀後には、孫や曾孫に一面の樹海と化した大地で今の体験を昔話として語っているかもしれない。

 一年前。たった一年前の自分に、今の様子を語って聞かせたとして信じるわけがない。
 英米の大艦隊が日本海軍と戦い一方的に負けた。今も負け続けている。
 オーストラリアが連合国も英連邦も抜けて真の意味で独立した。

 そして日本と組んで太平洋の覇者となり、豪日両国はインド洋まで掌握しつつあるとか。
 個人史に限ってみても、自動車の免許を取り、一日のうち他の椅子全てを会わせたよりも長い時間運手席に座る生活を送るようになったりとか。
 自分に日本人の恋人ができて、彼の薦めで夜間学校に通うようになったこととか。
 極端な日本人嫌い‥‥いや人種差別主義者だった母が、今では彼のためにセーターや靴下を編んでいる事など、信じられる訳がない。
 信じる信じない以前に、「日本って何?」と尋ね返すのがオチだろう。おそらく、いやきっと。


 一年にも満たない時間で、ジャクリーンの人生は変わった。彼女の世界は広く大きく明るくなった。
 明日はきっと、今日よりも良い日だと。明後日は絶対に、明日よりも良い日だと彼女は信じている。
 明後日は恋人の休日であり、二人は朝から翌日の午後まで一緒にいられるからだ。


 現在のオーストラリアでは珍しくない境遇の苦学生、ジャクリーン・ソームズは幸せだった。少なくとも主観的には。
 彼女には帰るべき家庭があった。家族の理解もあった。
 面白い玩具も、誇りを持てる仕事も、学んでも学んでも限りがない学問もあった。
 自由とやりがいに満ちた生活があり、そのきっかけを与えてくれた誠実な恋人がいた。彼は婚約者も兼任している。 
 この生活が、幸せがいつまでもいつまでも続きますようにとジャクリーンは願った。



 願いは叶わなかった。
 それから半月もしないうちに、ジャクリーンがトラックを運転するには問題のある身体になっていることが判明したからだ。
 本人はそれでも運転手生活に未練があったが、子供を産んでからでも車には乗れると周り中から説得されて、折れた。


 願いは叶わなかった。
 その年の初夏、日本では冬が近づきつつある頃。結婚の許しを得るためにジャクリーンたちが乗った日本へ向かう船、第3浪速丸は台南沖約120㎞の海域で米海軍所属のタンバー級潜水艦トートグによる雷撃を受け沈没したからだ。

 日本海軍および海上保安庁の対潜水艦能力は高かった。だが、米海軍潜水艦部隊の技量と闘志そして潜水艦の性能は決して舐められたものではなかった。米軍にまともな魚雷が出回りはじめてからは特に。
 そしてトートグは大戦中最も日本の船を沈めた潜水艦であり、終戦間際に撃沈されるまで排水量にして約32万8千トン、人命にして一万一千人以上の被害を与え海の魔物として怖れられた存在だった。
 もっともこれはトートグ単艦によるものではなく、僚艦の戦果が混同された結果であるという説もある。

 潜水艦トートグは日本から中立国へ向かう赤十字の捕虜返還船まで撃沈して「鬼畜米英」の代名詞となり、日本海軍から多額の懸賞金をかけられることになるのだが、それは後の話だ。


 船は沈んだが、妊婦であるため最優先で救命ボートに乗れたジャクリーンは助かった。
 彼女以外の、第3浪速丸に乗っていた妊婦は全員が無事救助された。だが、その夫や婚約者を含む、ボートに乗れなかった者たちのうち半分近くはそうもいかなかった。魚雷は一発きりだったが、第3浪速丸の急所に近い場所へ当たっていたのである。

 願いは叶わなかった。彼女が結婚式で着るはずだった手縫いのドレスは台湾沖に沈んだ。
 傍らに立つはずだった唯一の男も沈んだので、ジャクリーンはその後白いドレスを一度も着なかった。



 ただし夢は叶った。
 婚約者の死後、法的な婚姻成立が認められた彼女は夫の夢を受け継いだ。
 第3浪速丸遺族会、特に当時母の胎内にいた者たちは同じ夢を共有し、代表者を支え続けた。

 月日は流れ、21世紀までまだ一年残した年の春、豪州大陸の緑化事業はひとまずの成功を見せ、オーストラリア共和国政府は第一次計画の完遂を宣言した。
 世紀末に、南の大地はその過半が森林と草原へと変わったのである。


 ジャクリーンがいなくとも、緑化事業そのものは成功しただろう。
 だがその名は奨学生を支援するジャクリーン基金などに残り、永く功績を讃えられている。

 



続く。



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