ぎゃんぎゃんとした怒鳴り合いだけにはとどまらず、流血沙汰までもが発生したが。
その割には、中身は似たものとはいえ言いたい事を全員が抱えている人里の代表者連中も。
嫌々この代表者達に付いてやっている白狼も。そして今この場で、最も機嫌を悪くしているはずの姫海棠はたても。
帰りたいと度々ぼやく婿殿も、その度に睨んで黙らせる犬走椛も。
皆が皆どうにかこうにかの状態ではある物の、騒がずに行儀よく迷いの竹林を進んでいた。
「多分無理だぞ。俺たち夫妻ですら、今の永遠亭に入れるかどうかは。本当に未知数なのだから。となれば息子君が嫌っているこいつらなんて……」
椛が、自分も射命丸と同じように。息子君が中有の道での遊びに付き合う方を最初から選べばよかったかなと。
今になって後悔していたら。婿殿が椛にだけ聞こえる程度の声で耳元で呟いてきた。
「その上、今は息子君不在の状態にある永遠亭でいくら頭を下げようが。良い悪いを判断するお方がいないんだ。騒ぐだけ無駄だぞ。八意永琳がその裁可を下すはずも無い」
婿殿は、椛が聞いているのかいないのか分からなくて。
二言目の呟きは、先ほどよりは大きくなって……不用意にも、わざわざ嫌がられにやってきた里人の代表者連中にも。はっきりとは分からずとも、婿殿が何かを懸念していることが漏れてしまった。
「聞こえている」
椛はそう言って婿殿を少しは黙らせたが。聞こえていないからと言うよりは、聞こえているからこそ頭が痛くなって言葉が出てこないのだ。
これを説明してやろうかとも考えたが。やわらかい言葉で説明できる自信が無かった、そうなれば口喧嘩は最低でも起こる。
今ここで婿殿と口だけとは言え喧嘩を繰り広げることが、こいつ酷く無益である事ぐらいは分かっている。
先の、息子君が代表者連中をいれるはずもなければ、そもそも永遠亭にご不在であるから全くの無駄足である事も含めて。
理解できているからこそ苛立つのだ。理解できているのに、無駄足を踏むことを強いられてしまっているのだ。
「組織人はこういう時つらいよ。なまじ大きな組織だから、余計に回り道が増える」
しかし今の椛に出来る事と言うのは、この程度の事を恨み言として呟く程度であった。
射命丸ですら怖気づくように上役や指導者層が。今回の騒動に対して利益と言うのを見出してしまった以上。上っ面だけでも良い顔をしている以上。
自分たちが出来る事と言えば、精々が所々で手を抜く程度の事しか出来ないのである。
それは、人違いで背中から腹までを貫通してしまう刃物で刺されてしまった。この婿殿にしたって例外ではないのである。
それに関してだけは……椛も、同情する他は無かった。
そしてついに、永遠亭に。到着“してしまった”。
残念なことに、永遠亭周辺には結界のような。こちらを明らかに排除しようとするような動きも無く。
その上、真正面で門番を勤めている八意永琳からも。ぞろぞろと大所帯で来ているにも関わらず。嫌がるような動きは無いどころか。
正門前でイスに座っている八意永琳はと言うと、何故だか酷く落ち込んだような様子ばかりを見せていた。
人里の代表者連中や椛を始めとした白狼や、姫海棠夫妻の事は。一応見えていたようだが。
「入っちゃ駄目よ。命令だから」
八意永琳はそう言って、手のひらを前に突き出すだけで。それ以上の動きは見せなかった。
そのまま何分か時間が過ぎ去った。これ以上は来るなと永琳が、彼女ほどの者が言っただけあって。
白狼はもちろん、人里の代表者連中も言葉を1つも発することなく。はたても、永琳の強さは分かっているので。それよりも夫妻で逃げる道と言うのを探していた。
ただそんなこと、椛や白狼が許さない。白狼は逃げるのに使えそうな道に陣取り。
「……おい。分かっているだろう?お前が一番永遠亭とは付き合いがあるんだ。長さ以上の物があるんだ」
椛も、そう言って婿殿に対して。前に行くように、永琳を相手に説得とまでは行かなくとも、この場を動かす為の動きを見せろと迫った。
「はいはい、行きます行きます。その為に呼ばれたってことぐらい……理解していますよ」
婿殿はややを通り越して、かなり嫌々と言った様子を隠そうともしなかったが。それでも一応、前には出てくれた。
「……あー」
しかしやる気と言うのが無いのだから。少しはやる気があれば予想してしかるべきである、門番を勤めている八意永琳との会話。
これに対する、予測できる応答や問答。これらが一切、まるで一切、婿殿の中には存在していなかった。その上。
「入ってもよろしいですか?」
その上、やる気が無いのだから出てくる言葉も付け焼刃だとしても酷い物であった。
「さっき入るなって、言われただろう!?」
少なくとも婿殿よりは真面目に、この事に当たっている椛からすれば。入っても良いかなど、絶対に考えられない言葉であった。
「…………駄目よ」
しかし永琳は、話を全く聞いていない婿殿や。真面目にさっさと終わらせたいと考えてイラついて怒鳴ってしまった椛。
このどちらにも、ほとんど……いや、全く。全くとしか言いようがないほどにまで意識を向けていなかった。
その証拠に、先の言葉に駄目だとは答えたが。目線はこちらを向けてくれず、先ほどと同じでうなだれていた。
「八意さん?息子君は、いや……うん。どうしてます?」
さすがに息子君の事に話が発展しかけたら、まだ友人だとは思っているからなのだろう――ウサギからどう思われているかは知らないが――少し里人を見ながら言葉を選んでいた。
中有の道に向かった事は知っているはずなのに。何も知らない風を演じていた。
「入りたかったら、あの子が帰るまで。そう、○○さんの息子さんが戻ってくるまでは待ってもらう必要があるわよ」
幸い永琳は、ややわざとらしい婿殿の演技には何も口を出さなかった。相変わらず落ち込んだ様子ばかりを見せながら、一通の手紙を懐から出した。
「…………息子君からの書き置きか」
パラリとめくった中身に関しては、人里相手に労力を使いたくないからであろう。非常に簡素な物であった。
息子君が永琳宛に残した、追加の言伝は。自分が、つまりは息子君自身が返ってくるまでは。永遠亭の住人以外は誰も入れるなと書いてあった。
唯一の例外として、小野塚小町の名前を出していたが。姫海棠夫妻や椛が全く無視されたと言う訳でもなかったのが、あの子の優しさだろう。
慰めになるかどうかは分からないが。何事かを相談や陳情に来るかもしれない人物の名前として。
姫海棠夫妻、犬走椛、射命丸文。これらの名前は別枠として挙げられていた。
正当な理由があるなら入っても構わないとまで言及していたので。実質では、小野塚小町と同じような扱い。そう考えても構わなかった。
……当たり前の話だが、この手紙の中に人里に関して言及した部分と言うのは、ただの一行はおろか、一文字だって存在していなかった。
それどころか、無礼者は始末して構わないと言う物騒な一文まで見つけてしまった。
どうやら息子君……まぁまぁ本気を出してきたという事らしい。
今の融通の利きにくい八意永琳相手に、こんな一文を残すとは。
「椛さん、一応俺たち夫妻や椛さんは。別枠として特別扱いしてくれてますよ」
しかし夫妻、特にはたてにとっては。別枠の存在など、どうでも良いと思っていただろうが。
生真面目な椛は、息子君に嫌われる事が仕事に置いて大きな障害であると考えていたから。
特別扱いの枠組みで自分の名前が挙げられていることに、心底胸をなでおろしていた。
「何、好きに入れないのは別に構わん。小町と違って、私はまだ……だからな。好きに入るつもりは、最初からなかった」
「俺たちですら、ちゃんと手順を踏んでもおっかなびっくりなんだ」
胸をなでおろす椛の横で、婿殿はかなり意地の悪い笑みを浮かべながら。里人の代表者連中を見た。
「お前らじゃ、ただの侵入者扱いだという事だ」
そう、無駄なのだ。息子君がもはや人里と言う組織に対して、それを体現したかのような振る舞いしか見せないこいつら代表者には特に。
手心や甘い顔など。見せるはずが無い、見せる方がどうかしている。
人里の代表者連中に、お前たちがただの侵入者だと。婿殿は手紙を見ながら、はっきりと伝えたが。
本当に連中は、諦めと言うのが酷く悪い物だけで集まったようであった。
「次代様がお帰りになるまで……待ってみようと…………」
この言葉を聞いた時婿殿は、特に連中が“次代”等と言う表現を息子君に使った物だから。
椛が止めてくれなかったら、婿殿は間違いなくそいつをぶん殴っていた。
だがそんな、修羅場も修羅場な状況に陥っても。この代表者連中は帰ってくれなかった。
そこまでして連中は、当代と言う組織を。人身御供を作り続ける事を維持したかったのだ。その人身御供に、人里の外側に関わる全てを、おっ被せようとしていたのだ。
矮小(わいしょう)にも程があった。
だが殴るまでは行かなくとも。怒りをため込んでいるのは椛も同じであった。
ついに痺れを切らした椛は、永琳からもう一度手紙を渡してもらって。
代表者の中から、一番偉そうな奴の頭を引っ掴んで。無理矢理中身を、特に無礼な侵入者は始末しても構わないと言う部分を。
これを椛の口で読み聞かせるだけには留めずに、そいつ自信に朗読させる所までやらせたが。
それでもなお、連中は。
「いや……せめて一言、次代様にお詫びを」等とのたまった。
お前たちが帰ったと言う事実を息子君の耳に入れるのが。それが一番のお詫びだと言うのに。全く理解してくれなかった。
結局、この連中は誰も。人里の方向である後ろ側すら見ることなく。ただただひたすらに、入れもしない永遠亭の方向ばかりを見ていた。
何度か婿殿や椛が、今息子君はどこかに遊びに行ってしまったんだぞと伝えても。
「はい……はい……」
ぐらいの言葉しか出さなかった
「あ、そーだ。○○います?」
いつに終わるのだか分からなくなってしまったから。それに立ちっぱなしも疲れてきた。
なので、ここは息子君の好意に甘えて。
正当な理由として十分に使える。○○に会いたいを使おうとしたのだが。
「いないわよ……○○さんは。そう、誰もいないの。四季映姫もいなかった」
婿殿はようやく、八意永琳が落ち込んでいる理由がわかった。
「だから当然……姫様もいないの……私に何も告げずに……どこかに……遊びに…………一言は合ったのに……今までは」