「……これいつまで続くんだ?」
蓬莱山輝夜が暴れて暴れて、ついには大火一歩手前まで暴れたかと思えば、スキマと言う……。
八雲紫と言う、婿殿にとっては何かの文献でしか見たことの無い人物の消火活動により、大火だけは免れた。そこからまた何日かほど経った時であった。
「犬走さん、これいつまで続けるんですか?」
婿殿は、あの騒動があった日は仕事を完全に放り出したが。次の日には椛が直々に頼むよと言って、軽くとは言え頭も下げてくれた為。
射命丸とは比べようもなく真面目な椛からの頼みとなると、姫海棠夫妻は共に心の中の障害物と言う奴が低くなってしまう。
「最低でも、行方が分からなくなった女中の……白骨遺体を1つは発見してからだ。良いから目線を日報に戻せ、何かの手掛かりがあるかもしれんだろう」
○○がいよいよ、負の方向に極まってしまった姿を目の当たりにしてしまった衝撃は未だに癒えず。
椛も椛で、消えた女中の生死に関しての会話をとうとう気休め程度ですら行わなくなり。
そうなるとあんまり考えないようにしていた。人里がどれだけどん底を這っているかの理解はたやすく、いつの間にか呆れすら通り越した戦慄の感情に支配されるようになった。
第一この婿殿は。元々からしてこの仕事にさほどとしか言いようがない態度なので、その手は以前よりも更に鈍いものになってしまっていた。
「それから射命丸は……」
それだけではない。昨日から姿を見ないアイツの事にだって、予想はしていても苛立ちはつもる。
「逃げたぞ、永遠亭に」
案の定ではあるが、だからと言ってとしか言いようがない。逃げたと言う椛からの、まったく歯に衣着せぬ事実の報告に対して、婿殿は文字に起こすが難しい言葉と言うよりは声で机を叩いた。
「うらやましいわ」
はたてだけは笑っていたが、さすがに苦々しい表情の1つぐらいは携えていた。
「良いからお前達は日報の検分の方に、目線と頭の回転を戻すんだ。今日からは私も手伝ってやる」
そう言って椛は完全に、今までこのお屋敷で働いていた小間使いやら庭師やら女中頭やら家令やらが……
とにかく何やらかんやらの人たちが残した日報に意識を落とした。
「と言っても……正直な話、手掛かりがここに残っていると言うか書かれている気があまりしないんだが」
婿殿はそうぼやくが。
「それでも無視できるほどに小さい可能性だとは思えん。お前たちもブンヤをやっているならば、足で稼ぐと言い換えれば分かってくれると思うが?」
しかし椛は哨戒天狗である。その役目柄、夜明けまで特に代わり映えもしない景色を延々と眺め続ける、退屈な仕事には慣れている。
むしろ昨日のような、輝夜に映姫におかしくなった○○がやってくる等と言う予想外に加えて計算も出来ないと言う状況を非常に嫌っていた。
生真面目な椛ですら哨戒中は心の中で、秒針がもっと早く動いてくれないかとか、早く交代の時間になってくれないかと毎度のように考えていた。
「とは言ってもな……今は家令の日報を読んでいるが。こいつ日報と日記を混同しているのか、明らかに自分の事ばかりを書いているんだ」
他人の日記なんざ、昨日見た夢の話の次につまらん!と言って日報もとい日記らしき冊子をパラパラとめくっている。
「そうか。私は今、庭師の日報を読んでいる。恐らく亡骸は地面の下に埋めるはずだから、庭師なら掘り返す技術もあると踏んでいるんだがな」
「どうやらこの家令様は、桜の花がお好きらしい。度々出てくるよ。その割に桜の季節にはあんまり言及していないから、待ち焦がれる自分が好きなだけかもな」
そう言って婿殿は椛に向かって、家令が毎日書き留めていた日報兼日記を投げ渡してきた。ほら読んでみろよ、笑えるぞぐらいの気持ちなのだろう。
「ていねいに扱え、バカモノ」
さすがは……一応は当代様にあてがわれている屋敷にかかわる物だけあって。日報たちも上等な紙を使っている。
とはいえ、古いものになるとホコリやら毎年毎年の梅雨時に襲ってくる湿気やら。あるいは虫やらで。
その強度は心もとない物になっている物が多い。酷いものになれば、読みやすいように冊子に結わえられている紐を白狼で新調したほどである。
「案外もう、最初から骨すら残さず焼き尽くしたりバキバキに壊したんじゃないか?俺だったらそうする」
「そういう考えを浮かべるどころか、その行為にすらさほどの忌避感を抱いていないのは。お前が天狗……そう、妖怪だからだ」
「はぁ……」婿殿は合点がいかないと言った風な顔で椛を見た。
「魚よりも鳥、鳥よりも四足の獣、それよりも害することに忌避感を持ってしまう対象は。同じ人間だ」
「あんなに虐めていたのに?忌避感が?」聞いているだけだと思っていたはたてが、おかしな話を聞いたように笑っていた。ただし、鼻で。
そう言えばいつだかの時に、件のクソ女が若い女中を板張りの廊下に正座させて怒鳴り散らしていたのを婿殿は思い出した。
あの時ははたても同じ現場を見ていた。きっとはたては、その時の事を思い出していたのだろう。
「そうだな。しかし流血沙汰でなければ、人間と言うのは案外耐えれるんだ」
椛はなおも、人間の理屈と言う奴の話を続けるが。最初から天狗として生まれ落ちたはたてはともかくとして、元々は人間だったはずの婿殿ですらどこか小首をかしげているような姿であった。
最も、椛も最初から白狼として生きてきたから。今の説明は本当に説明以上の意味を持っていない。
ただ彼女は優秀であるから、いまいち理解できなくてもそういう感情があるのだと言う理解は出来ている。
しかし姫海棠夫妻はどちらともに理解してくれていなかった。
「なぁ、婿天狗。あんたに関しては元人間だったのだろう?だったら私の話に対して、懐かしいぐらいの感情はあってほしかったんだが」
言わない方が良いだろう良いだろうとは思っていた椛ではあったが。思わず言ってしまった。
「はぁ……」
何せこの婿天狗、嫁であるはたてと同じ色をした表情をしているからだ。天狗になってからは確かに長いが、それでもまだ人間だった時の方が年数としては多いはずなのだが。
やはり付き合っている連中が問題なのだろうか?
射命丸文に関してはその性格に関して、人にも妖怪にも神にもとにかく広く知れ渡っている。
そして姫海棠はたてに至っては、そんな射命丸文にすらどんな天狗よりも天狗らしい等と言う、良い悪いを通り越した極地に立っている。
そんな者を友人とし、果てには嫁としたのだ。
「もう良い」
何か色々言いたかったような気はするが、この夫妻の見せる同じような表情を見ていたら。
苛立つ事すら無かった、これ以上は時間の空費であろう。
「あのう……」
そこからまた少し時間が経った折に、何故か射命丸がやってきた。
「…………はぁ」
永遠亭付きだとのたまうであろう彼女が、好き好んで厄介ごとのど真ん中であるここにやってきたのだ。何か無い方がおかしい。
「あー…………」
正直に言えば、ボヤ程度で鎮火したとはいえ。輝夜が付けて回った火が、その現場の後始末がまだ終わっていないのだ。
よりにもよって、上の方にまであの話が回って行って。
人里のお手伝いをしなさいと、指導者層の天狗から椛は直に言葉をもらっていた。
どうやら本気で、天狗と言う組織は人里に食い込んでやるつもりらしい。その上射命丸が……永遠亭付きのこいつが来るという事は。
「息子さんが、あの人が旦那さんにお会いしたいと」
「……ほらな、やっぱり」賭けにすらならない簡単な予想とは言え、頭の1つだって抱えたくなる。
「……起きたのか?あの子。正直な話、起きるとは思っていなかったのだが」
その言葉が存外酷い事に椛は睨んだが。射命丸は笑う事すら無かった。
「射命丸……今の永遠亭の状況はどうなってるんだ?」こういう時の射命丸は信用できる。興味への探求を諦めた時は。
「変容しましたね。揺り戻しがきついとも表現できますね」
「何がどう変わったんだ?」
「人里にとっての、ある種理想的な姿に変わりました。ただその立ち位置が、息子さんはどう転んでも永遠亭からは出て行きませんから……人里にとっては得なんてしませんね」
「もう少し詳しく言え。抽象的過ぎる」
「……」
射命丸の説明に、要領を得ることが出来ない椛からの苛立ち交じりの視線が射命丸に降ったが。
何かを気にするような素振りを見せるだけであった。
「永遠亭の機嫌にかかわるのなら、言わなくても良いぞ」
ある種の慣れと諦めを椛は同居させながら、検分していた書類に目を戻した。
「見ていただくのが早いかと……じゃあ確かに伝えましたから。あんまり遅くならないでくださいね旦那さん。私のカメラ、まだ返してもらってないんですよ。ウサギさんから」そう言って射命丸は立ち上がった。
今この時ですら飄々(ひょうひょう)とした姿の方が印象に残る射命丸ではあるが、カメラの事になると明らかに気落ちしていた。
「あ、珍しい姿」
それをはたてが逃さずにパシャリとやった。やはりこいつは、射命丸が評する通り、どんな天狗よりも天狗だ。
「行け」
婿殿は射命丸の後姿を見ながら、次に椛の方を見たので。婿殿から何かを言われる前に、椛は先手を打った。
「私も行くわ、向こうが嫌がっても付いて行くから。さっさと終わらせましょう」
はたても存外素直なのは椛にとっては願ったりであった、正確には永遠亭からのお誘いだから最終的にどう動くかは分からないが……
「腹ごしらえしてからにしてください……向こうで食事何てしてたら、今日中に帰ってこれるか」
しぶしぶ、本当にしぶしぶと言う態度で婿殿も立ち上がった。
「昼食時にかち合わせるのはやめよう。出来るだけ時間を使って……二時か三時につくのがちょうどいいだろう」
なのでまっすぐ行くはずは無かった。
「まぁ、どうせ向こうも。そこまでの期待は多分無いはずだ……」
行ってくれるだけで重畳。椛はそう思っておくことにした。
少し早目の昼食を食べながら、時間を稼ぐと言うかわざと空費させて。昼食時を外した時間を狙った。
はたての機嫌が悪化の一途以外の何物でもないので。
「さっさと帰ろう……射命丸の顔を立てる以外の理由は無い。だったら来ただけで十分だろう、一時間もいたくない」
わざとらしいぐらいに言葉を重ねて言っていたのだが。
「呼びつけといて、迎えも無けりゃ出迎えも無しなのね」
婿殿の努力は虚しい物にしかならなかった。しかしはたての気持ちと言うのも理解はできるので、コクコクと首を上下に振るだけに留めておいた。
「良ぉかったぁ~!」
永遠亭の玄関扉をいささか乱暴に開けると、いの一番に射命丸が駆け寄ってきた。
「いやほんと、来てさえくれれば私の体面が保てるので。あとカメラもまたしばらくは大丈夫でしょうから」
冷や汗を隠そうともせずに、射命丸は婿殿とはたての手を握って喜びを出来る限り表現してくれている。
「さぁ早く、息子さん達に会って来てくださいな。そこから先は喧嘩しようが何しようが構いません。私の役目はご夫妻を連れてくることだけですから」
婿殿とはたての手を引っ張りながら、口調こそ柔和な物ではあったが、お気に入りのカメラがまだ取られているからか行動の方は有無を言わせない物であった。
「きーまーしたーよー!!」
相変わらずの真意を隠した、どこを向いて何を考えているか分からない作られた間延びを射命丸は見せていた。
「見事にぴたりと……あからさまね」
しかしはたては演じる事すらせずに、ドタドタと室内に入る前の談笑の耐えない和気藹々とした空気が一気に凍る様に嘲笑するだけであった。
ガラリと開けた室内には、てゐと鈴仙はもちろんだが。小町もいた、しかし彼女は食客扱いなので疑問だとは感じない。
「まさか今この状態で来るとはね……」嫌な奴が来たと言う吐露の言葉を口にしたのも、そこまで不思議ではないが。
彼女が息子君の隣に座っていたのにはいささかの不思議だなと言う驚きの感覚があった。
小町が湯浴み姿なのは、この時はまだ疑問だとは思っていなかった
「……はぁ」
鈴仙は湯浴み姿で、息子君の後ろに立って彼の頭を拭いていた。息子君もまた湯浴み姿であった。
「まぁ……遅かれ早かれだとは思うけどね。天狗も出入りしているからさ」
てゐは息子君の隣に座り、自分で自分の髪の毛を拭きながら小町に何かを慰めるような言葉を投げかけた。てゐもまた湯浴み姿であった。
よくよく見れば鈴仙もてゐも息子君も……それだけではなく小町も。
全員風呂上がりと思えるような湿り気がある。
「どうぞ」
「ありがとう」
鈴仙とてゐに息子君。これらが同じような風呂上りと思しき湿り気があるのは、これは理解できる。
しかしなぜ小町も……まさかと思いながら考えていると息子君の脇からイナバが躍り出てきて。湯飲みを手渡した。
「うん、美味しい」
「えへへ……ありがとうございます」
茶や水ではなさそうだな。口を付ける息子君の顔のほころび方で分かる、焼酎なのか日本酒なのかまでは分からないが、今飲んでいる物が酒である事は明らかであった。
「随分と遊んでいるんだな」
別に婿殿のこの言葉に、やっかみだとか皮肉気な意味はどこにも籠っていない。
「うるさい、好きにさせれば良いだろう?」だが漬物を息子君に手渡すイナバから文句を言われたのには少しキョトンとしてしまった。
「天狗に言われなきゃならないほどの大遊びもしちゃいないさ……この子は」しかしイナバにだけ留まらず小町にも小言を言われたのには少々驚いた。
「……小野塚さん?」
少々疑問点が大きくなってきたので、婿殿は小町に何かを聞こうとするが。
「…………ああ」
喉の奥から息は漏らしてくれたが、それが返答でないことは明らかであった。
おまけに何だか顔が赤いような気もする。
そもそも……そう、てゐと鈴仙が湯浴み姿を、息子君と同じ姿なのはそう不思議ではない。
でも、なぜ小野塚小町も同じ湯浴み姿なのだ?
「ふぅー……」少し考えていたが、息子君の一息付く声に引き戻されてしまった。
何口目かで、湯飲みの中に入っている。恐らくは酒類を飲み干し、息子君の顔はよい心持ちになっていた。
「二杯目はどうしますか?」
「うーん……」
イナバが息子君の使っていた湯飲みを手に取り、恭(うやうや)しく次の言葉を待っていた。
「さっきよりは薄目に作って。それから鈴仙、昨日言っていた人里に卸している薬の目録だけど」
「用意してるわよ」
息子君の言葉に、イナバはいそいそと二杯目の酒を湯飲みの中に用意して(水で割っているから恐らく焼酎)、鈴仙は何処かからか何かの冊子を取り出してきた。
「さーてと……何の薬を手始めに切る?まぁいきなり切るのは難しくても、値段は一気に上げてやりたいね」
「嫌なこと思い出させるかもしれないけど。賢者様の八雲紫が遠くないうちにやってくるだろうから、まずは様子見程度の値上げにしておいた方がいいと思うよ」
「八雲……この間スキマとやらで火事を消しやがったあいつか。まぁ良いさ、長く楽しみたいから、一気に締め上げるつもりは無いさ」
そう言いながら、明らかに悪い笑みを浮かべながら息子君は冊子をめくっていく。
「とりあえず二日酔いの薬は5割増しの値上げで……お、ありがとう」笑顔で物騒な事を言いながら息子君はイナバから2杯目を受け取った。
息子君は酒を飲みながら、また息子君は酒の味を知りながら。二日酔いの薬を一気に値上げしてやると宣言した。
「いや待て。値上げには賛成だが、これだけ5割と言うのは角が立つ。こいつは1割か2割程度にして、他の薬も一緒に上げてやろう」
しかしてゐは諌めることもせずに、よりいやらしい方法を提案してきた。
「なるほど一理はあるか……じゃあ感冒(風邪)全般に使える薬も上げてやろう。あとは漢方薬の原材料もいくらか上げれるかな。抗生物質はどうする?」
息子君は明らかに楽しそうであった。潰す気は無いのかもしれないが、それでも色々やってやると言う顔である。
「抗生物質はまずいわよ。他の薬と違って、有ると無しじゃ生存率が違う」
「生存率を下げちゃうのは八雲紫が嫌がるか。分かった、じゃあ抗生物質は保留で」
永遠亭は間違いなく、この幻想郷に置いて最高の医療機関である。
天狗ですら永遠亭の世話になる場合は多い。ならばただの人間の集まりである人里にとっては、大きな打撃であるはず。
それをこの息子君は、天災などで薬の材料が手に入らないと言ったしかたの無い理由ではなく。
人里が嫌いだから、値上げすると言うのか?
『人里にとっての、ある種理想的な姿に変わりました。ただその立ち位置が、息子さんはどう転んでも永遠亭からは出て行きませんから……人里にとっては得なんてしませんね』
何故ここに来て息子君はこんなにも好き放題するようになったのか。それを考えていたら、射命丸の言葉を思い出した。
「ね、旦那さん。これを人里の内部でやっているなら、矢面に立ってくれるための、平時における慎ましいわがままだったのでしょうが」
こちらの内心を見計らったかのように、射命丸が耳打ちしてきた。
「昼間から女を抱き、酒も飲み、またその酒にしたって女中に作らせますが。地下牢にぶちこまれている暴君、永遠亭流に言うクソ女よりはずっとマシですもの」
だがこの場合の女はてゐと鈴仙、女中はイナバだ。
人里に対する潜在的な天敵、永遠亭なのである。○○とその息子君を庇護し続ける、あの永遠亭が人里の側に立つことなど無いのである。
そしてついに、息子君が。人里に対して矛を振るう事をためらわなくなった。
永遠亭の面々がとめることなど、絶対に無い。そう言い切る事が出来た。