<このWebサイトはアフィリエイト広告を使用しています。> SS投稿掲示板

SS投稿掲示板


[広告]


No.39680の一覧
[0] 幻想郷の笛吹き女(東方、完結済み、○○と言うオリ主有、連作物、まえがきに時系列の説明有)[LAI](2014/03/22 08:56)
[1] 幻想郷の笛吹き女(1)[LAI](2014/03/21 00:26)
[2] 幻想郷の笛吹き女(2)[LAI](2014/03/21 00:27)
[3] 幻想郷の笛吹き女(3)[LAI](2014/03/21 00:27)
[4] 幻想郷の笛吹き女(4)[LAI](2014/03/21 00:28)
[5] 幻想郷の笛吹き女(5)[LAI](2014/03/21 00:28)
[6] 幻想郷の笛吹き女(6)[LAI](2014/03/21 00:28)
[7] 幻想郷の笛吹き女(7)[LAI](2014/03/21 00:29)
[8] 幻想郷の笛吹き女(8)[LAI](2014/03/21 00:29)
[9] 幻想郷の笛吹き女(9)[LAI](2014/03/21 00:30)
[10] 幻想郷の笛吹き女(10)[LAI](2014/03/21 00:30)
[11] 幻想郷の笛吹き女(11)[LAI](2014/03/21 00:31)
[12] 幻想郷の笛吹き女(12)[LAI](2014/03/21 00:31)
[13] 幻想郷の笛吹き女(13)[LAI](2014/03/21 00:32)
[14] 幻想郷の笛吹き女(14)[LAI](2014/03/21 00:32)
[15] 幻想郷の笛吹き女(15了)[LAI](2014/03/21 00:32)
感想掲示板 全件表示 作者メニュー サイトTOP 掲示板TOP 捜索掲示板 メイン掲示板

[39680] 幻想郷の笛吹き女(3)
Name: LAI◆606b75f7 ID:48bec947 前を表示する / 次を表示する
Date: 2014/03/21 00:27
酷いめまいに襲われていた。しかしそれでも、なんと語っている事はできていたが。
皮肉な事に、こんな状況なのに立っていることが出来たのは。今の状況が理解できていなかったからだった。
それでも慧音の顔は、先ほどの反省から視界に収め続けていた。また視線を逸らしたら、何とかなりかけている慧音の精神状態が、どうにもならなくなってしまうだろう。

「…………そうですね、慧音先生。お早うございます」
なので、少し迷いはしたが。ここは乗っかってしまう事に決めた。
子供たちがやってくる時間も、刻一刻と迫っている。とにかく、今は。この状況を仮の状態でも良いから収めるのが先決だった。

「ああ、良い天気だな○○」
「ええ……本当に」
しかし、胃が痛くて仕方が無かった。その痛みからなのか、慧音ほどではないが○○の見せる笑顔も。また歪に成りつつあった。


胃の痛みは全く収まってはくれなくて。その上、よくよく考えれば子供たちは事情を知らないし、伝えれるはずも無かった。
慧音の服装が、いつもとは違う事など。これはもう誰の目にも明らかだった。○○が質問を投げかけたのだ、子供たちだって気になるだろう。
子供たちからの、遠慮の無い質問。それを考えると、○○の胃は更に痛めつけられる事となった。
自然と、手が胃の辺りをいたわる様になでていた。朝食を余り取れなかったのは、良かったのか悪かったのか。


「そろそろ、子供たちが来るな○○」
「ええ……そうですね」
今日ほど、この寺子屋が机とイスを用意した西洋式ではなく。長机を前に畳みに座る和式である事を嬉しく思った事はない。
こうやって、子供たちを待っている時はもちろんだが。教鞭を振るう時も、座っている状態が多くても余り不自然ではない。
緊迫感で○○の足腰は砕ける寸前だった。正直、立ち仕事は勘弁願いたい状況だった。

「どうした?元気が無いぞ○○」
しかし、ふら付く事は隠せても。顔色の悪さは隠せなかった。
それと相反するように、朗らかな顔の慧音。どうやら、慧音は何かを突き抜けたらしい。顔色が随分とよくなっているし、笑顔も大分自然な雰囲気が戻ってきた。

ただし、○○は突き抜けることが出来なかったので。今の多少息を吹き返したかのような慧音の顔を見ても、全く喜べなかった。
むしろ、また坂を下るように悪くなった時の事を考えてしまう。なまじ、今が多少良いだけに。反動が怖くて仕方が無かった。
特に、子供たちの目の前でそうなる事を考えてしまうと……そうなったらもう、助け舟の出しようが無かった。


悪い材料ばかりを見つけて、それを更に煮詰める○○の思考と発想に。胃の痛みがまた酷くなるのを感じた。
「ああ……朝食を余り取れなかった物で。多分、お腹がすいているせいだと」
とは言うが。今食べ損ねた朝食の代わりを持ってこられても。胃が受け付けてくれるかどうか、甚だ怪しかった。
「そうか……それはいかんな、少し待ってろ」
そう言って、慧音は立ち上がった。正直な話、慧音には余り動いて欲しくなかった。何処でどんなつまずきが待っているか分からないから。
なので、ご心配なく大丈夫ですよ。と言う言葉を投げようかとも思ったが。しかし、声をかける勇気も出てこないのが実情だった。
ここでご心配なくと言う言葉を投げかける事こそが。慧音の道中に一つの障害物を作るような気がしてならなかった。
先ほどの尋常ではない姿を見ている物だから。この程度の受け答えですら、けつまずいてしまうような気がしてならなかった。

言葉尻から考えて、慧音は何か食べ物を持ってきてくれるのだろう。
純粋に好意から来ているであろうその好意に対して、水を差すような真似。怖くて出来なかった。
水を差して何が起こるか。普通の状態ではない今の慧音では、予想が全くつかなかった。
また胃が痛くなってきたのが分かった。遂には口の中に酸っぱい物がこみ上げてまで来た。
色々と不味い物が逆流してきているようだった。
いっそ、自分も突き抜けてしまいたかったが。残念ながら、○○の精神はまだそこまでの、機能不全には陥っていなかった。


部屋の隅っこにある棚の中身を、ガサゴソとあさって何かを取り出してきた。
取り出してきたのは、簡素な木箱。中からまた、袋にくるまれた長方形の物体が飛び出してきた。
「固パンだ、水気が無しでは辛いだろう。少し待て。今水を取ってくる……木槌も必要かもしれないな」

パタパタと部屋を出て行った慧音を横目に。○○は差し出された固パンを手に取った。
固パン、文字通り固いパンだ。水気を極限までに少なくして、保存性を高めた非常食だ。
そういう物があるのは知っていたが、実際に手に取るのは初めてだった。

おもむろに、手に取った固パンの端っこを口に含もうとするが。正直、食品の固さを超越していた。
一瞬、石でも食っているのかと錯覚してしまうぐらいに固かった。パンっぽい匂いがなければ、そのまま投げ捨てていたかもしれない。
慧音が木槌が必要かもと言った理由が分かった、乾パンよりも更に固い為人の歯で食い千切るには無理があった。

「……食う事すら間々ならないのか」
これでは、一気に食べる事は無理だった。胃が痛い○○にとっては、救われたと捉える事も出来なくはないが。
この固さが、慧音にまとわりつく多難の象徴にも思えて。
果たして、自分の力だけでそれを振り払うことが出来るのかと思うと……意気消沈するしかなかった。



「木こり……?」
「ああ、あの世捨て人だ。よそ者と度々会っているらしい」
この意味の無い会合で。まともな言葉が交わされるなど、一体何年ぶりなのだろうか。
今までは、下手に口を動かすと厄介事を全て押し付けられる気がして。誰も何も話さなかったが。
今回は違う、今回は彼を殴ったチンピラ共に、全てを押しつけられるかもしれないから。皆、結構滑らかに話し合う事が出来ていた。

特に、殴られた彼の口は快活だった。被害者であると言う立場が、彼を強気にさせていた。
「何か妙な事を吹き込まれていなければいいのだが……監視くらいは必要かもな……なぁお前等」
殴られたことによる、頬の青あざ。それをわざとらしくさすりながら、彼はチンピラ共のほうを向いた。
その姿に、チンピラ共はますます縮こまるだけであった。
最早この者達に発言権などは無かった、茶すら置かれていないのがその何よりの証だった。

対して、被害者である彼の方は。見舞いの気持ちでも詰まっているのか、いつもの茶と一緒に小ぶりとは言え饅頭までついてきた。

「確かに、そうですね……」
「あの木こりだって、変人だが俺達と真正面から争う気は無いはずだ。今は○○と言う橋を使えるかもしれないから……そこだけは注意しないといけないが」
いつのまにか、彼が中心となって話をまわしていた。それでも、彼はといえば、この空気に危機感など抱かずに。
出された饅頭を食べながら、偉く上機嫌だった。すこし、上せていると言われてもしょうがない様子だった。

場の状況が、少しだれてきたのか。あの木こりに監視が必要だと、彼が言ってから。話の回転が止まってしまった。
彼とチンピラ共以外の里人は、この両方を見たり里人同士で顔を見合わせたりして。かなり長い時間、そうやって時間を浪費していった。

始めは饅頭でも食らいながら、上機嫌の彼だったが。徐々に、この変質していく空気に違和感と危機感を覚え始めた。
時を遡る方法があるならば、きっと彼は数時間前の上機嫌な自分を殴りに行っていただろう。

彼は余りにも、被害者の立場に安心感を抱きすぎていた。
この里の内実が、そう簡単に変容するわけが無いのだ。本当に、迂闊としか言いようが無かった。

しかし、誰が彼に話を振るか。正直な話誰もやりたくないと言うのが本音だった。
その為、どいつもこいつもチラチラと。視線をあっちにやったりこっちにやったりとするばかりで。誰も口を開こうとしなかった。

しかしこれがある種の好機だと言う事は、全員が共通して思っていた事のようだった。
徐々に、さまよう視線はその場で一番年を食っている方で。一番位の高そうな人間に集まって行った。

「一つ、聞いても……宜しいですか?」
「……ええ」
押し付けたいとは思っていても。やはり、それでもどこかに後ろめたさがあるのか。快活とは程遠かった。
糾弾の空気も薄いので、そこだけはほんの少しだけ安心できた。

「ああ、何を聞きましょうか……」
質問者の方からして、何を質問するかを考える前にこちらに話しかけてきたようだ。
そもそも、質問者からして乗り気ではないのだ。自分が話を進める役を引き受ける事に。
これでは、話など上手く進むはずが無い。

その状況に、他の物も別に助け舟などを出してやる空気。そんな物は微塵も感じ取れなかった。
またいつも通りの空気に戻っていった。全員が全員、我が身可愛さで動く、このどうしようもない無為無策で無駄な所業。
いつもは、この空気に。息が詰まらされるし、良い事など何一つ無いのだが。
今回に限ってはこの逆戻りしたどうしようもない空気に。酷い安心感を覚えている。そう簡単に変わるはずが無いのだ。
自分を含めた、こいつ等全員が。だから何も変わらないのだ。

こんな状態なのだから、何も変わる予兆が無いのだから。別にこちらが口を動かしてやる必要も感じなかったし。感じたとて、行動に移すはずが無かった。

また、顔は正面を向いた風に装って。目線はあらぬ方向を向けて、他者との会話や接触を徹底的に拒否し続ける。勿論、お互いにだ。
そういう暗黙の了解が、またこの場でも息を吹き返した。


いつもなら、本当に暇で、無駄で、悲痛ですらない何の意味も無いこの沈黙。
普段の彼なら、退屈で退屈で。少しばかりイラつく事この上なかったのだが。
何だか、うやむやの内に。自分への糾弾、もとい押し付けの手が緩むどころか消えてなくなった事の安堵感の方が強く。
今日だけは、この無駄に長く感じられて、退屈な時間も容易に耐えることが出来ていた。

なのだが。
「大変だ!お前等、大変だぞ!!」そういう男の声で場は一変した。
何の前触れもなしにやってきた。無遠慮で品の無い、ドタバタとうるさい足音と大きながなり声が場の空気を動かした。

「お前等!こんな所でがん首そろえてる場合じゃないぞ!冗談抜きに大変な事になったぞ!」
そして、ガタンと。ふすまをけたたましく鳴り響かせて、男はズカズカと入ってきた。
折角、何事も起きずに。今日のこの会合も無駄に終わらせることが出来そうだったのに。
正直、少し腹が立っていた。
それこそ、乗り込んできた人物の言う大変な事が。火事とかでもない限りは、この腹の虫は大きくなるばかりであろう。


どうやら彼以外の殆どの人物も、似たような感情を抱いていたらしい。
口のこそは出さないが「何だよ」と言う無言の圧力が部屋全体に充満するのが分かった。
だが、乗り込んできた男は。その充満する圧力に負けることは無かった。それ程にまで大変な事らしかった。

圧力に負けない姿を見て、何人かは不安そうな表情に変わる。
「お前等、よく聞け……あのばけ…………」
“あのばけ”この途中で途切れこそはしたが、男の言いたい事が何に関わるかは、それだけで十分に分かった。
そして“あの化物”と男が言い切らないということは……近くにいると言う事だあの化け物が。
だから途中で言いよどんで、間をおいたのだ。聞かれでもしたら、一大事だ。

本当に、こういう時だけは。皆、とても察しが良かった。怪訝な顔付きをしていた者も、一気に顔が強張った。
勿論彼もその中の1人だった。

「上白沢慧音が倒れた!!」
寄り合い所に集まる者達全員が、恐れおののいた。




流石の固パンも、水気と一緒に食べれば口の中で溶けてくれて、随分と食べやすい物にまで優しくなってくれた。
それでも、半固形物とは言え。胃の痛みを感じる所に食べ物を無理矢理流し込んだのは少しばかり堪えたのは事実だった。
だからと言って、食欲がないと無碍に断る勇気が出て来るはずはなかった。
体からのやめろという声を無視して食らい続けた為。今では胃を始めとした消化器官からの逆流現象に耐える時間がずっと続いていた。

子供たちを待っている今ですらきついのだ。これでまともな教鞭が取れるのだろうか。不安で堪らなかった。



いっそ、時間が止まってくれればどれほど助かる事か。しかし、そんな常識はずれな現象が起こってくれるはずもなく。
そうして今日も、子供たちは元気に寺子屋の敷居を潜り抜けていった。

「あれ、先生ぇ。いつもの服と違うね」朝の挨拶もそこそこ。ある子供が開口一番にこう述べた。
ああ、やっぱり。覚悟はしていたが直面すると、やはり、また胃が痛くなるのが分かった。

しかし至極真っ当な成り行きではないか。今の慧音の姿は普段の整った服装とは似ても似つかない、全くの作業着姿。そして何処と無く埃っぽい気もする。
だからこの種の疑問、持つのは当たり前だし、口にして当然だろう。

「ああ、うん。ちょっと早く来たから。掃除でもしてようかなぁ~と。ねぇ、慧音先生」
その疑問をかわす為の方便だが……これぐらいしか良さそうなのは思いつかなかった。
「……ああ」
完全に、口からでまかせだった。笑顔とは裏腹に、冷や汗が吹き出るし。笑顔も固いのが自分でも分かる。
妙に滑る口が白々しさを演出してくれていた。
慧音の方も、柔らかい笑顔こそ維持はしているが。やはり何か違和感は拭う事が出来ない立ち居振る舞い。


全くの嘘を子供達についてしまうのは、やはり良心の呵責を感じるが。
そんな呵責を小さくしてしまうぐらい。○○は慧音の一挙一足が気になって仕方が無かった。
○○が気になる事柄。そう、慧音の精神状態だ。この不安が良心の呵責を、小さくどころか打ち消している感すらあった。
そんな○○の冷える肝を、知ってか知らずかは分からないが。慧音は笑っていた。いつもと変わりない様子で。
ただ、少し足元がおぼつかない気がした。

気がする程度なので。杞憂の可能性は高かったが。
一度可能性を見つけてしまうと。それが不安で溜まらず、安心する事はできなかった。と言うより、今日一日、本当の意味で安心する事は多分無いだろう。
どんな小さな仕草や動作でも。全て脈絡無く、何らかの可能性に結び付けてしまうことが、今の○○には出来た。

今の○○は猜疑心の塊だった。子供達からの何気ない一言でも、慧音の安定が崩れるのではないかと肝を冷やし。
慧音の何気ない仕草にも、何か悪い事の予兆に思えてしまっていたし。
自分が妙な不安定さを見せてしまえば、今度はそれが綻びを大きくする火の粉になりやしないかと怯えて。


表情筋と胃の痛み。そして耐え難い疲労感。おまけに断続的に襲ってくる嘔吐感。それらと引き換えにして、どうにか時間を刻一刻と進ませることが出来ていた。
子供たちも、何か怪訝な表情こそ時たま浮かべるが。
さりとて、○○も慧音も壊滅的な失敗を見せていないので。追及らしい追求は何も無かった。

本当に、この子達がとても良い子達で。本当に助かった。本当に、何度も何度も。何かに感謝していた。

「食べなきゃぁ……不味いよな」
しかし、○○にとっての鬼門は思ったよりもすぐにやってきた。そう、昼食の時間だ。胃は相変わらず痛い。
「……どうした、○○?」
「いえ何も」
かといって、食べない選択肢は存在しない。胃が痛いくせに腹は減っているからなおの事、食べなければ体力が持ちそうに無かった。
いつも通り、弁当を美味そうに食うしかなかった。

土壇場に追いやられると、色々な能力が底上げされるのか。
○○はこの短時間で、それなりの笑顔を作る事に大分慣れてしまった。
心の中では、固形物が入る度に嫌がる消化器官の動きと痛みにもんどりうっているのに。それなりの笑顔でいる事が出来ている。
何だか、自分で自分が悲しくなってくる始末であった。心中の姿と、今こうやって衆目に晒している姿との乖離が余りにも激しすぎる。



「……?まぁいいか。それより……○○、皆の分の水を運ぶのを手伝って、くれないか」
「……ええ、良いですよ」
何か慧音の発する言葉の区切りがおかしい気がしてならない。
頼むから、耐えてほしかった。昼さえ乗り切れば、一日の授業が終わるまではあと少しだ。
もしも、精神状態が崩れるのであれば。それは自分の目の前であって欲しかった。
ならば、いくらでもどうにか出来る。

「じゃあ、井戸に行きましょうか……慧音先生?」
○○は教室の隅に置いてあるやかんを二つ手に取り。一つは慧音の方に手渡そうとするが。
「…………」
何の返事もなしに、ぶっきらぼうに差し出されたやかんを撮ろうとしてくる慧音の姿に。
しかも、目線の動きも。気のせいだと誤魔化す事が出来ないぐらいに怪しく、動き回っていた。
まるで、目が回っているかのようだった。

(不味い……どうしようか)○○は、表情が少しこわばるのが分かった
とにかく外に連れ出そうか。でも、連れ出した後はどうやってなだめればいいのだろうか。
子供たちが教室で待っているから、余り時間をかけてしまっては不味いし。
そんな思考がグルグルと勢いよく回していたが。


勢いよく回った思考は、慧音がやかんを取り損ねて倒れてしまう姿が視界に映し出される事で。
道を外れたかのように、どこか遠い場所に飛び去ってしまった。
「慧音先生!!」
畳の上でも、やかんのような金属が落ちる音は、やはり耳に痛かったが。
それよりも更に鼓膜を突き破る、○○の金切り声であった。



「慧音先生!?聞こえてますか!?慧音先生ぇ!!」
○○から発せられた突然の金切り声に、まず子供たちの動きがピタリと止まった。
何が起こったか分からなかったからだ。寸劇で大きな声を出す事は何度もあったが、それとは明らかに違うし。そういう場の空気では絶対に無いし。
尚且つ、ここまで感情的で、耳をつんざいてくる金切り声。子供たちの前では勿論だが、○○自身人生の上であげた事など片手でも余るぐらいだった。

慧音が倒れこんだ光景を目にして、慢性的な胃の痛みに、少しの間だけ鈍感になっていたが。
大きな声をあげると言うのは、かなり腹を使う動作だ。勿論、胃を始めとした消化器官も腹が動くのにつられて動いていた。

「ッ!!」不味い。そう思った時にはもう手遅れだった。喉の置くから、嫌な液体が込みあがってくるのがはっきりと分かった。
腹の大きな動きは、○○がずっと耐え忍んでいた嘔吐感を。耐え忍ぶことが出来ないぐらいにまで増幅させてしまったのだ。

奥歯を噛み締めて、喉元に力を入れていても、舌に不快な酸味がぶつかってくる。
部屋でこいつを散らすのだけは避けたかった。後の掃除も大変だが、目の前で教師が盛大に嘔吐など。
それを直に見てしまうなど、子供たちには刺激が余りにも強すぎないか。そう考えていた。
○○は最後の力を振り絞って、窓際まで駆けた。


「うぇッ……げ……が」
ビチャビチャと。多分この嫌な音は教室の中でも聞こえただろう。でも、教室の中でやっちまうよりかは随分マシだったはずだ。
何より、部屋の中を汚さずに済む。それが大きい。


残っていた力で、何とか○○は窓際まで駆け寄ることが出来た。
窓枠から頭を突き出すと、何故だか安心感と多幸感が駆け巡った。ああ、これで教室を汚さずに済むし、醜い姿を直に晒す事もなくなった。
吐き散らかす姿も、面と見るよりは後姿の方がまだ、幾分かはマシのはずだろう。
そう思って、安心したのとほぼ同時。安心して気が緩んでしまったのだろう、今まで必死に守っていたタガが一気に外れた。

「うげぇ……」口の中には不快な酸味。おまけに液体の嫌な落下音まで聞こえてくる始末。
「くそう……」
盛大に吐き散らしたが、口の中にはまだ残滓がこびりついている。
それを唾をペッと吐き出すかのように、また地面に落とす。ただの唾と違って、地面に落ちた際何か嫌な音が、また聞こえたような気がした。

「はぁ……くそ……酷い臭い……そうだ、慧音先生は……」
まだしばらく呆然として頭を止めていたかったが、地面から上がってくる酷い臭いに気圧されて。突き出した頭を引っ込めて、臭いが入らぬように窓を閉める。
しかし、胃の中身をぶちまけたお陰なのか。慢性的な痛みが随分和らいでくれたし。
自分が吐き散らかした物の酷い臭いで、頭を現実に引き戻すことが出来ていた。非常に皮肉な展開だった。


それでも、嘔吐で体力を奪われて。慧音の元には駆け寄る気力がまだ戻ってこず。フラフラとした足取りだった。
「慧音先生……慧音先生、聞こえますか」
すがりつく様に、○○は倒れて動かない慧音の体を揺さぶる。
子供たちも、徐々に事態を飲み込めてしまったらしく。泣いている子がいる。
中には泣きすぎて、飲み込んだばかりの弁当を口から逆流させている子供もいる。○○の努力はどうやら、無駄に終わったようだ。


「先生……慧音先生。声が聞こえますか?」
泣いたり、もらい吐きを散らかす生徒の事は気にはなるが。一人で見れる物の数など限られている。
放っておくような真似をして、申し訳は無かったが。どちらがより重篤な常態かと問われれば、倒れこんで微動だにしない慧音の方だろう。

「熱い、何だこれは……物凄い熱じゃないか」
声をかけても反応が無いので、少し揺すろうとしたら。目には見えない、触って始めてわかるその変化に驚愕した。

熱いのだ。普段から平熱が人より多少高いとか低いとか。そういう個人差とかなどでは絶対に無い。
明らかに、これは不味いと。医療従事者でなくとも言い切れるような高熱。それを倒れている慧音は持っていた。

慧音の様子が不味いのは、近づかなくとも子供たちも分かっているようで。
泣きながら、嗚咽を漏らしながらでも。必死に子供たちは慧音先生にすがりつこうとしてくるが。
「待て!お前達、今慧音先生を余り揺さぶるな!」
すがり付こうとする、寸での所で。これまた始めてみるであろう、鬼気迫る表情をした○○の姿に。子供たちは少し気圧されてしまった。

「熱が凄い……余り揺さぶると却って体に悪い………一体いつからこんな高熱を」
倒れる随分前から辛かったはずだ。なのに、○○や子供たちには倒れるまでその事実をひた隠しにしていたのだ。
その気力には、驚かされるばかりだ。しかし、何故慧音は一言。「高熱でしんどい」と言う事ができなかったのだろうか。

詳細な理由は分からないが……それでも、一つ大きな心当たりはある。
慧音に対する過度な神格化。これが無視できなかった。
最も、○○がつけている当たり等。慧音がつい先日与えてくれた知識が元では、的外れではあるのだが。
悲しいかな、今の○○にはそれを知る手段など何処にもなかった。

多分慧音は、○○に真実を伝える事はできない。それが○○が慧音を見限る理由になると、勝手に思い込んでしまっているから。
里の者達は、○○とは付き合わない。何故なら、よそ者だから。
結局、○○が出来る事など……何も無かった。

しかし、それでも。「……今は医者が先決だ。それ以外は後で考えよう」
慧音が見初めて、気に入って、手元においておきたいと思うだけはあった。どんな状況でも、○○は誰かの為に考え、動ける人間だった。



「誰か!この里で一番の医者を知らないか!?慧音先生を連れて行く」
○○は慧音を背中におぶせながら、周りで涙目を盛大に浮かべながら、心配そうに見つめる子供たちに問うた。
「おいじゃざんは……ぢくりんに比べれば……あんまり良くない」
「何?この里じゃなくて。里の外に、他にもっと良い医者がいるのか?」
子供たちは泣いているせいで、言葉の判別が難しかった。しかし、何かを言おうとしている事は分かる。
そして、その何かが。子供達ですら知っている、里の常識である事も。あわせて感じ取ることが出来ていた。

やはり、○○は物を知らなさすぎた。子供達ですら知っている常識を、全く分かっていなかった。
こういう急病人が現れた時どうすれば良いか、何処に駆け込めば良いのか○○には分からなかった。でも、子供たちは知っていた。

今まで、寺子屋で慧音と子供達以外とは、余り他人と関わってこなかった事を悔いるしかなかった。
そもそも、他人と余り関わらなくて、少し寂しい気がすると言うのも。自分でも気付いていなかったが、ただの振りでしかなかったのではないか。
口では味気ない振りをしながら、その実では面倒くさくなくて案外良い物だと思っているのではなかったのか。

「竹林?竹林が自生している場所があるのか?そこの何処にお医者さんはいるんだ?教えてくれ!」
楽でいいとか、面倒くさくないとか。耳に痛い言葉を、よりにもよって自分の声で叱責される。
そんな幻聴のような感覚を振り払いながら、必死で子供たちから里よりもずっと良いお医者さんの居場所を聞きだそうとする。

「……よぐ知らない。行った事あるけど……おっどうに連れて行っでもらったがら」
まぁ、そうだろうな。よくよく考えれば、正確な場所を知っている方が驚く。
幻想郷は外とは違うのだ。子供1人で歩ける場所など、たかが知れている。
この寺子屋で慧音の手伝いを始めた時も。里の外には日中だろうと不用意に出るな、日没後など言語道断だと。
かなり強い調子で、脅されるように言われたのを思い出した。それは子供たちだって同じはず。
ただ、教える相手が慧音先生か家族の違いでしかない……



子供たちが、竹林に住んでいるお医者さんの正確な場所を知らないのなら。それはそれで仕方が無い。
ただ、竹林のお医者さんに駆け込めば良いと教えられただけ、今は良しとした。
だったら後は、行ける人間を探す。この子達の親に助けを求めればいいだけだ。

そう考えて「分かった、じゃあ俺は誰か大人の人に道を教えに貰ってくる」と言い残して、○○は寺子屋から駆け出した。
履物も満足に履ききらずに、出入り口の戸も開けっ放しで、勢いよく駆け出してから。
子供たちには、寺子屋に残れと言うべきだったかと。今更ながらに考えが巡っていたが。
それを思いつけた時には、もう遅かった。今後戻りするのは時間の無駄でしかない。



誰か、適当な、とにかく一番初めにあった人間に助けを求めよう。
そう考えていたのだが。奇妙な事に、行けども行けども慧音を背負った○○は、誰かに会うという場面に出くわすことが出来なかった。
背中には、二人分の衣服越しでも慧音の持っている、異常な熱さを感じ取ることが出来ていた。
その熱の存在が、○○を更に焦らせてしまう。

「誰かー!お願いです、誰か来て下さい!誰かいらっしゃいませんかぁ!?」
全てが後手後手に回っているような印象だった。会えないなら、気づいて貰えるように最初から大声を張り上げればよかったのだ。
何故最初に気付けない。

「おーい!何で誰もいないんだよぉー!?」
不意に後ろから。子供特有の高い声が耳に入ってきた。その声は、涙声と言うおまけのせいで、悲壮感が色濃く漂っていた。

「えっ?」
ちらりと、背の方向に目線をやると。何人かの子供たちが、○○を追っかけてきたようだった。
それも2~3人と言う数字ではない。かなりの数だった。もしかしたら、生徒全員が追いかけてきたのではないか。

○○に追いついてきた子以外にも。後ろからまだやってくる子が何人も見受けられた。
今集まっている子供たちを見ても。来ていない子を探すほうが、難しかった。
これは、本当に全員ついて来てしまったかもしれない。

「ああ……」
待っていろと言いそびれたのを、事の他後悔するしかなかった。
「お前達、教室で待っていな―
「やだ!!」
そうだろうな。力いっぱい否定されるのも無理は無い。立場が逆なら、多分自分も追いかけている。

子供たちに戻れと言っている○○が、内に孕んでいる矛盾のせいか。それとも力いっぱい否定されたせいか。
とにかく、○○はそれ以上は子供たちに何も言えなくなってしまった。


「おい!どうしたぁ!?まだ授業中だろ!?」
しかし、こんなにも騒いでいるお陰だろうか。気付いてくれる人がいた。声からして男性だろう。
そして、助かる事にこちらの様子を見に近づいて来てくれた。


「っ!??おまえ……見ない顔……○○か!?後ろに背負っているのは…………」
その近づいてきてくれた人は、○○の知らない人ではあったが。どうやら○○は有名人らしい、すぐに気付いてくれた。

その人は、背負っている慧音の様子に絶句して、何も喋れずにいた。
当たり前の反応だろう。○○だって、最初は嘔吐するぐらいに精神的に動揺してしまったんだから。

「おい!竹林の医者の所に連れて行けよ!早く!!」
○○も、見に来た男も。お互い何も言い出せずに、十秒ぐらいの時間が経った。
それに業を煮やした子供たちの誰かが。普段ならば、絶対に注意していたであろう、汚い口調で男を急かした。

「えっ……あ、ああ。そうだな!とにかく、まずは皆に知らせねぇと!今は寄り合い所に殆どいるんだ!!」
寄り合い所という言葉を聞いて、○○は何か合点が行った。
これだけ人がいれば、決め事も多くなって当然だろう。それを話し会うには、定期的に集まるしかない。
○○が知らないだけで、今日も定例会のような物が催されていたのだ。
全てを知る由も無い○○は、そう好意的に解釈し。
そして、蚊帳の外にい続けた自分の身を。事の他強く、恥じ入った。



多分、里の者達からすれば。そうやって、恥じ入られる方が迷惑なのに。
蚊帳の外に居続けたほうが、喜ばれるのに。
人が良いのも、里の者達からすれば……果たして、どう思われるか。



そう言えば、こうやって里の奥のほうに入っていくのは。これが初めてだった。
偶然出合った男に導かれるがままに、高熱で倒れた慧音を背負う○○は里の通りを駆けていた。
後ろからは、○○を追い駆けて来た子供たちが。わらわらと長い列を作りながら、追随してきた。

「先生!次は右、右だよ!」
要所要所で、子供たちの誰かからの誘導の為の大声が響き渡る。
どうやら、子供たちは寄り合い所に使われている建物が何処にあるか。よく知っているらしい。
お陰で、迷わずに済んだのだが。
同時に、自分の無知さに頭が眩みそうだった。

前を走る男性は、○○を誘導する役目を完全に奪われてしまっていた。
何か言おうとしているのだろうか、たまに顔をこちらに向けても。子供たちの方が早く発言してしまっているのだ。
本当に、最初の最初に「今日は寄り合い所に皆集まっている」と言う言葉が一回だけ聞こえてきただけだった。
正直な話。前を走っている男に関しては、もうただ○○達の前を走っているだけ。
誘導ならば、子供たちの声だけで事足りる。最早何のための自分は走っているのか、男自身もそんな疑問が鎌首をもたげているのか。
時々、こちらをチラリと向く男の顔には、既に疲労の色が見えていた。

「先生、先生!あれだよ!あの突き当りの建物!!」
「お、俺は皆に知らせて来る!」
久しぶりに、男からの発言を聞いた。男はバタバタと、開け放った戸も閉めずに。
おまけに履いていた靴も、放り出して揃えていない。慧音が平静ならばきっと、全部ひっくるめて叱られたであろう、行儀の悪さだ。

「お前等!こんな所でがん首そろえてる場合じゃないぞ!冗談抜きに大変な事になったぞ!」
「上白沢慧音が倒れた!!」
建物の奥の方から、男の悲痛な声色を持った叫び声が聞こえてきた。
しかし、悲痛な叫び声が聞こえてきたっきりだった。
時間にすれば、多分1分ぐらいのはずだが。今の切羽詰った○○と子供たちにとっては、体感では何倍にも増幅された物に変わっていた。

「遅い!!」
まだかまだかと。○○は足踏みをしながら待っていたが。後ろで待っていた子供たちの中の誰かは、耐え切れなかったようだ。
「何やってんだよ!」
舌打ちなど通り越した、怒り心頭と言う表情と声で。男の子が履物すら脱がずに、廊下を踏み荒らしながら建物の奥へと消えて行った。

「先生!ここで待ってて、誰か連れてくる!!」
その次は女の子が……確か、この子とあの男の子は“きょうだい”だったはずだ。
授業中は、指して気にしていなかったが。なるほど、似ている。顔つきやらがどうのではなくて。性格が、である。
そう言えば、追いかけてきた子供たちの先頭に立っていたのも……この二人だったな。
いわゆる率先して動けて、場を動かせる性格と言う奴なのだろう。

だが、できれば。そう言う発見は、もっと平穏な時にしたかった。こんな状況では、何も喜べない、喜ぶ余裕が全く生まれなかった。



二人が駆け込んだのを皮切りに、他の子供たちもそれに影響されたかのように。一斉に、堰を切ったかのように、寄り合い所の中へ雪崩込んでいった。
「待て、お前達!ここで待っていなさい!」
流石にこれは不味い。そう思って、声こそ張り上げるが。今は慧音を背負っている為、残念ながら襟首を掴んだりして止めることは出来なかった。

仮に出来たとしても、片手で1人。最大でも2人しか止めれないだろうから、この勢いを止める事は不可能としか言いようが無いのだが。


わっと鉄砲水のような勢いを持った子供達が、○○の忠告などに気づくはずも無く。
二人に先導されるかのように、皆寄り合い所の中へとなだれ込んでしまった。
しかも、なだれ込んだ数に比べて。玄関に脱ぎ捨てられた靴の量は、案外少い物だった。
それが○○の憂鬱を更に大きな物にした。

子供たちが雪崩れ込んで、そこから随分遅れてからようやく。○○も玄関から先に足を踏み入れた。
脱ぎ捨てられた靴を踏まないように。そしてなおかつ、せめて自分くらいはちゃんと靴を脱いで入ろうと思ったから。
それで結構な時間を消費してしまった。

奥の方からはもう既に、やいのやいのと言う。様々な人間の声が入り混じった、甲高い騒ぎ声が聞こえてきていた。
聞こえてくる音の甲高さから考えて、騒いでいるのは殆ど子供たちだろう。
「くそ……」
いくら非常時だからとは言え、余りにも事態を収拾できなさ過ぎだと考えるしかなかった。
それで○○は、騒ぎの中心地へと向うしかなかった。
2人分の重さを身にまとって、足音をドスドスと響かせながら





「おい、お前達……なんで」
「慧音先生が倒れたからだよ!おっとう早く!」
「おっとう!何やってるのよ、早く!早くして!!」
2人の、少年と少女が。1人の大人……父親に詰め寄っていた。

その父親とは、昨日○○とほんの少しだけ邂逅を果たしてしまった例の彼だった。
そして今、彼は彼の子供達に詰め寄られていたのだった。
それは、他の子持ちも同じようで。皆、自分の子供に詰め寄られて。必死に何かを伝えようとしていた。
偶然、親などが来ずに済んでいた子供達は。近所のおじさんやおばさんに、実子と一緒に詰め寄ったりしていた。
子持ちではない、件のチンピラ等の存在は。状況が飲み込めずただただ、呆気に取られているばかりであった。
ただ、状況が飲み込めていないのは、親達も同様であった。だから、こんなにも詰め寄られたりしているのだ。


「おっとうは、知ってるでしょ!?おいらを竹林の向こう側のお医者さんに連れて行ってくれたことがあるんだから」
「おっとう、早く!慧音先生がぁ!」
この時間帯は、昼食の時間のはず。仮に弁当を食べ終わっていたとしても、そこから先は昼休みに変わるだけで。
食べ終わった後も、銘々が思い思いに。遊んだり喋ったりなど、他愛も無い事をして過ごす。
彼だけでなく、今この寄り合い所にいる人間全員が、そうであると信じていた為。
突然の来訪者であるこの子供達に。おまけに、部屋に乗り込んで来た瞬間やいのやいのと。
まとまり無く発言する物だから。余程近くにいないと、誰が何を喋っているのかの判断はつかなかった。


「お前達!静かにしないかぁ!!それに、土足の者は今すぐ靴を脱いで玄関に置いて来い!」
子供達が、大人たちが集まる広間に雪崩れ込んでから、少しばかり遅れて。
○○の、子供達に対する。多分今までで一番大きな、叱責の声が響き渡った。
普段の○○ならば、注意や叱責をするにしても、もっと静かな声で淡々とやっていた。
子供達の頭にも。○○が大きな声を出すと言う発想は、ほぼ無かった。

「ほらぁ!おっとう!慧音先生がぁ!早く竹林のお医者さんに連れて行かないとぉ!」
「早く!ねぇ、早くしてってばぁ!」
しかし、滅多に出さないからこそ。いわゆる虎の子に近い意味を持つ、この大声も。
普段ならば、効果覿面であったのだろうが。今の○○は、背中にぐったりとした姿の慧音が背負われている。
それが、折角繰り出した虎の子の威力を。殆ど、無き物にまで目減りさせてしまっていた。


渾身の力で振り絞った大声も、今の子供達にはまるで効果が無かった。
ぐったりとする慧音の姿に、子供達の焦りと危機感はますます加熱するばかりであった。
「ああ、もう……どうしよう」
既に、○○の力だけではもうどうにもならなかった。



「おっとう、早く!こっちだよ、早く!!」
息子が、化物とよそ者の近くに走り寄って行く。
「早くして!あたし達だけじゃ分からないの!」
娘も、当然のように駆け寄って。件の厄介者たちの傍から、こちらをしきりに呼び寄せようとする。

腹の中で、悪い虫が騒ぐ。親である自分以上に懐いて、懇意にするような存在がいるからではない。嫉妬心の爆発とは、全く違うと断言できた。

親以上に、親しい人物ができるのは別にどうって事はない。自分だって、親以上に中の良い友人くらい、普通にいた。
折々に、親には内緒で何ぞやったりもした。大怪我とか、周りに大きな迷惑じゃない限りは。秘密の一つや二つ。持っていて当然だろう。
特に、あれぐらいの時分なら。時分を鑑みても、経験がある。
むしろ微笑ましい物ではないか……相手があの二人で無ければ。

この虫は、明らかに嫉妬心とは違う。
そうは分かっていても、どう言葉を当てはめたらいいのか。それが全く思いつかなかった。
ただただ、嫌な感じがするのだ。
息子と娘が、あの化物とよそ者のそばについて離れない。
その光景を見ていると、本当に。胃の奥がムカムカして来て。無性に……腹が立って立って仕方が無いのだ。
自然と、顔が歪んでいく。子供たちの前なので、多少は意識するが。それでも、不穏な変化を感じるには十分歪んでいた。

本当に、よりにもよって、子供たちが懐いた相手が何でこいつらなのか。
彼の中で沸き立つ、見当違いの非難は留まる所を知らなかった。

「おっとう!変な顔してないでさぁ!!」
「もう良いよ!思い出しながら行くから!」
歪む父の顔を、娘は変な顔と切って捨てて一瞥にもせず。中々歩み寄ってこない父に痺れを切らして地団駄を踏む。
息子は、地団駄を踏む所すら通り越して。遂には、父に頼らないとまで言い出した。
「行こうよ、○○先生!慧音先生を連れてかないと、時間が無いよ!」
そして、グイグイと。よそ者の服の端を引っ張って、外に出ようと強く促してくる。

○○の方は、この惨状をそのままにして出て行けるはずも無く。
また、子供たちが正確には知らないと言っているから。その提案に乗る気もせず。
さりとて、早く竹林の奥にいるお医者さんの所には行きたい。

「いや、ちょっと待て。お前、場所は知らないんだろう?」
「大丈夫思い出すから!だから、早く!」
「でも、これをこのままってのも……お前達!少し静かにしろぉ!話が出来ないんだ!」
だからせめて、誰か大人の人と話せる空気を作ろうと。懸命に声を張り上げるが。
本当に、誰も聞いちゃいなかった。
皆、自分の親矢近所のおじさんおばさんに。精一杯、力の限りの声で懇願しているから。聞こえようが無かったのだ。

大人達は、多少聞こえてはいたが……敢えて、無視を決め込んでいた。
目の前の子供達の相手と言う。大義名分と言って良いかどうかは、疑問符のつく案件に夢中の不利をして。


そうこうしている間に、彼の息子の体は。もう半分ほど壁に隠れてしまっていた。
娘も、地団駄を踏むのをやめて。息子に同調するように、化物を背負うよそ者を押して、出口に向わせようとしていた。



よくよく見れば、今この場で。外に出ようとしている子供は、彼の息子と娘の2人だけだった。
他は皆、大声でやいのやいのと喚いていた。
遂に、息子の体が完全に隠れて。よそ者を引っ張る腕しか見えなくなった。
このままでは、娘の体も。壁に隠れてしまうのにそう長い時間は掛からないはずだ。

「……おい、これ。うちの息子と娘、不味いんじゃ」
そう小さく呟いて周りの、時分と同じ大人達に目をやるが。
どいつもこいつも、見事に目線を外されてしまった。厄介ごとには係わり合いになりたくないのだ、いつもと同じように。

少し、立ちくらみを覚えた。
これはもう駄目だ……誰も頼る事もできないと言う事実を目の前にして・
だから、これはもう。誰かを頼ろうと言うのが間違っているのだ。

震える膝で必死に踏ん張りながら、息子と娘を取り戻す方法を必死に考える。
これはもう、どうする事も出来ないのではないか。


「お前等ああ!!!少し黙りやがれぇ!!」
そう、自分が動かない限りは。どうする事も出来ない。






彼の出した声は。それは、○○が出した大声などとは比べようも無かった。
大声などと言う表現では、決して収まりきらない。それは怒声と言ってしまった方が、しっくりと来る表現だった。
「―俺が行く!俺が前に立って案内してやる!」
「その代わり!少しは協力しろよな!!」
彼の息子も娘も、そして付き合いのある大人達も。彼がここまで怖い顔と声を出した場面など、始めてみた。
子供達も、恐怖で泣き出す所か。余りの威勢と怒声に、考えが追いついていなかった。
それは、大人達も同じだ。
「返事はどうしたぁ!?行ってやるつってるんだ!タダでやって貰えると思ってるのか!?」


「わ、分かった!何が欲しい、何をやれば、あんたが代わりに行ってくれるんだ!?」
里人の誰かが声を上げた。突然の怒声に、思考が止まってしまったが。再び動き出してすぐに、自分がやらなくて済む事に気づいた。
声を上げた里人は勿論だが、その周りで黙って見守る里人達も、皆懇願するような目だった。
どうか、どうかお願いですから。私たちを助けてください。

「何でもするな?」
もちろんです。何なりと、ご用命をお申し付けくださいませ。
里人が皆、コクコクと小さく頷きながら。そんな声無き声を、内に孕んでいた。

「荷車を持って来い。人一人分乗っけても、簡単には落ちない柵がついた奴だ」
「分かった!」
そう言って、1人が飛び出すと。逃げる好機を逃す物かと言わんばかりに、続いて十人以上の人間が駆け出そうとした。
「持ってくるだけならそんなにいらねえだろうが!2人もいりゃ十分だろうがぁ!!」
彼からの叱責により、結局逃げ出せたのは2、3人程度しかいなかった。

「んじゃ、あんたとこのよそ―
「おい!!」
誰かが口を開き、その言い掛けてしまった“よそ者”と言う単語。周りは青ざめるだけだったが、彼は違った。
怒声で制して、うやむやにするだけの冷静さを。彼はまだ持っていたのだ。
「俺1人とこの男だけじゃ人手が少ないだろ」
彼は勿論、言いよどむ事無く。“よそ者”を男と言い換えた。普段はずっと、よそ者と言っているのに、その癖につられなかった。
その妙な冷静さが、里人達に却って恐怖心を植え付けていた。

「ああ、お前とてめぇと貴様」
次に、彼が目を付けたのは。件の、自分を殴り飛ばして蹴りまで入れてきた。あのチンピラ達だった。
「今指差した三人は別だ。手伝え……逃げるなよ?」
指差された3人は、当然の事ながら顔が面白いくらい一気に青ざめた。
しかし、それとは逆に。指名されなかった3人以外の里人は、喜色に塗れた顔付きに変って行った。

「おい!何嫌そうな顔してるんだ!」
「これは名誉な事だぞ」
「守護者様をしっかりと送り届けるんだぞ!」
そんな美辞麗句、心にも思っていないくせに。ヘラヘラ、ヘラヘラと。
自分が厄介事をせずに済んだと分かるや否や、こいつ等は本当に酷い有様だった。

彼は、それを見ているとまた腹が立ってきた。
自分は悲壮な決意で、声を張り上げて、息子と娘を守ろうとしているのに。
なのにこいつらは……自分の事ばかり。

「うっせえ!ヘラヘラすんじゃねぇ!」
勿論、先ほどまでは。彼だって今しがた嫌悪感を覚えた、こいつらと同じ思考をしていたのだが。
同族嫌悪と言う奴なのか。とにかく、一歩先に進んでみて見ると……醜くて仕方が無かった。





「おい!今がどういう状況か分かってるのかぁ!?お前等、今の顔上白沢慧音に見せれるか?ああ!?」
今彼に機嫌を損ねられては、やると言った案内をやらないと言い出すかもしれない。
そして、冷静さを失いながら怒声を散らしているように見えながら。
先ほどの”よそ者”と同じく。“化物”と言う単語を言いよどむ事無く、見事なまでに避けれる相変わらずの冷静さ。
その両方で、里人は恐怖した。
その恐怖から。里人は皆、強張った表情で黙り込んでしまった。



件のチンピラは。間違いなく何かの順位が一気に下がってしまったが……
それと反比例するかのように、彼の順位が一気に上がったのだが…………
その上がり方は同時に、彼だけの話には留まらなかった。
ひいては、彼の一族全体が。普通の里人としての生き方を、許されなくなってしまった瞬間でもあった。




ガラガラと騒々しく、耳障りで、派手な音。慧音を乗せた荷車が懸命に進む音だった。
○○と彼は。そもそも、自分が動く為の根本的な理由が全く違っていたが。どちら共に真剣な表情で、慧音を乗せた押し車を突き動かしていた。
彼の怒気に当てられた里人は、この押し車が里から出て行く際。これでもかと恭しく、わざとらしいくらいの仰々しい礼を持ってして見送った。

一方の、彼からの指名を不幸にも受けてしまった三人は。○○と彼と違い、無理矢理この仕事に従事させられているから。
一様に、泣きそうな顔をしていた。
最も、彼からすればそれで良いのだが。この三人を指名したのは、結局の所殴られた腹いせなのだから。それで全く構わなかった。
こうやって、悲愴で痛々しい顔を浮かばせているのが見たくて。わざわざお前と貴様とてめぇ、等と言って指名したのだ。

「さっさと、その両足!回せ!」
この三人だって、自分の立場が地に所か。地面を更に掘り進めた所にまでめり込んだ事ぐらいは、流石に理解してきた様子だった。
しかも、今自分たちが運んでいるのは。倒れているとは言え、自分達が恐れてやむ事の無いあの化物だ。
決意するに足る何かを持っていないこの者達にとっては、今の状況は耐え難い苦痛でしかなかった。

そして、決意するに足る何かを持っているのは。○○のほうも同じだった。
○○は荷車の前を、持ち手を率先して手にとって、しゃにむに走り続けていた。
息はもちろんの事ながら、苦しいの一言だった。
朝寝坊したせいで、朝食を取っていないから。腹が減るを通り越して、痛いの域にまで達そうとしているのに。
ただただ、慧音を助けて、またあの寺子屋で子供たちを相手に教師の役割を担い続けたい。

がむしゃらに走って。ただただ、一つの事しか考えていなかったから。
少し所か、完全に今は忘れていた。
自分の心の中にあるはずの、外に帰りたいと言う欲求を。



慧音を運ぶこの一段の騒々しさは、どうやら本人たちが思っている以上に煩かったようだ。
まだ、竹林が開けきっていないのに、○○と彼とチンピラの前に、ウサギ耳を揺らす女性が現れた。
彼に連れて来られた三人は、その姿に仰天したが。
色々と覚悟を決めた彼と、普段から慧音と付き合っている○○は全くその姿に驚きはしなかった。

「急病人がいるんです!」
○○の悲痛な叫び、そして押し車にぐったりとした姿で倒れこんでいる慧音。その二つと……○○の顔を見て何かを理解したようだった。
「分かりました、こちらです。師匠に診てもらいましょう」


そして、慧音は何人かの。○○達を案内してくれたウサギ耳の女性とは別の、今度は丸っこいウサギ耳を持った女の子達に担がれて奥に連れて行かれた。
多分、先ほどの会話に出てきた“師匠”の元に行ったのだろう。

統率を取っていたのは、ニンジン形の小物を首から提げている……背格好から考えて女性と言うよりは女の子。
こちらもやはり、ウサギ耳を持っていた。しかし、人で無い存在相手では、背格好で年を計る事が出来ない場合が多い。だから、呼称を使い分けることに意味は無いのかもしれない。


慧音を連れて行った一団を見送った後
そして、○○達は待合室と思しき部屋に案内された。
この部屋で、しばらく待つように言われたが。○○は落ち着けるはずが無かった、件の三人もまた別の理由で。
手持ち無沙汰で、かと言って座っても落ちつくはずが無し。座っていても、貧乏ゆすりのような動きが多かった。
そわそわしていると、「長くなりそうですから」と言って先ほどのウサギ耳の女性がお茶を持ってきてくれた。
やる事もないので、飲みはするが……それでも落ち着くことは無かった。そして○○以上に、件の三人などは、全員視線があさっての方向を向いていた。
しかし、彼は違った。

彼の決めた決意は、同時に彼の神経を図太くしてしまったのか。ウサギ耳の女性から差し出された茶を一気に飲み干した。
喉が渇いているのは、○○も同じなので。パッと見の様子は○○も彼も、ただ茶を流し込む様子には変わりないのだが。
事情も何も知らない○○が飲むのと、土着の人間である彼が飲むのではまるで訳が違う。

茶を持ってきたほうは、雰囲気からして外の人間くさい○○はともかくとして。ここの人間である彼や青ざめているこの三人は、飲まないだろうなと思っていたが。
○○と同じく、茶を飲み干すその様子に、茶を持ってきたウサギ耳の女性は意外だと言う風な反応を見せたが。
○○と、彼と、件の三人。この間に流れる空気の異質さをすぐに感じ取って。お代わりの茶を急須ごと置いて、さっさと出て行ってしまった。


彼に連れてこられた三人は、走りつかれてグッタリと。それでいて、何事かに怯えていてゆっくりと待合の椅子に深く体を預けられずに、妙に良い姿勢で座っていた。
落ち着けていないのは、○○も同じだったが。
しかし、○○とこの三人とでは何故と言う部分が決定的に違っていた。

「いらんのか?飲み切ってしまうぞ」
彼の方はと言うと。一向に茶に手をつけない件の三人に対して、流暢に話すことが出来る始末だった。
○○は、きっと平時と代わらないであろう彼の姿に。気圧されるような、呆然とするようなと言った面持ちであった。

「何だか……随分落ち着いてますね。羨ましい」
その一言は嫌味などではなく。本当に、心の底から○○はそう思っていた。目の前の光景が、彼の立ち居振る舞いが、余りにも自然だったから。
また慧音の事が気になって。そう言う感情が、心中に蝕まれる余裕が無かったから。

「……これ以上、俺たちにやれることが何かあるか?」
彼は少し考えて、それらしい答えを○○に向って投げた。
「まぁ……そうですよね……“人事を尽くして天命を待つ”ですかね、今の状況は」

モヤモヤを隠し切れない○○を尻目に、彼は喉を鳴らして美味しそうに茶を飲んでいた。
「頭では分かっているんですがね……どうしても、やっぱり」
と言う○○の呟きを聞き流しながら。違うよ、バーカ。と内心では、思いっきり○○の事を馬鹿にしていた。
別に、あの化け物が熱病でくたばってくれるなら。それで構わない所か、最も望む結末でしかなかった。
例え生き残ったとしても、不本意ではあるがいつも通りに戻るだけ……ここに駆け込んだ以上は多分そうなるだろうが。

だから、徒労と言えば徒労なのだ。特に、件の三人にとっては。
だが、彼にとっては。目に入れても痛くない、自分の子供たちを守れたと言う自負がある。
その事があるから、彼の表情にはやりきった感が見え隠れしていた。


結局、置いていってくれた急須の中身は。○○が最初の一杯を飲んだだけで、残りは全て彼が飲み干してしまった。
あまつさえ、茶の副作用ともいえる利尿の効果に抗う事も無く。
「少し、手洗いを探してくる」と言って、一時部屋から出て行くまでの胆力を発揮していた。
件の三人など、仲良く寄り添って縮こまる事しか出来ていないのに。



ガラリとドアが開いたので、てっきり彼が帰ってきたのかと思ったが。
「すいませんが○○さんは……貴方ですね?」そうではなかった、先ほどのウサギ耳の女性が戸を開ける音だった。
彼女は、答えを聞く前に。居並ぶ面々の中から、○○が誰なのかを言い当てた。

「よく分かりましたね」
「いえ、何となく。幻想郷の人っぽくない名前でしたし」
一発で当てられた事に、○○は少し驚いたが。
何となく、分からないでもなかった。

「おい、どうした。何かあったのか?」
丁度、お手洗いから帰ってきて。部屋の前で立っている、ウサギ耳の彼女に訳を聞く彼の様子と比べると。一目瞭然だった。
何がどうと言われたら、それを言葉で現すのは難しかったが。
慣れのような物を、○○は彼から感じていた。大きなウサギ耳を持った女性が相手でも、普通に受け答えをしている様子から。

少なくとも、一つだけ自覚できたのは。
自分が、割と異質な存在である事だった。


最も、それは彼が吹っ切れて、件の三人が思考を放棄するくらいにまで恐怖を感じているから。
件の三人が、最早その辺の石ころ程度の存在感に成り下がっていたから。
相対的に、色々と図太くなった彼の印象が強くなってしまった。タダそれだけの話でしかなかったのだが。
とにかく、情報量の少ない○○にとっては。彼の対振る舞いこそが、幻想郷の一般人の平均に思えてしまっているのだ。

「…………いえ、患者が。慧音さんが、○○さんという人を呼んでいるので。連れて来ようかと」
○○は気付かないが。彼からすれば、暗に来るなと言われている気分だった。
幻想郷で一番の医療を提供できる永遠亭の人間が、知らないはずは無いのだ。里の暗部を。

永遠亭の面々だって、気付いてはいた。自分たちが心の底では無駄に恐怖されている事ぐらい。
それでも、騙し騙し付き合っているのは。永遠亭の主、八意永琳。彼女謹製の薬が、本当に優秀でよく効くからだ。
例え怖くても、本音では付き合いたくなくても。使わざるを得ないのだ、里人達が病を治すためには。

腹には据えかねるが。相手をする事で、永遠亭側にはそれなりの額の銭は稼げるし。
人間の存在は、そして人間に恐怖されると言う事象に関しては。
永遠亭に限らず、妖怪や神様。とにかく、人外に属する者達の存在理由と言っても良かった。
だから、騙し騙し付き合えるのだ。


「慧音先生が呼んでいるんですか?」
「ええ、だから早く」
2人の間に流れていた、寒い空気。土着の人間である三人は、即座に気付いたが。
慧音の安否を強く気遣う○○が。そんな物に気づける余裕が、あるはずは無かった。
慧音が○○を呼んでいると知ると、すぐさま立ち上がった。
○○を呼びに来た彼女も、これ以上この場にいるのが本当に嫌だったから。返事を聞く前に、手を取って少々強引に連れて行ってしまった。



「ふん……まぁこっちの心中を解っている分、まだ付き合いやすいか」
少なくとも無駄にお人よしの、あの男と化物に比べれば。
履き捨てるような溜め息をつきながら、部屋に掲げられた時計に目をやる。

「あー……どうするかね、割と良い時間だ。こんな竹林だと、日が落ちて無くても、傾くだけで暗くなるし」
勿論、その独り言は件の三人に聞かせる為に。敢えて大きめに呟いたのだが。

「おい、どうするかって聞いてるんだ……んだよ、情けねぇな」
反応が全く無いので、苛立ちを隠さずに三人に目をやるが。
笑える事に、三人とも既に心ここに在らずで反応を返せる状態ではなかった。

しかも白目をむいたり、泡を吹いたり、真顔で瞬き一つしなくなったり。
心を吹っ飛ばしている様子が、三者三様で種類豊富だったのが、また彼に嘲笑と言う笑いをもたらしてくれていた。
「俺を殴り飛ばした時の威勢はどこに行ったんだぁ?」

ニヤニヤ顔で、嫌味ったらしく攻め立てるが。反応が気絶の一辺倒では、面白くもなんとも無い。
すぐに彼は真顔に戻り、また時計の針を気にしだした。

「……あの男は、化物の付き添うだろうから、帰らないだろうな」
となると日が沈んでしまえば、常識的に考えて○○は一晩逗留するしか選択肢がなくなるだろう。
それは構わない、しかし夜が明けて1人で里に戻れるかどうか。
多分、永遠亭の誰かが付き添ってくれるだろうが。それでも心配だった。

心の底では冷たくあしらっている里人のいる場所に、きちんと最後まで案内してくれるかどうか。
そうでなくても、道を少し外れるだけで命の保障が出来なくなるのだ。
軽率に進んで、野良妖怪に食われでもしたら。大事の一言などでは片付けれなくなる。

事後処理が、特に上白沢慧音の。あの化物の豹変と、相手が怖くて仕方が無かった。
吹っ切れて、図太くなって。胆力の増した彼でも、寒気がした。
そして浮かんだのは、子供たちの顔だった。勿論、その中には生まれたばかりの赤子を抱く妻の顔も在った。
厄介事を押し付けられたりはしたが。子供たちと同様、大事には思っていた。

「…………しゃーねぇか。死なれてもやっぱり困るからなぁ」
自己犠牲の精神が、彼の中では急成長を遂げていた。
「残るかぁ……」
ひいては、子供達の為だった。

「ええ!?正気かぁ!?」
「んだよ、聞こえてるんならさっきので返事しろ、馬鹿たれが」
水を差すように、件の三人の中から、彼の正気を疑う声が飛んだ。

「帰りましょうよ!今なら、日没まで間に合う!」
「ここらの道に不慣れなよそ者が、明日の朝帰る時に、通る道をしくじって死んだらどうする」
「良いじゃないか!よそ者なんだろ?」
「よかねえよ。化け物が怒り狂う」
三人は、安全な里に帰ると言う。目先の利益を追い求めたくて仕方が無かった。
対して彼は、後の事を考えて。一番、平穏な着地点に辿り着けるように。ここは虎穴に留まる事に決めていた。
議論は明らかに平行線、決着の道筋など存在しなかった。

「役に立たんな……おい、だったらお前等。もう帰っていいぞ」
手で払いのけるような動作で、邪魔だと言わんばかりに彼は三人に帰宅を促した。
どの道、押し車を動かす手が欲しかっただけで。この時点ではもう物の数として考えてなどいなかった。
思慮の浅い馬鹿共と、一緒に行動する方が鬱陶しかった。だったら、一人の方が良かった。

「……良いのか?後悔しないな?」
「帰りたいんなら帰れよ。邪魔だ……押し車は持って帰れよ。借り物だし、持ち主の明日の仕事にも差し障るだろ」
「じゃあ帰るからな!!」



「はんっ……」
一応、見送りはしてやったが。
三人は、見送ってくれる彼の方向には一度も顔を向けず。猛然と走り出して、その姿はすぐに鬱蒼と茂る竹林に隠されてしまった。
「俺を置いて帰った事で、うちの女房にどやされろ。あいつ、結構怖い所あるからな」
そう呟き、ほくそ笑みながら。彼はまた先ほどの部屋に戻って行った。


前を表示する / 次を表示する
感想掲示板 全件表示 作者メニュー サイトTOP 掲示板TOP 捜索掲示板 メイン掲示板

SS-BBS SCRIPT for CONTRIBUTION --- Scratched by MAI
0.02991509437561