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No.39592の一覧
[0] 死にたがりの少女と生きたがりの盗賊【短編読み切り】[yoshi](2014/03/08 01:07)
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[39592] 死にたがりの少女と生きたがりの盗賊【短編読み切り】
Name: yoshi◆79ea27c2 ID:3513f21e
Date: 2014/03/08 01:07
「ただいま」

 そのどことなく暖かみのある低い声を聞いて、私は丁度食器を並べ終えた机から顔を上げた。

「お父さん、おかえりなさい!」

「ああ、ただいま」

 仕事から帰って来たお父さんは上着を玄関脇のハンガーに掛け終えて私の元に、リビングの中央にある食卓の整えられた四人掛けのテーブルへと向かってくる。

「お、今日はなんだか豪勢だな、なにかのお祝いか?」

 机の上に並んだ色とりどりのサラダや魚のムニエルを見つけて、嬉しそうに言いながら自分の席へと腰を下ろした。机の脇へと立っていた私もその隣の椅子につく。

「今日はお隣さんから色々頂いたのよ。有難いわぁ。後でうちも何かお礼しなくちゃね」

 そう言いながらお母さんが奥の台所から湯気の立つ鍋をゆっくりと運んで来て、机の真ん中の鍋置きの上に置いた。途端に食欲を掻き立てるいい匂いが、広がる湯気と共に漂ってくる。

「おお、最後に母さん特性のきのこのスープとは、これは本当にパーティみたいだな」

「ね、すごいでしょ。私も色々頑張って手伝ったんだから!」

 私がそう言うと、お父さんに頭を撫でられた。大きい手に揺らされて視界ががくがく揺れる。

「お手柄だぞイビィ、これで父さん明日もバリバリ頑張れる」

 なすがままにしていると、向かい側にエプロンを片付けてきたお母さんが席に着いた。そしてきのこのスープを底の深い木杓子で小皿に取り分けてくれる。

「さあ、折角のお料理が覚めないうちに頂いちゃいましょ。あら、いけない。私とした事がミルクを忘れてたわ。すぐ取ってくるわね」

「あ、私が行ってくるよ。任せて!」

 私は褒められたのが嬉しくて、少し調子に乗ってお母さんを止めると、かわりに家の奥の裏口に向かった。ミルクの入った瓶はその裏口のすぐ脇にある。
 明かりの灯ってない家の奥は薄暗かったけれど、生まれたときから住み続けた家だからこのくらい何の不自由にもならない。すぐに瓶の銀色を見つけて近づく。
 ふと、風を感じた。冷ややかな夜気が頬を撫でていく。
 そこで初めて気付いた。裏戸が開いている。そしてそこに、人影が立っていた。

「え……?」

 大きな人影だった。お父さんより背が高い。けれど細い。夕暮れに延びる影みたいに。


 ふと、お母さんが言っていた話を思い出す。最近この近くで盗賊の被害があったって。留守にしていた家が何件もやられていて。でも間が悪い事に一人で留守番をしていた隣町の粉引きのおじいさんが殺されてしまったって——。


 体が固まる。声も出てこない。何も出来ず、ただ目の前の人影を棒立ちして見つめるしかなかった。
 そして、そんな私に気付いたかの様に、その人影と目が合った、気がした。相手の向いている方向も判然としない闇のはずなのに、確かに視線を感じた。
 その恐怖で、やっと絞り出す様に悲鳴を上げる。そうすると、体も動く様になっていた。
 目の前の大きな人影は、耳障りな私の声にいらついたかの様に舌打ちをした。
 訳も分からず逃げようと背中を向ける。
 その瞬間、後ろからの衝撃。男が体を思いっきりぶつけて来ていた。同時に脇腹に焼けた鉄の棒でも押し付けられたかのような感覚が生まれる。
 その、突然の苛烈な刺激に耐える事で精一杯で、まともに顔も庇う事も出来ずに私は床に倒れ込んだ。
 打ち付けた顎が痛んだけれど、それを気にする余裕は無かった。脇腹の熱さは少しずつ、切り替わる様に痛みへと変わっていっていた。多分何かで刺されたのだろう。
 逃げようとしても、もう一ミリも体を動かす事は出来なかった。少しでも動かせばそれが爆発してしまいそうで。
 そのあまりにも異常な痛みから必死に気をそらそうと、頭の中を色んな事がめまぐるしく駆け巡っていく。
 目の前の床の木目のその一つ一つの形。今日起きた時に窓の外に見た空の色。橋から見下ろした透明な川の中を泳いでいく魚。道の端で死んでいた猫の残骸。いつかの日のおばあちゃんの顔。
 これは夢だと思った。きっと目覚めたら私はベットの上にいて、リビングに降りて行くともうお父さんとお母さんがいて、用意されていた朝食を、寝ぼけ眼を擦りながら食べる間に、こんな悪夢の事は忘れていて。
 そんな何も変わるはずの無い日常が私の現実のはずで。
 涙が溢れて止まらなかった。
 そんな私を男が音も無く跨いで素早く部屋へと進んでいく。言葉をひねり出す暇は無かった。
 必死に奇跡を願う私の視界から男が消えると同時に、リビングから声が聞こえてくる。

「お前は誰だ、一体何の用」

 お父さんの言葉はそこで途切れて、何か重い物が倒れ込むような騒がしい音が続く。
 少しずつ重くなっていく体を感じながら、それを聞いていた。脇腹は相変わらず白熱したように痛み続ける。そして、それ以外の場所はまるで吸い取られたかのように凍える程寒かった。
 手に触れる血がとても暖かい。
 その温もりを感じながら、自分はこのまま死ぬんだなと、自然と何の抵抗もなく確信していた。随分あっけないなと思った。でも、多分お父さんとお母さんはもう死んでいるのだろう。だったら生きる意味も無いじゃないか。
 そう思ったけれど、心の底になにか判然としないものがある事に気付く。いつのまにかに生まれていて、ひとりでにどんどん膨れ上がっていくその苛烈な、まるで身を焦がすように激しい感情。その初めて感じる感情は、殺意だった。
 いきなりやってきて、突然私達の日常を壊したあいつを殺したい。無意味に理不尽に終わらせたあいつを終わらせてやりたい。
 その感情は、一度思いついてしまうと、まるで火の手をあげた炎が、森を燃やし尽くしてしまうみたいに心を一瞬で染め上げていく。傷の痛みよりもよっぽど胸の中のその感情の方が熱かった。
 まるで飢えた獣みたいに、考えが前のめりになっていく。あいつを殺す事で頭の中がいっぱいになる。
 でもどうやったらあいつに勝てるだろうか。傷つき、床に横たわるのがやっとの状態で死にかけている、そんな子供が武器を持った大人に立ち向かうなんて。
 それは、とても無理なことだと思えたけれど、突然まるであらかじめ用意していたみたいにその方法が頭の中に閃いていた。不思議な事に、人は死にかけると頭が冴えるようだ。まるで神様からの最後のひと手添えみたいに。
 後は激しい感情に身を任せて体を動かすだけだった。一呼吸置いて床に手をつける。そして力を振り絞ってなんとか立ち上がった。
 それだけでも一気に血の気が引いて、酷いめまいと頭痛に襲われたけれど、もうそんなのはどうでも良かった。もう少しだけこの体が動けば後は何の問題も無いのだから。
 少し動いただけで全力疾走した時みたいに荒くなる息を必死に押さえて、ゆっくりと慎重にリビングへと向かう。
 部屋に入ると、あいつがいた。まるで闇を纏うかのように全身に黒い布を巻き付けた、不吉な男の後ろ姿。
 幸運な事にこちらに背中を向けてしゃがんでいた。おかげで私はさっきまで自分がいたリビングの光景を眺める事ができた。
 お父さんは机の向こうに後ろに仰向けに寝転んだみたいに倒れていた。その広い胸の左側から血で赤く染まっている。見開かれた瞳はもう何も見てはいない。
 お母さんはその丁度向かい側に横になっていた。傷一つ無く、まるで眠っている様にも見えた。でももう、死んでいる事は明白だった。
 男はお母さんの隣にしゃがみ込み、ピクリとも動かないその姿を観察している。

「なんでこいつ、なんにもしてねぇのに急に倒れたんだ?」

 初めて聞く男のその声は、低い音なのはお父さんとなんら変わらないのに、ひどく汚らわしい響きに思えた。
 その背後にゆっくりと忍び寄る。無惨にも床に散らばった夕食、そこから転がり、丁度足下にあった手頃な割れた皿の破片を、音を立てないようとても慎重に拾い上げる。
 それをきつく握りしめた。鋭い痛みが走り、皮膚が切り裂かれて、血が滲む。その血で滑ってしまわない様にさらに力を込める。
 これが唯一の、そして私の人生最後のチャンスだろう。ただただ全てが上手く運んでくれるよう神様に祈った。
 そして私は、なりふり構わず男のその背中へと突撃した。

「ああぁあ!」

 虚をつかれて振り返ったまま動けない男に向けて、構えていた破片を振り回しながら突っ込んでいく。
 寸前の所で男は獣の如き素早さで転がる様に飛び退く。しかし、破片はその左肩をかすめ、纏った布を破り、ごく僅かに男の左手の甲の皮膚を切り裂いた。
 盗賊の血で破片の先端がほのかに赤く滲む。

「くそっ、なにすんだこの野郎!」

 男の怒号を聞きながら、破片を口に入れて、それを嘗めとる。絶対に、そのひと欠片も余さない様に、冷たい切っ先に舌を押し付けて、まるでその形を確かめるみたいに下から上へとなぞる。
 舌が切れて、一気に口の中に鉄の味が広がった。男の物も混じっているかと思うと、思わず背筋に蜘蛛が這ったような嫌悪感が走る。
 吐きそうなのを堪えてそのまま、再び立ち上がる男に向けて突進した。
 でも今度は容易く捉えられてしまう。振りかぶった所に、素早く男が踏み込んで来て、腕を掴まれた。破片を握りしめた右手を男が遠慮容赦ない力で握りしめてくる。そのまま大きく揺さぶられて、唯一の武器だった破片は血と唾液を散らしながら何処かへと飛んでいってしまう。
 男はそのまま押し倒そうとしてくる。もがいて抵抗しながら、まだ捉えられていない方の腕を、今までに無いくらい必死に突き出した。それが運良く男の顎へ当たる。
 男が顔を背けようとする中、その自分の血にまみれた手を、死に物狂いそのもので男の口に押し付ける。
 それは、唇を押しのけ、歯の間に滑り込み、そしてついに彼の舌へと指先が触れた。その瞬間、血を口に含んだ時の何倍もの嫌悪感に襲われると同時に、私は吹き飛ばされていた。
 腹を思いっきり蹴飛ばされ、体が空中に浮く。数瞬の後、傷口のある背中から床に叩き付けられて、そのあまりの衝撃に意識が真っ白に飛びそうになる。
 それでも私は神様に感謝していた。すべてが上手く運んだ自分のあまりの幸運に。
 心の中で二本の蔦を思い描く。それはまるで時間を早回ししたみたいに次第に伸びて行く。その先端同士が触れ合った瞬間、互いを互いが絡めとる様に複雑に絡まり合っていき——やがてそれはまるで一つの大きな大樹のように太く、高くなっていた。
 すると、体の中心が僅かに引っ張られるようなひどくつかみ所の無い感覚がして、そして、これで、やるべき事はすべて終わっていた。
 口と背中から血を流して横たわる私を見下しながら男が近づいてくる。

「まったく威勢のいい嬢ちゃんだよ。もしかしたら将来は女騎士にでもなって、俺みたいな悪党をやっつけていたかもな。まあ今となっちゃあそれも叶わねぇ。あんたが気付いてくれさえしなければ、俺は少しばかり生きるのに必要なもんを拝借して、帰るだけだったんだがな。過ぎた事を言っても仕方ねぇか。これも運命ってやつだ。恨みはねぇが、諦めてくれよな」

 突然饒舌になったみたいに吐き捨てる様に言い、起き上がることも出来ない私を見届けると盗賊は踵を返す。
 その背中に声をかける。もう体には全く力が入らず、唇は馬鹿になったみたいに震えて、なんだか笑えてくる程弱々しかった。それでも声を振り絞って言葉を吐き出す。
「あなたは、私と一緒に死ぬ、のよ。呪いをかけた。私とあなたの命は、繋がったわ」
 随分掠れて、途切れ途切れの声だったけれど、男にはちゃんと聞こえたらしい。振り返った男の顔は困惑に満ちていた。

「今生の最後の言葉がそんな戯れ言でいいのかい」

「古い呪いよ。あなたも見た筈。お母さんが倒れた、のを」

 驚愕に息をのむ男の顔を眺めるのはとても愉快で、大声で嗤いたかったけれど、唇はもうぴくりとも動いてくれなかった。
 そうして今度こそ私の意識は、何も感じられない深い深い闇の底へと沈んでいった。





 あれからどれくらいの時間が経ったのだろう。ずっとずっと長く感じたけれども。もしかしたら一瞬だったかもしれない。
 かすかに意識が浮かぶ。たゆたう感覚。すべてが、おぼろげな感触。
 掴めない現実感に反射的にもがきながら考える。
 ここは、どこだろう。天国だろうか。
 そう思った事で、急激に覚醒していく。霧散していた意識が縒り集められて、形を成していく。
 そして浮遊管は唐突に消え去り、体を感じていた。どこもかしこもさっきまでとは比べもにならないくらいに重くて、瞼を開ける気にもならない。 
 横たわっているのはベットだろうか。薄い生地を通して、堅い感触が伝わってくる。
 身を起こそうと体をほんの少し捩った時、体中に痛みが走った。腹。手。舌。それをはっきりと感じとった瞬間、とっさに考えるのを止めようとしたが、遅かった。
 胃がひっくり返ったような感覚。こみ上げる異物感を感じて、無理矢理瞼をこじ開けた。
 小さなベットの上。蝋燭の頼りない明かりがおぼろげに照らしだす小さな部屋。
 せめてベットの端から顔を突き出す。
 そして吐いた。喉が焼かれ、お腹に自然と力が入る。床に吐瀉物が落ちる耳障りな音が響く。
 その間も体中の鈍い痛みは執拗に私を苛み続ける。
 その一つ一つが、わたしにとってあまりに残酷な、あまりにも信じがたい一つの事実を突きつける。
 まだ私は生きているのだという事を。
 それは自分の勘違いだと信じ込みたくて、でも確かに感じる痛みがそれを決して許してはくれなかった。
 部屋の外から急いで近づいてくる足音が聞こえてくる。
 そのときにはもう、私は考える事を放棄していた。
 そうしなければ耐えられなかったのだと、まるで他人事のように考える。
 自分の体が、まったく自分だと思えなかった。私の意識は彼女の体を上から見下ろす様に、他人事としてしか捉らえられなくなっていた。まるで夢の中で、夢を見ているのだとだと気付いてしまった時の様に。

「おい、大丈夫か」

 近くに来た男の声が言う。彼女はそれに耳を貸さずにベットへと倒れ込んでしまう。

「おいおい、このまま寝てもらっちゃあ困る。応急措置したって、俺が使える治癒術じゃ十分とは言えねぇし、それに呪いの事も見てもらわなくちゃいけねぇ。ほら、行くぞ」

 男はそう言うと、彼女の手を引っ張り上げて、無理矢理立ち上がらせる。彼女は、それに特に抵抗する事も無く、ただなすがままに動いていく。
 男はそのまま、彼女を部屋のドアから外に連れ出した。
 盗賊たちがいたのはみすぼらしい小屋だった。町から少し離れた場所にあるらしく、遠くに暗闇の中に浮かぶ町灯りが見えた。
 男が彼女の手を引きながら、その光の方へと歩き出す。辺りは暗く人気が無い。
 いつかお母さんに、日が暮れた後は町の西の外れの方には近づいてはいけないと教わったことがある。恐らくここはそういう場所なのだろう。いくつか建っている家屋も、さっきの小屋も含め崩れかけていたり、そこらへんの廃材で作ったような粗末な物もあった。よく見ると、その脇には座り込んていたり、寝転んでいる人影が見え隠れしている。
 それらすべてを気に留める事無く男は歩いて行く。でも彼女の体はボロボロで、一歩進むたびに傷が痛み、歩くとすぐ息が切れてしまう。
 たまらず座り込む彼女に、男が面倒そうに振り返る。

「ったく、なんで俺がこんなのの面倒を見なくちゃいけねぇんだ」

 無理矢理手を引いて男が立たせようとした時だった。

「おい、そこにいるのはテイレンじゃねえか?」

 前方から声がかかった。盗賊とは違う男の声。より低くガラガラに割れていて、その少し舌足らずで耳に付く喋り方は、まるでとても巨大なドブネズミが歪んだ笑顔を浮かべている様な、そんな奇妙で不快な姿を思い起こさせる。
 顔を上げると盗賊たちの正面に、大きくずんぐりした体系の男が立っていた。服の上にエプロンの様な物を着て、手には大きな鉈を持っている。しかしどれも薄汚れていて、とてもまともには見えなかった。
 話しかけられた盗賊は、少し鬱陶しいような表情を浮かべて相手に向き直る。

「解体屋が一体何のようだ。こっちは今少しばかり忙しいんだよ」

 不機嫌さを微塵も隠さずに、目の前の解体屋に盗賊は食って掛かる。
 それに解体屋はさらに口の端をつり上げた。

「おいおい、随分とご挨拶じゃねえかあ。この前仕事を頼まれたときはもうちょっと面白い奴だったと思ったが勘違いだったかなあ?」

「最初からつまらん奴だったと思うぜ。用がないんなら関わらないでくれ」

 言葉こそ抑えていたが、盗賊の勢いはまるで牙をむいて威嚇する獣のように激しい。
 しかしそれにも解体屋は動じず、歪んだ笑顔を崩さない。

「おお怖い。そんなにムキになるなよ。ところでその後ろの連れはどうしたんだあ?見た所丁寧に扱ってる様子も無いし、仲間ってえ言うわけじゃあねえんだろう?」

「だったらどうした」

 解体屋は鉈の腹を、まるで愛しい人にそうするように手でゆっくりとなで上げながら答える。

「最近、めっきりバラす仕事が入ってこなくてなあ。もし良かったらその後ろのをくれねえか?そしたら後でタダで仕事してやるから。なあ別にいいだろ?」

「残念だがこいつは駄目だ。分かったら他の奴を適当に見繕うんだな」

 その盗賊の言葉を聞いた解体屋は何がおかしかったのか、一瞬きょとんとして、それから堪らないといった感じに腹を抱えて笑い始めたのだった。

「おい、お前いつから冗談なんて言う様になったんだあ?まさかいまさらそんな小娘一人救ってやって善人ぶる気じゃないだろうなあ。ここいらで名前を知らぬ奴がいない程残忍なお前さんがよお」

「冗談でもなんでもない。こいつを医者に見てもらわなきゃならねぇんだよ」

 そう乱暴に言い捨てると、盗賊は彼女を無理矢理引張り起こそうとしてまた強く腕を引き始めた。解体屋に付き合いきれなくなったのだろう。
 彼女は乱暴に引かれるままに、よろけながらもなんとか立ち上がる。
 解体屋はそんな盗賊たちの様子を見て、相変わらず笑いながら目を細める。

「おおそうか。そこまで言うんなら仕方ねえなあ」

 そしておもむろに腕を振り上げた。その手に持った大きな鉈の重さをまるで感じさせない、俊敏な動きだった。
 それに何も反応する事が出来ずにただ解体屋を眺めていた彼女を、盗賊が脇から突き飛ばす。
 彼女はそのまま地面に倒れ込み、盗賊は彼女とは反対側へ素早く身を躱していた。
 その間で、銀色の軌跡が闇夜に閃く。
 解体屋が振り下ろした鉈は何も捕らえる事無く、鈍い音を立てて地面にめり込み、土を僅かに 削って止まった。人間程度の肉塊では、その進行を妨げる事は出来ないと確信するには十分な一撃だった。
 鉈をゆっくりと地面から持ち上げた解体屋は、彼女を庇いながら距離を取り身構える盗賊を見て、

「なるほど、とても信じられねえが、本当に嘘じゃないみたいだなあ?これは面白い事になりそうだあ。お前さんが変になっちまったのはそいつのせいなのか?哀れみか良心か、はたまた似合わない恋煩いか?だったらそいつをやっちまったらどうなるかなあ?」

 歪んだ愉悦を滲ませながら饒舌に話す解体屋を盗賊は睨みつけながら、さっきの勢いからは考えられない程落ち着いた様子で静かに言う。

「そんな馬鹿みたいなことを考えるのはやめとけ。仕事なら後でまた依頼してやる。一人くらいなら見繕ってやっても良い」

「そんなこと言われても、もう欠片たりとも我慢できねえんだよお。悪いが、その娘バラさせてもらうぜえ」

「まったく、馬鹿には何を言っても無駄ってことか。しかたねぇな」

 短い交渉はどうやら決裂したらしかった。
 解体屋の動きは見かけとは裏腹に素早かった。再度鉈を振り上げながら、盗賊に駆け寄る。そして身構えたままの盗賊へ向かって横に薙ごうと構えた。
 そして盗賊はそれを待ち構えていたのだろう。
 素早く踏み込んで解体屋の巨体の懐に入り込むと、いつの間にか腰から抜いていた短剣を、目の前の大きな胸目がけて突き出す。
 鉈では攻撃出来ない程接近して繰り出される攻撃。それは防ぎ様も無く、確実に敵を捕らえた様に見えた。
 しかし実際には刃は解体屋には届かなかった。
 解体屋は目前の盗賊を、鉈を握っている手とは反対の左手でその肩を掴むと、その尋常ではない怪力でそのまま力任せに引きずり倒していた。

「いただきまあす」

 鉈の矛先を、地面に押さえつけられる盗賊へと向け直し、その頭目がけて鉈を振るおうとする解体屋。
 地面に押さえつけられている盗賊は、なんとか身を捩ると自由になった片腕で、手の内に握った物を解体屋の顔目がけて投げつけた。
 砂をもろに顔に受け、思わずよろける解体屋の隙を突いて手を振りほどき、立ち上がって距離を取る。
 そうして再び、二人の間に距離が生まれる。向かい合う二人はむしろ気楽にさえ見える様子で相手と向き合う。

「おおう、まったく生きがいい得物だなあ」

「得物は向こうじゃなかったのか?」

 そう言って顎で私の方をしゃくる盗賊に、

「そうだったなあ。まあ、どっちみち二人ともやるから間違っちゃいねぇだろお?」

 狂気を滲ませながらとぼけてみせる解体屋は、まさに狂人じみていた。でも、これがあの盗賊の日常なのだろうとなんとなく思う。
 正常も異常も、生も死も紙一重の世界。
 笑いながらゆっくりと解体屋が鉈を構え直すと、盗賊もまた身構える。

「今度は同じ様にはいかねえぞお」

 言いながら盗賊に走り寄り、再び攻撃を仕掛ける。それはそれまでの大振りな動きではなく、素早く小刻みな攻撃だった。
 腕をただ振るのではなく、延ばした腕を自分の体の後ろへと引きながら切り裂く。

「なるほど、頭の中には多少肉以外の物が詰まってるみてぇだな」

 懐に入り込む隙も無く、盗賊は後ろへと飛んで斬撃を避ける。
 その後退の一手を打った盗賊を、責め立てる様にいく筋も攻撃を打ち込んでいく解体屋。
 それを巧みな足さばきと体を反らす事で幾度となく躱す盗賊。そんな応酬を繰り返す二人は、端から見ているとまるでダンスでも踊っているような風にも見えた。
 片方が死に絶えるまで二人の乱舞は続いていく。
 それでも、状況は一方的だ。

「避けてねえで、早く肉になっちまえよお」

 ことさら鋭い袈裟切りを、ギリギリの所で身を反ってやりすごした盗賊だが、ついにバランスを崩してたたらを踏んでしまう。
 それを見逃す筈も無く、すかさず解体屋が鉈を振るう。
 鉈を素早く反転させての渾身の切り上げ。峰に腕を押し当て、威力とスピードを乗せて繰り出されるその一撃が、盗賊の顎下に迫る。まるで死神の鎌のように絶対に避けることの出来ないタイミングで、一撃で相手を完全に死に至らしめる破壊力を伴って。
 避ける事を断念した盗賊は、ありったけの力で短剣をその軌道の上に構えた。
 闇に花火が散る。甲高い金属音が鐘の音みたいに辺りに鳴り響いて、冷たい空気を震わせる。
 鉈を受けたその衝撃で盗賊の手から短剣が吹き飛ばされる。しかし盗賊はその反動で半歩体を後ろへと引き、鉈は頬をかすめて虚空に通り過ぎていった。

「これでおわりだあああ!」

 今や武器一つなくなった盗賊に、勝利を確信した解体屋が壮絶な笑顔を浮かべながら鉈を頭上高く振り上げる。
 盗賊は今度は身構えることも、避けようとすることもしなかった。もう諦めたのだろうかと思った。多分解体屋もそう思っただろう。
 そうすると私も死ぬ事になる。でも、どうでも良いとしか思えなかった。
 だから、解体屋は私の死肉で満足できるのだろうかなんて、そんな場違いな事を考えながら、ただその終わりを眺める。
 月光を受けて光る鉈。なぜか私はそれをとても美しいと感じて。
 そして、二人の命を終わらせるその決定的な力がまさに今、盗賊へと振り下ろされようとしたその瞬間、盗賊は解体屋のその太い首の前で、素早く腕を一線させていた。
 その指先の動きを追う様に赤が飛び散る。

「あ、が」

 何かを言いかける解体屋の首からは、壊れた水道管みたいに大量の血が噴き出していた。
 そうして巨体はゆっくりと横に傾ぎ、その顔に驚愕の表情を張りつけたまま、土ぼこりを巻き上げながら倒れ込む。最後まで握っていた鉈がその手から転がっていく。
 あっけない程の終わり方だった。

「まったく、阿呆なんだよ。誰が武器一つだけで戦うか」

 袖から出した細長い刃だけの暗器をまた袖の中にしまう返り血に塗れた盗賊を眺めながら、彼女はこれからどうなるんだろうとぼんやりと思っていた。
 夜の闇はふさぎ込んだみたいに言いようの無い閉塞感を与える。その暗闇の先にいくら目を凝らしても、どこにも光なんて見当たらなかった。
 それに耐えかねて俯く様に視線を足下に移すと、何か光る物が目に入る。
 さっき盗賊から弾き飛んだ短剣だった。
 それを見つけた時、私は走り出していた。ふらふらする足取りで近づいて、まるで転がる様にしてそれを拾い上げる。両手で握りしめた柄はまだ少し暖かかった。
 それでも、未だに私の体は、見えない糸で吊られている様に、自分で動かしている気がしなかった。
 だから、自分が握った短剣の刃先が、喉へと真っすぐ据えられても、やはり何も思えない私は、それをただ平然と見つめているだけだった。
 腕に力が籠るのを感じる。喉をせり出す為に顔が天を仰ぐ。見えた空は、今まで出会った事も無いほど奇麗な満天の星空だった。
 そうして短い終着点に向けた私の行動は——途中で止まっていた。

「まったく、なんてことしようとしやがる」

 短剣は、いつの間にか横まで来ていた盗賊によって叩き落とされていた。
 転がっていく短剣を、私の体は必死になって追いかける。
 でも短剣まであと一歩の所で、突然地面が大きく傾いだ、気がした。激しい目眩に襲われ、たまらず地面へと倒れ込んでしまう。
 そして、揺れる世界と土の匂いを感じながらうずくまる私の横を、悠然と盗賊の足音が通り過ぎていく。

「まだ無理できる体じゃねえっていっただろうが」

 ひどい吐き気を感じながらも、なんとか上半身を起こすと、盗賊がしゃがんで短剣を拾おうとしている所だった。
 その盗賊の足に飛びついて、倒れ込んだ。

「おわっ!」

 一緒に倒れた盗賊の脇を這い、盗賊の頭の先にある短剣を腕を延ばして掴み取った私は、体に残ったあらんかぎりの力を振り絞って、そのまま自分の腹目がけて腕を振り下ろした。
 今度こそ、肉を捕らえた確かな感覚が腕に伝わる。
 これでようやく終わるんだと思った私の中にやっと芽生えた感情は、安堵感ではなかった。
 そして、短剣を奪われていた。

「え?」

 私の懐から何かが遠ざかっていく。それは盗賊の腕だった。
 その指先から尾を引く血。見ると、その手のひらは真っ赤に染まっていた。
 そこでようやく、私の一撃が彼自身の手によって受け止められたのだと悟った。
 盗賊は素早く立ち上がって短剣を懐にしまう。

「なんでそんなに死に急ぐんだてめぇは」

 その、何の配慮も無い、無粋で、どうしようもなく愚かしい声を聞いた時、何も感じていないはずの私の口から、言葉が転がり出していた。
「私には、私にはもう生きる意味なんて無い!あのとき死んでしまいたかった!だから、私は必ずあなたを道連れにして、死んでやる!」
 その言葉は私が感じるべき感情をそのままに、目の前の盗賊へと必死に吐き出されていた。
 しかし、そんな私を前にしても盗賊は眉一つ動かさず、淡々とした様子を崩さなかった。その態度は私の感情をひどく逆撫でするらしい。
 今にも私の体は盗賊へと飛びかかっていきそうだった。そんな力はもうどこにも残っていないのに。

「それでお前は満足なのか」

「当たり前のでしょ! 私にはもうこれしかないのに! 他に何があるっていうの! お父さんもお母さんも死んだ! あなたが私のすべてを奪ったから、だから同じ様にあなたのすべてを奪って、それでもうぜんぶ終わりなのよ!」

 私の声が、暗闇に虚ろに響いていく。自分でも驚く程の必死さだった。

「へえ。だから、たとえそれが『せっかく助かった』自分の命を犠牲にしてもなし得なきゃいけない事だっていうのか?」

「そうよ!」

「じゃあなんでお前は泣いてるんだ?」

「泣い、て?」

 ゆっくりと頬に手をやると、濡れた感触が触れた。それは冷たくも暖かくも無い温度で、ともすれば見失ってしまいそうなくらい微かだけれども、確かに涙の跡がそこにはあった。
 今までまったく気付かなかった。
 そんな私の心の中をすべて見通しているかの様に、困惑する私に向かって盗賊はただ当たり前の様に告げる。

「生きたいからだろ?」

「ち、違う。そんな、もう生きる意味なんてなにも無いはずで、だから……」

 言葉ではそう言うけれども、考えてしまう。
 なんで泣いているんだろう。
 それは怖いからだ。何が?盗賊に殺されること?いや、私は死にたがっていたはずだ。私が死んでしまえば、盗賊も一緒に死ぬのだから。それだけを望んでいた筈なのだから。
 その、自分の中のあまりに大きな矛盾に戸惑う。
 思い出す。さっき自分にナイフを突き立てようとする瞬間に味わった感覚。
 それは、後悔だった
 悔いなんて、未練なんて感じるはずはないのに。
 だったら、もう答えは一つしか無いじゃないか。
 私は、本当は死にたくなんてなかったんだ。

「違う!」

 彼女がうずくまって、頭を左右に振りながら絶叫した。あまりに大きな声を出したせいで喉が焼き付く様に痛む。

「私は、生きたくなんてない!」

 まるで赤子が泣き叫ぶみたいに叫び続ける。

「たとえ何があっても、どんなことがあっても殺してやる!」

 嫌だと、そんなものは全部嘘なんだと言う様に。

「親の仇を討ってやる! たとえ親を殺したあなたと一緒に死ぬ事になったとしても!」

 ああ、まったくなんということなのだろう。
 今まで必死に心の底に押し込んでいた感情が、目をそらし続けた言葉が、堰を切った様に一機に溢れ出してくる。
 何をしても。どんなに汚くても。汚らわしくても。生きていたい。あの男を殺せなくとも。親の仇をうてなくても。たとえ親を殺した人と一緒に生きて行く事になったとしても。
 自分の中の、どこまでも救い様の無いその卑小さ、意地汚さ、未練がましさ。それだけは、そこだけは絶対に見ない様にしていた、のに。
 こんな汚い自分に気付きたくなかった。気づく前に死んでいれば良かった。生き残って、しまわなければ良かった。
 でも、それに気付いてしまった今となっては、すべては終わっていた。これ以上、自分自身を偽る事なんて出来る訳が無かった。
 短剣を自分に向け、死を確信した瞬間から、私の心臓は痛いくらいに鼓動し続けていた。体が必死に、生きようとしているみたいに。
 死にきれなかった私が本当にしたかった事は、ただ生きることだけだった。

「あ、あぁぁ」

 気付いたら涙が後から後からあふれていて、それは私の本心と同じ様に止め様が無かった。
 そこまでして生きたい自分自身があまりに醜くて、それでも、どんなに必死に止めようとしても嗚咽が漏れていく。
 その全部から逃げたい一心で、手頃な尖った石を手に取って手首に何度も何度も押し付けて引き裂こうとする。
 それでも、もうどんなに力を込めても手の震えが増すだけで、引っ掻き傷しか作れない。
 いく筋も血が滲む腕は、増えていく傷の数だけ熱くて、生きている実感を感じて。
 それが、どうしようもなく有難かった。

「なんでこんな——まったく散々だ勘弁してくれ、クソッ」

 途方に暮れたような男の罵声を聞きながら、私はただ手首の熱を感じていた。


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