――主人公は男なんだよな! 男だって言ってくれよ!!
新暦60年冬。
周辺検索、開始。該当者一名。情報把握。後は語るだけ。……主に妄想で。そんなことを考える余裕があることを少しだけ嬉しく思う。
あまり名の知れていない大きな森にひっそりと佇む日の当たらない小さな遺跡。位置的に夕日だけがこの古から続く歴史の封じられた世界を照らすことができる。
そういった閉じられた世界と歴史を暴くことを専門とする一族が、次元世界の中には居る。
ビアンテは、自らの名字であるスクライアの名に恥じず遺跡の発掘を行っていた。何処にも許可は取らずに遺跡に侵入した。ぶっちゃけてしまえば犯罪だ。
そこは、石造りのピラミッドのような遺跡だった。
まだ手付かずの遺跡を発見するのは、スクライア一族にとって最上の喜び。
今年で12歳になるビアンテ。灰色の髪と茶色い瞳。一族に伝わる、スクライアの衣装にその小さな身を包んでいる。
結界魔導師としての実力はそこそこだが、知識にかけては他の追随を許さないと本人は思っている。ただし、自信過剰な部分が多い。
また、本来組んでいるチームからは抜けて、一人だけで行動している。つまるところ、彼はスクライアの異端と言える人物であるようだ。
そんな犯罪スレスレな日々の努力が身を結んだのか、本日手付かずらしい遺跡を発見した。
実際は巧妙に隠されているだけで結構人が出入りした跡があるのだが、彼は気が付かなかった。
「ふっふっふ。これでおれもみんなに馬鹿にされないはずだ」
いつも、ハズレの遺跡ばかりを発見しているとボヤくビアンテ。
つい、強気になって大股に歩いてしまうのも仕方がないことだろう。だが子供としては正しくても、遺跡探索者としては失格であった。
カチリ。音を立てて沈み込むブロック。
ガチャリ。周囲に装填される矢の数々。
対侵入者迎撃用のありがちなトラップだが、その威力の程はこれからビアンテが身をもって知ることになるだろう。
「う、うわぁ!!」
一斉に木製の矢が放たれる。
悲鳴ともつかぬ叫び声をあげるビアンテの周囲に、丸いオレンジ色の障壁が表れる。
結界魔導師であるビアンテは、防御だけなら他の魔導師を超えるものがある。
カンカンカンカンカン。弾かれる矢と縮むビアンテの寿命。掃射時間は短く、十秒も経たずに矢は止まった。
「へ、へへ。罠がそのまま残ってるなんて、やっぱりここは未捜索の遺跡だ。流石おれ」
皆、歩かずに飛んで進んだり、そんなチンケな罠に嵌るようなマヌケはいないという発想はない。良くも悪くも経験が足りない。時には経験のなさが生きることになるのが遺跡という物だが、今回は悪い方面にしか発揮されていない。
背筋を伸ばして、颯爽と歩き出すビアンテ。
罠が近くにあったのだから、もうしばらく罠はないだろう。そう決め付けているせいで、かなり隙だらけだった。天の配慮か、運良く他の罠には引っ掛からなかった。
本人は、それを自分の洞察力の高さだと判断した。そういう迂闊なところのせいで、何時の日か足をすくわれるのではないか心配だ。
地下へと進んでいるようで、遺跡探索専門であるスクライアの感覚が進路が下へと続くことを伝えてきた。暫らくすると、少し開けた場所に出た。
――こういうところには宝物があるに違いない。
何故だか知らないが、自らの直感を信じるビアンテ。直感は、遺跡探索の中で一番必要なものだ。
ふふふ。凄いぜおれ。
自然と顔がにやけてしまっている。まず直感を信じるにも最低限の知識が必要なのだが、彼はそれを無視していた。
「――――――!」
その時、何処からか音が聞こえた。いきなり訪れた出来事にビビるビアンテ。
しかし、すぐに冷静な顔になる。ビビらない。スクライアの一族はビビらない!
最初にびびったのは棚にあげた。自分の記憶から削除。都合の悪い所は忘れて次に生かす。よく分からない精神だ。
音の主を探すべく、ビアンテは辺りを見回す。別に、怪しげなものはなさそうだった。
「……ど、どこからだ」
おっかなびっくり先を目指すビアンテ。進めば進むほど明瞭になっていく声。
おばけという単語が浮かんだが、ビアンテは別に怖くなかった。だって、幽霊なんているはずがないと信じているから。それが遺跡の発掘に生きる者の思考だった。
「――――さい!」
開けた場所から少し歩くと、ハッキリと声が聞こえるようになった。まさか、先客がいるとは。自分もまだまだ甘いな。それでも、そいつがここに一番乗りの筈だ!
おれは二番! おれは二番! 口から漏れる彼の叫び。ネガティブなのかポジティブなのか判断はつかないが、ちょっとだけマイナス思考に偏っているのは確かだった。そこのところに彼の苦悩が見え隠れしている。
「助けてください! そこの人!」
ホコリっぽい遺跡の中でビアンテが見たのは、真っ赤な女性だった。
赤い角のついた帽子を被っている。肩には棘のついたスパイクが配置されている。手には爪のあるガントレット。
彼女の姿は上半身しか見えなかった。下半身はスッポリと穴の中に埋まっているからだ。
狭い横穴を這っていて、見つけた出口から外に出ようとしたらつっかえた。そんな様子だった。
その姿は、見ていてかなり情けなかった。
「助けて下さい! 胸がつかえていて苦しいんです!」
言われて、女性の胸を見る。誰が見ても小さいとは言えない、自己主張の激しい我侭なおっぱいだった。
ビアンテは少年として、ちょっとだけ頬が赤くなるのを感じた。頭をよぎった邪な感覚を首を振って追い出す。
スクライアの恋人は遺跡、スクライアの恋人は遺跡! またしても漏れる自己暗示。
なんかいい感じにスクライアしている少年だった。
頭を振るビアンテの様子を、ただただ涙目で見ている女性。そんな姿に変な感情が沸き上がったのを感じてしまって、もうこのまま無視することは出来なくなったようだ。
「……わかりました」
目の前で必死な様子の女性の手を掴む。手に装着されている固いガントレットを見て、彼女は戦士なのだろうかと思った。
ガントレットなのに、指先には指輪がついている。ビアンテはちょっとだけ驚いた。
何故わざわざ指輪を出しているのか。
凄いマジックアイテムなのか?
そこまで考えて気づく。魔導師だ。きっと、彼女は魔導師だ。
この指輪がデバイスなのだろう。じゃあ、赤い服はバリアジャケット? 格好良いけど、趣味悪ぅ。
あまりに情けない顔をしている女性。とうとう根負けして、身体を引き抜いてあげることに決めた。
「せーのっ!」
力いっぱい引っ張る。ズルリ。女性が出てきた。引っ張った衝撃で、今度はビアンテが転んでしまっていた。なんとか頭を打つことは避けた。
はぁはぁ。荒い息をついて女性は立ち上がった。倒れたビアンテに、そっと手を差し伸べてきた。
「あはは。大丈夫ですか? 私はクワトロっていいます。貴方は?」
クワトロと名乗った女性は、天使のように微笑んだ。
ドキン。ビアンテは、自分の胸が高鳴ったのを感じた。慌てて首を振った。女性は、そんなビアンテを見てさらに可笑しそうに微笑んだ。
その笑みを見て、ビアンテの顔が真っ赤になった。見ていて実に初々しい。
改めて見てみれば、彼女は真っ赤だった。
着ているバリアジャケットの真っ赤なこと真っ赤なこと。
ふと、何年か前まで世間を騒がせていた、シャア・アズナブルという女性の名を思い出した。
――まさか、な。
ビアンテは首を振ってその想像を否定した。彼女のバリアジャケットは、何故か仮面が標準装備だったというではないか。目の前にいる彼女のバリアジャケットにはそんな物はついていない。
「……そろそろ、赤は止めて金に代えようかしら」
あごに親指を当てながら、全く関係ないことを呟いているクワトロ。
その洗練された動作に、ビアンテはちょっとだけ惹かれてしまっていた。
女性的な体つきを覆う、無骨なバリアジャケット。男心に、彼は何かエロスを感じた。
「く、クワトロさんはどうしてここに?」
「観光です。あんまり有名ではないけど動いている遺跡なので、ちょっとだけ興味があって」
「有名では、ない?」
「ええ。少しは知られている場所ですよ、ここ」
愕然としてしまったビアンテ。
ま、まただ。また自分は一歩遅かった。――いつもそうだ。おれは、遅すぎる。
全身を使って絶句を表現しながら、一二歩だけ後退するビアンテ。
「なんかゼストさんみたいで似合わないんで、やめません、ソレ」
白い目のクワトロ。
なんか、幼児退行したくなったビアンテ。
衝動のまま、叫ぶ。
「でも、でもぉ。スクライアの一族なのに、今まで新しい遺跡とか見つけたことがなくて、おれ……!」
「す、スクライアの一族なの!? あの、遺跡のフェレット!」
「その表現はどうかと……」
そもそも自分はイタチだと思ってるっす。とは言えなかった。
真剣な目のクワトロ。だが、ふっと表情を和らげた。
「良かった。ここの遺跡って、まだ未発見の部分があるそうなのよ。探索を手伝ってくれると嬉しいな」
純粋な知的好奇心の目で頼み込んでくるクワトロ。
どこか自分と共通した部分があるその目に、ビアンテはつい頷いてしまった。
まだ、未発見の部分がある。ならば、まだチャンスはあるはずだ。
ビアンテはこの遺跡に何かを見出した気がした。
最近、観光ばっかりしています。
いろんな世界を渡り歩いて、何か面白そうな場所を見つけてはもぐりこむ。そんなことをしている内に、管理局を出てから三年もの月日が流れてしまいました。
星の数ほどある管理外世界。いまだに第97管理外世界は発見できていません。人に聞くことも出来ないし……。
この世界に出て来てもう六年。結局シャンの村にも帰っていません。……長老も中々のお年だったので、別の方に代わってしまっていて私のことを忘れていそうで帰るのが怖いんですよね。給料がなくなったから仕送りも止めてしまいましたし。
どうしてか、指名手配の再指定はされていません。管理局のお偉いさん、何か思うことでもあるのでしょうか?
いろいろ死にそうなこともありましたけど、一応元気です。
目の前を歩いている茶髪の子は、ビアンテ・スクライアというんだそうです。
遺跡のフェレット、スクライア。
スクライアの一族といえば、有名な結界術者であり、遺跡の探索者。
もともと奥まで発見されていないこの遺跡に興味があって来たものの、遺跡発掘技能を持たない私は、トラップに引っ掛かってしまいました。
決して、ただ単に自分の胸が小さな穴に引っかかっただけというわけじゃないです! そんなにドジじゃありませんっ!
そこに颯爽と表れて助けてくれたこの子。
つまり運命は、この子と協力して宝物を発見しろって言っているんですね。
強引ですが、それがシャア丸くおりてぃです。
「れっつらごーです」
「ご、ごー?」
私はビアンテ君を連れて、遺跡の奥を目指します。
シャア丸さんの冒険
五話『不屈の心に水をさせ』
「見てください、あんな所に岩があります! インディ・ジョーンズみたいです!」
「どうしてトラップの位置がそんな簡単に発見できるんだ……」
私の隣で沈み込むビアンテ君。そんなの簡単ですよ?
トラップが発動していないという事は、すなわちトラップが仕掛けてある所を誰も踏んでいないということです。つまりホコリが多いところを探せばいいんです。
だから、誰かが一度は踏んでいると思われるホコリが少ない所を通れば、トラップは発動しません。またはすでに発動した後です。
魔法が使われていない原始的トラップが多いと、判断が楽です。
「……この遺跡には、何があるんだろう?」
「さあ。それを探しに来たんです」
「それもそっか」
頷くビアンテ君。何か遺跡への情熱が間違っていませんか?
スクライアだから遺跡を探しているみたいで、決して自分が好きで遺跡を探しているって様子じゃないんです。
ついでですから、途中でカウンセリングとかやってあげようかな。
「お宝、ありますかねー?」
「ないと思います」
「現実主義者は嫌いです。頭撫でてあげませんよ?」
「もうそんな年じゃないやい! ……って、な、撫でないで下さい!」
嫌そうなのに、弾かない。本当に嫌なら弾くんですよ。昔の私みたいに。はうぅ……。
うーむ。ちょっと屈折してますね。スクライアの一族は、単独で行動しているうちに愛に餓える子がいるみたいです。
短い期間で治せるとは思えませんから、会話の中で里帰りを薦めた方がいいかもしれません。
真っ直ぐに進むしかない石室を通り抜け、ホコリを気にしながら歩き続けます。
少し暇になって来たので、ちょっとだけ雑談でもしますか。
「パパとママはいますか?」
「……父は生粋のスクライアだから、今も遺跡探索中。おれとはチームが別。物心ついた後に会ったことは数えるぐらいしか……。母とは里帰りした時に一緒にご飯食べたりとかしてる」
「あらあら。典型的ね」
「へ?」
「何でもありません」
この子は親の愛に餓えるパターンとしては普通すぎですね。
こういうのの最大の対処は里帰り。親との長期間の接触と交流と生活です。自分が安心できる場所を探した方がいいです。
「ここで宝物を探せたら、友達に自慢しに行くの?」
「う、うん。そうすれば、みんなに自慢できるし、おれより小さい奴にだって馬鹿にされなくなるから」
「じゃ、頑張って探しましょう」
それで暫らく村に在住していましょうね。お宝見つけて安心して里に帰れば解決です。
歩くこと三十分。やはり宝物庫とかの部屋は空っぽ。ほとんど調査されています。
それでも諦めずに歩き続ける私たち。ですが、一番奥まで行っても、成果はなし。
「や、やっぱりおれは、遅すぎ……」
「えいや」
腰に吊り下げていたモーニングスター――モルゲンステルンでも良し――で小突いてやります。
マイナス思考ばっかりしていると、自殺する日本人みたいになっちゃいますよ?
「言ったでしょう? まだ見つかっていない場所があるって。そこを探しましょう」
「で、でも。どこにも道なんてなかったし……」
「確かに、他に道なんてありませんでしたけど」
えーと。考えてみます。でも、道なんて全く目に入りませんでした。
秘密の抜け道でもあるんですかね?
全体に根をはるような、大規模な抜け道が?
「……あっ」
急に声をあげるビアンテ君。何かあったのでしょうか?
「最初にクワトロさんを見つけた、あの小さな道!」
見つけたって、そんな失礼な言い方を。まるで私が怪物みたいな言い方です。……まあ、人間じゃないみたいですけど。
それに、私じゃあの穴には入れません。途中でつっかえます。いえ、トラップに嵌ってしまいます。
「あそこは狭すぎて中が探索できないんですが」
「大丈夫、おれはスクライアだから! 狭い場所の探索なんてお手の物だ!」
「あ。そういえばフェレットでしたっけ」
「おれはイタチだと思ってるんだけど!?」
「いえ。フェレットですよ」
「イタチ!」
「フェレットです」
「……イタチ!」
「……判りました。フェレットで良いです」
「よっしゃ! ……ってイタチだよ!?」
「ちっ」
来た道を戻って、私が捕まったトラップに近づきます。
コツコツコツ。人の気配のない遺跡の中に私たちの足音が反響します。
少し戻った所にある横穴からは、おどろおどろしい気が溢れているのが私の目には見えます。
「クワトロさんはここに引っ掛かってたんだよね」
「いえ。これはかなりの暗示をかけられたトラップです。私みたいな人が入ると捕まってしまうんです」
「なんでそんな意味のない結論を……」
「私は引っ掛かってしまうようなドジキャラじゃないんです! 知的な策士なんです!」
「……はいはい」
そんな投げやりに失礼な。ご婦人の扱い方について教え込まれたいですか!? 主に房中術で。
オレンジ色の光を放って、ビアンテ君が白いフェレットの姿になります。アルビノって奴ですかね。
なるほど。自分の白いからイタチだと名乗っているんですね。
尻尾と耳の先だけが茶色い、可愛いイタチです。
「よっしゃ、行くぜ。これは試練だ!」
急に熱血な声で叫ぶビアンテ君。ここがダンジョンだけに、まるで語りイタチ。
このまま入るだけで1000回死ねます。
「行ってらっしゃい。コッパくん」
「おう! ……って誰だよそれっ!?」
小さな道を走っていくコッパ。……もとい、ビアンテ君。
しばらく様子を見ていると、ビンゴ! と聞こえてくると同時に魔法らしき光が発せられ、同時に穴が広がりました。
奥に何かスイッチでもあったのでしょうか。
何となく興が乗って、その場でモーニングスターを一度だけ素振りしてから入ります。
部屋に入る前には、一度三の印がついた剣を振るのが通例です。近くに水場がある時は、一歩ごとに武器を振る気概まで必要です。注意一歩で探索失敗。
壺がない時は、ぬすっトドとか墓あらしに気をつけながら階段の近くに食料を置いておくと腐る心配がないですよ。
「……何やってるの、クワトロさん?」
「い、いえ。ちょっと注意を」
こんぼうを振っているのを見られていましたか。ちょっと恥ずかしいです。
意味もなく頬を染める私。何故か一緒に頬を染めるビアンテ君。
……なんでしょうか、この空気。甘酸っぱいようなただ甘いだけのような。
「で、この先には何か……」
通路に一歩足を踏み出すと、いきなり目の前に大きな蜘蛛の巣がありました。本当にインディ・ジョーンズみたいですね……。
蜘蛛の巣に触れないようにしながら歩いていると、日本では確実にありえない30センチはあろうとかという大型の蜘蛛とを見つけました。あ、目が合いました。
「……」
声が出せない私。わきわきと毛むくじゃらの足を動かす真っ黒な大蜘蛛。
わきわき動く大蜘蛛を、ビアンテ君が気味悪そうに見ています。
ふらふらっと勝手に私の足が動きます。蜘蛛と目と目が交差します。
か。
か!
か!!
可愛いです! こんな大きな蜘蛛、憧れていました。
ふらふらと手を伸ばす私。蜘蛛がつんつんと私の手を突付いてきます。
蜘蛛の巣から蜘蛛を引き剥がし、スリスリと頬擦りをします。ちょっと私の手が蜘蛛の巣に絡まりましたが、今はこの蜘蛛との出会いに感動します。
姿から見れば、この子は毒蜘蛛ではありません。昆虫とかを食べるだけのとても良心的な蜘蛛です!
蜘蛛は部屋の中の害虫を捕まえてくれる、主婦の影の味方です!
こんな大きな蜘蛛なら、かなり沢山の害虫を食べてくれる筈です!
蜂とかの危険な生物だって一口です。
インテリアとしては使いにくいので屋根裏要員ですけど。
はうぅ……。お家に持って帰りたいです……。
「く、クワトロさん……?」
「はっ。可愛くって、つい」
「か、可愛いですか、それ……」
恐る恐る私の手の中を見るビアンテ君。声にハッとすると、大蜘蛛を巣から引き抜きます。わきわきと揺れる大蜘蛛。お、活きが良いです。
私の手の中で、イヤイヤするように暴れる大蜘蛛。……嫌なら仕方ありません。元の場所に戻してあげました。
「……」
何度も何度も大蜘蛛を振り返りながら、歩く私。
そんな私を、何故かビアンテ君が気味悪げに見ています。……一体どうしたのでしょうか?
折角の隠し通路だというのに、道すがらにある部屋はほとんどガラガラです。中に何も入っていない、寂しい部屋が続きます。……やっぱり、ここにも既に侵入されているのでしょうか。
ちなみに私が遺跡の中で一番欲しいのは、あの蜘蛛だったりします。やっぱり持ち帰りたいです……。
でも、ここが気に入っているらしいあの蜘蛛を自分の都合で勝手に持ち帰るわけにはいきませんし……。
そうやって注意を散漫にしながら歩くうち、気が付くと一番奥らしき場所に到達していました。ここが、最後の部屋です。
覗きこむと、そこはかなり開けていました。五十メートル四方ほどの、とても広い部屋。
怪しさ抜群ですが、一応安全そうなので部屋の中に入ります。広いせいで音が結構響きます。
辺りを見渡していると、一番奥に祭壇がありました。
近づいて中を覗いて見ると、そこにはボロボロになった一つの丸いデバイスらしき物体がポツンと置いてあります。
特に何も考えず、ヒョイと手にとります。
多分ストレージデバイスですが、手に取って眺めた限り壊れて使い物になりそうにありません。
一瞬、トルネコに出てくる鉄の金庫イベントの如く、手に取ったら何かが起こるのではないかと思いましたが、何も起こりま……。
「う、うわぁ!?」
後ろからビアンテ君の叫び声がしました。
同時に大きな音がしました。振り向くと、私たちが入って来たただ一つの出入り口が閉まっていました。石扉が上から落ちてきたみたいです。
慌てて近寄りますが、ピッチリと扉と床が合わさっていてとても持ち上げられそうにありません。
さっき例にあげたトルネコのイベントを思い出して、デバイスを祭壇に入れなおしても出入り口が元に戻る気配はなし。
とりあえずデバイスは懐にしまっておきます。後々何かの役にたつかもしれません。
注意しながら辺りを見回してみれば、死体や骸骨となったたくさんの人々の姿がちらほらとありました。暗くて気が付きませんでした。
気付けたのは暗闇の中に目が慣れてきて、ヒカリゴケらしき植物から発せられる光がたくさん取り入れるようになったおかげです。
この秘密部屋が知られていないのは、ここの存在を知った人たちが皆死んでしまったからでしょうか……。少しだけ背筋が寒くなります。
呆然と石扉を眺めていると、古代の言葉で何かが書かれているのを発見しました。
『欲深き物に、死を』
……一番奥まで入るような者は死んじまえってことですか?
腰からモーニングスターを引き抜きました。扉が開けられないんだったら、壊すまでです! その場で一、二度回転させると、遠心力のままに叩きつけます。
ギン。渇いた音と供に弾かれるトゲ棍棒。
もう一度叩きつけます。
――ギン、ギン、ギン、ギン。
何度も棍棒を叩きつけます。
……それから五分後。
――ボキン。
「「あ」」
私とビアンテ君の声が重なりました。
根元から圧し折れるモーニングスター。何年も私の元で戦い続けてきたモーニングスターが、今砕け散りました。
……このまま廃棄っていうのもどうかと思いますし……。とりあえず破片を集めます。後で機械化してでも蘇らせましょう。この部屋から出られるかは不明ですが。
「はぁ。仕方ありませんね。クラールヴィント!」
手を掲げて、相棒の名を呼びます。転移とか他の魔法とか、脱出するだけなら何でもありです。
シーン。
返す言葉なく、ただ私の言葉が響き渡っただけでした。
……あれ? 無反応です。
もう一度呼んでみます。やっぱり無反応。
『……!!』
どうした物かと悩んでいると、扉の向こう側から何か声のようなものが聞こえてきました。
何度も何度も聞こえる声。そっと耳を済まします。
『……!!』
物理的には聞き取れませんでしたが、心で理解しました。
どうやらさっき蜘蛛に頬擦りした時に、クラールヴィントが蜘蛛の巣に絡まって指から抜けてしまっていたみたいです。
つまり私の相棒は今、扉の向こう側にいます。
……これでは転移魔法が使えません。
デバイスの補助がないと旅の鏡が使えないので、扉をぶち抜くのも不可能です。
……はっきり言ってしまえば、ピンチです。
ビアンテ君を振り向きます。何を聞こうとしているのかに心当たりがあるのか、首を振り返してきました。
「脱出手段の案は何かありますか?」
「ありません」
口で聞いてもダメでした。ハッキリと口に出して否定してくるビアンテ君。
どうしようかと、途方に暮れる私たち。
――ガコン。
そんな時、部屋の何処かから変な音が聞こえてきました。重い扉が開いたような音。先程落ちた石扉を見ましたが、別に持ち上がっていません。
恐る恐る音の方向を見ると、全く別の石壁が開いていて、そこから機械仕掛けの機械人形(オートマータ)らしき物体がわらわらと出てきていました。それぞれ手に物騒に黒光りする金属製の武器を持っています。
鋼色の一糸乱れぬ大量の軍団。
……友好的な存在じゃありませんね。さらに、ピンチです。
雄叫びすらあげずに、金属の間接をガチャガチャ言わせながら走り寄ってくる機械人形。話し合いが出来る相手ではなさそうです。すなわち、敵。
「はぁっ!」
近寄ってくる手近な敵に、ガントレットで先制攻撃。
尖った爪がオートマータに突き刺さり。……突き刺さり、それだけで終わりました。
反応なしです。普通に動き続けています。蹴飛ばしても、非力な私の脚力ではダメージなんて微々たる物。
突き出された槍をガントレットで弾いて、もう一度回し蹴りをかまします。こういう時は重装備の鎧が頼もしいです。
さて、デバイスがないとはいえ、私が苦戦するような敵です。ビアンテ君は大丈夫でしょうか……?
彼の無事を祈りながら振り向きます。そこには一体、どんな光景が……。
「うわぁ! 近づくな! 来るな! 来るな!!」
大声出して手を振り回しながら暴れまわっているビアンテ君。オレンジ色の障壁が彼を包んでいます。
大変そうですが、周囲に結界を張っているので結構大丈夫そうです。
ですが、このまま助けずに放っておく事もできません。
何か逆転の手段は……。少し考え込みます。機械人形の攻撃は片っ端からかわしたり反撃したりします。
……胸にしまっておいたデバイス。これが使えないでしょうか?
懐から取り出して触っても応答なし。修理なしには使えそうにないです。これを使うのは諦めることにしました。
一発逆転の手段を求めて機械集団の中を飛び回っていると、仲良く並んで死んでいる死体の群れが目に入りました。
……もしかして、何か使える物を持っていないのでしょうか?
それは火事場泥棒と呼ばれる行為ですが、この際は仕方がありません。
必死に騒いでいるビアンテ君に叫びます。
「何か! 死体から何か武器を探して!! 使える物があるならそれを使います!!」
「え? は、はい!」
私が言わんとすることに気付いたのか、早速行動を開始するビアンテ君。
目を付けた、少しだけ裕福そうな格好をしている一人目の死体を、顔を背けながら漁っています。
ある程度死体を探ってから、私を見て首を振ります。どうやらその人は何も持ってなかったようです。
ビアンテ君に近づく機械人形に体当たり。肩についているスパイクが、人形に大穴を開けます。でもそれだけで、普通に動き続けています。
二人目、三人目。死体を調べているビアンテ君の顔に大粒の汗が浮かんでいます。どうやら誰も武器とかマジックアイテムを持っていないようです。
このままでは、マズい。
斧を振り上げている機械人形に、逆にガントレットの爪をぶち当てます。ビアンテ君が安心して道具を探せるように、今は一体でも多く破壊しておかなくては。
貫くズゴック・クロー。
――ボキィ。
折れるズゴッククロー。毎度ながら短い生命を終えました。
機械人形の身体から手を引き抜こうとして……抜けません。
動けない私に殺到する機械人形の群れ。いっせいに振り下ろされる武器の数々。
……切り札を、一枚切ります!
肩のスパイクと手のガントレットを魔力に戻して分解。周囲にバラまきます。
さらにバラまいた魔力に攻撃呪文を点火。騎士甲冑の欠片が一斉に爆発しました。吹き飛ばされバランスを崩す機械人形たち。
騎士甲冑をわざと破壊することで身を守る、私にとっての最終防衛手段。
ついでに頭の角に手をかけて、帽子を脱ぎ捨て投げつけます。
かなり堅い角が回りながら敵を切り裂いて行きます。
しかし、十体目の機械人形に当たった時点で強度が尽きて、トゲ帽子は砕け散りました。砕け散った帽子も魔力に変換して、爆破。さらに吹き飛ぶ機械人形。
「ビ、ビアンテ君! 私には後がありません! 何か武器は……!?」
「こ、この人が最後です! この人が持ってなければ……あ、あった!」
焦る私を前にして、とうとうビアンテ君が何かを掲げました。どうやら武器になりそうなアイテムを発見してようです。た、助かりました……。
一体どんなアイテムなのか、人形たちをなんとかあしらいながら、その物体を目に入れます。
それは、赤いビー球でした。
ガクッとなってしまう私。ビー球で何が出来るんですか!?
「ふざけている場合じゃないのよ!」
「いえ、これはきっとデバイスです! これを使えば!!」
手を掲げたまま、何もしないビアンテ君。光り輝きもしないデバイスとやら。
掲げたまま表情が固まっているビアンテ君。ちょっとキレる私。
私は死んでも闇の書から復活できますけど、ビアンテ君は死んだらそこで終わりなんですよ!
「だから何をやって……!」
「いえ、こいつが言うことを……」
『You are not my master』(あなたは私のマスターではありません)
「危ないんだよ! 力を貸せ!」
『No』(拒否します)
「くっそー!」
争う二人を尻目に呆然としてしまう私。あの赤いビー球、どこかで声を聞いたことが……そして姿を見た事があるような……。
つい、ビアンテ君に走り寄ります。
ガシャガシャガシャ。軽快な音を経てながら、機械人形が私を追ってきます。
「それ、貸して!!」
「え? は、はい」
近寄って来る機械人形に青ざめているビアンテ君の手から、引っ手繰るようにして赤いビー玉を奪います。
これは……きっと、間違いありません。
どうしてここに有るのかは知りませんけど、確か求められている起動のキーを知ってるはずです。
赤いビー球を胸元に寄せます。そっと両手で握り締めて……。
詠唱は……。……えーと、えーと。
……ド忘れです! そもそもそんな物憶えていません! リリなのを見たのが何年前だと思っているんですか。
『Are you for anything?』(なにか用でしょうか?)
「お手伝いをお願いします」
『Please call contract spell』(では、契約の呪文をお願いします)
「そんな物知りません」
『Sorry』(では無理です)
「イケず!」
『Feel it with provocation』(挑発行為として受け取ります)
期せずして掛け合いをしてしまいました。
それにしても、契約呪紋ですか……一応、喉元までは出掛かっているんですが。
機械人形の持っている槍が私の下に来たので、飛び上がって回避します。
槍は後ろにいたビアンテ君の結界に直撃。スパークして、逆に弾かれ石造りの地面に転がる機械人形。そのまま壊れてくれないでしょうか?
それにしても、中々の防御力。ビアンテ君、しばらくは大丈夫そうですね。
とりあえず、機械人形の群れにショルダータックルでもかまして態勢を……? あ、肩鎧はパージしてしまっています。チャージ攻撃は使えません。
……では、そろそろアレを使う時が来たのでしょうか。
履いている靴を見ます。先っちょが尖っているので、実はアレが使えるんです。アトランティス・ストライクではありませんが、私的にはそれ以上の威力です。
飛び上がって、足を敵に向けてライダーキック。背中からの魔力放出を受けて、結構な速度で空中を疾走します。
「シャア・キック!!」
気合を入れるための、大きな叫び声。なるほど、今ならわざわざ技名を叫んで攻撃する人の気持ちが分かります。
グシャア! 私の足が機械人形を貫きます。さて、それでは足を……あ、また抜けません。
何度同じマネをするんです! 私バカですか!?
今度はブレストプレートをパージすることで緊急脱出します。一斉に起こる爆発。
胸を覆う赤いブラが外気に晒されます。頬を赤めて顔を背けるビアンテ君。初々しいことこの上ありません。
受身を取って機械人形を睨み付ける。ジリジリと方位の輪を狭めてくる無機物たち。
反響する金属音。ガチャガチャガチャガチャ。子供が見たらトラウマになりそうな光景です。
「……えぇと……。『我、使命を受けし者なり……』」
鎧の大半を失ってしまったため、もう後がないです。記憶の片隅にある、おぼろげな詠唱を無茶苦茶に試すしかありません。下手な鉄砲数撃ちゃ当たります。
神に祈るような気分で、言葉を紡ぎます。……神なんて信じていませんけど。
「『契約のもと……』なんとかを……。なんとかを……。『その力を解き放て』?」
『OK』
「……『風は』天に」
『NO』
「『風は空に、星は天に』不屈の」
『You through one sentence』(一文飛ばしました)
「スミマセ……わわっ!」
一応レイジングハートも今の私の状況に危機感を覚えてくれているのか、呪文を思い出す手伝いをしてくれています。
ビアンテ君の位置を確認しながら、複数の敵の挙動に注目して、契約呪文を思い出しがてら、攻撃を回避する。
私の使用できるマルチタスクを最大酷使です。
目に映る、武器……、武器……、武器……っ。終わらない武器の宴……まさに刀源郷っ!築くんだ、王国を……っ。
うわあっ。雑念が入りました。
「『輝く光はこの腕に、不屈の心はこの胸に』!」
「One more please!」(最初からもう一度お願いします!)
せ、折角言い終ったと思ったのにぃ! 注文の多いデバイスです! 宮沢賢治も木陰で泣いてます!!
ああ、もう破れかぶれです!
全方位から襲い掛かって来る機械人形を見据えながら、攻撃を喰らってもいいやと思いながら大声で叫びます!
「『我、使命を受けし者なり』」
思えば、この世界に出て来て早六年。
「『契約のもと、その力を解き放て』」
私はここを次元世界だとは認めていましたが、アニメ『リリカルなのは』の世界だとはどうも思い切れていませんでした。
「『風は空に、星は天に』」
ですが、とうとう私の目の前、掌の中に、アニメの世界の産物が、とくんとくんと鼓動を鳴らしています。
「『輝く光はこの腕に、不屈の心はこの胸に!』」
そう、このビー玉は。
いえ、宝石は……。
リリカルなのはの始まり。それからずっと、主人公を守っていく、伝説の愛機。
高らかに謳いあげます。その名前を、不屈の心を!!
「『〝レイジングハート〟セットアップ!!』」
『Stand by ready. set up!』
力強いレイジングハートの声。
同時に狭い石室に、私の魔力光である緑色の光が溢れました。
私の足元に丸い緑色の、ミッドチルダ式魔法陣が出現しました。
体を申し訳程度に覆うくらいに残っていた下着と靴の騎士甲冑が、光になってはじけ飛びます。
デバイスが形を変えるのと平行して、バリアジャケットが姿を作り出していきます。
胸と腰に青い下着が作られ、固定。
足に赤と白の二重構造の靴が履かされ、固定。
腰周りを白い鎧が覆って、固定。
肩に四角いショルダーがついて、固定。
頭にカッチリした白い兜が乗っかり、固定。
手に黒い手袋が嵌って、固定。
胸からお腹にかけて一本の金属鎧が出現し、固定。
肘と膝に白い装甲が装着、固定。
最後に、兜にV型の矢避けが浮き出て……。
って待ってください!? これ、まんまアレじゃないですか!?
しかも装甲が地味に薄いですし!? 何ですかこのMSっ娘アーマーは!?
恐る恐る手を見ます。そこには、手に変形したレイジングハートが……?
白い棒にあしらわれた羽。
先にリングが付いていて、その中にレイジングハートが浮かんでいる。
ただし浮かんでいるのは普通の丸い宝石レイジングハートではなく、形が変形してハート型になったレイジングハート。
簡潔に言ってしまえば、〝原作〟のレイジングハートでした。
リリカルマジカルテクニカル、です。みんな幸せになるんですか!?
「……ど、どうしてこの形に?」
『Your intention』(貴方の意思です)
……私の深層意識のレイジングハートはこの形だったんでしょうか。
てっきり、重火器2丁に発煙筒。スタンガンと写真機能にメール機能のついた多機能デバイスの方だと思っていたのですが。自爆装置もついていますし。
「それはいいですが、何故バリアジャケットが……」
『……!!!』
どうしてガンダムジャケットなのか。
応えようとするレイジングハートの言葉を遮って、扉の向こうからクラールヴィントの叫び声が聞こえてきました。
相変わらず物理的には聞こえませんが、心で理解しました。
浮気は許さない! そのデバイスは誰よ! って叫んでいます。
……ゴメンね。あとでいい子いい子してあげるからね……。
クラールヴィントの嫉妬に、ちょっとだけホロリと来てしまいました。……ところで、クラールヴィントは、男の子? 女の子?
ですが、手の中にデバイスがあればこっちの物です。
私とレイジングハートの力を見せてあげます。
『Lets go my master!』(突っ切りますよ、マスター)
「はい。行きましょう!」
ノリノリで言って、ふと気が付いた私。
……このままじゃ、なのはちゃんのデバイスがなくなってしまいます。
それはヤバいです。それに、私には大事な相棒のクラールヴィントがいますし。レイジングハートは、後でスクライア一族であるビアンテ君にあげましょう。
スクライアである彼に預けておけば、どこからかユーノ君に届く筈です。
……まぁ、なのはなる人物が本当にいるとも信じきれてないんですけど。でも、はやてちゃんはいて欲しいです。
「レイジングハート。今、私との共闘は成り行きです。私には大事なデバイスがいますから、貴方を連れて行く事はできません。別のマスターを探して下さい。きっと、素敵なマスターが見つかります」
『……disappointment』(残念です)
「いい子です」
『Thank you.〝The present〟master』(ありがとうございます。〝今の〟マスター)
会話はおしまい。飛び掛ってきている機械人形は、すでに全員目視済み。
後は、レイジングハートの必殺魔法で……。
『Not registered magic』(魔法が登録されていません)
って、レイジングハートって言ったら大威力の魔法ってイメージがありましたが、そんな魔法まだ作られていません!?
この子の前の持ち主が、自分が死んだら登録した魔法を初期化するように設定してしまっていたのでしょうか。
そして、武装したとか関係なくワラワラと押し寄せて単調な攻撃を繰り返す機械人形たち。
『Protection』
レイジングハートが組み上げて発動してくれた防御魔法の傘の中で、何か使いやすそうな技を考えます。
敵は近距離武器装備型のみ。遠距離からの攻撃が一番ですが、この狭い場所ではそんなに遠くに離れられません。
つまり、私も近距離武器で武装しなくては……。
今私が持っているレイジングハートの長所を考えます。
レイジングハートは、今は短いステッキの形をしています。
これで、技が思い浮かばないかな……。この形を見ていると、何かが思い浮かぶような……。
頭の片隅に思い浮かんだ想像を保つ為に自己暗示します。今の私はガンダム。今の私はガンダム……あ。
ふと、その結論に辿り着きました。
長さ的にも今のレイジングハートはピッタリです。
ちょっと敵役(ガンダム)の技で印象良くないですが……背に腹は替えられません。
「レイジングハート……」
ゴニョゴニョと耳打ち。
OKと言ってくれるレイジングハート。
扉の向こうから聞こえるクラールヴィントの怨嗟の声。……ホロリ。
私はプロテクションを解除するようにレイジングハートに支持すると、ステッキの持ち方を変えました。
防御膜がなくなり、機械人形の鉄の武器が私に今度こそ降り注ぎます。
想像力はOK。レイジングハートの魔力伝達は最高。
これなら、できます。
飛び掛る機械人形に向けて、ステッキを一線。バラバラになる機械人形たち。高温で焼ききられたように、体をバラバラにして順次落ちてきます。
一度、手を振り抜きます。噴き散る緑色の燐光。まるでホタルです。
レイジングハートの先に、緑色の半透明な剣が形作られていました。
すなわち、レイジングハートを剣の柄に見立てた、〝ビームサーベル〟です。
ザクを一撃で切り裂くイメージがあるので、ジオン側の私にとっては印象が良くない武器ですが、仕方ありません。
どの道、レイジングハートとは今回だけの関係。二度と使うことはない技でしょう。
『Beam sword』
私の作った術式を、魔法として登録するレイジングハート。
いえ。ビームソードではなくて、ビームサーベルです。
結構この差は大きいんですよ。亡霊と頑駄無くらい。
……れ? 分かってはくれないみたいですね。しょうがないですけど。
でもクラールヴィントなら、クラールヴィントならどうにか分かってくれる……。とは思えませんね。
ちょっと構えを変えて、今度は銃みたいに構えます。
先端から、魔力を発射。緑色の閃光を喰らった機械人形の腕が地面に落ちます。
『Beam shot』
いえ、ビームショットじゃなくてビームライフルです。
ビームショットだと、憧れのサザビーを彷彿としてしまいます。あればビームショットライフルですが。
ナイチンゲールだと、私的にはさらに素晴らしいです。
ランプを持ったレディの名を冠するモビルスーツが少佐の乗機って、なんだか運命を感じずにはいられません。
やはり、運命は私が保母になるように願っているんです。
とりあえず、魔法は二つ登録完了。これだけあれば充分です。
……モルゲンステルンが壊れているのが悔やまれます。アレさえあれば、フル装備だったのに……。
……ついでですから、背中から羽を生やして、シャア丸よ、天に登れー。とかやってみましょうか?
……魔力が勿体ないので、やっぱり止めます。そろそろ魔力が80%を切ります。
帰りもあるんですから、魔力を無駄には出来ません。
デバイスを手に持ったことで、どうにか平常心になれました。
何度戦いを繰り返したって、戦闘による本能的な恐怖からは逃れられません。
デバイスを持って恐怖心を乗り越えることで、やっと私は自分の実力を引き出せるんです。
武器がない私は、ただの弱虫さんですから。
レイジングハートをバトンみたいに振り回します。
目を細めて敵を眺めてビームサーベルを展開。踏み込んで切りつけます。
――ビュン。
体が凄い速さで風を切って進みます。速さを扱え切れず、つんのめってしまいました。
それでも一応、剣が当たった機械人形は真っ二つです。上半身の動きは停止しましたが、下半身は足だけで元気に動いています。
……足が本体なんですか? 意見の相違が見られます。足は飾りじゃないですが、そこまで重要でもないんです。
や、シャアキックは足がないと使えませんけど。
とりあえず凄い速さについて質問です、先生!
「……速いんですが?」
『I am for battles device』(私は戦闘用デバイスですから)
ああ。そういえばクラールヴィントは援護用のデバイスですから、戦闘力の強化はあまりないんでしたっけ。瞬間的な身体能力強化ができないのでいつも苦労していました……。
AAA-の私がレイジングハートを持てば、これくらいのスピードは走るだけでも出せるんですね。ベルカのように身体強化は使えずとも、ミッドの魔法の汎用性はハンパではありません。
ううむ。実は、高速戦闘ってちょっぴり憧れていたんですよね……。
クラールヴィントだと、無骨な戦闘しか出来ないんです。モルゲンステルン使ったりデバイスの先っぽで刺したりとか。
ああ、泣かなくてもいいからね、クラールヴィント!
動いている足に向かってビームライフルを発射。元気な足が一撃で砕け散ります。
……結構な威力がありますね、コレ。
魔力、集束。1,2,3、発射。迸る緑色の閃光。
――ちゅどーん。
マンガみたいな音を経てて、機械人形の一角が吹き飛びます。ついでに遺跡も削っていますが、ちょっとした被害は許容範囲内です。
あれ? それにしても、遠距離攻撃も普通に当たりますね。
落ち着いてみれば、一体一体がそこまで連携も取らず、たいして動きも速くなく。
ここの機械人形たち、私のミッド式デバイス経験値稼ぎのいいカモかもしれません。
握り締めたレイジングハートを手に、ビーム、ビーム、ビーム。
弾け飛ぶ青春、飛び散る機械人形。迸るオイル。宙を舞う部品。ある意味、幻想的です。
……ですがこの攻撃、一つだけ納得いかないことがあります。
そう、ビームライフルの色が緑色のことです。
これじゃあSEEDです。やっぱりここは、ピンク色が良かったです。無理矢理Xのライフルだと考えてもいいですけど。
とりあえず、ショック! いえ、ジョークですが。
このまま攻撃を続けることにします。特に考えないで戦闘しても勝てそうなのが哀れさを誘います。
斬って、撃って、防いで。何機破壊してもわらわらと沸いて出る機械人形の群れ。
狭い石室は、人形の残骸で一杯です。こいつら、ジムとでも呼んであげます。
ですが、いい加減メンドくさくなってきました。
チョビチョビ魔力を消費して戦っていると、途中で尽きてしまう危険性があります。
大技を使って片付けようと思いたちました。何度も発射している内に考え付いた、必殺技の出番です。
魔法を使って大暴れしている私に驚いている様子のビアンテ君の後ろに回りこむと、魔力のチャージを開始します。
足元に広がる、緑色の四角形二つと丸い魔法陣。優しい光が広い部屋の中を包み込みます。……緑は目に良いって幻想は何処に行ったんでしょうね?
それとこの場合のチャージは、突撃ではなく溜めのことです。勘違いしないでねー。
「……あのっ」
攻撃準備中の私に、勇気を振り絞るようにして話し掛けてきたビアンテ君。
……盾に使っているのは謝りますけど、状況は切迫しています。聞く耳はもちません。
「後でサインくださいっ!!」
「………?」
予想していた批判の言葉とは違います。耳掃除が必要でしょうか。それとも、度重なる爆発で私の耳が……?
振り返ると、そこには目を輝かせて私を見ているビアンテ君。何かいいことあったのでしょうか?
「さっき、さっき!」
「なんでしょうか? 何か言いましたっけ?」
「〝シャア〟・キックって!! クワトロさんは、シャアなんでしょう!!」
何分前の話を持ち出すんです。まさか、今までずっと感動していたんですか?
そこまでシャアが好きですか。
キャスバル・レム・ダイクンことジオンの赤い彗星シャア・アズナブルではなく、湖の騎士シャマルこと時空管理局の赤い彗星シャア・アズナブルが。
私は前者のシャアが好きです。
私の名乗りはパクリですので、シャアを私だと思わないでください。
97管理外世界の人に怒られますよ?
たしかに、こんな偽名を名乗った私が悪かったのは認めますけど。
「なんでクワトロなんて名前を……!? どうして教えてくれなかったんです!!」
「四番目ですから」
シャア丸、シャマル、シャア。
ストライカーズに出てくるクワットロちゃんと名前が被るんですが、何時の日かはやてちゃんと合流すれば、もうこの名前は名乗らないでしょう。行きずりの偽名。すぐに忘れ去られると思います。
……もうしばらくは名乗らせていただきますけど。
気が付くと、チャージは終了しています。
バトンモードのままでの大威力射撃なんで、ちょっとだけ心配ですが、変形しないのならきっと大丈夫なのでしょう。
それでは、使わせていただきます。『ザクⅢ』の必殺技。
バトンの先っぽで輝いている緑色の魔力球。足元に広がる円形魔法陣。
ミッドチルダ式魔法陣が広がって、バトンを包み込みます。
「唸れ、心のザクⅢ! 創造主の力をそのままに、今量産機の一撃を! ジークジオン!! 『メガ粒子砲』……行けえぇっ!!!」
『Mega particle canon!!』
朗々と響く呪文。溢れ続ける光の本流。吸いとられていく私の魔力。
私が保持する全魔力の20%以上を使って放たれる緑の破壊者。
轟音と同時に翠の光がそこまで広くない部屋を照らします。魔法の先端にあたるだけで蒸発していく機械人形たち。殺傷設定ならばこれくらい余裕です。
そうしてバトンから直線状に伸びる光を、左右に動かします。掃射。当たれば一撃で破壊される魔力の渦が、機械人形の陣形を引っ掻き回していきます。
高い対魔力を持っているのか、石扉は砕けなかったものの機械人形は全滅。
あとはゆっくりこの部屋から出るだけです。
レイジングハートが戦闘の終了を確認して宝石の姿に戻ります。
私は後ろで腰を抜かしているビアンテ君にニッコリと微笑みました。
……どうしてガンダムバリアジャケットのままなのでしょうか。露出が多くてちょっと恥ずかしいんですけど。早くシャア専用騎士甲冑に早く戻りたいですよ。
どうしてガンダムなのかを改めて聞いたら、レイジングハートには貴方の心のライバルの形とかなんとか言われました。なるほど、私はガンダムを心の底から敵だと思っているんですね。
石壁を手で触ってみます。ゴツゴツしています。一番奥だからか、風化は少ないようです。
ゴンゴン。今度は手で壁を叩きます。やっぱり石扉は開きません。
さっき砲撃で分かりましたが、石室全体の対魔力は並じゃありません。
それこそ、破壊するには私の全魔力の半分に匹敵するくらいの魔力放出が必要かもしれません。
今の魔力は半分ちょい。今日の戦闘行為は不可能になりますが、この際目を瞑りましょう……。
もう一度レイジングハートをセットアップ。
バトンの姿になったレイジングハートを腰だめに構えます。
「……え! 今のアレ、もう一回使えるんですか!?」
後ろでビアンテ君が驚きの声をあげました。……まがりなりにもAAA-ですよ、私。あれくらいでゼロになる程ヤワな魔力は所持していません。
それと、いい加減抜けている腰を治して下さい。なんのため待っていると思っているのですか?
さっき機械人形たちが出てきた空間の扉は未だに閉じていませんから、時間が経ちすぎるともう一戦するハメにならないかと結構ヒヤヒヤしてるんです。
「さっきの、憶えたわよね?」
『Yes! my master』(登録しました)
レイジングハートに問い掛けます。さっき使ったメガ粒子砲は登録したようです。ならばOKです。
標的、前方の扉。残った魔力のほとんどを消費して、今度こそこの部屋をぶち抜きます!
「このまま外まで一直線!」
テンションを上げるため、有名なセリフを口に出します。またしても、大きく吸われていく魔力。
実はここまで魔力を使ったのが始めての経験なので少しふらつきますが、きっと問題ありません! ……後衛の私は、あんまり魔力を使わないですよね。
足元を覆う翠の魔法陣。バトンの先に集まる光の渦。たくさんの人を飲み込んだ呪われたこの場所を、砕く!
「メガ粒子砲、発射!!」
『Mega particle canon! Fire!!』
大きな破砕音を響かせながら直進するメガ粒子砲。
緑色の円形のビームが扉に直撃。
ギャリギャリギャリと、石扉から嫌な音色を出しています。
ミシリ。とうとう全体にヒビが入りました。
ビキビキビキ。粉々になっていく扉。
そして、最後に吹き飛んで蒸発しました。
……さすが殺傷モード。物理破壊が半端じゃありません。
「ふぅ。……それじゃあ、脱出です」
「あ、はい」
惚けるビアンテ君の手を取って、気絶しそうな精神を保ちながら今度こそ私は外へ向けて歩き出しました。
部屋から出た先にある蜘蛛を今度こそ取ろうとしましたが、また嫌そうに揺れるので諦めました。
引っ掛かっていたクラールヴィントはどうにか回収しました。一時契約したレイジングハートに敵意を放っています。
……二機とも仲良くしてね?
「おれたち、今まで雑誌に出てたシャアさんがいなくなって、心配してたんですよ……」
「あはは。もともと、私は目立つのは好きじゃないんですけど……」
何故かビアンテ君が持ち歩いていた色紙に『シャア・アズナブル』とサイン書いてあげながら、私は苦笑いをします。
シャア・アズナブルという偶像は、本当に子供に大人気ですね。
解凍……怪盗レトルトはこんな気分だったのでしょうか?
それにしても、スクライア一族の子供たちにまで大人気とは。一体何がそうさせたのでしょうか?
多分、ピエロというかアイドル的扱いのせいでしょうけど。
日本でも、たいして人気がなかった人が別口に出た途端、急に人気が増したりしますし。物珍しさ、って奴でしょうか?
「最後に、ビアンテ君へ、って書いてっ」
「……お約束ですねぇ」
ニコニコと平静を装ってビアンテ君と会話していますが、私の指に嵌ったクラールヴィントはかなりご機嫌斜めで嫌なオーラを全開にしています。ピリピリしてます。ちょっと恐いです。
ピンチの時に自分を持たず、さらには知らないデバイスを使って危険を打破するなど。
そこのレイジングハート、羨ましいじゃないか!?
まあ、そんな情けなさとか役立ちたいとか色々なものが混じった叫びです。とりあえず、いい子いい子と指輪をなでてあげます。
はうぅ。全然機嫌を直してくれません……。後でジックリ話し合いましょう。
ちょっぴり涙目の私ですが、ビアンテ君はさらに情けない顔をしていました。
せっかく珍しい体験が出来たのに、宝物は一つも手に入れることが出来なかったんですから。子供には当然のことかも知れませんね。
「……ビアンテ君、結局、宝物手に入らなかったね」
「え? あ、あぁ……う、うん」
「だからね、私がご褒美を上げようと思うんだ? だから、目を瞑ってね」
クラールヴィントとの折り合いは後でつけるとして、今はビアンテ君を慰めてあげましょう。
レイジングハートの進呈会です。
ご褒美と言った時のビアンテ君の目をチラリと見ます。ハッと頬を染めてから目を瞑るビアンテ君。
……何を考えているんでしょうか? なんか不純です。
サイン、嬉しいなあ。
ビアンテは、貰ったシャアさんサインを腕に抱えながらも少し憂鬱だった。シャアのサイン。それは嬉しい。けれど、冒険の末に得た物ではない。それが少しだけ悲しかった。
そんなビアンテに、クワトロもとい、シャアが寂しそうに笑いかけてきた。
「……ビアンテ君、結局、宝物手に入らなかったね」
「え? あ、あぁ……う、うん」
実際、ビアンテはサインがもらえて良かったと思っていた。
スクライアの里の子供にだって、シャアのファンはいる。
シャア直筆のサインなんて見せたら、きっと大人気だ。なんかこの人と冒険して、彼はちょっとだけ変われる気がしていた。
シャアのおかげだとビアンテは思っていたが、実際は命の危機を体験し乗り越えたからだったりする。
「だからね、私がご褒美を上げようと思うんだ? だから、目を瞑ってね」
その言葉に、ちょっとだけドキンと来たビアンテ。速攻で目を瞑る。
お、大人のお姉さんがご褒美って……。
女性と話した経験の少ないビアンテ君。ちょっとだけ幻想を持ってしまっていてもおかしくありません。
だけど、そんなご褒美宣言は、大半肩透かしに終わることを彼は知らない。
けれど彼の頭の中には、なんだかいろいろピンクになりきれない白っぽくて赤い妄想が膨らんでいた。
「手、出してください」
手、手ってなんでありますか。さっと手を出すビアンテ君。
「はい、ご褒美」
ポンと手の上に置かれる何か。
さあ、次はなんでありますか?
ドキドキワクワクするビアンテ君。
しかし、いくら待てども次はない。
「……目、開けないのかしら?」
不審気なシャアの声。へ? と思って目を開けるビアンテ。
手の上には、レイジングハート。
もう一度言うが、レイジングハート。ピンチの時、自分の言うことを聞かなかった薄情者。
「それを持って変えれば、バカにはされないと思うな?」
「……キスは?」
やっぱり想像はそれだった。つい、口に出してしまったビアンテ。
でも、まだ子供だから。口に出してもしょうがないよね? まだセクハラと言われる年齢じゃないよ! がんばれビアンテ! ビアンテの行動を見てきたせいか、彼に感情移入気味だ。
「あんまり活躍してない君には無理かなぁ?」
「え! レイジングハートを見つけたのは、おれなのに!?」
ニマニマ顔のシャア。
あせり顔のビアンテ。
小さな沈黙。
少し考え込むシャア。
小さな希望を見つけるビアンテ。
「うーん。君じゃまだダメかな」
ビアンテ、絶句。ひどいやひどいや。
そうしている間にも、彼らは遺跡の出入り口に到着してしまっていた。
何時の間にか時間は夕方になって、外を赤い光が照らしていた。
シャアが外を見た。そろそろ行こうと思っているのかもしれない。
「じゃあね。また会えるかな?」
「え、ええっと……」
夕陽に照らされた、あまりにも綺麗なシャアの笑顔に、ビアンテは面食らってしまった。
もしもここで約束もせずに分かれれば、二度と会えなくなるような。そんな予感と躊躇。
夕焼けが、まるで最後の別れみたいに感じられた。
でも、口から言葉は何も出てこない。
顔を俯けて悩み続けるビアンテ。
ふと、顔を照らし続けていた光源が、何かに遮られた。
一緒に、頬にふんわりとした何かが押し当てられた。
ビアンテの鼻腔に、とてもいい匂いが広がった。
ハッとして光源を遮った何かを見る。
シャアが、笑顔で自分の頬に唇をつけていた。
「……前借りってとこよ。返しに来てね」
「あ、……は、はい!?」
なんて言えばいいのか分からないビアンテをリードして、シャアがキッカケを作ってあげた。
大人になったらリードできなかったことを悔やむだろうけど、今はこの純情な少年にチャンスをあげたかった。
シャアは微笑む。ビアンテの顔は真っ赤だ。
呆然としているビアンテ。
掲げていた腰を真っ直ぐにして、ゆっくりと立ち上がるシャア。ビアンテに手を三回ほど振ってきた。
反応はできない。
そうして、初めてビアンテの前に現れたのと同様に、あまりに唐突にシャアは夕焼けの輝きの中に消えていった。
手の中にあるレイジングハートに声をかけられるまで、ビアンテはずっとキスされた頬をさすっていた。
しばらくの月日がたった、スクライアの里。
「って訳だユーノ! さあ、一緒に叫ぼう、シャアは凄い!」
「「シャアは凄い!」」
「なんでみんなそんなノリノリなんだ!!」
「お前は全盛期のシャアを知らないからそう言える。あの不法滞在とかの事件は間違いだったと、おれは強く信じている!!」
「あれは事実だって、母さんが……」
「五月蝿い!! シャアは凄い!!」
「「シャアは凄い!!」」
「なんなんだよ一体!!」
こうしてスクライアの一族の子供たちに、シャアの人気はまた広がったとさ。
とりあえず、ユーノくん御年五歳にしてツッコミに目覚める。
そんな騒がしいスクライアの一族の中で、レイジングハートはいつか本当の自分にマスターとなる人が現れるのをずっと待ち続けていた……。
――あとがき
Q 主人公って……?
A きっと勘違いです。
レイジングハートをどうしてユーノが持っていたのかの語られていないので、とあるスクライアが持ち帰ってきて、一族の間で自由に貸し出しされているってことにしました。
内容は矛盾ばっかり。だがそれがいい。