――ここの意義は消えた。ここにこれがあるのはおかしい。……では、最後に聞こう。……彼女は男?
匂いを嗅げるわけではないが、見た限りでは潮の香りが濃かった。小さな防波堤が続く、大きめな海辺の街。
そこはたくさんの人が普通の生活を送る平凡な街。
先日、ここで大きな戦いがあった。
一つ二つでは済まない数の世界が滅んでもおかしくはなく、数千数万数億の人が死んでもおかしくない大きな大きな戦いだった。
それでも戦いは終わりを迎えた。さしたる被害もなく、ただ一人を除いて死人もなく。
それは一つの奇跡。誰一人として考えなかった、平和な最後。
だけど、たった一つの取りこぼしがあった。一つだけの取りこぼしに涙を流す者は確かにいた。
同じく母を志す者として、純粋に娘を愛し続けた『母親』の死に、彼は涙を流さずにはいられなかった。
つい先日、この街で終わったばかりの一つの事件。通称PT事件。死人は、犯人であるプレシア・テスタロッサ一人だけ。
かつてアニメを見終った後、彼は泣き続けていた。死んだ娘の面影を追い続け、ただただ自分の娘を愛し続けた至高の人。
PT事件は、彼女が自分の娘を取り戻すためだけの物語だった。
クローンを作ったり、ロストロギアを集めて世界を揺らしたり。
確かに、自分が生み出した命を蔑ろにするのは悪かったかもしれない。
けれど、娘に傾倒するその愛を彼女は認めていた。見習いたいと信仰していた。
生まれた子供に前の子供の細かい癖を押しつける親なんて、世界を探せばいくらでもいる。
むしろ世界は一層残酷で、プレシアを超える惨忍さを持つ人はいくらでもいる。
彼女は別に悪い人ではない。ただの行き過ぎた教育ママだったのだ。DVとも言う。
クローンを作ったのが悪い? 非人道? それがなんだ。作った人がいるのなら、その人が親だ。誰がなんと言おうが親に過ぎない。一つの親子に過ぎない。
非人道という言葉を振りかざすな。人は人だ。全てを受け入れろ。
……一番初めに生まれた子供は、二番目三番目の子供の育て方にも大きな影響を及ぼす。それが普通だ。
子供が死んだのならば、あの人のように何時までも子を愛し続けようと考えるほどに彼はプレシアに憧れていた。
……とはいえ、見捨てたのは確かなのだが。
「……考えれば考えるほど不憫な人です」
グス、グス。鼻をすすりながら海を眺めている一人の女性がいた。まだまだ夏と呼ぶには早い気候。なのに、半袖。少しだけ季節外れのような気がしないでもない。
白い肌や金色の髪と相まって、真っ黒な服がよく栄えた。一度空を仰ぎ、太陽に目の中の雫を反射させる。
『西暦2005年6月3日』海鳴市藤見町。
先日までは湖を見ていた彼女だが、今日は海を眺めていた。
ここまで来るまでに、電車の中でご老人に席を譲ること数度。彼女は、とうとう目的の場所に辿り着いたのだ。
「何時までも泣いてなんていられません。……行きましょう」
防波堤の上からゆっくりと立ち上がると、一端道路に飛び降りてから彼女は歩き始めた。目指すは今回のマスターであるところの八神はやての家。
海鳴があることを知った時点で、彼女の中でこの世界になのはやマスターがいる確率はグンと跳ね上がった。
まずは、八神家を見つける。その後、他のヴォルケンリッターと一緒に出現したように見せかける。そこに理由や計画性はあるのかないのか。
始めの交差点まで辿り着いて、ハタと足を止める。冷や汗のようなものも出ている。格好付けておいて難だが、まだ知らないことがあった。
「あー……。はやてちゃんの家って何処でしょうか?」
なんとも締まらなかった。
彼女はポケットをちゃりちゃりと漁った。探索して見つけ出した日本の硬貨が残り何枚か。釣り銭を自販機に残しっぱなしにするのは非常に勿体ないと思う。塵も積もれば山となる。その実践だった。
入手した金の大半はここに来るまでに使ってしまったので、残りはもう少ない。それでも、交通機関を数回利用できる程度の金はある。
彼女は周囲を見渡してから人目に付かない所に隠れると、起動したクラールヴィントを使って幾つかの場所を捜索し始めた。
何故隠れるかと問われれば、指輪から伸びるペンダントを持ち上げてダウジングしている人なんて、ここの常識から見たらただの痛い人にしか見えないからと答えてくれるだろう。
それから数分もしないうちに、表情を暗くして出てきた。目的の場所は見つからなかったらしい。
だが、彼女の歩みは止まらない。どうやら、優先度は低いものの指針となる場所を見つけたようだった。
さて、私は一足先に意識を戻して彼女の到着を待っていよう。
喫茶『翠屋』。
後に私たちの宿敵になるであろう、なのはちゃんの本拠地というか自宅です。
高町なのはは、魔法少女リリカルなのはの主人公。魔王だとか冥王だとか、色々な呼ばれ方をして大人気な女の子です。
説明になっていませんけど、それだけでわかりますよね? ……少し流行ったからって、どうして寄ってたかって女の子をネタキャラにするんでしょうね……。
カランコロン。店の扉を開けると、響きの良い綺麗な鈴の音が聞こえました。
「いらっしゃいませー」
気持ちの良い挨拶で迎えてくれたのは、なかなか人当たりの良さそうな男の人でした。
多分、高町士郎さん? 記憶が曖昧なので名前を間違えているかも……。リリカルなのはの原作の原作であるという、とらいあんぐるハート(ドキドキ三角関係)。その作品では既に故人だったらしいですが、こっちでは生きているようです。
……つまり、これは本当にリリカルなのはであると考えていいということでしょうか?
私が店に入った時間帯はちょうどお菓子タイムだったみたいで、店の中は女の子でいっぱいでした。
みんな綺麗なお洋服や近所の学校の物であろう真っ白な制服を着ているので、私の地味な黒い服は少しだけ浮いてしまっています。
おかしく見えない程度に服の見た目を修正しているので白い目で見られたりはしませんが、なんだか目立っているようです。
女の子たちの噂話のような話が聞こえてきますが、深いところまでは聞き取れません。
さて。目的の前に、少しだけ腹ごしらえでもしましょうかね。
「このケーキを一つお願いします。それとコーヒーをブラックで」
代金を支払ってから品物を受け取ると、カウンター席に座ります。ちょうど席が一つ空いていて良かった。誰かと相席しても、相手が気まずいだけだと思いますから。
パクリ。ケーキを口に含みます。……久しぶりの甘いものなので、ちょっと嬉しいです。小さく笑みが零れました。
口の中に広がる程よい甘みを堪能しながら、目立たないように店の中を見渡してみました。丁寧に配置された装飾品が目に付きます。
店の中を見ていると、もちろん女の子たちに目が行くのは当然のこと。
それにしても、ここにいる女の子たちの髪の毛は見事なほど色取り取りです。
赤、青、緑。それどころか紫やらオレンジやら。やっぱり、この世界は髪の色がフリーダムです。髪を染める理由が全く見出せません。
綺麗な髪の毛を持つ人たち。うぅん。なんだかここもヘブンかもしれませんね。至る所にヘブンがある私は幸せ者です。
お花畑のように綺麗な光景を見ながら、ケーキをパクリ。もう一口。……おいしいです。やっぱり、本と独学ではどうしても限界がありますね。
肥えた舌を持つお客様のクレームを長い間聞き続けたお店に勝つには、生半可の努力では足りません。
ちょっとここのケーキの作り方でも聞きましょうか……? ……教えてくれないと思いますけど。
そんなことを考えながらケーキを見ていると、ふとあることに思い当たります。
もしかすると、あの歳で料理が上手らしいはやてちゃんは、誰かに料理を習っていたのかもしれません。えーと、ほら、あの主治医さんとか。
習ったというなら、下手すると私に匹敵する料理の腕を持つ可能性が……。それは由々しき自体です。
とかライバルフラグを立ててみたいところですが、所詮彼女は9歳児。私の料理歴は彼女の年齢以上です。それで負けていたら長年の修行の意味がありません。
あっちの私とこっちの私。総合すると、料理歴は二十年を超えてます。そこらの若手シェフなら真っ青です。
これで腕が劣っていたら……チートってやつです。責任者を訴えます。
ちょっとダークなオーラを噴出してしまう私。周囲でこそこそと私を見ていた女の子たちが、私から少しだけ距離を離しました。
……まあいいですけどね。私にとって、そんな光景は日常茶飯事でしたから
身長180センチ後半の筋肉質な男の人が、一人でケーキショップに来てケーキ食べてたら絶対に引きますよね。
前の私がそれでした。でもあれは甘いものが好きだったからではなく、ただの研究と視察が目的だったのですが。なのに、どうしてか高校の中で甘いものが好きという方程式が立ちましたね。
私はあの頃から乙女っぽいと呼ばれ始めたんですよ。胆力のある女子生徒にお菓子作り手伝わされたりするようになりましたし。
そのおかげで甘いもの作りの腕は上がりましたが……関係ありませんでしたね。
考えごとをしている間に見事に完食。手をあわせて一礼します。ごちそうさまでした。甘露甘露。
席から立ち上がると、一二度はたいてスカートの乱れを正します。
視線を前に向けると、カウンターにいる士郎さんに声をかけます。
「海鳴大学病院って何処にありますか?」
「え? ……ああ、それはですね。少し遠いですが――」
道を聞かれることは日常茶飯事なのか、快く病院へのルートを教えてくれる士郎さん。行きかたを頭の中に刻み込みます。
きっと病院にまで近づけば、クラールヴィントの操作網にはやてちゃんの家も引っ掛かる筈です。
希望を込めた八神家探索はさっき失敗。次は病院を探したんですけど発見できず。最後に調べたのが翠屋だったんです。それはどうにか成功しました。駅に近かったおかげか、翠屋は探知できました。
地図を見れば良かったのだと、士郎さんに道を聞いた時点で気が付きました。今気付いたって、もう遅いです。
……とりあえず、道のりは覚えました。士郎さんにお礼を言ってからもう一度店の中をグルリ。……別にこの時点でならなのはちゃんと会っても問題はなさそうでしたが、どうやら今日はいないみたいですね。
あまり意味はないですけど、ほんの少しだけ安心しました。
「ありがとうございましたー」
士郎さん(記憶が正しければ)の声。ペコリと一礼。
黒いドレスを翻して店を出ると、病院に向かって歩き出しました。お金はたいして残っていないので歩きなのです。
……私がこの世界に来ようとしていたことを知っているハズなので、そろそろグレアムさん家のネコさん二人も動き出すかもしれませんね。
どうにか彼女たちへの対策でも考えたいところ。でも、良い案はそう簡単に浮かぶわけもなく。
えーと……次の交差点を右ですね……。けっきょく私はクラールヴィントにコピーした海鳴市地図を見て歩いています。……何をしに行ったんでしょうか私は。
道路を走っている大量の車に、不思議な懐かしさを感じました。
「……海鳴大学病院、ですか」
病院の上には『海鳴大学病院』と大きく書かれた文字が置いてありました。
私のように、始めて来る人にはとてもわかりやすい親切設計です。
駐車場でダウンジングを行うわけにも行かないので、入り口の扉を開くと病院の中に入ります。
そろそろ暑く感じてくる人も現れる六月の暖かさ。院内で冷房が使われ始めるのも近そうです。
空調でも効いているのか病院の中は過ごし易い程度に調整されていて、歩いている内にできた小さな汗はすぐに消えました。
少し進むと受付がありました。その前にある椅子に、病人や付き添いの人が座っています。ですが受付には特に用がありません。
途中ですれ違う看護士さんたちに挨拶をしながら先を急ぎます。白衣の看護士さんの中では黒衣が目立つ事目立つ事。
チリのない廊下を小走りで歩きながら屋上に向かいます。
屋上ならば人目が少ないから目立たないだろうし、位置も高いから探知もしやすいでしょう。
目に付いた上行きの階段を一段飛ばしで駆け上がります。ロングスカートでよかった。シグナムみたいな黒服だと絶対下着が見えます。色んな人の目の保養にされてしまいます。
……あ。病院内で目立つ格好をして特に用もなく歩いていると職質されるかも。
まぁ、逃げればいいですし大丈夫でしょう。
階段の天辺についたので、そこにあった扉を開いて屋上に立ちます。どうやら、屋上は解放されているようです。
開いた直後に太陽の光が目に入ってきたので、つい目を細めました。
サンサンと輝くお日様に照らされて、足元に広がるタイルが反射光を放ちました。ポカポカした陽気の中でシーツなどの洗濯物が揺れています。
逆光の中、柵の前に一人の女性看護士さんがいるのを見つけました。
これから探査をしますが……多分、一人なら見られても大丈夫でしょう。
こそこそとその人に見つからないだろう位置にある遮蔽物の影に移動して、探知スキルを発動します。足元に浮かぶベルカの魔法陣。見られたら絶対警察に電話されてイエローピーポーが駆けつけます。それとも、今ここで入院ですか?
探査を始めて結果が出るまで待つこと三分ちょっと。ゆらゆら揺れていたクラールヴィントが、一つの方角を刺します。
目を凝らしてクラールヴィントの指し示す方角を調べ、目的地にある程度の検討をつけました。
後は魔力の反応があったらその家に飛び込むだけです。または近所にある八神の表札を探してもいいですね。
さて。それまでは数時間くらい待機ですね。地球の日本時間に設定したクラールヴィントの時計は今14時を指しています。後、十時間。
それは、眠って待っていてもいいかもしれないほど長い時間ですね。
耳についている丸いイヤリングをカチャカチャと弄ります。……うー。なんだか今から待ちきれません。
逸る思いを抑えながら遮蔽物から出ると、休憩中だったらしい先程の看護士さんとばっちり目が合いました。
……とりあえず微笑みます。
何故か、女性看護士さんが近づいてきました。
ちょっとだけ不機嫌そう。さすがに病院の中で黒服は駄目でしたかね。不吉だったかもしれません。
私の前に立った看護士さんが、私の目を見てきます。計らずして見つめあいになってしまいました。
このままでは埒があかないと思ったのか、女性看護士さんの方から私に声をかけてきます。
「お見舞いですか?」
「いえ……」
そこまで言ってから、少し考えます。まさかこんな目立つ服を着てただ来ただけというのは意味がわかりません。
場合によっては通報ものの怪しさです。官憲のお世話になるつもりはさらさらないので、何か良い言い訳を考えなくては。
マルチタスクを使用して、良さげな言葉を考えます。そして思い出したのが、突然あらわれた私たちを見て気絶するというはやてちゃんのことです。
「……下見、ですかね」
「……?」
「明日が誕生日の親戚の子をみんなで脅かそうと思っているんですけど、もしかするとその子が驚いた拍子に気絶してしまうかも……」
「何をするつもりですか、何を」
咄嗟に私が言った言葉を聞いて、看護士さんが小さく笑いました。どうやらイライラしていたみたいです。
周囲を一瞥してみます。私とこの看護士さん以外、誰もいません。
海鳴大学病院にはしばらくお世話になるんですから、この病院に所属している人と話をして時間を潰してもいいかもしれませんね。
どちらからともなく挨拶をします。
「私はシャマルです」
「石田です」
石田さんが顔の向きを変えました。そこで、やっとその人の髪の色が目に入りました。少し色が薄い黒。この世界で黒髪とは珍しい。ほとんどの人にもっとたくさんの色がついているのに。
名前は聞いたことがないような気がします。きっと原作キャラではないでしょう。
彼女にはもう少し休憩時間があるようなので、少しだけ話しこむことにします。
「医者って、大変そうですよね」
「……ええ。毎日が大変です」
聞いたところ、彼女は神経内科所属とのこと。
私も生物の治療が得意なので、不思議とそっち方面に話が進んで行きます。
治療魔法は人の身体の把握から始まるのです。それなくして超科学の産物である魔法は生まれません。
人の身体の内側やトラウマの難しさについて、石田さんと話します。
石田さんはもう三十の代に入っているそうなので、なかなか興味深いことを言ってくれます。つい、彼女の言葉に聞き入ってしまいました。
そろそろ石田さんの休憩時間も終わりという頃、石田さんの顔がまた暗くなりました。彼女から小さな苛立ちを感じます。何かに憤っているようです。
「……外の人にこんなことを話して良いのかわからないのだけど。一人、とても難しい病気の子がいるの」
どうやら私のことを信頼してしまったのか、ちょっと危ない話をする石田さん。
病院内で起こっている悲しい話は遠慮したいのですが。個人のプライバシーの問題とか色々と触れますよ?
そんな感じのお節介な気配を出しても、石田さんの話は止まりません。
子供を愁い、病気を気にする。私から同じような空気を感じ取ったのでしょうか。私も同じ匂いを感じ取ったからこそ、話を続けていたんですし。
「その子は、足が悪いの。いつも笑っているけど、毎日をとても不安に過ごしている」
「……大変ですね。私の親戚もそんな子です。だから心配で様子を見に来ました」
とりあえず相槌を打っておきます。あんまり露骨な表現があったらすぐに中止させましょう。
私が話を聞いてくれると分かったからか、石田さんの口数が少しだけ増えました。
ところで、人にさらっと嘘をつける私は一体なんなんでしょうか。やっぱり悪ですか?
「両親は死んで一人暮らし。お父様の友人と名乗る人が財産は管理してくれているようだけれど、まだ九歳。人肌が恋しいでしょうに……。とても、大人びているの」
「はぁ。そんな子もいるにはいるってことですね」
……まさか、はやてちゃんみたいな境遇の子がもう一人いたとは知りませんでした。
世の中は不幸な子で満ち溢れています。やはり保母こそ世界の救世主です。
私も早く保母にならなくては。せっかく私の夢の成就まで後一歩というところまで近づいているのですから。何時もの様に小さな決意を固めます。
それからも続く、やけにはやてちゃんに似た女の子の境遇。どうやら石田さんはその女の子が初の担当だそうです。
ヤバいところを除いて自分の悩みを語り終え、少しだけスッキリした様子の石田さん。
ちらっと腕時計を見た後、心なし焦った顔になりました。時間が大変なことになっているようです。
「大変! もう休憩時間が……!?」
「早く行った方がいいですよ」
「そ、そうさせてもらいます」
さようなら~。小さく声を響かせながら、石田さんは小走りで屋上から去っていきました。
……彼女には彼女の戦いがあります。私も私の戦いを始めなくてはいけません。
太陽の日差しをずっと浴びていたせいか、少しだけめまいがしました。
石田さんの後を追うように扉を開き、階段を降りて行きます。
また彼女と話せるでしょうか? 次会う時のことを思って、口に小さな微笑みの形を作りました。
時刻は17時。午後五時を向かえ、場所は海鳴市中丘町の住宅街の中心に移ります。
カラスが帰ろうと鳴く中を、近所の小学生や中学生の子供たちが自分の家へと走っています。
そんな夕闇の中を少し歩きまわって、目的の一戸建てを見つけました。
家の正面でちょっと失礼。塀に書かれている文字を確認します。
『八神』の表札を確認しました。家はそこまで大きいとは言えませんが、一人暮らしには広いですね。
家の前で少し考え込みます。さて、どうしましょうか。まさか「これからお世話になります」とか挨拶する訳にもいきません。人が良いと噂のはやてちゃんも、さすがに呆れるでしょう。
人が良くたって、見知らぬ他人を家に入れるわけありません。それくらい優しい女の子だと嬉しいですけどね。ちょっとしたイベントがあれば信用してくれるくらいの性格がちょうどいいです。
……ここで呼び鈴を押すのも芸がないので、時間を潰させていただきます。
ここらへんの主婦の方に挨拶ですよ。この時刻は主婦の皆さんの行動時間です。健康に気を使う主婦の方々が準備をしてお散歩に向かう準備をします。本当は暗くなった深夜に行動する人の方が多いですけど。
奥さまたちを相手取るには第一印象が重要です。黒服は不味いですけど、信頼を得るためには一分でも一秒でも早く会う方がいいのです。
……時間を取った方が良いか、見た目を取った方が良いか。世の中は常に二択を迫られています。
すぐに主婦の方と仲良くなれれば嬉しいんですが……。はてさて。この住宅街にはいい人がいるでしょうか?
どうして私がご近所付き合いを重視するのか。それは、主婦の皆さんと関われば色々な秘密がすぐに手に入るからです。
この世にある危険情報は、全て主婦の口から漏れるのだと私は信仰しているのです。
どうでもいいことを考えながらあまり見慣れない、初めての住宅街を歩きます。
とある家のベランダで、強めの風を受けてパタパタと洗濯物が揺れています。……早く取り込みましょうよ。
あの家は、ある程度年の高い子供はなく、お母さんはぐうたら。だいたいそんな予測を立てます。はたまた、とても忙しいのか。干し方である程度検討がつきます。
家々のベランダや庭の様子から、ここらへんの家族の力関係を想像しながら歩いているのです。
周辺味方勢力の把握は主婦の大事な仕事です。強盗が来た時に、どの家が助けを求めるのに都合がいいのか簡単にわかります。
……まあ、泥棒程度なら私でも追い出せますけど。むしろ、どんな家が強盗に襲われやすそうなのか調べているといった方が正しいかもしれません。
「こんにちは」
いろいろと家を見ていると、後ろから声をかけられました。キョロキョロと辺りを見回している私に興味を持って話しかけたのでしょう。
振り向くと、そこにいたのは一人の若々しい主婦……? でした。 手にはお買い物袋を提げています。夕ごはんの買い物の後みたいです。
歳は二十代前半ぐらいに見えます。黒髪黒目のようですが、何かが違う。……また黒髪に近い色の方です。連続で黒髪に会うとは珍しい。
この女性の髪の色は、黒というより群青色に近くて、目は濃い青です。
エプロンをつけているので、きっと主婦で当たっているでしょう。見た目の年齢からすると、多分新婚さんですかね。
……って、外で買い物をするのにエプロン!? なんとも物好きな。別に人の趣向には文句は言いませんけど。
「こんにちは……こんばんはですね」
挨拶は交流の基本にして始まりです。この人がここで出会った主婦第一号。早速コンタクトを取ることにします。
それにしても……。この人、どこかで会ったことがあるような……?
不思議な違和感を抱えながらも、ご近所づきあいのために会話をすることにしました。
「引っ越してきた方ですか?」
「あ、はい。シャマルと申します。どうぞよろしくお願いします」
「どうもご丁寧に。私は後藤と言います」
やんわりと微笑む後藤さん。付けているエプロンと相まって、若奥さんとでも呼びたくなるような雰囲気が全身から発せられています。
きっと、この人は近所の人全員から若奥さんの称号で呼ばれているでしょう。少しばかり戦慄します。
……ん? 奥さんで、後藤? どこかで……?
「後藤さんですか……。どこかで……って後藤!?」
「どうしました?」
私のいきなりの叫び声に首を傾げる後藤さん。確かに別に珍しい名字ではないんですけど、絶句してしまいました。
……きっとこの人、私が前の世界にいた時の知り合いだった奥さんです。
第97管理外世界人風にアレンジされて美形になっていますが、比べてみればなるほどと思ってしまうほど似ています。
……さすが転勤族。どこに出没するか分かりません。
ちょっとだけ若々しく見えるのは、美形になったのと私がいた時間から何年か前だからでしょう。
まさか、ここでこの人に出会うことになるとは。
もしかすると、ここにいる人とあちらにいる人は構成がほとんど同じなのでは……?
さらにもしかすると、後藤さんがいるのなら、こっちの世界にも〝私〟がいるのかも……?
何だか混乱してきました。これ以上考えると、頭がパンクしてしまいそうになります。
こちらの世界には、向こうの世界と同じ人がいるかもしれない。今はそれだけ覚えておけばいいでしょう……。
「……で、ではこれからご近所さんとしてよろしく」
「はい。よろしく願います」
別れの挨拶をしてささっと去ります。混乱を引き摺らないよう、逃げるようにして後藤さんと別れました。
手を振ってきてくれているのが気配で伝わってきたので、振りかえしておきます。
ただ挨拶するだけだったのに、かなり疲れてしまいました。これは、精神的にかなりキます。
もう挨拶は諦めることにして、歩きまわって中丘町住宅街近辺の地理を把握することにしましょう。
道行く人に挨拶しながら色々と見て回っているうちに、時間は夜の十時をまわりました。
もうそろそろ八神家に行かないとヴォルケンリッターの出現に出遅れてしまいます。時間がズレると、変な目で見られてしまうかもしれません。
コンビニのガラスで自らの黒い服を見て、何処かおかしい所がないか調べます。
うん、変なところはないです。
……これから、はやてちゃんに会うんですか。……なんだか、胸がドキドキしてきました。
期待に胸を躍らせながら八神邸に向かって歩いている私の耳に、大きなブレーキの音が聞こえました。
シャア丸さんの冒険
七話「シャア丸さん、八神家に行く」
時計が夜の十二時を示す。6月4日が始まった。
シャマルがずっと監視をしようとしていた家。八神邸にある寝室の一つ。いまだシャマルは来ていない。一体何をしているのだか。
ベッドに寝転がりながら本を読んでいた少女が、時計を見て小さく驚きの声をあげた。
もう、こんな時間。本を読むのに夢中で気が付かなかった。
アクセントで黄色いリボンをつけた茶色い髪の毛。優しげな光を湛える蒼い瞳。外出時感が短いが故の透けるような白い肌。
誰が見ても言うだろう。『可愛い』と。
時計は十二時を指しているが、彼女は読書を止めなかった。もう少しキリのいい所まで読んでから眠ろう。そう考えたのだと思われる。
ベッドの隣には車椅子が置いてある。彼女は足が不自由だった。
顔を背けていたため彼女の目には見えていなかったが、十二時を迎えた時から少女のいる部屋を紫色の淡い光が覆っていた。
小さく顔を動かした時、少女は部屋を覆う紫の光に気付いた。
もう少し、顔を動かした。まず目に映るのは、光の発生源。そこには、幼い頃から彼女の家に置いてあった茶色い本があった。
その本が光を放っていた。不気味に、紫色に輝いていた。
少女は息を呑んだ。けれども目の前の異常に変わりはない。
瞬間、家が揺れた。少女はバランスを崩した。ふわりと本が浮き上がる。
鎖で閉じられ開くに開けなかった不思議な本が、自らの意思で拘束を解くかのように脈打っていた。
本に筋が浮かぶというグロテスクな光景。少女はただその異様を見守ることしかできなかった。
何を合図にしてか鎖が千切れ飛んだ。開かれるページ。ぱらぱらぱらぱら。本を良く読む少女の耳に聞きなれた音。
次いで少女の脳裏に響く、封印解除との言葉。彼女の目に映るのは、奇怪な本のみ。
震える身体で本から身を離す。限界があるベッドの上でできるだけ後ずさる。
少女の目の前に浮かぶ闇の書。彼女の脳裏に『起動』の言葉を響かせる。
主の身体から浮かび上がる白い光。それがリンカーコアの輝きだとは彼女は知らない。
もう一度強烈な光。最後に見たのは目の前に跪く〝三人〟の男女。
実際、幼い彼女の精神は限界だったのだろう。その光景を最後に、八神はやては気絶した。
畏まった体制のままで、彼女たちは次なる主君の言葉を待っていた。
皆で目を瞑り、同じ体制のまま主の命を聞くまで恭しく頭を垂れ続ける。どのような主なのか、ここはどのような時代なのか。今は煩わしいことを忘れ、ただそこにある。
「闇の書の起動を確認しました」
まずは一言。シグナムが言った。最早手順の一部になりつつある、恒例の儀式。口頭での契約文。
何十何百と繰り返された繋がりの認識。
次はシャマルの番だった。シグナム他ヴォルケンリッターの皆が薄っすらと覚えているのは、前回のちょっとおかしくなったシャマル。
再起動の際に直っているとありがたいと薄情にも願っているのだろうが、残念なことにその希望は届かない。
…………。
誰も次の言葉を言わない。これではヴィータも次の言葉を言えない。別に飛ばしても構わないのだが、なんだか困る。
契約に命をかけているわけではないが、ずっと続けてきた習慣を止めるのは結構苦痛だったりする。
『……シャマル』
思念通話で、一緒に跪いているはずのシャマルに声をかけるシグナム。返答はない。
主は御前にいる。なのに、契約を述べない。思念通話で呼び出しを続けるシグナムの額に青筋が浮かぶ。
……そうか、まだ壊れたままなのか。心の中に苛立ちが募る。
薄く目を開けると、シャマルのいると思われる右隣を見て文句を言おうとして口を開き……。
そこには誰もいなかった。
顔を左右に動かす。ヴィータとザフィーラはいる。けれど、シャマルはいなかった。
自分たちの頭上にいる闇の書を仰ぎ見る。変わらずページを開いてそこにいる。
だが、シャマルはいない。
……何故?
「……ん?」
不思議そうな声をヴィータが出した。立ち上がり、主の前にテクテクと歩いていく。
今度はヴィータまで勝手に行動を取り始めた。
主の前で何をしている!! シグナムの怒りがさらに倍増する。沸騰せんばかりの頭で念話を叩きつける。
『ヴィータ、何をしている。主の前で無礼だぞ!』
「……無礼っていうかさ。こいつ、気絶してるぞ」
ヴィータの回答に絶句して顔を上げるシグナムとザフィーラ。
なるほど。寝床の上で倒れている主と思われる少女は、目をグルグル回して気絶している。
すでに目を開けてしまったらなら仕方がない。シグナムは開き直ると、部屋の中にいるであろうシャマルを探すことにした。
しかし、いくら探せどシャマルはいない。もしかして、この前の戦いで消えたか?
そんな、なんとも薄ら寒い想像をしてしまった。
「……壁の中にでも出て挟まってんじゃねーか?」
薄情にも言ってのけるヴィータ。シグナムはその危ない発想にちょっとだけ引いた。
でも、否定できない。この前のアイツならそんなこと朝飯前でやってのける。そんな気がしたのだ。
シャマルを相手に混乱すればいいのか、主を相手に混乱すればいいのか。中々、決断に困る問題を突きつけられた。
主を何処か治療のできる安全な場所に運ぶか、それともシャマルを探して様子を診せるか。
それよりも、治療魔導師がどうして席を外しているのか。というより、闇の書の転生システムから席を外せたのか。
我らではできなかったことを、シャマルは平然とやってのけた。特に痺れず憧れない。
全員が諦めてこの新しい主を、あまり慣れていないが医療施設みたいな場所にでも運ぶかと考えたその時。
「ち、遅刻です!!」
『Schlüssel abnefmen』(錠前外し)
ガチャ、ギー、ドタバタ。ゴツン。痛っ!
騒がしい音と声がして、取り付けられているガラス窓から何かが突っこんできた。ご丁寧に魔法で鍵を外して窓を開いてからである。
そして、ここは二階であった。魔法を使う乱入者。つまり、声の主は非好意的である確立が高い。
すなわち……敵か!? 一瞬で迎撃準備を整えるヴォルケンリッター(-1)。新しい主を戦域に入れないように、ザフィーラは彼女を防御フィールドで覆った。
主を守りながらの戦闘など、彼女らの中では日常茶飯事。膨大な戦闘経験が、現状で最も重要な対処法を弾き出す。
主を守れればそれで良し。できるだけ主の屋敷は壊さずに対象を無力化する。
攻撃を開始しようとしたところで、開かれたカーテンから月明かりが差し込んできた。侵入者の顔が明らかになる。
果たして侵入者、声の主は……シャマルだった。
頭をぶつけたのか、目元には涙が滲んでいる。
額を押さえて彼女はそこにいた。意味なく袖を増量し、少しだけオシャレになった黒服を着て彼女はそこにいた。何故か口に菓子パンをくわえてそこにいた。ご愛嬌だった。
てへ。ちょっと笑った。シグナムの堪忍袋が音をたてて切れた。
「何をしていた!」
「あ、いえ、道路を歩いていたら車が走っていて、横断歩道を歩いていたおばあさんが轢かれそうで、だったら助けるじゃないですかっ。助けてあげたらお礼にパンあげるよって言われて、つい小腹が空いていたから食べて、そしたらとっくに予定の時間が過ぎていて……」
「どこの学生の言い訳だ! 闇の書からの出現の際におばあさんはいない!!」
シグナムの怒声。恐怖に全身を震わせるシャマル。八神はやては目を回したまま。ヴィータは気絶したはやての頬を指でつつき、ザフィーラは手持ち無沙汰に闇の書を手に取っている。
場が荒れた。とりあえずシャマルが誠心誠意土下座することで、その場は四角く収まった。未だシグナム激昂寸前。
今一番に重要なのは、主の安全を確認すること。決して、シャマルが窓から入ってきたことへの詰問ではない。
という訳で、シャマルが主の体調を調べる事になった。
「……うん。これは……気絶してますね」
「殴るぞ。アイゼンで」
倒置法!? ガビンとするシャマル。さすが日本語圏に呼ばれただけはあって、日本語が達者になっている。
あまり自分の感情をひけらかさない寡黙な少女。そんなヴィータが、どうして怒気を顕にしながら殴るなどと言うのか。
きっと、ヴィータは目の前にいる、自分と見た目年齢が殆んど同じな少女を少しだけ気に入ってしまったのだろう。
そこで変なボケをかましたシャマルを殴るぞと言ったのだ。
話さずしてヴォルケンの一人を骨抜きにしてしまった少女、八神はやて。シャマルは、この大事件のことを一生忘れることはないだろう。……そして、いつかからかってやろうと心に決めた。
理不尽な悪態に晒されながらも、シャマルは診療を続ける。
「この子は……足が悪いですね」
「関係ないだろう」
ザフィーラの容赦ない切捨て。ぎゃふんとなったシャマル。
誰もそのボケの古さに気がつかない。特に関係ないので。
しょうがないので、シャマルはまともに確認することにした。やはり、彼女も新しい主が心配なのだ。
決して後ろで凄んでいるシグナムが恐いからではない。
「ただショックで気絶しただけです。近くにある病院にでも運べばいいと思います」
病院? シャマルの言葉を聞き、一斉に首を傾げるヴォルケンリッター。確かに、そんな名前の施設があることは知識として知っているし、活用したこともある。
しかし、長い戦いの中でもあまり利用したこともなく、特に知りもしない施設に行くことを薦めるシャマルを全員で気味悪げに見つめる。
……何か、悪い物でも食べたか?
「えーと、上着は何処にありましたっけ?」
そんな絶対零度の視線も何処吹く風。
見た目からしてこの前よりさらに丸くなり、それどころかスルー技術まで習得しているシャマル。遥かにバグが酷くなっているように見受けられる。
闇の書はこいつの調整をしてくれなかったのかと、ちょっぴり嘆いたシグナム。
風邪をひいたら大変です。そう呟いて、シャマルは主の部屋を漁って上着を探し始めていた。
何気なく、開かれた窓の外を見るヴィータ。少しばかり風が吹く夜の闇が広がっている。確かに、どう見たって温かいとは言い難い気候だ。
体の弱そうな主を前に変なリーダーシップを発揮しているシャマルを見て、三人も背中を押されるようにして主の上着を探し始めた。
上着を被せると、はやてちゃんを背中におぶいます。背中にすっぽりと収まる、弱々しく細い体。
リリカルなのはの主人公の一人。そして、大切な私のマスター。……やっと、会えました。何故だか胸が一杯です。
初めて顔を見たとき、実は泣きそうになってしまいました。涙が滲んでいましたけど、誰も気付いていませんでしたよね?
鍵を開けて玄関から出ると、病院までの距離を目算します。多分、誰にも見つからないはず。
久しぶりに揃ったヴォルケンリッターの皆さんを引き連れて、病院に向かって飛び立ちます。
背中にいるはやてちゃんに負担をかけないよう、かなり速度は抑え目の上、周辺に寒気遮断のフィールドをはります。
四人で飛行しているうちに、(多分)誰にも見つかることなく海鳴大学病院の前に辿り着きました。
一人、ポカンと空を見上げていた青年がいましたが、きっと気のせいでしょう。すぐに錯覚だったと忘れ去ってしまうはず。
病院内に入ろうとして、その場でストップ。後ろにいる私以外の三人は、闇の書から出て来た時の服のままなので、まるでコスプレみたいです。
特にザフィーラなんて……マッチョ犬耳。わぉ。全身の筋肉との相乗効果で、何やら怪しい雰囲気すら醸しだしています。
……筋肉好きには気に入られそうですけど。
これからはずっと狼の姿だと思うので、今は人間の格好を思う存分堪能してください。あ、なぜか涙が。
ヨヨヨと泣き崩れるフリをしながら、カバンの中に手を突っ込みます。
「目立つとマズいので、ちょっと服を変えてくださいね~」
取り出したるは針と糸。予め準備していた黒い布を縫い付けて、三人の服の見た目を整えます。
最後にザフィーラには帽子を被せて……。完成。
手際よく処置を行った私の姿に、三人とも絶句していました。確かに変な特技を覚えたのは認めますけど、なにもそこまで驚かなくても……。
でも、これで、まあ、そこまでおかしくはなくなりました。
……あくまで単体で見たらの話ですけど。四人で揃うと結局変な儀式みたいなままです。ただのコスプレ集団だと思われるのが一番いい格好ってシュールすぎます。
最低限の対処が終わったので病院に入ると、一人の看護士さんと目が合います。たまたま夜勤だったらしい石田さん。
私がいることに気付いてか、近づいて来ました。そこで背中に誰か背負っているのを見つけたようで、小さく苦笑しました。
「……何やってるんですか」
「いえ。本当に気絶してしまいました」
「馬鹿ですか」
石田さんのにべもない一言にはうっと唸ると、冗談ですよと石田さんが笑いました。少々和んだので、さっさとはやてちゃんの保険証を手渡します。
家捜しした時、一緒に見つけることができてよかったです。石田さん、はやてちゃんの主治医さんを知っているとありがたいんですけど。
私が渡した保険証と、背負っている人物を見て……石田さんの表情が変わりました。
「貴女の言っていた親戚って……はやてちゃんだったのね」
「……へ? はやてちゃんの知り合いですか?」
あれま。驚きました。……でも、はやてちゃんも病院通いが長いですし、確かに知り合いでもおかしくない。
この関係に気付かなかったとは、私もまだまだですね。
しかし、その後に続く石田さんの言葉に、私はさらに仰天しました。
「私は、この子の主治医よ」
「えぇっ!!」
驚きました。この人がはやてちゃんの主治医さんだったことと、原作での主治医さんが石田さんだというのを忘れていたことの二つ。二つで一つみたいな驚きですが。
黒服の変な一団の一人が叫んだせいか、受付前の椅子に座っている何人かの患者さんたちが胡散臭げな目で私たちを見てきます。
おっと。目立ってしまいました。しかし、こんな非日常はすぐに日常に融けてしまいます。すぐにみんな忘れ去ってしまうと思います。
そんな能天気な私の目の前で、石田さんは困惑の表情を作っています。
「でも、この子に親戚なんていたのかし……」
「外国にいましたから」
「の割には日本語が……」
「練習しました」
「……」
「私の外見が日本人に見えますか?」
「無理をすれば見えなくも……」
「フリーダム毛髪とストレンジ眼球のバカヤローです」
実に、実に奇妙だった。瞳も、その髪の毛も。日本人の髪の毛は黒。外国人は金やら赤やら。そんなことを考えていたのが前の私ですが、この世界はそんなの関係ないから困ります。
とかまぁ、見た目の重要さを色々と感じさせてくれる会話でした。この世界って国内とか国外にそこまで差がありません。人種差別のない世界って素晴らしいです。
ところで私、はやてちゃんを背負いっぱなしなんですけど。いい加減、ベッドに寝かせるなりなんなりして欲しいです。
後ろの人たち、いつ爆発してもおかしくないんですよ? あの人たちの思考は、まだ戦いの世界の中にあるんですから。私みたいに平和な世界にいないんですよ?
「主を……」
主の治療をせずに私と世間話に興じている石田さんに、シグナムが何かを言いたそうに動いたのでヒンデルンウインデ発動です。
周辺の空気が固まって、シグナムの動きを止めました。……世間話を待つぐらいの余裕を持ちましょうね。理不尽な魔法の発動に、またしても青筋が浮かぶシグナム。
ああ、みんなの怒りのボルテージがどんどん上がっていきます……。
「と、とりあえずはやてちゃんを任せます。後ろの人たちは気絶するなんて予想してなかった方々なんで、色々と話を……。あ、病院の談話室で話してるんで、はやてちゃんが目を醒ましたら私を呼んで下さい!」
一方的に言い放つとはやてちゃんを石田さんに預けて、ヴォルケンリッターのみんなを連れて談話室に引っ込みます。
石田さんは呆然と私たちを見送っていました。
「では、質問タイムです」
談話室は和室だった。そこに多国籍な美形黒服集団がいるのは、なんともアンバランスな光景だった。
何が何だか分からないまま連れてこられたヴォルケンリッターの面々は、シャマルに疑惑を抱いていた。なのに、彼女はニコニコ笑っている。
あまりにも、違いすぎる。湖の騎士はここまで自由奔放な性格をしていなかった。では彼女は何者だ。
けれど闇の書と繋がった部分が言っている。彼女はシャマルだと。シャマル以外の何者でもないと。
「シャマル。お前は、一体……」
「なぜか、前の出現からずっと存在が継続していて……」
疑問を封じるようにシャマルがぽつりぽつりと話し始めた。
防音魔法を張っているために病棟に声は響かず、あくまで会話は結界の中で処理される。
シャマルはヴォルケンリッターの仲間に、自らの長い日々を語った。クリティカルな部分は避けた。特に管理局での努力の日々を。実は結構、自分の武勇伝とかは忘れているのは秘密だったりする。
後、管理局の赤い彗星とかの話はしない。さすがに恥ずかしいからだ。今でも裏でこっそり大人気だからこそ恥ずかしい。管理局にもう一度行くことになったとしても、きっと彼女は赤い彗星の名前なんて知らないフリをする。
「……十年間、か」
「ええ、そうよ」
超・ダイジェストで語られたシャマルの日々。何だか大変そうな話を、ヴォルケンリッターの各々は厳格な顔で受け止めた。
「つーか、シャマルって掃除できたんだな」
ヴィータが白い目をした。策士の癖に何かと不器用だったシャマル。そんなのが管理局に潜入して掃除をしていたと言われても眉唾だ。きっと、他人に色々と迷惑をかけたに違いない。別に器用さと策士は関係ないような気もしないでもないが。
ヴィータの心のない言葉に、シャマルの額に青筋が浮かんだ。
新たな知識を得たとはいえ、彼女からシャマルとしての特性が消えたわけではない。その気になったら最悪の創作料理はいくらでも作れる。
むしろ、数々の料理、材料を知っている分、より完璧により最凶に。食物の知識のせいで一撃必殺こそなくなったが、洗練された味覚破壊の連続攻撃が可能になっている。
――喰わせますよ。
シャマルの内から湧き出る極悪なオーラ。ヴィータはビクッとなってそれ以上の会話を避けた。
喰われるのはどちらになるのかが非常に興味深い。もしかすると、逆に料理に喰われることになるかもしれない。
シュールストレミングやらドリアンやらの臭い食べ物。
他にも辛かったり酸っぱかったり苦かったり。子供にはキツイ三つの刺激。
そこからさらにサッカリンなどの化学調味料を加えた極悪料理の構想は、彼女の中ですでに完成している。
味覚の限界は実はすぐそこにある。そう、君の隣にも。
突然振ってかかった背筋の悪寒に震えるヴィータを無視しながら、シグナムがシャマルに問い掛ける。
「管理局にいたそうだが、何かあったか?」
「……ノーコメント。次に管理局と闘うとしたら、もしかすると知り合いとバトることになるかもしれないわね」
「そうか。……では、最後に聞いておく」
「何ですか?」
シグナムは、色々な意味を込めてそのことを聞いた。
「十年は、長かったか?」
一瞬、シャマルの呼吸が止まった。しかし、すぐに言葉は続けられた。
「……長くもあり、あっという間でもありました」
そうか。シグナムは面を上げて天井にある少々暗くなった蛍光灯を見つめた。
一度の生の中で、自由なまま世界に長時間存在したことのない、ヴォルケンリッターの面々。
十年間、誰にも縛られないままの存続。そこに、小さな憧れも入っていることは否定できないだろう。
ただし、それは無理だとわかっている。我々は主の命を聞く為だけに生きる存在。道理は弁えている。
それでも、シャマルの十年間の休暇は少しだけ羨ましかった。感情に出さないままでも、ちくりと胸を刺す痛みにヴォルケンリッターの皆は襲われた。
それから、少しだけ雑談になった。いつもそこまで雑談をしたことのない四人で、とても短い話をした。
感情は表に出ないにしろ、彼女達には小さな小さな意思がある。
だから、主が医療施設で治療を受けている間くらいはぬるま湯に……。
「って、マスターを預けていいのかよ!!」
ヴィータ絶叫。どうやら、ここを安心できる場所だと思っていないらしい。シャマルが先行するからここに入っただけだという空気を撒き散らす。
本当に安全なんだろうな!! さらに大きな声で叫ぶ。
大声が通り抜けないように、ザフィーラが防音の結界の効果を強めた。そのままヴィータを諭す。
「主は前々からこの施設で治療を受けているのだろう。ならば、ここには主に危害を加える者はいない筈だ」
「何で言い切れるんだよっ、ザフィーラ」
「先程の看護士が主を知っているような口ぶりだった。特にそれ以外の確証はない」
唸るヴィータ。とはいえ、シャマルがわざわざマスターを危険に晒すわけがない。ならば、きっと安全なのだろう。一応あれでも助言屋なのだ。諦めると、談話室に置いてある椅子に座りなおした。
それを最後に会話が終わってしまった。
戻ってしまった空気を感じ取ってシャマルは少し溜息を吐いた。まあ、話す機会はこれからもあるでしょう。
そんなことを考えていると、医師たちがドヤドヤと押し寄せてきた。何やら理由を付けて、ヴォルケンリッターの四人を連行した。
まあ、当然のこと。この黒服集団は、あまりにも白い病院の中では怪しすぎる。はやてとの関係を直接聞き出すために、彼女本人に合わせるために連れて行かれたのだった。
はやてが目を醒ますと、目の前には主治医である石田先生の姿があった。
そうや。確か、私は変な夢を見てそのまま気絶してしまったんや……。まわらない頭で現在の状況を把握する。
って、気絶してしもたんなら、病院にはおらへんやろ。じゃあ、なんでここにおるん?
はやては色々と不思議だったが、次の先生の言葉でビックリした。
「ね、あの人たち誰なの?」
石田先生が指さした方を見れば、そこにいるのは自分が夢の中で見たような気がする三人の男女(+1)。
……夢じゃなかったんやね。ちょう驚いたけど……。四人の顔をまじまじ見つめて心の中で呟く。……恐くはあらへん。
まずは恐い恐くないで判断してしまった自分を、少しだけ恥じた。
けれでも、はやて自身は突然舞い降りたこの現象に困惑してしまっていた。咄嗟に言葉が出て来ない。
誰ですか? その言葉が喉から出て来ない。
『お困りですか主?』
その時、はやての頭の中に誰かの声が聞こえた。いきなりの出来事に、つい声の主を探してしまう。目が合ったのは、ピンク色の髪をした長身の女性。
ミニスカートで跪いているため、魅惑のデルタゾーンがちらちら。……コスプレ?
怪しげな女性の服装か、はたまた存在か。どちらに混乱すればいいのだろうか。嗚呼、世界は二択に満ちている。
『思念通話です。なんなりと命じてください』
もう一度聞こえた。もう勘違いではない。目の前にいるピンク色の髪の女性が自分に話しかけている。はやてはそうして自分を納得させると、頭の中で目の前にいる女性たちに指示を出した。
――私と、話を合わせて。
はやてが場の取り成しを図ろうとしたその時、シャマルはすでに石田先生との世間話を楽しんでいた。
――あとがき
Q 何がやりたいんですか?
A ssにそれを聞かないでください。
そういえば、最初と比べると主人公の性格というか喋り方がかなり変わっている気がする。
.hackとムシウタのssの案があるんですが、未だに書くことを諦めていなかったりします。
ムシウタは秘種10号指定だった特殊型虫憑きが秘種3号になって行き、原作に関わって行くまでの過程を描くサクセスストーリーです。
.hackは……ノーコメント。書き直し中です。超・駄作としてどこかのサイトにぽつねんと存在しています。