ストーリ―
2030年。
大きく進歩した技術と、広く浸透したグローバリゼーションによってアイデンティティが希薄化した日本。
人々は孤立感を補うために派閥をつくって群れあっている。
混乱期を迎える社会と複雑化、凶悪化した犯罪。
偏屈な青年は、そんな日本で革命を起こすわけでもなくただ日常を過ごす。
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空が青く陶窯している。
しかし、本来空というのは陽炎のようにぼやけたものではない。
それでもあの青いのが、さながら覇気のないカーテンのように揺れ動いているのはアレが空ではないからだ。
空だというのに空でない。
時代の変化によって空の名称の範囲が変わったのだ。
空であって空でない。俺にとってあれは空だけれど、10も歳が離れた人間となるとあれは空ではないことになっている。
こういった年代による定義の食い違いを異同名称という。
これは、俺の受講している講義内で老年の教授が大層偉そうに御講じしていたものだ。
貴方は憲法を専攻している身なのに、何故今日のお天気模様など語るのか。
俺がそう言うと彼は「君達はスカートが少し揺れるだけで直ぐはしゃぐのに、空が揺れ動く事には興味がないのか。もっと大きなものを見なさい」と仰られた。
なるほど、頷くばかりである。
我々学生は、目先の布地よりもっと大局を見ていかねばなるまい。
しかし待て。あの老師とて、若かりしときにはスカートの向こう側に思いを馳せた若人であったはずだ。
「そしてやはり、幾ら空を見ようともその向こうにパンティはないのだ」
かくして俺の乗った電車はスモッグ溢れる神戸の街へ走ってゆく。
上空に混じるあの青いスモッグが、もうじき橙に変わる頃だ。
『サイバーパンク・KOBE』
神戸市は、長い歴史持つ政令指定都市の一つだ。
かの有名な楠正成が没した地である湊川があるのはこの神戸であり、阪神淡路大震災の被害を乗り越え驚異の発展を遂げた地でもある。
そんな経緯を持つ神戸は、俺の故郷であった。
我が身は誇りある神戸により育まれた。
我ら神戸人は自らを兵庫県民とは呼ばない。我らは誉れ高き神戸市民なのである。
その神戸市であるが、この2030年においては積極的な近代化が行われてきた都市として有名になっていた。
三宮地域及び神戸駅の周辺では開発が進み、スゴイタカイビルが林立している。
電光掲示板はすでに廃れ、空中にデジタルホログラムが浮かんでいるのを見ることが可能だ。
その中で旧外国人居留地が昔ながらの形で残っているのは、なんともあべこべな様である。
年々高さを増していく建物の密集地帯は、日の光があまり届かない。
だからといってその暗がりが治安劣悪の犯罪温床地になっているわけではなく、風俗店のキャッチのお兄さん方が「どうですかお兄さん、チクビ大回転!」なる触れ込みで客引きをしていたりするだけで、特に変わったものは何も無い。
そんな路地の中を俺が歩いているのは、呼び出しを受けたからであった。
『25時にいつもの店で待ち合わせだ』、と。
携帯に送られてきたメールはまるで約束を取り付けた後の内容で、まだ俺がそれ受けるかどうかも決まっていないのに、一方的に取り付けられたまったく身勝手極まりないメッセージだった。
待ち合わせ場所である『BAR guapa』は俺の行きつけの店だ。
guapaとはスペイン語でいい女だとか美女を指す。
しかし店の主は顔の厳つく屈強な中年男性で、俺はいつか名称の詐称を理由に訴訟を起こそうかと考えていた。
店主の娘は可愛いので、暑苦しいおっさんを追放して彼女をカウンターに立たせるのが我が高尚緻密なる計画だ。
店の中はカウンターが7つ。二人用のテーブル席が8つある。
こぢんまりとした地味な店だ。しかし店主の娘のおっぱいが大きいので客足は悪くない。
目的の人物は、カウンターに座って酒を飲んでいた。
黒いスーツを着て、やや猫背気味に椅子に腰かけていた。
今日の店の中は空いていて、そいつしかいなかった。
「用とはなんだ」
俺は言いだしから飛ばし気味に、強い口調で話しかけた。
「まぁ、ちょっとな。座れよ」
「よくもまぁ、悪びれも無く接せられるものだ。お前の悪魔のような所業を俺は忘れたわけではないぞ」
俺はまくしたてるように続ける。
しかし立ちっぱなしは足が疲れそうなので、そいつの席から一つ開けて腰を落ち着けた。
待ち合わせの男は、カクテルを一口飲んでグラスを置く。
そいつは男の癖に髪が長く、その黒髪から覗く目つきは凶悪そのもので、いわばインテリやくざのような風貌の持ち主であった。
体格には恵まれており、悔しい話、いかにもな文学青年で色白な俺と違って逞しい色男だ。
名を、獅子堂 左近という。
「おい左近、この前会った時に貴様とは絶縁を済ました筈だ」
「そんなこと言うなよ。俺とお前の仲だろ?」
「五月蠅い。中学高校と同じ学校だっただけの仲ではないか」
「でも、そんな事言っても結局は来てくれるんだよな」
「すっぽかせば俺の悪評を流すからだ! 高校時代もそうだった。左近、貴様のわけのわからん誘いを断った逆恨みで俺がどんな目にあったか。思い出したら腹が立ってきた。ええい、マスター! カルーアミルクをひとつくれ!」
それは俺が高校生の時だ。
俺はまだ尻の青い純朴な少年で、学ランはホックまでしっかり締める高校二年生だった。
左近は女子が水泳の授業をしている間に彼女等のパンツをシャッフルしようと言いだし、俺は阿呆な事はやめろと断った。
すると左近はその腹いせに「あの野郎は理屈ばかりで退屈な男だから、恋人にするにはつまらん奴だ」などいう噂を校内の女生徒の間に流布させたのだ。
その後、女子からは「理屈っぽい」と散々言われ、あまりにも腹がたったから「では俺がいかに理屈ばかりの人間なのか論じてみせよ」と迫ったところ失笑をかう羽目になったのである。
こうして俺の青春は灰色に塗り上げられ、レモンの味がするという甘酸っぱい行為はお預けとなったのだ。
多人数による人格の否定という不条理に触れた俺は、その一件から学ランの第一ボタンを決して着けぬ不良となった。
スキンヘッドの店主がグラスをカウンターに置く。俺はその掴み、酒をぐいと飲んだ。
「ところで、今日とりまきはどうした?」
「とりまき?」
「ああ。エリマキでもハチマキでもないぞ。お前がいつも連れ歩いている女たちの事だ」
左近は常に2人から3人、ないし4人から5人の女を連れて行動している。
美人の朱莉さん、可愛い小春ちゃん、愛嬌の良い郁美、そばかすがチャームポイントの代々子。他多数割愛。
彼女たちは皆違ったタイプの容姿の持ち主だ。しかし、ひとつ共通していることがある。身体の一部がどこかしら欠損していることだ。
彼女らは生まれつきで腕が無かったり、資金繰りのためパーツバイヤーに自らの体の一部を売ったりして体の一部欠けている。
人は彼女等の姿形を気味悪がるが、左近はそれを悪しとしない感性の持ち主で、その傍らに彼女達を置いていた。
とはいえ、それは左近が聖人のような心を持っているからといった胡散臭い理由ではない。
真実は、左近の性癖が故であった。
左近は重度の変態なのだ。
女性の身体の一部を収集し愛でて悦に浸る異常性癖者がいるのと同じく、左近は身体の一部の無い少女達を愛でているのである。
「ああ、今日は連れてない。お前との再会を祝う日だからな。その間に他の人間を挟むのは無粋ってやつだろ?」
「気色の悪い事を言うな。それにここにはマスターがいるではないか」
「なんだ、俺は邪魔かい? そいつはすまんな」
「あ、いえ。べつにそういうわけではないのですが。言葉の綾といいますか」
「いいんだよ、マスターは。長い仲なんだからな」
「ありがたいねぇ」
スキンヘッドが目立つ店主は、徐に調理場の棚を開けて中から落花生の入った瓶を取り出した。
皿に移して俺達の前に置く。
「いいのですか?」と訊ねると、常連だからと言って笑った。
思えば、成人して18歳になってからずっとこの店に来ている。
「で、本題なんだが」
「えらく唐突だな。まぁいい、話せ」
「パイ山って知ってるだろ?」
「ああ勿論知っている。神戸人ならみな知っている場所だ」
パイ山とはその名の通りおっぱいの山だ。
またの名を、でこぼこ公園と言う。
石造りの広場に点々と山のように盛り上がっているものがあり、何を模したかったのかは皆目見当つかないが、人間の深層心理にある性への欲望やらなんやらによっておっぱいに見えてしまうらしく、そのせいでパイ山と呼ばれていた。
大きさは、小ぶりだ。
場所は、JR三ノ宮駅の西口改札を出て右に向かい突き当りにある阪急の切符売り場をさらに右へ曲がってすぐにある階段を降りて真っ直ぐ歩き建物から外に出たところを左に向くと見えるところだ。
そこは待ち合わせ場所として有名であり、ストリートミュージシャンがよく活動場所としている。
「そういえばあそこには人間の下半身を4つ繋げた像があったな。それが目的か?」
「うん、それは知ってるけど違う」
「嘘を吐くな。お前が夜な夜なあの像の付近をうろちょろと回りさりげないふりをしてベタベタと触っていることを知らん俺ではないぞ」
「だから違うって」
俺は左近に胡散臭い目を向けた。
過去のこいつの行動を見てきた俺からすると、疑ってしまうのは無理からぬ話である。
仮に、ダイエットを宣言した者が片手にコーラ、片手に揚げ鳥を持っていたとしたら誰が信用できるものか。
少なくとも俺は信じない。
「ではなんなのだ」
よしんば違ったとして碌なものではあるまい。
「あのパイ山ってさ」
「ああ」
「妙にバランスがいいよな」
「うん?」
「だから、いくつか削りたいんだ」
「は?」
「あのサイズの整った胸を、俺の手で崩してやりたいっ」
やはりそうだった!
面白くも可笑しくもない、およそエンターテインメントから逸脱した訳の分からぬ不毛な願望に俺は戦慄した。
そして怒りに体を震わせた。
「貴様、まったく反省していないじゃないか!」
「え、何が?」
「お前が俺にした仕打ちの事だ! よもや忘れたとは言わせんぞ! 人の家に夜中忍び込み、俺が揚げ串屋でいい気分で酔っ払っている間に部屋にあるフィギュアを片端から折っては削り、折っては削って無残な姿にさせたことだ!」
先月、俺は友人と飲み放題の店で騒ぎ倒した後、終電に乗って家に帰った。
家とはやはり最後に心が落ち着く場所で、個人の趣味や性格が表れる。
俺の部屋の場合にはガラスケースがあり、その中には可愛らしい女型模型が陳列されていた。
決して数は多くないが、丁寧に扱ってきた大切な代物であった。
それが、すべて改造されていた。
部屋の中にはシンナーの匂いが充満しており、ん? と思いながらふとガラスケースの中を見ると、一つは手首から先が無く、一つは片足で立っており、一つは片目になっていた。
その凄惨たるや、箱庭にある地上の楽園と言わしめた俺の作品をおどろおどろしい幽霊屋敷に変貌させており、シンナーの匂いにやられたのか俺の耳には彼女たちの甲高い笑い声が聞こえた。
腹が立つ事にその手の込み様は一流模型職人を思わせる手際で、折られた個所はその上から着色された跡があり、いや着色はされたのだろうが不自然な程に自然なムラの無い補修が行われていた。
なんということでしょう、か。
その後三日三晩俺は失われた彼女たちのパーツと“組んず解れつ”する悪夢を見続けた。
「あれは布教活動だ」
「あんなおぞましい布教活動があってたまるか! 断固として改宗には抵抗する!」
「まぁ、それはさておき」
「勝手にさておくな」
「俺はあのパイ山の妙に均等のとれた形に口惜しさを感じてるんだ。なに、あの小山の一つが少しぐらい大きくなろうと小さくなろうと困る人間なんていないぜ?」
「まぁ、それはそうだろうが。しかし手間がかかるし、いらん労力を使うのは、嫌だ」
「そこは心配するなよ。準備はしてあるし、働きに見合う報酬も用意してある」
「相変わらず抜かりないな……」
この左近と言う男は、妙なところで優秀な男だ。
順次手回しが良く、計画を立てる能力に長け、人を操るのは人形使いの如し、情報収集力は国際的な範囲にすら及び、そして決して損に捕まらない嗅覚を持っている。
しかし、その能力が社会的に有意義なものとして使用されることは一切ない。
学校内の人間相関図を作成しバラ撒いた時などは、和気藹々とした学生達の間に疑心暗鬼のサイクロンを引き起こし、彼らの共同体を崩壊させるまでに至った。
「しかし俺とお前は縁を切った仲だ」
「気にするなよ。仕事上の関係と考えればいい」
「……ビジネスライクな関係というわけか」
俺は顎に手をやり考える仕草をみせる。が、心理状態はすでに諦めの境地にあった。
どうせ、こいつには結果が見えているのだ。
俺が今貧困状態にあり、金策に困窮していることを知らない左近ではない。
左近の手の上でえんやこらと踊る自分の姿が脳裏に浮かび、俺の背にはぞわ、と悪寒が通った。
後日、パイ山は大量のクレーター群と硝煙の匂いに溢れかえった場所となり、その燦々たる様はテロ活動として新聞の一面を飾ることになった。
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基本遅筆ですが、第二話は明日には更新しようと思います。