思いついたアイディアはスミーとの何度かの話し合いの後、実行に移された。
クルは坊主頭の若者を呼び出すと、早速新たな業務を申しつける。
「放熱板? いや、若大将、熱を防ぐのはAPFシールドを恒星用にもう一枚か二枚増やしゃあいいんスよ。まっそれでも不安ちゅうなら船体に対熱コーティングとか冷却材を……」
「技術的な事は任せる。お前はお客様の船を見て、マゼラニックスリームを渡りきるのに足りないものをリストアップして、スミーかファンに渡せばいいんだ。
そうすれば、こっちでお前が書いたものを用立ててやる。そしたらお前はそれをお客様の船に取付ける。それと俺は若大将じゃなくて社長だ、チェッコ。OK?」
「了解ッス。オジキか姐御に渡しゃあいいスね?」
「全然分ってねえよ!」
クルは普段小さな会社の社長という仮面を被って社員や顧客に接しているが、海賊時代からの部下の前では少々気が緩んでしまう。
この時も少しだけ昔に戻って声を張り上げた。
「そういう言い方をすれば客や他の社員が不安がるだろうが。いいか、俺は給料を払いたくなくてウズウズしてるんだ。いらねえ誤解を広めた奴ァ即減給だ!
俺は社長! スミー爺さんは副社長! ファンは……ファンの事を今なんて言った?」
「姐御っス」
「なぜ? ファンが姐御なんだ、チェッコ君?」
「え、もうすぐファン姐……さんと社長が結婚するって聞いたっすよ? 違うんすか?」
何言ってるんだコイツ……。
クルは目を閉じると、部下の質問を無視して、さらに続けた。
「誰にそんな話を吹きこまれた?」
「アレフさんっす」
「よし。アレフを呼んで来い。給与に関する事で話があるってな」
ビーグル号から送られたサボテンが花を咲かせた頃、少しは名前が売れ始めて来たかなと、クルが手ごたえを感じつつあった時。
貨物運搬中のトリビューン号は、偶然一着の通信を拾った。
こちらから応対に出たのはファンである。
「こちらトリビューン号のファン・タグレップ。貴官のお名前を教えていただけますか?」
「助け……」
「通信状況が悪いようです。もう一度お願いします」
「誰か助けてくれ!」
「……はい?」
「クソ、クソ! レーザーもミサイルも効かない! ば、ば、化け物だ! マヤの幽霊船が本当に……」
その言葉は一旦、通信機の向こう側のガチャガチャという大きな音に遮られた。
「そんな、船内に……」
辛うじて最後にその一言が聞こえたが、それきり通信はぷっつりと途絶えてしまった。
血相を変えてファンが叫ぶ。
「大変!」
ファンはすぐにクルへと報告し、クルは「幽霊船に襲われてる」という内容に少々疑問を感じながらも、通信が発信されたであろう地点に船を走らせた。
そこはトリビューン号の他に星海を渡る船はなく、ゾっとするほど寂しく静かな宙域だった。
星図によれば寄港可能な星が一つあるが、よくよく調べた所伝染病により入植が失敗し、破棄された惑星であることが判明した。
なるほど、とクルは思った。
確かに幽霊船とやらが出そうな場所だ。そんなものがいるのならな。
「救難信号を出した船は見つかったか?」
「インフラトン反応なし、重力波反応なし……でも本当に聞こえたんですよ」
「じゃ、ファン君が聞いたのは『死者の声』だったのかも知れんな」
「……信じてませんね、社長?」
「いや、信じてるって。ただ位置測定だって完全ではないしな、通信電波ってのは思ってるよりもずっと長い時間飛び続けるもんなんだよ。
偶然何百年も昔に発信された会話を拾う事だってあるんだ。そういうのはノイズが酷過ぎて内容は分からないけどね。
君が拾った通信もノイズが混じってたんだろう? もしかしたら何か月も前に送信された通信だったのかも知れん」
「むむむ」
納得がいかない、という顔をしながらファンは顎に手を当てた。
「じゃあ、幽霊船って何ですか?」
「そこまでは知らないよ。しかし連絡をした人達を助けられなくて残念だ。こういう人命救助も社の評判に繋がっていくんだが」
クルは操舵手のアレフに、艦を回頭させ帰るように命じた。
痩せた中年の男は小さく頷くと、消え去りそうな声でボソリと呟く。
「マヤの幽霊船……本当にいるなら見てみたいねェ」
「何か知っているか、アレフ?」
クルが訊ねると、アレフはずり下がった眼鏡の位置を直し、囁くように答えた。
「マヤの船……始祖文明が移民に使った伝説の船。その内のいくつかは、今も宇宙を彷徨っているらしいよ。
フフフ、さっきの通信の話じゃないけど、何万年も昔に乗組員は全滅した空っぽの船がねェ」
「荒唐無稽な話だな、幽霊なんか……」
クルの言葉は、割り込んできた通信によって遮られた。
「誰か、誰か! 応答してくれ、頼む!」
「……こちらトリビューン号のファン・タグレップ。貴官のお名前を教えていただけますか?」
「イザーン号のエリッヒ・リューだ! 幽霊船に襲われている!」
「すぐにそちらへ向かいます。座標を送って下さい」
通信を終えてからファンがクルの方を向くと、クルは静かに言い直した。
「誰が何と言おうと、幽霊なんかいない」
「インフラトン反応確認、イザーン号を発見しま……!?」
トリビューン号は再び転進して、送られた座標へと急行した。
到着した瞬間、クル以下全ての船員は言葉を失った。あり得ない光景が広がっていた。
イザーン号と名乗る船は、なんて事のない輸送船であった。それはいい。
問題は、その背後に迫る超巨大宇宙船である。全長は20kmを超えるのではないか? これほど巨大な船はクルもスミーも見た事がなかった。
いち早く衝撃から立ち直ったアレフが、歓喜の余り叫ぶ。
「ホホホォォォ! マヤの船! 伝説の方舟!」
「お、おい、レーダー何をやっていた! あんな巨大な船に気が付かなかったのか?」
「しゃ、社長、それが……今も反応がありません! レーダーに写っているのはイザーン号だけです」
レーダー管制士の言葉を補強するかのように、ファンが続けた。
「インフラトン反応なし、重力波も確認できません! あ、今、少しだけ反応しました……」
「幽霊船と通信を繋げれるか? まず話し合いたい」
「無理です、全く応じません、っていうか全ての反応が小さすぎます、こちらからじゃ殆ど何も捉えられません」
「……どういう事だ? 豆電球を付けるだけの反応しかなくて、どうやってあれだけの船を動かす?」
「始祖文明のテクノロジーだろうねェ! それとも本当に幽霊船なのかなァ!? どっちにせよあたしゃもっと近くで見たいよ! 艦を寄せますよ社長!」
「ふざけるなバカヤロウ、また減給するぞ。牽制だけしてイザーン号が逃げられる隙を作れ! そしたら俺達もとっと逃げる!」
クルは素早くそう命じたが、些か到着が遅かったらしい。
トリビューン号がミサイルを撃つよりも早く、幽霊船から放たれたレーザービームがイザーン号の横っ腹を灼いた。
船体の一部がシャボン玉の様に弾けると、超高温で熱され真っ赤に焼け焦げた金属片が、星屑のようにキラキラと輝きながらイザーン号を飾り立てていく。
同時にイザーン号のエリッヒと名乗る男が、泣きそうな顔で画面越しに訴えてきた。
「こちら、イザーン号! エンジンがイカれた! 航海不能、た、助けてくれ!」
一瞬、クルの脳裏にイザーン号を見捨てるか? という考えが浮かんだが、すぐにその考えを振り払って、自分自身に言い聞かせた。
俺は強欲の業突張り。金も名誉も権力も、何だって欲しい。勿論、イザーン号の乗組員の命だってだ。
それに護民会社を謳ってる俺達が、助けてって言ってる奴を捨てるなんて事は出来ねぇよな。
「乗員を救助する! ミサイル斉射後、回避機動を取りつつ、イザーン号に寄せろ!」
「接舷完了!」
「急げよ! イザーン号の乗員を運べ! 5分以上は留まっていられん!」
放たれたミサイルは、敵の大きさからすれば些細な威力だろう、しかしそれでも、少しくらいは時間稼ぎになる……というクルの予測は見事に裏切られた。
トリビューン号が放った12発のミサイルは、マヤの幽霊船を傷つける事なく、虚空へと消え去って行った。
回避されたのではなく、当たらなかった訳でもない。
幽霊船は、煙のようにミサイルを飲み込み、そのままやり過ごしてしまったのだ。傷つけるどころかミサイルは爆発すらしなかった。
もっとも相手はこちらを窺うだけで攻撃はしてこないようだが、明らかに分の悪い勝負だ。
しかも反応が薄すぎて誘導装置が働かない為、目視照準だけで撃ってる有り様だ。
「さっきから一体何が起こってるんだ?」
訳が分からない。こんな事は初めてだ、とクルは頭を抱えた。
始祖文明のテクノロジーがいかに優れているとはいえ、これは度が過ぎている。幻を相手にしているようにしか思えない。
もしかしたら……もしかしたらこの世には、本当に幽霊や幽霊船がいるのだろうか?
「スミー副社長……そういえばラッ教とか言う宗教の信徒だったよな? 幽霊はいると思うか? いや幽霊でなくても、科学で解明できていない生命の在り方と言うか……」
「ブッ教」
ぶっきら棒にスミーが訂正した。いつも以上に厳めしい表情をしているのは、スミーも不可解な存在の謎を解こうとしているからだろう。
「本当に幽霊ってのがいたらな、死んだ頭は、親父が死んでも線香一つあげねえ息子を怒鳴りに行くだろうよ! 若、一度でも夢枕に頭が立ったか?」
「いや、立っていない。論理的な意見、ありがとう」
幽霊がいない事は証明されたが、疑問は振出しに戻ってしまった。
じゃあアレは一体、どうやって攻撃をやり過ごしている?
最初に拾った通信の船も、レーザーも実体弾も効かないと言っていたらしい。多分同じ相手にやられたのだろう。
何かが変だ。何かを見落としている気がする。しかし違和感の正体は分からない。実に不気味で気持ちが悪い。
クルは苛立ちながら、時計を見た。
接舷して3分。
奇跡的にまだこちらは被弾していなかったが、トリビューン号とてあの巨大な船の攻撃を何発耐えられるか……。
「まだか! 早くしろと救助班に伝えろ! このままじゃ共倒れだぞ! とっとと船内に押し込んでしまえ!」
その言葉は苛立ちから自然と発せられた言葉だったが、自分の声が自分の耳に届き、さらに脳がその言葉を認識した時、クルは強烈な眩暈を感じた。
『船内』『船内』『船内!』
その一言によって、謎のパズルが急に組み合わさったのを感じた。
殆どレーダーに反応せず、触れる事も出来ない無敵の幽霊船。
にも関わらず、3分間もこちらを見逃す幽霊船。
それでも、自分の記憶違いかもしれない、と思い、殆ど逃避するようにファンに確認する。
「ファ、ファン……最初に君が拾った通信は最後に何と言っていた?」
「え、え~と、船の中で何かが起こったとか……」
「救助に向かった連中と連絡は付くか? 付くなら急いで引き返せと伝えろ! 早く!」
「……応答がありません」
「クソッ! クソッ! クソッ!」
してやられた。
まんまとしてやられた!
確認を取ったその瞬間、クルは爆発した。
これほど激怒したのは会社を興してからは初めてである。
背広を着始めて以降の大人しいクルしか知らない社員たちは、ぎょっとして若き社長の方に視線を向けた。
しかし、そんな事などお構いなしに、クルはもう数秒間は罵倒を続けた。
「あの野郎ども、全員クソと一緒にタンホイザに叩きこんでやる! 爺さん、ブリッジは任せたぞ」
「どこへ行く? 何か分かったのか?」
「ああ、分かったよ。幽霊の正体見たりだ、クソッタレ!」
「……正体は?」
「マヤの船はホログラムか何かだ! 基地の出入り口や隠し航路を擬装する為に、空間に映像を投影する装置の事を昔聞いたことがある!
その映像に合わせてあいつら踊ってやがるだけだ! 本当の幽霊船はイザーン号だ!」
クルはそれだけ言うと、肩をいからせながらブリッジから出て行った。
「半分は機関室を守れ。チェッコ達を殺させるな。社員以外の人間を見つけたら容赦するなよ」
掻き集めた戦闘員の前でクルはそう告げた。自ら否定し、隠していたはずの本性が剥き出しになってた。
航海者達は常に互いの協力によって、命を維持している。その仲間の死は精神を引き裂く苦痛だ。中でもカルバライヤ人のそれは、耐え難いほどの激痛である。
「残りは俺に付いてこい。幽霊狩りだ」
戦闘員たちを引きつれたクルが最初に出会った一団は、案の定武装していた。救助に向かった者たちは、一たまりもなかっただろう。
出会い頭のほんの僅かな空白の後、廊下を挟んで敵味方のメーザーブラスターの火線が流星群のように飛び交っていく。空気が焼かれる嫌な臭いがクルの鼻を付いた。
「抜刀! 突破口を開くぞ、α班とβ班は援護しろ」
そう言ってクルは剣を引き抜き、三本の指を立てた。一本折り、二本折り、全ての指を折った瞬間、クルを先頭として装甲空間服に身を包んだ戦士たちがメーザーの嵐の中に身を投じていく。
一見無謀なこの突撃は、艦内の白兵戦では有効である事が証明されている。
携帯メーザーブラスターでは装甲空間服を貫くのにはやや照射時間がかかる。一方、超臨界流体の刀身ならば一刀の元に空間服を切断する。
つまり身を焼かれるまでの間に、間合いに入ってしまえば、剣は銃に優るのだ。
とはいえこれを実行するには、何よりも砲火の中に飛び込む度胸が必要だ。海賊はクソ度胸と言われる所以である。
身を焼く痛みを感じながら、クルは全速力で廊下を疾駆した。
海賊船で育ったクルが、白兵戦の先頭を切るのはこれが初めてではなかった。少々の火傷などではクルは止まらない。しかも、いまのクルはそれよりも遥かに辛い痛みに突き動かされていた。
下手なパントマイムで俺を騙しやがった、ここまで来る燃料費と、12発のミサイルは全く無駄だ。許せん。
乗組員だけ殺してトリビューン号をそっくり奪うつもりだったのか? 俺の艦を狙うとは、許せん。
狙うどころか……俺の社員を殺しただと? 俺の物を奪ったのか? 絶対に許せん。制裁しなければならない。
剣を手にした戦士たちが、高熱の降り注ぐ廊下を渡りきった瞬間、鮮血が飛び散った。もはや攻守は逆転した。
剣の間合いの戦闘へと移行した瞬間、白兵戦は一方的な物となった。
臆したのか、予め決めていたのか、戦いの趨勢が決定的になると、生き残った侵入者たちは素早くトリビューン号から撤退していく。
どうやら敵の武器はだまし討ちのみらしい。
侵入者を叩き出したクルが呼吸を荒くしながらブリッジに戻ると、一度艦全体がぐらりと揺れた。
「今の揺れは何だ?」
「イザーン号が離脱しました」
「……追え。そしてイザーン号に回線を開け。向こうと話がしたい」
意外にもイザーン号は呼び出しに応えた。
ただし画面に現れたのはエリッヒと名乗る男ではなく、また別の男である。恐らくこちらが本当の艦長だろう。痩せ細った犬のような、隻眼の男だった。
クルも相手も、名乗る事や名を聞く事はせず単刀直入に話に入った。
「まんまと騙された。やってくれたな」
「……どうやって気が付いた? こちらの罠に」
「本物の幽霊から教えて貰った」
「……そりゃ敵わねえな」
「だが、俺達もただじゃ済まなかった。代償は払ってもらう」
「やってみろ、小僧」
通信が途切れると、クルは厳とした口調で言った。
「絶対に逃がすな」
その瞬間トリビューン号全体が、生きているかのように唸りを上げてイザーン号へと襲い掛かった。
見る見るうちに二隻の距離は縮まり、あっと言う間にトリビューン号はイザーン号を射程に捉える様を見て、値は張ったが高いエンジンを買ってよかった、とクルは心底思った。
やられて逃がすほど嫌な事はない。
「ミサイル!」
クルがそう叫ぶと、情け容赦ない爆薬がトリビューン号から放たれた。イザーン号は爆発と閃光に飲み込まれて、千もの欠片へと変じていく。
あの巨大なマヤの幽霊船も、いつの間にか煙のように消え去っていた。
死体の処理、艦内の清掃など後始末を終えたクルは、酒場で杯を傾けながら今回の事件を反芻していた。
トリビューン号だけで死傷者は36名……今回は、今までにないほどに人的損害が出た。
タネが判ってしまえば大したことのない相手だっただけに口惜しい。もっと早く気づければ……。
「仲間が死んだ後は一人で深酒か。そう言う所は頭に似ているな」
いつのまにか隣にはスミーが腰を下ろしていた。
見透かすようなスミーの言葉にむっとして、クルは反論する。
「いや、似ていないぞ。俺は欲張りだからな、遺族に一時金を払いたくなくてムカムカしてるだけだ。次は……払わなくて済むようにする」