※ハーメルンにも投稿しています。
あらすじに代えて:俺ガイルは現在8巻まで発売されていますが、7巻8巻の終わり方に
モヤモヤしている人も多いと思います(自分も)。そこで、モヤモヤ
を吹き飛ばしてしまおうと書いたのがこれです。
9巻発売までのご愛嬌ということで、よろしくお願いします。
※2月7日から、第二章 平塚先生救出作戦~結婚詐欺師を撃退せよ!を開始しています。
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「おにいちゃ~ん。大変だよ、ちょっと来てよ!」
一階リビングから小町の大声が聞こえてきた。俺はさっき本屋から帰ってきたばかり。空腹状態だったが、どうしても手に入れたい本が見つかったので、さっそく読み始めたところだった。今日はクリスマス。あたりまえのように俺には何のイベントもない。
「何だよ~、夕飯できたのか~!」
「違うよおにいちゃん、雪乃さん家が大変なんだよ!とにかく来てよ!」
ん?雪ノ下の家?いったい何だ? 雪ノ下といえば冬休み中は実家に帰ると言っていた。ちょうど今朝、由比ヶ浜から「何回もゆきのんにメールや電話してもつながらないんだよ」とメールが来ていた。何かあったのか?
俺はベッドから身を起こしてリビングへ降りた。そこには瞠目しながらTV画面に見入っている小町がいた。
「何?」
「雪乃さんのお父さんが贈賄容疑で逮捕されたんだって!」
「え?」
アナウンサーは、建設会社社長で千葉県議会議員の雪ノ下議員が国会議員数人、および国交省幹部数人に対する贈賄容疑で逮捕されたと何回も繰り返していた。2年前の公共事業受注をめぐり、動いた金が数億円に上ると見られ、東京地検特捜部が捜査をしていたもよう。今後、政界にも逮捕者が出る公算が大きく、大きな疑獄事件に発展する可能性が高いという。
まさか。人ごとながら目の前がクラクラした。
二学期の最後の部活で、俺は雪ノ下と由比ガ浜を残して少し先に帰った。
「じゃあな」
それだけを言い残して部室の扉を閉めた。
生徒会長選挙の後の俺たち三人の関係、あれは何だったのか。いつものようにイスに座って本に目を落とす雪ノ下の横顔。俺が部活に入ったころの凛としたイメージは微塵もなく消え、繊細なガラス細工のようなその姿に、俺はどうしたらいいのかわからず、ただ惰性で由比ヶ浜と馬鹿なことを言い合って、ひたすら時間が過ぎるのを待った。あの雪ノ下の横顔がTV画面にオーバーラップして消えてくれない。
「おにいちゃん。雪乃さんとか陽乃さんはどうなっちゃうの?」
「あの姉妹は贈収賄事件とは関係ないだろう。どうもならないさ」
「本当?本当なの?」
小町の目が潤んでいる。
「たぶんな」
「おにいちゃん、こんなときこそ雪乃さんの力になってあげないとだめだよ。ただ見てるだけだったらわたし、もうおにいちゃんと絶交する」
そう言って小町は鼻をすすった。しかし、おれは雪ノ下のメアドも電話番号も知らない。とりあえず由比ヶ浜に電話してみることにした。
「あ、ヒッキー?どうしたの?」
「お前、今カラオケ屋か?すごいうるさいな」
「そうだよ、いつものメンバーでクリスマス会だよ」
「雪ノ下の家が大変だ、親父さんが逮捕されたぞ」
「え?ええ?どうして?」
「とにかく携帯でニュースを見ろ。雪ノ下に連絡がつかなかったのはこれが原因だな」
「うん、わかった」
そういって電話が切れた。
さて、俺としてはどうしたものか。中央政界を巻き込んだ巨大贈収賄事件に関して俺が何かできるとは思えない。奉仕部の扱える問題をはるかに超えている。
できることといえば雪ノ下の精神的なサポートくらいだろう。しかし、雪ノ下が俺なんかのサポートを必要としているだろうか。それに何と言って元気づけたらいいのか。そもそも現段階では雪ノ下が憔悴しているとか、どんな状態なのか、どこにいるのか事実確認もできていない。
翌朝、由比ヶ浜から電話がかかってきた。
「おはよう、ヒッキー、ゆきのんの家大変だね。テレビで大騒ぎだよ。ゆきのんの実家の前にカメラがずらっと並んでるよ」
「ああ、そのようだな。雪ノ下から連絡はあったか?」
「あったよ。メールが来た。それで今、都内のホテルにいるんだって。陽乃さんと一緒に。心配しないでくれって」
「冬休み終わったらどうするか言ってたか?」
「言ってない。ゆきのん、メールだとそっけないじゃん?」
「そうか、じゃあ俺と由比ヶ浜で会いに行ってみるか?」
「う、うん。行っても大丈夫かな。迷惑にならないかな・・・」
「とにかく、お前は雪ノ下がいるホテルを聞きだせ。わかったら教えてくれ」
その日の夕方、由比ヶ浜から電話がかかってきた。
「電話でゆきのんと喋れたよ。赤坂のホテルに泊まっているんだって、陽乃さんと一緒に。でね、陽乃さんも事情聴取を受けているらしくて、陽乃さんはお父さんの用事でいろいろなところへ出ていたでしょ?それで。声からすると、ゆきのん元気そうだったけど、明日の夕方、ホテルのティーラウンジで会ってくれるって」
「そうか、じゃあ、明日行ってみるか」
一瞬、小町も連れて行くかと思ったが、今は受験勉強の追込み中だ。総武高に入るとか言っているが、たぶん無理だろうなぁ。雪ノ下家の騒動で気が散って仕方がないらしいが、受験生は必死に勉強しとけ。
俺と由比ガ浜は午後三時に駅前で待ち合わせた。由比ヶ浜はグレーのコートにクリーム色のマフラー、足元には黒いストッキングが覗いていた。
「ずいぶん地味だな、今日のお前」
「可愛い格好で行くような雰囲気じゃないでしょ」
「そういえばそうだな」
それに由比ヶ浜は若干顔色が悪く見えた。話によると、雪ノ下と夜中まで長電話していたらしい。長電話?あの雪ノ下が?
「ゆきのん、いろいろと家の話をしてくれたよ。今までわからなかったことがたくさんあって・・・」
「そうか、お前らもやっと長電話する仲になったか。俺なんか今だにメアドすら知らん」
「それは、ただの成り行きってもんだよ」
赤坂の駅からエスカレータで上がると、すぐにホテルが見えた。時間は午後3時ちょうど。ラウンジに入っていくと窓際に座ってティーカップを口元に運ぶ雪ノ下の姿があった。
「ゆきのん!」
駆け寄る由比ヶ浜に雪ノ下が振り向く。すっと立ち上がって、後の俺にも目を向けた。
「大丈夫って言ったじゃない。少し大げさよ。二人して」
俺と由比ヶ浜が席につくと、雪ノ下も座った。その姿にはとりたてて陰りがない。むしろ昔の雪ノ下のように、強くてしなやかな凛とした表情すらあった。
「元気そうでよかった」
「で、どんな状態なの、お前の家。かなりヤバイのか?」
俺がそう言うと、雪ノ下は少しうつむいた。
「ええ、私たち姉妹は大丈夫だけれど、弁護士によれば父親は確実に起訴されるでしょうね」
「ゆきのんの家なくなっちゃうの?」
「そんなことないわよ。ただ、これを機会にして父親は会社からも追い出されるでしょうね。実は、生徒会長選挙のころから父親がそれとなく仄めかしていたわ。こうなることを」
「あ、比企谷くんだ、それにガハマちゃんも!」
振り返ると陽乃さんがいた。
「姉さんは来なくていいでしょ」
「え~、せっかくお二人さんが雪乃ちゃんに会いに来てくれたんだから、姉としてもちゃんとお礼したいじゃない」
「あ、このたびは・・・」
俺が何を言っていいかわからずにいると、陽乃さんは満面の笑みを返した。
「何かしこまってんの?どうってことないよ、こんなの。私も雪乃ちゃんも見てのとおり元気だよ。うちのお母さんなんて、今後に備えて家の財産をかき集めたり売っ払おうとフル回転しているよ」
「姉さん、恥ずかしいこと言わないでくれるかしら」
「いいじゃない、この際ぜんぶ言っちゃいなよ。そんなことより、比企谷君、雪乃ちゃんのこと心配してくれたんだね」
そう言うと陽乃さんはニコリとした。反対側のイスに座っていなかったらいつも通り指でツンツンしてくるような雰囲気だ。それにしてもいつもとまったく変わらない陽乃さんには呆れた。何この人。外面も強化外骨格なら心もチタン製なの? それに劣らず妹のほうもかなりタフだ。心配して拍子抜けしてしまった。俺や由比ヶ浜が勝手に心を曇らせていただけだった。
「あ、いや、一応、部活仲間だし・・・」
「う~ん? まあいいや、ガハマちゃんもごめんね。迷惑かけて」
「そんなことないです。あ、いつまでこのホテルにいるんですか?」
「それなんだけどね、私は一応事情聴取があるからしばらくいなくちゃなんだけど、雪乃ちゃんはいつでも帰れるんだよ」
「まあ、実家の周囲は24時間TV中継中だし、雪ノ下のマンションだってマスコミが嗅ぎつけてるかもしれないし」
「雪乃ちゃん、この際独立するって言うんだよ。こんな大変なときにまたお母さんと揉めてるんだよ」
「独立?」
俺と由比ヶ浜が同時に声にした。
「ええ、父が逮捕される直前に私と姉さんの口座にかなりの額を振り込んでくれて、自分で部屋を借りて当面生活ができるわ」
「お前何言ってんの?部屋借りたあとずっとその金がもつのか?」
「もちろん、ずっともつほどはないのだけれど、そのあとは働けばいいだけでしょ」
「ほらね、比企谷君、ガハマちゃん。聞いた? 雪乃ちゃんが働いて学校も行くって言ってるんだよ?バイトなんてやったことないんだよ?」
「ゆきのん、大学も自分で稼いで行くつもりなの?」
「ええ」
「そうだな、お前だったら学費の安い国立に受かるだろうしな」
「雪乃ちゃん、それほどまでにしてあの母親から離れたいんだね」
「当然でしょ。父がいなくなったのなら、もう一切あの家とは縁を切るわ」
「ゆきのん、それは厳しいと思うけどなぁ。生活費と学費を稼ぐなんて遊ぶヒマもないんじゃないかなぁ」
「わたしも小遣い減るだろうからカテキョでもしようと思っているんだけどね」
そう言うと陽乃さんはかったるそうに欠伸をした。
「ゆきのんはまだ高校生だからカテキョは無理でしょ。何のバイトやるの?」
「それは・・・まだわからないわ」
「お前らしくないな」
このとき雪ノ下の顔に初めて不安らしき影が浮かんだ。何事にも明晰で、近未来のことならすべて計算済みだと思っていたが、どうやらこればっかりは未来を見通すだけの経験値が足りないらしい。
「あ、昨日はクリスマスだったね。こんな状態だからすっかり忘れてたよ。みんなでケーキ食べよう。お姉さんがおごってあげる。ここのモンブランはすっごく美味しいんだよ」
そういうと陽乃さんは手を挙げてウェイトレスを呼んだ。
目の前に出されたモンブランは適度な甘さで、アールグレイの紅茶とよく合った。甘いもの好きな俺には少し足りないかもしれないが。
「となると、奉仕部も部長不在で消滅か・・・」と俺が言うと、雪ノ下がケーキを口に運んでいたフォークをカチリと置いた。
「それは大丈夫よ。下校時間まではちゃんといるわ」
「ゆきのん、それだと夜一〇時まで4時間くらいしかないよ。時給1000円だとしても1日4000円。これじゃ無理だよ」
「そうだな。土日にフルで働いても月に10万~12万ってところだ。現実的に無理だろ」
「あなたたちからも説得してあげて~。無理だって」
「なんとかなるわよ。もう決めたもの」
そう言うと雪ノ下の表情には一瞬不安な影がよぎったが、すぐにあのちょっといい笑顔に戻った。
このとき、俺の脳の中でシナプスがピシッピシッと音を立てながら今までにありえない接続を開始したらしい。その証拠に俺はこんなことを言った。
「まあ、雪ノ下がそう決めたら、たぶん、そうするんだろうな。俺もバイトするよ。そしてお前に差し入れするわ」
そう言ったとたん、雪ノ下が動揺を隠せずに肩を震わせた。
「ひ、比企谷君、い、一体何を言ってくれるのかしら。働いたら負けと常々吐いているあなたが人のために働くというの?仮にそうしてくれたとしても、とてもそんな施しは受け取れないわ。明日あたり太陽が超新星爆発してガンマ線バーストが地球に降り注ぎそうな気配ね。どうしちゃったのかしら、あなたの脳に宇宙からの重粒子線が直撃しちゃったのかしら」
「あれ~雪乃ちゃんが見たこと無いくらい照れてるよ~?言うことがすごいね。さすが理系志望だけある」
「あ、あ、私もバイトする!ゆきのんのためならそれぐらいやるよ!」
「おお!なんかお姉ちゃん感動して泣けてきちゃったよ。こんないい友達、わたしも欲しいよ」
俺も自分で言ったことに驚いた。しかし、ここまで言えば無理な独立を雪ノ下が思い止まるという期待も少しあった。
「あの、その、あ、ありがとう。でも比企谷君も由比ヶ浜さんもそんなことしなくていいから」
「まあ、とりあえず、雪乃ちゃんは冬休み明け早々に部屋を確保するみたいだから、困ったら助けてあげてね。わたしは当分家のことで手一杯だからね」
「わかりました。ゆきのんに苦労はさせません!」
「お前、何言ってんの?」
そういうと雪ノ下以外の三人は声を出して笑った。たぶん、俺もそのとき笑っていたと思う。少しうつむいた雪ノ下を気にしながら。