ジオール。
極東の海に浮かぶ小さな島国で、諸外国の文化や技術を柔軟に、悪く言えば節操なしに取り入れて独自の改良を施すことで、その狭い国土からはあり得ないほどの文化的、経済的発展を成し遂げた技術立国である。
中立国の立場を取り、それゆえに過度の戦力を持つことが出来ず、軍隊に許されるのは専守防衛のみ。法律は民間人の銃火器の所持を禁じており、世界でも指折りの治安のよい国だと言われている。
否― 言われていた。
宣戦布告も無しに行われたドルシア軍の強襲。世界を二分する大国の圧倒的な軍事力の前にジオールの貧弱な防衛軍は瞬く間に壊滅した。
たった一日にして降伏文書に調印したジオール本国はドルシア軍事政権の完全な傀儡と成り果て、国民は厳しい監視下での暮らしを強いられている。それはジオール唯一の大損スフィアでも同じだった。
ただ一つの例外がモジュール77。モジュールの学生が極秘開発された新型の人型兵器に乗り込みドルシア軍をたった一機で撃退。その後、スフィアからモジュールを切り離し、学生だけの国として独立宣言を果たした。
このニュースは相当センセーショナルに報じられ、ARUSを始めとした世界中のドルシアに良い感情を抱いていない国々の間で祭り上げられた。それゆえモジュール77は事あるごとに世界中のメディアで報じられ、誰もがその行く末に注目していた。
そんな中、一体誰が情報をリークしたのか、世界中に届いたさらなる学生死亡のニュースは世間の反ドルシア感情とモジュール77への同情心を強く煽ることとなった。
犠牲となったのは、櫻井アイナという高校一年の女子生徒。
モジュール77の誰かが作ったらしい咲森学園HP内の追悼コーナーがつい先ほどワイヤードによって拡散され始めた。追悼コーナーではアイナの生前を映したいくつもの写真がスライドショーで表示され、楽しそうに学園生活を送る様子が写真を通して伝わってくる。
それを見た世界中の人々があどけないその少女の不幸を嘆き、哀悼の言葉を呟く。
「この子、死んじゃったんだ」
「へ~、こんな可愛い子が?」
「俺たちと同い年じゃん」
「娘と同じくらいの娘か……」
「まだ全然若かったのに……かわいそうに……」
「この子のご両親は知っているのかな?」
「かわいそう!」
「無念だったろうな……」
「やだな~、ドルシア、マジ許せない」
「いつまでも学生たちを襲い続けるなんて……ドルシアって本当、野蛮な国ね」
「アイナちゃん安らかに……」
「安らかに、っと」
「安らかに」
「安らかに」
―・―
追悼コーナーに設けられた「安らかに」というタッチボタン。世界中でそれが押されるたびに、カウンターの数字が一つずつ増えていく。
その数字は現時点で、74965。
その数字はそれだけの回数、そのボタンが押されたことを表す。
学園校舎裏に作られた簡素な墓地。一番新しいアイナの墓の前に座り込み、犬塚キューマは暗い顔でその追悼ページを眺めていた。
こういったページを作るのは、本来ならキューマの得意とするところだった。だが、キューマがアイナと特に仲が良かったことは多くの生徒たちが知るところであり、流石にキューマに追悼ページを作ろうなどという話を持ちかける者はいなかった。
結局のところ、誰がこのページを作ったのか、キューマは知らない。
キューマには、カウンターの数字が一体何の意味を持つのか分からなかった。それだけの人数がアイナの死を悼んでくれたのか、ただ目についたから押しただけなのか。
これは仮定の話だが、もしキューマが見知らぬ他人のこういった追悼ページを作ったなら、彼はきっと「安らかに」ボタンに募金機能を付けただろう。一回押すごとに1ドル、いや50セントでもいい、押したもののウォレットから引き落とされるように設定するのだ。モジュール77の話題性があれば、それなりの募金が集まるだろう。
しかしそうした時、果たして「安らかに」ボタンは何回押されるだろうか。少なくとも、今の74965回よりは少なくなるのは確実だ。
「安らかに」ボタンが七万回以上も押されたのは、押すだけなら誰でもでき、そして押しても押した者にデメリットが無いからだ。別にアイナの死を悼んでいなくても押すことに何の支障もない。
だがそこに、自分の金銭が減るという具体的なデメリットが生じたらどうか。ただ何ともなしにボタンを押していた人間は当然押さなくなる。自分とは縁もゆかりもない人間のために自分のものを差し出せる人間の方が稀有なのだ。ましてや顔も会わせないネット上の人間関係など毛糸よりも細い繋がりなのだから、期待する方が間違っているのかもしれない。
要するに何が言いたいのかというと、このカウンターの数字に意味など本当にあるのかということだ。
もっとも、キューマにとってそんなことはどうでもいい問題だった。そんなことよりもよっぽど大きな悩みがあるからだ。
何も出来なかった。
アイナが死んでしまった時、アイナがどこにいたのかさえ知らなかった。死に際を看取ることすら出来なかったのだ。
その後のドルシア軍の襲撃時には自分をヴァルヴレイヴに乗せてくれと貴生川に懇願するものの、答えはにべもなく却下。ならば勝手に乗り込んでやる、と格納庫を目指したが、侵入してきたドルシア兵の銃撃に阻まれて近づくことすら出来なかった。
肩を銃弾が掠め、扉の陰に隠れている内に、いつの間にかエルエルフが現れ、あっという間にドルシア兵を倒して走り去ってしまう。その後、ハルトと協力してドルシア軍を撤退まで追い込んだことは後から知った。
俺が、アイナの仇を。
そう思っていたのに、何も出来なかった。
「見てろよ、ノブ」
不意にすぐ傍から聞こえた声に、ふらりと顔を上げる。
山田ライゾウ―サンダーが一つの墓の前で両手を合わせて目を閉じている。
「今度こそ、俺はあのロボットで、お前の仇を討つ」
サンダーの気持ちが、キューマにはようやく分かるような気がした。仇を討ちたいのに、その手段も分かっているのに、何も出来ず、手をこまねくしかないその悔しさと憤り。
「討つからな……!」
目を開き、墓を見下ろしながら発せられる焼けつくようなサンダーの熱い声。その声から墓の下の友人がいかに大切だったのかが伝わってくるようだった。
キューマは再び、手の中のスマートフォンに目を落とした。
誰が作ったのかも分からない、「安らかに」ボタン。
そのボタンを押すと、画面のカウンターが一つ増える。
76323。
数字が一つ増えるのを見た瞬間、自分のアイナに対する想いが76323 分の1に薄れてしまったような気がして。
キューマはボタンを押したことを酷く後悔した。
―・―
【教育指導日誌 七海リオン】
モジュール77は中立地帯である月に向かっている。
生徒たちは、戦いに備えて軍事教練をするようになった。教練メニューを作ったのは、私たちの国で初めての亡命者となった、エルエルフ君だ。
元ドルシア軍である彼の指導をみんながすんなりと受け入れたのは、やはり櫻井さんの事が大きいのだろう。これ以上犠牲を出したくないと思ったのか、それとも死にたくないからだろうか。いずれにしてもスフィアにいた頃の私たちからはかけ離れた有様だ。
私も応急処置を教えている。大学時代に学んだことが、こんな形で役に立つとは思わなかった。
生徒が負傷するなんて、考えたくないけど。
教室でどんな形であれ授業が行われていることに、なんだかほっとしている私がいる。
―・―
「はっ!」
「甘い!」
ハルトの正拳突きをいなすコウジ。
「おぉぉぉっ!」
「むっ!?」
攻撃の手を緩めず、続けて回し蹴りを繰り出すハルト。その蹴りをコウジは左手で受け流すと、そのまま右腕でハルトの顔に拳を突きつけた。
「……参りました」
目の前で寸止めされた拳に、ハルトは己の負けを認めざるを得ない。
「ありがとうございました」
「ありがとうございました」
互いに礼を交わす。前回の特訓からずっと、ハルトはこうしてコウジに特訓を付けてもらっていた。この組手は練習の最後に行われるのが恒例となっていた。ハルトとコウジの組手はコウジの全勝が続いている。
「……はぁ……」
ついこの前空手を習い始めたハルトと、長年厳しい練習を積み重ねてきたコウジとではキャリアが違う。勝てないのは当然なのだが、それでもこうも一方的に負けっぱなしでは落ち込んでしまう。
「そう落ち込むな。確かに攻撃はいまひとつ……というか素人丸出しじゃが、防御は良かったぞ。ついこの間始めたとは思えんくらいに」
コウジが水を差しだしながら隣に座り込んだ。
「ありがとうございます……」
「まぁ、いくらお前の方が実戦慣れしてるとはいえ、それはロボットでの話。そう簡単に肉弾戦でわしに勝てたら、わしの方が凹むわ」
ハルトの内心を察したかのようなコウジの言葉にハルトは驚いて顔を上げる。
「……なんで分かったんです?」
「顔に書いてある。自分は絶対負けられないのに、ってな」
コウジは何ともなしに言った。そんな顔をしていたのか、とその言葉にまた顔を俯かせるハルトに、コウジはため息をつきながら続けた。
「前にも言ったが、あんまり一人で気負いすぎるなよ。一人で出来ることには限界がある。今なら流木野やあの、エ、エ、エーデルワイス?」
「エルエルフです」
「それもいることじゃし、もっと気を楽にしていいのではないか?」
今日の特訓はここまで、そう言ってコウジは去っていく。その背中を見送りながらハルトは呟く。
「……コウジさん、ありがとうございます……それでも、それでも僕は強くならなきゃいけないんです……! もう、アイナちゃんみたいなことは、絶対に……!」
ハルトは固く拳を握りしめると、勢いよく立ち上がった。疲れた体に活を入れ、格納庫へと向かって歩き出す。
次は火人の整備を手伝い、そしてエルエルフによって新しく発見された機体シュミレーターでの訓練だ。
―・―
ハルトが格納庫へと辿りつくと、貴生川が何人かの生徒に指示を出している姿が見えた。
さすがに貴生川一人でヴァルヴレイヴとその格納庫の調査、おまけに整備までこなすことは不可能だということで、生徒の中から機械に強く、信用できる生徒を何人か選び出して整備班としたのだ。その中には霊屋の姿もあり、整備を監督していた貴生川に、筋がいいと褒められ、照れくさそうに笑っていた。
「あれ、時縞君ですやん」
兵器の整備とはいえ、先生と生徒の心温まる交流にハルトが頬を緩めていると、一人の整備班の生徒が話しかけてきた。
「あ、えっと……」
「初めましてやね。整備班の虹河ゴウいいます。よろしゅう」
ゴウと名乗った男子生徒は人懐っこそうな笑みを浮かべた。
「初めまして。時縞ハルトです」
「知っとるよ。有名人、っていうかうちらのエースやさかいな」
ゴウは背後に固定されている火人を振り返って言った。
「それで、今日は何の御用?」
「あ、その、整備を手伝おうかと……」
「え! パイロットなのに?」
「パイロットだからこそだよ。自分の機体の事くらい知っておかないと」
「うーん……ええ心掛けやね! ちょっと待っといて」
そう言ってゴウは火人の上で作業している貴生川の元へと無重力空間を泳いで行った。そして何やら二、三言やり取りをして戻ってくる。
「時縞君の一号機の整備は大体すんどるらしいから、チェックシートの手伝いをして貰えって。お願いできる?」
「もちろん」
ゴウが差し出したタブレット端末を受け取るハルト。端末には整備がちゃんと行われたかを確認するための項目が並んでいた。その項目を一つ一つ確認し、確認したらチェックを入れていくのがハルトの今回の仕事となる。
「といっても、いきなりじゃ難しいだろうし、僕も一緒にやるんで。何か分からないことがあったら遠慮なく言ってな」
「ありがとう虹河君」
それからハルトとゴウは検査機を手に、火人の頭からつま先まで順に回ってチェックシートを埋めていった。途中から霊屋も加わり、霊屋とゴウに教えてもらいながら、作業は順調に進んでいた。
「頼むよ! 俺をヴァルヴレイヴに乗せてくれ!」
チェックシートのほとんどを埋めたところで、ハルトの耳に聞きなれた声が飛び込んできた。
ハルトが火人の陰から顔を出すと、そこには貴生川に詰め寄るキューマの姿があった。
「何度も言ったが、安全が確認されてからだ」
「もう散々聞いたよ! 確認はいつ終わるんだ!?」
「……まだ終わっていない」
「っ! 本当は俺を乗せたくないだけなんだろ! だからそう言って誤魔化してるんだろ!?」
「……」
「お願いだよ……! 俺は、俺はどうしてもアイナの仇を討ちたいんだ!」
「……俺の答えは同じだ。そう思うなら彼女の分まで生きてやれ。死に急ぐような真似はするな」
そう言って貴生川は背を向ける。キューマは悔しそうにその背中を睨み付けていた。
「先輩……」
あんな感情的なキューマはついこの間まで見たことがなかった。
ハルトにとってキューマはいつも飄々とした、大人びた兄のような存在だった。いつも金儲けの事ばかり考えていると思われがちだが、常に周りに気を配り、困った時にはすかさず助け船を出してくれていた。
しかし、アイナが死んだ時、ハルトは初めて感情的なキューマを見た。
ドルシア軍への憎しみ。そして、無力な自分への怒りとアイナを喪った事への悲しみ。
ハルトを責めるつもりがなくても、叫ばずにはいられなかったのだろう。
その気持ちがハルトには分かった。だから、放っておけなかった。
「霊屋君、ごめん! 後よろしく!」
「え、ちょっ!?」
端末を霊屋に押し付けると、ハルトはキューマを追って格納庫を飛び出した。しかし、既にキューマの姿はなく、辺りを見回しても見つからなかった。
校舎まで戻ってみたが見つからない。アイナの墓の前にもいない。思いつく所を駆けずり回ったがキューマはどこにも見つからなかった。
「先輩……一体どこへ……」
もう当てもなく、ハルトが途方に暮れていると、ハルトのスマートフォンに着信を示すメロディが鳴った。
なんだこんな時に、とメールを開いてみるとそこにはキューマが最後に目撃されたという場所を示す地図が添付してあった。
送り主は【Rainbow】―アキラだ。
どうしてハルトがキューマを探しているのが分かったのかは謎だが、今はそれよりもキューマの方が心配だ。
地図によればキューマが最後に目撃されたのは、祠のある校舎裏の山の麓。裏山のどこかにいる可能性が高い。
ハルトは再び駆け出した。
―・―
校舎の裏山。
元々その裏山は生徒の散策用に設けられたもので、ハイキングコースもある。祠のさらに先に散歩道があり、進むと少し開けた空間がある。そこには木製のベンチとテーブルが設置されており、そのベンチにキューマは一人で腰かけていた。
「先輩……」
「……ハルトか。悪いが放っておいてくれ。一人になりたいんだ」
いつもとは違う突き放すような態度。そっとしておくのが正しいのかもしれないが、ハルトにもどうしても言っておきたいことがある。
「……僕も貴生川先生と同じ意見です。先輩はヴァルヴレイヴに乗るべきじゃない」
その言葉を聞いたキューマはきっとハルトを睨み付ける。
「お前もそんなことを言うのか! アイナの仇討ちがそんなにおかしいか!?」
「そうじゃありません! でも、先輩も知ってるでしょう? ヴァルヴレイヴに乗ることが何を意味するか!」
ハルトが最初にヴァルヴレイヴに乗った時から行動を共にしてきたキューマは、ハルトの体の事をよく知っている。
ヴァルヴレイヴに乗ること。それは人の体を捨てる契約を結ぶこと。
不死身の体を得る代わりに、人を襲うその衝動に苛まれることを、実際にハルトに襲われたキューマは身を持って知っているはず。
「分かってるよそれぐらい! それでもいいんだよ! それでもいいから俺はヴァルヴレイヴに乗りたいんだ!」
しかし、そんなハルトの思いはキューマには届かない。今のキューマには先のことなど考えられないからだ。今のキューマには、ヴァルヴレイヴしか、アイナの仇討ちしか目に入らない。
「先輩は分かってない! 化け物になることがどんなことか! 身も心も、段々と侵されていくような恐怖も! 戦場の恐怖も! 僕は先輩にそんな思いをして欲しくないんです!」
サキの時は止められなかったハルトは、せめてキューマには思い留まって欲しかった。叫びながら必死に訴えるハルトを見たキューマはその顔を曇らせる。
それはハルトの思いが届いたからなのか、それとも気に入らない何かがあるのか。
「お前の言いたいことは分かったよ……」
抑揚のない声でそう言ったキューマに、ハルトは自分の言葉が届いたのかと思った。だがキューマの次の言葉に、その思いは粉微塵に打ち砕かれることとなる。
「でもな……お前に俺を止める資格はない!」
えっ、と理解の追い付かないハルトに畳み掛けるようにしてキューマは続けた。
「そうだろ! お前だって、ショーコの仇討ちのためにヴァルヴレイヴに乗ったんだからな!」
「っ!?」
「あの時……俺もお前の事を止めた。でもお前は聞かなかった。なんでだ?」
「そ、それは……」
答えは分かっている。
ショーコの仇討ち、ドルシア軍への復讐。それしか考えられなかったから。
だが、答えられなかった。なぜなら―
「あの時のお前と、今俺は同じなんだよ! 大好きだった女の子を理不尽に奪われた気持ちが! 何を引き換えにしても自分で仇を討つんだって! その俺の気持ちが、お前なら分かるだろ!」
そう。あの日、ショーコを奪われたと思ったハルトと、今のキューマは同じなのだ。
「それでも俺を止められるのか!?」
「……そ、れは……!」
キューマの言う通り、自分には復讐を止める権利なんてないのかもしれない。自分とは違い、キューマは本当に、好きだった女の子を殺されてしまったのだから。
「お前の考えを押し付けるな! 余計なお世話なんだよ!」
キューマのその言葉は、それまでのどの言葉よりもハルトを打ちのめした。ハルトの心に、キューマの一言が深く突き刺さる。
いつだって陽気で、頼りがいのある兄のような存在。学年の違いなど関係なく、いつの間にか仲良くなっていた。
二人でつるんで色々なことをやってきた。キューマは、ハルトにとって最も親しい男友達なのだ。
だからこそ、余計にその一言が痛かった。
これ以上、キューマに自分を否定されたくない。そうなる前にこの場から立ち去りたい。
でも。
「確かに僕は、復讐のためにヴァルヴレイヴに乗りました……あの時は、それ以外考えられなかった……」
でも、その前に言っておかなければならないことがある。それだけはどうしても伝えておかなければならない。
「でも、やったからこそ分かるんです……復讐するってどういう事か」
復讐。
それを実際に行ったハルトの話は激昂状態のキューマにとっても気になるものだったらしく、ハルトの話を促すように黙ってハルトの目を睨み付けた。
「何も、ありませんでした」
ハルトはキューマの視線から目を逸らさず、悲痛な表情でそう言った。
「幾ら敵を倒しても、気分は晴れなくて……逆にどんどん虚しくなる」
「そして、いつまで戦えばいいのか分からなくなって……最後には一人でも多く道連れにしてやる、なんて考えて」
「戦って死ぬつもりでした」
「もしショーコが生き残らず、あの時本当に死んでいたら……僕はきっと、二回目の戦いで死んでいました」
ハルトは一端言葉を切り、目を伏せる。
あの時の気持ちが蘇ってくる。何もかも、自分の命さえどうでもよくなってしまう感覚。自暴自棄とはああいうことを言うのだろう。
過去の自分と今のキューマが同じだというなら、キューマもまた自分と同じ思いを味わうに違いない。
あの虚無感を味わって、キューマは元に戻れるだろうか。最後まで生きようと考えてくれるだろうか。
「僕は、先輩に生きていて欲しい……あんな思いをして欲しくない……」
ハルトの声は震えていた。伏せられた顔の下には、涙で滲んだ瞳があった。
「これ以上、大切な人たちに……死んで欲しくないんです……」
「ハルト……お前……」
限界だ。これ以上この場にいられない。
ハルトは滲んだ涙を袖で拭うと、その場から走り去った。
後には、言葉を失ったキューマだけが残された。
ハルトが自分の身を案じて止めようとしたことはキューマにだって分かっていた。それでも、自分と同じ思いをしたハルトにだけは自分を否定して欲しくなかった。
相反する二つの想いはキューマの胸中で複雑に絡み合い、結局、八つ当たりという形でしか出てこなかった。
「畜生っ……!」
キューマは近くのテーブルに拳を叩き付ける。
自分を心配してきてくれた後輩に八つ当たりするなんて、最低だ。
それでも。
「俺が間違ってるってのかよ……!」
―・―
散歩道を駆け下りたハルトは祠まで戻ってきてようやく足を止めた。肩で息をしながら、走ってきた方角を振り返る。
最後は逃げるようにキューマの元から走り去ったハルト。あれ以上いたらみっともなく泣き出してしまうかもしれなかった。
結局キューマを説得することは出来なかった。階段をとぼとぼと下り、ハルトは校舎に向けて歩き出す。
―お前に俺を止める資格はない!―
キューマの言葉が耳から離れない
(先輩の言う通りだ……僕には先輩を止める資格なんて……)
その時、ハルトのスマートフォンが鳴り始める。のろのろとポケットからスマートフォンを引っ張り出すと、億劫そうに耳にあてた。
「もしもし?」
『……』
知らない番号からの着信だが、相手は何も言わない。間違い電話だろうか、ハルトがそう思い、通話を切ろうとすると―
『あ、あの……その……』
聞き覚えのあるか細い声が聞こえてきた。思い当たるその声の主に、驚きのあまり思わず尋ねてしまう。
「アキラちゃん……?」
『……うん』
「アキラちゃんから電話してくるなんて……驚いたよ」
『わ、私も……その、初めて……だから』
「凄いじゃないか! 声を出して話すのはいいことだよ」
興奮気味にハルトは言った。アキラが自主的に他人へコンタクトを取るとは。しかも電話といういつもより一歩進んだコミュニケーション手段でだ。
「それで、何か用事があったの?」
『……その……あの……』
電話に映像はなく、音声のみだったがアキラががちがちに緊張しているのが伝わってくる。
その時ふと思い出したが、キューマの居場所をハルトに教えてくれたお礼をまだ言っていなかった。
「そういえば、先輩の居場所を教えてくれたの、アキラちゃんだったよね? おかげで先輩を見つけられたよ。ありがとう」
『……ど、どういたしまして……』
「それにしても、どうして僕が先輩を探しているのが分かったの?」
―・―
学園校舎、アキラの段ボールハウス。
その主であるアキラは今、これまでのどんなハッキングよりも困難なミッションに挑戦しようとしていた。
それは「電話」を自分から掛けること。憶えている限りもう何年も使った記憶がない。
相手は肉親である兄、サトミ……ではもちろんなく。今、最も信頼できる知り合い、ハルトだ。
今までメールやメッセージのやり取りこそすれど、電話による直接連絡は取ったことがない。
どうしてアキラはその様な一大決心をしたのか。それはある事実に気が付いたからである。
最近、ハルトが自分を訪ねてこない。
新しく出来た知り合い、ショーコが尋ねてくるようになったので、その事にすぐには気付かなかった。以前は定期的に欠かさず訪ねてきてくれた。しかし最近は、体調が悪い、戦闘で疲れてしまった等の理由で、気付けばもう何日も会っていない。
それに気が付いた時、アキラははっと思いついた。
(まさか……私、避けられてる?)
思えば自分は随分とハルトに酷い態度を取ってきた。普通ならとっくに愛想を尽かされてもおかしくないかもしれない。
(えっ、まさか、本当に?)
何だか急に不安になってきた。
(でも、自分の過去を話してまで私の事心配してくれたし……味方になってくれるって言ったし)
あの時のハルトが嘘をついていたとは思えない。
しかし、しかしだ。
もしかしたら自分の方が勘違いしていたのではないか。ハルトの言おうとしたことが、自分に都合よく聞こえただけじゃないのか。
例えば、そう―
(もしかしてあの話って、お別れに送る言葉的な何かだったってこと? 君はもう一人じゃない的な? もう一人でも大丈夫だよね的な? そういうサムシング!?)
一度不安に取りつかれた頭は自分に悪いような解釈ばかり思いついき、次々と悪い未来を想像していく。漫画やドラマで見る、別れ話を切り出されるようなイメージがアキラの頭を駆け巡る。
不安でいてもたってもいられなくなったアキラは、気が付けば、モジュール中の監視カメラをハッキングしてハルトを追いかけていた。つい自分の得意ないつもの方法に走ってしまったアキラは、まるでストーカーのような自分に凹みながらも、ハルトを追いかけることを止められなかった。
そうしてハルトの行動を追っていたアキラは偶然格納庫での出来事、飛び出していったキューマとそれを追うハルトを目撃したというわけだ。その後、キューマを探して右往左往するハルトを見かね、アキラはキューマの足取りを調査、ハルトへ伝えたというわけだ。
いくら人工居住施設であるモジュールでも、山中にまで監視カメラはなかったため、裏山までハルトを追うことは出来なかったが、優しいハルトの事だ。きっと上手くやったに違いない。何をするのかは知らないけど。
戻ってきたら電話を掛けよう。その時なら、「探し相手は見つかった?」だの、「上手くいってよかったね」などと話を切り出しても不自然じゃない。会話のとっかかりになるはずだ。
そう思っていたのに、山から下りてきたハルトはそれまでとは打って変わって打ちひしがれた様子だった。
その姿を見たアキラは躊躇したものの、思わず電話を掛けたのだった。
がちがちに緊張して、いつも以上に声がか細くなってしまったが、自分の声を聴いたハルトが元気になったのは嬉しかった。
そんな会話の中、ハルトが投げかけた質問。それがアキラを現実に引き戻した。
『でも、どうして僕が先輩を探してるのが分かったの?』
「えっ!? そ、それは……」
あなたを一日中監視していたからです。
言えるわけがない。
何とか話を逸らさなければ。
「そ、そういえば! は、ハルト君も、元気なかったよね? ど、どうしたの?」
アキラはとっさにハルトの様子がおかしかったことを持ち出し、話を逸らそうとした。結果的にそれは成功したと言える。
しかし、人付き合いの経験がないアキラは一つの失敗をした。普段とは違う様子であれば、当然そこには原因がある。それを心配し、尋ねること自体は悪いことではない。ただし、場合によっては触れて欲しくないこともあるのだ。
現に、ハルトの声は急速にトーンを落とし、カメラ越しに見える表情は明らかに曇っている。それを見たアキラは己の失敗に気が付いたが、時すでに遅し。今更さらに別の話題に帰るのは明らかに不自然だ。
ハルトは口をもごもごと動かし、説明するための言葉を探しているようだった。
『ちょっと、友達と喧嘩してね……』
言葉を濁すようにそう言うハルト。
「……ハルト君も友達と喧嘩するの?」
『そりゃあ、するよ。誰だってするさ』
アキラは少し驚いた。
自分のようなまともじゃない人間相手にも怒ったりしないような、優しいハルトが友達と喧嘩をするなんて想像できない。
しかも、様子から察するに、単なる口喧嘩ではないのだろう。
『その友達は……とても悲しいことがあって、そのせいで危険なことをしようとしていた……』
『僕はそれを止めに行った。どうしても心配だったから……ほっとけなくて……』
『でも……余計なお世話だって、言われた』
気が付けばぽつりぽつりと弱音を漏らしていた。
ハルトもまた、自分の胸に溜まったものを少しでも吐き出したかったのかもしれない。それほどまでに、キューマとの確執はショックだった。
『でも、そうかもしれない……僕が良いと思ったことが、相手にとってそうとは限らない』
今までずっと、良かれと思ってやってきたカウンセリング。それだって、本当は意味なんてなかったんじゃないか。
相談してきた相手だって、別に自分の言葉などなくとも、どうにでも出来たに違いない。
世間知らずで、甘ちゃんな自分の言葉が一体何の助けになるというのか。
誰を助けられるというのか。
『偽善なのかな……僕のやってる事は、要らないお節介なのかな……』
今までずっと、自分が正しいと思い込み、自分の考えを相手に押し付けてきただけじゃないのか。
信頼し合っていたキューマにも届かない、無力な言葉しか言えない自分。そんな自分が、誰かを助けるなんて、思い上がりだったのか。
ハルトは自信を喪失していた。
自分が正しいのか。自分の行いがただの自己満足なのではないか。それを今まで自分で考えなかったわけじゃない。別に自分が正しいと思っているわけでもない。
しかしそれは考えても答えが出る問題でもなく、助かって笑顔になる人がいるならと、自分を納得させてきた。
だがキューマの、信頼する友達からの拒絶はそのハルトの疑念を再び呼び起こした。信頼していたからこそ、理解していたと思っていたからこそ、その相手からの拒絶はハルトの自信を打ち砕いたのだ。
うなだれるハルトを監視カメラ越しに見つめるアキラは、そんな姿のハルトを初めて見た。
アキラの前ではいつだって明るく、優しくあろうとハルトが務めていたこともあり、こうして弱音を吐いている姿は初めてだった。
その姿があまりにも悲しげだったから。放っておけなかったから。
衝動的にアキラは声を上げていた。
「……わ、私は!」
アキラは気付けば自分でも驚くくらい大きな声を出していた。
「ハルト君が話してくれて……嬉しかった……」
『えっ……?』
「最初は、その、五月蠅いって……余計なお世話だって思ってたけど……」
決して友好的な出会いではなかった。
自分の事を勝手にかわいそうだと決めつけて、頼んでもいないのに無理やり構ってくる。偽善者、お節介、そんな風に思っていた。
その頃の自分が今のハルトの言葉を聞けば、間違いなくお前は偽善者だと、そう言っただろう。
「でも……この前、ハルト君が昔の話をしてくれた時……私、その時はよく分かんなかったけど……」
でも、時間が経つにつれて少しずつ、少しずつ変わってきた。いつの間にか、ハルトとの会話を心待ちにしていた自分が、心の何処かにいたのだ。
そして前回の騒動で、ハルトは言った。
「私を助けてくれるって……絶対味方でいるって言ってくれて……」
かつて自分も世界に絶望して、自分の殻に引き籠ったと。だからこそ、自分と同じだったアキラを救いたいのだと。自分が救われた様に、アキラを助けたいのだと。
それまで誰も信じられなかったアキラでも信じられた。純粋にそれだけを思っての言葉なのだと。
だからこそ。
「凄く嬉しかった……」
ハルトの言う全てを理解できなくとも、ハルトの想いは届いていた。
「だ、だから……その、無駄、なんかじゃない……ハルト君のやってる事は」
ああ、どうして上手く言葉が出てこないんだろう。
アキラはもどかしかった。
ショーコが泣いていた時もそうだった。もっと気の利いた言葉を伝えたかった。そうすればその涙を止められるかもしれないのに、そう思っていた。
「す、すぐには伝わらないかもしれないけど……でも、その友達だって、いつかは……その……分かってくれるよ」
今もそうだ。自分の気持ちを伝えたいのに、どもったり、つっかえたりする自分の言葉では全然伝わらない。
それでも、精一杯の気持ちを込めた言葉を、一生懸命伝えようとした。
「だって……ハ、ハルト君は、その人の事を、し、真剣に考えて、そうしたんだから」
真摯な想いはきっと伝わる。
自分がそうして救われたように。その人だって、いつかきっと分かってくれる。
『……グスッ』
その時、電話からくぐもった声が聞こえた気がした。
画面に映るハルトは俯いていて顔が見えない。しかし、見えない顔から静かに滴が滴り落ちている。
袖でごしごしと目元をこすり、顔を上げた時には、アキラの知っている優しいハルトの顔が戻ってきていた。
『ありがとう……アキラちゃん……』
電話から聞こえてくる声は、いつもより少し涙声だった。
『また……会いに行っても、いいかな?』
それまではアキラを気にかけて、どこか保護者のような気分で。でも、今度は本当に友人として。
「うん……! いいよ……! 待ってるから……!」
―・―
後書き
相変わらずの亀更新で本当に申し訳ない。もはやテンプレと化した謝罪と挨拶ですが、皆さんお久しぶりです。
私の遅筆の言い訳もいつも通りなのでもう聞きたくもないでしょう。なのでバッサリ割愛して、早速今回の改変ポイントへ。
今回から新たな話となり、原作では『犬と雷』というタイトルでした。そう、ロボットアニメファンの私としては非常にワクワクしたあの回です。しかしその前に色々と下準備としてアニメにはない描写を追加しています。そこが今回の改変ポイントですね。
前回までで、ハルトとサキのアイナへの心情を描写してきました。それぞれがどうアイナの死を受け止めたかを描いたわけです。そして今回は本命、犬塚キューマのターンです。キューマがヴァルヴレイヴに乗りたいと言うのに対して、原作ではハルトはまともなアクションを起こさなかったので、今回補完の意味を兼ねて追加しました。
ハルトとキューマのやり取りはヴァルヴレイヴを見た時から、こう言ったやり取りがあれば盛り上がるのに、と私が思っていたものです。互いが一番の男友達であるキューマとハルト。しかし、どんな友達でも時には対立することがある。信頼していた相手に否定されることは、人間として非常に辛いものです。しかし、友達だからこそ避けられない衝突もある。ハルトとキューマはお互いに否定し合い、そしてお互いに傷ついています。こういった若者の葛藤を上手く描けていればいいのですが。
そして、意外な人物がハルトを助けることになりました。そう、アキラちゃんだよ! コミュ障のアキラちゃんにそんなこと出来るのかとも思いましたが、このSSの彼女は幾分か精神的に成長しているので大丈夫なのです、いいね?
実はアキラちゃんの登場はこの話の構想当初はありませんでした。しかし、ハルトとキューマの対立を描いている最中にふと、今までの自分(ハルト)を否定する友達と、肯定する友達が両方登場した方が面白いのではないかと思いつき、書き加えました。人によっては偽善ともお節介ともとってしまうハルトの行動理念(心の火を護る)。それを否定する人間(エルエルフやキューマ)もいれば、それによって救われた人間(マリエやアキラ)もまたいるのだということが描きたかった。人間関係とは一概に肯定も否定も出来ない、難しいものだということ。そして、助けた人間が今度は助けられるという人同士の支え合い。そんなものが表現できていればいいなと思っています。
今回はちょっと後書きが長くなってしまいましたが、ここまで読んで下さり、ありがとうございました。それではまた次回お会いしましょう!
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