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No.3907の一覧
[0] 然もないと [さもない](2010/05/22 20:06)
[1] 2話[さもない](2009/08/13 15:28)
[2] 3話[さもない](2009/01/30 21:51)
[3] サブシナリオ[さもない](2009/01/31 08:22)
[4] 4話[さもない](2009/02/13 09:01)
[5] 5話(上)[さもない](2009/02/21 16:05)
[6] 5話(下)[さもない](2008/11/21 19:13)
[7] 6話(上)[さもない](2008/11/11 17:35)
[8] サブシナリオ2[さもない](2009/02/19 10:18)
[9] 6話(下)[さもない](2008/10/19 00:38)
[10] 7話(上)[さもない](2009/02/13 13:02)
[11] 7話(下)[さもない](2008/11/11 23:25)
[12] サブシナリオ3[さもない](2008/11/03 11:55)
[13] 8話(上)[さもない](2009/04/24 20:14)
[14] 8話(中)[さもない](2008/11/22 11:28)
[15] 8話(中 その2)[さもない](2009/01/30 13:11)
[16] 8話(下)[さもない](2009/03/08 20:56)
[17] サブシナリオ4[さもない](2009/02/21 18:44)
[18] 9話(上)[さもない](2009/02/28 10:48)
[19] 9話(下)[さもない](2009/02/28 07:51)
[20] サブシナリオ5[さもない](2009/03/08 21:17)
[21] サブシナリオ6[さもない](2009/04/25 07:38)
[22] 10話(上)[さもない](2009/04/25 07:13)
[23] 10話(中)[さもない](2009/07/26 20:57)
[24] 10話(下)[さもない](2009/10/08 09:45)
[25] サブシナリオ7[さもない](2009/08/13 17:54)
[26] 11話[さもない](2009/10/02 14:58)
[27] サブシナリオ8[さもない](2010/06/04 20:00)
[28] サブシナリオ9[さもない](2010/06/04 21:20)
[30] 12話[さもない](2010/07/15 07:39)
[31] サブシナリオ10[さもない](2010/07/17 10:10)
[32] 13話(上)[さもない](2010/10/06 22:05)
[33] 13話(中)[さもない](2011/01/25 18:35)
[34] 13話(下)[さもない](2011/02/12 07:12)
[35] 14話[さもない](2011/02/12 07:11)
[36] サブシナリオ11[さもない](2011/03/27 19:27)
[37] 未完[さもない](2012/04/04 21:58)
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[3907] 14話
Name: さもない◆5e3b2ec4 ID:c33a9c35 前を表示する / 次を表示する
Date: 2011/02/12 07:11





砕けた







「アッハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハッッ!!!!」


「剣」が、幾つもの碧の破片となって。
私の手の中から、こぼれ落ちていく。
砕け散っていく。

響き渡る哄笑を聞きながら。
みんなの悲鳴を聞きながら。
私は、固まった瞳で散っていく「剣」を見つめ、ゆっくりとその事実を受け入れていった。



私は「覚悟」した筈だった。
無色の派閥を、イスラを止めるため、傷付け合う戦いを「覚悟」した筈だった。
この断崖で彼女と相対し、迷いなく「剣」を抜いて、打ち合って。
容赦なく力を振るって、私は、戦った。

けれど。
私の「覚悟」なんてものは。
捨てることのできない迷いに蓋をしただけの、ただの皮相に過ぎなくて。
追い詰めた彼女を前に、私は決意した筈の次の瞬間へ、踏み出すことができなかった。

本当に追い詰められていたのはどっちだったんだろう。
追い詰められてしまったのは、一体いつからだったんだろう。

理不尽な暴力に対抗するには、同じ力を用いるしかないと決意した時か。
言葉を捨てて、持ち続けてきた想いをねじ曲げようとした時か。
守るためではなく、倒すために剣を取ってしまった時か。
“誰か”に、会えなかった時からか。



「…………ぁあ、ぅああああああああああああああああああああああああああああっ!?」



絶叫が迸る。
叫び声は私の口から溢れ出ていた。
何かが壊れていく音。
「剣」と一緒に砕け散った何かが、数え切れない破片となって散らばっていく。

「剣」の破断は意志の破断。
砕けていく碧の欠片は私の「心」だったもの。
音を立てて、「私」が壊れていく。


「ぅあぁ……ぁぁ、あぁ……!」


“誰か”が誰なのかもはや分からなくなったまま、私は子供のように泣きじゃくる。
何も分からない。
もう、何も分からない。
私を呼ぶ声も、彼女が振り上げる「剣」も。
言葉の意味も、大切にしていた何かも……たった一つの本当も。
両目を瞑り、溢れ出る涙を止めどなく流しながら、壊れた私の意識は真っ白に染まっていった。


「…………ぁ」


そっと、何かが私を抱きとめた。
力の失った体をその何かが受け止めてくれている。
温もりに、抱かれている。
薄れていく意識の中、私は僅かな力を振り絞って、震える瞼を開いた。


気を失う寸前、見上げる瞳に映ったのは、後悔に歪んだ“誰か”の顔だった。









然もないと  14話「砕けゆくものと、その後」









切り立った崖の下から吹き上がってくる潮風。
そのふぶく音と砕ける波の音だけが、静まり返る場を無音から遠ざけていた。



岩槍の断崖。
力での解決を決意したアティは、イスラ率いる派閥兵にヘイゼルら紅き手袋と、この険しい崖の上で衝突した。
ウィゼルが見守るもとで行われた戦いの行方は、一方的にもアティ達の終始有利で進んでいく。
とりわけ、全力で「剣」を振るうことを己に課したアティの奮闘ぶりは凄まじかった。上層から襲いかかってくる敵兵をものともせず、その身に秘める召喚力で崖上にいる召喚師達後衛を岩山ごと吹き飛ばしていく。
味方の先頭をひた走る彼女の背中には、悲壮なまでの想いが宿っていた。

──命のやり取りになったとしても
──力じゃなきゃ、もう、止められないから
──これ以上、誰も傷付いてほしくないから

そんな彼女の胸の内を、知る者も、聞いた者も、その場には誰もいなかった。
以前まで彼女の心を赤裸々に引き出し、その度に解きほぐしてきた存在が、この時に限って、彼女の隣にはいなかった。

力ずくで突っ込んでくるアティに、すぐさまイスラも抜剣をして迎撃に乗り出した。
戦闘の趨勢に彼女の思惑が関与していたのかは定かではない。
だが結果として、アティはイスラを追い詰め、その「剣」を彼女の喉元に突きつけるまで至った。

しかし。

「剣」を砕かれたのはアティの方だった。
非情になり切れなかった弱さを、あるいは強さを捨て切れなかった彼女はイスラの逆襲に遭い、一瞬で碧の賢帝を破壊された。

イスラが怒りに歯を食い縛った所を見た者は、誰もいない。
イスラが泣きそうな顔になったのを見た者は、誰もいない。
ただ厳然たる事実として、アティはイスラに敗北した。
それだけが残った。

そうして、今。
敵味方を問わない視線が一点に集まっている。
赤ん坊のように泣き喚きやがて寝静まったアティを、ウィルが、静かに抱きかかえている。
どこからともなく現れ、戦場のど真ん中を横断し、アティのもとへ駆け付けた遅過ぎる援軍は一向に口を開かない。
横抱きの格好で、少年の胸に頭を力なく預ける彼女の頬に、溢れた涙適が幾筋も伝っていく。
崩れ落ちたアティを庇い、今も支え続けているウィルは、押し黙っていた。



静寂が依然と流れている。
湿った風の音だけが生きていた。

膝を地についてアティを片手で抱き締めるウィルの姿に、誰もが声を発するのを忘れている。
彼のもう片方の手が提げるのは、「剣」。
砕け散ったシャルトスであったものを、ウィルは右手で握り締めていた。

それは既に「剣」と言える代物ではない。
破壊された「剣」の残骸。粉々に打ち砕けて刀身を失った、柄だけの存在。もはや剣(つるぎ)とも呼べない惨めなガラクタだった。
しかし残骸と言えど、それは間違いなく「剣」の一部であり。
弱々しくも細い燐光を、確かに灯していた。

「……ウィ、ル」

誰かの唇から転がり落ちた微かな声が、潮風に翻弄された。
ウィル自身の外見に大きな変化はない。
ただ唯一。
その右眼が本来の色を忘れ、碧の輝きを宿していた。


「…………あはっ」


キルスレスを振り上げ固まっていたイスラは、おもむろに口を曲げた。
アティに止めを刺そうとしていた所に現れたウィルを見て、純白の頬が喜びに歪む。
────不完全といえど、『抜剣召喚』。
ウィル・マルティーニは、適格者。
その目の前の事実が、少女に何よりの熱情を投下した。


「あっはははははははははははははははははははははははははははははははははっ!!?」


歓呼、狂笑。
壊してしまった宝箱の鍵を、再び見つけた子供のように。
イスラは喜悦に染まった。


「そっか! そっかぁ!!」


紅の瞳を大きく見開き心の底から歓喜に震える。
有頂天を迎えながら、イスラはウィルに歩み寄ろうとする。


「今度はウィルが私と踊ってくれるんだね!?」









「一人でやってろ」









両断。


「────────」


剣の残骸が燦然と発火する。
呼びかけを一言のもとで叩き斬るウィルの碧眼を見て。
刹那の内に現れた異界へ通ずる巨大な門を仰いで。
イスラの双眸が、不自然に凝結した。


「『牙王アイギス』」


限界突破。







「月下咆哮」







世界が割れた。



『────────────────────────────────────────────────ッッッ!!!?』



爆砕する。
喚び出された圧倒的な巨躯が哮ったその瞬間、空間が比喩なく歪み、岩槍の断崖を粉砕した。
純粋な音の衝撃波。
幻獣界の守護獣、アイギスの口腔から放出された激音の塊が、イスラもろとも付近一帯を呑み込んだ。
耳を聾する神獣の吠声。後に、岩盤が崩壊する。

「逃げろおぉっ!!?」

「巻き込まれるぞっ!!」

ヤッファの叫びとそれに続くミスミの警告も、発生した崖崩れによってすぐにかき消えた。
破界の一撃によって均衡を失った岩槍の断崖は、全身を土砂の波へと変え下へ下へ崩れ落ちる。
比較的下層に陣取っていたカイル達は速やかに退避することに成功したが、イスラを囲むように布陣していた無色の派閥は悲惨だった。
月下咆哮の巻き添えを食らい吹き飛ぶ者、岩に押し潰される者、空中へ放り出される者。逃げる猶予も与えられず人為的災害の餌食となっていく。
絶叫と悲鳴が断続的に響き渡った。

「…………マジかよ」

崖下、浜まで避難したカイルが周囲の者達の心の声を代弁した。
原型を失った崖の中腹に刻まれた巨大なクレーター。深い。まるで干上がった底深い湖のようだ。その中央で身じろぎする紅く塗り染まった人影は、イスラか。
Sランク────最上級召喚術。その威力を見せつけられたカイル達は放心したようにしばし立ち尽くした。
白虎を彷彿させる巨大な四足獣は、鬣を振って空に吠えると、送還の光とともにその姿を消した。

後に残ったのは、呆気ない幕切れと、海の浅瀬にまで雪崩れた岩石群。
そして、その上に立つウィルのみだ。

「っ……ウィ、ウィルッ!」

静かに立っているその背中に、アルディラは堪らず声を張った。
アティを横抱きに抱えたウィルはしばらく視線を例のクレーターに縫い止めていた後、ゆらりと振り返った。
片方だけ碧に染まった瞳。柄を握る右手も手首まで白化している。

それを見た護人達は体を震わした。
『ウィルは適格者』。アルディラの推測が現実のものとなる。
しかし推測をした本人さえも、その光景をいざ目の当たりにして感じたのは動揺と、戦慄だった。

「カイル」

「お、おう……」

「先生、お願い」

普段と変わらない筈の落ち着きを払った表情に、今ばかりはちぐはぐな違和感を覚えながら、カイルは差し出されたアティの体を引き継ぐ。
ウィルは涙の乾かないアティの顔を見て、それからすぐに断崖に振り返った。

「みんな、このまま逃げて」

『!?』

一斉に面食らうカイル達に、ウィルは背を向けたまま続ける。

「敵の増援が来てる」

カイル達が振り仰いだ崖の頂上には、オルドレイクを始め派閥の本隊が集結しつつあった。
遥か頭上で多くの目が此方を見下ろしてきている。疲弊したカイル達にはあの全ての敵とやり合うのは荷が重過ぎる。
またあれほどの攻撃を直撃したにも関わらず、イスラも復活の兆しを見せていた。

「あ、あたし達に仲間を見捨てる真似しろって言うの!?」

「ぶっちゃけ、“今の”僕一人なら適当に時間を稼いで逃げ切れるんだ。でもみんながいると、それもできない」

「っ……!!」

ソノラの怒声にウィルは淡々と返す。
小さな背中が突きつける事実に彼女は唇を噛み締め、泣きそうな顔になった。
前を向くウィルは、見えない筈のその感情の機微を悟ったように、「大丈夫だから」と言うような仕草で柄を持つ白手を軽く持ち上げてみせる。
賢帝の欠片がそれを後押しするように光を放った。

「……ずらかるぞ」

「ヤッファさん!?」

「……どの道、あの規模をまともに相手することなんて今の私達にはできないわ。アティの容態も気になる……一刻も早くここを離れるのが得策よ、ファリエル」

冷静に現状分析するヤッファとアルディラにファリエルは言い寄ろうとして、止まった。
吐け気を堪えるかのようにウィルの背中をぎりぎりと見据えている二人の顔に、深い懊悩の色を読み取ったからだ。
彼等の主人、ファリエルの兄と交わした最後の瞬間を今この時とだぶらせて、それでも決断を下している護人二人を、ファリエルは責めることができなかった。

「……っ、ウィル!」

アルディラ達は断ち切るように前から視線を外し、背後に控えるクノン達に向いて指示を出し始める。
ファリエルはそんな彼等を見てられず、縋るようにウィルへ視線を馳せようとした。
振り返る。



少年の形が、消えかかっていた。



「────────」

少なくともファリエルにはそう見えた。
ジジ、とビデオテープのすれるような音がウィルの背を取り巻いたかと思うと、彼の形が希薄になり、代わりに一つの姿が空気に溶けるように浮かび上がった。
赤い髪。黒いマフラー。広い背中。
ファリエルは、青年の背中を目にした。

「……ぇ」

呆然とする。
強烈な既視感をファリエルは抱かずにはいられなかった。

(ア、 ティ……?)

「ファリエル、何をやっているの!? 急ぎなさい!」

思考は強い叱咤によって中断された。
ファリエルは肩を揺らしてぎこちなくアルディラの方を見る。

「ね、義姉さん……」

「あの子のことを思うなら、今は走りなさい!」

義姉がそれに気付いた様子はない。
ファリエルがもう一度視線を前に戻すと、瞳に映るのは、見知った少年の背中だけだった。
黒鉄の護衛獣を召喚して、臨戦態勢に入る。

「……っ」

後ろ髪を引かれる思いを胸に抱えながら。
ファリエルは少年の無事を願って、この場を離れるしかなかった。













「ぐっ、ぎ……!?」

がらがらと音を立て、断層に半分埋まりかけている体を起こす。
腕はズタズタになり、右足も千切れかけている。
『真紅の鼓動』による治癒が追いつかない。砕けたとはいえ「剣」の魔力を上乗せした咆撃は、イスラに大きなダメージを与えていた。
歯を食い縛りながら、彼女はなんとか五体満足の状態まで行き着く。

「……!」

嫌な音とともに岩の裂け目が周囲に走った。
イスラは咄嗟に立ち上がり、次には上層へと大きく跳躍する。
彼女の着地を待たずして円環状の窪地は形を崩し、小規模な岩なだれを再び発生させた。
崩れていく足場を次々と器用に飛び移り、イスラは頂上の安全地帯まで辿り着く。

「……わーお」

膨大な土砂と巨大な岩々が青い海を侵食している光景は圧巻だった。
あの険しい自然の砦が中あいほどまでこぞって削り取られている。立ち込める煙は空から降る日差しを薄らと浸透させていた。
眼下の光景、とりわけ奥の方で此方を見上げてきている一人の少年に、イスラは頬を紅潮させながら笑った。
己の念願が果たせることを確信したかのように。

「何を笑っている、同士イスラよ」

「…………」

背後からかかる声に、イスラはちらと顧みた。
眉間に皺を寄せ、鋭く双眼を構えるオルドレイクが睨み付けていた。
周囲を取り巻くツェリーヌ、ウィゼルともども、剣呑な空気が辺りに散漫している。

「奪回すべき『剣』を破壊してしまうとは……今までの功績だけではこの失態、見逃すわけにはいかぬぞっ……」

殺気を募らせオルドレイクは告げた。
派閥兵士が首領の怒りを受け静かに武器を構え出す。
イスラはその様子を見て、笑みを引っ込める。
水平線の広がる前方の光景に視線を戻して、邪魔くさいなぁ、と目の横で揺れる長い白髪をすくって耳の後ろに流してから、くるっとオルドレイク達に向き直った。

「待ってください、オルドレイク様。私にも考えがあってのことなんです」

にこっ、笑みを作りイスラはそう言い切る

「何だと……?」

「失礼ながら、オルドレイク様は一つの考えに囚われ過ぎかと」

恭しい動作で距離を詰めていく。
怪訝な顔をするオルドレイクに、イスラは一種の自信を覗かせながら歩み寄った。

「何が言いたい。はっきりと言え」

「ですから、考え方を少し変えてみてください、オルドレイク様」

粗相の働けない間隔を残して立ち止り、イスラは首を横に傾げてみせる。
穏やかな笑みで、「そうすれば……」とイスラは言葉を続けた。



「────ほら、こうなることも簡単に思いつくでしょ?」



刺突。

「ぬがあぁッ!!?」

一瞬で間合いを埋め、イスラは「剣」をオルドレイクの胸へ見舞った。

「痛い? ねぇ、痛い? 体を剣で貫かれて、泣き叫んじゃうくらいに痛い? だったらほら、腹の底から叫んでみなよ?」

「ぐ、がぁあぁあああぁぁああああああああっっ!?」

「あははっ、汚い声」

肉を穿つキルスレスをゆっくりと回すと、狂ったオルゴールのように絶叫が鳴った。
瞳を開き切った狂気の表情で、イスラは口を思いっ切り吊り上げた。

「あ……貴方ぁぁっ!?」

「化けの皮を剥がしたか、小娘!!」

繰り出されたウィゼルの斬撃をイスラは後ろに跳んで回避する。
オルドレイクから「剣」が引き抜かれた瞬間、大量の血飛沫が足場に飛び散った。

「ずっ、ぎぁっ、あ、があっ……!?」

「あははははははっ!! 私がさぁ、本当に君達の飼い猫に成り下がったと思ってたのぉ? そんな訳……ある筈ないじゃんっ!」

口から、穴の空いた胸から血を溢れさせるオルドレイクに、肩を揺すりながらイスラは嗤った。
ツェリーヌの必死の召喚術が傷を癒すが、易々と傷口は塞がらない。
呪いに匹敵する「剣」の傷は、死霊の女王の名を持つ彼女をもってしても、瞬間治癒はかなわなかった。

「毎晩寝る時にさぁ、ずっとこんな光景を膨らませてきたんだよ。私をこんな体にした相手にツケを払わせて、思いっ切り見下してあげるって。ふふふっ、ひっ、アッハハハハハハハハッ!!!」

「ッッ……その娘を、殺しなさないっ!!」

倒れ伏すオルドレイクに代わりツェリーヌが号令する。
動揺を見せる派閥兵だったが、すぐ機械的にその命令を受信し、実行に移った。

「じゃまー」

飛びかかった剣兵三人を、イスラは「剣」一振りで対応した。
大塗りの紅の軌跡が空間に刻まれた瞬間、途轍もない勢いで三つの体が後方の森林に叩きつけられる。呻き声と鮮血が飛び散り、糸の切れた人形のように彼等は動かなくなった。
理不尽ともいえる光景に、残りの派閥兵が凍ったように立ち止まる。

「んん?」

ウィゼルが腰を落とし、刀を構える。
それの放たれる直前に気が付いたイスラは目を細め、何をする訳でもなく棒立ちとなってたたずんだ。

「──────!!」

張り詰めた弦を彷彿させる、鋭い抜刀音。
横合いから迫る神速の斬撃を、イスラは黙って受けた。
『居合い斬り・絶』が彼女の体にめり込む。左腕を切断し、体内にも斬閃が到達する。
が、次には『真紅の鼓動』が発動。
ずれ落ちかける左腕が瞬時に元通りと化し、体の傷もあっという間になかったことにした。

「躱せないけど、躱す必要もないって……ねッ!」

無造作にイスラはキルスレスを振るう。
紅い魔力の衝撃波がウィゼルに肉薄した。

「!!」

ウィゼルが俊敏な動きで横に跳んだ後、もといた場所は勢いよく爆ぜた。
片目を瞑る彼の右手は、ぼろぼろに破れた裾と一緒に血がぽたぽたと滴っていた。

「究極の武器っていうやつの錆にでもなっちゃう? 凄腕の鍛治氏さんなら、本望でしょ?」

「…………」

嘲るようにイスラは言った。
ウィゼルは常態を崩さず、観察するようにイスラを見つめる。
隙なくたたずむ彼は数秒後、ぱっと消える動きでツェリーヌのもとに移った。

「退くぞ、ツェリーヌ。時間を浪費するだけだ。船に戻り、本腰を据えてかからなければこやつは助かるまい」

「は、はいっ!」

告げられた内容にはっと目の色を変えたツェリーヌは、残存する兵に撤収命令を出した。
迅速に部隊が移動する間にもウィゼルはイスラと正対し、刀を持つ。
イスラの方は、もうその気はないとでも言うように「剣」の先端でコツコツと地面を叩き、抱えられるオルドレイクに流し目を送る。

「逃がしてあげる。惨めったらしく生き繋いで、私の苦痛の百万分の一でも味わうといいよ」

くつくつと笑みを噛み殺すイスラを、片目を瞑ったままウィゼルは見据え、完全に部隊が森の奥へ消えた所で自らも背を翻した。
一人となったイスラは抜剣を解除し、崖下を見下す。
ずっと様子を見守っていたウィルが、体勢を変えることなく彼女を仰いでいた。

「ふふっ……ホント、嬉しい誤算だよ」

遠く離れた彼には届かない声で、本心を吐露する。
しがらみの全てから解放されたように、晴々とした表情でイスラは目を瞑った。

「ウィル……殺しにきてね、私を」

アティの仇討ちをしたいのなら、とそう続ける。
恋人に向けるような熱い眼差しをウィルに注ぎながら、イスラは陶酔して言った。

「待ってるよ。ずっと、待ってる……」

その言葉を最後に、イスラも断崖から消えていった。






「…………」

は、と誰もいなくなった岩槍の断層でウィルは吐息をついた。
握っていたシャルトスの柄が光りをしぼめ、伴ってウィルの瞳も手も常時の色を取り戻す。
今度こそ、一連の戦闘の幕が下りた。

『マスター……』

「……ん。僕の方はいいから、みんなの所に行って。僕には掠り傷無しってことと、さっきの顛末を報告して欲しい」

低いヴァルゼルドの声にどこか気遣いの音が含まれている。
それに気付かない振りをしながら、ウィルは指示を出す。

『マスターは?』

「僕は……もうちょい、此処にいるよ」

『…………』

「何にもないって。ただ……少し、一人になりたいだけだから」

『……了解しました』

すいません、とヴァルゼルドは何故か謝って、ウィルはそんな護衛獣の態度に、苦笑した。
そっと差し出される鋼鉄の手にテコを乗せて、一緒に帰ってもらう。
ヴァルゼルドの肩に置かれたテコは心配そうな瞳で、姿が隠れるまでウィルを見つめ続けていた。

「…………はぁぁ」

大きな溜息を今度は遠慮なく吐き出す。
脱力する体に後悔とやるせなさを盛大に乗せ、ウィルは地面を見下ろした。
しばらくアティのことを思い出して、静かに憤死しそうになった。

「…………むん」

切り換える。
事件はまだ何も解決しちゃあいない、と己に言い聞かせた。
顔を上げて辺りを見回す。探し物があったら間違いなく見つけられないだろう、岩と土砂に埋もれた崖崩れ跡が蕩然と広がっていた。

ウィルはシャルトスの柄を眼前に持ち上げ、魔力を込める。
うっすらと発光する柄を探知機のように巡らすと、ふっ、ふっ、と細い光が足場から立ち昇った。
近くにある光へ歩み寄り、その岩と岩の間に手を突っ込むと、出てくるのは角砂糖ほどもない、サモナイト鉱石の塊。
あと幾つもあるとも知れない「剣」の欠片を、ウィルは地道に一つずつ回収していった。

「ん、っ……」

「!」

そして、土砂を掘り起こした折だった。耳を澄まさなければ聞き取れない、僅かな声音をウィルが知覚したのは。
察知すると同時に跳び退り投具を構える。
土砂の降り注いだ経路から一つ横に逸れた、浜辺の方角。警戒を緩めず声の出所へ近寄り、周囲にも気を配りながら、そっとそこを窺った。

(え゛っ……)

瞬く間に凍りついた。
砂浜に転がっていたのは、血のような赤い衣装に身を包んだ小柄な体。
背中の中ほどまで伸びた琥珀色の髪。
見間違う筈もない暗殺者の少女、ヘイゼルがいた。

「……!?」

さっ!さっ! とウィルは右左を見回してから、寝込んでいるヘイゼルを見下ろして、さぁーっ!と顔を全開で青ざめる。
わたわたとまごついて、やがてばっと身を翻し体の安否を確かめた。

(息はある、けど…………足が、折れてらっしゃる……っ!?)

────アティに続き、二人目の女性の犠牲者が自分の手によって!!
ショックの余り「ひゅ」と息が喉に詰まり、ウィルは危うく卒倒しかけた。

骨折以外に目立った外傷はない。
あの崩落に巻き込まれた中で浜辺へ落下したのが僥倖だったのだろう。
恐らく意図的ではあろうが、柔らかい砂地に激突したことで衝撃が拡散したのだ。似たような経験があるウィルには、何とはなしにそれが理解できる。「彼」の場合上半身が丸々埋まったが。
だが結局、自分の手が招いた事故だということは変わらない。

「ぅ、ぁ……」

(あばばばばばばばば!?!?)

善かれと思って敢行した敵大掃除作戦が裏目に出た。
ていうか頭に血が昇ってヘイゼルの存在を忘れていた。
ていうか、こんなのもん気にする方が無理だ。
あちこち服が破れかけているヘイゼルを見て、ウィルは自責と言い訳を交互に汗をダラダラと流した。

「……こんなことしてる場合じゃないっ!?」

側で膝を折り、細心の注意を払いながら抱き起す。
ヴァルゼルドを召喚しようかと思ったが、余計な混乱と騒動を逆に召喚してしまいそうなので中止する。
「剣」を用いて共界線から魔力を引き出し、身体強化。
アティの時もそうだったように、自分より一回り大きいヘイゼルの体を、ウィルの細腕が難なく持ち上げた。
ていうかヘイゼルさん軽っ、とウィルは奇しくもスカーレルと同じことを感じた。

(リペアセンターは……無理かっ!)

少なくとも、今はすんなりと受け入れてもらえないだろう。
ええいままよっ、とウィルは駆け出す。
破片の回収作業を切り上げ、全速力でその場を後にした。













「命に別状はなし……数日は満足に歩けないかもしれないけど、まっ、安心していいわよ~」

「そっか……」

メイメイの言葉を聞いて、ウィルは安堵の息をついた。
緊急避難場所として彼が選んだのは彼女の店。限られた選択肢ではここが最良だっただろう。
無限回廊の件も含めてしばらく頭が上がらなそうだと、ウィルは心の中で呟いた。

「でも服がズタボロ泥だらけ。とーぜんゴミ箱行き。メイメイさんの服はちょいあの娘には大きそうだし、どうするぅ?」

「どう、するって……」

じゃあ今はヘイゼルさんどんな格好してはるんですか、と一瞬の恐ろしい邪念が過ったが、今それに触れると確実ニ死ヌと言い聞かせウィルは頭を振った。
犬天使をもってして胸囲的と言わしめた凶器は伊達ではないのだ。
僅かの間、黙考する。

「……あれ、『タイガーチャイナ』でも着せとけば?」

「ああ、無限回廊で拾ったやつ。そうしましょうか」

ヘイゼルの最初の罰ゲームが決まった瞬間だった。

「にしても……無限回廊から出てきたらこんなにも時間が経過してたなんて、ね」

「……誰のせいだと思ってるんだ」

「何よー? 私のせいだって言うのー?」

他にいないだろ、とウィルは恨みがましい目付きを向ける。
メイメイはそれに対して眉尾を吊り上げ反抗する。

「もとはと言えば、貴方がどんどん下の階層進んじゃったからいけないんでしょう? 身の程知らないでずんずんズンズン……面倒事メイメイさんにぜーんぶ押し付けてっ。『ヒトガタの符』なんて使い切っちゃったしぃ……!!」

わなわなと震えるメイメイは真面目に鶏冠に来ているようだった。
本人と能力が全く変わらない分身を作り出すという出鱈目なアイテム、「ヒトガタの符」をウィルの手によって全て消費されてしまったからだ。店の帳簿的に言えば、その損失は大打撃どころの話ではない。
狸の戦略と人員過多な偽カイル達無敵軍団が相まって、ウィル達は無限回廊の最下層まで到達してしまっていた。

「あんな便利なアイテム使わなきゃ損だろ?」

「節度ってもんがあるでしょーが!?」

「だって、あんなジルゴーダの進化系が出てくるなんて聞いてなかったし……」

ゴルゴーダとかいう訳の分からない魔蟲とその女王蟲×3という当時の光景がフラッシュバックしたのか、ウィルはぶるっと震える。
蟲がうぞうぞと溢れている地獄のようなその階層では、正直、発狂寸前だった。

「そもそもメイメイさんの話の通りだったら、最下層に着いた時点でも、こっちの時間は夜も明けてなかった筈だぞ」

「うっ……」

「……絶対あの人外召喚術合戦のせいだ」

「じ、人外とか言うんじゃにゃいっ!」

最深部、人型の幻影達に紛れ込んでいた「幻影龍妃」とかいう黒メイメイとの衝突を思い出す。
黒メイメイの召喚師した黒い「龍神オボロ」と、それに泡を食ったメイメイが迎撃に乗り出し喚び寄せたもう一匹の「龍神オボロ」。
Sクラス同士の召喚術の衝突の中、ウィルは確かに最終界廊全体が空間のうねりとともに歪むのを感じ取った。
凄まじい力のぶつかり合いに、あの最下層における時間の概念が狂ったとウィルは推測している。
──事実その通りだったので、先程まで息巻いていたメイメイは口ごもった。

「…………いや、でも」

しかしウィルは、そこでメイメイを睨むのを止めた。

「結局間に合っていても……多分、今回のことは避けられなかったような気がする」

「……」

「あの人が追い詰められてたの、気付いてやれなかった」

顎を引き、ウィルは顔を暗くする。
シャルトスの破壊。それに伴うアティの心のダメージ。ともすれば、取り返しのつかないほどの。
涙を流し崩れるアティの姿が脳裏に蘇り、一層鈍い痛みが走った。

鈍感だった自分に対して胸にちらつくのは嫌悪の影だ。
アティは自分と神経の作りが違うと分かっていた筈。「自分」の時のように「剣」が破壊されずに済むなんてことも、あの時点では憶測に過ぎないのは理解していた筈。
……自分自身も、焦っていたのかもしれない。予想以上のイスラの力に。
これまでの幾つもの出来事を振り返って、ウィルはそのように自己分析する。

「心配……? アティのこと」

「……勿論」

「でも」、と一言を置く。
俯き加減の顔を上げて、引き締めた顔でメイメイを見返した。

「立つよ、あの人は」

自信や確信に固められた言葉ではなかった。
あるのは、信頼。

「どんなに時間がかかっても、あの人は自分の足で立ち上がる」

「剣」が砕けたくらいじゃ彼女は壊れないと、先達の抜剣者は言い切った。
毅然とするそんなウィルの顔を見て、メイメイは目尻を和らげる。

「行ってくる」

「アティの所?」

「いや。まだ起きてないだろうし……今は、僕ができることをする」

反撃の狼煙を仕込んでくると、ウィルは歩き出す。
全てのことが終わったら、一杯話そう。嫌と思われるくらい、彼女と沢山の言葉を交わそう。
言葉の力を信じていた彼女に、それは決して間違いなんかではないことを、思い出してもらおう。
それまで、自分が彼女を守り抜く。

「ウィル」

「何?」

「無理しちゃ駄目よ?」

「みんなに無理してもらう予定だから、大丈夫」

あのねぇ、と苦笑された雰囲気を背で感じながら、ドアの前に立った。
ドアノブを掴んで回し、太陽の光を浴びる。

「いってらしゃい」

「ああ」

空は、果てしなく蒼かった。













「…………」

キュウマは目を閉じて、構えていた。
竹藪に囲まれた鎮主の社は粛々とした静けさが横たわっている。
自分以外誰もいない空間で、彼は瞑想に耽るように押し黙り、己の内側に没入していた。
腰に差した刀を持つ手がピクリと震える。

「く……っ」

そこで初めて顔が苦渋に歪んだ。
額に丸い汗を一粒二粒溜めながら、此処にはいない、見えない何かと水面下の争いを繰り広げる。
時間が経過するにつれ表情は険しくなっていき、がさっと竹林が風に揺れた瞬間、一気に開眼した。

「────ふっ!!」

刀が閃く。
息を呑むほどの鋭い音響が辺りに木霊し、目の前を舞う細長い竹の葉が、真っ二つに切断された。
竹のざわめきがしばらくの間その場を満たす。

「勝てない……」

刀を抜いた態勢で固まっていたキュウマは、刀身を鞘に戻してぼそりと力なく呟いた。
仮想の敵、心で描く想像上の相手と何度も何度もし合っても、結果は全て同じ。抵抗虚しく自分の体が無残に割られる。
老剣客、ウィゼル。
先日、剣の腕前を見せつけられた侍に、キュウマはイメージの中でどうしても勝つことができなかった。

(抜刀の初動が、違い過ぎるっ……)

それだけではない。
間合いの取り方、足運び、何事にも動じない湖面のような静謐な心、威圧、剣気。
多くの要素から、実力そのものに大きな隔たりが生じている。

(正面からは戦わず、敵の虚を突くのが忍びの極意……)

奇襲、不意打ち、搦め手。
しかしそれらも、不意が不意に成り得ないあの剣豪に果たして通用するものなのか。
柳のごとくいかなる風も往なし、逆に斬閃を見舞ってくる『返しの刃』。
一人の剣士として、ウィゼルは完成され過ぎていた。

(…………)

真っ向から立ち向かっても無謀な敵。遠距離から召喚師が相手取ろうにも、あの距離を問わない斬撃によって、むしろ相性という点では最悪に等しい。
故に、ウィゼルを受け持つのは本来ならばキュウマの役割だ。正面から挑まないという点では、忍である彼が一番適任だった。

(……私では、敵わないのか)

しかし、剣の腕前は足元にも及ばず、いち忍としても十分に渡り合うことができず。
戦場で悠然とたたずむウィゼルを目にする度に、その見解は深まっていくばかり。
無力感が全身を支配する。
生真面目過ぎるきらいがあるキュウマは、苦悩に苛まれ失意に沈みかけていた。

「────!?」

突然の殺気。
警戒を微塵も払っていなかった中、目の届かない後方から襲撃が行われる。
キュウマは素早く地を蹴った。間一髪、苦無が地面に突き刺さる。

『ほう。腐り切っていたかと思えば、存外に動けるらしい』

「貴様は……!?」

放たれた攻撃から位置を割り出し振り向くのと、襲撃者の声が降ってきたのは同時だった。
敵は上にいた。社の屋根に立つのはボロボロの黒い外套。
キュウマはそのシルエットを一度たりとも忘れたことがない。

「野人二足!!」

『……うん、まぁ、呼び名はどうでもいい』

一度しか見えてないにも関わらず、キュウマにとって仇敵といって差し支えのない相手、野人二足。
寝床で何度うなされたか分からない諸悪の元凶が、今度こそキュウマの目の前に現れた。

「そこは我が主が眠る場所、今すぐその汚い足をどけろッッ!」

『仕えていた過去の主にも未だ忠誠を続ける……なるほど、忍の鏡だ。しかし、既にいなくなった者を気にしている余裕が、今のお前にはあるのか?』

激昂しかけるキュウマとは対照的に、野人二足は淡々と言葉を連ねる。
記憶にある立ち姿と微妙に異なる気がして、キュウマは僅かな違和を感じていた。
身長はあれほど高かったか。以前落とし穴の中から見上げた時は、高低差を差し引いてももっと小柄だったような気がする。
いや些細なことだ、とキュウマはその雑念を払い、それ以降頓着することはなかったが。

「何が言いたいっ……!」

『今この島にいる剣士……あの御仁の刀の錆に成り果てない算段はあるのか、そう尋ねている』

「!!」

震えた。
まるで己の心を見透かしたかのような指摘に、キュウマは驚きを隠せず瞠目する。
その様子を見て、肌の一部も見えない黒装束は『ふむ』と顎に手をやる仕草をした。

『どうやら無粋な質問だったようだ。実際に刃を交わしてもいない相手に尻込んでいる時点で、程度が知れていたな。許せよ』

「ッ……!」

焚きつけるような言い方に、キュウマは眉を吊り上げた。
それまでの後ろ向きな思考が灰となって燃え尽き、代わりに煮え滾る闘志が腹の底から湧き立ってくる。
塞ぎ込んでいたそれまでの姿勢が一瞬で改まった。
その瞬間、野人二足の外套の奥に埋まる目が、キラリと光った……ような気がした。

『そうだ、自嘲は何も生まん。今のお前に必要なのは安易な打算ではなく、何が何でも敵を撃ち破ろうという気概だ』

「……っ?」

人を小馬鹿にするような言動から裏返った態度と声音に、キュウマは混乱する。
そして次の発言に、キュウマは一段と心臓を鳴らした。

『────打ち勝ってみせろ、ウィゼルに』

「!?」

呆然と自分を見上げるキュウマに構わず、黒装束は続ける。

『奴の居合いは神業の域に達している。見ても間に合わん。感じろ』

『呼吸を、筋肉の僅かな流動を、動作の機微を。僅かな前触れも逃すな。全神経を集中し、見極めろ』

『暗殺者として標的を見定めてきたその洞察力ならば、可能な筈だ』

畳みかけるように告げられる言葉によって、次々と動揺の波が起こる。
特に最後の台詞はキュウマに強烈な衝撃を与えた。
この島がまだ無色の派閥の実験場だった頃、キュウマは召喚師達に暗殺者として召喚された。派閥の定める破壊活動を担うのを始め、組織に仇なす存在、不穏分子、用済みとなった人材あるいは召喚獣、それらの処理を押し付けられたのだ。
リクトという主君に出会えなければ、血を求め続ける抜き身の刃に変わり果てていただろうと、キュウマは過去の自分を顧みてそう思っている。

護人とミスミを除けば知る者はいない事柄を、何故────。
瞳を揺らしてキュウマは、風に煽られる黒装束を見つめた。

『剣士としての腕と忍としての技量を足し合わせても、伯仲には足り得ない。だが、アサシンとしての研ぎ澄まされた感覚を上乗せすれば、銀砂ほどに過ぎずとも、勝機は見えてくる』

「……」

『暗殺者としての自分に舞い戻る必要はない。少しでいい、受け入れろ。穢らわしい汚点として忌避するのではなく、今日のためだけに培った力として、思い出せ』

「思い出す……」

『少なくともあの剣豪は、必要な力を見境なく、己の血肉として取り込んできた筈だ』

知れず耳を傾けていた。
何事かを企む訳でもなく、純粋にキュウマの可能性を引き出そうとしている声音。尋ねずとも真意があちら側からやって来た。
先程口にしたように、勝ってみせろの一言が、ひしひしと言葉遣いから伝わってくる。

『……くれてやる』

おもむろに、腕を振るように外套がばさりと揺れた。
投じられたそれは宙で円を描き、ザンッと音を立ててキュウマの目の前に突き立つ。

「これは……」

『銘刀サツマハヤト……この世に二本とない名刀だ』

手を伸ばし、柄を引き上げあらわになった刀身を見て、キュウマは唾を飲んだ。
一切曇りのない銀の刃。刀を扱う者として、その切れ味を振るう前に察する。
下手をすれば逆に自分が振り回されかねない、極限の神刀。

『使いこなしてみせろ。……さらばだ』

「っ、待て! 何故、自分に肩入れするような真似をする!?」

立ち去ろうとする黒装束にキュウマは声を荒げた。
踵を返そうとした野人二足はその声に動きをぴたりと止め、考える素振りをする。
そして、

『忍の可能性が知りたい、それだけだ』

簡潔に述べて、黒装束はその場から姿を消した。

「…………」

キュウマはまた一人となった竹藪で立ち通し、些少の間、無言を連ねた。
どこまであの男のことを信用していいかは分からない。得体の知れない相手だ、初見の一件もある、むしろ信を置くだけの価値はないのかもしれない。けれど。
『ニンジャの素養を計るために出没する』……ウィルの言っていた話を思い出す。
あの男もまた忍として、研鑽と鍛錬を積み重ね今を生きる、生粋の「ニンジャ」なのかもしれない。

「……助太刀、御免」

だから、キュウマは信じてみることにした。そして自分の力を、忍としての器を見せつけてやることにした。
託されたサツマハヤトに視線を落とす。
刀の腹に移る双眼からは、既に迷いは消えていた。








「えーと、面倒な奴は終わって、と……次はミスミ様か?」

「ミャミャー」

フードに当たる外套を脱いでウィルは林を駆ける。
キュウマの純情を玩んだ狸はそれを歯牙にもかけず、次なる予定に思考を割いていた。
ウィルの頭の上に乗って黒装束の顔面部分を務めていたテコは、若干乗り出して不思議そうな声を出した。

「ミャーミャ?」

「ん? キュウマにも直接渡せば良かったんじゃないのかって?」

「ミュミュ」

「いやー、あいつ真面目過ぎるから、演出臭くても雰囲気作ってやった方が薬になるんじゃないかってさ」

「ミュー?」

まぁ、効果はあった筈だとウィルは考える。
発破をかける前と後では目の輝きが違った。ウィルが普通にハイとサツマハヤトを渡しても、モチベーション的な関係で、あそこまで燃えるまでにはいかなかっただろう。
真面目腐りがちな忍者には、劇的なくらいが丁度いいとあんまりなことを思うウィルだった。

(少なくとも、名刀(サツマハヤト)にジジイは反応する筈……)

果たしてその真意は、忍者を生贄に捧げる気満々。
ジジイ相手だから死にゃあしないと勝手に高をくくっている。
さすが狸きたない。

「お宝はあと幾つあったけ?」

『残り六つほどです』

ウィルの問いに、ヴァルゼルドが返答する。
ウィルの真横を付き添う護衛獣は、両手に一杯のアイテムを抱えながらガシャガシャ音を立てて走っていた。

ウィルのできること、それは即ち反則級武器による味方強化に他ならなかった。

無限回廊で入手した戦利品を引っ提げ、ウィル一行は味方パーティのもとに順々と巡っていく。
攻撃力を中心に、恐ろしいまでカイル達の戦闘能力が上昇していくのを、今は誰も知らない。













「……お前か。何の用だ?」

「んー、まぁ、色々……」

すっかり日が暮れた時間帯。
あらかたアイテム配付を終えた俺は、リペアセンターにやって来ていた。
自動扉を越えて俺を最初に迎えたのはアズリア。怪訝な顔をしつつも、以前のような邪険な振る舞いは見られない。
昨日──俺の体感時間ではもう何か月も前だが──助けられた件といい、いつの間にか彼女は俺のことを少なからず認めてくれたようだった。……嬉しいような嬉しくないような。

「取りあえず、お礼を伝えるのを忘れてたので。……助けてくれて、ありがとうございます」

「……軍人が一般人を助けるのは義務だ。改まって礼など言われる筋合いはない」

そっぽを向いてアズリアは、俺の感謝を素直に受け取らなかった。
びみょーに頬がピンク色になっている。照れてるんだろうけど……ナニこの可愛い物体?
「記憶」が正しいなら、この後いつも斬りかかられたんだが……。照れ隠し? 馬鹿言うんじゃありませんよ、剣を振り回す照れ隠しがどこにあるんすか。

「レックス」とウィルとではこうも違いが現れるのかと、俺は顔に若干の翳りを差して死んだ魚の目をした。
現状は喜ばしいといえば喜ばしいのだろうが……なんかこう、複雑だ。

「それだけか? なら、すぐにでも帰れ。夜道は危険だ」

「……いえ、実は聞きたいことがあるんです。貴方に」

「私に……?」

俺の言葉に眉を曲げるアズリア。
無意識に腹へ手を伸ばしながら、俺は余り他の人に聞かれたくないことを伝えた。
アズリアは奥のベッドで休息したり談話している帝国軍兵士達を見やって、ふむ、と思案する。

「なら、ここの屋上でいいだろう。あそこなら聞き耳を立てられることもない」

「分かりました」

付いてこい、と言わんばかりに歩み出す背中に、俺はアヒルの子供のように従った。




「ワカメ……ビジュさんの容態は大丈夫なんですか?」

「峠は越えた、そうだ。今はまだ意識を失っているが、快方に向かっているとクノンは言っていた」

周囲の施設の灯りで照らされる屋上にて、アズリアと向き合う。
自分を助けた部下のことを内心では気に病みながらも、彼女はそれを俺の前ではおくびにも出さなかった。
付き合いが長すぎただけに筒抜けだが、そんな姿が懐かしく感じられ、なんとはなしに微笑ましかった。

「アティもまだ眠ったまま……起きる気配がない。いいのか、お前は。こんな所で油を売っていて?」

「お見舞いには、もう行ってきました。面会謝絶だって、クノンにもアルディラにも言われちゃって」

「そう、か」

ふぅ、と小さい吐息をつくアズリアの目元には、疲れの色が滲んでいた。
自分の妹が引き起こしている惨事に、胸を痛めているだろうことは察しがつく。
気にするな、と言えない今の自分が、少し歯痒い。

「……すいません、いいですか?」

「ん、すまん。私で答えられることなら、できる限り話そう」

頭を振ってアズリアは此方を正視する。
実直な人柄は相変わらず。だから俺も遠慮することなく聞きたいことを尋ねる。

「先生が軍を止めた原因……理由。知っていたら、教えてください」

「…………」

アティさんに以前聞いた話が本当なら、軍を退役した理由は「俺」と大きく異なっている。
軍人は自分には合わなかった、なんて言っていたが、あの人は元々医療方面の知識も豊富に揃えていた筈だ。看護関係の役職にもつけられた、軍をわざわざ抜ける必要は薄いように思える。
今回の事件も作用して、そこに何か引っかかりを覚えた俺は、彼女の近くにいたアズリアに真相を聞くことにした。

アズリアは一瞬黙り込む。
目を瞑って少しの時間を置いた後、アズリアは俺の目の奥を覗きこんで、やがて語り出した。

「本来なら、私の口から言うべきことではないのだろうが……」




初任務で失敗を犯してしまったこと。
旧王国の工作員に命乞いをされ、みすみす見逃し、それが原因で帝都の要人達を乗せた列車乗っ取り事件を引き起こしてしまったこと。
たった一人で事件を解決させるも、軍の上層部による祭り上げと自責の念に耐えられず、そこで軍を退役したこと。




「…………」

話を聞き終えた俺は、あの人らしい、と思ってしまった。
確かに彼女に軍人は似合わない。起こったことを事実として突きつけられると、改めてそう思えた。
皮肉にも、アティさんの犯した失態が、当時事件に巻き込まれたマルティーニ氏──ウィルの父親だ──との繋がりを築きあげてしまったのか。
……「俺」の時と全く違うな。

「……納得のいかない顔をしているな」

「うん……まぁ」

弱い、と感じる。
アティさんの心の危うさに、力を嫌い言葉を振るおうとする彼女の人格形成に、その出来事は弱いと感じてしまう。
「剣」が壊れるまで────自分自身をズタズタに傷付けるまで追い込んだ、彼女の「他人を守りたい」という強迫観念はどこから来た……?

「……アズリア、さん」

「アズリアでいい。何だ?」

「先生の村……帝国の片田舎を、旧王国の残党が襲った事件って、ありました?」

「……あったな」

アズリアの表情が能面に近くなる。
──「レックス」も経験した目と鼻の先まで迫っていた往時の事件、それを前提に推理を進めていく内に、「俺」の時は起こることのなかった“もしも”が浮かび上がってくる。
あぁ、と自分の予測が外れていないことにほぼ確信を覚えながら、俺はそれを口にした。

「先生も、巻き込まれたんですね?」








「…………」

細い寝息が、耳朶を撫でてくる。
クノンに無理言って通させてもらった治療室の中、俺はアティさんの寝るベッドの隣にたたずんだ。
頬には涙の跡。彼女の流した痛みがそこに残っている。

「……言ってくれなきゃ、わかないんですよ」

返ってくる筈もない言葉を期待して、呟いてしまう。
アズリアは当時の事件の記録を事務的に教えてくれた。
村は焼き払われ、彼女の両親は一人娘を庇って死亡し、救助された彼女自身も心神喪失。
重い過去が彼女の歩んだ軌跡には乗っかっていた。

少なくないショック。
実際に違うとはいえ、自分の親が殺されていたという事実は、ちと、響く。
俺が塞ぎ込んでもしょうがないのだが。

────守りたい……失いたくない、か。

理解できない他者の心情を、この時ばかりは一杯に慮って、彼女の胸の内を想像する。
少しだけ、自分を顧みようとしない彼女の強さと脆さに、触れたような気がした。

「……でも、それで貴方がボロボロになってちゃあ、意味ないじゃないですか」

守れるものも守れなくなる。
失わなかったものも失ってしまう。
彼女を守りたいと思っている人達を、傷付けてしまう。

とどのつまり、重荷を別けて欲しかった。
ちょっとでいいから、背負った荷物を寄越して欲しかった。
心を開いて、欲しかった。

「……人のこと言えねー」

一頻り苦笑して、じっと彼女の顔を見つめた。
結局、やることは変わらない。
少し疲れてしまった彼女を守ってやる。終わらせることを終わらせたら、彼女がげんなりするまで付き纏ってやる。
今は閉じられている瞼が開いて、本当の笑顔が咲くまで、甲斐甲斐しくも働き回ってやる。
それだけ。

「…………」

胸がすぅすぅと上下している。
赤みの差した頬は柔らかそうで、小振りな唇は少し湿っていた。整った睫毛が水滴に濡れ、きらめいている。
俺は赤い髪が一筋かかっているあどけないその顔を見つめたまま、おもむろに、手を伸ばした。

頬にそっと手を添えようと、ゆっくりと伸ばしていき。
手の平に温もりが感じられるようになった寸での所で。

「……」

動きを止めて、かかっている髪を直すだけに留まった。
自分でもよく解らない苦笑をして、惜しむかのように彼女に背を向けた。
髪に触れてしまった指を、手首から振るって温もりの残滓を打ち消す。
ドアの前で首だけ振り返り、さっさと元気になってくださいね、と身も蓋もないことを言いながら、本日における彼女の顔を見納めにした。



普段は困った天然も、眠り姫になるとこうも愛らしくなるのかと、不謹慎にもそんなことを思ってしまった。


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