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No.3907の一覧
[0] 然もないと [さもない](2010/05/22 20:06)
[1] 2話[さもない](2009/08/13 15:28)
[2] 3話[さもない](2009/01/30 21:51)
[3] サブシナリオ[さもない](2009/01/31 08:22)
[4] 4話[さもない](2009/02/13 09:01)
[5] 5話(上)[さもない](2009/02/21 16:05)
[6] 5話(下)[さもない](2008/11/21 19:13)
[7] 6話(上)[さもない](2008/11/11 17:35)
[8] サブシナリオ2[さもない](2009/02/19 10:18)
[9] 6話(下)[さもない](2008/10/19 00:38)
[10] 7話(上)[さもない](2009/02/13 13:02)
[11] 7話(下)[さもない](2008/11/11 23:25)
[12] サブシナリオ3[さもない](2008/11/03 11:55)
[13] 8話(上)[さもない](2009/04/24 20:14)
[14] 8話(中)[さもない](2008/11/22 11:28)
[15] 8話(中 その2)[さもない](2009/01/30 13:11)
[16] 8話(下)[さもない](2009/03/08 20:56)
[17] サブシナリオ4[さもない](2009/02/21 18:44)
[18] 9話(上)[さもない](2009/02/28 10:48)
[19] 9話(下)[さもない](2009/02/28 07:51)
[20] サブシナリオ5[さもない](2009/03/08 21:17)
[21] サブシナリオ6[さもない](2009/04/25 07:38)
[22] 10話(上)[さもない](2009/04/25 07:13)
[23] 10話(中)[さもない](2009/07/26 20:57)
[24] 10話(下)[さもない](2009/10/08 09:45)
[25] サブシナリオ7[さもない](2009/08/13 17:54)
[26] 11話[さもない](2009/10/02 14:58)
[27] サブシナリオ8[さもない](2010/06/04 20:00)
[28] サブシナリオ9[さもない](2010/06/04 21:20)
[30] 12話[さもない](2010/07/15 07:39)
[31] サブシナリオ10[さもない](2010/07/17 10:10)
[32] 13話(上)[さもない](2010/10/06 22:05)
[33] 13話(中)[さもない](2011/01/25 18:35)
[34] 13話(下)[さもない](2011/02/12 07:12)
[35] 14話[さもない](2011/02/12 07:11)
[36] サブシナリオ11[さもない](2011/03/27 19:27)
[37] 未完[さもない](2012/04/04 21:58)
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[3907] 13話(上)
Name: さもない◆5e3b2ec4 ID:54992e99 前を表示する / 次を表示する
Date: 2010/10/06 22:05

「だからさ、あいつ等の船に攻め込んじゃえばいいんだよ!」


廊下を歩いていると威勢のいい声が聞こえてきた。
東から顔を出した太陽が、窓を通じて通路を照らす今の時間帯は朝。
ウィルは肩にとまっているテコと顔を見合わせた後、段々と大きくなってくる声のもとへ足を進めていく。
昨夜、アズリアに追いまわされたツケにより痛む体をぐぬぅと呻きながら引きずっていると、ほどなくして船首付近の船長室へ辿り着いた。
未だ騒がしい木の板一枚隔たった室内を前に、ウィルは扉を開けてひょいと中を覗きこんだ。

「海の上だったら絶対あたし達の方が一枚も二枚も上手だって! あいつ等が慌てふためいてる隙にたたみかけてっ、それで船を潰しちゃうの! それでそれでっ、イスラをとっ捕まえてあたしの知りたいこと全部吐いてもらうっ! 拒否権はなし! それからワビついでに銃をちらつかせて泣き付いてくるまであたしがいびり倒すっっ!!」

視界に真っ先に飛び込んだのは息巻くソノラだ。
先程からの音の出所はどうやら彼女のようで、船長室にいたアティとカイルへ自分の意見をまくし立てている。
話に持ち上がっているのは、島に居座る無色の派閥への対策について、だろう。
ソノラは渋い顔をするアティとカイルを前に堂々と強硬手段を主張する。
船で奇襲なんたらは建前で、後半の私情が大いにあの猛牛のような姿勢に作用していることは瞭然だった。
眉を立ち上げて意志に燃える少女の姿に、焚きつけてしまったかなぁ、とウィルは昨夜の己の振る舞いを思い出して、ぼりぼりと後頭部をかいた。
というか、いびり倒すのは別にいいだろう。

「やれないことはねえが、しかし、なぁ……?」

「はい。よしんば無色の船を落としても、その後に待っているのは本格的な徹底抗戦です。帰る手段が無くなっちゃったら、彼等も形振り構わなくなって襲いかかってくると思います……きっと、前の帝国軍以上に」

「うっ……」

「だな。俺等はともかく、戦えない召喚獣達が何されるか分かったもんじゃない」

的確な見通しに言葉を詰まらせるソノラ。
集落に住まう召喚獣が危険に晒されることに気付いたのだろう、あれだけ強気だった姿勢が萎んでしまっている。
アティはあくまでも無色の派閥を島から追い出したいと、真っ直ぐに語ってソノラを諭した。
どちらか一方が倒れるまで剣を振るうのではなく、守るための力を盾にして相手を退けるようにと。


「傷付ける力じゃなくて、守る力で私はみんなを助けたい」


駄目ですかね、と眉を下げながら笑うアティに、ソノラはばつが悪そうに頭をかいた後、こくりと頷いて彼女の意思を尊重した。
そしてウィルは、扉の影で遠いものを見るかのように目を細める。
現実を直視していない綺麗事に頭の片隅が疼きを上げたが、それ以上に、視界が眩しかった。

「あっ、おはようございます、ウィル君。どうしたんですか?」

「……たまたま、通りかかっただけですよ」

顔を出していたウィルに気が付いて、アティが自分の瞳を見つめる。
赤い髪と白い外套を揺らして振り返る彼女の姿は、窓から差し込む朝日が手伝って、酷く綺麗に映った。
ウィルは一笑する。

「先生」

「何ですか?」

「先生は、そのままでいてください」

滲むような笑みを浮かべた後、すぐに苦笑を取り出して、ウィルはその言葉を残した。
退室する。

「……ウィル君?」

扉の隙間が埋まる直前、ぽつりと落ちた呟きを耳にする。
後ろ手でドアを閉めたウィルは俯き加減に瞑目した後、きっと強い視線で前を向き、その場から離れていった。









然もないと  13話(上)「断罪の剣はウルトラバイオレンス」









「無職の連中を、駆逐します」

静けさを保つ、低く重々しい第一声がヤッファ達の耳朶を叩いた。
晴れ渡る空の下。濃厚な木と水の匂いに囲まれる集いの泉に、幾つもの影が集い合っている。ウィルを中心に円を作る面々は、ヤッファやキュウマを代表とした各集落の男性陣だ。
意外にも、というよりこの島の面々にはまるきり異色であるビジュ達小隊もそこには加わっていた。

「駆逐って、お前……」

「大きく出ましたね」

ヤッファが半ば呆れたような表情と声を出し、その隣にいるフレイズは真剣な顔付きでただ可能なのかという一点を問うてくる。
彼等の反応に対しウィルは表情を変えずすらすらと自身の考えを並べた。

「ロン毛眼鏡率いる本隊は無理だったとしても、島中にばらまかれる偵察部隊は全滅させる。それさえ叩けば、島の人達の安全は一先ず保障できる筈だから」

「レックス」の時に起きた「シアリィ」拉致の一件はウィルの心に深く根付いている。
あのような事件を繰り返さないためにも、ウィルは「前回」以上に警戒と注意、そして駆除作業を行う心算だった。

アティにああ行った手前、守るだけでは駄目だ、とウィルの中でリアリストの自分が頑なに声を上げていた。
物事を考える上で基準となる、本来の自分の性質に近いその声に、ウィルは分かっているというように心中で相槌を打つ。
アティの理想論だけでは非情な現実に押し潰されてしまうかもしれない。だというなら、その厚い壁をも飛び越えていけるよう、誰かが彼女の踏み台になればいいのだ。
裏方に回り黒子に徹する。
自分には無いものを持つアティの信念を汚させはしない、汚させたくない、その一念でウィルは彼女の協力は仰がず眥を決していた。

「ですが、敵は本当に送り込んでくるでしょうか。昨日の戦闘で少なからず手負いの身であるというのに」

「斥候の類は確実。昨日の襲撃で連中の目には、僕達が島の外敵に対し何かしらの防衛手段を張り巡らせているように映っている筈だから。遺跡を掌握する気なら、此方の動向と実態を探ってくる。いや、僕が向こうの立場だったら絶対そうする」

「……一理ある、か?」

「ええ……そうですね。状況が状況です、警戒を払い過ぎるに越したことはないと思います」

キュウマの疑問に対しての返答を聞いて、ヤッファ達も理解の意を示していく。
質問と回答を織り交ぜてミーティングが進んでいった。

「仮に無色が刺客を放ってきたとしても、だ。此処にいる俺達だけで凌げるのか? 此処にいない奴等は、つまりこの荒事に関わらせるつもりはねえんだろう?」

「野郎は黙って女性の盾になるものです」

「ええ、同感です」

「お前等こういう時だけ息あわせるのな……」

「フレイズ氏、いかに女性が尊ぶべき存在かを教えてやってくれ」

「承知」

「いや、もういい、分かった……」

「ですが実際、我々だけで防げるのですか?」

「結構な被害をもらったのが昨日の今日だから、あっちの動かせる駒はそう多くないよ」

「まだあれ以上の兵を隠し持っている可能性は……」

「……ないだろうな」

「ですね……」

出し惜しみしている余裕はなかった昨日の虐殺風景、既に一杯一杯だった無色の姿を思い出し、ヤッファ達は悟ったような顔をした。
いいだろう、と周囲から賛同をもらっていく。一部始終を黙って見守っているビジュ達も意見を挟むことはなかった。
意思の向かう方向が一つになった所で、ウィルは島の大まかな地図を取り出し、早速「以前」と同じように無職狩りの全容を伝えていった。

「人手が足りないので小細工でカバーする。基本待ちの構えで」

「そういえば、カイルはどうした? あいつは参加しないのか?」

「カイルには影でこそこそ何かやらせるのは無理。ソノラあたりに僕達の行動が露見する」

「スカーレルとヤードは?」

「早朝から潮干狩りにくり出していった」

「マジか」

「残念です。とりわけスカーレルの身のこなしは一流の隠密に迫るものがあります。色香の術に長けたあの御仁は……ええ、もしや、私より忍に近い存在やも……」

「お前は少し黙れ」

くだらないやり取りの一方で淡々と説明を進めていく。
台座の上へ広げられる地形図にウィルの細い指が這っていき、それを上から見下ろすヤッファ達の双眸もつられて動いていった。
ヴァルゼルドとテコもその円に加わる中、そこでふとヤッファが視線の先を変えた。

「ところでよ、本当にこいつ等と連携とれんのか?」

ウィルに当てた言葉は、そのままビジュ達にも届く。
彼のうろんげな目付きにビジュは「けっ」と吐き捨てて、小隊の者も顔を顰めた。
実際、小隊長を除いた彼等は一波乱ありそうな空気に内心汗をかいていたが、ウィルがその心を汲んだように気軽にフォローする。

「帝国軍の全面協力は先生とそっちの隊長との間で確約されてるから、ワカメさん達が裏切る理由なんてないし、いがみあってる暇も惜しいでしょ」

「おい、誰がワカメだ」

「連携の密度もそれほどまで求めないから、モーマンタイ」

常態でビジュをスルーするウィルは「どうせならここで親睦深めたら?」と地図に目を縫い付けながら、なんでもないように喋った。
緊急時ということもあって、効率のことを考えればウィルの弁に文句を差し込めないヤッファ達は、口元を微妙に曲げながら、顔を見合わせて帝国軍に向き直る。
つい先日までいがみ合うどころか、物騒なレベルで争い合っていた相手に歩み寄るのは思う所があるのか、帝国軍小隊の方は視線を互いに送りながら気まずそうにした。

こういう光景を見ると、アティのすぐさま和解に移れるあの態度はやはりすごいものなのだと、ウィルはしみじみとそんなことを思わせられる。
ウィル自身、彼等を嵌めて嬲って散々と危地へ追いやった張本人だが、これからのことも考えて出来る限り一方的な偏見、それに種族の垣根を取り払って欲しいとぼんやり思っていた。
放任するではなくやはり自分から働きかけた方がいいかとウィルは行動を示そうとしたが、その前に、帝国軍の童顔の青年が勢いよく声を張った。

「そ、それじゃあっ、あのっ! 聞きたいことがあるんですけど、いいですか!」

「……ええ。私達で答えられることなら、答えましょう」

「おう、言ってみろ」

「は、はいっ、それじゃあ…………あの鎧騎士の中身の女の子の名前、教えてくださいっ!」

「おいおいベス、お前あれからすっかり年下にぞっこんかよ。お近付きになろうってのがあけすけだぞ……あっ、俺はついででいいんですけど、あのメイトルパの妖精サンの名前なんつーんですか?」

「ジャン、お前のそれはピンポイントで犯罪だ。自重しろ。────ところで、あの未亡人らしき高貴なお方の尊名をぜひ拝聴したいのですが……」

「「「殺スゾ」」」

温度差のストリームを前に、蚊帳の外に置かれたウィルとビジュは遠くを見るように半目をする。
知らん振りを突き通すように顔を背けたビジュは、ウィルの隣につき、不機嫌そうな面構えでぐっと鼻と鼻の先を近付けた。

「俺にも確かめてぇことがある。大人しく使われてやるから、感謝しやがれ」

「……うん、そうさせてもらう」

ビジュの瞳には不満の色がありありと映る中、一方で嫌悪感も敵対心も消えていた。
泰然とした顔でビジュの瞳を見つめながら、少なからず帝国軍と自分達の距離が狭まっていることを、ウィルは僅かな感触とともに思う。
それじゃあ、と一言を置き、最初の指示を目の前の青年に告げた。













ラトリクス



「うっ、アズリア……」

「……何だ、その反応は」

(昨日あれだけ追い回されれば、おびることくらいしちゃいますよ……)

「何か言ったか?(ギロッ)」

「い、いえっ。なにもっ、なーんにも、思ってないですよっ?」

「……まぁ、いい。それで、何の用だ? 理由もなく訪れた訳ではないだろう」

「あ、はい。これからのことなんですけど……」

「隊長!」

「……ギャレオさん?」

「むっ、貴様は……ふんっ」

「ギャレオっ」

「あ、あはははっ……」

「全く……それで、他の兵の容態は?」

「はっ。自分も含め、行動に支障は出ない程度に回復しています。まだ疲労を残す者もいますが、特に問題はないかと」

「そうか。なら、手筈通りいけるな」

「?? あの、何の話ですか?」

「何だ、聞いていないのか?」

「えっとー……はい、多分、聞いてないような……」

「まったく、護人の方には了承は得たと聞いているというのに……。仮にもお前はこの島の先頭に立っているのだろう、能天気なのも対外にしろ。学生の時から何も変わっていないではないか。……そもそもお前はだなっ」

(わわわっ、始まっちゃいました……!?)

(アズリアさん、隊の指揮と違ってどこか活き活きしているような……)

「……そのうえお前は計画性などこれっぽっちもなく、極めつけはっ、人が机にかじりついて予習に余念がないという時に惰眠を貪り、あまつさえそのまま授業をすっぽかすなど首席代表にあるまじきことをっ……!! 当時貴様と一式と考えられた私が尻拭いされる羽目になったんだぞ……!」

「アズリア! アズリアっ!? もう分かりましたから、ほら、話の続きを……!」

(こいつ、授業をサボった癖に首席だったのか……)

(ギャレオさんの目が汚物でも見るようになってますぅ……!? こ、こんな失態ウィル君に聞かれたらっ……い、いじられる!!)

「後で覚えておけよ……」

「うぅ、明日という受難が怖いです……」

(アズリアさん、世話好きだったのか? もしこいつが甲斐性のない赤い髪の男だったら……末恐ろしい……っ!!)

(あ、あれ、殺気……?)

「こほん……先程の話は、私の部下をこの島の警備に当てようというものだ」

「えっ、それって……」

「ああ。お前達の言う集落と呼ばれる拠点に兵を配置し、かつ各住人達と協力し、いたずらに被害を広げるのを食い止めようというのが目的だ」

「お前等と我々の全部隊が合流しても、碌な運搬はかなわないだろうという隊長のご采配だ」

「……? まぁ、とにかく、背後の護りが固められればお前達も気兼ねなく戦闘に集中できるだろう。島で暮らす召喚獣達の憂慮も緩和できるのではないか?」

「そう、ですね……はい、素晴らしい考えだと思います。ありがとう、アズリア」

「ふん、アズリア隊長のご配慮を有難く思え」

「……ギャレオ、さっきから何を言っている? この件はお前が立案したのではないのか?」

「はっ? い、いえっ、自分は隊長の指示だと聞きましたが……」

「なんだと……?」

「?」

「……」

「……」

「え、えーと……二人は誰伝いに話を聞いたんですか?」

「「ビジュ」」

「…………」

「…………」

「…………」

「……明日は、雪か……?」

「いえ、槍が降る可能性が……」

「そ、そこまで……」













彼は恐慌に陥っていった。


「……、……、……ッッ!!!」


彼方から響いてくる言葉にならないその悲鳴を、無理矢理に耳の中へ放り込まれながら、自身もひゅーひゅーという狂った笛のような呼吸を繰り返す。
瞳を罹患したように真っ赤に血走らせて辺りを窺う。
周囲を埋め尽くすほどの森林地帯。
数え切れない梢が幾重にも折り重なって、青空から降る日の光を乏しいものにしている。

彼は一介の派閥兵だった。
上からの指示により島の偵察を任された派閥兵は、便宜上において仲間と呼ばれる者達と小隊を組んで島の各地へ散った。
彼もその一兵であり、少人数ながら同僚とともに気配を殺し、こうして集落付近の森へ潜み警備情報を探っている最中であった。
今回の偵察任務には、機があれば召喚獣を攫ってくる命も含まれている。
派閥内に置いて今日の手柄は明日の命に繋がることを彼は知っているので、機械的な表情とは裏腹に虎視眈々と獲物を狙っていた。

しかし。
気が付けば、彼等は狩る側から狩られる側へと立場を逆転させられていた。
警戒を怠った訳でも目先の欲に捉われていた訳でもない。
ただその異変を認知した時には、既に手遅れだった。


(体、が……っ!!)


────動かない。
身の周りの空気ごと押し固められたように、全身の身動きが利かない。
いや、正確には震えたり身じろぎ程度の微細な動きはできるのだが、それ以上の「行動」といえる動作まで発展させられないのだ。
それこそ、大量なセメントで己の体を地中深く埋め立てられてしまったかのように。


(か、『仮面の石像』……っ!?)


動揺を貼りつける眼が捉えるのは、奇怪な紋様と顔の彫刻を携える灰色の石像。
『近寄りがたい石像』という別名まで持つそれは、ZOCと言われる特殊の力場を発生させる「名もなき世界」の召喚柱である。

ZOC(ゾーン・オブ・コントロール)とは、生粋の戦士や剛毅な召喚獣が無意識の内に使いこなす能力で、彼等の間では『眼力』や『威圧』、『闘気』などと称されるのが一般的である。
『威圧』などという言葉から分かる通り、相手に向かって気の類を発散させ迂闊に間合いへと近付けさせない、或いは己のテリトリーに近寄らせない能力だ。
この『仮面の石像』はそのZOCをより強力により具現化して、いっそ呪いとでもいう方向性に昇華させたもので、地形に配置することで敵の進攻を阻む役割を果たす。
像と相対する対象は見えない壁に阻まれているような感覚に襲われ、一手間では『仮面の石像』を突破できなくなる。石像の脇を通ることさえ意のままにならない。


(じょ、冗談じゃっ……!?)


そんな本能に直接威圧感を訴えてくる『仮面の石像』が、複数。
見渡せる範囲でも十以上もの石像が、茂みや幹の影に巧妙に隠され設置されている。
────複数のZOCが円を作るように等間隔で発生した結果、巻き起るのは、文字通り行動を制限する圧迫伴う異空間だ。
全方位に重圧が生じることで、四肢はもとより全身の自由が損なわれる。挙動が奪われてしまう。
蛇に睨まれた蛙、という言葉と意味は違えど、身動きできないという点では、招かれる状況はさして変わらないかもしれない。
要は、居合いを構えるウィゼル様×4に四方を囲まれていると考えればいい。
神は死んだ。

知れずこの領域に足を踏み入れてしまった彼等は、何重にも張り巡らされたZ.O.C.により、蜘蛛の巣に絡まった蝶が如く空間の束縛を受けてしまっていた。
生い茂る枝葉によって視界は限られ見通しは効きにくい。罠の形跡も伏兵の気配も一切なく、その一時の安堵を突かれる格好となった。
劣悪な視野の中で巧妙に配置された石像に気付くことが出来なかったのだ。


「あ゛、ぁ゛、ぁ゛、ぁ゛、ぁ゛、ぁ゛、ぁ゛、ぁ゛、ぁ゛、ぁ゛、ぁ゛、ぁ゛……!!!」

(ひぃ、ぁ……っ!?)


耳を塞ぎたくなるような──けれど塞げない──仲間の断末魔がまた響く。
その甲高い悲鳴に彼は心中で情けない声を漏らし、周囲の木々からは鳥達が一斉に羽ばたいた。
相互に干渉し合い、複雑に絡み合う力場の狭間に足を踏み入れてしまった彼等を最初に襲ったのは動揺で、次には絶望ともしれない恐怖だった。
強制的に金縛りへと移行させられた自分達のもとに、鎌の一太刀を浴びせる死神が、一機、潜んでいたのだ。



『目標沈黙……ラスト』



無機質な音声が鼓膜を揺るがす。
視界隅に認めるのは、右手に赤く赤く染まった錐────おぞましい彩色のドリルを装備した、巨身の機械兵士。
紛れもなく、此方の島上陸作戦をカウンターする形で虐殺の一役を担ったあの殺戮兵器だった。
派閥内での下っ端の間で、この島の恐怖の象徴となりつつある鉄機は、ゆっくりと彼の方へ歩み寄ってくる。


「へあッ……!?」

『余り動かないようにお願いします。本機は、歯医者(デンティスト)は苦手ですので……』


恐怖が臨界に達する。伴って、脳の一部がイカれた。
眼球の端に滴を溢れんほど溜め込み、顔面の筋肉が壊れた引き攣った笑みを浮かべる。
────驚いた、あの血と肉の掘削作業が歯医者サンの真似事だったなんて、べらぼうに驚いた。
カチカチと噛み合わない歯の音を鳴らしながら、彼の思考は現実逃避の方向に爆走した。

鋼鉄の歯医者は何も言わず大地を踏みしめ迫ってくる。
不可視の領域が見えているのか、機械兵士はZOCの影響の欠片も受けず距離を詰めていった。
歯医者──ヴァルゼルドにとって、それはあらかじめ設定されていた経路を辿る簡素な作業。入力されているデータが従えばいいだけの話。
ZOC範囲外を縫うようにして進むその機動は淀みがない。

距離が三メートルを切った頃、ゆっくりと頭部の横に構えられた絶対の凶器が、いななく。
ギュィ、ギュィィィィィィィィン、とドリルが右に、左に回転した。
銀光輝くボディの半分を真っ赤に染めながら、その殺人スクリューはいまだ獲物の生きた鮮血を求め飢え狂っている。
腰はとうに砕けていた。しかしケツは地面に着陸しない。
不気味に笑う石像が彼の体を立った姿勢で固定させ、嘲笑っていた。
涙と震えでぐしゃぐしゃのトチ狂った笑みを継続して、ほどなく、彼は己の最期を目の前にする。




『脳漿をブチまけさせてもらいます』




────それは歯医者なんかじゃねえ。


声にならない抗議がこぼれた後、絶叫が空に打ち上がった。













中央管理施設 正面ゲート前



「何よ、これは……」

『『『『『『&%#』』』』』』

アルディラの眼前、ボクスやフロットなどの作業機械が列をなしてずらーっと縦に並ぶ。
二体一組でペアを作る彼等が抱えるのは、ボロ雑巾となった男達……派閥兵の乗る、真っ白な担架。

「指揮官機VAR-Xe-LD……ヴァルゼルドの指示……?」

『$』

「ああ、あの子ね……」

溜息の落ちた側から、列の最後尾にまた新しい患者が追加された。
ドリルで掘られたような余りに惨い外見にモザイクをつけざるを得ない。何があった。

『%#$$$』

「……営倉入り? 後で島流しにするからですって? あの子がそう言ったの?」

『$』

「そんな甘い処置でいいわけ? 脱走なんかされても、責任は取りきれないわよ?」

『#####%$&』

「『程々に行動不能にして欲しい』……?」

『&%%#%』

「『実験の許可も辞さない』……?」

『&&』

間。

「…………」

『…………』

「…………」

『…………』

「……いいの?」

『……$』

素敵な笑み。

「うふっ、うふふふふふふふふ……」

『…………』

「そうね、『行動不能』よね。要は身動き取れないようにすればいいのよね?」

『………………』

「融機人用コールドスリープの冷却装置を応用して指向性を持たせれば……フフ、いける、逝けるわ、念願の冷却光線がっ……!」

『『『『『『………………』』』』』』

長蛇の列が足並み揃えて機婦人から一歩距離を取った。

「モルモッ……もとい、灸を据えてやらなきゃいけない連中はごまんといるわ、それにこれは正当防衛、自爆なんかされないためにも思う存分試射テスト兼出力調整を……」

『…………』

後日、頬を伝う涙をも凍結させた数え切れない氷像が、忘れられた島を旅立っていったらしい。













何が起こっているのか。
穴から這い出てきた派閥兵は混乱の極致に陥りながら眼前の光景を理解しようとする。
悲鳴に継ぐ悲鳴。仲間の口から迸る絶叫の連鎖が竹林────雨情の小道を満たしていた。



島中に散開した派閥兵の中で、鬼妖界集落付近の森へ足を運んだ彼等がすぐさま発見したは、仕立てのいい服に身を包んだ少年だった。
つい先程までは複数対一からなる追いかけっこを演じていた相手だ。
木の実でも取りにきていたのか、林の中でばったりと遭遇した直後中身の詰まった籠をぼとっと地面に落とし、「ひっ!」と怯えに硬直した様は派閥兵達の嗜虐心をすこぶる刺激した。
姿を見られたからには始末するしかない。親とはぐれた小動物のように必死に逃げるその後ろ姿は蹂躙欲も手伝って、件の少年は下卑た笑みを浮かべる彼等の目に極上のエサとして映った。群れて狩りをする肉食獣のように連携した動きをして派閥兵達は、少年を人里離れたこの場所まで追い込んでいったのだ。
が、この静寂を保つ竹林に足を踏み入れた瞬間、事態は急変する。


躓いて地面へ転び、絶望に顔を染める少年へ飛びかかった冷笑の派閥兵の足元に、突如して穴が出現した。


兵は音もなく穴に吸い込まれた。一瞬だった。まるでバキュームされるかのようにその姿を大地へと消した。場の時が眠りについた。
穴の底からようやく響いてきた遠い悲鳴に、他の派閥兵が意識をはっと取り戻したのは同時。
それからすぐ、穴の深さを物語るドゴンッボチャッという何かが砕け散った激突音が届き、伴って悲鳴も消えた。

そこからは目まぐるしかった。
キン、と鋼糸が張り詰めた音がしたかと思うと、まず物騒な凶器群が彼等の頭上を襲った。
手裏剣、小太刀、忍者刀。無骨な光を宿す暗器が降り注ぎ、そこで二名の兵がゲートオブバビロンされた。
嵌められたことを自覚し出す派閥兵達のもとに、今度は一斉に地面から槍衾の如く矛が生えた。四方八方局所的なそれに三名の兵が串刺しにされ、味方に裏切られた正義の味方ENDを迎えた。いよいよ派閥兵の顔色が蒼白に染まる。

後はもう酷かった。
竹林を薙ぎ倒しながら馬鹿でかい丸太が横っ面から飛んできたり、まだ血が足りぬと言うように刃の雨が降り続き、とどめに地面に次々と落とし穴が開いた。
落ちる寸前どうにかこらえたかと思えば直上から碇が降ってくる始末。圧倒的死ねと言われてるようにしか思えない。
阿鼻叫喚たる光景の中、兵達の視界の隅でパンパンと手で服を払い、スタスタとその場を後にする澄まし顔の子狸の姿があった。



「ぐ、がっ……!」

地面に顔をついた態勢で荒い息をつく。
ちょうど切り立った崖に縋りついたような格好で、下半身をいまだ落とし穴に食われながらも視線を巡らせば、もう僅かも残っていない仲間達が致死の罠から必死に逃げ惑っている。
いつの間に自分達は瓦解への進路へ転じってしまったのか、と派閥兵は呆然と思考。
この多大なる罠のご歓迎は一体何だ。

彼は知る由もないが、今設置されているトラップパラダイスは狸による謹製で、更にそこへキュウマの執念とでも言うべき意地が上乗せされている。
“とある事件”をきっかけにしたキュウマの妄執。
向けられる相手はお門違いでありながらも来たる日のために磨き上げようとする技術は、罠をより鋭利に、より残虐に、より容赦のないものとして昇華させていた。
雪辱に燃える忍者に「やり過ぎ」と少年の一言が添えられるくらいに。

(に、臭う……っ!)

何故か穴の底に溜まっていた茶褐色の液体が派閥兵の兵装をこれでもかと犯している。
追及したくないその正体と余りの悪臭に、眦へうっすらと滴が浮かぶ。鼻が曲がりそうだ。己の体は文字通り汚されてしまった。
兵装ももはや廃棄処分確定。二度と使用できない。
武装破壊としては地味に効果的ではある、ええ確かに効果的ではあるが、果たしてその狙いは一体でどうなのでござるか。
明確な殺意に潜んだ陰湿な悪意に派閥兵は身震いする。この島はどこか狂っていると、先日のデストロイ事後を胸にその思いが芽生えた。

「うわ、何だコイツ。糞まみれなんて人として恥ずかしくないのか」

「────」

上から降ってきた言葉に声を失う。
例のブツによってべったりと額に貼りつく前髪を払いながら、首を傾ける。
瞳に映るのは、軽蔑の眼差しで己を見下ろす帝国軍兵達。

「ていうか、うわ、マジくせぇ」

「ゲロくっせぇー」

「超くせぇ」

────後詰部隊。
仮借のない言葉に人としての尊厳が大いに抉られながらも、派閥兵は自分の置かれている状況を理解する。
徹底した後始末。この柄の悪い連中は確実に自分達の息の根を止める気だ。
折れかけていた精神が真っ二つになるのと並んで、調理を待つ畜生の気分を初めて味わった。
染み込まされた習性が体を自動運転させる。もはや反射的な行動で自爆装置とへ手を伸ばした。
腰に吊り下がっている爆弾に触れ、紐式の安全装置を一気に引っ張ろうとして…………トン、と。

「……ぁ?」

軽い衝撃が骨盤を通じた。
振り返れば、一本の投具が自分の腰に、いや爆薬を吊るしてあった留め具に突き刺さっている。
支えを失った装置が穴の底に落ちていく。ボチャン、と茶色の飛沫を上げて、爆薬は肥溜めの中で処理された。
何が起きたのか理解できない顔する派閥兵は、泡がぷくぷくと浮かぶ茶の水面を見て、そのまま緩慢な動きで自身の背後を見た。

「くだらねえことすんじゃねえぞ、クソ野郎」

凶暴なイレズミを顔面に彫った男だった。
規律を重んじる制服に身を包んでいるが、その悪人面と雰囲気から最も軍兵らしくない軍兵でもあった。
腕を伸ばし切った投擲態勢。針の穴を通すような的確な狙撃をしたのはこの男らしい。
そこで気付く。退路を断たれた。自決はもうできない。

「隊長ォ、こいつにイスラさんのこと聞き出しましょうよぉ……根掘り葉掘り隅々まで体の中身が空っぽになるまで丹念に」

「いっちゃう? 逝っちゃう?」

「切る? キル?」

「バァカ、こんなクソ臭ぇクソ野郎があいつの事情を知ってる筈ねえだろ」

「「「ですよねー(笑)」」」

四方を取り囲む、言動も身に纏う空気も物騒過ぎる帝国軍兵士達。
うんこ座りで自分を見下ろす四対の眼に生きた心地がしない。待ち受けている未来に血の気が引いた。ていうか、いちいち行動が今の自分を貶すもので死にたくなってきた。
いっそこの手を放して糞の泉に沈んでしまおうか、と思ったがその矢先、ガッ! と伸びてきた足が腕を踏みつけ地面に固定する。
目線を上げれば、童顔の帝国軍兵士が瞳を細めて残虐に笑っていた。
もうやだ、コワイ──。

糞の泉で溺れることさえ許されない派閥兵は死期を悟った。
昨日(さくじつ)の殲滅戦を受けたのに加え自分達のアイドルを奪われたことで、彼等帝国軍のフラストレーションは限界突破しているのだ。しかし後者は冤罪だと高らかに叫びたい。
そして「あぁ…」と腹の中で呟きながらもう一つ悟る。自分以外の同僚が声も漏らさず静まり返っているのは、この人達の手で既に始末されてしまったからだと。
元より自分に他の選択肢はなかったのだ。

四方で動き出す気配を敏感に感じ取りながら、彼は最後に泣き笑いを浮かべて、言った。




「イスラちゃんの風呂上がり目撃した俺は勝ち組」

「「「「死ネ」」」」




一矢報いた彼は、一死では済まされなかった。













鬼の御殿 縁側



「おや、ご老体。今までどちらへ?」

「ミスミ殿。なに、若造に外へ出歩くのを控えろと注意されていてな。全く、わしに説教垂れるなどいっちょまえに生意気言いおって」

「ふふっ、先日帝国軍に捉われた件もあるゆえ、アティも気が気がでなかったのでは?」

「むっ……そう言われてしまうと立つ瀬がない。これは、一本取られたか」

「まぁまぁ、それほどアティも心配を払っているということで。……ですがご老体、しつこいようですが、くれぐれもこの御殿を離れぬようお願いします。帝国軍と里の男が見張りの者を立ててくれるとはいえ、彼奴等の前では何が起きるとも限らないので……」

「分かっておるよ、ミスミ殿。老いぼれは大人しく屋内に引っ込んでいるとしよう。……そういえば、スバルの姿が見えないようだが?」

「……それが自分も見張りにつくといって聞かず……鬼忍衆が一緒についているとはいえ、わらわも気が気がではないのです……」

「鬼忍衆……キュウマと同じリクト殿の配下、だったか? それなら、長のキュウマ本人は何をして?」

「何でも、忍ばねばならないことがどうとうか……」

「またか……」

「はぁ。こういう時にこそあの子とお手玉でもして、母の威厳を見せつけてやろうと思っておったのに……」

「(しょぼくさい威厳じゃな……)ミスミ殿はスバルを放っておいていいので?」

「……うむ。ちと寂しい、いや不安も憂慮も甚だ尽きぬが……しかしそれも、わらわがあの子の母親であるからこそなのだろう」

「……」

「実際、スバルは実力をめきめきとつけておる。見張り番程度なら、わらわの心配も杞憂に過ぎん。キュウマもそれが分かっているから私用を優先させているのだろうし……」

「ふむ、まぁ親心は複雑だろうな。けれどミスミ殿、貴方の思っていることは何も間違っとらんよ。むしろ親として当然じゃ」

「……かたじけない、ご老体」

「なぁに。しかし、あのやんちゃ坊主が里を思って行動するようになったか。男子三日会わざれば刮目して見よ、とはこのことか」

「ええ、本当に……。この間など、かよわい女子(おなご)を守るのは男の役目などと言って……」

「………………」

「ふふっ、一端のことを言うようになったものじゃ」

「…………時に、ミスミ殿」

「む? どうしたのです、急に改まった顔をして?」

「…………スバルが求婚されているのはご存じで?」

「なんと!? あの子にか!?」

「わしも偶然その場に居合わせただけで、何とも言えんのだが……」

「ぬっ? あぁ、そうか。ご老体、その娘(むすめ)は雪女の所のコユキじゃろう? あの子はスバルのことを慕っておるようじゃからな、ややもすると少し逞しくなったスバルに恋慕を募らせたのかもしれん」

「……どうやら複数人の女に言い寄られておるようで」

「なぬっ? ではミゾレやユキメ達もかっ? うぬぅ、全くあの方の息子なだけあって罪作りな男子になって────」

「……若造と大して年も変わらんような女子供に、な」

「──────なん……じゃと……」

「……どうもはぐれに襲われていたのを助けたのが切欠らしい」

「……」

「……そしてあの坊主は鈍感を貫いて何も理解しておらん。『みんな面倒をみてやる!』とほざいておったの」

「……」

「スカーレルが言うには、今“しょた”が熱いとかどうとか……」

「……」

「……」

「……わらわは、何か間違ってしまったのか?」

「何も間違っとらんよ、恐らく……“ミスミ殿”は」













(……煙幕!)

己の周囲を取り囲んだ濃煙に、暗殺者は両眼を鋭くした。
森を抜けて出た開けた窪地にはどこからともなく発生した気体が立ち込め、視界360度が覆い尽されてしまっている。
偵察任務についてから既に半刻。紅き手袋から出向している暗殺者で編成されたその小集団は、ユクレス村を目と鼻の先にして足止めを食らっていた。

(この色といい……毒霧か)

鼻腔の奥を刺激する緑色の煙霧は、暗殺者に嗅ぎ慣れたあの感覚を預けてくる。
この島の生態系は知らないが、まず自然発生する類ではない。それに微量ながら魔力の残滓も感じ取れる。
十中八九、召喚術。
確実にこの濃霧は自分達を迎え撃つため、狙って放たれたものだ。
隠密行動を取っていた自分達をこうも早急に捕捉していたことに、暗殺者は軽い驚きを覚えていた。
やはりこの島は外敵に対して異様ともいえる警戒態勢を敷いているのか、と自己完結で締めくくる。
この規模と濃度から考えて、敵はここで自分達の身動きを封じるつもりだろうか。
だとしたのなら、それは無意味だ。

(毒は……効かん)

巻いてあるマフラーを口元まで上げる。
物心つく以前から毒を摂取し、生死の狭間を彷徨ってきた暗殺者達にとって、この程度の脅威はぬるま湯につかっているようなものだった。
これが無色の派閥の一兵卒ならば分からなかったが、自分達には効果の前兆も見込めない。
残念だったなと心中で呟いて、暗殺者は見えない仲間に向かって口笛で合図を取ろうとした。

「……!」

一歩踏み出した足の先、つま先がある筈の地面ではなく、空(くう)を捉える。
何だ、と張り詰めて足元を凝視すると、薄らと、ぼこっと空いた穴の輪郭が見えた。
直径は三十センチといった所か。よく見ると、自身の足元には一定の間隔を置いて多くの穴が連なっている。
落とし穴のつもりかと暗殺者は考える。そうであるならば中途半端な穴の大きさや隠蔽の仕方からいってお粗末としか言いようがないが、しかし、何か引っかかる。
付近にいるだろう仲間の気配にも怪訝な色が孕んでいる。この場を離脱するか否か、暗殺者達の間で一瞬の逡巡が走った。
その時、地面の穴々に動きが見えた。

「! ……モグラ?」

落ちた呟きの通り、穴から顔を覗かせたのはモグラだった。
何故かヘルメットを被った彼等は一見無害にとれて、またその円らな瞳で暗殺者達を見上げ続けている。
意表の連続に暗殺者達が思わず動きを止めてしまい、それを見たモグラ達は一度穴の中に引っ込んでしまう。
そして次に現れた瞬間、彼等が置き土産として残していったのは、数多の球体。

「────」

火花を散らす導火線を持つのは、愛嬌溢れた鳥の顔面を備える召喚獣。
業界の間では余りにも有名過ぎる幻獣界の仕事人。
────爆殺のプロ(ペンタ君)だ────!!


「───────!!!?」






「ご愁傷さん……」


ボムッ、と連続の爆砕音が木霊した。
爆発の余波でかき消された声にならない叫びが毒霧の中を飛び散った。
一段と高い大木の上、両手を頭の裏で組んで枝に寝転がるヤッファは、眼下の光景に同情の言葉を送る。
もうもうと立ち込める煙の中で膨れ上がる爆風は、あたかもマグマに浮き上がる気泡のようだった。

「あいつもよく考える……」

召喚した『タマヒポ』の毒の息吹で視界を奪った後、ヘルモグラの巣穴の存在を悟らせないまま地下からの襲撃で爆殺する。
ユクレス村の作物を狙うヘルモグラの巣はこの地帯一帯に張り巡らされている。天然の地雷原に入り込んでしまった時点で彼等の「詰み」は決まったようなものだった。
見張り役としてこの場を任されているヤッファは、もう先程から手持無沙汰な状態が続いている。

よくもまぁ敵もホイホイ引っかかるものだと、面白いように爆散していく派閥連中を見てヤッファも溜飲が下がる思いである。
その分、もはや“未来予知”に近い采配を下すウィルに薄ら寒いものを感じるのも事実であるが。
この作戦を聞かされた際、既にヘルモグラを買収済みであったのは戦慄を通り越して寒気を感じた。メイトルパに狸がいなくて良かったと心底思う今日この頃である。

「ん? 上手く逃げたか?」

霧が不自然に動く気配を見つけてヤッファは立ち上がる。
しょうがねえなぁ、と口にしながら一挙に高度十数メートルはある枝から飛び降りた。
とんっと着地するのと同時、緑色の霧が揺らめきを作り、その奥から形振り構わない体で暗殺者が飛び出してくる。
ばたっと倒れ込んだ彼はボロボロに焼き焦げた姿で、地面にひれ伏したまま急いた呼吸を何度も繰り返した。

その姿に特に感慨を抱かないまま、死刑宣告を告げるようあからさまにバキボキと指を鳴らす。
びくっ、と震えた暗殺者は絶望し切った顔をゆっくりもたげ、ヤッファはそれを不敵な笑顔で歓迎した。




「らっしゃい」




もう何度目とも知らない悲鳴が青空に昇った。













異鏡の水場



「ファリエル! イスラとっちめるの協力して!」

「あの、ソノラさん……?」

「今までのあたしはどうかしてた! 遠慮なんかしないで、聞きたいことは無理矢理聞き出す! ていうか、吐かせる! うん、そうだよ、だってあたし達は海賊なんだから!」

(あれ、いつの間にか私も海賊になってる……?)

「このままじゃあカイル一家の面汚しっ、落とし前つけさせるためにもあのニャンコロっ猫鍋にしてやるうっ!」

(……どうしてだろう、イスラさんが猫鍋をしたら男性のみなさんが目の色を変えるような気がする……ううん、そもそも猫鍋って……)

「だからお願いっ、ファリエル! 悔しいけど、あたし一人じゃかなわないから、手を貸して!」

「ど、どうしちゃったんですか、急に? それに聞きたいことって……?」

「イスラがあそこにいる理由を知りたいの! 今あいつが思ってること、隠してること、それ全部聞き出さないと絶対納得出来ない!」

「……」

「あたし、イスラとの関係このまま終わりにしたくないっ!」

「…………分かりました、私も手伝います。いえ、手伝わせてください」

「ファリエル……!」

「私もソノラさんと同じです。頭で理解していても、やっぱり納得はいかないですから。……一夜だけの友達だったとしても、私も、イスラさんのことを知りたい……」

「……大丈夫だって! イスラもきっとファリエルのこと覚えてるよ!」

「……ありがとう、ソノラさん」

「いいっていいって。それじゃあね、まず何をするかなんだけど……って、んん?」

「あれは……クノン?」


「おはようございます、ソノラ様、ファリエル様」


「あ、おはようございます」

「おはよ、クノン。どうしたの?」

「ファリエル様にお尋ねしたいことがあったので、伺いに来ました」

「私に?」

「……なんかさぁ、クノン、行動範囲が広がったっていうか積極的になったっていうか、とにかく変わったよね?」

「そうでしょうか? ……いえ、そうなのでしょうね、きっと……はい、私は変わりました」

(……ほんと可愛く笑うようになっちゃったなぁ)

(何だか嬉しそう……?)

「ファリエル様、よろしいでしょうか?」

「ぁ、はい。何ですか?」

「……率直に伺います。ウィルと接吻したというのは本当ですか?」

「「ぶっっ!!?」」

「ファリエル様、答えてください」

「ファリエルぅーー!? ファリエルファリエルファリエルファリエルファリエルゥーーーーーッッ?!!」

「ええッ、あっ、うううううううううっ!!?」

「ファリエル様、答えてください」

「したのっ!? ねぇ、本当にしたのっっ!!?」

「しっ、しっ、しっ…………してまセン、ヨ?」

「目がそれてるし声が裏返ってるっ!! こらぁ、吐けぇぇ!!」

「ファリエル様、お仕置きしちゃいますよ?」


~五分後~


「だから、その、頬に触れただけというか、霊体だから物理的にはかなわなかったというか……せ、接吻には数えられないというか……」

「ファリエル様がその行為に踏み切った時点で未遂の一言では片付けられません」

「あうぅ……」

「ぶーぶー……!」

「で、でも、クノンだってウィルに……し、したって……!」

「…………両者とも合意の上です」

「こらこらこらぁっ!?」

「嘘です!? それは絶対に嘘っ!」

「……いえ、事実です。言質も取ってあります。アルディラ様が証人になってくれるでしょう」

「ウィルが何て言ったのよ!?」

「……『クノンに何をされようが“責任はとる”』、と」

「文脈おかしいですよ!?」

「そもそもあれ、絶対クノンの不意打ちだったじゃないっ!」

「…………問題、ありません」

「大アリだっ!?」

「目をそむけないでくださいっ!」

「……いやー、やっぱり平和が一番ですなー」

「藪から棒に何を!?」

「っ……あたしちょっとキス、じゃないっ、ウィルの所に言ってくるっ!」




「────────お待ちください、ソノラ様!!」
「────────待って、ソノラさん!!」




撃ち出されるワイヤードフィスト。
掴みかかるブーストナックル。

「ぐぎゅうぅっ!!?」

「落ち着いてください、ソノラ様。自分を見失ってはいけません」

「えっと、あのっ、そ、そうですっ! まだ私っ、ソノラさんとイスラさんのことお話したくてっ……!」

「クノンッ腕伸びてるぅ!? 襟も締まってるぅ!? ファリエル腕だけファルゼンになってるぅ胴体潰れるうううううううぅ!!?」

しかし放すまいとする細腕と巨腕。

「まずは深呼吸です。大きく息を吸って雑念を省き無我の境地に入ります。私に従ってください、せーの……ヒッヒッフー」

「その、やっぱりイスラさんの猫鍋は召喚してはいけないものと思うんでここはもっと穏便にテコ鍋くらいにっ……!」

「いいから放してぇぇぇぇぇぇぇぇぇ……!!?」













「……おかしいわね」

様々な葉が入り乱れる雑木林の中、スカーレルはぽつりと呟いた。
誰に語りかけた訳でもないその言葉に含まれているのは怪訝な響き。
気配を殺し自身の体を林の中に溶け込ませる彼は、ごく自然体に風景の一部と化しながら周囲を見渡す。
まるで鋭敏化させた感覚で何かを探り出すかのように。

「連中の姿がまるで見当たらない……。敵状視察の余裕もないっていうの?」

自分の胸に傾けられる独白は現状が解せないことを語っていた。
スカーレルは知っている。無色の派閥、オルドレイクに率いられてきた「紅き手袋」の行動方針とまたその理念を。
過去に全てを失い、彼の組織に属していた彼は、それが手に取るように分かる。



スカーレルは暗殺者だ。いや、暗殺者だった。
幼少の頃、ヤードとともに住んでいた村を焼き払われ天涯孤独となった彼は、大陸の犯罪者集団「紅き手袋」に流れ着き、以後そこの構成員となって血に明け暮れる日々を過ごしていった。
人生の諦観からくるがらんどうの忠誠は、「紅き手袋」の協力関係である無色の派閥が、彼の村を実験台にし滅ぼした事実を知るまで続くことになる。

「珊瑚の毒蛇」という二つ名まで手に入れ一人前の暗殺者となった彼は逃亡を計る。
直接の切欠は失敗を犯した仲間の始末を言い渡されたこと。裏切り者の末路は死と理解しておきながらスカーレルはその命令を拒み、そして追手の標的となった。
本来始末する筈だった仲間にも命を狙われ一度は諦めた命だったが、とある海賊頭とその仲間に窮地を救われ、紆余曲折を経てその後継ぎであるカイル一家のご意見番として身を置くことになる。
幼い海賊の少女に生きる希望を貰ったスカーレルは、人を殺す毒を捨てて生まれ変わった。
心の奥に根付いてしまった冷酷な蛇と決別こそは出来なかったものの、元来の性格と処世術でスカーレルはカイル達と助け合い笑い合い、広大な海を渡ってきたのだ。

そんなスカーレルに転機が訪れたのは、同じく村を失い無色の派閥召喚師となったヤードとの再会だった。
仇の正体、事件の真相。それを幼馴染の口から聞いた彼は復讐を誓う。毒蛇は再び頭をもたげ、訪れる日を前にその牙を磨ぎ始めた。
「剣」を囮にすることで仇を引きずり出す計画は頓挫したものの、結果的にはスカーレルとヤードの悲願は目前まで迫っている。
事件の首謀者、オルドレイク・セルボルトの暗殺が。



「こうも静かだなんて、一体どういうことなのかしら?」

眉を顰めるスカーレルは森に転じていた視点を変え、見下ろす格好で己の足元を見やる。
地面にひれ伏しているのは軽衣に身を包んだ暗殺者だった。自分に向けられた言葉に細身の男はビクリと肩を震わし、怯えるようにぶんぶんと頭を振る。
出会い頭に撃退し拘束した相手に対し、スカーレルは目をすっと細めた。

紅き手袋は職業柄、情報収集は決して怠らない。
暗殺を主な生業とする彼等にはターゲットの情報の入手は必須事項であり、また自分の命と等号で結ばれる。任務の失敗は例外を除いて自分の死と直結するからだ。
接敵必殺。命をチップにした暗殺者達の暗黙のルールだった。

そんな彼等が教えに準じていない。あり得ない出来事だ。
確かに相手の被害は此方側の目からしても大きいものだった。しかし純粋な派閥兵と異なり、「茨の君」を筆頭にした紅き手袋の集団はまだ十分に残っていた筈。
命令系統──この場合の頂点はオルドレイク達だ──が麻痺していたとしても彼等なら自ずと偵察行動に走るだろう。
辻褄が合わない。

「ねえ、素直に吐けばもう少し長く生かしてあげる。吐かなかったら、蛇(アタシ)の毒で最期まで苦しませてあげる。……どうする?」

嘘を吐く。
「毒蛇」の毒は訓練を受けている紅き手袋の者でも悶死させるほど強力であるが、唯一の例外を残して、スカーレルの手元には毒はない。
組織から抜ける際に毒はもう捨てたのだ。彼に残されているのは仇の首を噛み千切る牙のみだ。
「珊瑚の毒蛇」の名は有数の毒使いとして組織でも知れ渡っている。組織の一員であるからこそ、毒と疎遠となっている彼等にその脅しは少なからず効果を持つ。
が、伏している暗殺者の行動は変わらなかった。ぶるぶると哀れなほど体を震わし首を振りまくるだけで、スカーレルの取引を全く受け付けない。

分かり切っていたが、やはり駄目か。
雇い主あるいは自身の内情を吐き出す暗殺者は、その時点でアサシンの名折れである。赤裸々に語るくらいだったら自ら死を選ぶだろう。
この状況下、自刃を踏み止まっている時点でこの暗殺者は稀有な存在といえた。
スカーレルの零度の殺気に当てられているのか、男はその場をまるで動こうとしない。
暗殺者としては愚かしいまでに怯えていた。そもそも先程のスカーレルの言葉も聞いていたかさえ怪しい。
どうでもいい、とスカーレルは頓着しなかったが。

ヒュン、と無言で短剣を翻し、スカーレルは暗殺者の首に狙いを定めた。
始末する。
頭を地面に垂らすことで剥き出しになっている延髄を突き刺し、息の根を止める。
瞳から一切の光を省き、スカーレルは剣を持つ右手を振りかぶった。
そして腕を振り下ろす────まさにその瞬間、眼前の茂みが、不自然なほど音を立てて振るえた。

「「!?」」

スカーレルと暗殺者の男は同時に顔を向けた。
反射的にスカーレルはその場から後ろへ飛び退き、男は身の震えを増加させ怯えを顕著にする。
熱くなった心臓を静まらせ前方を見据える。未だ揺れている緑葉の奥に神経を集中させ、油断なく短剣を構えた。

「ぁ、ぁぁ、ぁああっっ……!!」

男がこの世の終わりのような声を漏らし、いわゆる匍匐前進で茂みから距離を取り出した。
目から正気の色を消している暗殺者に、えっ何コイツ気持ち悪い、と素を出しながらスカーレルは若干引く。
自分が居なくなった後であの組織は人材育成に問題を抱えるようになったのかと、過去のホームに疑問を馳せてしまった。

取りとめない思考にスカーレルが一瞬捉われている間、茂みの音は大きくなっていった。
そして男がようやく元いた場所から一歩分の距離を稼いだ頃、バシュンッ! と葉の中から凄まじい勢いで鉄腕が飛び出し、男の足首を掴んだ。

「ひィいいいいいいいいいいいいいっっ!!?」

「なっ……!?」

がばちょ! と標的に食い込んだ黒光りするマシーンな腕は何も語らず、ぐいぐいと男の体を茂みの奥へ引きずり込んでいく。
「ぃやだ……嫌だぁぁぁぁぁぁ!?」と泣き叫びながら敵である自分へ手を伸ばす暗殺者の姿に、スカーレルは顔を引き攣らせ、やることも忘れてその場に立ち尽くした。
茂みに飲み込まれていく暗殺者。あらん限りに見開いて自分を見つめる滂沱の瞳が消えるまで、スカーレルはその場を動けなかった。


「………………何が起きてるのよ」






「ふぅ、危ない……」


空中より見下ろした光景にフレイズは安堵の息をつく。
白鳥のものと見劣りしない純白の翼を静かに羽ばたかせ、上空から降ってくる日の光を金の髪で輝かせる。
例によって派閥の駆逐作戦に参加している彼は、敵状視察ならぬ敵状俯瞰しながら彼等の動向を的確に捉えていた。

「ヴァルゼルド、ファインプレーです。よくやりました」

『恐縮です、空尉殿。この捕虜は手筈通りに?』

「ええ。黙らせた後ラトリクスに送りなさい」

『了解』

手に持った「合金無線機」──アルディラの誓約の儀式が終わったからといって手渡された──から、ドリルの唸り声と狂ったスピーカーのような叫び声が流れてきた。グロい音も付属してきたのですぐさま通信を切る。
フレイズの役目は上空より派閥の動きを捉え、この無線機を介してウィル達に随時指令を出すことだ。
空からの目があることで、ウィル達は相手の一歩も二歩も先に立ち回ることができる。そこに下準備の整った地形条件が加われば、少ない人数と少ない労力で最大の効果を見込める。
言ってみればフレイズがこの駆逐作戦においての肝だった。

「言動の端々から見た目通りの人物ではないと思っていましたが……あれがスカーレルの闇ですか」

ちょうどぽっかりと穴の空いた雑木林の中に、いまだ硬直の抜けきっていないスカーレルを認めながらフレイズは考えるように呟く。
地上から飛び立つ際ウィルにこっそり耳打ちされた「実はスカさんがなんかヤバめの空気を纏って血に飢えていた」「見つけたら注意しといて」の言葉にフレイズは了承していた。
本人がそれほど望むなら敵の抹殺も止むなしではないかと最初こそは意見したフレイズだったが、「スカさんが敵やっちゃったら女子(ソノラ)が泣いちゃうYO」と告げられ、自分の浅はかな考えを恥じまくった。
女性の涙、ダメ、絶対。

「後はもう殆んど残っていないようですね……キュウマ、集いの泉まで南下し待ち伏せてください。一人来ます」

『御意』

日々のパトロールで養われた鷹の眼は、上空数百メートルの地点でも的確に島の地形や人影を視認できるが、ほぼ密林化している空間は流石にその限りではない。
自然の天幕にはさしもの眼も弾かれる。大部分が森で覆われている島においてその要素は致命的ですらあったが、それは狭間の領域の住人達の協力で解消されていた。
──『樹木の天頂に潜み、敵の姿を確認した次第身体を発光させろ』。
「ペコ」を始めとした光の精霊達にそのように頼み込むことで、フレイズは素早く全景図から敵の位置を割り出し、味方へ情報を送信することが可能になっていた。

「後は……くっ、機界の道具はいまいち慣れません……」

愚痴をこぼしながら通信機のスイッチやダイアルをいじくって周波数を設定する。
機界特製の無線機だけあって下手な操作でもしっかりサポートして持ち主の意思を汲む。
ほどなくしてウィルの受信機へと繋がった。

『あらかた片付いた?』

「ええ、貴方とキュウマが囮を務めた甲斐もあって。死亡者はゼロ、全てラトリクスに搬入されました」

『流石。で、敵の本営見つかった?』

「貴方の言った通り、どうにも暁の丘の周辺が怪しいですね。小規模ながら強力な結界が張られています」

どちらかと言えば島の北東寄り、炭鉱付近だ。
夕闇の墓標に現れた折、海岸線を背にしていたことから、停泊している船の位置はその近辺で間違いあるまい。

「破ることもそうですが、外からは中の様子が窺えない仕様になっていますね、あれは。やはり敵の召喚術は侮れない」

『むしろ侮る所を探す方が難しいけどな』

「とんとん拍子で敵を撃退してますから忘れそうになりますね……って、ちょっと待ってください、何だかぞろぞろ出てきましたよ」

『えっ、嘘、早くね? 斥候の追加とじゃなくて?』

「いえ、幹部も……揃っていますね。まちがいなく本陣です」

『法衣着た女王様も?』

「はい。敵ながら容姿だけは完璧です」

『赤い暗殺者の娘も?』

「ええ……というか、何ですかあの胸は……! 見下ろして初めて分かる胸囲! まさかアティと互角以上!? 胸囲的と言わざるを得ませんっ……!」

『おい止めろよ、遠く離れた僕にまで卑猥な妄想が感染するじゃないか。って、くそっ、既に手遅れになってやがる……! は、鼻が熱いっ……!!』

「漢々(われわれ)の至宝が暗殺者だなんて、リィンバウムも末ですね……」

『テコ、至急クノンに増血剤を……っ! いやダメだ、そこは何故か注射器の予感しかしない……! こうなったら先生に治療をっ……ダメだ、正視できる自信がない!! 詰んだっ!』

「あんな中身ぎっしり詰まった宝を抱えて、本当に暗殺なんて出来るんでしょうかね。甚だ疑問です」

『自重しろっつってんだろ犬天使ィ!! 僕を殺す気かっ!? しかもそれ言い逃れしようもなく覗きだろ!』

「覗きなど人聞きの悪い、これは相手の模様を探るためのれっきとした……うわっ目が合いましたってこの距離で捕捉されたってメッチャ睨んでます……!?」

『じゃあねフレイズ、今まで楽しかったよ』

「ま、待ちなさい!? その別れ方はまずい! 素で今生の別れになるような気がしてならないっ!!」

『ファリエルに言っとく。あいつ最後まで勇者だったって』

「止めろ! ファリエル様がファルゼン様になって私がファルゼン様されるっ!! これ以上評価が地に堕ちたら私を待ち受けるのはファルゼン様だ!」

『断罪ですねわかります』

「ぐぁあああああああああああああああああああああああっ!!?」

『あっ、ファリエール様。ちょっと小耳に挟んだ情報なんですが……』

「やめろぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっっ!!?」

『で、冗談は置いといて。ジジイとかもイスラとかもいるわけ?』

「……ぐっ、その、ようです……がふっ」

『……なぁ、ロン毛眼鏡は流石にいないよな?』

「ええ、それらしき姿はどこにも………………うわっ」

『おい、何だよ、何があったんだよ?』

「……包帯ぐるぐる巻きのパラ・ダリオみたいな奴が陣の最後尾に……」

『…………』













暁の丘



「おのれ、忌々しい……! 傷が疼きおる……!!」

「貴方、やはり無理をしない方が……」

「みなまで言うな、ツェリーヌっ。我の顔に泥を塗った彼奴等に、直接制裁を下さねばこの痛みも屈辱も晴れぬ!」

「……こんな辺境で侍に引き続き、木乃伊までお目にかかれるとは、な」

「黙れウィゼルッ! 我はもともとこのようなふざけた格好はしておらん!!」

「興奮するな。傷が開くぞ」

「誰のせいだと思っている……っ!」

「貴方、落ち着いて。ウィゼル様もご自重なさってください!」

「……」

「くそっ、あのような訳の解らん方法で不意打ちするなどと……! ええぃ、思い出しただけでも腸が煮え返るぞっ!」

「ツェリーヌがいなければとんぼ返りになる所だったな」

「くっ、使い手はともかく、流石は始祖の遺産ということか。……ふふっ、これから我がものになると思えば、怒りも少しは収まるというものよ。奪い返した暁には、まずはあの小憎らしい小童から焼き尽くしてくれるっ」

「……」

「それにしても、共界線(クリプス)を用いたエルゴの代替とは……始祖も粋な計らいをするではないか」

「核識を掌握してしまえば、この島から一気に世界を牛耳ることも可能……」

「その通りだ、ツェリーヌ。ふははっ、我が秩序たる世界がもうすぐそこまで来ている……! 予てから計画していた魔王召喚などという儀式はもはや用済みよ! ふっ、ふははははは!!」

「…………」

(……殺気? いや、これは……)

「はははははははぁ…………ぁ? ど、どうした、ツェリーヌ、その荒波を控えた大海原のような顔は?」

「……貴方」

「う、うむっ?」

「私の知らない間に情婦を随分ご熱心にかき集めていたようですが……そのことをお聞きしても?」

「!? ま、待て、取り乱すなツェリーヌ、決して早まってはならんぞ?!」

(……嫉妬狂いか。そしてオルドレイク、お前の方が取り乱している)

「あ、あれは……そ、そうっ、道具、道具であるっ! あくまで魔王を降臨させるための器のためっ、あやつ等を囲うのもまた仕方無しというのが真に遺憾ながらこの堕落した世界の道理ッ!!」

「崇高ある儀式のためなら囲う必要などないのでは? ……私に黙ってまで」

「う、うむっ、そうであったなっ!?」

(既に瀬戸際……)

「か、勘違いするなよツェリーヌ。あくまで私の妻はお前だけだ、お前以外にこの心を譲る相手など存在しない! 『お前想う、故に我在り』だっ!!」

「その割には貴方好みの女が揃っていたようですが?」

「み、見たのか?! この間からどうも余所余所しいと思ったら、そういうことだったのか!?」

「何でも男児が生まれたらソル、女児が生まれたらカシスという名前にすると仲睦まじく決め合ったとか……」

「違うぞツェリーヌ! 男児だったらキール、女児だったらクラレットだ! あ゛」

「……………………」

「つ、杖を下ろせツェリーヌッ! 今の私はタケシー一匹で死ぬぞ!! お、下ろせ、下ろすのだっ、下ろしてください!? ……ぁ、愛しているっ、愛しているぞツェリーヌゥウウウウウっ!!?」

「私も貴方のことを愛してる」

「ぬあああああああああああああああああああああああああっ!!!?」

(哀妻家……いや、遭災家か)













「なーんか騒がしいねー」

「……」

自分にかけられた言葉を、ヘイゼルは無言で受け付けない。
多少の間隔を空けて隣に立つイスラはその反応に腹を立てる訳でもなく、気軽な笑みを浮かべていた。
先日の被害で少なくなっている人員で行軍している最中、少女二人が隣り合って歩を進めていた。

「後ろの方から悲鳴みたいの聞こえてきたけど、もしかして奇襲とか遭っちゃってたり?」

「……」

「あり得ないとか考えてるかもしれないけどさぁ、この島じゃ何が起きるか分かったもんじゃないんだなー、これが」

「……」

「ホントホント、何か知らないけどいつの間にか戦況がひっくり返されてたり、人が真剣に振る舞ってるのに訳の解らない脱力感が蔓延してたり……ううっ、ぐすっ、ひぐっ……何だってんだぁ馬鹿ヤロー! 私の苦労返せぇー!!」

煩わしい。
べらべら喋りかけてくるイスラを本気でうっとおしいと思い、ヘイゼルは形の整った眉を苛立たしげに歪めた。
何故黙っていられないのか、何故自分に話しかけてくるのか、イスラへの疑問が全て憤懣に繋がる。
この島に来るまでは、互いに興味の欠片も示さない間柄であった筈だ。ここにきて気安く接してくる少女に覚えるのは僅かな戸惑いと、それ以上の不快感でしかない。
孤独に慣れ過ぎたヘイゼルは無視の姿勢を貫いたまま歩幅を広くした。
じめじめと泣きながら喚くイスラを置いてきぼりにし、独りでいられる空間に足を運ぶ。

「帰ってこないね、君の使い走り」

「…………」

背後より投げられた声に、ヘイゼルは足を止め振り返った。
先程とは異なる声音。嘲りをちらつかせる言葉を放った少女は、瞳を糸のように細めて笑っていた。
────こいつ。
ヘイゼルの眼差しに殺気が乗る。周囲の空気が息を止めたかのように静まり返った。

「お使いもこなせない駒を、オルドレイク様はどう思うんだろうねー? あの人達に指示出してた君のことも含めてさぁ」

嘲笑っている。
イスラ以上に自分が気にかけていた懸念をわざわざ引っぱり出し、此方の反応を楽しむかのように嬲ってくる。
小さな舌で顔を舐めまわされるような屈辱感にヘイゼルの視界が一瞬燃えた。浅い拳を作っている指にグッと力が入り、筋肉の緊張が更なる怒気を呼び起こす。
近寄ってきながらくすくすと笑声を囀り散らすイスラに、今度こそ殺気を叩きつけた。

「ふふっ、そういう顔もいいなぁ。私達あんまり接点なかったよね、だから君のそういう表情、とても新鮮に映るよ」

「……」

「もうちょっと他の顔も見せてくれると嬉しいな。もしかしたら“これっきり”になっちゃうかもしれないし」

「……お前も似たような立場だ、黒猫」

顔と顔が触れ合う位置まで距離が詰められる。
既に能面のような無表情になったヘイゼルは、備えつけているナイフに手を伸ばし次には翻そうとした。
だが、イスラはヘイゼルの予備動作に関心を寄せず、それどころかくるりと無防備に過ぎる一回転をして再び隣に並んだ。

「あははっ、そうなんだよねえ、実は。むしろ私の方が減点重なってやばい感じ? もうどうしたものかなー」

「……」

さっきまでの調子に元通ったイスラに、ヘイゼルは思わず面食らった。
その顔を愉快げな流し目で見やった後、彼女はすぐに破顔を持ち出して話の続きを並べ始める。
まるで自分の発言を引き出すことが目的だったかのように、少女は無邪気な笑顔を取り戻していた。

(……なに、こいつ)

内の狼狽を悟らせないように努めながらヘイゼルは呟く。
肩を並べる位置で身振り手振りして話題を振るイスラは、年相応の女の子のようだ。あたかも友人と接するかのように。
理解できない少女の様子に、ヘイゼル自身無自覚だったが、押されっぱなしだった。

「でも私には『切り札』あるしー。やっぱりどっちかっていうと、茨の君の方が不利だよ、うん」

「……」

「一人も殺せてない暗殺者集団ってどうなの、って感じ? 何か手を打っとかないとあとあと困るんじゃないかにゃー?」

「……」

「もう、こうなったら夜伽に乗り出しちゃうとか」

「……ツェリーヌ様に首を飛ばされるわ」

「あはははははははっ! うんうん、確かに! そういえばあったよね、前にさぁ、オルドレイク様に取り入ろうとしてすごいことやらかしっちゃった人!」

何年も前の話だ。
とある女暗殺者が、ちょうどイスラがヘイゼルに持ちかけていたように、自分の美貌を使ってオルドレイクを誘惑しようとした。
紅き手袋と派閥のパイプ役だったのかそれとも私事だったのか定かではないが、とにかくその暗殺者はオルドレイクの私邸に忍び込んだのだ。
計画は順調だったらしい。荒事なく見張りをやり過ごしっていった女暗殺者はターゲットの私室に辿り着いたとも聞く。
風の噂によると相手の方もノリノリだったらしいが、しかし駄菓子菓子、絶妙なタイミングで死霊の女王が召喚され世界が悲鳴と怒りに満ちたらしい。
後に語り継がれる「セルボルトのアバンチュール事件」である。

頭を抱えて部屋の隅で蹲る件の女暗殺者を見たこともあるし、改装工事をしていたオルドレイク邸の前で汗を流したこともあるから、きっと事実なのだろう。ちなみに誰かの手回しかその女暗殺者も紅き手袋も制裁を下されることはなかった。
以後、オルドレイクのもとに女の構成員が単独近付かないことは不文律の掟となっている。「オルドレイクは汚せない」の名言は組織内で余りにも有名だ。
ちなみに娯楽のない紅き手袋の中では、オルドレイクの操(笑)をかっさらっう勇者を当てる賭博が流行している。
自分も候補に挙がっているらしい。
出来るか。死ぬわ。

けらけら笑いながらその話をするイスラは本当に楽しそうだった。
ともすれば、闇に浸り切った一人の人間には見えないくらいに。
ヘイゼルはそんなイスラをしばらく見つめてから、自然と口を開いた。

「…………変わったわね、貴方」

「んー、そお?」

笑みを止め、きょとんと見てくるイスラに「…ええ」と返す。

「前も周囲と比べたら、べらべら喋る方だったけど……」

「……茨の君も意外に口キツイんだね」

明確な答えを用意できず、言いあぐねること数秒。
自分を直視する黒塗りの瞳に居心地が悪くなり、早く済ませようとぶっきらぼうに呟いた。

「……何か、変わったわ」

地面に落ちた自分の声に、どこか感慨が含まれていることに気付きヘイゼルは顔を顰める。
己の言動を揉み消すように乱暴に歩みを再開させた。すぐに呑気な足取りで少女が付いてくる気配がしたが、構うことはしなかった。

この少女の変化は、この島に来てからということになるのか。
一体何があったのか、と明るく笑う少女の顔を思い出し。
やがて、冷めた思考でくだらないと唱える。
自分とは一切無縁な類だと断じて、巻かれている紅いマフラーを口元までぐいと上げた。
顔と、自分の内にある何かを覆い隠すように。

「でもさぁ、茨の君。本当に今は狙い時かもよ? オルドレイク様は負傷中だし、こんな緊急事態だからツェリーヌ様も付きっきりっていう訳にもいかなし」

しつこい。
すぐ後ろで話しかけてくるイスラにうんざりとした感情が働く。
ならお前がいけばいいだろうと内心で悪態をついたが、この少女はそっちの教育を受けていなかったことを思い出す。
返答の糸口も見つかられないそんなヘイゼルに、イスラは一層背中に歩み寄って言った。

「もしだよ? ツェリーヌ様に見つからず、オルドレイク様の寝室に忍び込めたら……」

どこか緩慢に連ねられる言葉。
もったいぶったような言い方に辟易する。
いい加減しつこいと文句でもくれようと、ヘイゼルは口を開きかけ、



「……全部、“自由”になれるかもよ?」



ゾクリ、と首筋がわなないた。

「────ッッ!?」

『消せ』と言った。この少女は言外に、はっきりと、『殺せばいい』と告げた。
乾燥しきっていた心を鷲掴みにしたその言葉の羅列に、ヘイゼルは形相を作り振り向く。
冷たい笑みがある。此方を試すように見つめる冷たい笑み。
薄くなった瞳には暗い光がある。口元に浮かぶ浅く細い三日月は、嗜虐な形をなしていた。
もう何回目とも知らない豹変した少女の雰囲気に、ヘイゼルは今度こそ喉を鳴らした。


「……うふふっ、冗談冗談。そんな真に受けないでよ」


くるり、とまた表情が一変する。
瞠目しているヘイゼルを抜いてイスラは前に出た。

────黒猫。

記憶の海から浮かび上がった、紅き手袋で正式に定められたものではないイスラのもう一つの名前を、ヘイゼルは胸中で呟いた。
首輪に繋がれた幼い猫。
行動は無邪気で、御しやすく、誰にでも懐き────そして裏切る。
それが少女の“手口”。およそ暗殺として似つかわしくないその方法に、知れず誰かが言うようになった。
『黒猫』と。


「茨の君も案外からかい甲斐があるんだね、あははっ」


黒猫は紅き手袋の中でも殊更に嫌われている。
正式な所属自体は無色の派閥で、出向という形で紅き手袋に身を置いていること。
先代達の技術を漁り我が物顔で盗んでいくこと。
またオルドレイクのお気に入り──結局は使い勝手のいい道具という意味だが──ということ。
それら多々な要素が絡み合って忌避の理由に含まれているが、しかし、中心を占めているのはそこではない。

『黒猫は死なない』

暗殺対象に返り討ちにあおうが、早まった追手連中に処理を受けようが、気に食わぬと暗殺者達が手をかけようが、少女は決して死ななかった。
暗殺の完遂率は100%。
指示を受け取れば少女は必ずその目標を消し去ってみせた。オルドレイクに重宝されるのもそれが理由だ。
気まぐれな猫のようなやり方で、殺害不可能の体をもってして、少女は異常な早さで屍を量産していった。

故に黒猫は疎外される。
組織の仲間達は、隙を見せれば喉笛を食い千切られることを知っているから。
怒りに触れればどこまでも追い回されることも知っているから。
黒猫は、絶対に死なないから。


「いいこと知っちゃったな~」

「…………」


後ろで手を組んでステップを重ねる少女を見据える。
少女の言葉の真意は解らない。だが警戒姿勢を敷かずにはいられなかった。
それまでの馴れ合いらしき行為も関係ない。
これが「黒猫」なのだ。
改めて、決して心を許してはいけない相手だと強く認識した。







「お前は、どうするんだ?」

「何が?」


背中に問う。
細めた眼差しを突き刺して、鋭く。


「首輪が外れるかもしれないと知って、猫は一体どうするの?」

「…………」


問いかけに一時の無言が返される。
その小柄な背中は動きを止め、ややあって、振り返った。


「決まってるじゃん」


陋醜な響き。
ニタ、と亀裂が生じたように口端を持ち上げる。
形の歪んだ瞳を差し向けた。
しかし、次には一転。


「鳴くんだよ」


太陽のように微笑んだ。


「捨てないで、って鳴くんだよ」


偽りの太陽のように、微笑んだ。


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