朝一番に今日もいつもどおりの一日だろうなどと思うことは、いつかに聞いたフラグというものに他ならないだろう。だから当然そんなこと欠片も思わない、いつもどおりに今日が始まった。
勉強は好きじゃなかったけれど、現在の人間社会的に考えて大学を出ておいたほうがいいとか、ただ夢も無いまま進学校に入った勢いとかそんな感じに流されるままに大学に入って無為の時間を過ごす毎日。けれどその日々にこれといった具体的な不満を感じる事なく、しかしただ漠然とした不安を抱え、やりたいことを探すなんて外面的な理由を取り付けている間違ったモラトリアム。
大学に行く過程での電車内で運命の出会いとかありえないし、大学内でも精力的に活動していたわけでもない俺は、そのまま友達の少ない大学三年目を迎えていた。
社交的でない→独特の雰囲気を持っている→近寄りがたい、なんておもっくそ変な三連コンボを当然の如く三年目で初めて所属したゼミにおいても発揮し、そしてそんなあぶれた人間に近づいてくる人物なんていうのは、何故か知らないけど現代社会においてあまり認知されにくい奇抜な趣味を持っていることが多い。
つまりあれだ、この人もあぶれているから同類だろう、みたいな。
でもそんな人も二種類いるわけで、それは自分の趣味に対してゴーイングマイウェイでおおっぴらな人と、認知されにくいから始めはやっぱり隠しとこう、の人なわけで。
そして俺に話しかけてくれた奴は後者なわけで、つまりは気付く頃には無下にしにくい状況だった。
伊西は言う。ちなみに女。丸眼鏡の小太り、正直かわいくはない。
「バトルはいいよ、特に魔法とか。そう思わない?」
「……まぁ、恋愛モノよりはいいかな」
「でしょ。だからちょっとこれ見てみ?」
そう言って渡してくるのは一枚のDVD。明らかな勧誘だった。
「えっと、いや、時間ないからさ――」
「データだからパソで見てな。一番最初のやつが紹介みたいな奴だから。で、気に入ったらその後の見てくり、本編だから」
是非もない。伊西は颯爽と去っていった。
次はゼミだぞ、何のために学校来たんだ。
俺は押し付けられたDVDを見つめ、なんともいえない気持ちになった。はっきり言ってアニメは嫌いじゃない。甘言どころか勢いだけで渡して去る友人に対する気遣い半分、自分自身の興味半分といったところか。
ちなみに自分で言うのもなんだが俺は文学青年である。つまり趣味は? と聞かれれば読書です、と答えるわけだ。
しかし俺が読む条件が一つある。物語以外だ。
とは言っても物語を絶対に読まないわけじゃない。俺が『楽しく』本を読むならば物語以外、というだけだ。それは俺がこの大学に通っている理由でもある。
物語に感情移入できない、という受験生にとって致命的な弱点があったのだ。そう、センター試験の国語、大問二、である。
評論など人間の感情という不明瞭なものを書かない文書ならば問題はないが、登場人物がいる時点でもうおしまいである。ただ字面を眺め、書いてあることを字のままに頭に入れてしまう俺はA君がああしたこうしたどんな気持ちでしたか? なんてわかるわけがないのだ。
小学校一年の時にクマさんの気持ちを吹きだしに書こうと言われ早々に匙を投げて激怒された俺にとって小説は鬼門である。そのまま弱点としているのが癪なのでたまに勉強のために読んでいるがやはり苦痛であるのだ。
映像がある分には物語もまぁ苦痛じゃない。表情は何よりその人物の感情を教えてくれる。たまによくわからない顔をするものもいたが、そこはそれ、物語特有の話の流れで理解することにしよう。文字じゃなければまぁ平気なのだ。
「苦しくなったら見よう」
次に物語を読む気になって、しかし耐えられなくなったら見ようと適当に思ってゼミに向かった。
今日はゼミだけである。はっぴぃだ。
退屈な講義は正直いる意味を為さない。しかしそんな講義にも学費が支払われていることを考えれば有意義なことこの上ない。大体の話、惰性で入った大学生はその真理に気づくことなく大学生活を終えることになり明日に後悔する。その点で言えば在学中に気づけた俺は幸運なのかもしれない。
「斉木、聞いてるか?」
「聞いてます」
「なら今の時点で筆者が言いたいことを言ってみろ」
「……未来に気づくことはできない、過去に気づくことはできる」
「それでは語弊がある」
「……未来に起こることは知る由もないが、過去に起こったことなら理解することは可能である」
「そうだ、何も特別なことは言っていない。例えば、二十分前の私には伊西が無断欠席することは知る由もなかったが、今の私はそれを理解しているということだ」
当たり前である。もう既に起こった事で、それに関わりを持つ存在ならばそんなことは理解して当然だ。俺からすれば、何故この本の筆者がそんな常識を長ったらしく書いたのかの方が理解しがたい。
「時間の経過は変化と継続で成り立っている。物体が変化すれば時間は経過したし、状態を継続させたのならそれもまた、だ。さて、ではそれは脳内の事象にも当てはまるのだろうか」
他人の、いや自分の脳内を覗き込むことは容易にはできない。また、思考は物体じゃない。変化と継続という時間の証明には使えるのだろうか。
「答えは是だ」
……まぁ、それが言いたいことのようだし。
本を書く人間は度し難い。
「斉木、時間あるか?」
貴重な男友達の誘いはファストフードが九割だ。そして俺の承諾率は七割だ。
「悪い、今日はいいや」
承諾しない確率七割、正直きゃつがまだ友人である理由がわからない。俺の否に不満を一つも漏らさずにまた明日と消えていく。
はて、こいつとはいったいいつ友人になったのだろうか。そもそも、今も友人なのだろうか。
俺の思う友人は、手を取り合ってくれる人か、名前を呼んでくれる人である。今決めた。
「つまり、あれは友人じゃないということか」
きっと下の名前教えてないし。
後姿を見る。坊主頭の長身、確か元野球部だったっけ。おそらくは人に言えない悪癖があるに違いない。
何故なら俺の友人だから。
「って結局ダチやん」
なんだかんだ、ありがたいと思っているらしい。自分の気持ちすら考えないとわからないんだ、他人の気持ちなど理解できないのも当然である。
帰りの電車内で後輩ちゃんを見た。もう高校三年生、近所に住んでいただけで面識はそうなかったが、なんとなく始めた呼称である。本名本田かんな。
「ほんまかいな」
「…………」
周りの視線が痛かった。電車に合わせてポニーテールが揺れていた。
その日はそうして終わり。
日々に埋没した何の変哲もない一日。
でもそれは間違いで、このDVDが俺の世界を変える事になる。
* * *
蒸し暑かったわけではない。ただ寝る前に水分を多く取りすぎてしまっただけだ。
いつもは目覚めない時間、つまりは夜中に眼が覚めた。時刻は三時やや過ぎ、億劫な時間である。
用を足し、さて寝ようとした時に、どうしてだろうか、伊西に渡されたDVDのことが頭に浮かんだ。いつもの自分なら、は、知ったことか、とさっさと寝ただろうが、普段起きていない時間に起きていると変な思考をするものだ。
……見てみよう。
電気をつける気にならなかったので暗闇の中パソコンを起ち上げる。正常に稼動するまで時間がかかるのでそれまでの時間DVDを見つめて過ごした。意味もなく裏側なんかも見る。
そんな意味のない行動と起き抜けの頭は自然なんの指向性もない考えで頭を埋め尽くさせる。小学校時代の教師。幼稚園の頃の好きな子。よくわからない理論。虫。パソコンがついた。
DVDをケースから取り出して入れる。中を見ると言っていたとおりに十数個のデータが入っていたので最初のものを再生。さて、どういったものだろうか。渡された前後の会話からして魔法があるのだろう。
少しの処理時間の後にゆっくりと映像が流れ始めた。
結論から言うと、それは音楽に乗せて元の動画を切り貼りして作った動画、というものだった。テンポの速い曲調に合わせるかのように様々な女の子たちが色んな光線を放っている。
はっきり言ってやりすぎだろうと思えるくらいの弩迫力で、昨今の魔法使いはこんなにエキセントリックなのかと、きっと今までの俺ならそう思ったことだろう。
でも、そんな些細なことなんて、今の俺には考えられるはずも無かった。
「―――え…………?」
魔法少女リリカルなのは。
栗色の髪の女の子。
金髪で黒衣の女の子。
フェレット。
時空管理局。
アースラ。
「な、に…………?」
時空管理局? アースラ? そんなこと一度も出てないじゃないか。台詞なんか一つも入ってないんだから。
じゃあなんでそんな言葉が浮かぶんだ? え?
「知って、る……?」
知っている。
あの組織も。
あの艦船も。
仏頂面な少年も。
いつまでも若い女性も。
そして、そして―――
「っ!? 終わっちゃった……」
あっけなく動画は終わってしまった。時間を見ると一分半足らず。食い入るように見つめていた時間はそれこそ一瞬だったかのような錯覚さえ覚える。
ナニカ大切なものを思い出そうとしていた気がするのに、動画が終わった瞬間に全てが消えてしまった。
足りない。
材料が、鍵が足りない。
どうして知っていたのかなんて、今はもうどうでもよくなった。早く見なければならない。今は、一刻も早く全てを知らなければならない。
もう一度動画を見る。しかしおそらく先ほどと同じことしか思い出さなかった気がする。ならば、と急ぎ次のデータを再生した。
逸る気持ちが抑えられない。確実に、今までで一番焦っている。
処理時間さえも待ちきれない。
オープニングなんて知らない。
早く、早く―――!!
『お兄ちゃんおはよー』
懐かしい、声がする。
蟠っていた想いが、すとんと、心のどこかに落ち着いた。
両手で顔を覆っても涙が止まらない。目の前では、一人の女の子が、家族と団欒していた。
「なの、は……」
私は知っている。
この少女を。
太陽のような、強く優しい女の子を。
高町なのは。私を救ってくれた女の子。
――そして、私が殺してしまった女の子。
そうだ、思い出した。私は、わたしは―――!!
「この世界で、生きていた―――」
L.S.R. ~雪~
あの後、まるで洪水のように流れ込んできた記憶は私の脳をたやすくオーバーロードさせ、気がついたら動画は終わり、時刻は午前十時二十七分。
あいにく二講目には間に合いそうも無かったがもうどうでもよかった。
ディスクの中には私が経験した事のある世界がある、なんて思っている自分。そんな頭のイカレタ私が日常生活に戻れるはずがない。現に、今まで一人称として使っていた『俺』を意識しなければ使えないまでに記憶に侵食されていた。女であった私がぶり返している。
どうして思い出すなんて感覚に陥ったのか、まぁ現代で二十年も生きていればその説明にぴったりな単語なんて知る機会はあるだろう。
輪廻転生。
つまりあれはわた……俺の前世の記憶だったのだろう。
そう判断しないと私は病院に行かなければいけない。正常じゃないなんて自分でもわかっているのだ。
まぁ思い出すの別例として、前にこのアニメ見たことあっただけなのでは? ということもあったがそれはありえない。私はなのはを知っていたが、なのはの家は知らなかったのだ。
というか家族も話を聞いていただけでお会いしたことはない。だからこそ家族団欒の場で思い出したのがなのはだけだったのだ。
まったく、どうして私が転生なんてこと体験しているのだろうか。そもそもあれは死を恐れないように、善行に励むようになんて教えを促進させる為の言葉だろうに。
実際にこんなことになっている人間なんて……まぁ、いないとは絶対に言えないけど……しかしなんとも言えない感覚だ。私は私としての身体以外の全てをまた得たわけだけど、同時に男の俺としての全てもまた持っている。第二次性徴も終えてからの気付きだと、もしかしてそんなに違和感がないのだろうか。
これが例えば小学校くらいに思い出していたとしたら身体の違和感に死にそうになりそうだけど、俺という存在が確立してからだとそうそう揺らぎがないのかもしれない。あくまで前世は前世として割り切れる。
でもそれは身体の問題だけで、私はどうしても別なことで不安になる。
私は、死んだ理由が思い出せない。
魔法少女リリカルなのはなるアニメを見終えたのはその日の午後三時過ぎだった。タイトルのとおりなのはが主人公で、私の知らなかったなのはの魔法との出会いや、フェイトさんとの友情の確立までの過程が描かれていた。
P・T事件を書類でしか見た事のない私としては特秘事項となっていたフェイトさんの出生の秘密なんかはとても衝撃的だった。当の本人を知っている立場の人間が見ることなどアニメスタッフは考えても見なかっただろう。なんせ架空の世界だ、想定しているほうがおかしい。
こうして全てを見終わってみると、なのはやフェイトさん、ハラオウン執務官の凄さが良くわかる。
私がこのぐらいの時はただただ無感情無表情に過ごしていただけだった。こんな濃い経験を小さな頃からしていたのだからやはりその後の活躍も必然的だったのだろう。
一部にはやっかみがあったがそれは正当なものじゃないと今の私にははっきりと言える。尤も、これが本当に私の知る彼女らが辿ったものであるならば、という前提がつくけれど。
さて、こうして前世の記憶を取り戻した(らしい)私だが、もう一度情報を整理してみよう。
というのも、あのアニメの世界に私が存在していたらしいのは確実だが、まだ不明瞭な箇所が多々あるのだ。私がいつどのような状況で死んだのか、それがはっきりすれば私が今ここにいる理由もわかるかもしれない。ロストロギアなんて便利なものもあるし――――ロストロギア。
「ロストロギアで死後の効果を持つものなんて私は知らない……いや、そもそももっと重要なことがあったじゃない、何考えてるんだ私はっ!」
胸に手を当てて目を閉じる。身体の奥底に眠る感覚を研ぎ澄ませる。心臓がゆっくりと鼓動し、血の巡りと体温が感じ取れる。それだけ。
「ない」
胸は元々ない。女の時もほぼないので構わない。もっと大事な、かけがえのないものがない。
「闇の書……」
私の体内には闇の書があったはずなのに、俺の身体にはない。その事実に呆然としてしまった。私にとって、闇の書は同体だったのだから。
「はは、そうよね。あるわけねぇよ……」
冷静に考えても見ろ。
前世、魔法、くだらない。ここは現実の日本で、俺は斉木雄一郎。女じゃない、男の、普通の大学生なのだ。ちょっと不安定な時によくわからない妄想に取り付かれただけだ、単なる気の迷いなのだ。
「全く、いつから俺はこんな妄想上級者になったんだよ」
ふう、と一息。心臓の音が落ち着きを取り戻してくれる。そうさ、心臓はこんなにもゆっくりと動いている。体内を駆け巡る魔力も充実していて万全だ。なんでもできる気さえするぜ。
ふと、掌に光の玉が浮かんだ。がっくりと膝を着いた。
「………………はは、は」
魔力、あるやん。
* * *
翌日。大学構内にて伊西を発見、確保する。
「あれ、さいゆーどったの――ってひゃあああっ!?」
「聞きたいことがあるノデス!」
「じゃあまず放してよぉっ!? そんな力持ちだっけ!?」
魔力運用の成果です。
さて、中庭の片隅まで連行した伊西は顔を赤らめて肩で息をしていた。腕で自分を掻き抱き、やれおっぱい触ったセクハラだなどと言う。なんだろう、おっぱい触ったのに全然嬉しくない。それが俺の判断か私の判断かわからん。
「……で、何?」
「リリカルなのはを見た」
「ほう」
きらりと眼鏡が光る。こいつ、魔力持ちかっ?
「つまり続きが見たいと」
「へ?」
「え?」
思わず目が点になり、その反応に同じく点になった伊西と見詰め合う。いや私もね、詳しい話を聞こうと思ったのだけれど、まさか続きがあるなんて思わなかったからさ。
「続き、あるの?」
「そんなに気になるならネットで調べればよかったのに……まぁ私としては聞きに来てくれたから存分に話しますが?」
「…………」
迂闊者の誕生である。思わず顔を覆った。
「2期はいいよー、一番の出来だと思うねっ。バトルも派手だし、フェイトちゃんも出ずっぱりだしね!」
私はフェイトちゃん推しよっ、と宣言する伊西。それに対し何も返せない私。
「でもまさかそんなに食いついてくるとはねー、こりゃ萌えましたかねっ!?」
「……嬉しそうなとこ悪いけど、違うよ。気になっただけ」
「そ。概要がお好み?」
うむ、と頷く。では、と咳払いをし、彼女は話し始めた。
「キーワードは“闇の書”」
「――――――――え」
* * *
さて、混乱してきたゾ。テンションおかしいゾ。
この変な昂ぶりは後遺症もしくは反動と言っていいかもしれない。私はとても無表情だったから。感情が死んでいると言っても良かったし、実際言われ続けたしね。
伊西の家に強引に迫り、再びデータ(DVD)を借りてきた。綺麗なパッケージには確かに見知ったものが描かれている。
「闇の書……でもなんで……」
しかし、これは違う。違うったら違う。
だって闇の書は、私の中から一度たりとも出ていなかったのだから。
「それに、持っているこの女の子……」
知らない誰か。推測するに、この少女が闇の書の主なのだろうか。
「――論より証拠、百聞は一見に如かず、案ずるより産むが易し。どれもちょっと違うなぁ」
ま、せっかく借りたのだし見てみよう。そうすればきっと思い出せる。
だって、自分の半身が鍵となる物語なのだから。
さて、一つ思い出してみましょうか。
なのはの。
フェイトの。
そして他ならない私、一刃雪那の物語を―――
ハーメルンに投稿していたものです。完結済。