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No.38918の一覧
[0] 【艦これ】北上さんがいいって言うなら[絢森せりか](2013/11/20 21:17)
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[38918] 【艦これ】北上さんがいいって言うなら
Name: 絢森せりか◆3c1fe270 ID:844e9d18
Date: 2013/11/20 21:17
 砲撃が好き。雷撃が好き。自身の受ける衝撃と敵に与えるダメージの、無機質な力強さが素敵。海の底から現れた侵略者が四散して海の藻屑と消えるさまは儚くて、楽しくて、一日中眺めていてもきっと飽きないんだろうな。だけどそんなことをしたら私に隙が出来るから、私は敗者に見向きもせず、次の獲物に魚雷を撃ち込む。……獲物? あら、獲物だなんて。神戸にいたころ飼っていた犬のことを思い出して、言い間違えただけですわ、うふふ。深海棲艦は人類の敵。侵略者である彼女たちから我が国を、そう、新生大日本帝国を守り、彼女たちに支配され家畜のように搾取される諸外国の人々を解放することが私の使命。私の中で黒く渦巻く暴力的な衝動を思う存分ぶちまけたって誰にも咎められることのない格好の獲物、それが深海棲艦だなんて、私、ぜんぜん思っていません。明るい未来を勝ち取るために、全力で頑張るだけ。私、砲雷撃戦って聞くと、燃えちゃいます。
 夕日を受けて輝く水面を私は滑るように走る。海のこと、武器のこと、戦闘における心構えは重雷装巡洋艦大井の記憶が教えてくれる。私を守護する軍艦の魂、私とひとつになった大井は、今の私自身を示す名前にもなっている。だけど私は大井の記憶のすべてを自分のものには出来ない。シンクロが不充分だから。かつての帝国海軍の艦艇と融合し、深海棲艦にほど近い強化人間になったけれど、私の脳も精神も人間のときのままで、人にあらざる存在の記憶のすべてを自分自身のものとして処理することは困難だ。大井という船の生涯、大井に刻み込まれた記憶は、その加護を得たときにすべて私に流れ込んだ。だけど今はその詳細を思い出すことは出来ず、実戦に生かせることはほんのわずかにすぎなかった。でもね、これでも最初のころに比べればずいぶん良くなったほう。大井の加護を得た直後は、軽巡洋艦だったころの記憶しか引き出せなかったから。
 波間に新たな敵艦が見えた。敵艦、といっても相手の姿は人類の女に酷似していて、機械とも生物ともつかない禍々しい装甲と、不自然なまでに青白い蝋のような肌がなければ、生きている人間となにも変わらないだろう。遠方からの砲撃をかわしつつ、私は相手に接近する。仮面のような装甲に覆われた敵の顔の、ちょうど左目にあたる個所が、鬼火のようにゆらゆらと赤い光を発している。敵艦隊に配備された、重雷装巡洋艦。艦種自体は私と同じ。だけどその姿かたちはまるで異界の騎兵のようで、顔の中で唯一露わな線の細い口元と、装甲の合間に見える豊かな胸の整った女らしさが憎らしい。幽鬼のような美貌をひけらかす戦艦ル級や空母ヲ級とはまた違う、憎らしさ。顔も体も全体のごく一部しか見えない分、見えるパーツの美しさが想像をかき立てる。似合わないのよ、化け物のくせに。こんなに綺麗な女の体を自分のものにしているなんて。水柱の間を縫いながら、私は敵との距離をつめる。敵艦に砲撃し、その反動の衝撃に思わず小さくうめいたとき、遠くからではわからなかった敵雷巡の状況がはっきりと視認出来た。
 嬉しさで満たされる。相手はすでに大破していた。砲門と一体化した左腕はちぎれ飛び、巨大な盾を思わせる、あるいは魚類の頭部のような艦首はいびつに歪んでいる。私の与えたダメージだ。私の武器が追い詰めた。偵察機のもたらした敵艦隊発見の報を受けて事前に放った甲標的、一隻の小型潜航艇が敵艦の間近で放った二発の魚雷と私のさっきの砲撃が破壊した。だけど相手は痛みなどまったく感じていないのか、白い仮面の下に見える口元は整ったまま。ぼろぼろの深海棲艦って、壊れたおもちゃみたいで素敵。幼い頃に人形の手足をもいで母親に叱られたことを思い出す。あのときの続きをしたいって、私、ずっと思ってた。私を咎めるお母さんはもうどこにもいないから、今なら綺麗な人形を好きなだけ壊せるわ。なんだかとてもわくわくする。でも喜ぶのはまだ早い。相手は今も私に向かって砲撃しているんだから。
 北上さんならこんな敵、一撃で沈めてしまうのに。大好きな北上さんと同じになれないなんて嫌。
 私は一気に加速する。懐に飛び込む必要なんて本当はないのだけれど、確実に相手を仕止めるためにも、そしてその最期の姿を間近でこの目に焼き付けるためにも、砲撃も、雷撃も、至近距離からしたいじゃない。
 敵船体の下部に生えた巨大な歯列が上下に開き、砲門が現れる。
 この期に及んで形勢逆転を狙っているつもりなの? もう、遅いのに。
「海の藻屑となりなさいな!」
 太腿を中心に、下半身の骨が震えた。それは魚雷を撃つ際に私の受ける衝撃だった。
 艦娘本体の装着する魚雷発射管から放つ雷撃は本来の魚雷とは異なり、空中を飛んでいく。私の放った魚雷の群れが敵の重雷装艦に襲いかかっていくのが見えた。憎らしい女に魚雷が刺さる、そう夢想しかけた瞬間、魚雷が派手に爆発する。黒光りする船体がたわむように大きく揺れ、柔らかそうな乳房が片方、跡形もなく吹き飛んだ。それでも女の口元は、その表情は変わらない。爆炎に巻き込まれ、砲門や魚雷管が次々と爆発する。ひときわ大きな誘爆が艦底の付近で起きて、白い腹が下方から裂けるように破裂した。ちぎれ飛んだ上半身が折れるように後ろに傾き、吹き飛んだ黒い破片が白い肉に突き刺さる。わきを通り過ぎた私が振り返ったときにはすでに、白い体はそこになく、魚類のような船底が海に沈み始めていた。
 今日もまた、素顔を確認しそびれたわ。
 敵の轟沈を確認してから、そんなことをふと思う。
 いつもそう。敵の重雷装艦の装甲の下の素顔のことを私は何故か気にしているのに、そう、あの整った口元をもつ女の顔の全貌を想像せずにはいられないのに、いざ相手と対峙すると、そんな気持ちを忘れてしまう。
 顔のない女の消えた夕暮れの海を見渡すと、波間に漂う数十センチの潜航艇が見つかった。事前に放った甲標的。潜航艇には、何かのマスコット人形のような二等身の少女がまたがっている。私がそちらに近づくと、少女は小さな両手を動かし、潜水用のヘルメットを脱いだ。
 この少女の正体は、妖精と呼ばれる少女兵。甲標的だけじゃなくて艦載機にも搭乗するし、工兵や整備士として働くことだってある。彼女たちは傷つかず、決して死ぬことはない。実体を持たないから。妖精と呼ばれる少女兵は、人間の霊魂がかりそめのかたちを得たものだった。だけど無敵ってわけじゃない。何故ならその霊魂は、生身の人間の生き霊だから。解体されて生身の娘に戻った元艦娘から生き霊を引き出して使役しているのだから。艦艇の魂を人間に宿す禁術を応用し、人間の魂を抜き出して戦闘に利用する、それが妖精の真相で、妖精そのものは不死身でも、魂を抜かれた肉体はあっという間に衰弱する。抜き出した霊魂を元の体に戻さなければ、さほど時間の経たないうちに本体は死んでしまう。だから帰投するときは、妖精も一緒じゃないとダメ。甲標的に関しては、特に注意が必要で、潜航艇の操縦者は自力で帰還出来ないから、誰かが回収しなければ本体はやがて死に至る。搭乗者の命と引き替えに敵艦を轟沈させたなんて結果になってしまったら、北上さんはきっと苦しむ。だってそれって結果的には、特攻兵器と同じだから。重雷装艦北上は、太平洋戦争末期に回天母艦となった。北上さんは当時の記憶の詳細を思い出すようになってきて、あの武器だけは、回天だけは載せたくないってこぼしている。だから私は潜航艇の搭乗者を回収する。北上さんがいいって言わないようなことは、したくない。北上さんを傷つけるものを私は絶対に許さない。
 潜航艇を回収すると、妖精は立ち上がり、切れのある動きでくるりと回った。
「ナカチャンダヨー」
「お疲れさま。那珂ちゃんはいつも元気ね」
「ナカチャン、チイサクナッテモロセンヘンコウシナインダカラ」
「ふふ、これからもよろしくね」
「ナカチャンハ、エイエンニ、カンタイノアイドルデース!」
 那珂ちゃんのノリは変わらない。
 解体された艦娘には、艦艇の魂は残っていない。〝那珂ちゃん〟になる前の彼女はアイドルとは程遠い暗い世界に生きていて、だから鋼鉄の英霊の御霊の加護を失えばこんなテンションは保てないはずなのに、彼女は今も軽巡洋艦那珂の記憶の影響をその人格に受けている。それは那珂ちゃんだけじゃない。他の艦娘も同じこと。この事実は私の胸にしこりのような違和感を残し、安息を妨げる。
 たとえ大井の記憶がなくても、私は砲雷撃戦を好きになっていただろう。
 自身の受ける衝撃と敵に与えるダメージの、無機質な力強さにきっと惹かれていただろう。
 今の私の価値観や好きなことと嫌いなこと、私のこの性格が、己に宿った軍艦の記憶ゆえのものだなんて、私には思えない。北上さんに惹かれた私のこの気持ちは、私のもの。大井の記憶と魂がなければ芽生えなかった気持ちだなんて、そんな風には思わない。思えるわけ、ないじゃない。

          *

 周囲の様子がよく見えない。夜の海は荒れていて、索敵もうまくいかないし、仲間の船すら見失いそう。ダメよ、もっとしっかりしなきゃ。今はとても大事な時期。天皇陛下の指揮による特別大演習の真っ最中なんだから。
 大演習は赤軍と青軍にわかれておこないます。あたしの所属は赤軍の特設第六戦隊で、連合艦隊主力からなる青軍に攻撃するのがあたしたちの役目になっています。あたしたちは小笠原を出発し、本土を目指しながら演習をおこないます。天気が悪いのは台風のせいかな。十月だし。そういう時期よね。特設第六戦隊は古鷹さんが旗艦を務め、あたしの他には多摩さんと北上さんが一緒です。そう、北上さん。観艦式のセレモニーでは、名だたる戦艦とともに、あたしと一緒に第一列に並ぶ予定の北上さん。観艦式の第一列で、あたしと隣同士になる予定の北上さん。なのにその北上さんは、大演習の夜戦のさなかにいなくなってしまいました。
 あたしは北上さんを探します。北上さん、どこに行ったの。どこに行ってしまったの。北上さんの姿が見えない。北上さんは阿武隈の近くにいるはずなのに、どこにもいない、見つからない。どうして。どうしてなの。こんなときに北上さん、勝手にどっか行かないでよ。古鷹さんも多摩さんも、北上さんに言ってください。勝手にどっか行ったりしないで、って。あ……、あれ? もしかして、間違ってるのはあたしのほう? あたし、はぐれちゃったのかなあ。ううう、どうしよう。早く軌道修正しなきゃ。こっちよね。方向はこっちでいいのよね。
 ……って、え、北上さん?
 阿武隈の右舷前方に北上さんの姿が見えます。なんで急に出てくるのよ。しかも北上さんが向かうのは、あたしから見て左の方角。つまりあたしの航路上に北上さんは向かっています。なんでそんなことをするの。このままじゃ、ぶつかっちゃうじゃない。船は急に止まれないんだから。今すぐ航路を修正するしか、衝突を避ける手段はありません。このまままっすぐ進んじゃダメ。まっすぐ進めば確実にぶつかる。かといって右に曲がれば、隊列がめちゃくちゃになって、あたしはますますはぐれちゃう。だから左。あたしは右に行きすぎたの。全力で左に曲がって、元の方向を目指さなきゃ。早く、早く動かなきゃ。ああ、まっすぐ行っちゃダメ。左よ。早く左に動いて。北上さんもどいてくれなきゃ。北上さん、右に動いて。お願いだから。ああ、もう間に合わない──
 一九三〇年十月二十日、阿武隈は北上さんと夜の海で衝突しました。
 あたしは頭から北上さんのお腹のあたりに突っ込んで、あたし、頭が弱いから、……って、馬鹿って意味じゃないですよ。笑わないでください、もう。なんで納得してるんですか。船は艦首が弱いんです。だからあたしは大破して、北上さんはあたしと比べたらぜんぜん軽傷だったけど、でも、なんか武器が壊れて、中にいた人にも被害が出ました。
 北上さんは苦手です。だって急にいなくなったり急に出てきたりするし。どいてって言ってるのにどいてくれなかったし。北上さんにぶつかったせいで阿武隈の中の人が、なんか、責任取らされたし。そりゃあ、ぶつかったのはあたしですけど。でもやっぱり苦手です。阿武隈のこと、おかしいって言うなら、自分の運転してる車が追突事故を起こしたときのことでも想像してください。相手の車の運転手と緊張せずに話せます?
 ……ね? 阿武隈、変じゃないでしょ?
 艦娘として転生した今も、北上さんと話すのは怖いです。事故の夜を思い出すと軽いパニックに陥って、奇声を上げながら部屋の中を転げ回りたくなっちゃうし。北上さんの姿を見ただけであたし、すごく緊張して、心臓がドキドキして手が震えちゃうんです。でも、このままじゃ良くないっていうか、北上さんと同じ艦隊に配属されるかも知れないのに苦手意識を持ってちゃダメだし、阿武隈の魂はあたしに期待してくれてるんだから克服しなきゃいけないって思って、だって軍艦の魂に期待されるなんてすごいでしょ、だからあたし、勇気出したの。北上さんに話しかけたの。あの夜のことも謝らなきゃって思ったし。なのに北上さんったら何を言っても上の空、ときにはウザそうな顔をしながら「あー」とか「うー」とか「まあ、難しいよねー」とか、なんかあたしの言うことをぜんぜん聞いていないみたいで、ねえ、ひどいでしょ!
 北上さんはあたしのことを怒ってるんだと思います。
 だからあたしが話しかけるとウザそうな顔をするんです。
 でも、あたしだって、謝ろうとしてるんだし。一緒に戦わなきゃいけない以上、ギスギスしてるのは良くないと思うし。あたし、生まれ変わったんです。阿武隈になる前、学校にいたころは問題ばかり起こしていたけど、阿武隈のおかげで新しい自分を手に入れることが出来たんだもの。暴力的な自分は抹殺、あたしに期待してくれてる阿武隈のかわりに頑張らなきゃ、って思ったの。ホントです。なのに北上さんの態度。謝ろうとしているあたしを面倒臭そうな顔で見て……、何なの、あの人。覚えてないわけ、ないじゃない。怒ってないわけ、ないじゃない。なんで何も気にしてないフリなんてしているの。阿武隈、わけのわからない人はすごくすごく苦手です。
 頭の中が北上さんのことで埋まりそうだったから、思い切って相談しました。相手ですか? 艦娘のみんなです。みんなって誰って? えっと、よく覚えていないけど、古鷹さんと多摩さんはいなかったと思います。あと、大井さんも。理由ですか? 古鷹さんと多摩さんは事故のことを知ってるし、大井さんは北上さんといつも一緒にいるから、なんか、その、えっと……、もう! そんなこと、どうだっていいじゃないですか。阿武隈、細かい人は苦手です。
 え、相談の内容ですか? 「私、北上さんのことは苦手です。何なの、あの人……」って。そういう感じですけど。
 最初のうちは、みんなあたしに同情してくれました。
 だけど榛名さんがいきなり、それまで穏やかな表情で聞いてくれていたはずなのに、口元に笑みをたたえたまま、勢い良く立ち上がって、阿武隈に言うんです。
「榛名、出鱈目は許しません」
 出鱈目? どういうこと? あたし、嘘なんて言ってません。
「一九三〇年の衝突事故は、阿武隈さんが北上さんに衝突したのではなかったのですか?」
 そうだけど……。だから、だから苦手だから、相談しているんですけど……。
「当時の北上の艦長は、のちに榛名の艦長に就任されたかたでした。ですから榛名は知っています。北上さんと阿武隈さん、どちらに非があったのかを……。長門さんもご存じですね?」
「いや……、私はそのような話を聞いた記憶はない」
「あの方は戦艦長門の艦長にも就任されたはずですが……、長門さんは阿武隈さんに気を使っておられるのですか?」
「そうではない。私の記憶は不確かで、聞いたとも聞いていないとも言い切れなくてな……。だが阿武隈、陰でこそこそするのは感心せんな。艦娘たる者、正々堂々と、殴り合いで解決しろ」
 殴り合いって、そんなことしていいんですか? ……って、別に、したいわけじゃないけど……。
 っていうか、榛名さんと長門さんの発言をきっかけに場の空気が一変して、なんか、あたしを非難するムードが強まってきたんです。戦艦のお姉さん二人に駆逐艦たちが便乗して、「そうよ、こそこそするのはいけないわ」「阿武隈さん、自分からぶつかったくせに北上さんの悪口ゆってたの?」「阿武隈さんって性格悪い」「阿武隈さんが悪口言いふらすから、北上さん、ああいう性格になっちゃったじゃないの」「北上さんにウザいって言われて泣いちゃった駆逐艦もいるんだよ。阿武隈さん、謝りなさいよ」……え、北上さんのあの性格があたしのせい? 北上さんの暴言もみんなあたしの責任なの? なんか、関係ないことまであたしのせいにされてるし、ううう、こんな職場、あたし的には超NGです。艦娘みたいなブラックな仕事をしてると心まで黒ずんじゃうのかな。荒れるのはお肌だけじゃないっていうか。やっぱりあたしには向いてないんじゃ……。
「おい、おまえたち。そのへんにしておけ」
 長門さんがたしなめるけど、ヒートアップした駆逐艦の子たちはぜんぜん聞かなくて、しかも軽巡のみんなまで非難がましい視線をあたしに向けてひそひそ話しているし、もう、これじゃあ学校にいたころとぜんぜん変わってないじゃない。あたし、パニックに陥って暴れたりキレたりしていないのに。苦手な人とも仲良くしなきゃって思って相談しただけなのに。我慢してもしなくても結局こういう結果になるなら、自重なんて意味ないじゃない。やっぱりあたし、新しい自分になるなんて無理だった。艦娘になってもやっぱりあたしは問題児のままだった。ごめんね、阿武隈。せっかくあたしに期待してくれたのに。
 駆逐艦の群れの向こうに榛名さんの誇らしげな微笑みが見えました。当然のことをしたまでです、と今にも言い出しそうに見える、輝かしい表情です。なんか惨めな気分だな。あたしだって、当然のことをしたまでです、って胸を張って言いたかった。そう思えるようなことをしているつもりだったのに、この差はいったい何なのよ。潮ちゃんもそばにいないし、あたし、誰にも頼れない。でも、このまま言われっぱなしなんて嫌。艦娘同士の殴り合いならあたし、負けないんだから。そう思い、実力行使に踏み切ろうとしたとき、駆逐艦のざわめきを大人びた声が遮りました。
「そんなことよりボーキサイトの話をしましょう。ボーキサイト。おいしいわね」
「『艦娘の選ぶ☆海軍グルメランキング』でボーキサイトが圏外だったなんて信じられません。頭に来ました」
 はぁー、まさに助け船。さすが正規空母、さすが一航戦、かっこいい、って思ったのに……。
「やっぱり加賀はわかっているわね」
「赤城さん。私は五航戦の子なんかとは違います」
「だけど慢心してはダメよ」
「そうね……、そうでした……」
「私、加賀が沈むところは絶対に見たくないわ。そんな知らせも聞きたくないの」
「……赤城さん」
「何かしら、加賀」
「私は……」
「どうかしたの? お皿の上に一つだけ残ったボーキサイトを狙っているときのような顔をして」
「……いえ。いいえ。何も……、何でもありません」
「ねえ加賀。これからもずっと、あなたの髪を結わせてね」
「ええ。赤城さんが望むなら……」
 もう、何なの。何なのよ。ボーキサイトの話題って、あたしのことを庇うために出してくれたんじゃなかったの? もしかして、あたしのことなんてどうでもいいから好きな話題に変えただけ? あたしを踏み台にして二人の世界を作りたかっただけなの? そうなの? そうだとするならすごく嫌だけど、あたしにだって少しくらいは味方がいるって思いたい。ダメなのかな。やっぱりそういうのは無理なのかな。だけどさっきまであたしを非難していた駆逐艦たちは一斉に「赤城さんと加賀さん、あつーい」「結婚式はいつなの?」なんて大声で騒ぎ出して、あ、これってチャンスよね、あたし、床を転がるようにその場から逃げ出しました。
 艦娘って、なんか怖い。やっぱり軍艦の魂と気が合っちゃう子たちってどこか凶暴なんだろうな。うん、そんな感じがする。……って、あたしは違うけど!
 気づいたときにはあたしの足は、執務室に向かっていました。提督のすごさに気づいたんです。だって提督は艦娘全員に指令を出す人なんですよ。どんなに強い艦娘でも、普段はどんなに反抗的でも、提督の指示には逆らわない。これってすごくないですか? 提督はああ見えて艦娘のみんなことを考えてるんだと思います。そうじゃないと司令なんて出せないんじゃないのかな。だからあたし、思ったんです。提督、提督は阿武隈のこと、ちゃんとわかってくれますよね! 提督に味方してもらえるように、可愛らしく話さなきゃ……。

「……提督、阿武隈の話、ちゃんと聞いてます?」
「ああ。もちろん聞いているよ」
「ううう、ホントかなあ……」
「聞いているとも。阿武隈の胸の成長は遅いんじゃないかって悩んでるって話だったね」
「ふぇ、あ……、やぁッ! て、提督、何するんですか!」
 思わず大声で叫びました。だってびっくりしたんだもん。いきなり胸を揉むなんて。
 無言で書類の整理をしていた秘書艦の叢雲ちゃんがゴミを見るような目で提督を一瞥しました。
 だけど提督はあたしの悲鳴にも叢雲ちゃんの非難にもまったく動じませんでした。
「阿武隈の胸の成長が本当に遅いのかどうか、実際に触れて確かめてみたんだが……」
「あたし、そんな相談してません! もう! やめてください!」
「そんなに怒ることないじゃないか。軽いスキンシップだよ」
「軽くないです! いきなりこんなことするなんて、……提督、北上さんみたいです」
 頭で考えるよりも先に、北上さんの名前が出ました。だって胸を揉まれるなんてびっくりするし、なんか怖いし、そういうことしてくる人はすごくすごく苦手だから。なんか怖くて苦手な人っていったら断然、北上さんだし。嫌なことをされたときに相手を非難する言葉は、あたし的には「北上さんみたい」が一番しっくりくるんです。だからだから、実際に、北上さんにこういうことをされたって意味じゃないんです。です、けど……。
「おいおい。北上のやつ、阿武隈にもこういうことをしてるのか?」
「してません! してませんけど……」
「だったら阿武隈の願望だな。北上とこういうことをしたいっていう……」
「そんな願望、ぜんぜんないです!」
 提督ったらにやにや笑って、何なんですか、もう。阿武隈のこと、振り回さないでください。怒ります。あたし、キレたら何するかわからないんだから、あんまり怒らせないでください。って思っているけど、なんでかなぁ、そんなに強く怒れない。提督の言ったことが胸の片隅に引っかかって、感情がまとまらない。
「っていうか提督、阿武隈にも、ってなんですか。にも、ってどういうことですか」
「ああ。北上は大井と仲がいいからな……」
「知ってます。そんなこと。提督、阿武隈の質問の意味、わかってます?」
「ああ、わかっているが……、失恋する阿武隈の顔を見るのが嫌でね」
「もう。なんですか、それ……」
「北上と大井の仲の良さは友達以上なんだよ」
 提督はそう言って、癖のある笑みを浮かべました。本気なのか冗談なのか、あたしにはよくわからないけど、どうしてなのかな、胸が痛い。あたしの顔を見るときの北上さんの面倒臭そうな表情を急に思い出しちゃって、あたし、北上さんのことなんてぜんぜん好きじゃないはずなのに、っていうかむしろ苦手なのに、寂しいような傷ついたような変な胸の痛さがあって、なんでこんな気分になるんだろう。提督の冗談に、あたし、振り回されてるのかな。提督は大人なんだから、タチの悪い冗談は言わないでほしいです。
「まあ、重雷装艦はあいつらしかいないからな。少数派同士、同じ艦種の者にしかわからないこともあるのだろう」
「そ……、そういうものなんですか?」
「ああ。あいつら二人が執務室に来ると、疎外感を感じるよ。私のことなどそっちのけで二人で盛り上がるからね」
「え、えええ。提督もそうなんですか?」
「疎外感を感じない方が少数派だろう。鈍いんじゃないかな、そういう人は」
 悪かったわね、と叢雲ちゃんが提督の耳を引っ張りました。叢雲は強いからな、とすかさずフォローを入れる提督。叢雲ちゃんは虚を突かれたように少しだけうろたえて、「そうよ。私はあんたたちとは違うんだから」と誇らしげに言い放ちます。ううう、また駆逐艦の子が阿武隈を馬鹿にしたし。やっぱり艦娘って怖い。そろそろ退室しようかな。そう思って顔を上げると、提督の視界の外で叢雲ちゃんが唇を噛みしめ、無言で壁を睨んでいました。
 叢雲ちゃんはあたしの視線に気づくとあわてて目をそらし、何事もなかったように提督に声をかけます。
「重雷装艦北上を旗艦とする艦隊が潜水艦相手の演習を控えているわ。だけど……」
「どうした。何か問題でもあるのか?」
「編入予定だった重雷装艦大井は遠征中。帰投予定日時は演習の予定時刻よりもあとよ」
「そうか……。おい、阿武隈」
「えっ! やだ、あたし?」
 いきなり名前を呼ばれてあたし、飛び上がりそうになりました。だって呼び止められちゃうなんて、ぜんぜん思ってなかったし。予想外のことが起きると、すごくすごくびっくりします。しかも提督、北上さんと同じ艦隊に阿武隈を入れるって言うんです。はうう、怖い。どうしよう。あたしが声をかけたときの、あたしの顔を見たときの北上さんの冷めた表情を思い出して、もう泣きそう。あたし的にはNGです。北上さんと一緒だなんて。衝突事故の夜のように、北上さんと一緒に組んで演習をするなんて。黒い海を思い出しただけで悲鳴が出そうになる。絶対に嫌。許してください。今にも泣き出しそうなあたしに、提督は癖のある笑みを浮かべて言いました。
「北上と大井を別の艦隊に配属するのは珍しいぞ?」
「へ……、あ……」
「まあ、強制ではない。無理なら他の艦娘を編入しよう」
「あ、あたし……」
「ん?」
「い、行けるけど……」
 返事をしたら、元気が出ました。あたし、やっぱり北上さんと普通に話せるようになりたい。あたしのことに気づいてほしいし、出来ればもっと仲良くなりたい。だから阿武隈、頑張ります。北上さんへの攻撃は、みんな阿武隈が受け止めます。あ、でもでも、北上さんは旗艦だから他のみんなも庇うよね。もう、なによ。大井さんがいなくても阿武隈にはライバルだらけじゃない。でも負けられない。他のみんなに差をつけなきゃ。北上さんに阿武隈のことを見てもらわなきゃいけないから。北上さんはもしかすると阿武隈のことをはっきりと覚えてないのかも知れないし。あまりにもショックすぎて、忘れちゃってるのかも。
 やっぱり阿武隈が頑張らなきゃ。あたしだって、やるときはやるんだから。
 阿武隈、傷つくことを恐れずに、体当たりで臨みます!

          *

 編成が悪いのよ。北上さんと私を同じ艦隊に入れないなんて、あの提督、私たちの指令官に相応しくないんじゃないかしら。
 やっぱり男性提督はダメね。細やかな気配りが出来ないし、すぐに体を触ってくるし、私、北上さんを連れて、女性提督の指揮する艦隊に異動したい。少なくともあの提督には、あたしたちの能力をうまく使うのは無理だもの。まったく、なんて編成なの。私が一緒だったなら、北上さんに怪我なんて絶対にさせなかった。なのに私を外した挙げ句、こんな結果を招くなんて。演習中の衝突事故で北上さんが大破した? なによそれ。許さないわ。北上さんを傷つけたのは誰、いったい誰なのよ。いいえ、犯人探しはあとね。今は一刻も早く北上さんの容態を確認しなきゃいけないわ。
 ドックへと続く狭い通路を私は全力疾走する。遠征の疲れなんて、今はまったく感じなかった。北上さん。北上さん。私を北上さんに会わせて。周囲の制止を振り切って私はドックの中に駆け込む。ドック、と呼ばれているけど、ぱっと見た印象は大浴場のような感じ。御影石の床をくりぬいて造った水槽の底は深く、浴槽よりも飛び込み用のプールのように見えるかも知れない。だけどこれでも一人用の施設。水槽を満たす液体は、修復材と呼ばれる特殊な溶液で、そこに浮かぶ北上さんの周囲を妖精が泳いでいる。修復材の浮力は大きく、戦艦クラスの艦娘でも決して沈むことはない。溶剤の海の中を、色とりどりの妖精が縦横無尽に動き回る。修理に励む彼女たちの姿は鑑賞用の熱帯魚のようにカラフルで愛らしい。水草のように水中を漂いながら揺れているのは、北上さんの長い髪。普段は三つ編みにまとめているけど、今はすべてほどけている。仰向けに浮かぶ北上さんの白い肌に傷はなく、大破したなんてデマだったんじゃないの、と思わず期待しそうになる。
 だけどそれは有り得ない。北上さんの胴や手足は器具で固定されていて、水槽の縁や底から伸びる無数のロープと繋がっている。拘束された細い体は、妖精たちの修復作業の衝撃にも微動だにしない。入浴や遊泳とはまるで違うその姿が、私にこの場所の名前を否応なく意識させる。お風呂のように見えるけど、ここはやっぱりドックなんだ。そしてドック入り出来るのは、装備の壊れた艦娘だけ。艦艇と融合した艦娘は一種の強化人間で、被弾しても爆風に飲まれても生身の人間の負うような怪我をすることはない。もっとも強化されるのは肉体そのものだけだから服は普通に破れるし、艤装だって壊れてしまう。旧帝国海軍の艦艇を模した艤装は艦娘の神経と軍艦の魂を繋ぐ装置で、だからそこが損傷を受ければ苦痛を味わう羽目になる。それだけじゃない。艤装には生身の人間に船のように水面を滑る技能を付与する役目もあるから、艤装が壊れれば動けなくなり、動けなくなれば海に沈む。海に沈めば溺死するから、いくら強化人間といっても装備の損傷は死に繋がる。だから無傷のように見えても安心なんて私には出来ない。
「北上さん!」
 水際に駆け寄ると、補修液の深みへと続く長い階段が見えた。その水深は、戦艦タイプの艦娘が楽に仰臥出来るほど。北上さんは答えない。まるで眠っているかのよう。胸の奥からこみ上げる心細さが室内の温度を下げるような気がした。
「北上さん……」
 もう一度呼びかけると、北上さんの瞼が開いた。弱ったその表情とあたりを漂う黒髪が、北上さんをいつもよりたおやかに見せている。髪をほどいた北上さんは、大和撫子、なんて言葉が似合うお嬢様みたいで、私はなんだか自分がとても場違いな存在のように感じた。私だって家柄だけはまあ、いい方なのだけれど、やっぱり本当に気品のある人には到底かなわない、って思う。艦娘になる前の北上さんがいったいどんな人生を歩んでいたのかは知らないけれど、北上さんの素の髪型って和風の姫カットよね、北上さん本人の趣味とはかなりズレてるし、家族がそうさせたのかしら。北上さん。私が思っているよりもずっと、素敵な相棒なんだろうな。私にはもったいないくらいの。なのにこんな怪我をさせて。北上さんの頭が動き、黒目がちの目が私を捉える。その疲れた表情はいつもどおりの北上さんで、良かった、無事だった、私は心底安堵した。
 途端に思考が切り替わる。ここに来るまでに大勢の艦娘を突き飛ばし、妖精をはたき落としたことを今更のように思い出して、急に気恥ずかしさを感じた。チッ、私としたことが。乱暴な本性を見せるなんて。せっかくマトモなフリをして、真人間を演じてきたのに、今までの苦労が台無しだわ。盤石だったはずの足場が底なし沼へと変わるような錯覚に囚われる。だけどそんな居心地の悪さも私の名を呼ぶ北上さんの声がすべてかき消した。
「あ……、大井っち……。帰ってきたんだ。良かった、無事で……」
「北上さん。私のことより自分のことを、もっと、気にかけて」
「大井っちも笑っちゃうよね、こんな怪我をするなんて……」
「私、笑わない。笑ったりしない。笑うわけ、ないじゃない……」
 言いながら、私は自分の表情がほころんでゆくのを感じた。
 どうして笑ってしまうんだろう。笑顔なんていらないのに。こんなときに優等生の仮面なんていらないのに。本性をひた隠し、心優しい真人間を演じていたはずなのに、私を隠すはずの仮面が私の歪みを際立たせる。
「まー、笑ってくれていいけどさ……」
「北上さんのことを笑っているんじゃないわ。北上さんが無事で嬉しかっただけ」
「ありがと。やっぱ難しいよね、この船……。早くマスターしなきゃなあ」
「北上さんが悪いんじゃないわ」
「うん、でもやっぱりね……、考えちゃうんだよね。最近さ、回天母艦になってからのことを詳しく思い出すようになって。アタシがもっと活躍してれば、ああいう武器を使わずに済んだんじゃないかとか。なんかもう、そればっかりでさ……」
 回天母艦。人間魚雷として知られる特攻兵器の回天を搭載した艦艇のこと。
 私たち重雷装艦は、海戦の切り札として誕生したはずだった。けれども戦争が起きたときには海戦のやり方自体が大きく変わってしまっていて、重雷装艦の活躍の場はもはや残っていなかった。実戦で酸素魚雷を撃った記憶は私にはない。北上さんもきっとそう。戦場で出番のなかった私たちは改装され、輸送艦に生まれ変わった。
 一九四三年頃だっただろうか。私と北上さん揃っての大改装の計画がある、と任務のさなかで小耳に挟んだ。だけど本土に帰ることなく私は轟沈してしまい、大破した北上さんは修理の際に改造されて回天搭載艦になった。艦娘として転生し、一緒に出撃したときに北上さんが言ったこと、「ふふん、これが重雷装艦の実力ってやつよ。……あー、良かった、活躍出来て」、駆逐艦の子たちは無邪気に面白がっていたけれど、私はなんだか悲しかった。北上さんが回天母艦の記憶に苦しんでいるあかしのようで。
 鋼鉄の英霊の加護を得るということは、呪いを受けることでもある。艦艇の魂のもたらす記憶に苦しむ艦娘は多い。目の前の北上さんもそう。何か、北上さんに対して、言わなければならないと思った。北上さんの苦しみを私は取り除かなければならない。だけどいったいなんて言って励ませばいいんだろう。心優しい真人間の仮面は何の役にも立ちそうにない。
 立ち尽くす私の耳に、北上さんの気だるげな声が流れ込んでくる。
「まー、アタシ自身はあの武器を使わずに済んだんだけどさ。でもそれは、アタシの任務が輸送だったからなんだよね。前線で戦う船に載せる回天とその搭乗者を基地に運ぶのがアタシの任務。もしも途中で敵に遭えば回天で特攻することになってたけど、遭うことはなかったっていうか。使わずに済んだのはそういうわけ。でもさ、喜べないんだよね。あー、良かった、使わずに済んで、なんて、とてもじゃないけど思えないわー。別の船が戦場で使ってるからさ。アタシの運んだ回天を。アタシの運んだ人たちを乗せて。想像、出来るんだよね。撃ったこと自体はあるからさ」
「北上さん、どういうこと? 撃ったことないって言ったじゃない」
「戦場ではね。まー、アタシの場合は射出実験だったんだけどさ。回天母艦に改造されてすぐのことだったな。回天が無事に発進するか、発進した回天が浮上するかをテストすることになったんだ。船の速度を変えながら。危ないから、最初は無人で実験してたんだよね。敵に遭ったら特攻することになってたんだけど、それまではみんな無事でいなきゃいけないから。だけど実験の様子を見学してた回天部隊の人たちが、自分が乗るからデータを取ってほしいって志願してさ。艦長たちはあんまりね、乗せたくなかったみたいだけど、回天部隊の人たちが熱心に志願するものだから、それで……」
「士気、高かったのね」
「そうだね。なんかさ、空気がぜんぜん違ってた。開戦当初とはぜんぜんね。乗ったのは回天部隊の兵曹長で、二十歳くらいの人だったな。小柄な感じで、でも実験に立ち会った人たちは頼もしそうに彼を見てて……、うん……、アタシ、そういう人たちを基地に移送してたんだ。回天の、人間魚雷の搭乗者として。魚雷をたくさん撃つために重雷装艦になったはずのアタシが、魚雷管をほとんど撤去されて、仲間の船に人間を魚雷として撃たせるために運ばなきゃいけなかった。アタシがもっと活躍してればあんなことにならずに済んだのかな。今さら考えても仕方ないのに、そんなことばっかり思っちゃうんだよね。はー、なんかつらいわー」
 北上さんの黒い目から涙がこぼれ落ちるのが見えた。
「まー、侮辱だよね。あんなことにならずに済んだのかな、なんて考えるのは」
 修復材の海を漂う妖精たちに変化はない。北上さんの言葉など素知らぬ顔で動いている。
「やっぱ、さ。起きてしまったことの意味を否定するような考え方は、侮辱だと見なされても仕方ないわけよ。そこに至るまでのすべてとその後に続くすべてのことをなかったことにしたいって、思うようなものだしさ。アタシもそれはわかってるんだけど……、やっぱさ、回天部隊の人たちの姿と、発射台から海に消える回天の様子が頭から消えなくて、なんかもう……」
 北上さんの黒髪が水の中で揺れている。
 やっぱり大和撫子って言葉が似合っているような気がする。そんなことを唐突に思った。普段の砕けた言動からはなかなか気づけないけれど、北上さんには独特の気品があるような気がした。
「軍艦たる者、悲喜こもごもをすべて受け止めて、どーんと構えていたいわけよ。悲しんだり後悔したり、そういうのは軍艦のすることじゃないっていうかさー。でもやっぱ、さぁ。魚雷ならいくらでも撃てるはずだったのに、共に戦うはずの人たちを魚雷にしなきゃいけなくなって、もうプライドがズタズタっていうか……、重雷装艦本来の力を見せつけてやりたかったな」
 私は無言で一歩踏み出し、修復材の海に近づく。
 私だって、重雷装艦本来の力を見せつけてやりたかった。だけど同意を口に出来ない。同じことを思っていても、その根底に流れる思いはまったく別のものだから。それに私には負い目がある。もしも私が沈まなければ、北上さんは私と一緒に超高速輸送船に進化していただろう。回天母艦に改装されても、そのときは私も一緒で、私は北上さんと苦悩を分かち合うことが出来ただろう。私があのとき沈まなければ。けれども過去はやり直せない。だからせめて、目の前にいる北上さんの苦痛を取り除きたいと思った。修復材では治せない傷を取り除きたいと思った。
 だけど、どうすればいいのだろう。回天母艦の記憶が私の北上さんを傷つけるなら、北上さんを解体し、重雷装艦北上の魂を破壊する? そんなことをして何になるの。北上さんが艦娘から人間に戻っても、北上さんから艦艇の記憶が消えることはない。人の身でありながら軍艦北上の記憶を有し、自責の念に苛まれることに変わりはないだろう。むしろその記憶ゆえに、北上さんは戦場での活躍を望むようになったのに、北上さんから艦娘という生き方を奪ってしまえば、北上さんは挽回の機会のすべてを失うことになる。それが北上さんのためだなんて、私には思えない。そんなのただの自己満足。いいえ、自己満足にも劣る。だって私は嬉しくないから。北上さんから戦場と挽回の機会を奪うのは、自分のものではない記憶、人にあらざるものの見た戦場の記憶を植え付けられることよりずっと、残酷なこと。それに私はどうなるの。北上さんが私と一緒に戦えなくなってしまったら、私は些細な自己満足の一つすら得られなくなる。
 北上さんがいなくなったら、私はいったいどうすればいいの。北上さんがいるから私は心優しい真人間を演じることが出来るのに、私から仮面を奪えばいったい何が残るというの。いいえ、残るものはあるわ。血に餓えた殺戮者、そういうものだけは残る。それが自分の本性だってことも私は知っている。だけど北上さんに会えて、北上さんと仲良くなれて、私はとても楽しかった。好戦的で残忍な私の負の性質を、戦力として信用し、相棒として求めてくれて、なんだかちょっと、嬉しかった。自分の本性と理想像、相反するこの二つのどちらかを否定したりせず、折り合いをつけて生きていくことが出来るんだって、希望を持てた。でも、やっぱり私は私。私は私以外にはなれない。北上さんを傷つけるものを憎んでいるはずなのに、傷ついている北上さんを必要としているのもまた私。そう、北上さんが傷つくことを望んでいるのは私なんだ。私は私自身のことも、私を取りまくあらゆることも、決して許さないだろう。
 北上さんは私に向かって弱々しく微笑んだ。
「もっと強化してほしいんだよね。いい船になるから。船の扱いをマスターして、大井っちと一緒に魚雷を撃って……、あんな武器を使わなくても済むくらい活躍してみせるからさ……」
「……人間が、悪いのよ」
 気づいたときには低い声で呟いたあとだった。軍艦大井の最後の記憶、沈みゆく船の見た水面の下の光景が私の脳裏を圧倒する。沈んだのは私。だけど、それがいったいなんだというの。
「大井っち、いきなり何さ……」
 北上さんの表情が不安げに翳るのを見て、ああ、また私、北上さんに負担をかけた、そんな嫌悪がこみ上げたけれど、言葉になってあふれ出す暗い怒りや憎しみを止めることは出来なかった。
「そうよ。人間が悪いのよ」
 北上と大井、二隻揃っての大改装計画があると言った誰かの姿を思い出し、胸が破裂しそうになる。沈まなければ良かったの? 私が沈んでいなければ、予定通りに改装して北上さんと一緒にずっと使ってくれたっていうの? 嘘よ。戦争はもう終わったから、おまえたちの役目は終わったから、そう言って忘れていくくせに。人間にとって、私は何。どうして私を造ったの。納得のいかないことばかり。私の中に鬱積した暗いものは消えそうにない。
「人間が悪いんだわ。建造するだけ建造して、改造するだけ改造して、時代の流れに合わないからって面倒な役目を押しつけて、嫌な記憶ばかり残すなんて……」
「まー、仕方ないよ。時代の流れなんて一人で決められるものじゃないし」
「時代を制御出来ないくせにその先ばかり求めた挙げ句、自らの生み出したものを使い捨てにするなんて、人間はろくな生き物じゃないわ」
「や、あの、大井っち。アタシらもまあ一応は、人間だし」
「だから嫌なのよ。私、艦娘なんかじゃなくて、兵器そのものになりたかった。大井は別の人が継げばいい。私よりも相応しい器はいくらでもあるでしょ。私はただの兵器になりたい。動いたり喋ったり考えたり、そういう機能はいらないわ。私には必要ないの。そういうのは」
「やめてよ大井っち。アタシ、大井っちが艦娘で良かったって思ってるのにさ。大井の記憶を継いだのが大井っちで良かったって……」
「北上さん……」
「動いたり喋ったり考えたりしない大井っちなんて、やだよ」
 嬉しかった。北上さんがこれでいいって、私に言ってくれているようで。だけど胸の奥が軋む。私は北上さんとは違う。北上さんの戦意の底にあるのはたぶん、回天母艦となったことの無力感、つまりそれはヒューマニズムや軍艦としての誇りに根ざした悲しみと怒り。だけど私の中で渦巻く破壊衝動の奥にあるのは、自分を生み出し、使い捨てた者に対する憎悪にも似た怒りだけ。私自身の気質はきっと、艦娘よりも深海棲艦に近いような感じがする。彼女たちの正体なんて誰も教えてくれないけれど、それでもあの青白い女たちを見ていると、艦娘の間で流れる噂、深海棲艦の正体は沈没した艦艇の怨念だという話が正しいように思えてくる。だから私は、私はきっと、艦娘でありながら深海棲艦にほど近い性質を有している。大好きな北上さんの傷を欲してしまうのも、上辺だけが美しい化け物に通じている。
 だから苦しい。私の有する自我や意思を北上さんが肯定的に思ってくれて嬉しいはずなのに、ひりつくような痛みが胸の奥に走って喜べない。泣き出しそうな私を見上げ、北上さんは言葉を続ける。
「ぶっちゃけ、相当重いしキツいんだよね。回天母艦の記憶とかさ。ずっと頭にこびりついてて、だけどやり直しようがなくて、頭の中はそればっかでもう動くのもタルくてさあ……、なんつーか、アタシはどうすりゃいいのさ、とか思ったりするわけ。アタシに出来ることっていったら魚雷を撃つことくらいだし。プレッシャーなんだよね。活躍しなきゃいけないっていうのは。魚雷だけでどこまでやっていけるんだろう、とかいろいろ考えちゃってさ。もうね、自分の中で魚雷を撃つことが義務みたいな感じになってて、魚雷発射管の重さだけでもうマジ、疲れるわー」
 北上さんは溜め息をつき、そして顔を輝かせた。
「でもさ、楽しそうに魚雷を撃ってる大井っちがそばにいると、アタシ、無敵になれそうな気がするんだよね。大井っちと一緒なら、回天みたいな、ああいう武器を二度と使わずに済むくらいアタシは活躍出来るんだって、心の底から思えるんだ。これってなんかすごくない?」
「北上さん、私は……」
 私の弱音を遮るように、北上さんがはにかんだ。
「大井っち、ありがとね」
「北上さん……、北上さん!」
 涙が流れ落ちるのを感じた。北上さんを抱きしめたい。補修液の海へと続く階段を降りようとしたとき、背後で扉の開く音がした。私が慌てて足を止めると、明るく弾けるような声がドックの中に響きわたった。
「艦隊のアイドル、那珂ちゃんだよー。艦娘を卒業してもナース姿でお仕事お仕事。アンコールにお応えして、バケツいっぱいの高速修復材、いっくよー。医療ミスが起きても、那珂ちゃんのことは嫌いにならないでください!」
 あの……、魚雷、撃ってもいいですか?

          *


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