※このお話は小説家になろう様にも投稿しています。
昼と夜の混じりあう黄昏時
彼方より来たるは
人か
妖か
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唸り声のような重低音を響かせながら稼働するベルトコンベア。その上を大小様々な荷物が流れていく。
内宮イブキは、そんな荷物を僅かに細めた目で眼鏡越しに見つめていた。
女にしては高めな背は、ベルトコンベアの高さに合わせて折り曲げられている。色の入っていない黒髪は、本来ならば肩甲骨に届く長さだが、不意の事故に備えるため、ヘルメットの邪魔にならないギリギリの高さで結わえられている。
(南、堀ノ内、鷹ノ子、県外、県外、県外多いな)
一見気が抜けているように見えて、彼女の目は荷物に貼られた伝票の住所を末尾の番地に至るまで読み取っていた。
そして目当ての住所の荷物を幾つかシューター……ローラーのついた台の上へ引き込むと、二メートルほどの高さの鉄製のコンテナの中に積み上げていく。
宅配便を住所別に仕分ける。そんな単純なようでいて、かなり面倒で根性のいる作業がイブキの仕事だった。
何せ同じ市内でも、地域によって次に送るべき支社の場所は異なる。
一応は支社毎のコードが付与され、荷物にもそれは記されている。しかし肝心のそのコードをはじき出すのは、多くの場合荷物をお客様から預かった末端のバイトだ。
故に当てにするにはリスクが高く、イブキのような仕分けの人間はコードを無視して住所を見るのが常識となっている。
翌日配達やら当日お届けを売りにしているのだ。万が一にも誤送などあってはならない。
『最後の荷物が流れました。発送準備お願いします』
「はい!」
地鳴りを思わせるベルトコンベアを上回る、大音量の放送が響き渡る。
それにイブキは一応返事はしてみたが、ベルトコンベアの上に設置された放送席には届かなかったことだろう。間近に居なければ、会話すら困難な騒音なのだから。
「あと少し……」
もう肌寒い季節だというのに、額に汗を浮かべながらイブキは呟いた。
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――誰にでもできる簡単なお仕事です。
そんな謳い文句に誘われて運送業に関わった人間が居るなら、間違いなく「騙された」と叫ぶことだろう。
イブキが今の仕事を始めて三年が経つが、その当時から職場に残っている人間は半分も居ない。
みんな一年ほどで辞めてしまうのだ。そしてそれは正解だとイブキも思う。
住所を見て荷物を仕分ける。聞けば簡単だが、その肝心の荷物に問題がありすぎる。
雑貨の入ったダンボール箱などマシな方。十リットルを越える水に米袋、蜜柑のぎっしりつまった大量のみかん箱などは、女性作業員は慣れるまで多くの手間隙を必要とされる。
さらに凄いのになれば、冷蔵庫に洗濯機、大型トラックのタイヤなどまで現れる。
ここまで来ると、男性作業員でも腰を据えて挑む大物だ。少なくとも女性でアレを動かす人間はイブキを除けば一人も居ない。
そしてそんな作業を続ければどうなるかと言えば、まず痩せる。ダイエットなどという言葉が虚しくなるほど引き締まった体が手にはいる。
そして筋肉がつく。所詮作業。トレーニングをしているアスリートほとではないが、それでも確実に腕は太くなる。
さらに仕事を続ければ、己の限界を知ることができる。
腰か肩か膝か、どこかの間接をグキッと痛めて退職していく人間は多い。
そうでなくとも、冬に汗をかく程度には動き回る仕事だ。
よほどの事情が無ければ他の仕事を探すだろう。何せ給料はバイトに毛が生えた程度なのだから。
「イブキさんお疲れー」
「お疲れ」
作業員の待機場所に戻るなり挨拶してきたのは、イブキよりは新人になる九重スバル。
今年で二十歳になるはずだが、背はイブキの肩にも届かず、骨格は華奢でとても成人間際には見えない。
黒目がちな目は大きく中性的な顔立ちもあり、カツラでも被せれば女子中学生だと紹介しても通じるかもしれない。
「今夜ウチの同級生と飲み会やるんですけど、来ませんか?」
「……何で私を誘う」
イブキが眼鏡をケースに仕舞いながら聞けば、スバルは「えー」と不満そうな声をあげる。
「ウチがイブキさんと仲良くなりたいから!」
「私は仕事とプライベートは分ける人間なんだよ」
「職場の人間オールカットなの!?」
面倒なのでてきとーな理由を告げれば、スバルは可愛らしい顔を歪めて叫び声をあげた。
「あら、でも内宮さんこの間に穂坂くんと町歩いてなかった?」
小太りな、作業員のリーダーを勤める中年女性に言われ、イブキは内心で舌打ちした。
自分が人付き合いが悪いのは古参には周知の事実だというのに、何故今そんなことを言うのか。
付き合いが悪いからこそ、同僚と出かけていたイブキに安心したのかもしれないが、どのみち今は言わなくても良いだろうに。
「ヨージさんだけズルい!? まさか付き合ってるんですか?」
「それはない」
断言すれば、イブキが余程嫌そうな顔をしていたのか、スバルはあっさりそれを信じた。
そして仕切り直しとばかりに、飼い主にじゃれつく犬のような笑顔でイブキに迫ってくる。
「じゃあヨージさんと同じただの仕事仲間なウチともお出かけできますよね?」
「同級生はどこ行った」
「死にました」
いっそ清々しい嘘にイブキは吹き出しそうになった。
この子は恐らく在学中にお婆ちゃんが四回くらい死んだに違いない。
「どのみち今日は無理。予定があるから」
「えー? 予定って何ですか?」
「秘密」
結わえていた髪を下ろすと、イブキは脱いでいた社員用のジャケットを肩にかけて待合室を後にする。
「じゃあお疲れ様でした」
「お疲れ様ー」
「またねイブキちゃん」
挨拶を返してくれる中年の社員たちに頭を下げながら、イブキは足早に去る。
自分が無愛想なのは自覚しているが、そんなのはあまり人付き合いには関係ないとイブキは思っている。
少なくとも、挨拶と返事をしっかりして、仕事に真面目に取り組み、余計なことをしなければ先輩方のおじ様おば様からは「良い子」と評価されるものだ。
同年代相手ならばその限りではないが。
「イブキさーん。一緒に帰りましょー!」
そしてあのちみっこは、そんなイブキの何処を気に入ったのだろうか。
犬みたいに自分を追いかけてくるスバルを尻目に、イブキはそっと吐息を漏らした。
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背中に巨大な板みたいな荷物を背負い、イブキは市内を自転車で駆けていた。
板はイブキの頭の上まで伸び、下は足の付け根やや下まである。
イブキが乗る自転車がタイヤの小さなデザインで無ければ、荷台にゴンゴンぶつけていたことだろう。
そんな大荷物を背負いながら、イブキは平然と自転車をこぎ続け、とうとう目的地にたどり着く。
そして店員に幾つか話すと、目当ての部屋へと向かった。
「こんばんは」
イブキが訪れたのは、板張りの、様々な機材の置かれたスタジオだった。
手狭なスタジオの奥にはドラムセットが鎮座しており、先客らしき若い男が慣らしをしている。
外よりは暖かいとはいえ、何故か上半身タンクトップの男は、イブキに気付くと「よっ」とスティックをかざして挨拶をしてきた。
「早いねマッシュ」
「おまえもな。仕事は?」
「終わってソッコーでシャワー浴びてきた」
職場同様無愛想なイブキに、しかし男――マッシュは気にした様子もなくドラムを叩き始めた。
マッシュというのは当然あだ名で、本名は倉敷ケンタというらしい。
あだ名の由来はキノコ。今では金髪のオールバックが似合う、ちょっとヤンチャな男だが、学生時代はもっさりとしたマッシュルームヘアだったらしい。
イブキは実際にマッシュルームだったマッシュを見たことはないが、そんなあだ名を平然と受け入れる辺り、かなり器のでかい男だと思っている。
「じゃあヨージもすぐ来るかな」
「それ以前にヨージは今日は仕事休みだったよ。というかドラム邪魔」
「仕方ないだろ狭いんだから」
話しながらイブキは背負っていた板――シンセサイザーを取り出すが、組み立てた足をうまく置けず右往左往するはめになる。
ギターなどとは違い、ドラムやキーボードは場所を取るのが難点だ。
スタジオによっては貸し出しもあるが、シンセサイザーは機種によって扱いや音質音量調整にかなり差がある。
そうでなくとも、楽器は本番と同じもので練習するのが一番だ。故にイブキはスタジオを借りる度にシンセサイザーを背負って町中を移動している。
「あとミーナは学校の用事で少し遅れるってさ」
「……学生さんも大変だ」
どうやら今日も音合わせまでには時間がかかりそうだ。
そう思いながら、イブキはシンセサイザーの電源を入れて指慣らしを始めた。