※性的表現・暴力的表現を含みます。苦手な方はブラウザバックでお願いします。※描写には気を付けますが、過剰であった場合は一報くださると嬉しいです。※『小説家になろう』さんにも掲載しています。 人間は自分に都合の良いように周りの環境を捉えている。 例えば、「もうやることはやった」などと、神に祈る人間のことを考えてみよう。「やることはやった」というのは、すなわち「やることはやったが、問題は解決していない。あとは運命に頼るしかない」という自己保身的な考えであり、自分に手の届かない、予想するしかない未来を肯定的に捉えることで自我を保っているのだ。 それは未来を掴むことができない者の戯言であり、嘘と欲望にまみれた人間のエゴのようなものだ。 これだけ努力したのだから、報われてしかるべき、などというのは、いち人間の無様な精神への保険であり。また、世の中にはどう足掻いても報われることの無い悪夢など、いくらでも存在する。 あえて言おう。 世の中は平等ではない。 その現実を認めきれずに、あるいは世の中に嫌気がさし、あるいは絶望するのだ。 サイコロの六は、絶対ではない。そこには、必ず六分の一の確率が付きまとう。 だが、それでも六しか出ないサイコロの未来を思い描いて人は行動する。 その願望の、なんと愚かなことか。 ――もちろん、僕のことだ。6しか出ないサイコロ