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No.38118の一覧
[0] ドラゴンドレス![MUMU](2013/08/28 07:07)
[1] [MUMU](2013/07/23 18:15)
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[5] [MUMU](2013/08/24 15:21)
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[38118] ドラゴンドレス!
Name: MUMU◆c85b040a ID:716c5a14 次を表示する
Date: 2013/08/28 07:07
ドラゴンドレス


序章





ドラゴニア思想とは、かつて大陸南部で信じられていた異端思想である。
その思想によれば、かつてこの世界には竜族《ドラゴニア》、と呼ばれる種族が存在したという。
これはドラゴニュクス種族、サーペンティア種族、キャニオンコープス種族など、いわゆるドラゴンと呼ばれるモンスターとはまったく異なる存在であり、神や精霊とも同一視される。
彼らは世界全土に版図を広げていたが、人類が出現してその勢力を広げると共に、自ら身を引いて滅びの道を選んだ。
しかし彼らはただ消え去ったわけではなく、自らの身体を変異させ、人類のために様々なものを遺したのだという。
ある竜は大地に染みこみ、この世界の「鉄」の全てとなった。
またある竜は翼を振るい、この世界に「風」が生まれた。
そしてある竜は人類に知恵を伝え、人類は「言葉」を手に入れた。

言うまでもなく、これは多くの神話に見られる「創造神」を竜族に置き換えたものであり、説明の付かない自然現象や、技術の由来を超常的存在に押し付けたものである。

ドラゴニア思想で説明できないものはなく、数千もの竜族によって、「雷」や「虹」など自然現象だけでなく、「恋愛」「生と死」「腐敗と発酵」「歯車と滑車」「魔法と魔物」など、あらゆるものを説明してしまうのである。

これだけならばよく見られる民間思想の一派に過ぎないが、ドラゴニア思想を伝える語り部は、その物語の最後に必ずこのような一節を告げる。
この一節の内容は様々な解釈が試みられているが、何を示唆しようとしているのか、現代においても定まった説は無い。
それは次のようなものである。

――こうして世界は竜の贈り物で満たされたが、最後に残った竜はふと疑問を抱いた。
――こんなに多くのものを贈っては、人はだめになってしまうのではないかと。
――そして最後の竜は、最後に「自分自身」を人に与えた。
――これが竜の終焉であった。





第一章






理解できぬものこそ、魔法の本質である。
読み解かれた時、それは技術へと堕落し、真なる意味で人の奴隷となるのだ。

           ―――『新集成魔法学』冒頭の一節―――






生まれつき才能がないから仕方がない。
そんな言葉を、生まれてからずっと我慢してきた。

血の滲むぐらい努力して、眠りを忘れるほど勉強した。
すべては大陸最高峰、「七つの試練場」と「深き書の海」を擁する学び舎、ワイアーム練兵学園への入学のため。
学生は六千人を数え、周辺には学園を中心として広大な市街地が築かれ、多くの優秀な人材を輩出し続けるこの学都ワイアームに移り住んで3年。

そして落ちた。

生涯に三回だけ受験資格のある魔法学科の試験に、三度とも。
合格者の掲示を端から端まで5回も見返しても、どこにも僕の名前は無かった。

自慢ではないが、筆記試験だけなら全受験者の中でもトップクラスだった自信はある。
数学、理化学はもちろんのこと、法学、地学、薬学、語学、その他もろもろ、そして魔法学。
この世界の主たる三大魔法、精霊魔法《スピリティア》、聖癒痕《ホーリーマーク》、黒魔窟《アビスゲート》についての暗記は完璧だったし、それ以外にも地導術《グランドピーク》、心界法《マインドステート》、練武秘儀《マーシャルマッド》、淫妖夢《インケスブス》などなど、ほとんど試験として出題される可能性のないマニアックの極致みたいな魔法まで学んだ。

しかし、実技が追いつかなかった。

いわゆる魔力枯渇体質《エンプティス》だった僕には、魔法を使うための根本的な素質が無かった。
術式や理論を完全に理解していても、手の中で魔法が生まれてこない。精霊を操ることができない。神や魔の力を現世に引き出すことができない――。
古今東西あらゆる魔法、魔術、呪術を調べても、僕に使える術はなかった。
そしてこの魔力枯渇体質は、いかなる手段を用いても治すことはできないとされている。
それでも、僕は今まで足掻き続けたのだ。

すべてはワイアーム練兵学園へ入学するため、
そして、一人前の「秘術探索者《マギウスディガー》」になるため――。

下宿している食堂『花と太陽』亭へ戻ってきても、僕の足取りは重かった。
今年こそ合格してるはずだ、と息巻いて出かけたものの、結果は惨敗。
僕は木造りのドアを開け、中に入ると――。

「おかえりー!!!」

突然、正面から僕の頭を抱きしめる人物がいた。
赤い髪がふわりとなびいて、僕の後頭部にかかる。

年は同じだというのに、僕よりもわずかに背が大きく、女性らしい細さを持ちながら部分的な豊満さも持つ女性。それが僕の髪をわしゃわしゃとかき回しつつ、頭を胸で抱いてぎゅっと締め付けてくる。

「くじけちゃダメよハティ! 人生山あり谷ありなんだからね!!」
「もっ、もがっ」

胸の肉に顔が埋まって息ができない。ものすごい力で抱きつかれて内臓が圧迫される。背中をバンバンを叩かれるので肺の空気がすべて押し出される。なるほど、三点責めですみやかに僕を窒息死させる気だ。

「は、離してよヒラティア!」

僕はなんとか彼女を押し放す。それはこの食堂『花と太陽』の看板娘であり、僕とは0歳児からの腐れ縁。
健康優良にして元気溌剌。その笑顔は眩しく鮮やかで、赤い髪は南国に咲く花のよう、せり出した胸はまさに太陽の恵みか南国の果実か…と言いつつ彼女の尻を撫でた吟遊詩人を5メーキ(4.9メートル)ほど吹っ飛ばした豪腕の持ち主。赤と白を散りばめたスカートは短く活動的で、編み上げサンダルの足音がかつかつと小気味よく響く。この食堂では何もかも彼女を中心に回っているかに思える。あるいはこの街、この時代すらも。そんなエネルギーと魅力にあふれた人物。
ヒラティア=ロンシエラ、それが彼女の名だ。
この僕、ハティ=サウザンディアは幼い頃母を亡くし、数年前に父親が失踪し、以後は街に出てきて、この食堂の二階に下宿していた。ヒラティアとは同じ村の出身であり、一時は共に秘術探索者《マギウスディガー》を目指す同志でもあった。……そう、ほんの一時期だけだが。

「そっ、それに、いきなり何だよ、人生山あり谷ありとか、まるでもう落ちたみたいに言って」
「えっ受かったの!?」

…………

「い……。いや……落ちたけど…」
「くじけちゃダメだよハ」「それはもういいっ!」

素早く横にかわす僕のそばで、ヒラティアの両腕がぶおんと空を切る。

「ようハティ、やっぱりダメだったか、まあ人生いろいろあらあな」
「そうだぞ、なあに練兵学校なんざ入らなくったって、立派な秘術探索者になったやつは多いさ」
「そうそう、俺の爺さんが言ってたぜ。マジメに生きてりゃそのうち幸運がやってくる。なぜなら幸運の女神は割とマジメに見てるから、ってな」
「う…うん…」

朝っぱらから強い酒をガンガン飲んでるお客に言われたくはないが、僕はもはや抗弁する気力もなく曖昧にうなづく。

「それによお、男として成功したいんなら、秘術探索者《マギウスディガー》にこだわるこたねえや。学者様やら、商人やら、詩人になるってのもあるわな」
「そうだよ!! ハティならどれでも一流になれるって! 頑張ってるんだもん!」
「……」

僕は何も答えることができず、ただヒラティアの顔から目を逸らしただけだった。
ああ、自分の中で黒い負い目が広がっていくのを感じる。
今日、三度目の試験に落ちて、練兵学校への入学が絶望的になって、
それまで目を背けていたものが、ありありと眼前に突きつけられる気がする。
がむしゃらに頑張っていたことすら、その現実からの逃避だったように思えてくる。

仕方ないじゃないか。
生まれつき、才能がなかったんだから。
僕は心の中で、人生で初めての弱音を吐いた。
その弱音が、僕をより一層の暗がりへ突き落とすと、分かっていながら……。

「ヒラティア! あんたに仕事が入ってるよ!」

食堂の奥から、床を踏み割るほどに太ったマザラおばさんが現れる。ヒラティアの叔母であり、この食堂の経営者だ。田舎から出てきた僕たちの保護者であり、ヒラティアにとっては雇い主でもある。

「いいよ! おばさん、内容は?」
「西にある洞窟にサーペンティア種族が湧いたんだとさ、その討伐依頼だよ。詳しいことは探索者ギルドまで行って、ギルド長のダズに聞いておくれ」
「分かった! じゃあちょっと行ってくるね、夕方までには戻るから!」

ヒラティアは炊事場の奥へと走って行き、すぐに戻ってくる。
その手には長さ2メーキ(1.99メートル)にも達する両刃の大剣。世界で最も強靭な素材である黒錬鋼《グルーフェン》を鍛え上げた武器だ。それを軽々と肩に担ぎ、またもう片方の手は、これは白雪鋼《スノスティア》を鍛え上げた、世界で最も魔法の影響を受けにくい鎧を小さくまとめて捧げ持っている。二つを合わせた重量は僕の体重の3倍に匹敵するというが、ヒラティアはまるで花束のように軽々とそれを持ち出し、僕の横を通って店を出てゆく。

「じゃっ、また後でねハティ!」
「あ、ああ……」

そう、これがヒラティア=ロンシエラ。
ワイアーム練兵学園、戦士科に歴代最高成績での入学を果たし、ワイアーム在学中ながら伝説級の秘術をいくつも見つけだし、神話級の魔物をいくつも討伐し、今や大陸でも最高クラスの秘術探索者《マギウスディガー》。

それが僕の幼馴染であり、僕の……。

……僕とは、何の関係もない人物だ。







魔力枯渇体質《エンプティス》というのは後天的なもので、全人口の1%程度に現れると言われている。
多くは十代半ばから徴候が現れ、人が普遍的に持っているはずの魔力が目に見えて減少し、そのうちまったくのゼロになってしまう。
気づいたのは14の冬、ワイアーム練兵学校に初めて願書を出した日だ。僕の魔力は、朝と夕方で違いが分かるほど急速に減少していた。

当然、その年の試験は落第。
練兵学校への入学は諦めた方がいい、と何人もの人に言われたが、僕はギリギリまで魔法科への望みを捨てず、筆記試験で実技をカバーしようと努力を重ねてきた。
……だが結局は無駄な足掻きだった。

全人口の1%というとひどい不運のように思えるが、大陸全土で見れば何十万、何百万という数だ。要するにありふれた不幸であり、退屈な逆境なのだ。
ワイアーム練兵学校とは国王の勅旨のもとに設立された大陸最高の戦士、魔法使い、そして秘術探索者の養成機関であり、受験を志すものは星の数ほどいる。生涯に三回しか受験資格がないというのも、つまりは志願者が多すぎるためだ。そして三回落第する者も、この国には掃いて捨てるほどいる。
入学を果たしていずれ騎士として仕官したり、宮廷付きの魔法使いになったり、あるいは一流の秘術探索者になったり、そんな成功を誰もが夢見るが、そんなものは選ばれたごく少数の人間の栄光であり、大抵は当たり前のように落第し、意外性もなく失敗し、平々凡々な人生に折り合いをつけて生きていくのだ。

だから、僕が三回落第し、後はもう宿屋の仕事を手伝ったり、どこかの職人に弟子入りして立派な靴屋なり鍛冶屋なりを目指すことも。
別に、取り立てて騒ぐほどの人生ではなく……。

「……」

すでに夕方が近い。
僕は賑やかな食堂に居る気になれず、ぶらぶらと街へ繰り出していた。
街はいつもと変わらず活気に満ちていた。広場では若い婦人が集まって雑談を交わし、物売りが威勢のいい掛け声とともに往来を行き交い、子供たちが屋根の上から積み上げた藁に飛び降りたり、浮気がバレた旦那がフライパンを構えた若奥様に追いかけられているような。頭痛がしてくるほどに平和な風景だ。
僕の足は自然とそんな喧騒から逃れるように、道の細い方へ、暗がりの方へと進んでいった。

――約束するよ

進むうちに僕の足は早くなり、風景が視界から遠ざかっていく。
耳に入る雑音は遠ざかり、心の声が、過去の記憶が頭のなかで反響する。

――僕が一人前の魔法使いになったら
――君と一緒に、秘術探索者に

「くそっ!」

僕は足元の石を蹴り飛ばす。

と、それが近くにいた少年の脇をカンカンと抜けて飛び、少年がびくりと身を竦ませる。

「あっ……ごめん」

その少年はずいぶん簡素な服を着ており、痩せているように見えた。
少年は僕の方など見もせず、かすかにうなずいただけである。
見れば、少年の脇には樹脂製のボールが落ちていて、少年はそれを拾おうとしているところだった。

「おーーーい! 早く取ってこいよー!」

遠くから声がする。そこでは数人の子どもたちが遊んでいるようだ。
少年がボールを抱えて戻ると、子どもたちの中でひときわ体の大きい子が、その少年を突き飛ばすようにボールを奪い取る。

「よーし、続き行くぞー!」

体の大きな少年がボールに手を添える、するとボールが鈍く青色に輝き、ふわりと宙に浮いて、別の少年の方へと飛んでいく。

あれは確か抱導球《ビットボール》という遊びだ。重力を打ち消す力場を生む樹脂でボールを作り、魔力によってそれを励起させてあのように投げ合う。
ボールを取ってきた少年はというと、その遊びの輪に入れてもらえず、隅のほうでうずくまってじっと見ているだけだった。
そうか、あの子も魔力枯渇体質《エンプティス》ということか。
あの遊びをやるにはごく微力ながら魔力が必要だ。あの子はそれを持たないために遊びに付き合えず、あのようにボールを拾ってくる係をやっているのか。
あれもまた、世の中に当たり前のように存在する、ささやかな寂しさ、あるいは道の石のようにありふれた悲劇ということか、そう、僕のように……。

「……」

僕は歩きだす。
何も考えたくなかった。
消えてしまいたかった。
僕のちっぽけな不運など、あくまで平凡の範疇なのだ。
この世に数多ある不幸のことを思うと、不幸に酔うことすら出来なかった。僕のそんな生真面目な人間性すら腹立たしかった。

「仕方ないじゃないか」

仮に僕が魔力枯渇体質でなくても
今の何倍も努力したとしても
それでも、世界有数の秘術探索者なんかに、なれるわけないじゃないか

いつの間にか、僕の歩みはだんだんと早くなり、
しまいには走るような速度になった。
僕は息を切らして路地を走る、
路地裏の猫が驚いて逃げていく、
ゴミ箱を蹴飛ばしたような気もする。

気がつけば道のどん詰まり、日も差さぬ深い街の暗闇に至り、僕は石壁に頭を打ち付けていた。

「くそおおおおおおおおおおお!!!」

出したこともないような大声が、喉の奥から溢れ出る。

がん、がんと何度も額を打ち付ける。血が流れて電撃のような激痛が走るが、そうせずにはいられない。数秒でも何かを考えようとすれば、自分のちっぽけな絶望に、ありふれた不幸に塗りつぶされてしまう。
どれほどそうしていただろうか。
僕は内側からの衝動を絞りつくし、肺からドス黒い息をすべて吐き出し、

ようやく、少し落ち着いた。

すべてが終わって、僕は少し、驚いていた。
僕がこんなに絶望するなんて、これほどに慟哭するなんて想像もしていなかった。
誰でも一生に一度ぐらいは、こんな激情に捕らわれるものなのだろうか。

「ははっ……」

自嘲気味に笑う。
どれほどに絶望しても、目の前が暗闇に閉ざされても、
それでも当たり前のように日は沈み、昇り、平凡な日々は続いていく。

さあ、僕ももう、立たねばならない。
考えてみれば、これからの人生は少しはマシだろう。

これ以上に最悪な日など、もう訪れることはないだろうから。

「……う」

と、背後から声がした。

「っ!」

僕が振り向くと、そこは狭い路地のさらに窪んだ場所、日の傾いた時刻には道と認識することも難しい闇溜まり。そこに誰かが倒れている。

それは太った髭面の男で、すぐ側には背負い袋が転がっている。顔は泥だらけで白いヒゲには蜘蛛の巣が張り付き、頭はすっかり禿げ上がってそこに野菜くずが乗っていた。どういう経緯でそれが頭に乗ったのかは分からないが、きっと悲劇的で喜劇的な理由なのだろう。

「あ、あの、大丈夫ですか?」

酔いつぶれただけの浮浪者という感じでもなかったので、僕は声をかける。
服の汚れはここ数日のものという感じではない、よく見れば靴もズボンもかなり厚手で頑丈な作りのものだ、旅人だろうか?

「き、君…」
「はい?」
「手を…貸してくれないか」
「……」

僕は少し怖くもあったが、腰をかがめて、ゆっくりと右手を差し出す。
その太った人が僕の手を取り。
――と思った瞬間、その上体ががばっと跳ね上がって僕の顔面に迫り、
その肉厚な唇が僕の唇と密着し――。

「!?!?!??!??!!」

思考が爆発する。
がっちりと両手でコメカミを押さえられて逃げることができない。
むぢゅうううう、と世にも恐ろしい音がして僕は唇を丹念に吸われる、背中が総毛立って。足と手がめちゃくちゃに動くが歯がたたない。

ナンダコレハ
ボクガナニヲシタトイウンダ
カミモホトケモアルモノカ
トオクノヤマニカラスナク

「――ぷはあっ」

たっぷり十秒もの接吻の後、太った男は荒く息を吐いて僕から離れ、元気に立ち上がってガッツポーズをする。先程までの弱って倒れていた時の面影は微塵もない。

「よおおおおおおおしっ!! 男の唇を奪ってやったぞ!!!! たっぷりとしっかりとなああああああ!」
「うるさい黙れこの変態野郎おおおおおおおお」

僕も口を拭いながら立ち上がる。目から滝のように涙が溢れてきて止まらない。くそうこんなデブでハゲのオヤジなんかに。いやそれ以前に男なんかに!!

「わははははは!! 少年よ!! キスとは素晴らしい発明だと思わんかね!! ただの粘膜の接触が愛だの情だのといった特別な意味を持つのだよ! これこそ人類の生み出した至高の発明!! 分かち合うべき魔法だと思わんかね!」
「やかましいいいいいいいい!!!」

もういいこのオッサン殺して僕も死のう。

手近な煉瓦を掴んで全力で投げ飛ばす、しかしオヤジの動きは早く、大通りの方へと駆け出してあっという間に遠ざかっていく。

「さらばだ少年! 悪く思うな!!」

その言葉が曲がり角に吸い込まれて消える。

僕はがくりと膝をつき、滂沱の涙を流す。

なんてことだ、人生最悪の日だ。
あんな通りすがりの変態オヤジに初めてのキスを奪われるなんて。
あの粘着質な唇とか、脂っこい体臭とかヒゲのさらふわ感とかがしっかりと脳に刻まれてしまった。何の弾みに思い出すか分からないから怖くて社会生活できない。僕の心は泥の中で腐った材木のようにボロボロだ。

くそっ、とにかく顔を洗いたい。歯も一時間ぐらい磨いてやる。
これ以上に最悪な日など、もう絶対にあり得な……

「ハティ……」

目の前にヒラティアがいた。

「――」

僕は頭が真っ白になる。
顔と手足を硬直させることだけに全部の筋肉が使われ、言葉どころか息も吐けない。

ヒラティアは討伐ミッションの帰りだったのだろう。わずかに泥で汚れた鎧を着て、水で清めた形跡のある大剣を背負っている。白地に赤い炎の文様が描かれた美しい鎧は、庭付きの屋敷とほぼ同じ価値があるという。

「そ、その、覗くつもりはなかったの。ごめんね、ハティが細い路地の方に駆け込んでいくのが見えたから、それでちょっとね、後をつけたわけじゃないの、その、ええと、ごめんなさい、せっかく恋人、と、会ってたのにね」

壮絶な誤解が生まれようとしている。

「ち、ちが…これは、その…」

だが僕は混乱の中ですぐに言葉が出てこず、ただ取り繕うような言葉が口の中で浮かんでは消えていくだけだった。それはあろうことか、何かをごまかすような焦りの姿に見えたかも知れない。

「そ、その…ハティが受験勉強終わったから、これで一緒に食堂手伝えるね、とか、ゆっくり旅行でも行けるね、とか、そ、そんなこと思ってたのに、ば、バカみたいだね私、ハティのこと何にも知らなかったんだね、き、キスまでする仲の人なんだね、やだ私、何てこと言ってるんだろうね、あははは、ははは、さ、さよならっ!」

ハティは踵を返し、路地の細い通路にあちこちに体をぶつけて、そのぶつかった部分を轟音とともにえぐり取りながら去っていく。

………………。
……。

もう涙も出ない。
心はカサカサに乾いてワラのようだ。

よし、旅に出よう。
きれいさっぱり消えてしまおう。

隊商《キャラバン》の一員になって街から街へと旅をしようか。
数多くの未踏秘術《ロストマギウス》が眠るという南方へ行くのもいい。
いっそのこと、貨物船に密航して別の大陸まで行ってみようか。

もうどーでもいいやチクショウ。
なんだよみんなしてバカにしやがって。
どうせ僕はワイアーム練兵学園にも受からないチビでガリでおまけにホモ扱いだよコノヤロウ。
消えてやる消え失せてやる。
どこだっていい、どうせ、どこに行ったって、今日よりも不幸な日などぜった

しゃあああああああああ

そんな威嚇のような声が背後に上がる。

「今度は何だよっ!!」

怒りを込めて振り返ると、そこは路地の突き当たり、左右に窓もない建物の壁がそそり立ち、その奥側にはワイアームを包む環状の外壁、そしてはるか頭上に夕映えの空が見えていて、
そこに、女性の半身を持つ蜘蛛がいた。
上半身は女性の裸体、下半身は巨大な蜘蛛。
それは空中に立っていた。いや、その黒い脚の一つ一つが騎士の槍のように固く鋭く、それを土壁に突き立てて体を支えているのだ。
半裸の女性はよく見ればかなり異形に近い姿をしていた。目はオレンジに近いものが8つ。瞳孔も何もない黄色い琥珀が嵌めこまれたような目だが、そのすべてが僕を見据えていることが直感で分かる。
豊満な胸とくびれた胴を持ち、下腹部から下が墨を塗ったように真っ黒になり、蜘蛛の黒脚を放射状に生やしている。

女皇蜘蛛《クイニーパイド》。深山幽谷に住まうモンスター。その八本の黒脚を自在に操って樹から樹へと跳躍し、槍のように鋭い黒脚で獲物を仕留める森の狩人。
そんな知識が漠然と浮かぶ。本来は森から出てくることのない種族であり、ましてや街の外壁を乗り越えて入ってくることなど、聞いたこともない。

だが現実に、このモンスターは目の前にいる。
そしてこのモンスターは、仮に討伐隊を組むなら完全武装の騎士が百人は必要と言われる。

僕は顔中からどっと汗をかき、そろりと後ろに下がろうとする。
僕が一歩下がった時、蜘蛛の姫君はがしゃがしゃと脚を動かして壁から降りてきた。

「う、うわあああああああっ!!」

その異様な動きに、初めて目にする人外の異形に、僕の最後の理性すら消し飛んでしまった。僕は大声を出し、背中を向け、真っ直ぐに逃げる、という猛獣に対してやってはいけない三ヶ条をすべて破りつつ逃げる。

ひゅおっ

空を切り、僕の耳の脇を黒い筋がかすめる。
それは僕の耳をわずかに切り裂き、乾いた土壁に1メーキ(0.99メートル)近くもめり込む。まるで紙に針を突き立てるかのように僅かな音しかしない。それはまさに悪魔の槍。おそらく僕の肉や骨にも、何の抵抗もなくスッと突き立つほどの鋭さがある。

僕は狂気に落ちる寸前で走る。蜘蛛は八本の足を駆使し、細い路地にもまったく停滞せず迫っている。それが殺意のこもった気配となって背後に感じる。
僕は何かを叫んだかもしれないが、荒い息に紛れて自分でも聞き取れない。無音の殺意がその濃さを増す。

涙で歪む視界の先に、人影が見えた。

「に――逃げて!!」

僕が叫ぶ、だがその人物は黒いマントから両腕を出し、それを広げて僕の前に立ちふさがった。
僕は勢い余ってその人物にぶつかる。ウェーブのかかった薄紫の髪が顔にかかり、柔らかな感触が体に伝わる。

「なっ」
「選ばれし御方――。さあ、その力をお示しください。我が左手に口付けを。幻想を現実に、神秘を真実に、伝承を未来に――」

僕は何が起こっているのか分からず、とにかく前に行こうとするが、その僕の前に褐色の左手が差し出される。細く長く、真珠色の爪を備えた美しい指。それが僕の唇の前に出される。
その手に口付けを、という艶めいた声が耳に届き、その美しい髪と、ほのかな女性の香りに包まれ、僕はほんの一瞬だけ現実を忘れた。そうだ、どうせ死ぬのなら、この手に口付けを残して逝きたい――。
明確にそう考えるほどの時間があったわけではない、だが僕は反射的にその爪に口づけをしていた。わずかに湿るかのような木目細かな肌。鼻の先をかすめる南洋の香り。
その瞬間、僕の頭の中に閃光がひらめく。
それはまさに電光のような衝撃。
頭の内側から光が膨れ上がって世界中に拡散していくかのような。
空一面の雨雲を一気に吹き飛ばすかのような鮮烈な感覚。
それが言葉のイメージとなって脳の中に焦点を結び、すべての思考を押しのけて、舌の奥からただ一つの言葉がほとばしる。

「――竜の爪《ドラゴンネイル》 幻装《ドレス》!!」

褐色の肌と薄紫の髪を持つ女性、その女性の左手が虹色の輝きに包まれ、一瞬の後、そこには鋼のような銀色の爪が生まれる。湾曲した剣のような巨大な爪、よく見れば手首から先が小手のようなもの覆われており、それは蜥蜴のような爬虫類の皮膚にも見えた。その先端には銀色の爪とも武器ともつかぬ鋭利な刃が五本生まれていて、その女性はそれを大きく振りかぶり、迫り来る女皇蜘蛛《クイニーパイド》へと振り下ろす。
瞬間、爪の先端に爆発的な衝撃波が発生、それは一瞬で十メーキ(9.99メートル)近い光の直刃となり、五筋の光の波が平行に疾って女皇蜘蛛の体を煙のように切り裂き、瓦礫をまき散らして路地の土壁や石畳を爆散させながら一瞬で街の外壁まで到達、その煉瓦の壁を五ヶ所同時に切り裂いてそこで力が散乱する。
僕の髪と服を瓦礫混じりの爆風がはためかせる。光が網膜を焼く。
あとに残るのは道幅が三倍になった路地と、五つの直線で大きくえぐられた地面、中身がむき出しになっている倉庫や粉挽き小屋、そして櫛のように切り裂かれた街の外壁のみだった。幸運にも左右の建物は人の住んでいる住居ではなかったようだ。女皇蜘蛛の死骸は、原型も残らないほど広範囲に吹き飛ばされたらしい。

「――こ、これって……」

尻餅をつきながら、僕は呆然として呟く。

「竜幻装《ドラゴンドレス》です。選ばれし御方」
「え、選ばれた、って、僕のこと?」
「そうです。貴方は正当なる手続きにて竜幻装を受け継ぎ、女性を媒体として竜《ドラゴニア》の幻想を呼び起こす術を手にしたのです」

竜幻装《ドラゴンドレス》? 術だって? 
この僕に――。

「ぼ、僕は魔力枯渇体質《エンプティス》なんだよ。使えるわけないんだ、どんな魔法も、術も、呪いも――」
「竜幻装にそのような束縛はありません。幻想を現実に、神秘を真実に、伝承を未来に変える力は、既にあなたの中に宿っているのです」

魔力枯渇体質でも――使える?
僕の中に宿っている……? 今の力が……?
ではもしかして、剣術も魔法もできなくて、完全に道が絶たれたと思った秘術探索者《マギウスディガー》への道が、もしかしたら――。
と、背後からざわざわと物音が聞こえてきた。
大勢の人の足音、どうやら野次馬が集まっているようだ。槍や鎧を打ち合わせる音も聞こえるから、街の衛士も何人もいるのだろう。秘術探索者もいるかも知れない。

「――人目につくのは望ましくありませんね。ひとまずこの場を離れましょう」

褐色の肌を持つ女性は僕に手を差し伸べ、立たせようとする。
だが、手を持たれて分かった。下半身に力が入らない。腰が抜けているようだ。膝も笑っているし、まだ心臓が早鐘を打っている。体がまるで壊れた時計のようになっていて、どこかの歯車を回そうとしてもそれが全体の動きに伝わってくれない。

「ご、ごめん、動けないみたい」
「分かりました、では私の背中に口付けを――」

その女性は丈の長い黒マントを着ていたが、首のところにある前ボタンをぱちりと外し、マント全体をするりと落としつつ、背中を向ける。そして民族衣装なのだろうか、体に巻きつけていたサラシのような布をしゅるしゅるとほどく。

「えっ」

その時気づいたが、その女性の胸の大きさは尋常ではない。果物のような風船のような赤ん坊の頭のような。左腕でそっと隠す様子は、猫でも抱いているのかと思うほどだ。腕に乗りかかるように大きく乳房がせり出している。
そして彼女は後ろを向き、背中を見せる。それは一面まったく均一な褐色で、紫檀の家具のような深みがあり、上品な色をしている……ように思えた。女性が肩甲骨を見せる姿勢などに遭遇した経験があるわけもなく、僕はどぎまぎしてしまう。

「せ、背中に?」
「はい、肩甲骨の間にお願いしますね」

足音はすぐそこまで迫っている。
他にどうしようもなく、僕は言われるままに首を動かして、そこにキスをした。

瞬間、また脳裏に光がひらめき、言葉が浮かぶ。今度は予期できていたためか一度目ほどの衝撃はなく、言葉も何とかわずかに漏れるだけに留めることができた。

「――竜の翼《ドラゴンウイング》幻装《ドレス》!」

瞬間、彼女の肩甲骨から黒い腕が生えたように見え、それは次の瞬間に道の左右にまで到達して、皮の質感と骨組みを備え、コウモリのような翼竜種のような、皮の張られた巨大な翼となる。

と、褐色の女性が僕に覆いかぶさり、正面から僕の腰に手を回し、深く抱きついた。
彼女は胸当てを外していたため、一瞬その凄まじい…としか形容しようのない胸が視界をかすめた気がするが、僕は瞬時に目をそらす。だがその巨大な物体は僕の腹部にむにっと密着して潰れて広がり、その感触に僕の思考がまた沸騰しそうになる瞬間。凄まじい上向きの重力を感じて僕は飛び上がっていた。
最初に感じたのは上昇感、そして肌を打つ冷たい風。
一体どのような理屈なのか、その翼は大して羽ばたきもせずに人間を抱えて飛べるだけの力を備えている。上を向けば視界のすべてが青い空、それを一直線に横切って広がる巨大な翼。首までの薄紫の髪が風を受けてはためく。
ふと首をひねれば、広大な敷地に散らばる白亜の学舎群、ワイアーム練兵学園が遥か下方に見え、それを中心として広がる円形の街、秘術探索者の街、学都ワイアームがまるで地上に落とされたボタンほどの大きさにしか見えない。一瞬でとんでもない高さまで上昇している。ここまで飛ぶ鳥もいないほどの高さ。上昇は止まず、やがて薄い雲を抜けてワイアームの街は雲に隠れて見えなくなり、地平の丸みが分かるほどの高さに到達する。
彼女の腕に支えられているというより、僕と彼女の体が何らかの力場で包まれている、という感覚だった。水の中にいるかのようにふわふわとした感覚がある。

「ちょ、ちょっと高過ぎない?」
「――申し訳ありません、私も竜の翼で飛ぶのは初めてで、加減がわかりませんでした」

でも好都合だったかもしれない。一気にこれほどの高さまで来れば、街の人の視界に入っていた時間など1秒にも満たない。おそらく誰にも見られなかっただろう。

「これが本当に、僕の力なの?」
「はい」
「そうなのか……ねえ君、名前は?」

改めて彼女を見る。褐色の肌とウェーブのかかった薄紫の髪、あきらかに南方の特徴だ。南方からここまで来るのは大変なことだが、そんな長旅を経てきたにしては、彼女はまだ若く、それに美人だった。

「ヴィヴィアンと申します。ヴィヴィアン・マニ・ルペです」
「僕はハティ=サウザンディア……。ねえ、この力のこととか、詳しく教えてよ」
「はい、ハティ様。あなたは知らねばなりません。この力を使いこなし、日々襲い来る脅威を打ち払わねばならないのですから」

…………

え、脅威?

「脅威ってどういうこと…?」
「先ほど、襲われていたではないですか。マニカプーペ、確か北方の地では女皇蜘蛛《クイニーパイド》と言うのでしたね。竜幻装《ドラゴンドレス》の力は何ものにも代えがたき至宝。その力は人外のものをも誘い寄せるのです」
「…………じゃ、じゃあ、明日からもああいうモンスターが……」

僕の引きつった顔で述べた言葉に、ヴィヴィアンはにこりと笑って答えた。

「絶え間なく襲ってくるでしょうね」
「人生最悪の日だああああああああああああああああ!!!!」



僕は今度こそ絶叫した。




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