――意識が回復した時、俺は正座していた。
……何を言ってるのか自分でもよくわからないんだが、とにかくそういうことになっていたのだ。
救芽井に殴られ、暗転していた視界が元の光を取り戻した時、俺は彼女の前で正座させられていた。
その隣で、矢村も同じように正座している。
――その矢村によると、殴られた後に無理矢理体を起こされて、気絶したまま正座させられていたらしい。
ベッドか床に寝かすモンだろ、そこは普通……。
「しんっじられないっ! ノックもせずにドアを開けるなんて! 私の身体をなんだと思ってるのっ!?」
俺がノビてる間に着替えは済んでいたらしく、緑の半袖チュニックに黒のミニスカという格好で、救芽井は俺を見下ろしていた。
覗かれた怒りと恥じらいで、顔はシモフリトマトの如き赤色に染まっている。
「いやぁ……ハハハ、ある種のサプライズ的な感じにやってたんだけどさ。まさかお着替えの真っ只中でいらしたとは――ふひぃっ!?」
「そんなサプライズお断りよっ!」
正座している膝の傍に、ドスンとじだんだを踏む救芽井。
そこから発せられた振動が衝撃波となり、俺の芯に響き渡る。
そしてその反動で僅かに翻る、彼女のきめ細かい白肌とは対照的な黒き布。おっ……白かッ!?
一方で、俺の隣で同じように正座している矢村は、面白くなさそうな視線を救芽井に向けていた。――救芽井の、胸に。
「む、むぅ〜……! あんなにおっきいのに、まだ小さく見せとる方やったんか……!? ブラがキツキツになっとったし……」
「こ、これ以上のサイズが店に置いてなかったのよっ! 仕方ないじゃない! ……この仕事が終わったら、もっと大きいの作らせなきゃ……」
着替えを見られて余裕をなくしているせいなのか、男の俺が傍にいるというのに、救芽井は随分とハレンチな返答をしている。
市販のブラに収まらない胸って一体……。
「わ、悪かったって、勘弁してくれ! 同じマネはもうしないから!」
……ひとまず、この場をどうにか収めないことには、話が進展しない。俺は両手をひらひらと振り、なんとか宥めようと試みることに。
安易な思いつきでやるもんじゃないな、サプライズってのは。
「――ふ、ふん。まぁ、今回だけは特別に許してあげる」
「ホ、ホントか?」
「……どうせ、結婚したら……好きなだけ……」
「結婚? 好きなだけ……?」
「な、なんでもないっ」
――最後に何を言ってたのかまでは要領を得なかったが、とりあえず許してくれたみたいで一安心だ。
救芽井は「準備するから外で待ってて」と言うと、俺達をそそくさと追い出し、でかい肩掛けバッグになにやらいろいろと詰め込み始めていた。
……まるで修学旅行だな。
「許してくれたんはええけど……救芽井、なにをあんなに持っていく気なんやろか?」
「さぁなぁ……。あいつのことだから、なんかややこしい機械でも持ち込むつもりなんじゃないか?」
着鎧甲冑を整備したり、それを使った行動をモニタリングしたりするパソコンや、人体の傷や疲労を、膨大な電力と引き換えに取り払う医療カプセル。
そんなビックリドッキリメカの数々を抱えてるような救芽井家の娘が、普通の荷物で来るわけがない。
ましてや、今回は救芽井エレクトロニクスの命運を握りかねない、重大なイベントなんだから。
「一煉寺様、矢村様。リムジンの準備が整いました」
救芽井の部屋から出るなり、グラサンのオッサンが暑苦しく出迎えてくれる。
「……もうこれくらいじゃ驚かなくなっちまったな」
「アタシら、絶対マヒしとるで……」
俺達は肥やしてしまった(?)目を互いに交わすと、一斉にため息をつく。
リムジンってアレだろ? 席が長〜い高級車のことだろ? なんで山に行くためだけにそんなモン使うんだよ……。
どうやら、救芽井エレクトロニクスに「現地の交通機関を使う」という発想はないらしい。なにをするにも、自前のものじゃないと信用できないんだろうか。
「お二方、車の方はこちらに――」
「あ、あぁいやいや、救芽井がまだ来てないからさ、ここで待つよ」
「――かしこまりました」
オッサンはまるで機械のように引き下がると、俺達が来る前の位置に戻っていった。
……こんな居心地の悪い護衛達が、四六時中ピッタリくっついてんのか? 救芽井も大変だなぁ。
――そして、そんな救芽井エレクトロニクスの体制に、今後も付き合って行かなくちゃならないわけだ。
少なくとも、婚約者って立ち位置にされてる俺は。
「……やれやれ。金持ちってのも、楽じゃないんだな」
「失礼ね! 私がいつも楽ばっかりしてるっていうのっ!?」
先行きが果てしなく不明という事実。
それに頭を抱えようとしたその時、準備を終えたらしい救芽井が、肩掛けバッグを持って出てきた。
さっきの俺の独り言を悪い意味に取ったのか、不機嫌そうに頬を膨らませている。
「い、いやいや、そういう意味で言ったんじゃねぇよ。ただ、お前ん家の事情について、全然知らなかったんだなーってさ」
「むぅっ……ホント?」
「ホントにホントだよ。――それで? 準備の方は出来たのか?」
あんまり彼女とこの話題を引っ張り続けてると、横にいる矢村が露骨にイラついた顔をするので、俺は早急に話題をすり替えた。
向こうはそれで特に怒ったような反応は見せず、ちょっと恥ずかしそうに「うん、まぁ……」とだけ返してきた。
なんかマズいこと聞いたかな?
「なんか怪しいなぁ……変なもん持っていく気やないの?」
「そ、そ、そんなの入ってないもんっ!」
その僅かな反応から、矢村が訝しむような視線を彼女に向ける。それに対し、救芽井は矢村から隠すかのようにバッグを抱きしめ、必死に反論していた。
その頬が羞恥の色に染まっているのは明白であり、矢村の言うことが「当たり」である可能性を伺わせている。
……なんだってんだ? 「お気に入りの枕じゃなきゃ眠れない」とか言い出す気じゃないだろうな。
「あーもう、何持っていこうが本人の勝手だろうが。その辺にしとけって」
これ以上無駄に喧嘩しても、疲れるだけだ。俺は中立的(?)な立場を取り、なんとか仲裁を――
「むぅ……何を持っていくんが知らんけど! それで龍太に、エ、エッチなこととかしたりししよったら許さんけんな!」
「は、はぁっ!? そそ、そんなハレンチな物なんて持ってるわけないじゃないっ! 酷い言い掛かりよっ!」
――いや、俺の制止など、どこ吹く風、である。つか、お前ら一体、何を想像して喧嘩してるんだ?
……結局、二人の口論はそのまま止まることなくエスカレートしていき、いつしか「どちらの方が俺のことをより理解してるのか」という話題に逸れていた。
「知っとる? 龍太はあんたと離れとる間に、背が八センチも伸びたんや! あんたが思っとるより、ずうっと大人になっとんやで!」
「なによ、それくらい見ればわかるわよ! ……氏名、一煉寺龍太。生年月日、二〇十二年五月二十日。血液型はA型。家族構成は両親と兄一人の四人家族。身長百七十三センチ、体重六十八キロ。好物はフライドポテトとチキンナゲット。嫌いな物は英語と数学。……どう? 調べればもっと出てくるわよ!」
「――お前ら何の話してんだよッ!?」
オッサンの案内により、エレベータで下に降りる最中でも、その論争はこうして熾烈を極めていた。
仲裁を諦め、放っておこうとも一時は考えたものの、野放しにしていたら俺のプライバシーが破滅を迎えそうになるので、迅速に止めることにしたのだ。
――つーか救芽井ィッ! お前それどっから調べて来たァ! ソースはどこなんだァッ!
……そんな俺の胸中は、顔にまざまざと表出していたらしく、救芽井は俺の表情を見て、悪戯っぽく笑って見せた。
「婚約者のことは何でも知ってなきゃ、ねっ?」
「……頼むから、そういうことは俺に直接聞いてくれ」
恐ろしい外見のオッサンに囲まれたり、プライバシーを暴かれたり……。
救芽井が絡むと、俺の平穏(?)なる日常がバイオレンスアドベンチャーと化すんだよなぁ……。
――ま、こういう経験も案外アリだったりするのかも知れないし、ここは前向きに行った方がいいのかもな。
と、いう具合に俺が気を持ち直した頃、俺達三人はマンションを出て、ようやく駐車場に到着していた。
広々とした黒いアスファルトの中心に、黒塗りの長い四輪車が待ち受けている。
「こちらになります!」
「荷物をお預かりします!」
相変わらずたじろぐ暇もなく、従業員達がササッと俺達の荷物を掻っ攫ってしまう。
数秒後には、三人分の荷物がリムジンのトランクに詰め込まれていた。
その作業の流れを、まるで当然のことのように眺めている救芽井。お前、マジでこの二年間でなにがあった……。それともコレが素なのか?
「それでは皆様、こちらの御席になります」
グラサンのオッサンが運転席につくと、他の従業員さんがドアを開けてくれる。運転席と助手席の、すぐ後ろの列の席だな。
「あ、ど、どーも……」
イマイチこのノリについていけず、俺はたどたどしい動きでリムジンの中に乗り込んだ。
座席に敷かれた綺麗なマットが、腰を乗せた途端にふわりと揺れ、ゆったりとした乗り心地を感じさせられる。
「おおっ!」
リムジンなんて初めて乗るから、この快適さが高級車ゆえなのか救芽井家用ゆえなのかはわからない。
ただ、かつてないほどのリッチな世界に、直で触れていることだけは確かだった。
「す、すごいなぁ龍太!」
反対側から乗り込んでいた矢村も、同様の気持ちらしい。
普段以上に子供っぽくはしゃぐその姿に、いつもなら意識しないような愛らしさを思い知らされてしまう。
「あ、あぁ、そうだな……」
「ちょっと龍太君! なぁにテレテレしてるのよっ! 早くシートベルト締めなさいっ!」
そんな俺の何がそんなに気に入らないのか、助手席に座っていた救芽井がジト目で叱り付けて来る。うひ、こえーこえー。
「ふっふーん。どや? これがキャリアの差ってもんなんやで?」
「キャ、キャリアなんて過去の産物に過ぎないわ! 大切なのは、これからの思い出――」
そこで、何かを思い出したかのように、二人の表情が急激に凍り付いた。
掘り返してはならない。思い出してはならない。そんな忌むべき記憶を、ふと蘇らせてしまったかのように。
「……そうやなぁ。キャリアなんてモンにこだわったらいけんよなぁ……!」
「そうそう……。未来を見据えることこそ、何より大事なことなのよ……!」
すると何が起きたのか、あれだけ対立していた二人が、急に意見を合わせはじめた。その眼に、どす黒い炎を宿して。
「お、おい? どうした二人とも――」
「久水……!」
「梢ぇえぇ……!」
「ひぃぃい!?」
一体どうしたのかと俺が訪ねるより先に、二人は窓から裏山の方角を般若のような形相で睨みつけた。
今にも五寸釘を打ち出しそうだ……。
そんな彼女達にビビる俺を尻目に、救芽井と矢村は、口々に久水へ恨み節を吐きつづけていた。
その殺意の波動張りのオーラに震えるオッサンが、リムジンを発車する瞬間まで。
俺達を乗せたリムジンの出発時には、ほぼ全ての従業員がズラリと並んで見送りに来ていたのに、当の車内は手を振って挨拶するどころの状況ではなくなっていたのだった。
――そう。前向きに行こうとした瞬間、出発直前で心を折られた俺は、窓に張り付いて怯えるしかなかったんだ……。
◇
松霧町の裏山は、実は隣町まで行っても、うっすらと見えてしまうくらい高い。
おまけに道路を通っていても、通行の邪魔になるかならないかのギリギリまで森林が生い茂っている。
山そのものが高いために道程自体が長い上、大自然に溢れすぎてウザいくらいの緑に視界を阻まれながら進むことになるのだ。
……当然、時間も掛かる。
結局、鬱陶しいくらい水と空気がおいしそうな道を抜けるまで、実に三時間を要したのだった。
時刻は午後二時。本来なら昼食を終えてもいい時間帯だろう。
「ちょ、ちょっとぉ〜……いつまで掛かるの……?」
「申し訳ありません、樋稟お嬢様。まさかこれほど自然環境に進行を阻害されてしまうとは、予定外でした」
この山の厄介さのおかげで昼飯を食いっぱぐれてしまった俺達三人は、腹を空かせてため息をついていた。
救芽井の追及にも、オッサンはしれっと謝るだけだ。
「アタシ……お弁当持ってきたらよかった……」
「激しく同意……。俺も途中でコンビニ寄って来るんだったわ」
元々の予定だと、久水家に招かれてから昼食を取ることになっていたらしい。
それがこんなことになった今、向こうに着いてもメシがあるかどうか……。
――ん?
「オッサン! あそこ!?」
俺は森に包まれた道を越えた先に伺える、白い屋敷を見つけた。それに向かって指差すと、オッサンは無言のままコクリと頷く。
――まるで中世ヨーロッパを思わせるような、丸みを帯びた形状の家。
真ん丸な屋根をこさえたその建物は、当然ながらこの山に似つかわしいものではなかった。
その周囲は開けた草原となっており、静かな雰囲気を醸し出している。
「あれが久水家の別荘……随分と山奥に建てたものね」
「おいおい、まさかこんな水と空気のおいしい大自然で決闘しようってのか?」
「そんなことよりお〜ひ〜る〜!」
ここに来た本分をガン無視して昼飯の催促をする矢村。
そんな彼女を一瞥した俺の脳裏に、腹ぺこによるモチベーション低下の可能性が過ぎってきた。
――このまま昼飯抜きで決闘、なんてことになったら面倒だろうな……。
草原に入ると、アスファルトの道路は途切れており、砂利道だけの通路になっていた。俺達を乗せたリムジンは、そこに突入してすぐのところで停止する。
「ありがとう。ここから先は自分で行くわ。少しは歩いて、体をほぐしておかないとね」
「かしこまりました」
救芽井はチラリと俺を見ると、車を降りてトランクへ荷物を取りに行った。
……決闘する俺のコンディションを、気にしてのことだったんだろうか?
まぁ、仮にそうだったとしても、本人にそれを直接確かめるのは野暮だろう。俺だってそれくらいはわかる。
俺は矢村と顔を見合わせると、彼女に続いてリムジンを降り、「ありがとうございました」とオッサンに一礼する。向こうも軽く会釈してくれた。
そしてトランクから各々の荷物を回収すると、オッサンの操るリムジンは来た道を引き返して行った。また枝と葉っぱに邪魔されてるな……。
「さて、それじゃ行くわよ!」
そんなちょっぴり不憫(?)なオッサンを見送った後、救芽井は声を張り上げて、ズンズンと砂利道を歩きはじめた。
俺と矢村も、荷物を抱えて彼女に続いていく。
やがて久水家の前にたどり着いた俺達は、見れば見るほど、田舎の裏山には場違いな屋敷を見上げる。
山の中にこんなリッチな屋敷を建てるあたり、向こうも普通の価値観とは違う思考をお持ちのようだ。
決闘しようがしまいが、一筋縄じゃいかない相手だってのは軽く予想がついちまうな……。
今後の展開には、明るい未来は予想できそうにない。
敵意モロ出しの表情で屋敷を見上げ二人に挟まれたまま、俺はひときわ大きなため息を――
「樋稟ぃぃんッ!」
――つくってところで、ド派手な音と共に奴(?)が現れた。
「……!? だだ、誰やッ!?」
「はぁ……とうとう出たわね」
激しく玄関のドアを開き、勢いよくこちらに飛び出してきた男。黒いタキシードに身を包んだ、二十歳後半のようにも見える容貌の青年だ。身長は――百八十くらいはある。
歳は十九歳と聞いてたし……恐らくこの人が「久水茂」という当主さんで間違いないんだろう。
……だが、容姿についての前情報くらいは欲しかった。
だって――彼、ツルッツルなんだもの。スキンヘッドなんだもの。
眩しい太陽光という自然の恵みを受けて、神の輝きを放ってるんだもの……。
「心配したぞ樋稟っ! 昼の十二時を過ぎても一向に来ないのだから! てっきり熊にでも襲われたのかと……!」
「――茂さん、ごめんなさいね。思ったより時間が掛かっちゃったみたいで」
「構わんさそんなこと! ワガハイは君が無事であれば、それだけで十分だッ!」
しかも「ワガハイ」って……。妹の方も「ワタクシ」とか言っちゃってるし、ホント口調と容姿がそぐわない兄妹だな。
両方とも顔立ちやスタイルは美形なのに、ところどころがあまりにも残念だし。
救芽井は見飽きたように呆れた顔だし、矢村に至っては笑いを堪えるのが必死でプルプルと震えている。
……まぁ、スキンヘッドがタイプという女性もいるだろうけど、ちょっと人を選ぶのかも知れないな。俺は普通に好きだけど……。
「さてと……それじゃ早速で悪いんだけど、お昼の用意をしてもらえないかしら? 私達、まだ何も食べてなくって」
「ああもちろん! 是非上がってくれたまえ!」
……おや。決闘を申し込むなんて言って来るぐらいだから、どんなおっかない奴なのかと思えば、意外にいい人じゃないか。
救芽井はもとより、決闘には関わらないはずの矢村までお客として丁寧に屋敷に上げている。
「どうしたんだい? そんなに震えて。心配ないよ、ここは設備も充実してるし、何より安全だから」
憐れむように、優しく矢村に接している茂さん。……あの震えの意図だけは、教えないほうがいいだろう。
じゃ、俺も早速お邪魔しま――
「なんだ貴様は」
――あ、俺はダメですかそうですか。
明らかに他の二人とは違う扱いだ。
槍で突き刺すような冷たい視線を俺に向け、ここは通さないとばかりに立ち塞がっている。
「いや、一応俺も客人らしいんですよ」
「客人だと? 男など呼んだ覚えは――ま、まさか貴様がッ!?」
訝しむように俺を睨んでいた茂さんは、何かに気づいたように目を見開くと、いきなり臨戦体勢に突入した。
……あちゃー、やっぱこうなる展開でしたかー。
「樋稟が自ら設計したという『救済の超機龍』……。それを使うべきワガハイを差し置いて、まさかこんな田舎者がッ……!?」
右腕に巻かれた白い「腕輪型着鎧装置」を構え、茂さんは信じられない、という顔で俺を睨みつけている。
おいおい、頼むからこんなところで着鎧しないでくれよー。
――ん? ちょっと待てよ。
確か、「救済の超機龍」のことは救芽井家しか知らないんじゃなかったっけか?
この人、どこでそれを……?
俺がそのことで引っ掛かりを感じていた時、玄関の奥から話し声が聞こえてきた。なんか――言い争ってる?
「とうとうここに来たざますね! 逃げずに来たことは褒めてあげるざます!」
「ふん! 茂さんなんて、龍太君にこてんぱんにされちゃうに決まってるんだから!」
「あれ? 龍太、まだ来とらんのん?」
「フォーッフォッフォッフォッ! いいざましょ! ならその龍太とかいう、あなたの婚約者とやらの、お顔を拝見させて頂きますわ! さぞかしみずぼらしい男なんでしょーねぇ! ついてらっしゃい、鮎子っ!」
……うわ、やっぱ妹さんもいらっしゃる? なんかこっちに来る気配だし……。
「てゆーか、四郷までここにいるのか? 一体どうして……」
「ふん、彼女は妹の親友だ! 手出しはさせんぞ、薄汚い田舎者め! どうやって樋稟をたぶらかしたのかは知らないが、ワガハイがここにいる以上、貴様の好きにはさせんっ!」
茂さんは着鎧こそしないものの、へんてこなファイティングポーズを見せ付けながら、こちらを睨みつづけている。
なんかもう、すっかり俺が悪役みたいなことになってるな……。
つーか、棒立ちの一般人に腕輪付けて身構えるのはやめようぜ。見てて泣けてくるから。
「ハァ……」
「き、貴様ァ! ため息をついたな!? 今、ワガハイを愚弄しただろう!?」
「……なわけないでしょ。お願いですから、決闘前くらい穏便に行きましょうよ」
俺は両手をひらひらさせて、降参の意を示す。が、向こうはこっちが挑発してるものと思い込んでるらしく、さらに憎々しげな表情を浮かべた。
――髪の毛と一緒に、カルシウムでも持ってかれたのか? この人は。
そんな聞く耳を持ちそうにない茂さんを見て、さてどうしたものか……と、俺が本格的に頭を抱えだした時。
「……いらっしゃい。この間は、ありがとう……」
「フォッフォッフォー! 来てあげたざますよ、下郎! このワタクシのご尊顔を直に拝める光栄、身に染みたざますか!?」
――来た。来やがった。仰々しい変な笑い声とともに、あの傍若無人唯我独尊、久水梢様が。
救芽井を凌ぎかねない程の、ダブル・ダイナマイト・マウンテンの躍動と共に。
なぜか四郷も一緒にいるけど……まぁ、それはひとまず置いておこう。
つか、二人とも赤い薄地のドレスを着ていて、目のやり場に困るんですけど……。
「あらあらぁ、これは外見からして、予想以上の愚図男ざますねぇ。救芽井さんには、どうも殿方を見る目が皆無なようざますね!」
「……この人、ちょっとぐずだけど、わるいひとじゃないよ」
久水はともかく、四郷にまで愚図呼ばわりとは……。
なんだ? 俺は女に虐げられる星の元にでも生まれて来たのか?
「こんな中途半端な体格の男との決闘なんて、不戦勝も同然ざますね。……ん?」
会って早々の罵詈雑言に堪えかね、目を逸らしていた俺に対し、久水は何かに気づいたかのように眉を潜める。
そして、その表情は徐々に――
「その顔で、『龍太』……。……な、な、な……! ま、まさかあなたッ……!」
――衝撃の事実に直面したかのように、驚愕の色へと染まっていく。
あーあ、どうやら向こうも思い出してしまったらしい。
俺の、人生最大の黒歴史を。
「どうした梢!? さ、さては貴様、妹にまで毒牙をッ……!?」
妹の異変を前に、勝手に勘違いして暴走しかけてる茂さんを完全放置し、俺は久水の方へ向き直る。
そして――
「よう。久しぶり、『こずちゃん』」
――開き直った俺は、あの日のように、昔のように、屈託なく笑う。
そのクソキモい笑顔を見せられた彼女は、なんの見間違いなのか、感極まったかのように頬を紅潮させていた。
◇
――小学校三年の夏休み。
兄貴と一緒に、河川敷でキャッチボールに興じていた時のことだ。
「おーい龍太ぁ、行くぞー!」
「う、うんっ! ……あ、あれっ!?」
当時中学二年だった兄貴の投げるボールは、キャッチボールをする感覚でも野球部のピッチングに匹敵していた。
当然、一般ピープル程度の身体能力すら持たない小三の俺に、そんなもん取れるはずがない。
しょっちゅうグローブを弾かれ、まるで昭和の特訓のような状態になっていたのだ。兄弟同士のキャッチボールで。
――今思えば、戦闘ロボットを素手で殴り壊せる兄貴とのキャッチボールなんて、自殺行為も甚だしい。
我ながら、よく生きていたものだ。
「ふえぇ〜、またとれなかったよぉ……」
「仕方ないさ。練習したら、きっと出来るようになるよ」
だが、当時の俺は他所のキャッチボールというものを見たことがなかったので、それが「やむを得ない」ことなんだとはわからなかった。
ゆえに「キャッチボールとはこういうもの」、「俺はキャッチボールすらできない運動オンチ」という、間違いなのかそうでないのか、微妙な認識を植え付けられていたのだ。
……まぁ、そんなことはどうでもいい。
このことから何か言うことがあるとするなら、それくらい当時の俺が「バカ」だったということくらいだ。
「うーん……ぼく、キャッチボールにむいてないのかなぁ」
「ま、向き不向きはあるよな。親父だって、道院長にもなって『固め技は得意じゃない』とかホザいてたし……」
「どーいんちょー? なにそれおいしいの?」
「あ、ああいやっ! お前が気にするようなことじゃないよっ!」
この時はまだ、親父や母さんと四人一緒に暮らしていた。
なのに父親や兄のことをよく知っていなかった俺は、多分かなりの親不孝者なんだろう。
隣町に親父と兄貴の道院があったなら、両親がいる間に知る機会なんていくらでもあったはずだ。なのに、俺は何も知らなかった。
それは親父達が隠していたからなのか、俺が無関心なだけだったのか。
今さらと言えば今さら過ぎるせいで、今となっては、それを聞く気にもなれない。
今になってその時を振り返れば、そんなことを考えさせられてしまう……という時期に、彼女は俺の前に現れた。
「あなた! わたくちのちもべになりなたい!」
飛んで行ったボールを拾おうと、茂みに入り込んだ瞬間。
そこで待ち構えていたかのように、小さな女の子が飛び出してきたのだ。いきなりのしもべ扱いと共に。
「わあ!」
驚いて尻餅をつく俺を見下ろし、この頃から茶色のロングヘアだった彼女――久水梢は、ドヤ顔でこちらに迫って来る。
「ふっふん、びっくりちた?」
「……びっくりした」
「――やったぁ! びっくりちた、びっくりちた!」
呆気に取られていた俺の反応を見て、キャッキャとはしゃぐ彼女。まるで、幼稚園児のようだった。
一応、俺とは同い年であるはずなんだが、当時の久水は実年齢より、かなり子供っぽかったのを覚えている。
背丈も、女の子ってことを差し引いても、割と小さい方だった。
「えっと、きみ、だれ?」
「わたくち? わたくちはこずえ! こずえさまってよびなたい!」
「こずえさま? ……おぼえにくいよ。こずちゃんじゃだめ?」
「だめ! こずえさまじゃなきゃだめ!」
自分より小さい女の子だから、という理由で、子供心に「優しくしなきゃ」と思っていたんだろう。
俺は草むらで待ち伏せしていたことを、特に追及することも怒ることもせず、彼女と友達になろうとしていた。
――ちなみに、この頃の俺は、今のようなボッチではなかった。男子ばかりではあるが、それなりに一緒に遊ぶ友達はたくさんいたのだ。
そういう子達とは、「〜君」と呼んであげるだけで友達になれた。
だから、いきなり湧いてきた彼女のことも「〜ちゃん」と呼んでやれば、簡単に友達になれるとでも思ってたんだろう。
だが、「初めての女友達」としてマークしていた久水は、なかなか手強かった。
俺の「こずちゃん」呼びを許さず、なんとか「こずえさま」と呼ばせてやろうと、やたら強情に俺を言いなりにしようとしていたのだ。
「おおぅ!? まさか龍太に初カノか!? 俺を差し置いての初カノか!? いいぞいいぞもっとやれ! 押し倒せっ!」
俺が女子と絡むのが初めてというだけあってか、遠くで見ていた兄貴も妙なテンションで荒ぶっていた。
……この日の夜、親父と母さんに嬉々として語っていたのは言うまでもあるまい。
「りゅーたん? あなたはりゅーたんっていうの?」
「りゅうた、だよ。りゅーたんじゃないよ」
「ようし、きょうからあなたはわたくちのちもべよ、りゅーたん!」
「だからちがうってば……」
――その日から、薮から棒に俺をしもべ扱いする、その女の子に連れ回される毎日が始まったわけだ。
特にお互い約束を交わしたわけでもなく、ただ何となくという感覚で、俺達は決まった時間にいつも同じ河川敷に集まっていた。
あの子と遊びたい。この時にここに来れば、あの子に会える。
互いに、そう思い合っていたのかも知れない。
ままごと、追いかけっこ、かくれんぼ。
二人でも出来る遊びは、とことんやりつくした。
そして町に出掛けては、商店街でおじいさん達に「小さなカップル」などと持て囃されたこともある。
……もっとも、その都度彼女は「ちがうもんっ!」と顔を赤らめて俺を蹴飛ばしていたのだが。
――意地っ張りでわがままで、自分の意見を曲げない頑固者。それが、今も昔も変わらない、彼女への印象だ。
普通なら、めんどくさがって関わるのを嫌がるような子だったのだが、俺は彼女のことが気になって仕方がなかった。
だから、どんな無茶な遊びや探検にも付き合った。
兄貴も、「いい機会」だと言うだけで、特に干渉してくることはなかった。
大きな飼い犬に喧嘩を売った彼女のとばっちりで、逆に二人で追い掛けられたり。
町のガキ大将を、「女の子」であることを武器に川に突き落とす作戦に付き合わされたり。
やってる最中はとにかく必死だったのだが、そのピンチを乗り切った後の快感は格別だった。
いつも俺に甘かった兄貴や、他の男友達との遊びでは、到底味わえないスリルがそこにはあった。
そうして俺達は、ふとしたことで顔を見合わせては、互いに笑い合う日々を送っていた。
今までにない楽しみを与えてくれる。
それが嬉しかったから、俺はいつも彼女に付き添っていたのだろう。
――彼女は見掛けない顔だったから、この町の住民ではないことは明白であった。しかし、彼女がどこから来た子なのかが気になることはなかった。
そんなことを気にしていたら、楽しめるものも楽しめなくなる。
子供ながらに薄々そう感じていたから、俺は彼女に出身を問うことはなかった。
だから、俺は何も考えなかった。
なぜ、彼女が「しもべ」としている俺との遊びにこだわっていたのか。
なぜ、彼女は河川敷のあんなところにいたのか。
なぜ、彼女と遊んでいると、こんなに楽しいのか。
その理由を考えること自体を放棄して、俺は彼女との日々を好き放題に謳歌していた。それでいいと、信じて疑わなかった。
……だが、彼女の方は違っていた。
ある日を境に少しずつ、表情に陰りが見えはじめていたのだ。
最初は、夕暮れを迎えて別れる際に、少し寂しげな横顔が見えたくらいのことだった。
しかし、そんな顔を見かける時間は次第に増えていき、最後は河川敷に集合した時から既に、曇りきった面持ちになっている程であった。
「こずちゃん、大丈夫?」
「うるたい! りゅーたん関係ないっ! それとっ、いつになったら『こずえさま』って呼ぶの!?」
だが、理由を訪ねても、決して答えることはなかった。
――それでも、俺は彼女を諦めなかった。
彼女が好きだったからだ。いろんな冒険をさせてくれる、俺を楽しませてくれる彼女が。
いつしか、俺は「楽しいから」彼女に付き合っていたのに、気がつけば「彼女が好きだから」付き合うように変わっていたのだ。
きっと、その頃からだろう。自分自身の、そんな気持ちに気がついたのは。
気持ちが暗く、理由を訪ねても答えてくれない。なら、そんなものを吹き飛ばすくらい、明るく振る舞えばいい。
直感的にそう判断した俺は、彼女を励まそうと、敢えて能天気に振る舞った。
くよくよしてるのがバカらしくなるように、と。
そんな俺を見ていた久水は、やがて水を得た魚のように、俺を弄りはじめる。
そして、その時にようやく、彼女は以前のような笑顔を見せていたのだ。
「きゃはは、りゅーたん、ほんとにおバカ! なんでそんなにおバカなの?」
「こずちゃんがだいすきだからだよ」
「えっ……? だ、だめ! わたくちたち、まだこどもだもん! おとなにならないと、けっこんできないもん!」
……我ながら、結構とんでもないことを口走っていたもんだ。
まぁ、向こうも子供ゆえか、割と単純に喜んでる節が垣間見えてたから、それは良しとするか。
ちょっとわがままで活発で、意外に恥ずかしがり屋で。そんな彼女と一緒にいる時の俺は、堪らなく幸せだった。
――だが、そんな時間すらも長くは続かなかった。
彼女の面持ちが微妙に暗くなりはじめた日から、二週間ほど経った頃。
いつも来ていた河川敷には、彼女はもう……いなくなっていた。
「こずちゃん? どこ?」
辺りを見渡し、名前を呼んでも返事はない。涙目になりながら、初めて出会った茂みを捜しても、姿はない。
――とうとう、自分と遊ぶことに飽きてしまったのか。
そんな考えがふと過ぎり、気がつけば、俺は独りでむせび泣いていた。
そして、そのままたった独りで夕暮れを迎えた後、俺はとぼとぼと帰路についていた。
一日彼女に会えなかったというだけで、俺の胸にはぽっかりと穴が空いてしまったのだ。えもいわれぬ寂しさを肌で感じつつ、俺はぼんやりとした気持ちで町を歩いていた。
――その道中、近場のガソリンスタンドを通り掛かった時。
「……あっ!?」
そこに停まっていた白塗りの長い車……即ち「リムジン」の窓に、あの姿を見たのだ。
「……!」
何かを考える前に、俺は走り出していた。
そして気がついた時には、俺は車窓の奥にいる彼女へ手を伸ばしていたのだ。
「こずちゃん!? こずちゃん!」
「えっ……りゅーたん?」
向こうは驚いたように目を見開くと、慌てて窓を開いてこっちを覗き込んできた。湖のように澄んだ丸い瞳が、俺の視界に煌々と映り込んでいた光景は、今でも鮮明に焼き付いている。
「こずちゃん、どこいくの?」
「……とおく。うんと、とおく」
「とおく? もう、会えないの?」
泣きそうな顔で訪ねる俺を見た彼女は、どうすればいいかわからない、という様子で俯いていた。
「梢、もう行きますよ。あら、お友達?」
その時、彼女の母親らしき人が車の陰から顔を出して来る。その傍にいた初老の男性は、恐らく父親だったのだろう。
「茂も、片付けで疲れて眠っておるし、早く出発してホテルに行かねばならん。梢、早くさよならしなさい」
諭すような口調で、男性は久水を説得しようとする。
そのやり取りで、俺は子供心に「別れの時」が近いことを覚らされようとしていた。
彼女がいなくなる。そう考えた途端、頭の中からサーッと体温が抜けていくような感覚に見舞われた。
恐らく、「頭の中が真っ白」になるという現象だろう。
「いなくなるの?」
「うん……わたくち、かえらなきゃいけないから」
「そんなぁ……」
瞬く間に目元に涙を浮かべた俺は、現実を突き付けられたショックから、彼女から目を逸らすように俯いてしまった。
個人的には、引き留めたかったはずだ。彼女の後ろで苦笑いしている両親が見えなければ。
ここでわがままを言っても、彼女達に迷惑が掛かる。何となくそう感じていた俺は、「本音を押し殺すこと」を学ばざるを得なかった。
――やだよ、いっしょにいたいよ! ぼく、こずちゃんが大好きなのにっ!
……そんな想いを、声を大にして言えたなら。今よりは、歯痒い思いはしなくて済んだのかもな。
どうやら俺は、ガキの癖して利口過ぎたらしい。
言えたかも知れない「わがまま」を言わなかったがために、彼女を引き留めようとすらしなかった。
「……ねぇ、こずちゃん。あ、じゃなかった、『こずえさま』」
「……さいごくらい、こずちゃんでもいいよ」
「そ、そっか、えへへ」
せめてわがままを言わない代わりに、何か気の利いたことを言ってやろうと考えた俺は、彼女が望んでいたはずの「こずえさま」呼びを実行してやった。
……が、それは敢え無く空振りに終わる。
「こずちゃん、ぼく、やっぱりこずちゃんがすきだな。こずちゃんは、ぼくのことすき? きらい?」
「えっ! えーっと、えぇーっと、す、す、す……!」
別れ際に、気持ちを確認しておきたかったのだろう。
俺は向こうの両親が見ている前だというのに、なりふり構わず告白を敢行していた。
もし好きになってもらうことが出来れば、いつかまた会える。そんな根拠のない夢を、胸中に詰め込んでいたからだ。
向こうは顔を真っ赤にして、なんとか返事をしようと必死になっていた。
「す」という最初の言葉から予想される展開に、俺は期待を溢れさせていたのだが――
「……ふ、え、えぇえぇえええぇんっ!」
――答えを聞く前に、彼女は大声で泣き出してしまった。
何が起きたのかわからず、今度こそ完全に「頭の中が真っ白」になってしまう。
彼女の両親はあわてふためきながら俺に一礼すると、使用人らしき男性にさっさと車のエンジンをかけさせ、ガソスタから走り去ってしまった。
……俺は、その後ろ姿を見送ることもせず、ただ呆然と立ち尽くすしかなかったのだ。
告白をして、返事を貰えるのかと思えば、酷く泣かせてしまった。
何が原因かは今でもまるでわからないままだが、俺の何かに起因して起きたことだという点だけは、きっと紛れも無い事実なのだろう。
――そう。俺の初恋は、この時に散ったんだ。
ふと知り合った、破天荒で時々かわいい女の子。久水梢にフラれる、という形で。
……それからしばらくして、近所や友達の噂話に耳を傾けていくうちに、俺は彼女のことを少しずつ知っていった。
彼女ら久水家は、家族旅行の帰路につく途中、故障した車の修理のために松霧町に立ち寄っていたのだという。
そこでの修理が難航していた上、娘の「こずちゃん」が自然溢れる町並みを気に入っていたため、彼らはしばらくここに滞在していたのだ。
だが、資産家の娘、というのは友達作りが上手くはなかったらしい。
決して根が悪い子ではないはずなのだが、高慢ちきな性格が災いしてか、この町の子供達からはつまはじきにされていたのだとか。
いつもそのことでいじけては、河川敷の茂みに隠れていたのだそうだ。
そして……彼女の行動に付き合っていた同年代の子供は、どうやら俺だけだったらしい。
もしかしたら。もしかしたらだが、彼女がやたらと俺にこだわっていたのは、相手にしてくれる子供が俺しかいなかったから……なのかも知れない。
その俺とも別れ、彼女は自分の居場所へ帰って行った。
結構なことじゃないか。
きっとそこなら、彼女を受け入れる世界があったはず。たまたま、ここの在り方に合わなかった、ってだけのことだろう。
……そう。だから俺はもう、「用済み」なんだ。
彼女に付き合い、一緒に遊ぶ相手になってやった。俺が望めたのは、最初からそれだけだったんだ。
いつまでも一緒にいたい、だなんて、身の程知らずも甚だしい。
最初から叶わない恋だったんだと思い知らされた俺は、その頃からますます女子との関わりを避けるようになっていた。
自信をなくしたから、というのが一番率直な動機だろう。
俺なんかが恋なんて、出来るわけがなかったんだ。何を勘違いしていたんだ。
……そんな風に、いつも俺は自分をケナして、自重していた。
多分、矢村や救芽井に会うことがなければ、俺は女の子とほとんど口を利かないまま、大人になっていたのかも知れない。
そんな灰色の人生から、もしかしたら脱出しつつあるのかも……なんて思い始めていた矢先に、まさか俺にとっての「失恋の象徴」がご降臨なさるとはな。
――今の彼女と、どう向き合うか。
俺があの日の失恋を乗り越えられるとするなら、そのチャンスは今しかない。