「なんで……如何して!」
僕は、少し遅れてフラン達がプレゼンテーションを予定していた場所に到着した。
遅れたと言ってもほんの五秒。予定ではまだまだ説明会の途中の筈だった。
しかし、そこで行われていたのは互助レギオンの為の説明会などではなく、もっと悍ましい惨劇だ。
フランは窪地の中央で黒い十字架に貼り付けられており、窪地の淵ではファルも黒い万力のような物で抑えつけられている。
「やめろ……やめてくれ!なぜ…………どうしてなんだ………!」
ファルが叫ぶ。 僕は、今がどういう状況なのか全く飲み込めず……いや、理解するのを拒んでしまっていた。
フランが磔られているのは間違いなくヨルムンガンドの巣だ。未だ攻略を成し得た者の居ない神獣の一角。何人ものBBプレイヤーが挑み、敗れてきた長虫のテリトリーの範囲内だ。
今は煉獄ステージなので、あの神獣という言葉がこれっぽっちも似合わない長虫型のエネミーは確実に現れる。
あんな所に貼り付けられてしまえば、確実に殺されてしまうだろう。
周囲を見回すが、そこらにいる他のBBプレイヤーは、恐怖を抱いてしまいそうになるくらいにじっ、と窪地の中央を見つめている。
「済まないね、ファルコン君、フェイカー君。彼らの代わりに、せめて私が答えよう」
そんな、低く滑らかな声が聞こえたかと思うと、いきなり地面から黒い板が二枚せり上がり、回避する暇もなく僕を拘束した。
「ぐ………」
声のした方向には、黒い積層アバターが立っていた。恐らくは僕らを拘束している奴なのだろう。
ピシィ!と、圧力で生じた電気が周囲に散るが、積層アバターは特に興味を示さずに言う。
「あの強化外装の力は、いまだ黎明期にあるこの世界に於いては余りにも規格外過ぎるんだ。それは、ここ数日の対戦を通じて君たち自身も如実に体感した事だろう?」
その教師染みた口調は、現実世界の僕の担任の教師よりも更に年上に感じさせるようなプレッシャーを放っていた。
大人に叱られているような気がして反射的に俯いてしまうのを、意思で抑え込み、積層アバターを睨みつける。
「なら……《鎧》をショップで処分する。手に入ったポイントは全部、公平に分配する。それでいいだろ………ここまでする必要はない、そうだろう………!!」
ファルの懸命に押し出したような声が聞こえる。僕は体を拘束している黒塗りの板から脱出しよう試みるが、漆黒の万力はビクともしない。
「残念ながら、その方法だとショップに強化外装が残ってしまう。再びあれを手に入れ、ゲームのバランスを崩す者が現れないとも限らない。
あの鎧は、元あった場所に戻さなければならないんだ。そのためには、プレイヤー以外の力によって、所有者を消滅させるのが唯一の方法なんだよ、フェイカー君、ファルコン君」
「いや!まだ方法はある!例えば……一度売却し、封印状態になった鎧を何処ぞの家の中に鍵と一緒に放り込む方法はどうなんだ!!」
僕がそう怒鳴ると、積層アバターは再び穏やかな口調で言った。
「ふむ。その方法だと鍵の紛失………家の中に鍵を忘れた場合の緊急措置としての幾らかのバーストポイントを支払う事で新しい鍵は作れる機能が使えるからね。いくら買った本人しか新しい鍵を作れないと言っても君達がまたそれを使わないとも言い切れない。つまりはこの方法しかないのだよ」
「なら!いまフランが死んでもとの場所に戻ったとしても、それは再び取得可能だ!それはどうなる!」
「別に、然るべき時期に正規の方法で取得するなら構わないさ。ゲームとは、そういうものだ」
その積層アバターの答えにもう一度食らいつこうとした瞬間に、ヨルムンガンドの口元でフランのアバターが無数の細片と化し砕け散った。
屹立した山吹色の光の柱が描いた刹那の墓標が虚しく輝く。
ヨルムンガンドが巣穴へと戻っていく。これでまた、一時間の後に再び行われるのだろう。そう思い、解決策を模索し始めると、背後から人のものだと思えない程無垢で清らかな声がした。
「《リザレクト・バイ・コンパッション》」
その声と共に、小さな光の粒子が宙を舞い、フランの、山吹色の残り火に触れると同時に、フランのアバターが実体化する。
回復アビリティだって、という僕の呟きは、ヨルムンガンドの咆哮によって掻き消された。
「まさか……………」
ファルを見ると、もうその光景が幾度となく繰り返されて来たかのような雰囲気を醸し出している。
「まさか……何度も、フランを殺しては蘇らせてを繰り返していたのか!?貴様らは!!こんな無限エネミーデス……いや、無限エネミーキルが、許されると思っているのか!!」
先程から僕に充填されていた電気が放出され、スパークした。
その時、僕の横でその光景を見ていたファルの声が響いた。
「…………いやだ。もう、いやだ。大切なものを喪うのは………それだけは……絶対に嫌だ!」
ファルが力を振り絞るように叫ぶ。
「う……お、お、おおお……………!!」
「やめておきたまえ、ファルコン君。我々に君達を排除する意図は無い。作戦が終了すれば、ちゃんと解放する予定なんだ。恐らくあと、一、二回だから、それまで大人しくしていてくれないかな」
「だ……まれ……!」
ファルの両手の装甲に細かい罅が走り始めた。
「ファル、何を!」
一見自暴自棄にしか見えない行為。
フランの危機に、動揺しているのかもしれないと、いやに冷静な思考が告げた。
それと同時に湧いてきたのは、ドス黒い絶望感と後悔。
———僕が……もっと早くに来ていれば防げたかもしれないのに……………
何故だろうか。体に力が入らない。不甲斐ない自分を責める気力すら湧かず、ただ呆然とフランを見つめる事しかできない。
そして、遂にファルの両手の装甲が、硬質な金属音と共に砕け散った。
「《フラッシュ・ブリンク》!!」
ファルがそう叫ぶと、光の粒子となって移動、そしてフランの前で実体化したファルはヨルムンガンドを蹴り飛ばした。
通常技ではそれ程ダメージは与えられない。
しかし、その隙にフランのレベル5必殺技のシェルターが展開される。
ファルとフランは少しの時間見つめ合い、そしてフランの胸をファルが貫いた。
瞬間、フランの身体は光でできた数列のリボンのように空へと上がっていく。
僕も何度か見たことがある、最終消滅現象のエフェクト。フランがこの世界から、永久に退場した。
フランの事だ。きっと、残りポイントが少なくなった為にファルに頼んだのだろう。
僕は、親友を守る事すら出来なかった。
だが、そんな絶望は、すぐに違う感情が掻き消した。
——ファルは、こんな状況でもフランを助ける為に動いたんだ。
それは、自分自身に対する怒り。
拘束されている。 ただそれだけで、フランを助けに行こうともしなかった自分への、強烈な憤怒。
僕の中で燻っていた火花が、大きな炎へと変わる。
———そうだ。僕が、僕だって。ファルと同じように、立ち上がれる筈……いや、立ち上がらなくちゃいけないんだ。もう、これ以上後悔したくないなら……立ち上がるんだ!
「う……おおおおおおお!!!!!」
華奢な両手に力を込める。 ありったけの力を注いでも、黒い板は微動だにしない。
それでも、力は弱めない。弱める訳にはいかない。
ほんの少し、板の隙間が広がる。
だが、足りない。この程度ではダメだ。
発生した電気が板を焼くが、その程度ではどうにもならない。
——なんで、僕はこんなにも弱い!
たった一人の親友も助けられない。 それだけが堪らなく悔しい。
「ファルに、だって……」
僕の口が自然に動いた。
「ファルにだって、できたんだ。 僕だって!」
純粋な格闘アバターでない僕では、ファルのように圧力で装甲を砕くのはほぼ不可能。
——けど、だからって、諦めてやるものか!
僕の水晶は硬いのだ。どんな重圧にも負けないだけの硬度は備えている。
条件が整っているのだから、あとは僕が実行するだけだ!
僕は、両腕の力を強める。重圧を押しのけ、立ち上がる為に。
「もっと、強く……。もっと、硬く! うあぁぁぁぁああああああ!」
目の錯覚か、僕の体が薄く輝いた気がした。
変化は、あった。
僕を両側から拘束する板が、ゆっくりと、しかし確実に開き始めたのだ。
「おや、フェイカー君。君は賢明だから行かないと思ったのだがね」
黒い積層アバターの呆れたような声が聞こえた。
僕は、間髪入れずに返答する。
「生憎、目の前で親友が頑張って居るのに見捨てられる程………人間が出来ちゃいないのさ!」
僕はそのまま、勢いで板の間を離脱する。
背後でガチン!という板が閉じた音が聞こえた。
「ただ、君だけは許せない。許さないし、許すつもりもない。
後で、必ず殺してやる。首を洗って待っていろ!」
僕はヨルムンガンドに飲み込まれたファルの元へ向かった。あの長虫は確かに強い。
だが、スターライト・リベレイターを使い、ファルと共闘できれば離脱する時間を稼ぐ位できる筈だ。
何せ、リベレイターはヨルムンガンドと同格かそれ以上の神獣級エネミーからのドロップ。
攻撃力だって、七星外装には劣るが十分一級品だ。
「ファル!僕が今からそいつの足止めをーッ!」
僕が駆け付けると同時、ヨルムンガンドの頭部が弾ける。 血を思わせる強烈なダメージエフェクトが迸った。
その奥に、漆黒の鎧を身に纏い、黒い靄のような物に包まれていたファルを見つける。
「あ……あああ………あああああ——————ッ!!」
金属質の歪みを帯びた絶叫が響き渡る。ヨルムンガンドの瞳が、まるで怯えるかのように明滅した。
ファルはそれでも尚止まらず、裂けた奥にある柔組織を掴み、何度も何度も引き千切る。
其処にあるのは、純然たる怒り。底が見えない程に深く、濃密な憎悪と絶望。
その殺意は自分に向けられた物では無いにも関わらず、足が竦み、動けなくなる。
どれ位経っただろうか。一瞬の出来事が、僕にはもっと長い間の出来事に思えた。ファルの両足が地面に着いた時、ヨルムンガンドは半ばまでが左右に断ち切られていた。
高位の神獣級エネミーをこうもあっさりと、なんて感想は浮かんだ直後に弾けて消える。
叫びをあげ巣穴へ帰ろうとするヨルムンガンドの巨体の右半分を、漆黒の鎧を纏ったファルがその鋭く強靭な鉤爪で掴み、左半分を足で踏んで固定した。
次の瞬間、ヨルムンガンドは一気に尻尾の先まで裂き尽くされた。
ヨルムンガンドは一度、不自然な形で停止してから断末魔を上げつつ幾千もの断片へと化し、爆散する。
「グ……、ル、アアアアアアアアア!!!!!」
漸く爆散エフェクトが消え去ったと思った時、飢え、猛るような獣の咆哮が劈く。
———ごめんね、フェイ。さようならーーー
ファルの声が、確かに聞こえた。
「ファルッ!」
そう叫んだ次の瞬間には、僕はファルが手に持った漆黒の大剣の腹で飛ばされていた。このコースは、離脱ポータルへの一直線のコースだ。そう認識した時には既にポータルの揺らめく光が僕を包み込んでいた。
「ッ!ファル!クソッ!」
自室のベッドの上へ戻される。前に離脱した所が近かったから駆け付ける事が出来たが、此処から彼処までは二時間はかかる。それまでファルが其処に留まって居るとも考え難い。
「守れなかった………!僕は………!僕が、もっと……!」
最後に見たファルの姿を思い出す。 慟哭する獣のような声が耳にへばりついて忘れられない。
全ては、僕が間に合わなかったばっかりに。
—— 違う。
そんな声が聞こえた。
——確かに、僕は間に合わなかった。でも、そうやってまた、今度はファルの事も見捨てるのか?
「……そうだ。僕が今すべきは、後悔する事じゃない……。全力で、ファルだけでも助ける!アンリミテッド・バースト!」
鎧は絶対的な性能を持っていた。 物理攻撃は全て無効にしたし、レーザーに至っては反射していた。金属の弱点である腐食までは無効にできなかったようだが、それ以外には無敵と言って良いほどの物だ。
しかし、それでも。 僕は一度だけ、腐食系攻撃以外で鎧を装着していたフランがダメージを受けたのを見たことがある。
増して、あの場に居たのは僕でも知っているような腕利きのBBプレイヤーだ。 いくらファルでも無事に切り抜けられないかもしれない。
そんな不安を抱えて、僕は再び無制限中立フィールドに降り立つ。
僕を照らすのは、曇天から射す微かな光。 頬に当たる水滴がこのフィールドが霧雨ステージであることを示していた。
変遷が来てしまっていた事に数秒間フリーズしてしまったが、僕はファルの元へと駆ける。
せめて、ファルだけは助ける。確かにフランは死んだかもしれない。
それでも、ファルまで失うのだけは嫌だ。
フランもきっと、そんな事は望まない筈だ。
不安や焦りが僕の頭の中を埋めつくしていく。
気が付けば、先程の窪地の淵に立っていた。
ファルはその窪地の真ん中に立っていた。ファルの手元から無数のリボン状の光が空の彼方へと消えて行った。
他にアバターの影は無い。マーカーすらも、残っていない。
僕がファルに近付こうとすると、ファルはその右手で僕を制止し、先程迄の獣のような声ではなく、元の声で呟いた。
「フェイ。もう、僕の事は放っておいて。今まで、本当にありがとう。僕は、俺は、やらなくちゃならない事ができたんだ。 だから、さよなら」
ファルは、辛うじてそれだけを絞り出すとポータルへと見えない程の速度で駆けて行った。
僕はその場に崩れ落ちる。
「ファル……ファルッ!ごめん、僕は……。ごめん、僕も、ありがとう。 ファル……」
視界がゆがむ。口が、意味のある言葉を紡いでくれない。
色んな事が、僕の頭の中をぐるぐると回る。
「たぶん……」
そこから先は、言えなかった。何が言いたかったのかも解らない。
暫くして、ファルは加速世界から永久退場した。
最後にはクロム・ファルコンの名前は忘れられ、クロム・ディザスターと呼ばれ、死んでいった。
彼が消滅する直前に言っていた言葉が耳から離れない。
『俺はこの世界を呪う。穢す。たとえ此処でいっとき消えても、俺の怒りは、憎しみは何度だって蘇る』
その後、ファルの言葉は事実となった。討伐に参加していたマグネシウム・ドレイクが……高潔で知られていた彼までもが『ディザスター』となってしまったのだ。
ドレイクは僕と、七星の持ち主であるナイト、グリーン・グランデ、パープル・ソーン、それからタンクやアサシンを含むその他数人のハイランカーで討伐に成功した。
今はまだ三代目ディザスターは現れていないが、それも時間の問題だろう。
「……フェイ」
窪地の一角に立てられた、小さな墓標。その前に佇む僕の後ろから、タンクが声をかけてきた。
僕は振り返って答える。
「ごめんね、タンク。 僕の私用に付き合わせちゃって」
「いや、いいんだ。ハヤブサやフランも、俺の大切な親友だったからな。
……あいつらがもういねぇなんて、全然実感が湧かねぇんだ。 俺はハヤブサの……ファルコンの最期にも、フランの最期にも居合わせちゃいないからな。
正直、今でもあの埠頭公園の家に言ったら笑顔で出迎えてくれるんじゃ無いかって思ってる。
けど、フェイ。 お前は二人ともの最期に居合わせたんだろ? ……泣ける時に泣いておかないと、辛いらしいぞ」
「タンクは優しいね。 でも、いいんだ。僕は十分泣いたから」
僕はあれから、無制限中立フィールドにくる度、フランとファルが散って行った場所に花を捧げている。
偶然にも、フランが永久退場した場所と、ファルが永久退場した場所は同じだった。
僕は、その場に残っていた家の鍵を墓標代りに埋めると、ファルとフランの名前を深く胸に刻んだ。
名もなき墓標。 だけど、それでいい。
僕達だけが覚えていればいい。 きっと、ファルもフランもそう言ってくれるはずだ。
この加速世界に、ファル達が生きた証を少しでも多く残して起きたい。確かにそういう気持ちはある。
けど、それをしたところでどうにもならないのだ。 一度崩れ落ちたものは、二度と元には戻らないのだから、僕が二人にしてやるべきことは安心できるだけの準備。 心残りを排除することだけだ。
現実世界では、既に彼らは消えてしまった。 匿名のメールを送ってみたが、どうやら全損してしまうと加速世界に関する記憶を消失するらしい。返って来たのは、迷惑行為に対する警告通知だった。
ささやかな墓標を見て、僕は例えこのブレイン・バーストプログラムを失おうとも、決して彼らの事は忘れないと心に誓う。
そして、彼らの分も戦い続ける。それが、僕の、彼らに対するけじめだ。
BBプレイヤーの死はBBプレイヤーの中にしかない。
ならば僕にできる事は、彼らが居たことを証明できるBBプレイヤーで有り続ける事だ。
そして、いつか……………
あの黒い積層アバターを。 フランを殺し、ファルに呪いを生み出させたアバター達を、全てこの手で葬り去る。