書き直しました。
EP01:Birth Of The Crystal
雨宮《アメミヤ》 晶《アキラ》は、いつものように学校から帰り、世田谷区の一角にある自宅、そのリビングのソファに寝転がる。
少々大きめの一軒家であるが、今この家にいるのは晶ただ一人。辛うじて同学年に収まっている兄は今日は友人の家に泊まるらしく既に家には居ないし、 二歳下の弟もそれに付いて行っている。
両親は共働きで、最近は帰りが深夜になる事もざらであり、ペットを飼っている訳でもない。
宿題は既に終わらせてあり、特にする事もなかった。
普段なら自分の部屋へ行って、グローバルネットに接続するなりVRMMOにログインするなりするのだが、今日に限っては少しの距離を歩く事すら億劫で、そのままソファに寝転がっていた。
寝転がったままの状態で、しばらくの間窓から覗く曇天を見上げる。
———一雨きそうだな……ああ、そういえば今日は洗濯物干してたな。降り出さないうちに取り入れないと。
そう思い、そそくさとベランダに吊ってある洗濯物を取り入れる為に踏み台を用意する。
まだ小学一年生である晶では、踏み台を使わずに洗濯物を取り入れられないからだ。
本来ならば洗濯機の乾燥機能で乾かせるのだが、今は洗濯機の乾燥機能が壊れてしまっている為、わざわざ洗濯物を干さなければならない事態に陥ってしまった。
明日辺り業者の人間が来て取り替えてくれるらしいが、今日洗わなければ明日着る服が無かったのでしょうがない。
取り入れた自分と兄弟の私服を畳んでクローゼットへしまい、両親の使うシャツはハンガーに掛け玄関に吊っておく。
洗濯物を取り入れ一息付き、適当にインターネットでもしようか、と自身のニューロリンカーを家のグローバルネットに接続する。
そこで、視界の右上に青い手紙マークが点滅している事に気が付いた。
———僕にメール?誰からだ?あの人達が僕にメールを送る筈ないし……
そう思いつつ、晶は右手で視界の端に輝くメールアイコンをクリックする。
差出人は不明…………というか書かれていなかった。
差出人が書かれていないというのはあり得ない事であったが、その不可解さよりも好奇心が勝り、内容を確認する。
本文は設定されていなかったようで、ただ、添付物あり、とだけ書かれてあった。
少し疑問に思いつつも添付物のアイコンをクリックする。
容量がかなり大きいのが気になったが、この添付物をダウンロードしなければならない、という使命感めいた感情が晶を支配していた。
そして、この添付物が今までの日常を壊してくれるのでは無いか、というような予感がした。
雨宮 晶は自分が異常であるという自覚を持っている。
生まれたその瞬間から自我というものを持っており、更には幾つもの知識を備えていたのだ。
———この事がバレれば、気味悪がられ、捨てられてしまうのではないか。
そんな考えに至った晶は三日三晩泣き叫んだ。
嫌われるのが、怖かった。拒絶されるのが怖かった。
こうして泣き喚く事で余計に嫌われてしまうのでは、と思い至ったのは良い加減五月蝿いと思ったらしい両親にニューロリンカーを装着させられた時だった。
それからだ。 晶は周囲の望む自分を演じ始めた。
不思議と周囲が望んでいることは解ったので、苦労はしなかった。
それが一体、どれ位続いただろうか。
気が付けば、自分とは一体何なのかよく解らなくなっていた。
——こうして思考している僕は、一体何者だったろうか?
そのように考えてしまうことが日に日に増していった。
晶はそんな自分が嫌だった。
決して何者にもなれないという自身の本質が嫌いだった。
空っぽな、まるで人形のような自分が大嫌いだった。
そして何より、自分が徐々に失われていき、無くなっていくのが怖かった。
それでも、辞める訳にはいかなかった。
どれ程時間を重ねても、最初に抱いた不安は決して払拭される事はなく、むしろ強まっていく一方だった。
晶は、それからもずっと自分を偽り続けた。
周囲の友達と言ってくれる子供達と接する自分を。
周囲の大人達望む自分を。
不透明で本質の見えない仮面を纏い、透明な箱の中に閉じこもって。
時を重ねる毎に晶個人としての『自分』は磨り減っていき、それに比例するように自己嫌悪が増していく。
苦痛なだけの日常なんて、崩れ去ってしまえばいい。
それが晶の、心からの願いだった。
果たして、添付物は、一つのアプリケーションプログラムだった。
【BB2039.exe を実行しますか?YES/NO】
そんなフォントが表示されたと同時、晶は迷わずYESの所に指を突き刺していた。
それと同時に、視界一杯に巨大な焰が噴き上がった。そして暫くして目の前に集まり、【BRAIN BURST】という、一昔前の対戦格闘ゲームのタイトルロゴのようなものを作り出した。
その後のダウンロードに掛かった30秒が、果てしなく長く感じた。
ダウンロードが完全に終わると、疲れが出たのか晶はそのまま眠ってしまった。
意識が落ちる直前に、【WELCOME TO THE ACCELERATED WORLD!】という文字が見えたような気がした。
その晩、晶はこれまで見たことのない悪夢を見た。
晶の周りには、沢山の自分と同じ姿をした何か。あるいは、晶自身。
晶が自分の身体を見おろしてみると、その身体は空っぽだった。
確かにそこにあるのに、中身が無い。
怖くなって周りを見回すが、周囲にあるのは人形のように無表情で、何も映していないような双眸でこちらを見ている自分ばかり。
いや、何も映していないのではない。その瞳の中には、同じく何も映さぬような双眸でこちらを見ている自分が映っている。
——やめてくれ。僕に、その姿を見せないでくれ。そんな目を、こちらに向けないでくれ!
その姿は、見ているだけで晶の事を偽物だと、心を持たない人形なのだと言ってくるように感じた。
———僕は……僕は……一体何なんだ……
頭を抱え込み、その場でうずくまろうとするが、身体は動かない。
ただ、何の表情も浮かばない顔で、ただ目の前にいる同じ表情の自分を見つめているだけ。
やがて、数十であった自分の姿は更に増えていき、それに呼応するようにして空っぽな身体はどんどんと薄れていく。
そしてそのまま消えそうになるのを見て、晶は心からの叫びを上げた。
———嫌だ……何も無いのは嫌だ!僕は……自分自身が欲しい……!誰かの容貌《かたち》を借りてもいい……空っぽな自分に、たった一つの中身が欲しい!
声は出ていない。だが、確かに晶はそう叫んだ。
偽物である自分の中に、一つだけの真実を。
それが、それだけが晶の望む全てだった。
『それが、君の望みか?』
意識が、ゆっくりと浮上する。
目を開けると、そこは自室のベッドではなくリビングのソファだった。
そして、数秒遅れで全身汗だくである事に気が付く。
おそらく直前まで見ていた悪夢のせいだろうと当たりをつけると、晶は身体を起こす。
それに合わせ、被さっていたタオルケットが落ちる。
信じられない事だが、どうやら両親が掛けてくれたらしい。
「………………今日は………土曜日。学校は、無し」
ニューロリンカーのカレンダーアプリを開きながら確認する。
どうやら昨日はうっかりニューロリンカーを着けたまま寝てしまったようだ。
昨日の事は、本当は夢だったのだろうか?と考え込んでしまうのを、視界の右端に光る青い手紙マークが現実に引き戻した。
「僕にメール?誰からだ?」
と、若干既視感を抱くような言葉を発しながらも晶は青い手紙マークをタップする。
しかし、今度は差出人が書かれていないなんて事も、大容量のアプリケーションが添付されている訳でも無かった。
【SYSTEM BB PROGRAM :あなたのデュエルアバターが完成しました。「バーストリンク」と発声して下さい】
それだけの文章が、昨日の事が夢でなかった事を思い知らせてくれた。
デュエルアバター、というのはよく解らないが、BB、というのは恐らく「BRAIN BURST」の略称だろう。
「えっと………バースト………リンク?」
少々疑念を抱きつつも呟く。一瞬、これが大規模な悪戯《いたずら》なのではないか、と思ってしまうが、それは呟いた直後に解消した。
バシィィ!という凄まじい音と共に、世界がモノトーンの青に変わった。立ち上がって後ろを向くと、キョトンとした表情で固まる自分自身の顔があった。
慌てて自分の姿を確認すると、ローカルネット上で使っているアバターである、とあるアニメに出てくる学生服を着た姿になっている。
晶がしばらく茫然自失していると、またメールが届いた。
【BB PROGRAM:この世界はソーシャルカメラからの映像からリアルタイムで組み上げられています。この『初期加速空間』では、あなたの意識は現実世界での一千倍にまで加速されており、また、この空間内では現実時間の1.8秒、つまりこの中で30分まで過ごす事が出来ます。それでは、チュートリアルを開始します。
視界左側のBと書かれたボタンを押し、DUELを選択して下さい。そのマッチングリストの一番上があなたのデュエルアバターの名前です。その下にある NOCOLOR・ENEMY を選択し、対戦を申し込んで下さい。】
最初の数行の内容に唖然としてしまうが、指示された通りにBと書かれたボタンからDUELを押す。
一瞬のサーチング表示に続き、ネームリストが表示された。
一番上には、CRYSTAL・FAKERと書かれていた。
これが僕のデュエルアバターとかいうのの名前か。
晶はそのまま視界を下にずらす。
すると、そこには指示された通りのNOCOLOR・ENEMY という名があった。
指示された通りにNOCOLOR・ENEMYの名前をクリックし、【DUEL】を選択する。
そして更に表示されたYES/NOのダイアログのYESを押し、対戦を申し込む。
すると、モノトーンの青であった世界が変わり始めた。
自宅のリビングだった筈の場所は、壁が消え失せ草が生え、地面にやや水の溜まった草原になった。
その幻想的な風景に、晶はしばし放心した。
十秒ほど経って意識を取り戻した晶の正面には、全部の色をごちゃ混ぜにしたような色彩のヒトガタがあった。
いや、この場合は居た、の方が正しいだろうか。
晶は何時の間にか自分の姿も変わっている事に気が付いた。
両手、両足から胴に至るまで全てがクリスタルのように透き通っている……というかクリスタルその物のように見える材質で出来ている。
関節は、全て人形のような球体関節だ。
改めて自身の身体を見てみると、やはりこちらも人形のようになっている。
自身のクリスタルの掌に、自分の顔が映る。
口も、目も、鼻も、何もないのっぺりとした顔で、此方も他の部位と同じくクリスタルだ。
なるほど、確かにこれは僕なのだろう。きっと、自分自身が否定したかった、深層心理に存在する僕自身なのだ。
晶はそう、直感した。
「それでは、これよりチュートリアルを開始します」
そう考えていると、目の前のヒトガタが電子音を響かせた。
こうして、雨宮 晶の、加速世界における戦いが始まった。