昼間から降り続いていた雨は上がり、蒸し暑さが残る深夜。
マグロナルドでのアルバイトが終わり、真奥貞夫は愛騎ディラハン号で帰宅していた。
「あの子は無事に帰れただろうか」と出勤途中に傘を持たずに雨に降られて濡れていた女の子を思い出す。
拾ったビニール傘ではあるが、真奥は彼女にそれを譲った。
名前は名乗っていないし、彼女の名前も聞いていないけど、店の名前と気軽に食べに来てという満面のスマイルでの営業を忘れない。
小さな事だけど、この世界で出世して成功するための一歩だ。
そう、丁度のこの交差点で信号を待っていた時だ。
「ねえ」
同じように信号を待っていると横から女の子の声が聞こえた。
黄色い服に白色のカーゴパンツ姿で腰まである長い綺麗な赤髪だった。
「あ、君は」
何だ簡単に再開できるんじゃん。また会えてよかったな。
「無事に帰れた?」
真奥は営業スマイルと柔らかい声色で語りかける。この世界で覚えた処世術だ。どんな相手にも通じる。
「あれから、あなたの店に行ったわ」
しかし、女の子の目は冷たく真奥を睨みつける。どうしたんだろうと若干困惑するが。
「そうなんだ。気づかなかったな。俺に声を掛けてくれればよかったのに」
「向かいの本屋から観察していたけど、魔力を使ったでしょ。外見が余りにも違うから勘違いだと思ったけど」
「・・・?」
「魔王サタン!何故あなたが幡ヶ谷のマグロナルドでアルバイトしているの!?」
女の子の叫び声が路上に響き渡る。
「お前は・・・勇者エミリア?」
一瞬にして重い空気が漂い、強い力同士がぶつかり合う。
真奥はかつての宿敵を思い出す。ここ地球ではない異世界、エンテ・イスラ。
真奥は悪魔を統べる大魔王サタンとして、教会と諸王国が治める人間世界に侵攻した。
そして、人間世界の救世主として立ち上がり、魔王軍と幾度となく矛を交えたのが勇者エミリアであった。
エミリアは仲間と共に魔王城を包囲し、あと一歩のところまでサタンを追い詰めた。
「あなたを追ってゲートをくぐったの。ずっと探していたけど、やっと見つかった。覚悟!」
エミリアと呼ばれた女の子の殺気が真奥にも伝わる。眼は見開かれ、手にはナイフが握られている。
しかし、真奥の反応は違った。
「やっぱりエミリアか!久しぶりだな」
かつての親友に再会したような満面の笑みである。
「は?」
「俺たちを追ってきたわけ?それならそうと言ってくれれば良かったのに」
「な、何いってんのよ?」
エミリアは戸惑う。魔王は常に緊張感を持って死と背中合わせで戦ってきた宿敵である。父を殺し、村を焼き払った憎き悪魔のボスである。
それが、好戦的ではなく邪気のない満面の笑みを浮かべている。予想もしていなかった反応だ。でも、これは罠かもしれない。
惑わされたらダメだ。
「今、どこ住んでんの?仕事してるのか?」
真奥は気にも留めずに続ける。数年ぶりに同窓会で再会した幼馴染のノリである。
「永福町よ。仕事はドコデモのテレアポ。・・って、関係ないでしょ!」
エミリアの調子は乱される。落ち着いて、これも魔王の策略よ。私の精神を揺さぶって動揺させようたってそうはいかないんだから。
静かに深呼吸し、自分に言い聞かせる。
「そうなんだ。そうだ、晩飯食ったか?まだだったら、これからどうだ?」
「ふ、ふざけないで!私はあなたを殺しに来たのよ。ご、ご飯なんて何いってるのよ!」
「俺、晩飯まだなんだ。芦屋も呼ぶから付き合ってくれよ」
ペースを崩したエミリアは動揺するが、真奥の爽やかさとマイペースは揺るぎない。
「聞いてるの!?」
騙されちゃダメ。さっさと殺さないといけない、こいつは人間の敵なのよ。
「芦屋、俺だ。飯食いに行くから出てこい。勇者エミリアと会ったんだけどよ、これから3人でどうだ?」
「ちょっと、何電話してんのよ?ていうか芦屋って誰よ?」
「悪魔大元帥アルシエルだよ。俺たちルームシェアしてるんだけどよ、俺がマッグで働いて、あいつが家事をしてくれてるんだ」
「夫婦か!」
しまった。思わず突っ込んでしまった。悪魔がルームシェアって・・・ダメよエミリア、落ち着いて。
「あいつは最高の部下だ。芦屋もエミリアと会えるの楽しみだって言ってたぞ?いやあ、今日はいい日だな」
はははと爽やかに笑う真奥と混乱するエミリア。怒る気がどんどん殺がれていく。魔王に戦闘の意思はない。
それも策略なのだろうけど、このままでは銃刀法違反で捕まってしまう。仕方ない一度様子を見よう。
でも、気は許しちゃダメ。警戒したまま、エミリアはナイフをしまう。
「アルシエルも生きてたんだ」
ということは、魔王軍の幹部で生き残っているのは魔王とアルシエルだけだろうか。他の悪魔は一緒に来ているのだろうか。
私は単独なのに、悪魔がたくさんいたら不利かも。エミリアは思考を巡らせるが、真奥の言葉がまたもやそれを鈍らせる。
「芦屋四郎な。あいつの日本での名前」
「芦屋・・・アルシエルがね」
四郎ってあいつ四男だったかしら。どうでもいいことが駆け巡る。
「恵美よ。私は遊佐恵美」
エミリア・ユスティーナだから遊佐恵美である。無難で可愛い名前じゃないかしら。
「ふふーん。遊佐恵美か、いい名前だな」
真奥の目線は恵美を射抜く。見た限り真奥の服はユニシロっぽい洗いさらしのシャツと安いそうなジーンズだ。
髪もボサボサでそこまでかっこよくないけど、悪魔時代と変わって好青年である。勇者とはいえ、恵美も人の子である。
褒められたら嬉しい。顔が少し熱くなるのが分かる。でも、相手は魔王である。
「しかし、俺はもっといい名前だ」
「何よ?」
「真奥貞夫!」
これぞドヤ顔という顔で名前を名乗る真奥。どうだカッコいいだろうと言わんばかりだ。
日本名をつける際に元の名前から違和感のない、カッコいい響きと漢字を選んだつもりだ。
「・・・」
恵美が固まっていた。
「いい名前で言葉も出ないか?」
「ふふふふ、ふざけてんの!あなた魔王でしょ!!さ、貞夫って。貞夫って。
わ、私が人生を掛けてきた宿敵がなんで、そんな・・・何でそんな・・・ダサい名前を付けてんのよ!!」
「日本全国の貞夫さんに謝れ!!」
真奥の叫び声が夜の街中に響き渡った。
「「かんぱーい!」」
幡ヶ谷駅前の居酒屋チェーンは会社帰りのサラリーマンやOLで賑わっている。
真奥の音頭で芦屋と恵美もグラスを当てる。
「勇者エミリアと再会できるとは光栄の極みです。魔王様、今宵は予算に糸目付けずに存分にお飲みください」
「おう。芦屋、お前も食って飲めよ。いつも頑張ってくれているからな」
「ありがとうございます」
「恵美、今夜は俺のおごりだ。どんどん食え!」
家計に厳しい主夫芦屋にこう言わしてめているのだから、真奥たちは恵美と再会できてとても嬉しかった。
長年矛を交えた宿敵と同じテーブルで思い出話に花を咲かせる。
「って、何で私が・・・何で勇者たる私が魔王一派とお酒飲んでるのよ!!」
収まらないのは恵美だ。宿敵魔王に半強制的に居酒屋に連れてこられ、あまつさえ乾杯などしているのだ。
「落ち着け、エミリア。他のお客さんに迷惑だ」
「あなたは落ち着き過ぎよアルシエル!」
数百年生きて世の中を悟った悪魔と正義感あふれる少女の違いだろうか。見た目はともに20歳前後なのだが。
「俺はずっと恵美と酒飲むのが夢だったんだよな。俺たちを追い詰めた勇者がどんな奴か気になったし」
「私も勇者エミリアの快進撃には肝を冷やしました。直接まみえたのは、魔王城での戦いだけですが」
「それが、こんな可愛い女の子だったなんてな」
魔王軍と勇者の戦いの思い出話に花を咲かせる真奥と芦屋。一方の恵美はプルプルと震えていた。
「な・・・何を言い出すの!か・・・かかか可愛いですって・・・」
顔を真っ赤にして。
「最強の魔王軍がこんなに可愛くて可憐な少女に敗れるとは。このアルシエル、己の慢心が恥ずかしい限りです」
「戦場に咲いた一輪の花だよな。聖法気の使い方や聖剣の技、この若さで驚いた」
「間近で見ると天使みたいですね」
「ああ。恵美は天使だ」
確かに私の半分は天使なんだけど。これは何かの罰ゲームなのだろうか。私を油断させて褒め殺しにする気。
「私も驚いたわ。魔王がこんな軟弱野郎だったなんて」
せめてもの皮肉を言ってやる。少しずつペースを取り戻そう。
「恵美に敗れて己が井の中の蛙だって知ったんだ。地球に来て人の優しさに触れた。乱暴しかない今の俺たちにはエンテ・イスラを治める資格はない。
この進んだ日本で人間として一から勉強して統治者としての才覚を身につけたい。それまで人間たちにエンテ・イスラを預けたい」
真奥は優しい表情をして恵美の眼を見る。一片の曇りもない。
「な、何勝手なこと言ってんのよ!!謝ったって許されないわ!!こ・・・殺してやるんだから!!」
魔界からエンテ・イスラを侵略したことへの反省なのだろうか。何十年も人間は苦しんだ。恵美の父親は殺され、村も焼き払われた。それをこんなにあっさりと。
「勝手なことか。何を言っても言い訳になるが、本当にすまなかった」
「真奥様・・・」
床に手をつき深々と頭を下げる真奥。芦屋もそれに習う。居酒屋の店員や客は何事かとこちらを見てくる。戸惑うのは恵美である。
「や、止めてよ!みっともない!!これじゃ、まるであたしが!!」
恵美は狼狽する。同時に逡巡する。こいつらの態度本物なの?こいつら本当に悪魔なの?
「恵美、芦屋。俺はやり直したい。力を貸してくれないか?」
「御意」
芦屋はどこまでも主君に忠実である。
「これからの俺たちを見ていてほしい。この世界で学び、いずれ全ての人間と悪魔の為の理想郷を築いてみせる」
真奥は恵美の肩を抱く。恵美は突然のことで振りほどけないし、反応できない。
「俺についてこい恵美。俺たちが悪魔と人間の懸け橋になれないか?」
「ふ、ふざけないで!!あんた、本当に魔王なの??死ね、死ね・・・死になさい!!」
恵美の眼から涙があふれる。自分を抑えてこの何年魔王軍との戦いに身を投じた。全てを犠牲にしてきた。苦しくて辛かった。
どれだけ恐怖し、血をを見てきたことか。
それなのに、その悪の王の腕は人間と同じでたくましくて温かった。
ぎゅっとされて・・・嬉しい?
「俺たちの戦いは終わったんだ。俺たちは身勝手で多くの人間と悪魔が死んだ。お前の大切なものをたくさん奪って悪かった」
「お父さんを・・・私のお父さんを」
「この命をお前に預けてもいい。俺がもし道を違えたら、いつでも殺してくれ。だから、これから大切なものを俺と一緒に作っていこう」
真奥の大きな手が恵美の頭をなでる。
「恵美は強くて、いい子だな。お前は必ず俺が守る」
温かい。これが愛?でも、相手は魔王なのよ。多くの人々を苦しめた。
私だけ、私だけ・・・こんな目に。
心では反発するが、体が動かない。どきどきして、ますます困惑する。
「お前、日本に来てどれくらいになる?」
両手で恵美を抱きしめたまま、真奥は尋ねる。
「8か月くらい・・・あなたたちを追ってゲートに入ったし」
「そっか。疲れただろう?」
「だ、誰のせいだと思ってんのよ!」
涙が止まらない。私、どうしたの。
「俺も芦屋も苦労したさ。自業自得だけどな。
ごめんな。でも、もういいんだ・・・」
「・・・」
「恵美、お疲れ。俺は生き急いでいたのかもな。暴力がすべてって阿呆だよな。
恵美のおかげで、己の過ちに気付いた。ありがとう」
真奥の語り口調は優しい。どうして、魔王はこんなに優しいの?分からない。
芦屋は真剣な表情で恵美に頭を下げる。
「アルシエル?」
「エミリア。私も魔王様と一緒だ。己の浅はかさと人間との共存の大切さ、
お前とこの世界で知った。だから、このアルシエルも頼みたい。
我が主君と共に来てくれないか。魔王様と勇者。
魔の者と人間の絆として相応しいものはない。この通りだ」
「アルシエル・・・」
真奥は恵美の射抜くように眼を見つめる。どきっ。
「恵美、話したいことが山ほどあるんだ。聞いてくれるか?」
「恵美、大好きだ。ずっとお前のことを想像していた」
「魔王・・・」
大きな男の腕の中に少し小さな女の体が包まれる。生まれたままの姿。
真奥は恵美の唇にそっと顔を近づけ、彼女もまた舌でそれを受け入れる。
互いの肉体を貪るように、二人のシルエットは夜の闇に横たわった。
「あ・・・もっと・・・きて・・・。これが、私が忘れていた愛なの?」
「俺はいつだって、一生お前を愛している」
失った時は帰らない。失った命は戻らない。でも、やり直せるの?
数年後。都内の一等地に地上30階建てのビルがそびえていた。
建設、IT、メーカー、商社、外食と様々な分野に手を広げる
大手企業真奥組の本社である。社内では地球人に交じってエンテ・イスラ
から来た人間と人間の姿を借りた悪魔が大勢働いていた。
魔王が目指す、人間と悪魔の共存は着々と進んでいた。
「芦屋。例のプロジェクトの件OKだ。現場に許可を出せ」
「は!」
真奥は社長室のデスクに積まれる膨大な書類に決済印を押していく。
芦屋は敏腕秘書として、ブレーンとしていつも真奥の傍にいた。
あれから魔王と勇者は地球に侵攻するルシフェルや悪魔、
天使といった敵と戦った。2人の信念は地球の人たちに迷惑をかけない
ということに尽きた。佐々木千穂、漆原半蔵、鎌月鈴乃と出身、種族を
超えた絆も生まれた。恵美の父親、ノルド・ユスティーナも
真奥組の社員として活躍している。
エンテ・イスラでは悪魔は魔界に引き返し、人間世界は表面上の平和は
取り戻している。
しかし、今度は教会や諸王国の醜い争いに終わる兆しは見えない。
そして、今でも天界や一部悪魔の地球への干渉は終わらない。
魔王と勇者がいる限り。
都内マンション。眠気眼の幼児が赤い髪の母親にくっつく。
「ママ~、お腹すいた」
「ちょっと待って、もうすぐカレーができるから」
優しい笑みで見つめる恵美は専業主婦として一人娘を育てている。
今でも時々勇者エミリアにならなければならないが。
それでもこの平和な暮らしがずっと続いてほしい。
最初のうちはいつも真奥に聖剣を突きつけていたが、いつしか止めてしまった。
心の整理がついたのだ。犠牲になった人間や悪魔のことは忘れない。
自分だけ幸せになって申し訳ないという、罪悪感は消えないけれど。
「今日、パパ早く帰ってくるのよ」
「パパ早く?やった!!」
目に入れても痛くない。両親に愛され、彼女もまた両親を愛していた。魔王と勇者の愛の結晶。
「ちーお姉ちゃん、鈴お姉ちゃん、アルシエルにルシフェルも来るって」
我が家のホームパーティ。楽しくなりそう。こんな穏やかな日々がいつか、エンテ・イスラにも訪れるのだろうか。魔王と私が・・・私たちが必ず成し遂げる。
「貞夫、魔美・・・大好き!ずっと、傍にいて」